暗黒
「――いつから世界は終末に突入した?」
半ば呆然と、しかし現実を受け止めながら、うんざり顔で童話作家はそう言った。
暗黒の夜。吹く風は強く、街を出歩く人影さえも既にない。
不気味なまでの静寂の世界。何もないように見えて、それ自体が異常である空間。
しかし仮にもキャスターの適性を持つ者として、いち早く彼は冬木市に蔓延する異質な魔力の気配に気が付いた。
「……チ、なんだこの気配は。まるであの毒婦のようだぞ。まさかキャスターのマスターがアレだったとでも言うのか? だが、それにしては終末感を出し過ぎだな。
無人の街、無人の駅、無人の公園! Xデーがこんなに早く来るとはな! あぁ全く、折角脱稿の目処がついたというのに――……」
独り言を発しながら、当てもなく新都を歩き回る少年。
何処に足を向けても、そこに人の気配はない。まるで空気に溶けてしまったかのように、誰も存在していないのだ。
――だが、それは闇に潜む者たちの時間が来たということを指している。
普段、決して光のある方には現れない彼ら。
平穏な日常を過ごす人々も、稀に見かけることはあれど、決してその深淵を覗こうとはしない。覗いてしまえば最後、二度と元の日常には戻れないと本能的に察知するからだ。
影より出でた彼ら。
膨大な魔力で世界を覆う、彼女に惹かれて生み出されてしまった魔物たち。
それらにはもう本能的な「生」の欲求はなく、ただただ
故に、彼らは思う。より強い魔力を彼女に与えたい。だから、彼女の元へ行く前に、何か土産を見つけなければ、と。
「む」
そして、必然的に作家は彼らと相対した。
なにせサーヴァントとは魔力の塊。彼らにとっては、黄金よりも勝る供物に他ならない。
「Guuuuu――――」
駅近くの、街灯だけで照らされている広場。
そこで彼らは一人の英霊を多数で囲み、追い詰め、我先にと一斉に飛びかかる。
――しかし、世界の抑止力は彼らの存在を許さない。
「“
刹那、赤い光の矢が降り注いだ。
彼らの身体を打ち砕き、コンクリートの地面さえ抉る神秘の暴力。
そうして魔物たちは一掃され、粉塵が消えた後には青髪の少年だけが傷一つないまま、そこに立っていた。
「ほう、既に守護者までもが召喚される事態となっているのか。窮地を救ってくれたことには礼を言うが、借しを作るつもりだったのなら助ける相手を間違えたぞ。なにせ俺には筆を走らせることしか能が無いからな!」
「――まさか。私はただ、掃除屋らしくいるべきモノではない連中を排除しただけのこと」
そんな声と共に、赤い外套を纏った英霊が現れる。
オールバックに纏めた白い髪、褐色の肌を持つ男性。
彼こそ人類を存続させるために召喚される抑止の使者。世界を滅ぼさんとする者から見れば、彼はこれ以上とない天敵だ。
「だが、召喚されたはいいものの、本来私が排除するべき標的は既にいなくなっていた。役目を果たすこともできず、ただ街を巡回していた時に、丁度追い詰められていた貴方を見つけた、というワケさ」
「成程な。しかし抑止力による召喚というのなら、この世界についての情報くらいは付与されている筈だ。そしてそれから導き出される今の状況も、お前なら知っているんじゃないか?」
鋭いな、と赤い剣士は軽く苦笑を零し、その視線を少年から外す。
見つめている先は深山町、円蔵山。
まるでそこにいる者を討伐することが、今回己に与えられた役目とでも言うようかのように、重々しく彼は口を開いた。
「アレは本来、とても私のような英雄紛いが相手にするものではないと思うが……こうして召喚された以上、放っておくこともできまい。貴方もマスターがいるなら、放任できることではないと思うが」
