━━━━━お前、風紀委員にビクビクしていると言ったな
━━━━━なら教えてやる。本当の恐怖って奴を
上乃から告げられた言葉、それに言い知れぬ不安を抱いた金髪の男は、虚栄を張るように啖呵を切る。
「本当の恐怖だぁ?なんだそりゃ………なんだそりゃよぉ!
そんなもんは、もうとっくに分かってんだ!
テメェ等みたいな才能あるやつには分からねぇだろうがな、本当の恐怖ってのは誰にも相手にされないことだ!
気に食わねぇ……気に食わねぇんだよ、全部……!
見下してんじゃねぇ!!」
地上から見上げるように吠える金髪の男。
上乃は、その言葉にピクリとも反応せずに、己が能力を発動した。
世界が切り替わる。近代化した都市から、見渡す限りの草原の世界へと次元を超越した。
それは、先程までの透過や転移のような矮小な力ではない。
これこそが、『
「なん……ですの、これは……!」
「これって、夢なの……」
側で横たわる黒子と佐天があまりの状況の変化に戦慄した。
訳が分からない、と顔にありありと出ている。だが無理もない。上乃がこうして異世界に誰かを連れてきたのは、あの科学者を除けばコレが初めてなのだ。
こんな力は書庫にも載っていない、彼の奥の手なのだから。
「なんだこりゃ…ど、どうなってやがる!?」
金髪の男は、突然の変化に酷く狼狽えていた。彼もまた黒子達同様にこの状況について行けていないでいる。
どういうことだ?俺の能力は空間転移能力に対して完全に優位に立てる物だ。そんな俺が、まさか飛ばされたのか?いや、有り得ない。座標も碌に分からない状態で転移できる筈がないのだ。
男はもう一度、改めて自分の周囲を確認した。
そして違和感を覚えた。
それはこの草原の世界おいてここだけが歪なのだ。
草原の中に1つだけポツンと廃ビルが聳えている。そしてその地面である己が立つ足場は、薄くコンクリートの地面があり、大地から少し浮いた場所であった。
そうそれはまるで、学園都市からこの一角だけをくり貫いたようだった。
「………いやいや、そんな…ありえねぇだろ!」
この状況、そして己の能力。この2つを合わせて導きだされた答えに男は驚愕する。まさか……そんなと逃避しようが現実は変わらない。
これが事実だとするなら、俺はとんでもない奴に喧嘩を売ってしまったのかもしれない。
ドッドッドッドッドッドッドッ!!!
「こ、今度は何だ!?」
恐怖で足が震えそうになるなか、実際に足が揺れ動く。
男はこれもまたアイツの仕業かと廃ビルの上に立つ上乃を見ると、彼はある方向を指差して、そして笑っていた。
いつも無表情である上乃が、薄らと笑っていたのである。
それは、世の淑女達を魅了してやまない魅力に溢れる物なのだろう。しかし、この状況において男には、彼の微笑みが悪魔の笑みに思えて仕方がなかった。
止まらない悪寒を堪えて、上乃が指差す方向に目を凝らす。
そちらからは、舞い上がる土煙と巨大な何かが走ってきていた。
ドッドッドッドッドッドッドッ!!!!
