【とある魔術の禁書目録】Uncharted_Bible   作:白滝

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一応は最終章です。
区切りが悪かったので章を纏めたら、少し長くなってしまいました。

TRUE ENDとしてもう1章投稿予定なので(短編)、あとがきでの裏設定・小ネタの公開などはその時にやろうかと。
あとがきでもちょっぴり語りますが。
最後までお付き合い頂けたら幸いです。


終章 結末は想像よりも味気なく…… Is_This_Our_Happy_End?

 フィアンマの通信を受け取ったヴィニーは、即座に三枚の絵札を取り出した。

「!?遂にやんのか、天使の召喚ー!?」

 儀式魔術と判断した時点で、この展開は危惧していた。

 未だ劣勢で術式のカラクリも掴めていない。ここで天使を召喚されたら一溜りもなくテルノアは消し炭になるであろう。

 が、叫ぶテルノアの悲鳴など関係はない。

 ヴィニーはフィアンマから偶像理論で借り受けていた天使の力(テレズマ)を総動員する。

 ゾクリとした悪寒をテルノアが感じた時には、もう手遅れだった。

 空中に浮かぶ機体の残骸がギシギシと軋んだ悲鳴を上げ、今にも墜落しそうになる。莫大な力が、この空間そのものを震わせているのだ。

 『黄金』系魔術の真髄は、大規模な天使の力(テレズマ)の操作。

 望む物、望む効果に応じた天使の属性を選択し、単なる魔力では不可能な現象を引き起こす。

「その属性色は赤色。対応位置は右方。そして何より火と光を司る者」

 歌うようにヴィニーは告げた。

「こんにちは美の大天使。ご機嫌いかがでございましょう?」

 天使の召喚。

 無論、それは天使というものを一〇〇パーセント完璧に引きずり下ろすのではない。そんな事は単なる魔術師如きでどうにかできるものではない。

 ヴィニー・エドワード・ウェイトが呼び出しているのは、あくまでも天使の力(テレズマ)の塊。おそらくは、力の欠片を集約した虚像に過ぎないだろう。

 ただし、一〇分の一だろうが一〇〇分の一だろうが、魔術師の二、三人を消し飛ばすなど造作もない。その上、曖昧だった天使の輪郭が段々と濃くはっきりと肉付けされていった。分断された機体の間に、数メートルの巨大な天使が現世に降り立つ。

「やはり外部から天使の力(テレズマ)を供給していたか。だが、これほどの量とは……」

 突きつけられる絶望を前に、ラクーシャは茫然と呟くしかなかった。

 テルノアに至っては腰が抜けてへたりこんでいた。

 勝てる訳がない。

 人間とジェット機が綱引きをするようなものだ。ジェット機が何もしなくても人間に勝ち目はない。それと同じ。もはや勝負になっていないのだ。

 圧倒的な力量差。チート。スケールの違い。

 ここまでやってこれたのは三人がかりの連携があってこそだった。

 しかしもう小細工は通用しない。

 根性論ではどうにもならない。

 完全に状況として詰んでいた。

 そしてヴィニーも容赦はしない。

 今まさに四枚の絵札を提示していたヴィニーが、天使の一撃を放つ

 

 ――――その一瞬前。

 フレイスの叫び声が絶望に蝕まれる二人の心を揺さぶった。

 

「―――飛び下りるわよ!!」

 

 言葉の意味を理解するのに、一拍の空白が必要だった。

 正気の沙汰ではない。

 高度一二〇〇〇メートル以上の上空から飛び下りたら、着地の衝撃で五体が粉々に吹き飛んでしまう。

 その上、ベーリング海は今氷結しているのだ。空気摩擦なら魔術でどうにか軽減できるかもしれないが、落下の衝撃を殺すのは不可能である。

 戦闘での解決が無理なら逃走すればいい……なんていう単純な理屈が通じる状況ではないのだ。

 助かる見込みは万が一にもありえない。

 驚愕し硬直する二人を前に、フレイスはラクーシャを引きずり機体後部から飛び下りた。

(なっ!?)

