「――ふむ、まぁ
戦場に放っていた使い魔の映像から、ガラクタに成り果てた戦闘人形を見下ろしている。
アレは元々、素体を私産の大部分をはたいて買い取ったものであり、それに私が召喚した英霊が擬似霊格を挿入したものだ。
戦闘能力の付与、パラメータの誤魔化しも全てサーヴァントによるもの。道具作り自体は得意ではないと聞いていたが、魔術に関してはやはり最強の手札であろう。
まぁそれも、魔力が尽きてしまえば何の意味もないのだが。
「流石だなキャスター。君の魔術で、しっかり他の連中はアレをセイバーだと思い込ませることができた」
だが当面の問題は鎖を放った魔術師である。あの様子では、きっと此方のカラクリにも気付いているだろう。
しかし、彼女を警戒する理由はそれだけじゃない。なにせ
「……いやでも、これはこれで面白いな? まさか本当に私にあんな可能性があったなんて。よくもまぁ、起源に覚醒しなかったもんだ」
「――! ……、……!」
「うん? なんだ、やっぱり人語は理解できてるのか、お前」
傍らの檻に入れたままの獣が珍しく反応した。直感に従ってついでに持ち出してきたモノだが、その正体を看破したサーヴァントから伝えられた情報で、きちんとこれは計画の保険に成り得たのだ。
檻にはコレの特性を刺激しないよう、厳重な結界をかけられているが――計画の進行具合によっては、解除せざるを得なくなるだろう。もっとも、現段階ではその必要は皆無だが。
「けど、彼女が来たってことは私の計画も認められたってことだ。嬉しいねぇ、そうは思わないかいキャスター?」
と、再度声を掛けてみたものの、返事はない。
当然の結果である。なにせ返事を出来なくさせたのは他ならぬ自分のせいだ。
むしろ声をかけて、わざわざ命じた仕事を邪魔することになれば本末転倒モノ。順調に進んでいるならば、極力関わらず、私はただ見届けることに専念するべきだろう。
……だが聖杯戦争の幕が上がった以上、さっさと英霊を片付けるのが賢明だ。中身なしでは、願望器もその力を発揮させることはできないのだから。
「――そうだな。そろそろ君も動くべきだろう、キャスター。いつまでも引き篭もっていては健康に悪い」
サーヴァントに健康面を心配しても仕方ないのだが、と内心で一人ごちる。
すると、今発した言葉を命令と受け取ったのか、サーヴァントが作業を停止して此方に振り返る。
その瞳に感情の片鱗は感じられない。
纏う魔力には何の意志も乗せられていない。
その立ち姿は、まさに次の指令を待つ操り人形が如く。
一年間の準備期間。
そして開幕した聖杯戦争。
まず優先するべきは――聖杯の器の獲得か。
嫌な予感がして目が覚めた。
とにかくヤバい、これはヤバいぞ、ヤバい事態が起きてるぞー、という本能的な警告だった。
この身体が出来る限りの力を込めて起き上がり、ふらふらとした足取りで、しかし点滴の支柱を握ってしっかりと床を踏みしてめて歩く。
漠然とした嫌な予感。嫌な気配。
また
「殺菌! 消毒! 殺菌殺菌殺菌殺菌消毒消毒消毒消毒ッ!! 不衛生環境は滅すべし!!」
「ほァァ……ごぉォ……!!」
――静かに風呂の扉を閉めた。あの妖怪ジジイが治癒魔術連発の暴力と、エタノールの滝で浄化されかかっている光景など、一体誰が予想しえようか。
ここは最早我が家ではない。いや、我が家だとは死んでも思いたくない劣悪環境だったが、それとはまた別の意味で生まれ変わろうとしている、この館は。
バーサーカー。真名、ナイチンゲール。
間桐雁夜が呼んだのはそんな、騎士でもましてや兵士でさえない看護師だった。
そりゃあ勿論、始めは絶望した。というか、ジジイがアニムなんとかという家系のせいで良い触媒を用意できなかった、と聞いた時から嫌な予感しかしていなかった。
即製の魔術師である俺が、まさか触媒なしで強力な英霊を呼ぶなど不可能に等しい。
つまり聖杯を勝ち取るなど夢のまた夢。
助けたかった一人の少女を、こんな地獄から救うなどできるハズもない――
――なんて思っていたが、割とどうにかなっていた。
「本格治療を開始します」
召喚して最初の言葉がそれだった。貴方が私のマスターか、みたいなお決まり文句もなく、この世に顕現した途端、彼女は「治療」を開始した。
正確には、呼び出した張本人である
「ごはァッ!?」
唖然としていた此方にいきなり腹パンを決められたのは今でもそう良い思い出でもない。
