【とある魔術の禁書目録】Uncharted_Bible   作:白滝

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連続で序章、一章、二章を投稿。
感想など頂けたら非常に嬉しいです。


第二章 四者四様の思惑、謀略、考察、退却 An_Ally?_or_an_Enemy?

 

 ドガッと連続的に爆音が響き渡る。

 鼓膜を突き破らんとするかのような轟音だが、それは手元にあるサンスクリット文字で書かれたお札が振動することによって音が発生されているだけであり、これを耳に近づけている二人の女性以外は気付いた様子もない。

 例え、爆発の震源がホテルの四階のとある一室で起こったものであり、この二人の女性がそのホテルの地下駐車場にいるという状況下でも、だ。

「ちょっとぉ、テルノアかっ飛ばしすぎじゃないかしら?『人払い』とか大丈夫なの?」

「問題なかろう。それより、テルノア自身が死んでないかの方が疑問だな。ま、死んでも構わんが」

「相変わらず冷たいわねえ。裏切り者同士仲良くやっていきましょうよ、ラクーシャ」

「ふん。別段、貴様らと馴れ合うつもりはない。私とじゃれる暇があるならテルノアの骨でも拾って来い」

「……誰が死んだってー?」

「「うおっ!!」」

 二人が乗っているワゴン車の助手席側の窓を叩くテルノアの姿に、二人は思わず驚きの声を上げた。

「フレイス、あんたにはいつでも逃走できる準備しとけって言ったよねー。そしてラクーシャ、あんたには私に防護術式で遠隔的に援護するよう頼んでたはずなんだけどー?」

「あ、あはは。それより、どうだったの噂の悪魔さん?」

 運転席に座っていたフレイスが慌てて話の矛先を逸らせた。そのままドアロックを外し、テルノアが気だるげな調子で後部座席に乗り込む。

 フレイスもラクーシャも成人した女性なのだが、見た目一四歳程度のテルノアの恨みがましい視線にやや腰が引けていた。

「ヤバかったよー。でも、私達とロシア成教以外にも襲撃者がいたことがもっとヤバかったかなー」

「何っ!?それは想定外だな。どんな組織か検討はついているのか?」

「全然ダメー。つーか、魔術使わずいきなり逃げ出しちゃったから術式の解析どころか目的が何なのかすら分かんないしー。しかも、そのどさくさに紛れて悪魔(ターゲット)が妻と息子連れて跳びやがってー。いやもうホント『飛ぶ』って誤変換しても間違いない跳躍力だったなーアレはー。んで、残ったロシア成教の三分の一が悪魔ちゃんの追跡、もう三分の一が謎の襲撃者の追跡、で、残った三分の一が私の追跡だった訳だよー。ロシア成教側が対悪魔の王(サタン)用の限定的な霊装ばっかで助かったなー。じゃなきゃ私ホントに死んでたー。マジ疲れたー」

「頑張ったじゃない、流石リーダー。じゃあ、とりあえずここから避難しましょ?」

 反省も感想も後回し。自分から話を振っておきながら、フレイスはそう言ってワゴン車を走り出させる

 

 

 ―――つもりだった。

 

「……ん?」

 最初に疑問を発したのはハンドルを握っていたフレイスだった。

「あの人達怪しくないかしら?」

 彼女が指しているのは地下駐車場の入口を塞ぐ三人の黒服達である。

 と、次の瞬間。

 ラクーシャとテルノアが視線を移すよりも早く、その三人が杖を取り出し呪を紡いだ。

 突如、風が吹き荒れた。

 収束する突風が目に見える槍となって車に飛来する。

 避ける暇すらなかった。ボンネットに風の槍が突き刺さり、オレンジ色の爆発を巻き起こす。

 即死である。

 運が良くても四肢のいくつかは吹き飛ぶレベルだ。

 爆発の衝撃波が撒き散らされ、周りに駐車されている車の窓ガラスに亀裂が走った。黒煙が辺りを覆い、遺体の判別すら確認が困難になる。

 やりすぎだろ、と黒服の一人が同僚をからかった。からかわれた黒服の男も笑いながら確認のため車に近寄る。

 そして―――

「……定められし五色は五角の頂点を象徴するもの。故にその補色となる対の五色は、五角の頂点、その属性を増幅するものなり」

 ――――聞こえぬはずの声を聴いた。

「青の背後に黄を重ねて輪郭を縁取る。ヴァーユの円よ、その強調された象徴によって、自然の力を大きく現せ!!」

 フレイスの声が響く。

 刹那、先程よりもさらに一際大きい風壁が辺りを蹂躙した。

 爆発した車の残骸を中心にして、竜巻が黒服の男を一〇メートル以上吹き飛ばす。そのままノーバウンドで柱に頭をぶつけて気を失った。それと同時に、立ち込めていた黒煙も吹き飛ばされる。