 呼吸が止まった。

 テルノアを機体前部に取り残したまま、二人は落下していく。

「ッッ!?」

 こうなればヤケクソだった。

 どうせこの場に居たら天使の一撃で蒸発するのがオチである。死ぬ運命が決まっているのなら、遺体が残る可能性のある死に方をしたい。

「ぅぅぅ…………尊厳死ひゃっほぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 涙で歪んだ顔を無様に晒しつつ、テルノアは機体から飛び下りた。

 風圧で顔面が押し潰されそうだった。

 呼吸ができない。

 一瞬後に、上空で轟音が鳴り響き、真っ赤な閃光が網膜を貫いた。

 眩暈がするが、直撃するよりかはマシである。

(でも……)

 腹を決めた。

 死ぬ覚悟を決めた。

 風圧に押し潰されそうになりながら、ゆっくりと目を開いたテルノアの視界の先にあったのは――――――

 

 

 フィアンマの『第三の腕』には、長さだけで二、三キロメートルを超える巨大な大剣が握られていた。視界に収まりきらない、シュウシュウと蒸気のような音を立てる大剣が、横薙ぎに振るわれる。

 それは山脈を抉るような一撃だった。

 速度とか威力とか硬度とか重量とか、そんな具体的な数値など些細な要素でしかなく、その一撃が起こった時点で破壊と絶望が辺りを席巻する。そんな必殺だった。

 しかし、槙斗はその攻撃を真正面から受け止める。

 生み出した鉄の杖で大剣を受け止め……切れずに、竜の頭が総がかりでその牙を以てして刃と拮抗していた。鍔迫り合ったまま数十メートルも押し飛ばされ、海面の氷がひび割れる。

 そんな槙斗の頭上を飛び越えて、神話にその名を轟かし赤竜の半身と謳われた『一〇本の角と七つの頭があり、その角に一〇個の王冠を被った獣ーーThe_Beastーー』は突進する。

 氷を粉砕し海水を巻き上げ突風を背後に纏い、全長一五メートルを超える赤竜の半身(ザ・ビースト)が音速を超えてフィアンマに突撃した。

「チッ………」

 フィアンマは一歩も動かない。そのまま一度大剣を消滅させ、『第三の腕』を振るう。

 ゴバッ!という閃光が迸った。

 まるで顔の前を跳ぶ目障りな羽虫を潰すような動作だった。しかし、その挙動のみで突風が突風を蹂躙する。

 赤竜の半身(ザ・ビースト)が文字通り吹き飛んだ。

 その巨体が宙を舞い、頭が千切れ、皮膚は焼け焦げ、海中に沈んでゆく。

 巻き上げられ粉砕された氷が粉塵の如く舞い、フィアンマの攻撃で海面からは水蒸気が立ち昇り、白いカーテンが両者を隔てた。

「epqnjd次vdixg」

 それでも両者に沈黙はなく静止もない。

 もはや五感で知覚できない、空間そのものを引き裂くような悪魔の一声と同時、槙斗が鉄の杖で海面を叩き割った。

 地割れ。

 半径五〇メートルに渡って氷層が崩壊した。奔る亀裂がフィアンマの足元まで伝い、足場が喪失する。

「やってくれるじゃあないか。でも甘いな」

 即座に後方に瞬間移動を行い、水没を免れる

 

 ――――だけでは済まない。

 

 轟く衝撃波はそれだけに留まらなかった。

 間欠泉の如く海水を巻き上げ大波を引き起こし、退避先の地点まで飲み込まんとしていた。まるで火山の噴火のような天災レベルの現象である。

 高さ五メートルにまで達する、氷の破片を巻き込む大波に巻き込まれたら最後、人肉をすり潰したような悲惨な末路を辿るだろう。

 慌てて二度目の瞬間移動を行う。

 今度は槙斗の真後ろへ。

 フィアンマの瞬間移動術は平面での移動に限られるため、迫り来る大波から退避するには、大波が過ぎ去ったその地点へ飛ぶしかない。

 そこへ、

「kkkkh遅gsbn」

 槙斗の猛攻が更なる追い討ちをかける。

 槙斗はフィアンマの心理を完全に読んでいた。フィアンマの転移先を予測し、その位置までジャンプして待ち伏せしていたのだ。

 空中で身を捻り、渾身の遠心力を纏った尾がフィアンマに迫る。

 バチィィィッッ!!と、『第三の腕』が尾を受け止めた。空気がビリビリと振動し身の毛がよだつ。

 コンマ数秒。

 一呼吸の間もなく、次の瞬間には槙斗の『竜の咆哮』とフィアンマの『聖なる右』が至近距離で衝突した。

 閃光と風圧。

 ぶつかるはずのない物質同士が、互いを喰い破るように爆発した。

 数多の音塊が重なり、轟ッ!という衝撃波が撒き散らされる。

 槙斗が放物線を描きながら吹き飛ばされる。

 フィアンマも同様に爆発の余波に叩かれ、海面へと突き飛ばされた。

 海中に沈み、ぶくぶくと口から肺に溜め込んだ空気が逃げていく。

(俺様に傷を負わせるとはな……)