地響きは次第に大きくなり、土煙を巻き上げる存在の姿が目視できるようになった時、誰かの息を呑む音が聞こえた。
「ッッ!?」
それは人だった。いや、人と同じ形をしていたがそれは、余りに巨大過ぎた。
服など着ておらず丸裸で、しかし生殖器は見当たらず、肘を曲げ内股の状態で凄まじい速力で此方に走ってくる━━━━━━━
「何だよ……あの生きもんは?」
人体の構造では到底有り得ない大きさのその生物は、一直線に此方に迫りくる。
そして、目視出来る距離まで近づかれたのならばもう遅い。その存在はひたすらに原始的な欲求を満たそうと、彼を襲うだろう。
そう、上乃が男を引きずり込んだ世界は、人類にとって天敵が存在する世界。
その生物を倒すための技術と力を身につけたとしても、個の力では到底覆しようの無い数の暴力に蹂躙され、何時しか抗うことを人類は忘れてしまう。
そんな何時死ぬかも分からない、家畜の安寧を求めるだけの、衰退した世界。そんな場所が今彼等がいる所なのだ。
考える間も無く、目前まで迫ってきたこの世界の人類にとっての天敵、巨人。
そして巨人は、後少しの所で大口を開けて頭からスライディングして突っ込んだ。
「うわぁぁぁあ!」
金髪の男は、寸前の所でコンクリートの地面から芝生の上に転がり落ちて躱す事に成功する。
薄いがコンクリートの地面にヘッドスライディングした巨人は、頭部が拉げ血を吹き出した。
「熱ッッ!?」
地面を転がった男に巨人の血飛沫が降りかかり、蒸気すら発生するその熱に身悶える。
「はぁ、はぁ、はぁ……クソ!」
暫くすると、その熱にも慣れたのか息切れを起こしながらも何とか立ち上がる。
「死んだのか……?な、何だよ、脅かしやがって、たいしたことねぇじゃねぇか!この……!」
頭から大量の蒸気を発する巨人。突っ伏した状態から動かなくなった巨人を見て、死んだと思った男は先程までの威勢を取り戻した。
しかし、それも束の間。死んだはずの巨人が首だけをグリンと男に向けた。
「ヒィ!?」
男は情けない声を出して腰を抜かしてしまう。
男に顔を向けた巨人は、笑っていた。血塗れの拉げた顔で張り付いたような笑みを浮かべる。
その状態で笑う意味が分からない男は、余計に目の前の存在に不気味さと狂気を感じて堪らなかった。
鈍重な動作で、ムクリと起き上がった巨人は再び男に向けてその口を開いた。
両手を地に着け、四つん這いのような姿勢で男に迫る。
その動作を見て、男は上乃が言っていた恐怖について理解した。これがあの男が言っていた恐怖なのかと。
それは生物にとって最も身近であり、人間が最も回避してきた恐怖。
━━━━━━━━死である。
「お、おい。まさか、俺を食べる気じゃ……!」
震える声で問いかけるも、巨人は答えない。
その返答の返しは、限界まで開かれた口を見れば一目瞭然だった。
男は逃げるために起き上がろうとする、しかしもう遅い。
起き上がった男の上半身に、巨人が食らいついた。
笑みを浮かべて、咀嚼する巨人。だが、直ぐに不思議そうに首を傾げた。
無いのだ、人を食べたときの感触が口から何も感じられなかった。
食らいついた筈の男を見る、そこには上半身と泣き別れした下半身があるのでは無く。色彩の歪んだ男の姿があった。
「じょ、冗談じゃねぇ、食われてたまるか!」
目の前の残像が消えると同時に別方向から男の声が聞こえる。
どうやら、この土壇場で能力を発動して難を逃れたようだ。その度胸と集中力には感心するものがあるが、そんな物はただ少しだけ寿命が伸びただけに過ぎない。
男が逃げるのに反応した巨人は、またしてもあの妙な走り方で後を追う。
男も追いつかれまいと、全力で走るが直ぐに追いつかれてしまう。
そもそも体格に差がありすぎるのだ。たかだか2mにも満たない人間の身長と10mを越える巨人とでは歩幅が違いすぎる。
蟻と人で鬼ごっこが成立するわけがないのだから。
「クソォ!来るなぁ!」
がむしゃらにひた走る男は、後ろに迫る巨人に注意を払いながら能力を発動する。学習機能が無いのか巨人は、何度も男が作り出す虚像に手を伸ばす。
しかしこんな事をしても、先に力尽きるのは男の方なのは目に見えている。
彼の能力がもっと強力で、自分から離れた場所の光さえも操れるなら逃げ延びることも出来ただろう。
だが、現実は非情だ。幻想御手を使ってlevelが上がった状態でも男は自分の周囲の光すら操れない。
デケェ力と言っていた自分の能力がこんなにも通じないのかと、男は悔しくて仕方がなかった。
だが、男はそれでも足を止めない。
(こんなところで死んでたまるか!これからなんだ、これから俺は………!)
