【とある魔術の禁書目録】Uncharted_Bible 作:白滝
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ドスンっ!
「あ、すいません」
道に迷った。
人混みもない広い道で人とぶつかってしまう程に、だ。ぶつかった外人の女性も不審そうな目でこちらを見ながら去っていく。
いや、本当に困った……。
母、奈美の迎えを断り、実家からの最寄りの駅に着いてからは徒歩で帰っていたのだが……。
常識的に考えて、たかが半年ほど家を離れた程度で自分が一八年間生活してきた町を忘れるわけがない。別段、区画整理が行われた様子もないし、以前と変わらないただの田舎町である。
実家なんて一〇分も歩けば着く距離だ。そう遠くはない。
だから迷うなんておかしい。ありえない。
さすがにおかしいと感じたので、スマートフォンの地図アプリを起動して帰ろうともしたのだが……。
それでも着かない。
地図を見て帰っているのに、いつまで経っても家に着かない。正しい道を歩いているつもりなのに、何故か無意識のうちにあらぬ方向に誘導されている気がする。
違和感を漠然と感じる。だが、その違和感を具体的な疑問として処理するという発想が浮かばない。ある種の気持ち悪さをモヤモヤと感じるが、感じているという認識自体が何だか後付け臭い感情に思えてしまう。
(あっれー……。この道で合ってるよな……?)
ただただ時間が過ぎていく。
駅を降りたのが四時一〇分少し前。現在時刻は四時半。
あまりにも時間がかかるのでそろそろ心配性の母から電話がかかってくるかもしれない。
いや、今日は学園都市で開かれる大覇星祭の最終日だったか。案外、槙斗のことなど忘れてテレビ中継に釘付けになっているかもしれない。
そんな風に予想している時だった。
ちょうど母、奈美から電話がきた。
「もしもし。えーっとさ、遅れてんのは――」
いつもの調子で応えた槙斗だったが、対する奈美の対応はいつもと違いひどく混乱した様子で、弱々しかった。
『すぐに、家から、離れなさい。帰省はまた今…度で大丈夫、だから。槙ちゃんのお家に、帰るのよ』
「……は?いきなりどうしたの?何かあったの?」
『何でも、ないわよ。それに、どのみ、ち…お母さん達は今、家に、いないから』
「え?よく分かんねえんだけど。本当に何があっ……」
そこまで言いかけて、不意に浮かんだ想像によって嫌な汗が頬を伝った。
思わず言葉を飲み込んだ。
あののんびり屋な母が取り乱すなんて、めったにないことなのだ。
「おい、まさか――」
以前も、具体的に言うと、あの日のあの事件もこんな始まり方だった気がする。
こんな風に、何気ない日常から一転して非日常へと放り込まれたのだ。
『……気付いちゃっ、たか。そう、ついさっきね。あの時みたいに、お父さんが襲われたの』
ゾクリ、と悪寒が駆け抜けるのを感じた。
冷水に打たれたように全身が強張るのを自覚する。
「……じ、じゃあ、あれだろ!父さんを襲った犯人もまだ近くにいんだろ?」
『そ、そうね。仲間を呼ばれるかも、しれないから、敵が増えるかも。ロシア人と、すれ違ったら、気を付けなさ、い』
その言葉を聞き、ギクリと震えが走った。
心当たりが――――ある。
ロシア人。
こんな田舎町では珍しい外国人。
言われてみれば服装も変わっていた。こんな暑い日に長袖長ズボンで肌をぴっちり覆うのは珍しい。
立ち去る時の様子も、見方によっては切羽詰まっていたともとれる。
今更ながらあっちの世界の匂いがした気がしないでもない。
そう。
さきほど槙斗がぶつかったあの外人は――――
夕方。午後六時頃。
結局、槙斗は家には戻らず両親の元へ向かうことにした。
『私たちと一緒にいて巻き込まれたら心配だから関わるな』という奈美の静止の声も、「じゃあこれから二人はどうすんだよ!?」と槙斗が説得すると、根負けして呆気なく引き下がり避難先の隠れ家を教えてくれた。
家は奇襲を受けた事で潰され、警察が現場検証しにやって来ているのだ。近所は騒然としているし、そんな中にノコノコ戻っていったら目立って襲撃者に見つかってしまう。
襲撃者は仲間を呼んで重点的に両親を捜索しているだろうし、二人が武装の準備に必要な物の調達もままならない。