「まぁな。肉体労働は御免だが、完成間近の原稿が手元にある今、俺のような弱小英霊でもそれなりの成果を出すことは可能だろう。――で、結局あの山に潜んでいるものは何だ。訊きたくないが、訊いてやる」
嫌々な態度ながらも、核心を突く
そうして、淡々と赤い弓兵は事実のみを述べた。
「黙示録のアレゴリー、大淫婦バビロン。
いずれ、彼女に引き寄せられた三体の獣もこの世界にやって来るぞ」
――瞬間、世界に一つ目の災厄が顕現した。
……酷い頭痛で目が覚めた。
慣れていない空間転移の副作用だろう。まるで自分の身体が自分のものではないかのような違和感もある。
瞼を開け、ひとまず己のいる位置を確認しようとした時、何かに頬を突かれた。
「っ……?」
「フォウッ」
まず視界に飛び込んできたのは白い獣。ふわふわとした毛が心地良い。
続いて、覚醒し切っていない意識で視線を彷徨わせ、今いる場所を確認する。
「――て、あれ。館じゃないか、ここ……?」
そう認識したとき、自分が仰向けに転がっていることに気付く。
慌てて上体を起こし、改めて薄暗い空間を見渡すと、そこは確かに昨日の昼間、荷物を置いていった屋敷の一室だった。
すると、どこからかもう一人の呻き声が聞こえてくる。
次第に闇に目が慣れると、その正体が同じように床に転がっていたウェイバーだと分かる。
……円蔵山での出来事を思い出す。そう、確か自分たちを逃がすために、征服王を失ってしまったのだ。
『ご無事ですかルツ様!』
「ッ!?」
突如として聞こえた大声に思わず飛び上がる。
無論、正体はサファイア。あまりにびっくりしたので眠気が一瞬で吹っ飛んだ。
「あぁ――なんとかな。ウェイバーの様子は?」
『気絶しているだけです。もうじき目が覚めるでしょう。……しかし、なぜか今の彼からは――』
「……う、」
と、僅かに遅れてウェイバーが目を覚ます。
ゆっくりと起き上がり、数瞬ぼやけた意識で辺りを見て、やっと記憶を取り戻したのかみるみる内に顔が青くなっていく。
「おう、起きたか少年。気分はどうだ?」
「最悪だね……ここは?」
「新都にある私の拠点だよ。なんでかは知らないけどね。まぁ確かに、ここは円蔵山からは一番遠いところだろうけど」
「フォウフォーウ、キュッ!」
頑張ったんだぞ、とでも言うように鳴き声を上げる謎の小動物。
……確かにこの獣には救われたが、転移を可能とさせるほどの魔力を溜め込むなど、一体どこの怪生物なのだろうか。
「サファイア、こいつの種族分かる?」
『分かるも何も、コレは災厄の獣。その種です』
フラッシュバックした記憶で卒倒しそうになった。いや、本気で。
「え……? いや、え? マジで?」
『こんなところで虚言を吐いて何になると――、ッ!? ちょ、やめ、離れなさいこの獣!!』
「フォーウ、フォフォ!!」
地を蹴って飛び上がった獣が宙に浮かぶサファイアへ体当たりした。
災厄の獣、というフレーズが気に入らなかったのだろうか。というかコイツにそんな意志があったのか。つーかコレがアレになるとかホント、人間って罪深い。
しばらくサファイアと獣……仮称フォウとの攻防を眺め、ふと視線の合ったウェイバーと共に失笑し、そして溜息を吐く。
円蔵山には得体の知れない何かがいる。
征服王は消え、此方の戦力はほぼ皆無。
このまま円蔵山のものを放っておけば、ろくなことにならないのは明らか。
……それでも、まだ命はある。念話は通じないものの、私の令呪が消えていないところを見るに、アンデルセンも生きている。
拠点に帰って来れたのは不幸中の幸いだった。ここなら荷物も全部あるし、もう一度外に出る前に準備を整えることはできるだろう。
まずは装備の確認から始まった。
持ち込んでいる礼装はクラスカードと端末に記録されたコードキャスト。ただし、端末の方にあるものは電脳空間でしか役に立たないので除外。
