――2010年 夏
昼の陽射しが店内を照らす。
思わず直視してしまったそれに目を細め、そっと薄暗い店内の方へと視線を向ける。
この喫茶店に電灯は取り付けられていないが、しかし暗い雰囲気ではない。店内はアンティークで飾られていることもあり、落ち着いた空間が作り出され、教会の礼拝堂という表現が相応しい。
自分が座る窓際の席の、すぐ横にあるカウンター席ではロングスカートを履いた金髪の女性と、眼鏡をかけた学生服の少年が美味しそうに出された料理を食べている。
ふとその奥の一人席へ視線を巡らせれば、胡散臭い中年男性が新聞を広げてカップに注がれた紅茶と思しきものを啜っているのが視界に入り、その少し手前の団体席と思しき場所には小学生くらいの三人の少女たちの姿。さらに丁度今、三人組の女子高校生の団体が店内に――
「――やっ、待たせた? ミツルさん」
そして彼女らの後に続くように、私の待ち合わせ相手である
ドカッと、一際大きめのトランクが床に降ろされる。
テーブルを挟むようにして、まず私の前の席に座ったのは現代の若者らしい服を着た、緑色の髪をしたミドルロングの少女……か、少年か判別をつかせにくい整った容貌を持つ十四歳くらいの子供。
そして今回私を呼びつけた張本人、おそらくこの子供の保護者、それとも主であろう女性がその隣に腰掛ける。
「……で、今度は何の用だ?」
「凄いうんざり顔ですね。あ、珈琲お願いしまーす。ホットで! あとブルーベリーパイ一つ!」
と、やってきた従業員にすかさず注文する彼女。
私も後回しにしていた注文を言おうとした矢先――思わず、店員の目付きで一瞬怯んでしまった。
日本では見かけない髪色や顔立ちからして外国人。確かにこの店、アーネンエルベには国内外問わず色んな客が来るものの、店員に外国人がいるのは初めて知った。
「えー……と、同じもので」
「あいよ」
軽い返事をすると、サッと踵を返して場を後にする。……なんだか、嵐が通っていったような気がするのは気のせいだろうか。
「……英霊がアルバイトしてら」
呟いた相手の言葉に、え? と声を零してしまうが、なんでもないよ、と即座にはぐらかされた。
「んじゃ、サクッと本題に入りましょう。いやなに、簡単なことですよ。しばらくの間、こいつを預かって貰えませんか?」
「……は?」
相手が指差したのはすぐ横にいる中性的な子供。
……流石に待ってほしい。ウチの事務所は別に、預かり施設ではないのだが。
「大丈夫ですよ。タダでとは言いません。それにこいつ、結構役に立ちますし」
さらりと言うが、そういう問題ではない。
「……君の持つものはまともじゃないだろう、月成。その子は――その、使い魔とかの類じゃないのか」
「お、当たり。よく分かりましたね」
世の中、知らない方がいいものがありすぎる。そして明かされた事実は、正直知りたくなかった。数年前、ぽろっと零された魔術世界のことなんぞ早く忘れればよかったのに。
「それで、私が預かるとでも?」
「預かりますよ――だって、なんと言おうと置いていくしかないんですから」
「……どうにかならないのか。魔術とかで」
「私、魔術使えないんで。電脳特化ですので。あっ、どうも」
と、メイド服を着たツインテールが特徴的な女の子が、先ほど注文したばかりの珈琲とパイを運んできてくれる。
店員が去った後、パイは月成の隣りにいる子の方に置かれ、月成本人は容赦なく珈琲に角砂糖を七、八個投入し、ズズッと喉に流し込んでいた。この人、味覚は大丈夫なんだろうか。
「連れていきたいのは山々なんですよ。けど、こいつを連れて行くには条件があるんです。そして今度私が行くところにはその条件が揃っていない。だから比較的、一番安全なところに預けようってことなんです」
「私のところが、一番安全だと?」
苦くとも、美味い珈琲を啜りながら、ちらりと緑髪の子へ視線を向ける。
先ほどから一言も喋らない。パイを食べて、ただじっと席に座っているだけ。まるで人形のようだが、穏やかに微笑んでいる様子は確かに彼が意志を持つ者だということが伺える。
「完全に安全な軸なんてどこにも無いですけどね。言ったでしょ、『比較的』って。詳しく言っても理解されないでしょうけど、この表現が一番近いんですよ」
そういうものなのだろうか――と、軽く首を傾げる。
彼女が事務所の前所長と交友関係があったのは知っている。どのようなやり取りがあったかまでは知らないものの、やはり魔術とかいうものに関係するのだろう、とは予想がついていた。
しかし使い魔だと断言されたものを預かるのは――少し、はばかられる。いっそ他のところへ行ってほしい。
「いやぁ、だって他のところは
「たぶん、その頃には清々しているだろうよ。……いやちょっと待て。なんだか預かる流れになってないか、これ」
ははははは、と笑う月成。冗談じゃない、と言い返そうとしたその時、
「――あ、メールだ」
ヴヴヴ、とバイブ音を鳴らした、近未来を思わせる変わった端末を懐から取り出す彼女。知人からのものなのか、隣の使い魔も画面を覗き込む。
しばらく二人は文面を眺め、苦笑いする表情になったり、吹き出して笑いを零したりと随分楽しそうだった。
相手がどこの誰かは決して尋ねまい。私は私の手が届く範囲のことだけを知っていればそれでいい。
「……よしっと。ところでミツルさん、
「……あぁ、すこぶる元気だよ。習い事を抜け出してやって来るのはもう勘弁して貰いたいんだが」
「相変わらずですねぇ――あと、両儀先輩は……?」
「鬼だな」
「同情します」
私と月成の共通点は一つだけある。両儀家当主、両儀式を苦手とするところだ。
彼女の方では何があったか知らないが、顔を合わせるとすこぶるビビる。私も似たようなものだが、彼女はなんというか、会っている間常時トラウマを抉られている顔というか、拷問にかけられているようなのだ。一体どこで何があったのやら。
「コクトー先輩は?」
「あの人も変わらないよ。鈍感で、お人好しのままさ」
正直、あの人は苦手だ。
どこがどうして、と詳しくは語れないが、とにかく――苦手だ。それに尽きる。
ちなみに、月成が「先輩」とつけているのは両義式や黒桐さんと同じ高校出身だからだそうだ。彼女たちの関係はよく分からない。
「ああいう人はどの世界にも必要ですからねぇー……鈍感でお人好し、って実は最強ステータスなんじゃないかと私は思うんですよ」
分からなくもない持論だ。が、あの人に似たような人間を、他にも彼女は知っているというのだろうか?
