――そこは戦場だった。
金属と金属が打ち合う音。
轟音を響かせながら、大地を抉り取っていく神秘の猛威。
深い森であった此処は、今やその木々のほとんどが消し飛ばされており、かつての面影を知る者が見れば卒倒してしまいそうな地獄絵図を作り上げていた。
始まりの御三家の一つ、アインツベルンが所有していた土地。
市の郊外にあるこの場所は、たとえ聖杯戦争が開催されていない時期でも、地元住民が訪れることは極めて稀だ。仮に訪れたところで、そこに住み着く魔術師の結界内である領域に足を踏み入れることはまずなかろう。
……最も、その結界は既に跡形もなく破壊されているが。
「ふっ――」
戦場には、人影らしきものが二つ。
一人は地上を駆け抜ける長髪の英霊。大地から数千の武具を生成し、降り注ぐ雨を打ち払うと同時に、対象へ向けて容赦なく剣と槍の雨を射出する。
「■■――」
もう一人は天空にて黄金の船に騎乗する影。正確には、かつて英雄王と呼ばれたモノの――残滓、というべき存在か。
だが残滓といってもその能力は何の劣化もなく、やはり無尽蔵に蔵から武器を放出している。
射出速度は両者共に必殺。
エルキドゥは大地と一体化しながら槍と鎖で相手の船を追撃し、また英雄王は蔵の扉そのものの位置を敵の間近に固定、あらゆる方角からの射撃を可能としていた。
無論、周りの被害は尋常なものではない。二人の通る道は問答無用で荒地となり、また強力過ぎる武具の打ち合いによってあちこちで爆風が発生、既に数個の竜巻を生み出しながら森を蹂躙している。
「ああ――」
だが、英霊たちの口元は背景に合わず綻んでいた。
再会の喜びという感情も含まれているのだろうが、なにより今ここで相対しているという事実そのものが喜ばしい。
語らいだろうが抱擁だろうが殺し合いだろうが、この二人の間では全て等価値。
互いで殺意を以って刃を向けようと、たとえ心臓を抉り出そうと、その友情には一点の曇りも現れない。
「――楽しいね」
聖女のように微笑みながら、緑の英霊は空を翔る
それらを船に搭載されている迎撃システムが打ち落とし、次いで、追いかけてくる鎖や槍を砕かんと宝具の群れが展開されていく。
船に乗る王の手には一振りの剣。
それこそ、かつて天と地を切り裂いた対界宝具――乖離剣エア。
英雄王がそれを使うのは、彼が英雄と認めた者のみ。
それは同時に、彼が「全力」で戦うことを意味している。
「おや」
船を追撃していた武具たちが全て落とされたその瞬間、空白の時間を作ることなく大地から槍の群れを射出するエルキドゥ。
――が、それすらも乖離剣の発生させた風の断層に弾き飛ばされた。
黄金の船が空中で動きを止め、一ヶ所に収束していく魔力の気配を感じて泥人形も足を止める。
相対する親友が行おうとしているのは、もう
天を裂き、地上を抉る地獄の再現。
それもなお被害がこの森に留まっているのは、それに対抗しうる力を持つエルキドゥが上手く相殺しているからだろう。
「来るのかい? なら、こちらも応えよう」
言うと同時、彼の周囲にマナが満ち始める。
自身が宝具と化して放つ一撃。世界を貫き縫いとめる楔。
此方も既に三度となる解放だ。この短時間でそれほどの魔力を消費してもなお、彼が変わらず立っているのは勿論契約している魔術師からの魔力提供があってこそ。
……魔力枯渇で瞬間的に命の危機に晒されていることを、契約者自身はあまり意識してはいない。ちなみに彼女が未だ存命しているのは、超級魔術礼装からの無限魔力供給が働いているためである。
「――“
魔力が満ちる。
天空では風の断層が空間を巻き込んだ歪みを形成し、地上では一人の英雄を核とした巨大な光の槍が顕現する。
『――令呪を以って命ず』
しかしその瞬間、エルキドゥに呼びかける声があった。
魔力
滅多にないことに彼は僅かに首を傾げながらも、魔力の出力は抑えることなく静かに言葉の続きを待ち、
『ランサー、親友を連れて荒野世界へ転移しろ』
紡がれた命に心を躍らせながら、一層強化された宝具を撃ち放った。
「”
令呪の後押しを受けた抑止力の力を流し込んだ楔は、一層威力を増して天へと突き進む。
剛撃は星を裂いた斬撃に真正面から激突し、互いの宝具のエネルギーは完全に相殺され、霧散した力は周囲に竜巻を巻き起こしていく。
――そうして、乖離剣の嵐を抜けた先。