 これでも幸運である。

 氷層が砕かれた後だから助かったようなものだ。でなければ落下の衝撃を氷板では殺し切れずに粉砕骨折していたかもしれない。

 海面へ叩きつけられた鈍痛で顔をしかめるフィアンマは――――

 

 次の瞬間、海中に潜んでいた赤竜の半身(ザ・ビースト)の大口に、バクリと丸呑みされた。

 

 グフッ、と満足そうに気を緩めた赤竜の半身(ザ・ビースト)は、直後に腹を突き破って現れた大剣によって、その身を縦真っ二つに引き裂かれた。

 フィアンマはそのまま海上まで浮上し、酸素を確保する。視界の二〇メートル程先に、ムクりと起き上がる槙斗の姿が見えた。

「ハァ……ハァ……ゴホッ、ハァ……」

「aoleu死ifwurvlev」

(油断した。あの怪物は赤竜と同等の力を持つ。奴と同じ再生能力を有していると推測できたな。それにしても、『痛い』……か)

 長らく感じていなかった感覚だ。

 そもそもフィアンマの『聖なる右』は、試練や困難のレベルに合わせて最適な出力を行う。だからこそ本来必要であるはずの事柄が必要ない。

 速度。

 硬度。

 知能。

 筋力。

 間合。

 人数。

 獲物。

 右手を振れば勝ってしまうフィアンマにとって、こういった細かい勝利のための積み重ね、勝つための要因、戦うために用意するべき手札などは何一つ縁がない。

 それほどまでに無敵。いや、無敵とか無敗とか最強とか頂点とか、そんな次元ですらない。

 もはや比較対象ではない。

 天上天下に比類なき圧倒的な力。

 フィアンマという存在自体が既に勝利であり、そこに『勝負』や『競争』による優劣の差は生じえない。

 敵が自分より強かろうと弱かろうとただ勝つだけ。それがフィアンマだった。

 

 だからこそ予想外だった。

「ふっ……まさか俺様と互角に渡り合うとはな。確かに出力制限をかけたままお前と戦うのは少々分が悪い」

 槙斗はもはや言葉を聞いていない。

 海面から飛び出る赤竜の半身(ザ・ビースト)と共に、フィアンマの前後から突進を仕掛けて挟み撃ちにしようとする。

 音速を超える猛攻にも、フィアンマは真横に五〇メートルほど瞬間移動する事で回避する。

 標的を見失った槙斗と赤竜の半身(ザ・ビースト)が、氷で滑りブレーキがかからず互いに真正面から衝突する。

 ゴバッッという鈍い音が響いた。

 しかし、瞬く間に傷が再生する。

「分が悪いな……悔しいが、お前の心臓に敬意を表し、それぐらいは認めてやろう。だが、アレを前にしても同じように立ち回れるかな?」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、フィアンマは『聖なる右』を頭上に放った。

 そう、気付いていたのだ。

 奇しくも、海面に浮上した際に視界に飛び込んできた『それ』に。

 ゴバッッ!と閃光が突き進むその先には、

 

 空から降ってきた三人の女の子(ヒロイン)達が―――――

 

 

 

「ううううううううううう!!ぐっ、ぁぁぁあああああああああ!!」

 隕石がミサイルの如く飛来する。

 大気圏外から降り注ぐ数十もの隕石は、何故か摩擦熱で消し飛ぶ事なく突き進む。

 そんな非常識な天災を、ヴィニーは己の非常識で以て迎え討っていた。

 天使の虚像。

 それが放つ閃光が一帯を守る壁となってクラスター爆弾の如く降り注ぐ隕石を迎撃する。

(狙いは確実に若様。黙示録に『その尾は天の星の三分の一を引き寄せるとそれらを地上に投げた』とありますが、それを本当に実行するとは……)

 ヴィニーが隕石を一つでも取りこぼせば、それは海面へと突き進みフィアンマを直撃するだろう。例え瞬間移動を有していたとしても、衝撃波が周囲を薙ぎ払い回避は難しい。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 絶叫が漏れる。

 が、倒れる訳にはいかない。

 使える主(フィアンマ)の命を守れる人間は、自分しかいないのだから。

 

 その瞬間、槙斗は確かに自分の意志で迷っていた。

(こいつらを助ける?)