 が、吹き飛ばしたのは黒服の男と黒煙だけだった。何故か周りの車はピクリとも動いていない。

 対象者だけを吹き飛ばす意志を持った指向性のある竜巻。

 この世の物理法則を越えた現象。

 完全に魔術である。

 思わず黒服達が身構えた。

「……おいテルノア、追手は撒いたと言っていたよな?」

「……あ、あれー?ロシア成教は撒いたはずだったんだけどなー?あれれー?」

「じゃあさっき言ってた、私達と同じ第三勢力ってトコじゃないかしら」

 と、三人の魔術師は何食わぬ顔で会話を進める。

 おそらく今魔術で攻撃したのが、外見が二〇歳ぐらいの女性だろう。片手に鉄扇、片手に黄色一色のカードを持っていることからもそれが窺える。

 さらにもう一人、尻餅をついている見た目十四歳程度の少女については、黒服の同僚達からも報告があって知っている。標的の部屋を襲撃したテルノアとかいう少女だ。

 と、三人目のインド人の女性が直径三〇センチ程の円盤を取り出しながら、

「ふん。私の防護結界に感謝するんだな。言っておくがこれは貸しだぞ」

「えー?恩着せがましくない?だったら私の術式で打ち消せばよかったなー」

「それよりリーダー、こいつらどうするつもりなの?」

 尚もマイペースな会話を進める三人に対し、黒服の男がそれを遮り場の主導権を握ろうとする。

「貴様らは何者だ?どこの結社に所属している?」

「その問いに答える馬鹿なんているのかしら?……あれ?今回の仕事は名乗った方がいいんだっけ、リーダー?」

「んー……そだねー。彼を加えたら初任務だし、一応名乗っとくかー」

 と言って、テルノアはコホンと咳払いをした。

「私達は魔術結社……と言うより予備軍かな?『獣の刻印を授かりし者』だ、よろしくねー」

 

 

 夜道を二人の男女が足早に歩いていた。

 ここは人通りが多い駅前の商店街なので目立ちはしないが、通常であればふと目で追ってしまう組み合わせだっただろう。

 一人は外見が一二歳程度の目つきの悪い金髪の少女。シックなブラウスやスカート、ストッキングなどの配色が、彼女に古いピアノのような印象を与えてくる。

 もう一人はマフィアのエリート幹部ででもあるような黒い礼服に身を包み、スカーフを巻いた金髪の成人男性。

 一瞬、親子なのかと思うかもしれないが、血縁でもなければ保護者の付き添いでもなく、立場はまるで逆であった。

 少女―――先程、とあるホテルの一室を襲撃した張本人は、まるでそれが当たり前であるかのように上から目線で質問する。

「マーク、『殲滅白書(Annihilatus)』の追跡部隊は撒けたか?」

「大丈夫のようですね。予想通り『殲滅白書(Annihilatus)』は第三者の介入を予期していなかったと思われます。こちらの攪乱に対策を打てていません」

「当然だな。ところでマーク、久し振りに走ったら喉が渇いた。カクテルを用意しろ、シンデレラだ」

「……ボス、気を抜くのがあまりにも早過ぎます。それにシンデレラはカクテルではなく、ただのミックスジュ――――」

「ノンアルコールカクテルだッッ!!」

 ムキになって怒る少女にやれやれとマークは溜息をつき、手提げ鞄の中から予め作っておいた――オレンジジュースとパイナップルジュースとレモンジュースを混ぜた――ミックスジュースの入った水筒をボスと呼ばれる少女に手渡した。