つまり、両親の二人だけでは手詰まりなのだ。よって、敵に顔の割れてない槙斗がお使いを任されたわけである。
物資の調達を終え、槙斗は二人の隠れ家に向かった。
といっても、『魔術師一家である敬礼寺一族が古くから所有している先祖代々の~』なんていう肩書のある施設ではない。ただのビジネスホテルの一室である。
近代の西洋魔術師は決まったアジトを持たないことが多い。基本的には、アパートの一室や廃墟などを複数用意する。
理由は単純で、他の魔術師からの襲撃を受けた際に、文献や財産、人員などを分配することで被害を最小限に抑えようという意図があるからだ。
魔術師が集団として集まり巨大な組織となると、教会などを魔術的に要塞化しアジトとして活動することもあるが、それは十字教旧教三大宗派の一つであるイギリス清教の聖ジョージ大聖堂などの特殊な例ぐらいであり、基本的には個人で活動するのが一般的である。
そして、敬礼寺家の魔術師は組織に所属していない個人の魔術師だった。
そのホテルの一室も偽名を使って借りておいた隠れ家の一つである。
余談になるが、槙斗の現在住んでいるアパートの一室も、資金的に維持の大変な貴重な隠れ家の一つを無理言って両親に貸してもらっていたりする。
電話で言われた通り、ホテルの四〇三号室のドアを四回叩いた。それが合言葉と聞いていたからだ。
ガチャリと音がして、鍵が外れる。
「ほら、夕飯と水。それから霊装の材料な」
「あ、ありがとね」
電話ではかなり弱々しかった母も、今は少なくとも見た目にはかなり回復しているように見える。
敬礼寺奈美。
槙斗に遺伝していることが分かる、腰まで伸びた長い茶髪。瞳孔が光を強く反射して目立つ大きな瞳。歳の割に童顔で、それに反比例したような豊満な女性らしい体つき。母性を感じさせる落ち着いた雰囲気。
半年ぶりでも変わらない母の様子に安心させられる。
所々に服が裂けている箇所があるが、出血はみられず傷口はない。おそらく回復魔術を行使したのだろう。顔色は優れないが、動きに力強い意志を感じ取れる。
ふぅ、と槙斗の口から思わず安堵の息が漏れた。胸を圧迫していた重圧のようなものが抜けていくのを感じる。
「すぐに入って!トラップ仕掛けるから」
「お、おう」
ホテルの中に入り、注文を受けた物品を奈美に渡していく。
墨汁、折り紙、カラーペン、乾電池、ティッシュ箱、ライター、挽肉、料理用酒、傘………。
どれもスーパーで見かける日用品がほとんどであった。馬鹿にしているように見えるかもしれないが、これらを組み合わせ宗教的意味を抽出し、魔力を利用して様々な記号を組み合わせていくのが魔術である。
特に、奈美は十字教視点の解釈による日本神話をモチーフとした神道系の魔術を扱うのが専門なのだ。
神への供え物として記号を対応させるのに、日用品は都合がいいのである。槙斗も技術はないものの、それを知っていたためか特に驚きはしなかった。
「父さんは?」
「……お風呂場。だけど、見ない方がいいわよ」
ドアに油性ペンで何やら複雑な模様を書きながら奈美が答えた。
嫌な汗が槙斗の背中を伝う。
が、ここまできて見ないという選択肢を選ぶつもりはない。
そっとバスルームを開けた。
「……槙斗か。久し振りって挨拶がこんな姿で悪りぃな。元気にしてたか?」
父、敬礼寺
四〇歳を超えているというのに年甲斐もなく金髪に染めたオールバックの髪。無駄に屈強であるガタイのいい体。無精髭が様になる顔立ち。
ワイルドという言葉が似合う槙斗の父は、しかし生気が抜けて今にも気を失ってしまいそうだった。
自慢の髪は焼け焦げて黒ずみ、その火傷が顔面の左半分を覆っている。服も所々切り裂かれた痕があり、その傷口から流れ出る血が黒人である彼の肌を鮮やかな赤で上塗りしていた。バスルームの床には血溜まりまでできている。
そして最も衝撃的だったのは、茄篠の左腕がなくなっていたことだった。
声が出なかった。
何かを言おうとして口を開いたが、完全に思考が止まって後が続かない。肩のあたりでバッサリと千切れていて、傷口は髪と同じように黒ずみ今もぶくぶくと皮膚が泡立っている。
皮膚が……泡立って…いる…!?