 空から降ってきた三人の人物。

 彼女たちに向けて攻撃を放つフィアンマはまさに無防備そのもの。彼女たちを見捨てれば、この隙を突いて槙斗がフィアンマを殺す事ができる。

 

 槙斗が三人を見捨てれば。

 

 

 一人はフレイス。

 大雑把なくせに面倒見がいい姉御気質の魔術師だ。

 素気ない『トリック』のメンバーの中で、事情が掴めない槙斗の話相手になってくれた唯一の人物である。得体のしれない『トリック』の中で、彼女の常識人らしさが槙斗の心を支えていた。

 しかし、そもそも彼女がいなければこんな悲劇に巻き込まれなかった。

 

 一人はラクーシャ。

 民族衣装を纏う魔術師で、常に何かを睨んでいるような近寄りがたい雰囲気のある女性だ。

 無口で冷徹。物事に動じないその態度は怖くもあったが、それがこの非常識な環境の中でひどく頼れるような気がしていた。

 しかし、そもそも彼女がいなければこんな悲劇に巻き込まれなかった。

 

 そして、テルノア。

 『トリック』のリーダーにして槙斗よりも年下の少女。

 とある事件にて喉を潰した過去があり、人口声帯にて声を発しているその様子は、見ていて痛々しかった。どんな経歴を歩めばこんな少女が暗殺部隊のリーダーに抜擢されるのか、その運命がただただ可哀想だった。時折見せる年相応の反応は可愛らしく、思わず力が抜けるようだった。

 しかし、そもそも彼女がいなければこんな悲劇に巻き込まれなかった。

 

 彼女たちにもそれぞれに紡いできた物語(人生)がある。

 それぞれの悲劇を経て今この場所まで堕ちてきたのだと思う。

 それにどんな絶望が伴い、どんな覚悟を決め、どんな主人公を魅せたのかは分からない。

 だがはっきり言って、敬礼寺槙斗には何の意味もない。

(知ったこっちゃねぇよ!俺の方があいつらの何十倍も悲劇な運命を辿ってるんだ。自業自得だろ、俺をてめぇらの都合に巻き込んだ天罰なんだよ!)

 ミシリ、と身体が軋んだ。

(だから関係ない。俺はあいつらを見捨てて生き残る!)

 本当にそれでいいのか?と誰かが声をかけた。

(逆に聞いてやる。あいつらを助けるメリットは何だ?)

 メリットがなければ助けないのか?仲間だろう?とまたも誰かが呟いた。

(仲間?冗談よせよ。俺は拉致されただけだ)

 なぜ必死に言い訳する?と誰かは問い詰める。

(言い訳?俺が?何言ってんだ?俺の本心だろ)

 お前(オレ)の本心は悪意だけじゃない。良心もちゃんとある。そうだろう?

(ねぇよ、もう気付いちまったんだ。俺は醜い。どこまでも、醜い)

 確かに醜い。だからこその良心なんだろう?

(……は?)

 例え利害関係の一致による仮初めの味方でも、見殺しにするのは罪悪感がある。だから見捨てるのが怖い。自分一人だけが生き残り、周りに糾弾されるのが恐ろしい。

 お前(オレ)の本心はただそれだけの、ちっぽけな良心さ。

(そんなのは良心じゃない!自分勝手なエゴだ)

 エゴという動機の良心(悪意)さ。

 自暴自棄になるな。悪心から為る善行もある。

 それが結果として「善」と判断されるなら、自分がどんなに悪意を抱こうが躊躇う道理はないだろう?

(いや、俺は――――)

 自分の悪を見誤るな。

(俺は――――――)

 

 

 ギクリと身体が硬直した槙斗を視界の隅に捉えたフィアンマは、その一瞬の中で勝利を確信していた。

(現在の『赤竜の心臓(サタンズコア)』は、自らが媒体を偽造し魔導書の原典のように霊装自体が自立稼働している。しかし、それはあくまで『敬礼寺槙斗』という人格データで骨組みした上っ面だけのハリボテにすぎん。媒体の人格に対応させている『負の感情(チカラ)』を消失させれば、偶像崇拝による天使の力(テレズマ)の行使は不可能。そうなれば俺様の勝ちだ)