意地でも逃げ切ろうと決意を固める男。それは長年無能力者として虐げられてきたが故に身に付いた克己心がそうさせた。
何日でも走り続けてやる、そんな気迫を放つ男。しかし、そんな希望を持たせてやる程、上乃は優しくなかった。
「………ウソ…だろ…」
男が走るその目の前に複数体の巨人が現れたのだ。
その現実に心が挫けそうになるが、まだだと進路変えようと回りを見た。
そして今度こそ、男の心は折れてしまった。
360°、逃げる隙間など何処にもない、大量の巨人が己を囲うようにして迫ってきたのだ。
「は、はは…はははは!ハハハハハハハハハ!!」
走っていた足を止め、狂ったように笑いだす男。
その目には涙が浮かび、膝をついて動かなくなった。
もう、どうやっても助からないのだと男は悟ってしまったのだ。故に笑う、笑うしかなった。
そして笑う男の体がずっと己を追ってきた巨人に捕まれた。
「ははははは…はは……は………」
両手で捕まれた体は容易く宙に浮き、目の前に最早見飽きてしまった巨人が迫ってくる。すると、途端に男は現実に引き戻されてしまったのだ。笑う余裕すら無くなり、恐怖だけがその身を支配した。
「………嫌だ、死にたくない。」
涙を流し、必死に命乞いをする。
「嫌だ嫌だやめろ!放せ、放してください!誰か助けてください!助けて助けて!」
誰もが同情する無様な姿を晒しても、そんな物を巨人が顧みる筈がない。
彼はいっそ、本当に狂ってしまえばよかったのだ。狂ってしまえば何も感じなかったのに。中途半端に命が惜しくなるからこうして苦しむことになる。
巨人は、泣き叫ぶ男をその口に放り込んだ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ!!!」
∞
「それで、幻想御手は何処にありますの?」
「助けてください……助けてください………助けてください………助けてください………」
「あーもう!それはわかりましたから、いい加減正気に戻ってくださいまし!」
もう、何度目になるのか分からない質問を目の前の男に聞く。
しかし、まともな返答は返ってこず。ずっとうわ言のように、助けてくださいと呟いている。
「全く、上乃さんやり過ぎですわ」
何もここまでする事は無いでしょうに。level5という方達は、やり過ぎないと気がすまないんですの?
しかし、上乃さんのお蔭で命拾いしたのも確か。強くは言えないと心の中で深いため息が漏れる。
「………それにしても、凄まじかったですわね」
先程の上乃さんの戦い。いや、あれはもう戦いにすらなっていない、一方的な蹂躙だった。
元通りになっている廃ビルを見ると、先程の光景が甦る。
最初、敵である金髪の男と上乃さんとの相性は、御世辞にも良いとは言えなかった。
それは、実際に戦った自分自身が身をもって理解している。わたくしと同じ、同系統の能力者である彼では戦況を優位に運ぶことは難しいだろう。それがいくら空間転移能力、その最強に位置する能力者の彼でも………。
━━━━━そう、わたくしは思い込んでいた。
わたくしは、何処かで彼を見くびっていたのかもしれない。
彼は所詮、第八位。同じlevel5だとしても、わたくしの尊敬する『超電磁砲』の御坂美琴お姉さまとは、天と地程も差があるのだと。
しかし、その認識は誤ったものだった。
そう感じ始めたのは、彼が金髪の男の腕を掴んだ時だ。
あの男の能力『偏光能力』によって誤認した位置情報を掴まされている状況で、正確に、しかも真後ろという完全なる死角からの攻撃を彼は見向きもせずに止めたのだ。