しかし令呪を使う暇も、そんな余分な意識を残さないほどの綺麗な一撃は清々しささえあった。あんな経験はもう二度とごめんだが。
――そして気がついた時には自室のベッドの上で、点滴をされた状態で横になっていた。
当然すぐ行動した。召喚した前後の記憶が曖昧になっており、失敗したのではないか、という不安があったからだ。
だが部屋から一歩出たとき、不安より驚愕が勝った。
……屋敷の中に陽射しが差していたのだ。
生まれて何年もの間、暗く湿った雰囲気で閉ざされていた間桐家。
それが、カーテンは全て開け放たれ、どこかしら館内もすっきりとした雰囲気に生まれ変わっていたのである。
「なんじゃこりゃ……」
そう、数秒思わず呆気に取られてしまうほどの大変化だった。カーテンを開けるだけでここまで部屋の雰囲気は変わるのか、という事実にも驚いていた。
もしや全く違う家に運び込まれたんじゃないか、という錯覚さえ起きる始末。しかしどこを見ても、そこは見慣れた我が家に他ならなかった。
「か、雁夜……! 貴様、早く令呪を……!!」
よろよろとした、これまでに見たことのないほど弱々しく杖をついて廊下の奥から歩いてきた祖父の姿は、本当にただの歳を食った老人にしか見えなかった。
あまりの様子に敵襲か、と一瞬思いかけたその瞬間、爺の後ろに立つ黒い影。
「――対象、発見しました。殺菌します!!」
ガッ、と熊のような迫力と威圧感で爺の頭を引っつかむ英霊。
詠唱しようとした爺を容赦なく叩き伏せ、肩に担いでどこかへ去っていこうとしたとき、やっと脳が現実の認識に追いついた。
「ちょ、ちょっと待った!! アンタ、俺のサーヴァントなのか!?」
思わず叫んだが、不思議と呼吸は以前より楽になっており、魔術の修行を受ける前とほぼ変わりないぐらいに回復しているようだった。
振り向いた、軍用コートを羽織る彼女は、無表情で――
「――ご安心を。私が来たからには全ての命を救います。全ての命を奪ってでもそうします。この館は不衛生極まりなかったので、ひとまず環境の改善から行いました。患者の治療が終わり次第、地下を丸ごと焼却する予定なのでお覚悟を」
「……はい?」
地下? 蟲蔵のことだろうか? ショウキャク? さっぱり意味不明だった。というか、会話さえ成り立っていないようだった。
結局その時はサーヴァントか否かを聞きそびれたが、まぁあの妖怪ジジイを叩き伏せる辺り、本当に英霊なのであろう。バーサーカーなのに理性を失っていなさそうな点は疑問だったが、意思疎通がほとんど出来ないので、やはりアレはバーサーカー……だろう、きっと。
――で、先日の聖杯戦争初戦。
俺は下水道で待機すると言った途端、「頭の治療が必要ですか?」とメスを構えられたため、渋々自分は家の自室で休養を取りながらの観戦となった。
……ちなみに、彼女を戦場に連れ出そうと説得する時も相当な労力を費やしたのは言うまでもない。最終的には「聖杯戦争という病を治療する」、などというよく分からない結論によって納得してくれたが。
で、使い魔の「
……その間、令呪を使おうかと何度も迷った。だが、時臣の野郎より先に絶対命令権を失うなど愚の骨頂。とにかく俺が令呪を使うのは奴が消費してからだ、という子供のような意地を張り続けた結果――まぁ、上手くいった。結果的には、奴の顔に泥を塗ることはできた。
だが足りない。結局アーチャーが撤退した理由は、あの謎のセイバーらしき英霊によるものだったからだ。
彼女が帰ってきたとき、当然抗議した。何故アーチャーを攻撃しなかったのかと。そもそも眼中にさえ入れていなかったのかを。
――はい。しかし私の役目は患者を救うことです。あの戦場の中、一番の重症患者はセイバーでした。いえ、そもそも戦とは無縁の場所で生活することを全員に私は推したいのですが。
まるで話にならなかった。そう、とにかく彼女は「看護師」なのだ。戦士ではないが、しかしそれでも傷つく者を癒すために彼女は戦い続けるのだ。
……まぁ、触媒なしで召喚の儀を行った俺のところに来た理由が、「患者だったから」という無茶苦茶な縁を辿ったというのだから、そこら辺、彼女は本気も本気なのだろう。
無論、令呪の使用の誘惑がよぎった。何がなんでも、この後はアーチャーを一番の攻撃対象にしろ、と。
……だが。そんなことをする前に、既に此方の状況は変わっていたのだ。