血の気が引いて思わず吐き気を催した。口を手で押さえぐっと堪える。
「何をそんなに驚いてる。無敵の父ちゃんも敗ける時はあんだよ」
「だ、だって………父さんの力は
「悪魔ってのは弱い強者なんだよ」
「……どういう意味だよ?」
「前に言ったことがあったろ。父ちゃんの力は悪魔の力だ。悪魔は神の民を惑わす忌むべき対象。崇められる天使とは違って、殺したり封印したりする伝承は多いんだよ」
そこで茄篠はゴホっと口から血を吐き出した。ぜーぜーと呼吸を整える。
「つまり、な。父ちゃんは悪魔……まぁ、仮にも天使の一種なんだから正攻法でのガチンコ勝負じゃ負けねえんだ。でも弱点が多すぎるのさ。今回はそこに付け込まれましたー。て、てへぺろー」
「わ、笑い事じゃねえだろ!!これからどうすんだよ!!」
「もちろん逃げるわ」
と、答えたのは奈美だった。ドアにトラップを仕掛け終わったらしい。
「茄篠さんの傷が治るのを待って、その後はひたすら逃げるわ。私たちを匿ってくれる魔術結社なんてないもの」
「な……!!だ、だったらとりあえず回復魔術を父さんに使ってやれよ!!母さんだってそうしたんだろ?」
「無理なんだなあ、それが」
と言って、茄篠は苦痛に歪む顔を無理矢理に笑みへと変えた。
奈美は見てられないと言わんばかりに目を背ける。
「父ちゃんは悪魔だからな。腐っても天使。堕天使だ。天使には原罪がないから一般の魔術師が調整した普通の魔術を使えないってされてるだろ?俺は逆パターンで、原罪が濃すぎて自力じゃ何も魔術が使えねえんだ。というより、人間程度が扱えるショボい魔術は俺には効果がないっつった方が分かり易いか?まぁ、自分で自分のケツも拭けないダメ男なんだよ。いや、ホントに参った参った」
「じゃあ、どうすんだよ。傷が治んの待ってたら、その間に敵に余裕与えちまうだろ!!」
「もちろん、このまま何もせずにじっとしてるつもりはねえ。奈美、解析はそろそろ終わんじゃねえか?」
「はい、そろそろですね」
そう言って、奈美はベッドに向かった。槙斗も自分の首に茄篠の右腕を回させ、茄篠をベッドに移動させる。重心を完全に槙斗に預ける茄篠の弱々しい姿が、現状の深刻さを如実に示していた。
「これよ」
奈美の指差した先にあったのは、折り紙の上に撒かれた砂鉄だった。不自然な模様を描く砂鉄は微振動を起こしており、よく観察すると模様が少しずつ変化している。
「これって言われてもわかんねえよ。魔力を練ることすら俺できねえし」
「襲撃者である魔術師の情報を探る術式よ。日本神話に登場する
「?」
「魔術ってのは解釈の仕方でいろいろ効果も異なるの。だから組織ごと特有の匂いとかが生まれてくるんだけど……まぁいいか。今回はね、お母さん自身を
そう言って、奈美は自慢気に紙に魔力を通した。すると砂鉄が淡い光を放ち始め、奈美が用意したもう一枚の紙を炙っていく。
光が収まると、もう一枚の紙には炙ったことによりまるでコピー機のように文章が浮かび上がっていた。
「!?……すげー……」
「さすが奈美!!愛してるぜ!!」
ノロケ始めた茄篠を他所に、槙斗が先を促す。
奈美は照れたように頬を赤くしながら、
「襲撃者の正体はロシア成教の『
紙にはモノクロ写真のように人物の白黒な映像も載っていた。
拘束服―――それも実用重視ではなく、レースとレザーで構成されたセックスアピール最優先の拘束服でその肢体をギッチギチに締め付けている。
そして、その顔立ちは―――
「こ、こいつだ!!俺、さっきコイツと道ですれ違ったんだ!!」
「あ?『人払い』されてたから槙斗には会わねえはずだけど?」
「いや、家の近くじゃなくて駅の付近でぶつかったんだよ。そうか、あの時には既に服を着替えてたのか……」
襲撃者を取り逃がしたという後悔からくる焦燥感と、一方で、魔術師の血生臭い世界に踏み込まなくてよかったという相反する思いが槙斗の中でせめぎ合う。
茄篠と奈美もまた、犯人を尾行するチャンスを逃したと言えるものの、自分たちの息子に怪我がなくてほっとしたようである。
と、そこで奈美が疑問を発した。
「でもこの魔術師、あなたを襲った際に使った『
「ああ、完全にこっちの正体を掴んでから対策打って奇襲しやがったな。おかげで俺の自慢の再生能力も見せ場がねえぜ」
「どうしましょう、あなた。黙示録系の霊装で固められているなら、戦闘での強引な突破は厳しいですよ」
「確かにな。それに、悪魔を殺すんだ。まさか一人で日本に来てるなんて訳はねぇだろ。そいつの部隊の連中はみんな俺を狩る任務に就いてるはずだ。町はもう包囲されてると考えた方がいい。切り抜けんにゃ最低でも一回は奴らとぶつかるだろうな」
「キツいですね……特に、『
「ハッ、今更だろ。こんなゲテモノを体に埋めといて信じてもらう方が無理だろうよ。それよか奈美の幻覚でうまく包囲網をすり抜けられねえか?」
「私、そんなにあの術式うまくないですし……」
奈美が申し訳なさそうに俯いた。
はぁ、と思わず溜息をついた。
対策を打って襲撃してきた魔術師から逃走して身を隠せただけでも上出来。さらに敵の素性まで把握できたので、十分に評価できる立ち回りだったといえる。
しかし、十分であろうが何だろうが状況が好転することはない。相変わらずこちらは後手であり、現状打破の目途も立たない。
茄篠は、そのもはや一本のみになった右腕で頭を掻きながら、
「手詰まりだなぁ、オイ。やれる事がねえよ」
と呟き、
「ヤル事ないなら私とヤらなーい?」
と、唐突に返答があった。
突如、ドゴンッという爆音と共に部屋の両壁が粉々に破壊される。
(し、襲撃者の魔術師!!)