一体どうやって?彼がやった事に対する疑問は尽きないが、金髪の男が取り乱している間に上乃さんは、佐天さんを抱え、わたくしの肩に手を置き、廃ビルの屋上に転移した。
そこからは、息つく間もない驚愕の連続だった。
突如として変化した世界。それは、上乃さんがやったことだということは直ぐに分かった。だが、それがどういった事なのか、どういう現象なのかは理解できなかった。
でも、立て続けに起こった有り得ない生物の登場や、自分達がいる不自然な足場が、彼が何をやったのか知る手かがりとなった。
突然変貌した世界、巨人、そして学園都市からそのままくり貫いたかのように草原に聳える廃ビル。
この事実に気づくのには時間がかかった。何せ、それはわたくしの知る常識とはあまりにかけ離れた物だから。しかし、目の前にある証拠が、それが事実だと指し示している。
上乃さんは、別の世界に転移したのだと………。
そもそも、わたくしと上乃さんの能力である空間転移とは、他の能力に比べて演算による負荷が激しい物だ。
三次元から十一次元への特殊変換する計算は複雑であり、自身の重量を転移させられるのであれば、それだけでlevel4として評価される。
わたくしの空間転移の限界は、飛距離が最大81.5m、質量が130.7kg。
なのに、levelがたった1つ違うだけで同系統の能力なのに、こうも差があるのか。
上乃さんがやったことは至って単純だ。今いる廃ビルごと転移したのだろう。この何トンもあるであろう廃ビルを。
全くもって出鱈目だ。男の位置を把握できないなら、男を含んだ座標を纏めて転移させるなど力業にも程がある。
まして転移した場所が別の世界など、誰が想像できようか。
わたくしの限界とは、文字通り
比べる事すら烏滸がましい。何て強力で、無慈悲で━━━━━神々しいのだろうか。
これが上乃慧巌。これが『
もしかしたら、お姉さまよりも………。
(いや、そんな訳ありませんわ!)
ふと湧いた、己の不敬な考えを慌てて否定する。わたくしの信じるお姉さまが、負ける筈がないと。
だが……わたくしよりも、彼の方がお姉さまの隣にいるに相応しい人物だと、そう感じてしまった。
「はぁ。らしくありませんわね、こんな事を考えるなんて」
もしかしたら、自分もこの男のように参っているのかもしれない。
上乃さんがこの男に施した仕置きは、見ているだけだった此方にも精神的にくるものがあった。
男の増長した自尊心を砕くために、幻想御手によってlevelが上がった能力が全く効かないのではなく、今一歩足りないギリギリで追い詰めた。
そうすることで、彼の傲りは完全に消え失せる。
しかも、それだけに終わらず、死という恐怖を植え付けて反抗する気力まで削ぎ落とした。
「惨いですわね」
今まで沢山の無能力者を捕らえてきたわたくしですが、ここまで徹底的にやる人は初めて見ましたわ。
兎も角、後は漸く来てくださった警備員の方達に任せましょう。あんな状態では、流石に情報を引き出すも何もありませんから。
「それはそうと佐天さん。あまり無茶をって、おや?佐天さん?」
この度の無茶に苦言を提そうと思い、佐天さんの名前を呼ぶが返事が無く。周囲を見ても見当たらなかった。
そしてそこには、この度の功労者である上乃さんの姿も見当たらなかった。
「いったい何処へ………?」
∞
知らなかった、幻想御手が違法だったなんて!
上乃さんが、私には到底理解できないような力を使ってあっという間に金髪の男の人を倒した後に白井さんが言っていた。
━━━━さぁ、幻想御手について知っていることを吐いてもらいましょうか?
