『私/俺』は『アナタ/アンタ』を『殺したい』 作:柳野 守利
目が覚めると、いつも見ていた真っ白な天井ではなく、自室の見慣れた天井が目に入った。耳には、降り注ぐ雨音が聞こえてくる
「...雨、か」
こんな天気ではバイヤーも現れないだろう。それに、まだ病み上がりみたいなものだ。身体も全快とは言い難い。今日一日くらいはゆっくりしようか。そんなことを思いながら、いつも咲華さんが朝食を作ってくれている台所へと向かった
「...おはよう」
「おはよう。ご飯出来てるから、座って食べて」
台所にはやはり咲華さんがいて、テーブルには朝食が並べられていた。そして机に突っ伏したまま動かない親父もいた。そんな親父を見た俺を、咲華さんが苦笑いしながら説明してきた
「昨日...というか、時間的に今日になるのかな。遅くまで張り込みしてて、朝ごはん作ってる最中に寝ちゃったのよ」
「...親父......」
酷く疲れた様子で眠っている。なんとかして負荷を減らしてやりたいと思うが...俺に出来ることもたかが知れてる。ならば、俺は俺のやるべき事をやろう。それが、俺と親父の道というものなのだろう、きっと
「......ん?」
考え事をしながら朝食を食べていると、携帯が数度震えた。画面にはメールの受信を知らせるメッセージが表示されていた。開いてみると...差出人は、雪菜だった。内容は、今日は事務所にいるのか、という事だった
一瞬、今日は学校じゃないのかと思ったが、日付を見れば今日は土曜だ。病院に居すぎたせいか、日付の感覚がずれているようだ。とりあえず、いるよと返信しておく。幸い、外は雨だ。客も来ないだろう
...しかし、雨の中彼女は来るつもりなのだろうか。そういえば、前回来た時も雨だったか。あれから俺のジャージは返ってこないままだ。まぁ、別に構わないんだが...
「雪菜ちゃんから?」
「あぁ、まぁ......」
「あら、良かったじゃないの」
口元に手を添えてクスクスと笑う咲華さん。そんな彼女を少し睨みつけると、再び食事を開始した
「そういえば、眼鏡つけてないのね」
「...ん、そういやぁ忘れてたな......」
いつも何気なく付けていた眼鏡を、今日はつけていなかった。病院では基本的につけてなかったから、そのせいもあるのだろう。いやまぁ...あの騒動の時に殴られて、フレームが曲がっちゃったから仕方がないっちゃ仕方がないんだが。修理出して返ってきてから、つけるのをしばしば忘れてしまう。今日は雪菜が来るらしいから、後でつけておかないと...
「......ぅ、うぅ...」
隣で眠っている親父から呻き声が聞こえてきた。職場は酷いものらしいから、そんな夢でも見ているんだろう。夢でまでこき使われるとは...親父も社畜まっしぐらか。嫌なもんだな
「...かい、ね......」
「..........」
「..........」
咲華さんが無言で親父の朝食を冷蔵庫にしまい始めた。こればかりは仕方がない。俺は親父に憐れみの目を向けた後、味噌汁を一気に口の中に流し込んだ
「そういえば...海音さんと一緒に長いこと住んでたのよね?」
「...まぁ」
咲華さんが急にそんなことを聞いてきた。確かに長いこと一緒に住んでいた。記憶の中にある母は...よく笑う人だっただろう。そして、綺麗というよりも、可愛らしいというのが印象的だ。眼鏡の良く似合う人だった
「ねぇ...私とどっちが良い?」
「..........」
また、聞きにくいことを質問してくる。咲華さんと一緒に暮らして、不自由だと思ったことは無い。俺をよく構ってくれるし、気兼ねなく話してくれるし、珈琲の淹れ方を教えてくれたのも咲華さんだ
「じゃあ...私が仮とはいえ母親で、良かったって思う?」
「...そりゃ、もちろん」
「...そっか。なら良かった」
そう言うと、咲華さんは食器を洗い始めた。母親で良かったのか、か...
