禁忌幻造天楼ザ・ノーブル・イクスペリエント 作:アルキメです。
マシュ・キリエライトは困惑していた。
レイシフトの際に先輩と離れた位置に再構築されるとは。おまけに魔力パスさえ、途中であやふやとなって、まさしく雲を掴むような状態にあった。
マシュ・キリエライトは動揺していた。
知識では知っているとはいえ、ここは特異点。やはりカルデアに保存されていたシカゴの情報とは、異なった環境基準にあった。
マシュ・キリエライトは混迷していた。
――何故、私は
ちらりと、視線をわずかに動かす。
対面に座る淡いブロンドヘアーの細い目の女性が――色彩を宿した存在が――そこにいた。
紫を含んだ黒いドレス――内側は紅く染まっていた――を身に纏い、白い装甲を備えていた。
そして胸元に輝く碧い宝石が、女性の美しさを際立たせていた。
カップに注がれた紅茶を優雅に飲みながら、閉じているのか開いているのかわからない細目を曲げて、実に美味しそうに味を楽しんでいる。
マシュの前にも紅茶は置かれているが、色彩の欠けた黒い紅茶にあまり手をつけたくないと、つけてはならないと、心のどこそこが囁き、未だに飲まずにいた。
「あの……」
おずおずと声を出す。相手に聞こえるように。届くように。
何せ、接触してから、かれこれとあって既に十分以上も待たされているのだから。
「何かしら?」
女性が反応する。ティーカップを持ったまま。「今、紅茶を堪能しているのだけれど?」といった風に。
微笑みを浮かべて、マシュは自分に視線が移ったことを感じた。
優しいはずの笑みだというのに、どうにも居心地が好くないとも、感じていた。
どこか薄暗い、それでも深い闇に蓋をしたような、そんな笑みだと思った。
それでも敵意や殺意は微塵もない。むしろ好意さえある女性の雰囲気に、申し訳ないと思いつつも。
「その、先ほどのお話のことですが」
「ああ。えっと……あ~……」
「……もしかして、忘れていました?」
「いいえ? ――ちょ~っと思考が紅茶のほうに偏っていただけよ?」
マシュの言葉に、女性はピクリと肩を震わせた。
首を傾け、顔は明後日の方向を向いていた。
「……忘れていたんですね」
「うぅ……貴方、意外と言うわね!? 初対面なのに!」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
言われて、気づいた。
意外なことに、自然と言葉が紡がれていた。
女性の声を聴くと、ついそんな風になってしまうと自覚する。
「あ、でもそんなに畏まらなくても……あの、ね? ほら、あれでしょ、私の放つカリスマ性が、ついついほがらなか空気をあてちゃたんでしょ? 怒ってないわよ? そのほら、東洋で言うツッコミみたいな、ね?
相手の緊張を解すが故のカリスマ性。うんうん、まさしく私らしいわね!」
「な、なるほど。すみません。ですが、雰囲気が、その、正直なところ――」
「良いのよ。正直に言っちゃって! 私のカリスマにあてられた末の評価、お姉さんとっても聞きたいわー!」
「――頭がゆるふわ系の
「ヵ、カリスマ性とかそれ以前の評価だったぁーーー!?」
目元が笑んだまま女性は椅子からズルリと滑り落ちた。
それでもティーカップは優雅にしっかりと手にし、一滴も零してはいない。
「ま、まあいいわ……。えーっと、そう! この特異点の状況を教える代わりに、こちらの頼みも聞いてほしいってことよね! いいわ! いいわよ! それにきっと――」
姿勢を戻しつつ、女性は声のトーンを落とした。
ほがらかな雰囲気から一転、射すくめられるような緊張が、ぞくりとマシュの身体を強張らせた。
「貴方は受け入れる。否、現状を鑑みるに受け入れざるを得ない。そうではなくて?」
「――はい」
何かを言いたげな感情を抑制し、肯定。
確かに現状を把握するには情報が圧倒的に不足している。
先輩――藤丸立香――との魔力の繋がりも希薄で、カルデアとの通信は現在も途絶したまま。
この最初から分断された状況。最悪とも捉えられる状態。
さらに言えば、マシュの目の前に現れた女性こそ、本来ならばもっとも警戒すべき存在である。
当人は敵ではないというが、それを証明する術はない。
かといって敵であるという証明も、またできない。
「あ、その眼。さてはまだ信用してないわね!?」
「いえ、それはその――」
「私が敵だったら出会い頭に貴方に不意打ち与えてますー!」
ブーブー。
頬を膨らませてみせる女性に、マシュは苦笑で返した。
先ほどの緊張感は既に解けていた。
「そーねー。それなら、あれね、うん。これはあれね」
言って、ティーカップを置き、立ち上がる。
「――!?」
一拍、遅れてマシュも立ち上がった。
膨大な魔力の接近を感じ取ったのだ。
立てかけていた盾を手に、構える。
「それならば証明しましょう。この世界の
歌うように女性は紡ぐ。
その手には
直後、ソレは来た。空から。真っ直ぐに。土煙を巻き上げて。
黒い黒い硬質めいた光沢を放つスーツと、赤い粒子を首に巻いた人形。
頭部を覆う仮面からは白い角が二本伸びていた。
人の形をした、しかし外見は人ではない存在。
「悪魔と形容するに十分でしょう?」
女性はマシュに視線を預けながら、問うた。
マシュは頷き、喉を鳴らした。
数多の修羅場を経験してきて尚、慣れることのない感覚。
戦闘という生死を賭けざるを得ない状況の感触。
故に竦んではならない。
故に怖れてはならない。
自然と身体に力がこもる。
『――悪を確認』
悪魔が、声を漏らした。
冷淡で冷酷で冷然とした、おおよそ感情というものが感知できない、鷹揚の薄いくぐもった声だった。
『これより正義の名を矛に――
「
「ほらね! 物騒でしょう!」
両者の言葉を無視し、グッと拳を作り悪魔は構えた。
――来るッ!
切り替え、盾を前面に出し、攻撃に備える。
女性も同様に盾を構え――大地に下ろそうとした盾の先端が、爪先を挟んだ。
「―――――ッッッ!?」
ビリビリとした衝撃に身体を震わせ、女性は声にならない悲鳴をあげた。
戦闘態勢に入った二人を置いて、その場で足を抑えて転げまわる。
唖然とするマシュ。
同様か、構えたまま微動だにしない悪魔。
緊張感など、どこ吹く風がといった具合に何とか立ち上がった女性は片足で跳ねながら息を整えていた。
「私が――私がしっかりしなくては!」
目の端に大粒の涙を浮かべながら持ち直そうとする女性を見ながら、マシュはため息まじりに呟くのであった。