何で幻想御手について調べているのか、気になって白井さんに聞けば、幻想御手によって事件が多発しているからその出所を調べているのだと。
そして使った人を保護しなければいけないのだと。
私は怖くなってその場を逃げ出した。
「はぁ、はぁ、はぁ」
息を切らしながら、路地裏を駆け抜ける。裏道を使って早く自分の部屋に戻りたかった。
「キャッ!」
そうして急いでいると、人通りの無い路地裏なのに誰かにぶつかった。
「す、すみません!私急いでて、その……」
「………」
ぶつかった事を直ぐさま謝罪する。だが、相手からの返答は無い。怪訝に思った私はそっと、相手を確認した。
「あ、貴方は……!」
その人物は、先程私を助けてくれた上乃さんだった。
何故彼がこんなところにいるのだろう、とか疑問は尽きないが、それよりも今は彼の前にいるのが辛かった。
「何で……こんなところに居るんですか?」
「………」
上乃さんは、今頃白井さん達から話を聞かれているはずなのにどうしてこんな薄暗い路地裏に……自分の前にいるんだ。………私は、貴方に合わせる顔なんて無いのに。
彼は、私の質問に答える気配が無い。
しかしフードから覗く綺麗な瞳は、まるで私の心を見透かすように射ぬいた。
虚偽は許さぬと、言われているかのようで。
(あぁそうか、全部バレちゃってるんだ。この人には……)
察しの悪い自分に嫌気が差す。そうだ、この人がここにいる理由なんて私しか無いじゃないか。上乃さんは、全部分かってる。私が……私が幻想御手を使ってしまったことを。
今この時、一番知られたくない無い人に知られたことに足が震えた。軽蔑されているだろう。私を今すぐにでも警備員に突き出すかもしれない。
そう思うと、自分の中で燻っていた不満が爆発した。
「………幻想御手って、そんなに悪いんですか?」
「………」
「何かに縋るのが、そんなに悪いことなんですか……!」
そうだ、幻想御手の何がいけないと言うんだ。
私には分かる、例えそれが危険だと分かっていても求めてしまうその気持ちが……悔しさが!
『貰い物の力』
白井さんは、幻想御手の事をそう言っていた。
だが、そんなのは才能があるから言えるのだ。私のような無能力者とは違うから。
努力したのかもしれない、努力したから今の力を手に入れたのかしれない、でも、そうだとしても恵まれている方だ。
世の中には努力しても報われない人は沢山いる。そんな人達の希望が、この幻想御手なんだ!
私はポケットにある幻想御手が入った音楽プレーヤーを握り締めた。そして彼はそれに目敏く反応する。
そうだ、今幻想御手はここにある。貴方は……どう思ってるの……!
「………幻想御手は、良くないものだ」
「ッ!」
重々しく口を開いた彼の第一声は、やはり予想通りの物だった。
やっぱり、そう言うんだ。分かってはいたことだが、いざそう言われると心が締め付けられる。
私は泣きそうになるのを必死に堪えるので精一杯で彼の目を見ることが出来ない。
「そう…ですよね。やっぱり………。へ、えへへ!分かってましたよそんなの初めから。
ハイ、どうぞ!」
はぁ、短い夢だったな。初春にも合わせる顔ないや……。
私は、開き直って幻想御手を上乃さんに突き出した。これで、もう本当に終わりだ。
だが、私が差し出した幻想御手を上乃さんは一向に受け取ろうとしなかった。
「どうしたんですか?これ、幻想御手ですよ」
「………」フルフル
「何ですか、それ。まさか、いらないんですか……?」
いらない?ここまで追い詰めておいて私を見逃してくれるの?いや、そんな生優しい人じゃないのは、さっき見て実感したばかりだ。
なら何なのだ、この人の真意が読めない。
訳も分からず戸惑っていると、彼はまるで諭すように私に語りかけた。
「泣く人がいるだろ」
「え」
泣く人がいる……?
その言葉に、私は暫しの間呆然とした。
泣く人、そんな人が私にいるの?そう考えた時、私の頭に真っ先に浮かんできたのは、何時も楽しそうに毎日を過ごしている初春の姿だった。
あぁ、そうだ。初春ならきっと私がこんな事したの知ったら大泣きするだろうな。そんでもって、すっごく怒るんだろうな………。
友人のその姿が容易に思い浮かんだ私は思わず吹き出しそうになる。そして申し訳ない気持ちで一杯になった。
想像するだけで胸が苦しくなり手を当てると、そこに長年肌身離さず身に付けていた物の感触があった。
それは、私がまだ小さかった頃、学園都市にくる前にお母さんが渡してくれた御守りだった。
こんな、何の科学的根拠の無いもの渡されても、何の意味があるんだろ。
でも……これを渡してくれた時のお母さんの顔が、頭から離れない。
そうか、分かったよ上乃さん。貴方は私に自分から言いに行けって言うんですね。
うん、自分でもそう思う。これは自分でやらなきゃいけないことだよね。
「あの、すみません。ご迷惑お掛けしました!」
彼には随分とお世話になってしまった。守ってもらって、大事な事を諭してもらった。
彼は私の謝罪を聞くとそそくさと立ち去ってしまう。
余計な事は言わない、最低限の言葉だけでここまで人の心を動かすなんて、やっぱり凄い。
あの人にとっては、能力なんてオマケみたいなものだ。
「やっぱりカッコいいなぁ」
私って、結構男を見る目あるよね!なーんて、ふざけてる場合でもないか。
ありがとうございます、上乃さん。
私、行ってきますね。
目尻に溜まった涙を袖で拭った私は来た道を引き返す。
もう、足の震えは無くなっていた。不安も恐怖も。
でもやっぱり、怒った初春を想像するとちょっぴり怖いかな?
