ビルも木々も何もかもが、色あせてしまった世界。さっきまでの喧騒は何処へやら。車の音も、子供達の声も聞こえない。人類が滅びた後の世界に迷い込みでもしたんじゃないかと疑わしくなる程度には、人の営みを感じ取れない無機質な空間。寂しいような、悲しいような。終わってしまった世界に、気がつけば僕と古泉君の二人だけが佇んでいた。はて。この空間に来る直前の記憶を辿ってみても、彼に言われた通り目を閉じて数歩歩いていただけで、僕は異世界に行くようなスキルを使っていなければ、持ってもいない。だというのに、別世界にやってきてしまったのは一体全体どうしたわけ?
太陽の光も、頬を撫でる風も感じられない不気味な世界でも、古泉君は戸惑い一つを見せなかった。なんなら、自分ちの庭を歩くみたいに何処かへと歩を進め出した。視線だけで僕に付いてくるよう促しながら。
この、非日常感溢れる灰色空間は、ちょっと普通じゃない。肌に触れている空気一つとっても、何か違和感を覚える。
……わかった。さては、これがモニタ◯ングってテレビ番組だね?もしくはドッキリア◯ードか。ま、どちらでも目に見える違いは無いから気にしないけど。いつも家では漫画ばかり読んでいるから然程テレビに詳しくない僕でも、ピンときたよ。
古泉君。君の仕掛け人人生はここでお終いのようなんだぜ。いかんせん、ドッキリを仕掛けられた僕が冷静さを保ってしまっているわけだからね。とはいえ、失敗したなぁ。真に古泉君の友人を名乗る為には、目を開けた瞬間オーバーリアクションでもするべきだったかも。いっそのこと、カメラさんにカットサインを出してTake2を撮影してもらったほうが懸命だろうか。
ドッキリ失敗の様相を呈してきて、内心とても焦っているであろうに、健気にもスマートさを保ちながらどこかの雑居ビルへ入って行く古泉君。懸命な彼の背中を見守りつつも、僕は無言で失態を恥じた。なにしろ、せっかく古泉君が僕の為にドッキリ仕掛け人になってくれたというのに。愚かな球磨川禊ときたら、初見でドッキリだとカンパしてしまったのだから、スタジオの皆さんも興醒めだろうさ。
……この際だ。作戦変更して、ここで古泉君の頭に螺子を刺してあげようかな。別に頭じゃなくて心臓だって構わないけれど。そしたらほら、逆ドッキリのていでどうにか視聴率を稼げるじゃない?極彩色が欠けているこの世界なら、古泉君がブチまける鮮血はとても輝くと思うんだ。画面映えも考慮した、これはナイスアイデアだぜ。
古泉君は階段をひたすら昇っていく。ここまで何も喋らないのは演出の一貫なのかな。はたまた、古泉君がテンパってしまい、セリフが飛んだかだね。誰か、ADさんとかがカンペで古泉君に指示を出してあげたほうがいいと思うけれど。階段室に二人の足音だけがやたらと響く。放送事故になりかねない時間は、仕掛けられ人とでも言うべき僕の心臓をもキリキリと痛めつけてくる。僕でこれなら、仕掛けた側の古泉君は、心臓麻痺並みのダメージを負っているかもしれない。
なんとか心労から解放してあげたいけれど、このまんまじゃ、ドッキリ大成功プラカード係の人が一生出てこれないよ。
しょーがない。ならば、僕自ら助け船を出すとしようっと!