「カリヤおじさん」
その声で回想から現実に戻ってきた。
目の前にいるのは、そう。
遠坂家から養子に出された少女。俺が聖杯戦争に身を投じる理由そのもの。
俺が助けたいと願った一人の少女――桜ちゃん。
「あぁ、桜ちゃ――って、あれ。見ない服だね?」
「うん。あの看護師さんに着てなさい、って言われたの」
そっかー、やっぱアイツかー、と遠い目をしてしまう程度には、今の桜ちゃんの格好は、普通の子供が着用するものとは全く違っていた。
――というか、完全に防護服だった。真っ白な、ヘルメットを被っている、あれ。
「……それ、苦しくないの?」
「うん、大丈夫だよ。むしろ呼吸が前より楽になった気がするの」
なんだかんだ狂った発言をしつつ、彼女はしっかり看護師の任を全うしているらしい。
全うし過ぎなのが問題なのだが。
「――ふふふ。俺の聖杯戦争、終わったんじゃね?」
軽く苦笑する。
なんだか爺はエタノール風呂にぶち込まれているし、常時アルコールに浸っていた兄貴でさえも、今はナイチンゲールのおかげで少しずつ回復してきたらしい。事実この前、俺と同じように点滴を打って、庭の方を散歩している姿が見受けられた。まあ、俺との確執は消えたワケじゃないので相変わらず言葉を交わすことはないが。
俺の身体の調子も、少しずつだが好調に向かっている。点滴にはどうやら魔力が込められているらしく、体内の虫共をおとなしくさせてやる作用があるらしい。
あの看護師個人としては、体内の虫そのものを消し去りたいと言っていたが、流石にそれをされると俺は魔術を使えなくなるので全力で拒否した。よって、ひとまず俺の血肉を食らわないよう、代用の餌として魔力の点滴を打っているのが現状だ。
「……でも、やっぱり、」
遠坂時臣には、桜ちゃんにした事に対する贖罪が――
「――本日のノルマ、達成です。しかし未だ効果は薄いと思われます。やはりあの蟲を直接浄化してしまった方が早いでしょう」
風呂場からナイチンゲールが戻って来た。
今の彼女は長い髪を一つに纏め、三つ網の状態をさらに括っているような髪型だった。作業中は、大体この格好で通しているらしい。
……しかし、蟲? とは、何だろう。
「コレのことですが」
などと、彼女が腰に下げている鞄の一つから取り出したのが、何やら気持ちの悪い蟲の入った瓶。
キシシシ、とぞっとするようなおぞましい鳴き声は――どこか、助けを求めているような気がした。
「どうしたんだこれ。俺の使い魔じゃないっぽいけど……」
そもそも見たことがない。下の蟲蔵にいる奴等とも、また種類が違うようだ。
「
「はい――?」
彼? この蟲には、自我があるというのだろうか?
というか、桜ちゃんの心臓!? なんてことだ、こいつも臓硯の野郎に仕込まれた蟲の一匹か!?
「……バーサーカー、そういうのはさっさと処理しとけ。魂が病んでるって言っても、こんなのの魂を浄化したところで何になるっていうんだよ。瓶に閉じ込めるより、さっさとトドメを刺してやった方が楽じゃないのか」
「しかし、患者の一人には違いありません。救える命なら、救うべきだと判断します」
「……じゃあ、これを直接浄化してやったらいい。それでこいつの魂が救えるかどうかは知らないけど、まぁ、最後の慈悲って奴にはなるだろう」
俺がそう告げると、彼女も納得したのか軽く頷き、瓶の中の蟲はのたうち回っていた。
そんな蟲の行動に首を傾げたが、既に瓶越しにナイチンゲールがなにやら詠唱をし、一瞬の閃光の後、完全に蟲はこの世から消え去っていった。
どうか良い来世を、と軽く心の内で唱え、さて、とナインチゲールに今夜の予定を尋ねようとし――
「では、行きますよ指揮官。次は地下の不衛生物質たちを焼却します」
ゴトン、と器具を準備するサーヴァント。どう見ても火炎放射器にしか見えなかった。
「あぁ、へぇ……そう」
確かにあの光景は見てて吐き気がするし、今なら爺も邪魔できないだろうし、良い機会だろう。いっそのこと、もう館のことはこの英霊に任せていいかもしれない、と思うぐらいには、俺も彼女を信用してきていた。
聖敗戦争開始二日目、否、俺が英霊召喚を行ってからというもの――
――間桐家は、平穏の兆しを見せていた。
婦長強ぇシリーズ2。ぶっちゃけ四次軸にナイチンゲール召喚したら色んな問題が解決するんじゃないだろうか。
……最終回じゃないよ?