∞
かつて、ここまで(社会的に)の危機に陥ったことがあるだろうか。
俺の目の前には、今にも俺を通報しようとしている女の子がいる。
そもそも、何故このような状況になっているかと言うと。
それは日用品の買い出しに出掛けた時の事だった。つい最近、喫茶店でハッスルしていた風紀委員の黒子ちゃんが不良に蹴り飛ばされている現場に遭遇したのが切っ掛けだ。
見てしまったからには、見て見ぬふりをするのも後味が悪い。まぁ、不良を退治するのは慣れたものなのでサッサッと片付けようとしたんだが。
ソイツが思いの外面倒な相手で、然も自分が被害者みたいなこと抜かしやがったから、お灸を据える目的で進撃の世界に放り込んでやったんだよ。
いやー、生であの気持ち悪い巨人見ると可笑しくてね、つい指差して笑ってしまった。
ほんと、揃いも揃っておもしれぇツラしやがって。
でも、不良が食われそうになった時は流石に怖くなって止めたけどね。
やっぱり、高くて安全な場所だったとは言え、進撃の世界なんて物騒な世界は、あまり行きたくないな。
と、言う訳で、不良への制裁が終了してね。黒子ちゃんにやりすぎだと注意されてしまった。助けてやったんだから、お礼を言うのが先でしょうに。だがそんな事はどうでもいい。俺は、再起不能になった男に色々と質問する黒子ちゃんの話を聞いていると、どうやら今回の一件は前にも聞いた幻想御手なる物が絡んだ事件だそうだ。
そして、また長時間も事情聴取されるのを嫌った俺はバレないよう現場を後にした。
適当な路地裏に入って本来の目的である買い出しに戻ろうとした、その時に冒頭の女の子と出会った。
そう言えば、この子も黒子ちゃんと一緒にいたから風紀委員なのだろうかと呑気に思っていると。
彼女が今、ここに居る理由が分かってしまったのだ。
俺はバレないように逃げてきた筈なのだ。だから、こうして路地裏で鉢合わせすることなど有り得ない。むしろ彼女は現場から動くはずが無いのだ。
それがここに居る理由。
それは━━━━━幻想御手を使っている容疑者として追ってきたと言うことだ!
もう、そうとしか思えない。てか俺自身、疑われるような事しかしていないことに気づく。
幻想御手が流行ってるこの時期に突然現れたlevel5。
何故か幻想御手の取引現場に居合わせた偶然。
そして、犯行現場からコッソリと逃走。
もう黒ですやん!自分で言っててなんだけど俺を疑わなかったから誰を疑うんだよってレベルで真っ黒じゃん!
「何で……こんなところに居るんですか?」
「………」
ほら、やっぱり俺の事を疑ってるよ。
どうする、ここで下手な事を言えば俺は即逮捕されるかもしれない。勿論それは冤罪だが、日本というのは恥の文化だかなんだかしらないが、疑われただけで社会的地位が死ぬような国だ。
それは万が一にも避けなくては………!
「………幻想御手って、そんなに悪いんですか?」
「………」
ん?何だ、どういう質問だ?
「何かに縋るのが、そんなに悪いことなんですか……!」
………そうか、分かったぞ。これは思想調査だな!