 もし三人を助けようという感情が芽生えれば、その時点で負の感情(チカラ)が消失し機能を失った『赤竜の心臓(サタンズコア)』は自壊するだろう。

 もし三人を見捨てれば、負の感情(チカラ)が継続、むしろ助長されることで『赤竜の心臓(サタンズコア)』は更なる力を得るであろう。

 状況は二択だが、フィアンマは揺るがない。

 槙斗は迷った。

 一瞬ではあったが、確実に動きを止めた。

 敬礼寺槙斗の人格データを媒体にした欠点が露呈している。

 つまり、『ここで人命を優先するのが常識的な行為である』という結論を出してしまう甘さを突いた、フィアンマの機転にこそ為せる業だった。

「自らの善性で自滅するがいい!そんな偽善では、この世界は救えない!」

 高らかに叫ぶフィアンマに対し、槙斗は―――――

 

 

「………………………………………………は?」

 

 フィアンマの口から間の抜けた声が漏れる。

 予想外の状況に目を見開く。

 敬礼寺槙斗がフィアンマの予想を裏切り、三人を見捨てて天使の力(テレズマ)を爆発的に上昇させた―――――

 

 

 ――――訳でもない。

 なんと敬礼寺槙斗は、三人を救出しながらも自らの『負の感情(チカラ)』を維持し続けていた。

 まるで槙斗の意志を読み取ったかの如く赤竜の半身(ザ・ビースト)が飛び上がり、落下してきた三人をバクリと丸呑みする。そのまま着地し、口から三人を吐き出した。落下の慣性を殺し切り、完全な五体満足を維持したまま三人を救済してみせた。

「……生きてる?」

「さ、流石に死んだと思ったわ……」

「あばばばばばばばばばばばばばばばばばば…………」

 三人は助かった。

 フィアンマの思惑通りに事は進まなかった。

「なぜだ!?貴様はなぜそれでも自滅しない?悪意を消失しない?貴様には本当に良心が微塵にもないのか?……人が持つべきちっぽけな良心すらも存在しないのか!?」

「俺にだって『誰かを助けたい』って気持ちくらいあるよ」

 返す刃で槙斗が放った言葉は、これまでのようなノイズの混じったものではなかった。完全に『敬礼寺槙斗(にんげん)』の声であった。

 それはつまり、身体の主導権を『赤竜の心臓(サタンズコア)』から『人格データ(敬礼寺槙斗)』が奪い返した事を意味していた。

「でもそれは、心の底から湧く『助けたい』って思いじゃない」

 しかし同時に、悪魔のように冷たい言葉でもあった。人間らしさを感じないのに、目の前にいるのは人間の形をしている、そんな印象だった。

「俺がこいつらを助けたのは『自分を守るため』だ」

 思わず後ずさりするフィアンマを、回り込むように赤竜の半身(ザ・ビースト)が死角から接近する。

 不意打ち。

 動揺したフィアンマの一瞬の隙を逃さない。

「ぐっ、ああああああああああ!!」

 その七頭の口でバクリと噛みつき、フィアンマを拘束する。肉に食い込む牙が、フィアンマの瞬間移動を封じている。

「俺は今後、一人で魔術師から逃亡できる自信がない。だからこいつらに俺を守らせる必要がある。だから助けた。俺は今後、まともな社会復帰なんてできないだろう。魔術師に命を狙われながら学生生活なんて送れる訳がないし、そんな状況でまともに就職や結婚ができる訳がねえ。だからこいつらを助けた。身寄りを失った俺は今後、誰にも助けを求められず独りで生きていくのだろう。だからこいつらを助けた。誰でもいいから俺に貸しを作って、都合よく利用できる人間が欲しい。だからこいつらを助けたんだ!!」