思い立ったが吉日。やや時期尚早な感じは否めないけど、さっきの逆ドッキリ案を実行に移そう。僕は後ろ手で螺子を取り出し、古泉君の後頭部をロックオンした。
……その、直後。
くるりと、古泉君は屋上へ続く扉の前で踵を返す。おっと危ない。あと数秒遅ければ、螺子を構えている様をバッチリ目撃されていたぜ。ドッキリも、逆ドッキリも失敗しては、古泉君は登校拒否してしまうぐらいの傷を心に負っていたところだ。だって、きっと彼は親や親戚一同、友人達にテレビ出演する旨自慢していたと思うし、ブルーレイに録画しちゃってるかもだし。
僕は悟られないよう、行き場をなくした螺子を元の場所にしまう。
「球磨川さん。ここまで、あまり驚いてはいないように見受けられますが……この世界はお気に召さなかったでしょうか?」
古泉君は「んふっ」と吐息を漏らして、なにやら困り顔で聞いてきた。
ちょっと古泉君!?それ、言っていいの?番組的に。いや、いいはずないか。
……これは完璧に放送事故だな。
ええい、もはやどうにでもなれだ。
僕はカメラを意識せず、アドリブで返すことにした。
『驚いていない、と言えば嘘になるよ。ただ、いささかインパクトが弱かったかな。もっとわかりやすく世界が変化していたなら焦ったかもしれないけれど、肝心の、変化を実感するまでに時間を要したからね。その間に心が落ち着いてしまったのさ。』
「それはそれは。いえ、僕のような凡人からすれば、先ほど程度の変化であっても十二分に驚愕するべき事態なのですが……。球磨川さん、貴方には相当な適応能力が備わっているみたいですね。それとも、たんに肝が据わっているのでしょうか」
くすくすと、僕がことの外落ち着いている現実が面白いらしく、古泉君はずっと笑顔のまま。いや、笑ってる場合じゃなくない?仕掛け人さん。
「……では。第二フェイズに移行しましょうか。今度はきっと、平静ではいられないと思いますよ」
『なんだって?』
なるほど、二段構えだったんだね。少し安心したよ。古泉君……もとい、演出家さんはさぞニヤケている事だろう。ナルトに出てくるグラサンの蟲使い君がごとく、奥の手は最後まで取っておいたというわけか。
惜しむらくは、次に何かがあると古泉君が周知してしまったことだ。ひょっとして、彼は仕掛け人に向いていないよね。SOS団内でサプライズパーティーを企画する際には、主役と一緒に古泉君にも内密にするよう、心掛けるとしよう。
で?ドアの向こうになにがあるっていうの?
酷だけれど、事前に知らされていては驚きたくても驚けないよ。どんなに怖いお化け屋敷でも、タネも仕掛けも知っている製作者は驚くはずないでしょ?
予告の有無。既知か未知かはとっても大切でね。
昔。ゲームボーイで遊んだポケモンのライバルは、予告も無しに、唐突に画面外から現れては戦いを挑んできたものさ。心臓に悪い、多くのトレーナー達のトラウマにもなった強制イベントだけれど、ポケモンの残りHPが少なかったり、セーブしていない等の要因もあって、それはそれはスリル満点のバトルを楽しめたよ。絶対に負けられない、是が非でも勝たなくてはいけないプレッシャーが良い感じのスパイスになったりしてね。ま、僕はいっつも負けていたけれど。それが、時を経て3DSともなった今じゃ、「〇〇で待ってるから、回復してから来てね!」みたいに待ち合わせをしてくるまでに至った。まるでハラハラもドキドキもしない親切設計。デートのお誘いじゃないんだからさ。ともすれば、ときメモで待ち合わせ場所を間違えるかもしれない恐怖の方が面白く感じるくらいだぜ。
そんなお手軽でお気楽なライバルとの戦いは、時間がなくてバッファが大好きな社会人にはありがたかったりもするのかもしれないけど!