...ふと、一つ疑問が浮かんできた。俺はそれを、少しだけ躊躇って言った
「...俺とアイツ...どっちが良かったですか」
「...え?」
振り返って、驚いた顔で咲華さんが聞き返した。俺はもう一度、彼女に問う
「俺が...アイツの代わりで良かったんですか?」
「..........」
咲華さんは一瞬口を噤んだ。けど、すぐに微笑んで、俺に近づいて来て、俺の頭を抱きしめながら言った
「どっちだろうと...私達の子供であることに、変わりはないのよ。優劣なんてない。どっちも、大切な家族よ」
「......そう、ですか」
...頭を包む暖かさが、心地よかった。ずっと、こうして暖かい空間に身を置いておきたい
「..........」
...そんな自分を、押し殺す。甘えるな。俺はこうしていてはいけない。果たさなければならないことがある。その為に生きてきた。その為にここまで来た。それが全てを台無しにすることでも、やめるつもりなんてない
そんなことを考えていると、携帯の着信音が鳴った。咲華さんは俺から離れて、再び家事に戻っていった。携帯にはメールが一通。雪菜から、今から向かいますと書かれていた
「...支度、しておこうか」
俺は立ち上がり、自室へと向かっていった。親父はまだ起きない
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
外は、以前よりも酷くはないが雨が降っている。外を通る人は少ない。が、土曜なので車はよく通る。下手をすれば車に弾かれた水たまりの水が歩行者にかかりそうだ
チリーンッと扉につけられた鈴が鳴った。今日の客が来たようだ
その客はいつか見たみたいに、身体を濡らしてやってきた。本人はどこか恥ずかしそうに、頬を赤らめている
「おはよう、ございます...晴大さん...」
「...おはよう。いつか見た光景なんだが...前より酷いな」
「車で水が跳ねてきて...」
あぁ、嫌な予感というのは的中するものか。とりあえず棚からタオルを取り出して彼女に渡した。受け取った彼女は全身を拭き始める。濡れたせいで、彼女の黒い服が身体にベッタリと着いていて、身体のラインがよく分かった
...しかし細いな。ちゃんと食べているのか?
「あ、あの...あまり、見ないでください...」
「...すまない」
赤い顔のまま身体をモジモジとさせる彼女はとても可愛らしく見える。とりあえず、熱くなる顔を無視するように彼女に提案した
「...風呂借りるか? まだ昼前だけど」
「その...すいません、お借りしたいです...」
「いいさ。流石に運が悪かったってだけだしな」
濡れてしまった彼女の荷物を預かる。中身は一応無事なようだ。見覚えのあるジャージが入っている...
「あっ...お借りしてたジャージです。長い間借りてしまってすいません...」
「いや、構わないよ。とりあえず、風呂場まで向かってくれ。場所はわかるだろ? 咲華さんには俺から伝えとくから」
「は、はい...」
雪菜はどこか居心地が悪そうに、事務所から出て家の方へ向かった。しばらく見ていなかった自分のジャージを取り出してみた。どこか、彼女の匂いがする
「そりゃまぁ洗えば匂いもつくか...」
次この服を着るのに、些か勇気がいりそうな気がした。ジャージはとりあえず畳んで置いといて、家のリビングに向かって、咲華さんに風呂場を貸していることを伝えた。すると咲華さんは今度は俺の私服を取り出してきた
流石にそれは無理だろう...と言うと、あの子小さいから大丈夫大丈夫と、根拠の無い返事が返ってきた。私服として着ていた黒のTシャツとジーパンなんだが...流石にベルトくらいは一緒に渡しておこう
「...しっかしまぁ......」
畳んだジャージを再び手に取って匂いを嗅いだ。甘いような、いい匂いがする。長い間嗅いでいたいような匂いだ...
「...何やってるの?」
「...ジャージ返ってきたから畳んでた」
咲華さんが言ってきた。嘘じゃない、本当だ。大体、これは俺の服だ。俺が何しようが勝手じゃないか
「ふーん...」
咲華さんがニヤニヤと笑っている。そんなことをなるべく気にしないようにしながら、部屋に戻ってジャージを片付けた。いざ部屋を出ようとすると、あることに気が付いた。パソコンがスリープ状態のままなのだ。使わない時は電源を落としているのに...そういえば、昨日の夜プロテクト解除をまた試みて、寝落ちしたんだったか
「...一向に解けねぇよな...これが、犯人の手がかりになるというのに」
...ふと思いついた。これはかなりの賭けだが、バイヤーならば裏にそこそこ関わりがあるはずだ。条件次第ではプロテクト解除に一役買ってくれるのではないか?