 揺るぎない悪意。

 悪意による救済。

 それはまるで、偽の神として民を惑わせた悪魔の王(サタン)の化身たる赤き竜そのものであった。

 だからこそ、『赤竜の心臓(サタンズコア)』がその力を失う事はない。

 どこまでも利己的な悪魔(にんげん)らしい悪意から生まれた、純粋な善行であった。

 それは槙斗の醜き本音であったし、凡庸な人間らしさでもあった。

 決して正義のヒーローにはなれない、醜き、生々しい現実論だった。

「クッ……俺様は少々お前の価値を計りかねていたようだな。多大な過大評価だったよ。お前はただ本当に醜く、世界の救済の一端に関わるのすらおこがましい劣悪さだ」

「否定はしねぇよ。でも、お前の思想なんてどうでもいい。どちらにせよ、これで終わりだ」

「果たしてそうかな?確かに小手先の奇襲は失敗したが、俺様に損害はないよ。むしろ、こやつら三人を守りながら戦う事がハンデとなっている事実を理解しているか?」

「いや、もう終わりだよ。……三人を見捨てていたらこの発想はなかったかもな。空から三人が運んで来てくれた、これがお前の弱点だ」

 そう呟き、槙斗は真上に鉄の杖を投げ上げた。

 怪力によってマッハ数キロで大気を切り裂く鉄の杖は、一〇秒と経たずに頭上一二〇〇〇メートル先に浮かぶ航空機の残骸に直撃した。

 

 

 タロットに捨て札は存在しない。

 そもそもタロットの本質は一枚一枚のカード単体ではなく、複数のカードを並べたテーブル……『場』そのものにある。

 そう。

 刻印自体が意味を持つルーン魔術などとは異なり、タロット魔術は刻印(カード)自体ではなく刻印(カード)をのせた航空機(テーブル)が魔術の起点となっているのだ。

 よって、航空機(テーブル)を失ったヴィニーは、その瞬間に自らの死を予感し、素直に受け入れた。

 術式が機能せず、天使の虚像が崩壊してゆく。

 降り注ぐ隕石を相殺できなくなり、荒れ狂う天災がヴィニー諸共消し飛ばしてゆく。

(若様、申し訳ございません。私めは、何一つ貴方様を守ることができませんでした。この無能さを、どうかお許し下さいませ)

 儚き祈りも届かぬ末路。

 ヴィニー・エドワード・ウェイトは降り注ぐ隕石にその身を粉々に吹き飛ばされ、骨すら残らず蒸発した。

 

 

 地上にいたフィアンマも、ヴィニーが死んだことを知覚していた。

 悪寒が全身を舐めるように這う。と、同時。ヴィニーへ供給し貸し与えていた天使の力(テレズマ)が自分の肉体を満たしていくのを感じる。

(遂に逝ったか、ヴィニー……)

 感傷に浸る余裕はない。

 頭上から迫り来る死の流星群が、フィアンマ目がけて大気を裂く。

 それは『世界の寿命(ハルマゲドン)』の如く破壊を撒き散らす、フィアンマには回避不能の天災だった。

 が、ヴィニーへ供給していた天使の力(テレズマ)が自身にフィードバックした今、フィアンマは完全な状態で『聖なる右』を振るうことができる。そうなれば形勢は逆転し、『赤竜の心臓(サタンズコア)』など一撃で破壊する事が可能だ。退却するために行う瞬間移動術も数キロメートル単位で行使できる。

 しかし、それは同時に数回の行使で『聖なる右』が空中分解してしまう事も示唆している。

 ここで槙斗を含めた四人を殺す事は造作もないが、それで退却すべき瞬間移動術へ利用する天使の力(テレズマ)を消耗してしまっては本末転倒である。

(ヴィニーの魔術を消滅させれば隕石で俺様を殺れると思っているのだろうが、そんな甘くはない。だがまぁ、今日のところはこれで引いてやる。自らの幸運に感謝するがいい)

 よって、

「醒めた。興醒めだ。お前の、その矮小な器に執着する事が馬鹿馬鹿しくて恥ずかしい。命は見逃してやろう。俺様の救済した後の世界で、もしまだ生きているようなら直々に殺してやる。それを糧に、精々虫ケラの如く無様に足掻き生き抜いてみるんだな」

 そんな言葉を最後に、フィアンマの姿が溶けるように消えた。

 赤竜の半身(ザ・ビースト)の牙の拘束を、諸共しなかった。

 

 言葉を返す余裕はなかった。

 直後、周囲一端が消滅した。

 降り注ぐ隕石によって、氷層が砕け散り、海水が蒸発し、海底がヒビ割れた。うねる津波が音さえも飲み込み、喉を焼く強烈な熱気が上昇気流を生む。

 巻き上げられた海水が豪雨のように降り注いだ。

 荒れ狂う大波が津波となり、アラスカの港湾を襲う大規模な災害とまでなった。

 

 余談になるが、後日の九月二七日。

 米国領土での大規模な災害に大統領ロベルト=カッツェの緊急会見が設けられたが、専門家同士の討論で意見が割れており、原因の追及は後回しで避難民の受け入れ体制を優先する事が発表された。

 

 