 はしたないですよ、というマークの声を無視し、歩きながら少女はグビグビとカクテル(笑)を飲んでいく。

「それにしても、私達以外にも襲撃者がいるとは思いませんでしたね」

「ふん、誰が漁夫の利を狙おうが、私のやることは変わらん。マーク、おかわりだ」

「あんまり飲み過ぎるとお腹が冷えますよ、ボス」

 と、そこでマークの携帯電話に着信があった。電話に出て手短に言葉を交わし、電話を切る。

「何か見つかったか?」

「はい。ボスの言う通りやることは変わらないでしょうが、情報は多いに越したことはありません」

「回りくどい、さっさと用件を話せ。股間を蹴り跳ばすぞ」

「テルノアとか名乗っていた襲撃者達が、我々の捜査網に引っ掛かりました。尾行しますか?」

 

 

 敬礼寺槙斗は今にも卒倒しそうだった。

 状況が人間離れしたスケールで進行し、目の前で起こる現象が現実だと認識するのに手一杯で思考が追い付かないのだ。

 槙斗の人生における非日常なんてものは、『喧嘩を起こした同級生達が教室の窓ガラスを割った』程度のものでしかない。思考を放棄しそうになる頭を必死に揺すり起こす。

 現在、槙斗は父、茄篠と母、奈美と逃走中である。

 が、もちろん普通に走っているのではない。

 自分の胴体を茄篠の肩から生えた竜の口に咥えられているのだ。まるで、狼が生まれたばかりの我が子を咥えるように。恐ろしく尖った牙が腹にめり込んでいるのだが、何故か全く痛みはなかった。

 奈美はというと、茄篠の右腕に両手でしがみついていた。

 では二人を抱えた茄篠はというと………跳んでいた。

 文字通りに。

 人間二人を抱えながら、一跳びで五〇メートル以上も跳ねる。

 その両足が地を蹴るとアスファルトに亀裂が奔った。街路樹を足場にすると幹がへし折れた。同様にして、交通標識も、ビルの看板も、アパートのベランダも、駐車中の自動車も……。

 人間という枠組みに当て嵌まらない存在、悪魔の王(サタン)

 槙斗の想像を超える速度で逃走を続ける茄篠は、しかし苦虫を噛み潰したような顔で、

「悪りぃなあ。本気出せれば音速くらい軽く超えてやるんだけどよ」

「それ、より、これから……どうすんだよっ!!」

 槙斗は声を荒げるが、あまりの空気抵抗にうまく呼吸ができていなかった。

「あなた、まずは物理的に距離を取りましょう。槙ちゃんに追跡用のマーキングがついてる限り、どこに隠れても無駄ですっ。それに―――」

「敵は『殲滅白書(Annihilatus)』だけじゃあねえってことだろ?いや、ホントに参ったよなあ、もう」

 茄篠の青ざめていた顔に疲れの色も見え始めた。片手に藁人形を持ち何やらブツブツ唱えている奈美も、気丈に振る舞う傍らに疲労が目に見え始めてきた。

 おそらく、こんな状況でも認識阻害などの疑似的な『人払い』を行っているのだろう。両親の満身創痍を目の当たりにしながら、槙斗にはやれることは何もなかった。

(しょうがねえよ、俺は一般人なんだ………)

 ひと時の余裕が生まれたからこその葛藤。

 先程思っていた親に生き延びて欲しいという思いが薄れ、自分の命を心配する心の余裕が生まれてきた証拠である。

 現状に対する不安が両親に対する不満となって募っていく。

「槙斗、こんな移動中で悪りぃがよく聞けよ」

 と、茄篠が何やら真剣な調子で話を切り出した。

「……な、なんだよ」

 今も茄篠がビルの屋上に着地し、再び夜空へと跳ね上がる。

「巻き込んですまないとは思ってる。けどな、奴らには家族構成を把握されてんだ、お前も当然狙われている」

「なっ、はあ!?どうしてだよ!!俺は何もしてねえだろっ!!」

「お前が何してようと関係ねえのさ。俺の息子である時点で人質としての利用価値があるからな。例えそうじゃなかったとしても、悪魔を庇う背信者なら宗教裁判で速攻で死刑判決さ」