令呪は三画。これでアンデルセンを呼ぶこともできるが、令呪は貴重な魔力リソースなのでまだ使わない。
「えーと……お、あった。貰っておくもんだなぁ」
トランクから取り出したのは魔術協会の制服。
黒いパーカーのような衣服……なのだが、これは男性用らしい。師匠が口頭で「
これもれっきとした礼装だ。使える魔術は体力回復。複数の対象に向けて発揮できるので、団体戦では大変便利な能力だ。着ておいて損はないだろう。
そして肝心の戦力だが……残念なことに、ここに戦えるサーヴァントはいない。ので、ひとまず生き残っている可能性があるバーサーカーに協力を要請することにした。
……正直あの看護師には会いたくないのだが、背に腹は代えられない。向こうもきっと、もう街の異常には気付いているだろうし、利害一致を狙ってそのマスターと交渉する他なかった。
「さて……ウェイバー、使い魔の調子は?」
「映像は見える……けど、安定しないな。外部から何か干渉を受けてるのかも」
『円蔵山にいたモノの魔力の影響でしょう。新都周辺ならともかく、深山町に行けば使い魔も動かせなく恐れが――クッ!? だから近寄らないで下さい!』
楽しくなってきたのか、フォウが無駄に華麗なステップでサファイアにちょっかいを出し始める。蹴りを出すとはこの獣、案外物理的にも戦えるのではなかろうか……?
「けど、こいつを素で外に出すのは不安だな……サファイア、魔術障壁かけてやれ」
『はッ!? なぜ私がこのようなけも――痛づづづ!! はい、分か、自己防衛も兼ねて拝承します!!』
「フォウゥ?」
途端、フォウに踏まれていたサファイアがその足元から脱出する。
それでも再びフォウがサファイアへ突撃するが、何故かフォウの方が弾かれ、床へと落ちていく。
「……何をした?」
『魔術障壁に加え、物理保護も発動させました。物理的に外部から彼に干渉することは可能ですが、彼から外の相手にはダメージを与えられないようにしたのです。まぁ、彼の特性を刺激するのは魔術、魔力的干渉ですので問題ないかと』
「物理保護、反転って感じか……考えたな」
「フォフォーウ、フォウ!」
卑怯だぞ、と言っているのか床を駆け回る白い獣。本質や本性はアレだが、見た目が可愛いいので癒し映像でしかない。
「……でも、あれ。
『そんな事はありません。転移の際に彼から受けた魔力を血液の代わりに、散々痛めつけてくれた際の肉球を指紋としてゲスト登録したのです。ハハ、ざまぁ』
やっぱコイツ黒いな、と思いながら、ふと具合悪そうに頭を抑えるウェイバーの変化に気がつく。
「……? ウェイバー、大丈夫か?」
「あ、うん……いや、なんだか身体の調子がおかしいというか、変な感覚っていうか……」
「変? 具体的には?」
「えっと……ボクの中に何か、誰かがいるような――――、え?」
そこで一瞬、驚いたようにウェイバーの動作が固まる。
おいおいどうした、と声を掛けてみるが反応は返ってこない。……円蔵山の魔力に、何か副作用なものでもあったのだろうか?
『そういえば先ほど伝え損ねていたのですが、ウェイバー・ベルベットからサーヴァン――』
サファイアがそこまで言いかけた刹那、外界から咆哮が轟いてきた。
「ッ――!? なんだ!?」
素早く館の玄関へと向かい、外へ出て異常を確認する。
闇に染まった天。月の光だけが照らす、暗黒の世界。
冬らしく冷え込んだ気温が世を包み、同時に円蔵山の魔力に近しい気配を察知した。
……遠方で雷の音を聞く。魔力の源はやはり深山町の方角だ。先ほど吼えたモノも、向こうにいるに違いない。
「獣だよ」
不意に、穏やかだが無機質な声が耳に入る。
反射的に視線を向ければ、そこには一人佇んでいるソロモン王の姿があった。