 荒れ狂う災害が過ぎ去りしばらく経った後、一人海面に佇む槙斗は、赤竜の半身(ザ・ビースト)の陰に隠れ難を乗り切ったテルノア、フレイス、ラクーシャに声をかけられた。

「ど、どうなったのこれー?」

「さぁ?分かんねーけど……反撃ないところを見ると、あいつは瞬間移動して逃げて行ったんじゃないかな?」

 もともとフィアンマには槙斗の相手などする気もなく、空中分解を考慮しなければ戦闘を続行していただろう。完全な力を取り戻した今、槙斗(ザコ)をわざわざ相手する興味も失せたともいえる。

「で、これで一件落着なのかしら、リーダー?」

「え?あ、うーんと…………ヴェネツィアまでどーやって行けばいいんだ?とりあえず、電話通じる所まで移動すっかー……」

 

 

 

 アラスカの豪雪地帯に向かう途中に学園都市からの救出部隊に拾われた。

 意識が遠のいてうまく覚えていないのだが、次に目覚めたのは学園都市のとある病院のベッドの上だった。

 傍にあった書き置きを見る限り、テルノアたちは槙斗ほど重症ではないので入院する必要はないそうだ。

 本来のイタリアでの任務は、統括理事長自らが派遣した『とある少年』が解決し事なきを得たそうだ。

 そっちはそっちでまた世界を動かす大事件があったらしいが、槙斗には知る由もない。

 というか、『トリック』以外にも保険をかけているなら俺らは行かなくてもよかっただろ!!と思わずツッコミたい衝動に駆られたが、ここでは自重する。

 まぁ何せよ、「生き残れた」という安堵が気持ちを緩めてしまう。

「おっすー!目が覚めたらしいねー、私の顔を覚えてるー?」

 ガラリと個室のドアを開けてテルノア達『トリック』の三人が病室に入ってきた。

「忘れないよ。俺を地獄に引き込んだ人間の顔だ」

「ふん、一丁前に語るようになったではないか、小僧。今日はそんな貴様の今後の方針を話し合いに来た」

 嫌な予感しかしない。

 が、予想はついていたし、回答も用意していた。

「『トリック』に帰属するかどうか、ですよね?」

「……小僧にしては物分りがいいな」

「いや、それ以外に俺達って話す事ないですよね?別に仲良くなった覚えもねぇし。そもそも、俺の意志なんて聞いてもどうせ反映しないでしょ?」

「まぁ、そうだけど……でも、敬礼寺少年が『トリック』を抜けたいと言うのなら私達からも提案がある」

「提案?」

「学園都市で暮らすのよ」

「……………」

 正直、驚いた。

 もっと強引に、自分を脅迫でもして『トリック』に帰属させるものだとばかり考えていたからだ。それほどまでに『赤竜の心臓(サタンズコア)』の戦力が必要となる事も理解していたつもりだった。

「学園都市は時間割り(カリキュラム)に能力開発を導入している関係で高い奨学金制度があるから、生活費に困る事はないわ。そして、科学の街だから追手の魔術師も容易に踏み込めない。もちろん能力開発で身体の特異性を発見されるのは不味いから、開発に熱心でないレベルの低い学校には通ってもらうけど。でも、第二の人生をやり直すならこの方法がベストだと思ってるわ」

「何でそこまで俺の面倒を見てくれるんですか?」

 当然の疑問だ。

 純粋に戸惑ってしまう。

「……今回の任務で、魔術師から君の保護を了承したのはリーダーである私の方針さ。でも君を守る事ができなかったばかりか、むしろ私達の方が助けられてしまった」

「気にしなくていいよ。俺は俺のやりたいようにやっただけだし」

「例えそうであっても、貸しがあるのはよくない。利害と目的のみの関係で繋がる私達の間において、こういう約束や契約の無視は関係の破綻に結びつく。私達に友情や同情はないけど、だからこそ互いの利害や目的のために弁える一線は明確に意識すべきだよ。これが私達なりの誠意の示し方。つまり」