展開されていた全ての盾型宝具までもを破壊し、彼が英雄王の元へと至った瞬間――
その場所へと、行き着いた。
生命の気配を感じさせない荒野。
地上全てのものを侵し、支配した果ての世界。
踏み入れた者を問答無用で死に絶えさせる魔の領域。
先ほどまでの夜の森などどこにもない。
強制転移。令呪による効果の条件が揃った途端に発動した一つの奇跡。
その条件を満たしたからには、英雄王もここへの転移を余儀なくされていた。
……そして当然のことだが、この
赤く染まった天と荒廃した大地の中心地。
七つの頭、十の角を持つ緋色の獣が其処に顕現していた。
「これは……」
砂塵舞う地上に着地し、エルキドゥは「それ」を見る。
熊のように毛で覆われた太い四肢、豹のような頭と銅、獅子が如き牙を持つ七つの頭部と、それらから生えている十の角。
人の身ならば見るだけで呪いに侵されるおぞましき獣の姿。
彼の者こそ、大いなる竜から玉座と権威を与えられる終末世界の王である。
……ただし、その背に悪の源である女は騎乗していない。
それもその筈、現在この世に現界している彼は、ただ「女」が生まれ落ちたことに引っ張られて顕現しただけの存在だ。
街を喰らい、人を殺す本質だけは人がいる限り決して無くならないが、同時に今は本体の「影」であるが故、霊基は強大であれど、所詮その格は英霊に等しいものと化している。
侵入者の気配を感知したのか、一層強い咆哮で炎の嵐を発生させる獣。
それはこの世に生きる生命であるなら、即死は避けられぬ一撃であったが――エルキドゥは、それを本来持ち得ないスキルで受け流す。
別世界にある月世界で構築された“単独顕現”スキルに格納されている即死耐性。
無理矢理にだが、この彼の霊基にはそれが刻み込まれていた。
「……全く。マスターの無茶振りにも困ったものだね」
クスリと笑いながら、受けた傷を自身の再生能力で治癒するエルキドゥ。
耐性があるといっても、それはサーヴァントからの攻撃に他ならない。即死することはないものの、負傷箇所があれば彼でもやがては力尽きてしまうだろう。
しかし、こと彼の本質は獣と相性が良かった。
人類悪――人の文明から生まれた、人類
対して、エルキドゥの宝具は
……で、あるならば。
粛清する兵器として生まれた泥人形が、この赤い獣に会うのは必定。
そして、獣が天からの裁きによって消滅するものも、また運命。
「けどこれは、斬りがいがありそうだ」
身体の正面で手の平に拳を打ちながら、獣に相対する神造兵器。
幸い、この場には唯一無二の親友もいる。決闘と粛清――どちらを優先するかなど、彼の中では決まりきったことだが、こんな状況に放り込まれたのならば、取るべき選択は一つだけ。
決闘の続行ついでに人類悪を滅ぼせばいい。
これは、それだけの話である。
――かくして、黙示の獣との戦いは幕を開ける。
原初の地獄で紡がれるは創世の叙事詩。
鉄の杖を持たぬ獣はここで打ち倒される。
かつて苦楽を共にした二柱の英霊は、全身全霊でぶつかり合う。
終末の刻は近く。
地より出でる三つ目の災害の顕現を知る者は未だ一人。
その災害を打倒せんと、聖杯に招かれた最後の英霊が現界する未来も遠くない――
「おい、深山町が塗り潰されたぞ」
「新都は食われてないからセーフ」
なにがだよ、と呆れ返ったような様子の、しかし呻き声に近い返答が肩越しに聞こえる。
現在地は地上から離れた遥か上空の位置。冬木大橋の頂上より上の高さであろうそこで、円蔵山向けて私たちは進んでいた。
先行しているのは外界からでも獣の大きさを把握できるソロモン王。ただ、流石飛び慣れているためか足は速い。確かに急ぐに越したことはないのだが、もう少し手心というか、気遣いが欲しいところである。
なにせ、こちらは肩にウェイバーを担いでいるのだから。
「なぁウェイバー。重さについて云々言うつもりはないけど、せめてこのマントどうにかできないのか。ていうかこれでお前を巻いちゃダメか。あとフォウ邪魔」
「フォッフォーウ」
「し、仕方ないだろ! これは気が付いたらあったっていうか……いや、巻くって何だよ!?」
「ジャパニーズフロシキ。つか、ほんと何なんだこのマント。戦利品?」
「知らないよ! 擬似サーヴァントになった影響というか……それとも宝具が使えるようになったから、かな……」