「はぁ!?冗談じゃねえよ!!理不尽だろそんなのっ!!」

 民家の屋根に着地し、瓦を抉り飛ばしながら跳ね上がる。

「文句を言っても何の解決にもならねえよ。だから申し訳ないと言っている。その上で生き残るための話をしよう」

「ふざけんなよっ!!勝手に決めんな!!だったら助けなきゃよかった!!」

「っ!?」

 奈美が怒って思わずビンタしようとしたが、茄篠から振り落とされそうになって諦めた。槙斗を睨む目に怒気が込められているのを感じ、思わず槙斗は口をつぐんでしまう。

 そんな奈美を茄篠が宥めて言う。

「奈美、槙斗の気持ちも分かってやれ。いきなり命狙われたらそうなるさ。それに、俺のこの姿を見たのも初めてだしな。いろいろ混乱してるのもよく分かる。でもな、槙斗。もう事態は動いてるんだ。あとには戻れねえ。だから生産性のない後悔を呟く前にこれからどうするかを考えようぜ」

「………」

 それでも理不尽だと思った。

 ある日突然家族が殺されかけ、いつの間に自分まで指名手配になっている。

 こんな事態でも、はいそうですかと納得できるような馬鹿はどうかしている。自分は小さな頃憧れていたスーパーヒーローではないのだ。ただの一般人なのだ。

 不満を露わにする槙斗を見て、それでも大事な要件だからと茄篠が口を開いた。

「すべてを話す時が来たな。父ちゃんの過去を教えてやる。そうだな、すべての原点は―――

 

 

 悪魔、つまり堕天使の召喚術を研究する魔術結社は意外にも多い。

 これは背信者としての行為ではなく、堕天使の研究が副次的に十字教の魔術の発展に貢献し、それをもって秩序を守る知識を保有し理解するためだからとされる。危険な放射能の研究が、原子力発電という多大な利益に結び付くようなものである。

 が、少しでも思想がズレれば背信者として扱われるため、宗教裁判で即刻に死刑判決になってしまう危うい分野でもある。

 

 二十数年前。

 そんな危険なラインをすれすれで渡り歩いて活動する魔術結社が存在した。

 堕天使の召喚などは極めて困難であり、未だかつて成功した者はいない。

 その魔術結社も例に漏れず、いつも通りに見返りのない実験を繰り返し、必死で集めた資金をすぐに空にしてしまう日々を送っていた。

 ハイリスクでローリターン。

 それを、繰り返し繰り返し繰り返し。成果も変化もない日常。それは止めどもないサイクルで、永遠に続いていくと思われた。

 が、とある魔術師の突飛な理論によって、そんな日々に終止符が打たれる事となる。

 『悪魔を召喚できないなら、悪魔の体の一部をあらかじめ作っておき、あとは悪魔自身の再生能力で肉体を復現させればよい』

 それはつまり、霊装として悪魔の肉体(パーツ)を作ることを意味していた。

 当然だが、悪魔の体を現世界に存在する物質で作ることは不可能だ。

 天界とはこの世と位相が違う空間の世界。この世界で再現するというのは夢物語の机上の空論ですらありえない。

 よって、必然として偶像理論を用いることになる。

 

 偶像崇拝の理論。

 近代では、五大元素の利用に並ぶ程の基本的な魔術理論である。

 姿や役割が似ているもの同士はお互いに影響しあい、性質・状態・能力なども似てくると言う法則。

 例えば、教会の屋根にあるレプリカの十字架や神社のお守りでも、形と役割が合っていればある程度の力を宿せるように。

 魔術師は特殊な呼吸法で自身の内臓器官の運動を恣意的にコントロールし『魔力』を精製するが、この偶像理論によって天界に満ちる力の一端を借りることで得られる別種の魔力を『天使の力(テレズマ)』と呼ぶ。

 

 そして作られたのが悪魔の心臓だった。

 『赤竜の心臓(サタンズコア)』。

 『ヨハネの黙示録』一二章及び一三章に記される(ドラゴン)。エデンの園の蛇の化身であるのと同時に悪魔の王(サタン)が竜となった姿。悪意によって民を惑わす、偽の預言者の象徴。