「...交渉次第、か」
本当に行き当たりばったりな事が多い。まぁ、仕方がない。やれることを一つずつ潰していくのが一番いいんだろう、きっと
そして、俺はその後雪菜が風呂から出てくるまでプロテクト解除を試みるのであった
大体時間にして25分程度。部屋の扉がノックされた
「どうぞ」
「お、お邪魔します...」
部屋に入ってきたのは雪菜だ。髪はまだ少し濡れていて、服は俺の私服だ。だが...
「...少し丈が短いな」
「うっ...あ、あまり見ないでください...」
お腹が少しだけ見えそうになっている。万歳でもしようものなら、そのお腹が全部見えることだろう。俺の服はそこまで小さくなかったはずだし、彼女だってそんなに大きくない。となると......
「...どこ見てるんですか!?」
「...いや、ねぇ......」
...原因は胸の大きさ、なんだろうなぁ...。そこそこ着痩せするタイプなのかはわからんが、とりあえず大きいということはわかった。大きいのは好きだとも。大きすぎるのは良くないが。その人に見あった大きさが良い
「んで...土曜だってのになんだってウチなんかに来たんだ?」
お巫山戯はこの辺にしておこう。わざわざウチにまで来たんだ。何の用事もないなんてことはないだろう。雪菜は少しだけ顔を俯かせると、少し小さな声で話し始めた
「私、総司さんに言われたんです。貴方と会うのをやめなさいって。今までそんなこと言ったりしなかったのに」
「......へぇ」
保護者からやめろと言われたか。いやぁ...そりゃキツいなぁ...。けど、こっちだって依頼されてる。向こうから接触をやめようが、俺から接触するだけなんだがね
「まぁ、仕方ないな。俺は危険なお仕事引き受けてるわけだし。ある意味警察よりも厄介な仕事なんじゃないかね、今の現状だと」
「...その、危険な仕事をやめて欲しいと言ったら...やめてくれますか?」
どこか懇願するような表情で彼女は俺に聞いた。俺だってしたくない。痛いのは嫌いだ。まだ死にたくない。けれど...
「...それは、君に兄を恨むのをやめろと言うのと同義だと思わないか?」
「...だって......」
彼女は俯いて彼の服の裾を掴んだ。弱々しい力だ。彼女の容姿と相まってより一層、非力な少女に見えた。彼女は告げる
「...あの時、晴大さんがナイフを向けられた時、殺されるって思ったんです」
彼女が思い出したのは、ある日の風景。家に帰って、部屋に入ると血を流して倒れている父と母、そして兄。その後兄は消え去っていたが...それでもそれは、彼女の心の奥底深くで焼き付いて離れないものだろう。彼女が赤色を使いたがらない理由なのだから
「嫌です。もう、死んで欲しくないんです。貴方に、生きていてほしいんです。危ない仕事を辞めれば、総司さんも一緒にいることを許してもらえる。だから......」
その先を、彼女は言うことができなかった。彼が彼女を強く抱きしめたからだ。頭に手を当てて、自分の身体に無理やり押し付ける。空いた手で、彼女の背中をゆっくりと撫でた
「...それは無理な相談だよ。俺はね、辞めるに辞められない所まできてる。俺が辞めるとしたらそれは...俺が死んだ時だろう」
「..........」
「...何故、そうまでして一緒にいたいと思う?」
彼女にそう聞いた。彼女は顔を強く彼の身体に押し付けながら答えた
「...兄さんと、似ているから」
「...へぇ。俺が冷酷で残酷な殺人鬼だと?」
「違いますっ。貴方は...そんなんじゃない」
彼女の耳が赤くなっている。可愛らしい。このまま彼女を抱きしめたまま離さなかったら、それはどれほど幸せだろうか。だが、それはまだ許されない。彼は自分の欲を押しつぶすように彼女を抱きしめる力を少しだけ強めた
「昔の兄さんは...優しくて、頭が良くて...私が悲しんでる時、いつもこうやって宥めてくれてんです。一緒なんです。頭を片手で撫でて、もう片方の手で背中をさすってくれて...。とても、安心できるんです」
「...そう」
「...本当に......」
彼女は顔を彼の体から離して、彼の顔を見つめながら聞いた。どこか懇願し、どこか恥ずかしがるような表情で
「本当に、兄さんじゃないんですか...?」
「..........」