『ずっと残るものだったら聖遺物扱いですよね、これ』
まぁ、魔術協会の人間が見れば喉から手が出るほどには貴重なものだろう。
その辺り、ウェイバー自身は協会の人間だが、別段研究対象にしようとかそういう思考はないらしい。むしろ家宝的なものとして大事にとっておきそうだ。
……最も、サーヴァントの現界期間は基本、聖杯戦争開催中なのでそんなことはできないと思うが。
「……はぁ。けどまさか、飛行能力の付与が霊体のサーヴァント限定だったなんて……」
「しゃーないしゃーない。それに飛行っつってもなぁ、無い地面探して歩いてるようなもんだから割とコツ掴むの難しいぞ。体重を前にかけながら進んでるっつーか」
擬似サーヴァント、つまり完全な英霊ではない“生者”であるウェイバーの肉体には、ソロモンによる魔術行使の恩恵が効かなかった。
身体がエーテルで構成されている英霊たちにはきっちり「飛行」能力が付与されたものの、こうして飛べない彼は私が運搬することとなっている。
魔術王が召喚した使い魔の力は、序列25番の大総裁・グラシャラボラス。
彼の魔力が十分にあったのなら、透明化もアンデルセンの手を借りることなく発揮されていたのだろうが、生憎と現在は飛行スキルの付与が限界だったという。
……それでも並の魔術師からしてみれば、複数人に対する飛行能力を即座に授けるなど
非常識もいいところである。人がそれを実現するまで、一体どれほどの労力と時間をかければいいのやら。
ちなみに、他三体のサーヴァントたちも後ろに続くように空を翔けている。
そちらに関しての飛行付与は問題ないのだが――結局、どうしても婦長が
「せんせー、精神年齢的に年下の女性に運ばれてる気分はいかがですかー?」
「楽ではあるが筆舌に尽くしがたい……! ええい、折角の飛行チャンスだというのに何故こうなった!?」
「足を負傷している者に、空であろうと歩かせる訳がないでしょう。早くそちらの腕も見せなさい。抵抗するというのならば切り落とすまで」
利き手は作家の命にも等しいと思うのでやめてあげてほしい。というか、数多の読者からの呪いを浄化するなどできるのだろうか。
そんな看護師と作家の背後には、万が一に備えた警戒状態のアーチャーがいる。遠距離攻撃を可能とする彼ならば、もしも奇襲が発生した時に対処してくれるだろう。
……ま、ソロモンの後を追っていれば結界内に踏み込む危険もなし、上空に行くことで荒野世界を迂回している自分たちに対する奇襲など、それこそ円蔵山に着いてからの話だが。
「ところで、本当にあの中にサーヴァントを放り込んで大丈夫だったのか? 踏み込んだだけで即死するって聞いたけど……」
「アイツには耐性あるから問題ないよ。人類悪への特攻もあるしね。今頃は、友達とどっちが先に獣を倒すか競い合ってんじゃないか?」
「……はぁ、まぁ……なんというか、規格外だな……」
ああ見えてエルキドゥはいざ動くと待ったなし、自重なしのアクティブモンスターと化すので、存分に暴れさせられる状況に適当に放り込んでしまえば徹底的にやってくれる。
しかも英雄王も投入したのでテンションの上がり具合は尋常じゃないだろう。せめて、やり過ぎて新都の侵蝕を完了してしまわないことを祈るだけだ。
……今や、深山町は円蔵山だけを切り取ったかのように、他の領域が荒野地帯になっている。
目的地がはっきり見えているのはこの際ありがたいが、しかしはっきり見えているからこそ、山で起きている異常は遠目でも確認できた。
「おい、なんで無傷なんだ? あの山」
脳内で思い出されるのは、先ほど広範囲に渡って殲滅を繰り広げていた破壊の光。
あれほどの宝具の直撃を受けていたのなら、山が削られていてもおかしくないのだが――一体どういう理屈か、円蔵山はその形を綺麗に残していた。
「“
「聞かなきゃ良かった」
本当に聞かなければよかった。
そりゃあマジモンの“大バビロン”がいるならそのスキルがあって当然なのだ。むしろ、今まで無意識にその現実を直視することを避けていた方が愚かしい。
「ドミナ……? って、なんだよ?」
「まぁ単純に言うと……ありとあらゆる出来事を『なかった事』にするって奴かな」
『おや、詰みましたか?』
「フォウ、フォフォーウ?」
いや――確かに権能級の超抜スキルだが、そう断じてしまうのは早計だ。