 その心臓を、である。

 ミカエルとその使徒に敗れ一〇〇〇年間も底知れぬ深淵に封印され、しかし自力で復活を遂げた悪魔の王。

 その天使にさえ打ち勝つ再生力を見込んでの決定だった。

 実際には小麦粉や牛の肉、革、葡萄酒などで作られた霊装なのだが、理論通りなら偶像崇拝の法則から悪魔の心臓として機能するはずである。

 勿論、言うのは簡単だが作るのにも相応の犠牲を払った。人身売買組織に手を出し、何百人もの犠牲を払った黒魔術の結晶だ。

 もはや一線を越えてしまった。

 だが構わない。

 魔術界で前代未聞の堕天使の召喚ができるかもしれないのだ。皆が一様にそう考え、興奮して研究に明け暮れた。

 なにせ本当にそんな事ができれば、守護天使エイワスとの接触に成功した伝説の魔術師アレイスター=クロウリーと同様に歴史に名を刻む事になるのだから。

 

 

 そして訪れた降臨の儀式の当日。

 生贄として人身売買組織から買った少年の心臓を『赤竜の心臓(サタンズコア)』に移植して交換し、儀式を始め―――

 

 

 

 ―――失敗した。

 

 

 地脈・龍脈の魔力が爆発して儀式場が崩壊した。

 少年の体に抱えきれなくなった魔力が、衝撃波となって辺りを駆け抜ける。

 形無き天使の力(テレズマ)は質量を持って暴走し、魔法陣から湧き出るそれが魔術師たちを次々と包み込んで生贄に変えていく。

 逃げることのできた者などいなかった。

 まるで触手の如く迫り来る不可視の力が、飢えて肉を渇望するかのように、まるで生き物であるかのように、光を捻じ曲げる不可思議な波動を撒き散らす魔法陣から湧き出てくる。それはまるで獲物を捕食するイソギンチャクのように。

 魔術師達が次々と生贄となって魔法陣に飲み込まれていった。

 

 そして。

 生贄となった少年だけが生き残った。

 悪魔の召喚が失敗したからだ。

 成功していれば、その体を完全に悪魔のそれへと作り変えられ理性を乗っ取られていただろう。少年にとっては不幸中の幸いといえた。

 が、少年はおかしな事に遅ればせながら気付いた。

 儀式中に起きていた激痛が消えている。

 体の皮膚が吹き飛び、血管が千切れ、内臓が爆発し、眼球が弾け飛んでいた自分が、こうして五体満足に生きている……?

 割れた窓ガラスの破片から、付着していた魔術師達の返り血を拭って、少年は自分の姿を見た。

 傷がなかった。

 体が元通りになっていた。

 「……え?」

 と、疑問を感じた直後、変化は自覚なく突然現れる。

 突如、胸が内側から押されるような熱い痛みを感じた瞬間、何もなかったはずの虚空より六頭の真っ赤な竜が現出し、その長い首が少年の肩に接続された。

「う、あああああああああああああああああああああああああああああああああっ」

 絶叫だった。

 もとより、少年は魔術について知らなかった。

 自分が何のために買われたのかすら分からなかったぐらいである。

 だが、それでも理解できた事がある。

 自分が化け物になった事に――――

 自分が人間でなくなった事に――――

 あまりの出来事に少年は発狂し、そのまま気を失った。

 

 その後は記憶がはっきりと覚えてない。

 ただ、魔術世界に踏み出して、独学で自分の正体に気付いたところまではぼんやりと覚えている。

 また、とある教会組織に潜入して当時の事件簿を盗み見たところ、自分はあの事件の後にロシア成教の偵察部隊と戦闘を行い、部隊を全滅させたものの相討ちとなり消息を絶ったと記録されている事を知った。

 だから平穏に暮らそうと思った。

 大人しくしていれば、もうこれ以上追われる事はない。魔術世界に関わらず、一般人として生きていけばよい。

 その頃には、少年は悪魔としての力をある程度コントロールできるようになっていたし、その正体を隠して生きていくこともできた。

 とりあえず魔術的な宗教体系が整っていない国へと逃亡した。日本(Japan)という島国は魔術的な十字教組織が少ないらしい。学園都市という科学サイドの目と鼻の先だから、とも噂で聞いた。