されど古泉君、君はダメだ。エンターテイナーとしては二流だよ。僕は社会人でも無ければ、アマガミをプレイしているわけでもないのだから。ここはビシッと、しっかり怖がらせてくれなくちゃね。最高のリアクションを取るためには、あえて下調べをしないって、どこかのユーチューバーも言ってたぜ。
「さて球磨川さん。この先は、ちょっとしたスペクタクルですよ。」
よくある、屋上への鉄扉。たかがヒンジのついた鉄板を隔てただけで、その先にスペクタクルがあるだなんて。今の僕的には期待するのも憚られた。
ギイィ……と、錆びついた蝶番が軋み、高所の恩恵によって阻むものが無くなった視界には。何処までも色のボヤけた世界が広がっていた。予想以上でも以下でも無い、さっきまでの灰色空間が地平線まで続く。
『おっと』
だが、それだけじゃない。
『なんだい?アレは……!』
さんざん、今さら驚かないだの興が削がれただのとフラグをコツコツと建設してきた僕の目には。つい先刻までは存在していなかった、ある異形の姿が映り込んだ。
「さすがの球磨川さんも、これには驚いたようですね」
『いやはや、降参だ。あんなのを見て驚かないのは、天上天下安心院さんただ一人だよ……』
全長が、ビルほどはあるかという人型の化け物が。灰色だらけの世界において、青白く輝きながら立ち尽くしていた。
よもや特撮映画ばりの巨人を見せられるだなんて、いくら僕でも……いや、僕だからこそ、白旗を上げざるを得なかった。
◇◇◇
「神人。神の人と書いて、我々はアレをそう呼んでいます」
『神…か。だいそれているね』
素直に驚いたよ。あんな超常現象は、テレビの企画なんかで用意できるもんじゃない。CGでも無ければ合成でもない。確かな質量を持って、そこにいる。アレが神だと、隣の少年は言った。まさか、とは思うけれど。否定する程の材料を、僕は持ち合わせていなかった。
「アレは、涼宮さんが創り出したモノです。」
『……え?ハルヒちゃん??』
いきなりどうしたんだい、古泉君。ここにきて茶化すような真似は遠慮して欲しいのだけれど。この場にいないハルヒちゃんが、関係あるはず無いでしょ。
「そう思うのも無理はありません。ですが、事実アレは涼宮さんが生み出しているのです。もっと言うなら、この世界そのものが、彼女によって創造されています。……にわかには信じがたいでしょうが」
ここで信じられる人間がいたら、是非とも僕に紹介して欲しい。そのような人間なら、詐欺にかけやすそうだからね。オレオレ詐欺やワンクリック詐欺。ひと昔もふた昔も前の手口でも、あっさり大金を支払う人種に違いない。
つまるところ、君の話は普通の人間が理解出来る範疇を大きく超えている。
古泉君は巨人と距離を詰めるように、屋上を自由に闊歩する。あの物理法則を無視した巨人とコンタクトをとるには、フェンスだけでは心許ないにも程がある。
「涼宮ハルヒが不機嫌になると、この世界は現れる。そうする事で、彼女はストレスを発散しているのです」
『……ふぅん?』
意外とつまらないネタを引っ張るな、このイケメンは。うん、ハルヒちゃん推しなんだな、きっと!
「突拍子もありませんが、事実です。なんなら、僕に理論的な説明をしろと言われても出来ません。ただ、そういうものだとわかってしまうのだから仕方がないとしか」
『……えっと。真剣な話、君は僕の信用を得たいとは思っているんだよね??』
「もちろんです。ここに貴方をお誘いしたいのは、僕の抱える事情を理解してもらい、親交を深める為ですから。そして、僕はいつもほどほどに真剣なつもりですよ」
わかったよ、そんなに言うなら付き合おう。
この世界はハルヒちゃんによって創られましたと。まあ、意味不明だけれど。そういうものだと認識しておく。
でも仮に、……仮にそうだとするとだ。
この世界を創ったとして、それが何だというのさ。いや、世界を創っていることそれ自体は、大変凄いと認めるのもやぶさかじゃないけれど。ストレス発散にはどう繋がるのかってはなし。プラモデルのように、精巧な1分の1スケールで地球を創るのがハルヒちゃんのブームなのだろうか。となると、現段階では塗装までいってないってことか。この世界は色あせているのではなく、これから色づくってわけね。じゃあ、どうせなら塗装も終わった頃に連れてきて欲しかったよ。
「ほう。プラモデルに例えるとは、中々的を射てますね。……球磨川さんの言葉を借りるならば、この世界は、涼宮さんが創る等身大のジオラマと言えるでしょう」
『へえ、そうなの』
そうだとしたら、あの青白い巨人は明らかに縮尺を間違えているな。普通は人間サイズにして、家の飾りにするべきでしょ。あれではまるで某漫画に出てくる使徒じゃないか。至急人造人間を用意してくれるのなら、僕が目標をセンターに入れてスイッチを押してあげなくもない。
「んっふ。神人こそが、この世界の主役なんですよ。なくてはいけない存在です。そして球磨川さん、貴方の認識は正しい。アレの意味は、まさしく怪獣と言って差し支え無い」
百聞は一見にしかず。古泉君は、ご覧くださいと神人を指差した。困惑しながらも僕のつぶらな瞳が神人を捉えたところで。
屋上を出てからずっと立ち尽くしたままだった神人が、右腕を大きく振りかぶる。
本来なら、重力によって細い二の腕はブチ切れて自由落下する定めだけれど。青白の巨躯はこともなげに頭上で腕を制止させると、今度は重力の恩恵だけを受けて手近なビルに振り下ろした。なんでもありか。万有引力なんかクソ喰らえって感じ?