「探せば結構いますよー。大体ああいうタイプって、どこにでもいる、っていうのが基本能力ですから」
「あぁ……」
凄く理解できた気がする。
「あ、あと前に頼んだやつ、用意して貰えました?」
「ん――これでいいのか」
言われて、持ってきていた紙袋の荷物を手渡す。
中身はなんの変哲もない、ただの絵本だ。なお作者は世界最高の絵本作家。副業で絵本作家をする私にこれのおつかいを頼むとは、一体どんな嫌がらせなのだろうか。
「おぉ……ありがとうございます。流石、仕事はきっちり果たしますねぇ」
「私を何だと思っているんだ君は……」
やはり、薄々感じてはいたがナメられているような気がする。
別に、強く反抗態度を出すつもりはないが、少し不愉快だ。
「じゃ、取引成立ですね」
「……は?」
取引? なんのだ?
「だからこいつを預かってくれるって話。さっき言ったじゃないですか、“タダでとは言わない”って」
「なっ……」
鮮やかな犯行で完全に硬直する。
確かに……言っていた、ような気がする。思い出せてしまう己の記憶力が忌々しい。
そう、つまり――私はこのおつかいという依頼を引き受け、遂行した時点で、使い魔の預かりを了承していたのだ!
「ま、待て。それとこれとは話が違うんじゃないのか!? というか、こちらとしては全く納得できないんだが!」
「ミツルさんが絵本を買ってきて、私が短期間助手を提供する。うん、どこにも異常はないね?」
「大有りだ!」
主にこれからの私の生活が!
使い魔……とはいえ、こんな少年? を事務所に置いておくのは――そう、未那がおおはしゃぎするに違いない。
彼がどんな人格を有しているかは知らないが、面倒なことになるのは目に見えている。
「未来視だけに?」
「誰もそんなことにかけてない……!」
悲しき偶然である。本当に。
「短期間ですよ。そうたった――十三ヶ月? くらい」
「丸々一年だろうそれ……!!」
なんなんだ、なんなんだこの女は。
どこか行動倫理が破綻している気がする。一体誰の影響なんだろうか。以前会ったときは、自分は魔法使いの弟子だかなんだかと、のたまってはいたが――そいつのせいなのだろうか!?
「まぁまぁ、別に世界を救えって言われてるわけじゃないんですから。別にコキ使って貰っていいですよ。けどこいつにはとびっきり怖いお友達がいるので、無理させたら串刺しですけどねぇ」
「…………!!」
声も出ない。
想像がつかない。
――逃げよう、と思ったとき。
「勘定お願いしまーす。支払いはこの人で」
「君なっ……!」
すっくと席を立ち、床にあったトランクを持って軽く使い魔へ手を挙げ、別れを告げる月成。
使い魔の方も、知らされていた通りなのか、もぐもぐとパイを頬張りつつ手を振り返す。
「じゃ、よろしくね。光溜さん」
……そして、後に残されたのは珈琲二杯分とパイ一つ分の料金が書かれた伝票と、私と正体不明の使い魔だけ。
財布にそこまでのダメージは出なかったが、面倒そうなものを押し付けられたのは精神的に喜ばしくない。というか人を串刺しにする友達なんて、まず絶対にまともじゃない。
「あー……君、名前は」
張本人が行ってしまった今、もう諦める他なかった。
できるだけこの使い魔は丁重に扱い、未那には……知人の親戚、で通るだろうか。いや通るまい。あの娘に嘘は通じない。
果たして上手くやっていけるのかどうか……自信は、ない。
「僕のことはランサーでもエルキドゥとでも、好きに呼んで構いません。マスターの非は僕から謝罪を。一年間お世話になります、ミツル」
席に座ったまま、微笑んでからそう頭を下げる使い魔の少年。
――前言撤回。案外、うまくやっていけそうな気がした。
まさかの続編。前作から四年後経ってもまだ生きていた主人公。
設定は前作から拾えるものは拾い、蒔いていた伏線もあちこち回収。公式で未公開の設定は勝手に捏造していく方針で。
ちなみにミツルさんっていうのは空の境界、未来福音に出るキャラクター。原作と違って魔術世界の存在は知っている模様。
でもって、前半ほとんどエルキ出ません。後半を待たれよ。
次回からZero編。