「つまり、テルノアも素直じゃないって事なのよ。察してあげて」

「なっ……ち、違うからー!!ちょ、ラクーシャもフレイスもニヤニヤしてんなー!!」

 そうか。

 そういう考え方もできるのか、と驚いた。

 でも、答えは変わらない。

「ふふふ……で、どうなの?敬礼寺少年は提案を承諾するの?」

「ああ、断るよ」

 即決した。

 三人が驚いたように口を開けるのが分かる。

「……貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか?」

「分かってますよ。冗談で人を驚かせられる程頭はよくないです」

「少年。義務感や責任なんて言葉を考える必要なんてないのよ?そもそも、それを気にするのなら、君は圧倒的に被害者だ。全く悪くない」

「『悪い』訳じゃないけど、『悪』ではありますよ、俺は」

 そう言った槙斗の表情は、不思議なほど晴れやかな笑顔が浮かんでいた。

「ただ単純に、俺が追手の魔術師から保身できる環境がある、ってだけじゃねぇ。俺が俺の気持ちに正直に過ごせる………悪意も殺意も嫉妬も憎悪も嫌悪も、そういった自分の本音に正直でいられる居場所がココなんですよ」

 はしゃぐ子どものように槙斗は笑う。

「それに、父さんと母さんの意志も継ぎたいんです。今度は本当に、心の底から。父さんと母さんが命を犠牲にして俺に授けてくれた形見、『赤竜の心臓(サタンズコア)』。これを生み出した魔術結社の母体をぶっ潰す。俺にこんな運命を背負わせた技術をこの世から消し去りたい。いや、むしろ魔術サイド全体をぶっ潰してもいい。あなた達三人にもそれぞれ、魔術を裏切る理由があったって初めて会った時言ってたけど、俺にも俺の復讐の理由があるんです。だから、魔術の世界へ踏み出したい。両親が繋いでくれた命を無駄にしたくねぇ。今なら言える。俺は父さんと母さんに感謝してる。俺は自分の意志で、二人の分まで業を全うしますよ」

 今までの槙斗からは想像できない、力強い宣言だった。

 どこまでも醜悪な、決して『ヒーロー』とは呼べない道外れた者の末路だった。

 それはおそらく、敬礼寺槙斗の生まれて初めての決断だったのかもしれない。

 初めて生きる意味を生み出したと表情が語っていた。

 これまでの惰性で生きる人生と違う、生を実感したような雰囲気だった。

「そう、か………」

 テルノアが押し黙る。ラクーシャが顔を伏せた。フレイスが溜息をつく。

「あ、れ……?駄目っすか?『トリック』に入るって言って―――」

「小僧、呆れるほど馬鹿だな」

「全くよ。わざわざ自分から日常を手放すなんて……」

「くっくっく……まぁ、これから私達と共に地獄を渡り歩くなら、そんな大言豪語するくらい気概がある方がいいのかねー?久々に笑える展開だったよー、ホント」

 三人から称賛か酷評か判断に迷う微妙な評価を受ける。

 が、これでいい。

 これが敬礼寺槙斗と彼女達との心の距離であり、離れる事も深まる事もない不可侵の関係だ。

 ともに笑い、ともに食らい、ともに眠り、ともに猛り、ともに死ぬ。

「改めて歓迎しようかー。魔術を裏切り行く当てもなく、孤独な弱者が寄り添い生きる我らが『トリック』へようこそ。君と同じ場所で死ぬ事を、同胞一同は心待ちにしているよ」

「ああ、こちらこそよろしく頼む」

 敬礼寺槙斗は歩み続ける。

 道を外れ、『ヒーロー』になれなかった少年は、それでも彼女達の英雄だった。

 悪意に忠実に、もう迷わず、もう流されず。

 自らを呪う魔術の世界へ、深く、深く……

 

 

 

 

 

 




一応はハッピーエンドになりました。
が、そう思っているのは恐らく槙斗とトリックの3人だけで、読んで頂いた方々には嫌悪感が残ったと思います。
碇シンジ君のように葛藤する様を表現したかったんですが、生憎、私の執筆力が足りませんでした。
ヴィニーやトリック3人のエピソードをもっと増やせば、彼女らのピンチでもっと愛着が湧いたのかなーとも反省しております。
でも正直、執筆に疲れたので割愛しちゃいました。申し訳ありません。

最後に。
マイナーキャラやオリキャラだらけ。
その上、二次創作で人気な科学サイドは皆無なんていうこの二次創作をここまでお付き合い頂いてとても嬉しいです。
投稿も二次創作も初めてで、ネットに不慣れなため加筆・修正に手間取りました。
本編も割と長めで、飽きて放り投げてもおかしくないのにここまで読み進めて頂いて感謝の思いで一杯です。
ありがとうございました。

次回の「第n章(短編)」を投稿して完結になるので、そちらも読んで頂ければ幸いです。

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