と、槙斗は硬直したが、彼の両親は機敏に反応する。
壁が破壊されるのと同時に奈美が槙斗をバスルームへ突き飛ばし、
グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!と、
茄篠は鼓膜を突き破るような雄叫びを上げた。
すると、何もなかったはずの虚空より六本の真っ赤な竜の頭が現出し、その長い首が茄篠の肩に接続される。
破壊され穴の空いた両壁から襲撃者がそれぞれ侵入してくるのとほぼ同時。
奈美がお守りを取り出して呪をつむぎ、茄篠の六頭の竜の内の二頭が侵入者に突っ込んだ。
轟ッと。
さらなる破砕音がホテルの一室に轟いた。
一〇畳もない狭い空間で、荒れ狂う衝撃波が吹き荒ぶ。
が、そんな余波を物ともせず、一人の女性がハイヒールをカツカツ鳴らせながら右隣の部屋に現れた。
槙斗もバスルームの中に隠れつつも、洗面台のガラスの反射を利用して現状を把握しようとする。
部屋にこそ踏み込んでこないものの、右隣の部屋には三人の魔術師がいた。二人は赤い修道服を身に纏った男性であり、槍やら杖やらを握っている。
三人目の女性の方はというと、先程奈美が解析した人物であり、槙斗が駅前でぶつかった人物でもあった。
レースとレザーで構成されたセックスアピール最優先の拘束服でその肢体をギッチギチに締め付けている、スクーグズヌフラとかいう魔術師である。
左隣の部屋はこの鏡からでは死角になるために見えないが、同じく三人ほど待機させているのだろう。
張り詰める緊迫感の中で、周囲から放たれる殺意という鋭い感情が槙斗の勇気を削り落としてゆく。
殺される、と純粋に思った。恐怖心がせり上がってくる。
が、槙斗を真に動揺させた原因はその魔術師ではなかった。
(何だ…あれ……)
目の前の光景を信じることに躊躇いを覚える。
(…父…さん…?)
父の肩に接続された六頭の真っ赤な竜の首。そして同じく、下半身に接続された真っ赤な太い尾。
竜の頭からはそれぞれ一本、もしくは二本の角が生えており、それで引っ掛けるようにして各々の頭が王冠を被っていた。
七つの頭と一〇本の角を持つ赤い竜。
『ヨハネの黙示録』一二章及び一三章に記され、エデンの園の蛇の化身であるのと同時に
ミカエルによって封印され、滅ぼされた悪魔の化身。
神の民を迫害する十字教の怨敵。
茄篠のその悍ましい姿に槙斗は言葉を失った。
話で聞くのと実際に体験するのとでは訳が違う。ショックという言葉だけでは、今の感情を表現するには浅すぎる。
醜悪という概念を強制的に植えつける咽返る程の嫌悪感、それでいて生物として本能的に感じてしまう格の違い。そういった動揺と混乱が思考を鈍らせていく。
だが現状はそんな槙斗を待ったりはしない。
今も、襲撃者を襲った二頭の竜は、その鋭利な角でもって襲撃者の腹を串刺しにしている。
即死であった。
父、茄篠には何の躊躇いもなかった。人を殺しているのに………。
足がカタカタと震えてくる。
しかし、
「こんな状況でも『人払い』とは余裕だねえ、人妻さん。でも残念、『人払い』はもう私が済ませておいたわよ。これから寝取る予定の男の邪魔をされたくはないからねえ」
と、スクーグズヌフラは目の前の異形に全く動じていないように話しかけてきた。
「ハッ、俺に一目惚れかい、ねーちゃん?悪魔と寝たいなんて正気とは思えないねえ」
「いやーん☆むしろ人外の
「……何でここがわかったの?」
怒りに顔を歪ませた奈美が絞り出すように質問をした。
「あっれー?あんたらの
慌てて槙斗は自分の服の匂いを嗅いだ。服の袖から微かに甘い香水の香りがする。この匂いを元に索敵魔術を使われたのかもしれない。
迂闊だった。
これでは自分のせいで両親が敵に見つかってしまったものじゃないか!?