 そうして、その日暮らしでホームレスだった少年は、親切なとある寺に拾われる事で平穏な日常を手に入れることになる。

 そこで少年は初めて自分の名前を持った。

 苗字は寺の名前に因んで。

 名前は寺の和尚が付けてくれた。

 少年は、敬礼寺(けいれいじ)茄篠(なしの)になった。

 人間に、なった。

 

 

 

「―――と、まぁこんな感じだ」

「………………」

「驚いたか?」

「ああ……でもちょっと待てよ!肝心な事をまだ聞いてない。じゃあ、あの日に襲撃されたのは何だったんだ!?」

 あの日。

 槙斗が魔術師に絶望したあの出来事。

 生まれ育ったあの寺から引っ越し、現在の住所へと逃げる事となった背景。

「ああ、それも話すと長くなるなぁ」

「それは私から話します」

 と、奈美が口を開いた。そろそろ三人は街を抜け、山間部に差し掛かり始めていた。

 『殲滅白書(Annihilatus)』とまだ遭遇してない事から、もしかするとそれほど人員がいないのかもしれない。

「お母さんはその寺の和尚の一人娘でね……お父さんを婿として貰ったって言ったことあったわよね?実はその時は既に、お母さんはお父さんの正体を知っていたの」

「え?じゃあ……」

「なんで結婚したのかって思う?勿論、父さん…ってややこしいか。えーと、槙ちゃんのお爺ちゃんに当たるその和尚さんはね、お父さんの正体なんて知らなかったから結婚に反対なんてしなかったわ」

「そうじゃなくてさ、なんで父さんと結婚しようと思ったんだよ。だって化けも……」

 言っている途中で、実の父を露骨に気味悪がっていることに気付いた。

 罰が悪くなって言い淀んだが、奈美は迷わず、

「好きだったからよ」

 と、おくびにも出さず答えた。

「最初に悪魔の姿になってたところを目撃しちゃったのは、お母さんが高校生ぐらいの時だったなぁ。勿論、すごく怖かったわ。でも、話を聞いて、頑張って生きてる姿を見て、純粋にこう……なんていうのかな?ちっちゃな悩み事に拘ってた自分が馬鹿らしくなったり、色々と勇気を貰えたり…っていうとありきたりだけど、でも―――」

「よせよぉ、奈美。恥ずかしいじゃねえか」

 と、顔を赤らめて茄篠が話を遮った。

「まぁ、そんなこんなで奈美は魔術を教えろって言ってきたんだ。俺の体に寄生する『赤竜の心臓(サタンズコア)』を安全に取り除く方法を研究したいっつってよ。あ、当然だが俺は反対したぜ。でも奈美は頑固でよぉ」

「お父さんも魔術は独学で体得してたから人に教えられるレベルじゃなかったし、結局、お母さんも自分で色々アレンジして自分で覚えていったの。だからお母さんの術式は日本神話系なのよ」

「……ふーん。で、それがどうあの日に繋がるんだよ?」

 茄篠が木々を足場に跳ね、暗い山間部の林に突入していく。どうやら、茄篠には暗闇でも何メートルも先が見えるらしい。

「あの日、お前は夏休みに子供会の旅行で学園都市観光に行ってたろ?ちょうどその時間を使って、奈美に魔術の練習してやってたんだよ。で、練習中に俺の天使の力(テレズマ)が外に漏れちまってさ。いつもならバレやしねえんだけど、たまたま近くにロシア成教の魔術師共が別件の仕事で日本に来日してやがったみたいでよ。教会本部に報告されて強襲ってわけ。だから引っ越したんだよ」

「じ、じゃあ、今回住所がバレて、しかも家族構成まで知られてんのは?」

「分っかんねえなあ。それだけが分かんねえんだよなぁ、ホントどうしてだ?」

 茄篠が溜息をつき、奈美が思案するように顔を曇らせた。

 そこでひと時の沈黙。

 おそらく、話終わって槙斗の反応を待っているのだろう。槙斗としても、あまりに突飛で気持ちを整理できない。

 槙斗の無言に耐え切れなくなったのか、茄篠は口を開いて、

「……槙斗、俺はお前を―――」

 と、そこで茄篠が何かを言いかけ、

 

 

 直後、茄篠の左肩から緋色の炎が燃え上がった。

 

