球磨川禊の憂鬱   作:いたまえ

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十二話 ベイカーベイカーパラドクス

 自分が所属していない部活動の部室に入るのはただでさえ緊張するものだというのに、そこで同じ団に属する女の子と二人きりになるってシチュエーションは少女漫画でもあまり見ない。てっきりみくるちゃんから告白されるないし、いきなり大人の階段を昇るような展開が待ち構えているものだと思い込んで心の準備をしていた僕は、時間平面なんちゃら的な話をされただけに終わって心底ガッカリしつつ文芸部室を目指しトボトボと歩いていた。

 

 あれ……?そういえば、みくるちゃんの口にしていた【時間平面】という耳なれない単語にはなんでだか聞き覚えがあるぞ。僕は渡り廊下の窓から見下ろす、学校の敷地内を舞う木の葉を目で追いながらも、それが誰の発した言葉だったか思い出す。確か、金髪に染めた髪を真ん中分けにしていて、ニヒルな口調がやたらと似合っていた厨二病発言ばかりをする青年がいたような……。なんなら、僕の新居付近で出会った事からご近所さんなんじゃないかとも予測した人物が。

 

 みくるちゃんのオリジナルと思われた時間平面という言葉を、他にも使っている人間がいる事実。偶々?それとも。

 

『なんていうことだ。名前が思い出せないぞ……君は、誰だ?』

 

 人を馬鹿にしたような、口元を歪ませる笑顔が特徴的な青年の、肝心の名前が出てこなかった。ほんの何日か前に会ったにも関わらず名前を忘れてしまうだなんて、僕はなんて薄情な人間なのだろう。

 思いがけず、田舎育ちの女子高生と何の前触れも無く身体が入れ替わってしまった新宿育ちの男子高校生みたいなセリフが口をついた。

 

 ある人物の顔や年齢、職業に家族構成など、様々な情報はスラスラと思い浮かべられるのに、大事な名前が出てこない現象には名前がついていて、ベイカーベイカーパラドクスという。

 僕はまさに今その状態。

 

 ちなみに、パン屋(baker)のベイカーさんの、職業は分かるのに名前が出てこないってジョークがこの変わった現象名の由来らしいぜ。

 

 でも待てよ?よくよく振り返ると。

 

『名前、名乗ってなくね?あの青年。』

 

 文芸部室の扉までたどり着いたところで、僕は彼が名前を名乗っていない可能性にもたどり着いた。

 

 なぁーんだ!

 

 僕が薄情だとか、記憶力が悪かったわけじゃなくて安心したぜ!

 

 これで胸のつっかかりもとれて、お気楽に団活にいそしめるというものだ。今日こそは古泉君に将棋でリベンジを決めてあげようか、それともみくるちゃんの緑茶を味わって、茶葉の種類を当てるゲームでもしてみるか。 

 

 ハルヒちゃんにキョン君、みくるちゃんはまだ在室していないだろうから、いるとしたら古泉君と有希ちゃんかな。

 

 そろそろ錆が原因で回らなくなってもおかしくない程年季あるドアノブを掴む。

 

『お、有希ちゃんだけか。』

 

「そう。」

 

 僕が部室のドアを開けたことにより、窓から入って来たであろう5月のぬるい風が通り抜けていく。有希ちゃんはチラッと僕を見るやすぐさま分厚い本に視線を戻した。

 彼女はいつもなんの本を読んでいるのだろうか。その本の内容が面白いかどうかはともかく、厚さだけならジャンプにも匹敵するね。もっとも、面白さではジャンプの圧勝だけれど!

 

 しかし改めて見ても、読書が似合う女の子だな。同じ読書キャラとして、ここは負けていられない。

 

 僕は一番廊下に近い椅子に落ち着く。その流れで、教科書の代わりに詰め込んでいるジャンプを鞄から引っこ抜き、有希ちゃんの反応を伺いつつ読書に勤しむとする。そのうちハルヒちゃんらがやってくるまでの間、束の間のフリータイムなんだし有希ちゃんにも文句は言われないでしょ。

 

 僕が、今読みたい気分の漫画がどこに掲載されているのかを巻末の目次で探し出したところで。有希ちゃんがあれだけ熱中していた読書をパタリとやめて隣にやって来た。えっと、……何か用事?

 

「これ。……貸すから」

 

 これからジャンプを読もう!って時に、なんだかSFっぽい表紙の辞書(小説)を差し出されてしまった。いやいや、分厚過ぎない?それ。

 

「読んで」

 

『いや、今日はジャンプを過去5週分読み直す日だから遠慮しておくよ。あ!勘違いしないで欲しいのだけれど、別にその小説が分厚過ぎて読む気が失せたとかじゃないから気にしないでくれよ』

 

「……そう」

 

 有希ちゃんは何処となく残念そうに小説を胸元に引き戻した。うん、気持ちはわかる。同じSF小説を読んでも、読み手によって受け取り方は千差万別であり、感想を言い合うところまで含めて読書というやつは素晴らしいんだっていうのは理解しているよ。有希ちゃんはパリピとは言い難い雰囲気の文学少女っぽいし、感想を言い合える友達が欲しかったんだろうね。……でも、時代は何と言っても電子書籍じゃん?僕の部屋には、未だに引越しの荷物が満載の段ボールがあって足の踏み場にも困るぐらいでさ。そんな立派な本を借りても飾る場所が無さそうなんだ。

 

 え?だったらジャンプも本では買わずに電子書籍で買えばいいのではって?……とんでもない!本というものは紙のあたたかみが大事なんじゃないか。1ページ1ページを指でめくるあの感覚も含めて、本を読むと言えるよ。僕は新しい本の匂いも、古本屋さんの独特の香りも、どちらも好きな人間でね。端末をただスワイプしていくだけなんて味気ないにもほどがあるじゃないか!