まだ、俺が幻想御手を使ったかどうか確信が持てないから、こうやって鎌かけてんだな。
ほら今にもポケットに入ってる携帯で通報しそうだよ。
「………幻想御手は、良くないものだ」
「ッ!」
はん!そんな手に引っ掛かるか、今日の俺は調子がいいんでな、変な事は口走らないぞ。
だから通報だけは勘弁してくれ!
「そう…ですよね。やっぱり………。へ、えへへ!分かってましたよそんなの初めから。
ハイ、どうぞ!」
彼女は、徐に拳を突きだした。
まさか、現物がある振りまでするとは、そこまでして俺を嵌めたいのかこの子は……!
「どうしたんですか?これ、幻想御手ですよ」
「………」フルフル
「何ですか、それ。まさか、いらないんですか……?」
いるわけねぇーだろ!それを受け取ったが最後、俺をブタ箱にブチ込むつもりの癖に白々しい。
………ふぅ、落ち着け俺。このままだと何時俺の体が口を滑らすか分かったもんじゃない。これは思想調査だ、なら逆に俺が諭してやれば全て解決する筈。
「泣く人がいるだろ」(主に俺が)
「え」
どうだ?少ない文字数で最大限の効果を発揮する言葉を選んだんだ、これで決まりだろ。
ほら、悔しそうに俯いて震えていやがるぜ、笑いが止まらんなぁ!ハッーハハハハハ!
「あの、すみません。ご迷惑お掛けしました!」
━━━━━━勝った
謝罪したということは諦めたということ、俺は意気揚々と路地裏から立ち去る。
でもまさか、恩を仇で返されるとは、恩知らずな子だなぁ。
人が多い表通りに出た俺はこの世界の子の薄情さ加減に嫌気が差してきた。
そんな事を思いながら歩いていると、そう言えばと思い、ポケットからある物を取り出した。
さっき不良を懲らしめた時に拾ったんだけど、誰のだろうな?この
にしてもこの世界の物は何でも小型だなぁ、
どんな曲が入ってるのか気になるけど、イヤホンなんて持ってないし、コレどうしようか?
「あの、すみません。ちょっとよろしいですか?」
音楽プレーヤーの処分に困っていると、見知らぬ男性が声を掛けてきた。
何の用事だろう?
「実はですね、私達そこの路上スタジアムでライブをする予定なんですけど、肝心の音源の方を忘れてしまって。そこでお願いなんですが、貴方が持ってる音楽プレーヤー貸してもらえませんか?」
路上ライブか?男の後ろを見ると広場の中央に即席のライブスタジオが出来上がっており、そこに彼のメンバーと思われる人達が困った表情で話し合っていた。
うーん、貸すのはいいんですけど、知らない曲でも大丈夫なんのだろうか?
「大丈夫です!即興で演奏するのでどんな曲でも問題ないですし、本来使う予定の物が届くまでの繋ぎに使うだけですので」
繋ぎって、何れくらい?
「い、一時間程です……」
それって遅すぎるんじゃあ?でも、別にいいか。丁度処分に困っていた所だし、コレあげますよ。
「ありがとうございます!おーいお前ら、曲が手に入ったぞー!」
元気な人だなぁ。おっとそうだ俺も買い出しに行かなくちゃ。
その後、彼らのライブは大盛況で、沢山のファンと風紀委員、警備員を交えた大成功を迎えたそうな。
さて、最後は少し駆け足気味になってしまいましたが、どうでしたかね?
前回の予告通り、地獄を見せれたでしょうか?作者の中での一番地獄の世界を選んだつもりのなのですが、ちと優しすぎましたかね?
感想お待ちしております。
今回、重大な見落としがあるとご指摘頂き、それに対して言い訳を説明させてもらいます。
本来なら金髪の男の能力が異世界に行った時点で、使えなくなるか、劣化する筈だったのですが。それを失念していて普通に能力を使っちゃってるんですよね。
ですのでこう考えてください。
幻想御手を使った人達の中には、それのお蔭でコツを掴み能力を向上させた人達がいるそうです。
ですので彼は、あの土壇場で能力のlevelが上がったんです。
そういことにしておいてください(震え声)。
すいませんでした。