「が、あ、ああああああああああああああああああああああああああああッッ!」

 茄篠の絶叫が森に木霊する。

 それと同時に、槙斗を咥えていた竜の頭が突如、虚空に消えるように消滅した。そのまま空中でバランスを失い、重力に捉われた槙斗達の体が自由落下を始める。

 状況を分析する余裕さえなかった。

「――う、あっ!」

 悲鳴が声にならなかった。

 今、自分達は地上三〇メートル付近を彷徨っているのだ。マンションの一〇階から飛び降りるようなものだ。このまま地面に激突したら骨折だけでは済まない。

 が、どうしようもない。

 視界の隅に映った茄篠は、白目をむいて口から泡を吐き気絶している。奈美はそんな茄篠の腰にしがみつき、自分を犠牲にすることでクッションとなり茄篠を着地の衝撃から守ろうとしていた。

 つまり、両親には槙斗を助ける余裕なんてなかった。

 絶望が槙斗の思考を蝕んでいく。

 地上三〇メートルから、頭から落下して安全に着地する方法なんて槙斗が持っている訳がない。

(うわあああああああああああああああああああああああああああああ!!)

 敬礼寺槙斗は一般人なのだ。

 絶対絶命なんて言葉からは程遠い、一般人なのだ。

(だから嫌だったんだ!!だから魔術なんて関わりたくなかったんだ!!だから俺はこんなクソッタレな世界が―――)

 

 そして、槙斗は頭から森に突っ込み、

 ゴッっと頭に鈍い衝撃が轟き、意識を失った。

 

 

 

 

 本任務「『堕天使の召喚術』に纏わる霊装及び魔術知識の私的占有における十字教背信行為の容疑者もとい重要参考人の任意同行」を任せられたロシア成教『殲滅白書(Annihilatus)』の部隊隊長代理、スクーグズヌフラは気分の高揚を隠し切れなかった。

(ふっふふーん!)

 どうやらこの件には、標的以外にも第三勢力、第四勢力が絡んでいるらしい。

 が、関係なかった。

 こちらはローマ正教にもイギリス清教にも話を通してある正式な討伐部隊だ。非公式な魔術結社の二、三が横槍を入れようと、社会的・政治的バックアップはいくらでもいる。正義がこちらにある限り、何も怖くない。

「見ぃーっけ!」

 スクーグズヌフラは手元の鉄の杖をクルリと回した。

 次の瞬間、地平線の先にある山間部の一角で緋色の炎が上がるのが確認できた。

「結構頑張って逃げてるじゃない。でも、私は嫌がる男を落とした時の快感の方が好みだわぁ」

 言って、部隊に連絡用の通信霊装に魔力を通す。

「こちらスクーグズヌフラ。標的の探知に成功、そのまま奇襲して足を止めました~~。部隊の半分をこっちに回し……あー、でもそっちの追跡要員減らしたら第三勢力にバレるかなぁ?じゃあ……うん、そうだねぇ、副隊長の言う通りアロノフとボゴスロフスキー、それからエローヒンをこっちに送ってもらおうかしら。え?うん…はいはい、じゃあ、そういう事で」

 まるで緊張感がないが、当の本人は興奮で手が震えていたりする。

 昇進のチャンスなのだ。

 本来、異端審問などはイギリス清教の管轄なのだが、悪魔なんていう『非ざるもの』があからさまに関わる本件の場合はロシア成教が適任だろうと珍しく承った大仕事である。

 上司である本来の隊長は、とある部下が天使の力(テレズマ)に関する体の不調を訴えたために付き添いで現在は仕事を休んでいる。よって、指揮権がそのままスクーグズヌフラにスライドし、現状へと至る。

(もともとアイツは気に入らなかったしねぇ、蹴落とすには絶好のチャーンスぅ)

 まさに千載一遇の機会。

 任務内容も「任意同行」なんて仰々しい建前を掲げているが、実際には「どんな方法を使ってでも宗教裁判に引きずり出せ。抵抗するなら攻撃も辞さない」なんていうほとんど討伐命令であり、スクーグズヌフラにとっても手慣れた「日常」に属する仕事である。運が回ってきたと内心でほくそ笑んだ。

「さぁーって、パーティの始まりよーん。激しい夜になりそうじゃない」

 

 

 

 

 

 




四章の投稿には2,3日くらい日が空くかもしれません。

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