その質問に、彼はニヤリと口元を歪めて答えた
「もしそうだったら、どうするの?」
「どう、するのって...えっと...」
「不躾な質問だと思わない?」
彼はぐっと彼女に体を近づけた
「もしも本当に」
「せ、晴大さん...?」
「俺が殺人鬼だったら」
「っ......」
彼女は後退し、やがて壁に当たる。それを気にせずに、彼は距離を詰めていき、彼女の首元に手を当てて言った
「...今頃、どうなってるんだろうね?」
「ひっ......」
彼女の身体が強張る。それを見た彼は堪えきれなくなったように笑い始めた
「ふっ...くくっ...君ねぇ...流石に不用心過ぎるよ。男の部屋に上がり込んで警戒心もなく近づいて...。周りの人間には気をつけなくちゃ。特に君はね」
「......酷いです...」
彼女はその場にへたれこんだ。顔を真っ赤にして。それが恐怖からだったのか、単に彼との距離が近かったからなのか...それは彼にはわからないことだ
「いや、実際問題、君は周りの人間を信用しない方がいい。誰が君を狙ってるのか...わからないんだからね」
「私を、狙う...?」
「殺人鬼が君だけを残した理由がわからない。何故殺さなかった。何故両親は死ななければならなかった。その差異はなんだ? 年齢? 婚歴? 容姿? 何もわかっちゃいない。現状、君が殺されなかったのは、''偶然"だったとしか言いようがないんだ。殺人鬼の気持ちが晴れたのか、そんな気分じゃなくなったのか、都合が悪くなったのか。子供一人殺すのに、手間も時間もさほどかからんのにだ」
彼は座り込んだ彼女に向かって手を差し伸べた。彼女はその手を受け取り、すっと立ち上がるとその後ベッドに座り込んだ
「周りの男を信用するな。唯一顔を見た可能性がある君を、殺人鬼が逃がすとは到底思えない」
「...私は、兄の顔を覚えています。けど、世間にも兄の顔は公開されています。なのに、私が狙われるんですか?」
「整形していたら? 人の皮をかぶっていたら? 全くもって別人だったら?」
「そんなの...もしもの話ばかりじゃないですか」
「そうだ。だが、それこそが君の身を守る唯一の方法だ。男に気を許すな。殺人鬼は、俺かもしれないし、他の人間かもしれない」
「...晴大さんは、兄さんじゃないです。だって、見つけようとしてるじゃないですか」
彼はその言葉に深くため息をついた。そして、彼女にある一つの式を言った
「2+2=5だ」
「...へ?」
彼女は不思議そうに首を傾げる。彼は彼女にもう一度言った
「2+2=5」
「...4ではないんですか?」
「そう。2+2=4だ。では、この式はなんなのか。わかるか?」
「...わからないです」
「自己暗示だよ」
「...自己、暗示...?」
彼はとあるゲームのカセットが入った箱を手に取り、話を続けた
「自己暗示。自分の潜在意識に、自分はこうであると認識させることだ。潜在意識に潜り込ませたものを思い出しそうになった時、もしくは思い出したい時に、トリガーとなる言葉を言う。それをキーに、潜在意識での認識が切り替わる。2+2=5っていうのは、そのトリガーとなった言葉だ」
「...それが、どういう意味なんですか?」
「わからないか?
「...恐ろしい、話ですね」
「あぁ。だから、せめて殺人鬼の騒動が終わるまでは...あまり男に近寄らん方がいい。安心しろ、俺と親父で捕まえてやるから」
「...はい」
部屋に静寂の時間が訪れた。彼女の心にあるのは不安。彼の心はある種の決意で満たされている。
...さて、とあるゲームで暗示を行った男はスパイであった。やがて蛇の仲間となり、物語に大きく影響を与えた素晴らしい男だった。では、あの地下世界のお話はどうだろうか。あの主人公は、誰も殺さない善人であったと同時に...
...皆を殺す殺人鬼にもなったはずだ
To be continued...
2+2=5
メタルギアソリッドTPPでオセロットが使った暗示ですね
You are filled with Determination.
貴方は決意で満たされた。Undertaleというゲームで使われた言葉ですね
メタルギアとUndertale、わからない人は動画とか見てみてください。自分はかなり面白いと思います