決して語呂が良かったからだけじゃないです。信じてください。
プロローグ
「はあっ――――はあっ――――!!」
私は馴染み深いこの木組みの街を全速力で走っていた。何故か?
それは私が今、“ある人物”に追われているからだ。
時間は数分前に遡る。
バイトの帰り。いつもより遅くなってしまい日は西に大きく傾いていた。そこで人通りの少ない裏路地を近道に使おうとしたのが失敗だった。
その人物に会った時、私は反射的にいつも携帯している愛用のモデルガンを向けた。
しかし意味は無かった。
それでも震える手で銃口を向け続けずにはいられなかった。
そもそも普段ならよっぽどの時か心許した知り合い以外に向けたりしないそれを躊躇無く向けたのは訳があった。
それは、
「何やってるんだ、私は“ワタシ”だぞ? その銃に弾が入っていないことぐらい知っている」
そう、相手は“ワタシ”だったのだ。
「ああっ! クソ! 何なんだよ一体全体!?」
私以外に“ワタシ”がいるはずなんてない。そんなのは怪談やお伽噺の世界だけだ。そう自分に言い聞かせる。
でもあの口調や仕草はどこまでも私でワタシで私がワタシ私わたしワタシ私わたし私ワタシワタシワタシワタシワタシ―――――――
「うぁあああああぁあああぁぁ!!」
もうパニックで頭がおかしくなりそうだった。
そんな状況で私の体を動かしていたのは「アレに捕まったら最期だ」という本能的な恐怖からの警報だった。
我武者羅に街を駆ける。恥も外聞もなく一目散に逃走する。
普段はバイト先の年下の女の子に偉そうにミリタリ知識や親が軍人であることを自慢している癖に、これではただの負け犬だ。
そう頭で考えても心はどうしようもなく恐怖に屈していた。私はこんなに弱かったのかと自分で自分に失望した。
入り組んだ細い路地何度も曲がり、石畳の階段を駆け上がる。
そこでようやく息を吐く。他人より体は鍛えていたつもりだったが流石に数分? 十数分? を休まず全力疾走すれば息も上がろうというものだ。
息が整ってきたところで振り向き後ろ、厳密には階段の十数段下を見下ろす形になるが背後を確認する。
何かが追ってくる気配は、無い。
やっと撒いたか、と安心して顔を上げ、正面を見た。
「あ」
そこに“ワタシ”がいた。
“ワタシ”の姿は次の瞬間人型の虫のような怪物に変貌し、禍々しい爪を振り下ろした。
咄嗟に回避できたのは奇跡といっても良いだろう。
それ程の不意を突かれた一撃であり、明確な殺意だった。
だが回避といっても後ろに倒れ込んだだけだ。
そしてここは階段の最上部。
結果、私の体は高所から真っ逆さまに投げ出された。
受け身を取る余裕無し。
このまま落ちれば良くて脊髄損傷による半身不随。十中八九で死ぬだろう。
いや、どちらにしても目の前の怪物に殺されるか。
嗚呼なんとも情けなくつまらない最期だろう、と私は自分で驚くほど冷静に思考していた。
これが諦観というものかと独りごちる。
――――――――やけに落ちるまでに時間が掛かる。
これが走馬燈なのかな、と気付いたところで今までの人生を振り返る。
・・・・・・・・・・・・うん。
決して楽しいことばかりではなかったが、悪くない人生だった。
最後の最後まで頑張って一生懸命に生きたし後悔なんて・・・・・・後悔なんて・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・いやだ・・・・・・まだっ・・・・・・死にたくないっ!」
一粒、瞳から溢れた滴が停滞した時の中に舞う。
しかし、いくら体感時間の流れが遅くなろうと時は止まらない。
私の儚い願いは重力に抗えず、空しく粉々に砕け散った。
――――――――――はずだった。
いつまで経っても決定的な瞬間が訪れない。それに疑問を持つとふと自分の体の浮遊感に気が付く。正確には誰かに抱き上げられているような・・・・・・
「・・・・・・!」
始めは薄目、次に見開く。目の前にあった“紫の仮面”に驚愕し、息が詰まる。
仮面の主は何者なのか? そもそも人間なのか? とさっきの怪物のことも自分が世に言うお姫様だっこされていることも忘れ、グルグルと巡る思考が空回る。
そんな混乱は、階段下近くのベンチに優しく座らされたことで中断される。
「そ、そうだ! あの怪物はっ!?」
だがそれによって怪物のことにやっと頭が回り、私は周りを警戒するように見渡す。
しかし慌てる私とは対照的に紫の仮面の主、いや全体像を見て分かったがどうやら全身を覆う紫色を主とした特殊スーツ・・・・・・ライダースーツにも似た装備で身を包んでいるらしい(場違いにも格好いいなどと思ってしまった)。
彼は一言も語らずスッと丁度階段下付近に当たる場所を指差す。
そこには彼のスーツと同じカラーリングを基調としたメカニックな剣が石畳に突き刺さっており、垂直に切っ先が刺さる根本には緑色の体液のようなものが広がっていた。
「もしかして、貴方が?」
続く言葉を察したであろう彼はまたしても黙したまま首肯し、役目はもう終わったとばかりにこちらに背中を見せ歩き去ろうとする。
「え? 待っ、きゃ!?」
仮面の主が剣を引き抜いた所で呼び止めようと立ち上がろうとする私。
しかしどうやら完全に安心しきったがために腰が抜けていたらしく、ベンチの上で滑りながら意図しない嬌声を漏らしてしまった。
男勝りと自覚している自分には不釣り合いな少女めいた失態に顔の紅潮が耳まで昇る。
仮面の騎士(剣を携える様は正しく騎士・・・・・・にその時の私には見えた)はそんな情けない私の姿を見て「ふっ」と笑う。
その彼が間違いなく一人の人間である事を証明する言動に私の羞恥心は加速し、顔を朱に染めたまま何も言えなくなってしまう。
そんな私を置いて再度、彼は背を向ける。
「あっ」
待って、の一言も言えず、私はただその頼もしくもどこか寂しげなその背中を見つめることしかできなかった。
感謝の言葉一つ、言えなかった。
そして、霞が晴れるように彼の姿は消え去った。
まるでここで起きたことは全て幻だったのだ、と囁くように・・・・・・。