恐らくは鉄筋コンクリート造であろう高層ビルは、神人の一振りで粉微塵に。
なるほどね。とりあえず神人は、ビルを3分で平らにできるどこかの60パーセント弟よりもハイスペックなようだ。
「創造と破壊。涼宮さんはこの世界を神人に破壊させる事で、ストレスを発散しているんですよ。現実世界でやらないだけ、慈悲があると言えます。」
化け物が目の前で破壊活動をしていても、古泉君は冷静だ。この子は、なにがあれば焦るのかな?
ていうか、そんな危険な場所に僕を連れてきたのはどういう了見だい?もしかして僕は、古泉君の手の込んだ自殺に付き合わされてるのかも。死を覚悟しているからこそ、悟ってる系?
ともあれ、破壊活動を続ける神人は、少しずつ僕らのいるビルに近づいてきている。このまんまではお陀仏だ。三十六計逃げるに如かずだよ、古泉君!
「安心してください。アレが怪獣だとすると、倒されるのが世の常でしょう?」
『はい?』
悠長な。誰かがいつか倒してくれる保証がどこにあるのさ。事は切迫してるんだぜ?
僕はぼっ立ちした古泉君を見捨てて逃げる選択をした。もう彼は諦めよう。階段室まで走り出そうと、左の足を浮かせると同時に。
古泉君を覆うように。赤いバリアの様なモノが出現した。それはバチバチと電撃みたいな音を立てて、彼の身体を外界と隔離する。
「では、行ってまいります」
どこへ?と、僕が尋ねるよりも前に。
にこやかに微笑むと、バリアごと古泉君は屋上から勢いよく飛び立ち、神人の元まで飛んでいった。これは、彼のスキルなのかい?
古泉君が飛んだ先を目で追うと。他のビルからも似たような赤い球体がいくつか現れて、それらは俊敏な動きで神人を翻弄する。赤い球が神人の周囲を高速回転する度に、青白い肉体はブチリと千切れ落ちる。多分だけれど、他の赤い球も人間なのだろう。そして、古泉君と連携している点から、どうやら皆んなは仲間らしい。
戦況としては……なんだかよくわからないけれど、古泉君達が神人をおしているみたいだ。まさか、古泉君自身が戦うとはね。道理で余裕なわけだ。
トドメとばかりに。全員で神人の頭部を切断すると、不気味な巨体は跡形も無くこの世界から消え去った。
『なんだ、神人って弱いんだな。まるで……』
僕みたいだ。
弱い神人が強い者達に蹂躙される光景は、僕的にはけっこうショッキング。光の粒子になってしまった可哀想な神人に対して、僕はご冥福をお祈りすることしか出来ずにいたのだった。
……いや?まてよ。今の僕には、神人を救うだけの力があるんじゃないか?
ふと、おニューのスキルを使おうと右手を伸ばしてみたけれど。神人とやらの存在自体を理解していない僕では、うまく生き返らせてあげられなかった。
ごめんね、神人ちゃん。
程なくして戻ってきた古泉君と言えば。
「お待たせ致しました。怪獣は、無事倒されましたよ。それから……この世界は、神人が居なくなったことで存続する理由を失いました。間も無く、崩れるでしょう。」
命がけの戦いをしてきたというのに、特に疲労した様子もなく。
「ヒビが入っていく空なんかは、結構綺麗ですよ」
神人消失に伴うこの空間の崩壊を、絶景だとでも言うように目を細くして楽しんでいた。
怪獣を倒して平和を喜ぶ、ヒーローのような笑顔が、そこにはあった。