大体、私は勝算なしで大ボスと戦うほど酔狂ではない。冷静に戦力を分析すれば、可能性は十分に見えてくる。
「……アーチャー。抑止の遣いなら、どうせ何か反則技持ってきてるんだろ?」
「目敏いな。左様、今の私の霊基には少々特殊な術式が備えられている。あの権能を知っている君ならば、想像くらいはつくだろう」
「――神話礼装か」
答えたのは私ではなく、未だ婦長の手から逃れられていない童話作家だった。
そんなことまで覚えていたのか、と少し驚いたが、記憶などなくても彼の思考速度や推理力なら自力で導き出しそうである。それでも、解説殺しの魔術王がいる限り、いずれは辿り着く結論だったであろう。
「あー……そっかぁ。月にいたってことは、アンタもそういう事になるんだよな」
「私自身にその記憶はないがね。現に此処に“在る”以上、私ではない私が経験したことは座に記録されてはいるのだろうさ」
……彼が現界した理由がなんとなく分かったところで、再度情報を纏めつつ、戦略を練りながら進行していく。
事実上、「十の王冠」のスキルを持つ者は無敵である。がしかし、アーチャーが持ち込んだという神話礼装とは、そのスキルと同等――つまり原初、生前を遥かに越える潜在能力を引き出すことによって、権能自体を無効化するという裏技なのだ。
無論、発動した際の負荷は生半可なものではあるまい。なにせ電脳世界でも、たった一度きりの戦闘で霊基が崩壊するほどの代物だ。
私の知る例のギルギルマンは自らの持つ宝具で何かしたのだろうが、それもあのサーヴァントだからこそできること。
抑止力のバックアップを受けているとはいえ、アーチャーの神話礼装は本当に最終決戦の場面でしか展開できないだろう。
「――荒野領域、通過。地上に降下するよ」
円蔵山頂上に近づき、先頭の魔術王が徐々に高度を下げていく。
山の全体的な被害は修正されているのだろうが、よく見れば一瞬あちこちで光の斬撃がチカチカしており、絶賛戦闘中であることが読み取れる。
なお、柳洞寺の領域には強力な結界があったはずなのだが、それも侵食の影響か、はたまたあっさりソロモンが解除したのか何の効果も見られない。
「む、来るぞ」
アーチャーの警告が耳に入った直後、再び見覚えのある魔法陣が空中に展開された。
軍神マルスの剣。その担い手は文明破壊者アルテラ。
……といってもまぁ、この世界に召喚されているのは、地上で人生を送った方の彼女だろうが。
「――ッ」
円蔵山の一角を吹き飛ばす破壊の落涙。
その強烈な光に目を細めるが、しかし次の瞬間には何事もなかったかのように修復されている。いや、元から無かったことにされたのか。
ウェイバーの方から息を呑む気配がするものの、それを無視して地上――先ほど殲滅攻撃が放たれた地点、柳洞寺境内に向かって降下する。
近寄るにつれ、見えてきたのは白い人影だった。
柳洞寺本堂の西側に立ち、三色の近未来的な意匠を施された長剣を携えた少女。
その彼女が殺気と敵意を向けている対象の姿は見えないものの、大方先の宝具で吹っ飛ばされたのであろう。そうなると……つまりアルテラの方も権能に対するスキルか、
「えーと……着地しても問題ない、かな?」
「この期に及んで邪魔者が来るとは考えないだろう。実際、彼女が今警戒しているのは大妖婦だけだ」
念のための確認を千里眼保有者にとると、一先ずアルテラから離れた後方地点に着地する。
私がウェイバーとフォウを降ろし、続いて隣りにナイチンゲールが来ると、その腕から逃げ出すようにアンデルセンが霊体化した。なんと逃げ足の速い。
「――来たか」
此方に振り返らないまま、前方のアルテラがそう呟いた。
その言葉は私たちという援軍に対してのものであり――同時に、反対側から歩いてきた女性への皮肉が入り混じったもの。
……その女は、赤を基調とした豪奢な衣装を纏っていた。
地に届きそうな長い金髪。視るもの全てを蕩かす、底の見えない虚ろな
顔立ちはどこか、月で出会った薔薇の皇帝を彷彿とさせるが――やはり違う。
これは、目の前にいる彼女は――ネロ・クラウディウスの可能性の一つ。
皇帝ではなく、魔王という存在に捻じ曲げられた人類悪。
栄華繁栄を誘う薔薇。
人間だけが持つ業、堕落の数字を示す獣。
――大いなる母が、そこに君臨していた。