 

「……これなら、どう?」

 

 有希ちゃんは僕の好みを把握していたのだろうか。今度は小説じゃなく、結構前に読んだ赤◯ジャンプを差し出して来てくれた。下手したら10年とか前のものじゃない?

 

『えーっ!?有希ちゃん、君の家はもしや集◯社だったのかい??こんなに前の赤◯ジャンプを保管していただなんて、シンプルに驚きだよ!小説の代わりに差し出して来たってことは、つまり貸してくれるってことだよねっ!?』

 

 更に驚愕なのが、10年も前に買っていたものとは思えないぐらいに状態が良かった点だ。僕なら読み返しすぎてページの端が多少折れちゃったりしていそうな年月にも関わらず。

 無条件で飛びつき、僕は有希ちゃんの返答を待たずに赤◯ジャンプを受け取らせて頂いた。

 

「今日、読んで」

 

『モチのロンさっ!ようし、こうなっては仕方がない。真面目な僕としては不本意ではあるものの、今日のところは部活をサボって、帰りにポテチとコーラでも買って部屋に篭り読書するとしようかな!有希ちゃん、心配せずともポテチを食べる際には割り箸を使うから安心してくれよ。』

 

 きっと、僕の目は誕生日にゲームを買ってもらった小学生よりも輝いていたことだろう。

 

『くっ……!カバンがパンパン過ぎてチャックが締めにくいぞ……!』

 

 すっかり有希ちゃんがSFの世界へ帰ったのを尻目に、僕はギチギチとカバンにジャンプを詰める作業に苦戦。

 

「みんな揃ってるーっ!?今日も今日とて、SOS団の活動をスタートさせるわよっ!!」

 

 チャックが無事にしめられた頃には、残念ながらハルヒ団長が現れる時間となってしまっていた。金魚のフンみたいにハルヒちゃんの背後から現れたキョン君と、寄り道でもしていたのかみくるちゃんも一緒だった。

 

『ハルヒちゃん。来て早々で申し訳ないのだけれど、今日実はお腹の調子が悪くてね……』

 

 僕の脳内には赤◯ジャンプを読むことしかない。仮病を使ってでも、読みたいものがそこにはあるんだから。お腹をさすりつつ腹痛を訴えてみた。

 

 ハルヒちゃんはうろんげな眼差しをくれてから

 

「はあ!?禊、SOS団の団員たるもの健康管理も大事な仕事なのよ!とりあえず今すぐにトイレに行って来なさいっ。大体はトイレ行けば治るのよ。それでも痛いようなら、もう一度私に報告しなさい。いいわね?」

 

 流石は我らが団長様。団員の身体を気遣う優しさを持ち合わせていらっしゃる。だとしても、この時ばかりは余計だな。すんなり帰宅を促してくれれば良いものを。

 

『……そうしてみるよ。』

 

 当然、今のは嘘さ。トイレになんか寄らず、最短距離で帰らせてもらうぜ。

 

「キョン、アンタもさっさと出なさい!みくるちゃんが着替えられないでしょっ」

 

「へいへい。その前にカバンくらい置かせてくれって」

 

 ため息をつきつつ、床にカバンを放り投げたキョンくんは僕に追従するように廊下へ出てきた。え?今、何て言ったのかな。

 

 着替え?

 

 廊下に締め出された形になったキョン君が僕の疑問に答えてくれる。

 

「朝比奈さんがメイド服に着替えているんだよ。ハルヒの趣味なんだが……あの人は律儀に、毎日部室に来てから着替えているんだ」

 

 これまでは、みくるちゃんの方が僕より早く部室にいたから、いつ着替えていたかなんて気にもしてなかったや。

 

『あれ?なんか急にお腹治ったかも。不思議なこともあるもんだ。ハルヒちゃんに報告しなきゃいけないぐらいの不思議だぜ』

 

「球磨川、お前って案外わかりやすいヤツだな」

 

 僕とキョン君は入室許可が出るしばしの間、ドア越しに聞こえてくる衣擦れの音に耳をすましていた。

 

 キョン君、わかりやすいとは心外だね。ていうか、本当に今このタイミングで突然お腹の調子が良くなっただけなんだからっ!まるでそれじゃあ、みくるちゃんが扉一枚隔てて着替え出したから仮病を治したみたいでしょ。やめてくれよ。

 

 わかりやすいといえばむしろ、今日のみくるちゃんのパンツじゃないかい?書道部室で数分しゃべった際にこっそりと仕草を観察させてもらったのだけれど。あの声の調子に、表情、身のこなしから察するに。

 

 あの水色のスカートで隠されているパンツは、白のレースとみた。







『ところでと言えば更にところで!ちなみにみくるちゃん。君の知り合いに金髪真ん中分けニヒルほくそ笑み時間平面野郎っていないかな?』

「だ、誰ですかぁ?!それぇ」


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