「……性魔術のエキスパートだったっけ、ねーちゃん。俺だけじゃ飽き足らず、うちらの馬鹿息子にまでマーキングするとは頂けないねえ。家族構成も把握済みだったってことかい。まったく、近頃の若いモンは……お見合いからゆっくり始めてもらいたいもんだぜ」
「あら、案外その気じゃない、嬉しいわぁ。……で、そいつはどこだ?」
「あの子はもう帰ったわ。巻き込むわけにはいかないもの」
急に真剣な調子に戻ったスクーグズヌフラにも、奈美は動揺せずに即答した。
嘘をついているかどうか判別し辛い、自然なタイミングで。
「……………」
スクーグズヌフラが部屋中に視線を漂わせる。槙斗は慌てて鏡から見えない死角へと移動した。
「……ふーん」
カツン、と。
スクーグズヌフラが一歩を踏み出した。
槙斗が隠れているバスルームに向かって。
背筋が凍った。
(バ、バレたのか?でも、どうしたら―――)
どうしようもない。
当然だが、魔術師なんていう化け物と戦う力など槙斗は持ち合わせていない。喧嘩だって小学生以来していないぐらいなのだ。両親に助けてもらうしか生き残る術はない。
が、それと同時にあることに気付いた。
(俺を囮にすりゃ、父さんも母さんも窓を割って逃げられるんじゃ……)
冷や汗が流れる。一瞬、見捨てられる絶望感と、自分を見捨てて逃げのびて欲しいという願望が交錯した。足の震えが止まらない。
(ど、どうなるんだ―――)
その時、父、茄篠は覚悟を決めていた。
手の内どころか腹の内まで全て敵に読まれている。最悪の状況だ。犠牲は避けては通れそうにない。それぞれの魔術師の持つ霊装を観察する。どれも対
(チッ、諦めるか……)
どうしようもない。根性論、精神論だけでは無理な局面もある。だからこそ、必要最低限の犠牲で抑えるという決断に迷いはなかった。
そう。
自分の命ぐらいしか最低限度の犠牲として払ってやるつもりはない。
(次の一歩を踏み込んだら反撃に出る。これ以上好き勝手させねえ!)
その時、母、奈美は後悔していた。
無理矢理にでも槙斗を帰らせておけばよかった。こんな血生臭さを嫌ったからこそ息子はこの世界を疎んだのだ。自分達だけなら諦めもつく。
しかし。
こんな事件に巻き込まれ、何の罪もないのに殺される。息子に対するそんな仕打ちを割り切れる程、落ちぶれたつもりはない。
(おそらく、茄篠さんは次で何か仕掛けるはず。追撃してくるだろう他の魔術師をうまく妨害できれば……)
そしてスクーグズヌフラが更なる一歩を踏み出し、
ドガアアアアッという爆音とともにこの部屋のドアと窓、二つの方向から挟み撃ちのように部屋が破壊された。
両側から襲来した第三者に、この場の全員に緊張が走る。
これは壁側から侵入してきた『
そして、凍り付くような一拍の沈黙の後、ドア側からの襲撃者が声を張り上げた。
「ちょっと待ったーーっ!このテルノアちゃんが来たかr……べぶらっ」
突如、奈美の仕掛けたトラップが起動し粉砕されたドアの破片が礫のごとく飛来して襲撃者を吹き飛ばした。
そのまま、
「ぎゃああああああああああああああああっっ!お、落ちるうううううううううううううううう!」
という絶叫と共に、向かいの廊下の窓も突き破りホテルの外へと落下していく。
…………。
拍子抜けしてこの場の皆がリアクションを取り損ねた。
言いようもない空気が場を沈黙させる。
と、最初に口を開いたのは、窓側の襲撃者だった。
「おいしいタイミングで登場したつもりだったが、まさかのギャグ展開に突入したらしい。出直すぞ、マーク」
ルビの振り方が分かりません。
そもそも、ルビって振る事ができるんでしょうか?
追記:ルビの振り方は分かりました。修正しておきます。