サンタクロースをいつまで信じていたか。……なんてことは、論ずるに値しないし、世間話にチョイスするのもセンスが悪いと僕は思う。
クリスマスにわざわざ他人の家に不法侵入して、何かしらの物体を残していく老人なんかむしろ恐怖の対象だし、一体どこの誰に需要があるというのだろうか。と、サンタにあまり良いイメージを持ってなかった僕だからこそ、世界各地でサンタを待ち望む子供たちが一定数いると聞いた時は、正直耳を疑ったよ。
そりゃ、確かにトナカイで空を飛んで世界を股にかけるお爺さん達(たった一晩で世界中の子供たちにプレゼントなる不審物を送りつけることから、複数人いると予想される)は、子供の時分だったならば空を飛べるってだけで尊敬の念を抱かずにはいられなかったものだけれど……
一京のスキルを持つ例の人外。
安心院なじみと知り合ってからは、ただ空を飛ぶだけの老人なんてショボすぎた。第一、実際に空を飛べる能力を持つのはトナカイさんなんじゃないかとさえ思う。だったら、あの太った白ヒゲのお爺さんは益々無用になっちゃうね。醜いお腹の肉が邪魔で、煙突につっかえるかもしれないし、今日日煙突がついた家も珍しくなってきているし。安心院さんやめだかちゃんと過ごした甘酸っぱい中学時代、サンタさんの事なんか一度も思い出さなかったあたり、僕は無意識のうちにその存在自体を脳の奥の奥にある引き出しへとしまい込んでいたようだ。
人間は忘れる生き物だ。忘却は、神が人間に与えた素晴らしい能力だっていうじゃない?
中学校の授業中、教師が半端な残り時間を有効利用して語ってくれた面白い雑談。小学校時代廊下ですれ違った程度の、名前と顔しか知らなかった同級生。1年前の今日に食べた、きっと美味しかったであろうお母さんの手料理。呼び起そうとしても、ポッカリと抜け落ちてしまって思い出せなくなった過去の記憶。これらは偉い人によると、消えてしまったのではなくて、しまった場所を忘れただけだという。
だとしたら、同級生とかの記憶と、空飛ぶサンタクロースに憧れた記憶は別々の棚に収まっているみたいだ。
中学を卒業して、僕はエリートを抹殺するべく幾つかの高校を転々としていたのだけれど。
兵庫県にあるとある高校で出会った少女の言動は、僕の記憶の棚をハンマーでガンガン叩き壊すように、幼い頃の【憧れ】や【夢】といった青臭いそれらを思い起こしてくれた。
頼んでもいないのに記憶を掘り起こしてくれたのは、いささか余計なお世話かも。
おせっかいに対して、懐かしい気持ちにしてもらったのでお礼を言うべきか、叶いもしない夢を再び見せられたから、腹をたてるべきか。迷うところだな……
どういうわけか。その少女は宇宙人や未来人、超能力者というこの世に存在する筈がないものに執心していてね。
いつも彼女は摩訶不思議を追い求めて行動していたってわけ。
ありもしない非日常を渇望し、不思議探索と称して市内を巡回する活動も、ウンザリする位やったよ。
そんな非生産的な活動に付き合わされたら、嫌でもサンタの存在を思い出すってもんさ。
ただ、不思議な魅力を持つ少女の行動や言葉をもってしても、僕が元同級生の顔と名前は思い出せなかったのは、どうでもいい記憶に限ってよっぽど引き出しが頑丈なのか。もしくは、やっぱり引き出しもろとも消えたんじゃないか。短期記憶って言うらしい。
どうでもいい記憶なのだし、棚の素材や強度、置き場所についてはもういいや。
問題があるとするなら、そう。変にパワフルで、どこか人を惹きつける破茶滅茶な女の子の方だね。かつてポケモンマスターを目指したり、高校生探偵になりたがっていた純粋な気持ちを、よりにもよってこの僕、球磨川禊に思い出させてくれるだなんて、とんだお嬢さんもいたものだ。当時の僕ときたら、恥ずかしいことに。小っ恥ずかしさを感じさせてもらったお礼に、少女の頭を破壊して、脳味噌の一つも見てあげようと試みたんだね。ところが現実は厳しいもので。なんだかんだで邪魔されて、綺麗な脳を拝む事が出来ずじまいになっちゃったのは、今でも悔しいよ。ただ、まぁ、これは後になって知った事だけれど、どうやらその少女は神様だったんだって!なら仕方ないかって感じ。
自分を神だと自覚せずに不思議を追い求めるとか、頭おかしーんじゃねーの?まさに灯台下暗しってヤツ?
だけど、とはいえ。転校して早々、僕に目をつけた慧眼だけは褒めてあげなくもないんだからねっ!
ー転入ー
さて、新天地での新たな学校生活だ。転校って、何回経験しても緊張するよ。サイコロで決めた転入先は、兵庫県の西宮にある高校だったんだけれど、僕は必死に自己紹介を考えて、何度も何度もセリフをかまないように練習していったのさ。
世の中所詮、人は見た目。ファーストコンタクトの数秒間で、ある程度評価が決まってしまうんだって。寝癖とかつけようものなら、2学期までは寝癖ネタで弄られても仕方がない。要は何事も初めが肝心ってこと。
ん?転入した時期かい?
4月の末に別の高校を廃校にしたから……確か5月とかだったかな。
入学からひと月ほど。クラス内ではそこそこ絡むメンツが確立し出す頃だ。一番馴染みにくい時に転入してしまった僕だけれど、しかし孤独を感じる暇はなかったんだ。
どこがお気に召したのか。神様…もとい、涼宮ハルヒちゃんが僕ごときを部活動に勧誘してくれたのさ!
転入初日。その放課後だ。
僕とハルヒちゃんにとってのファーストインパクトは。
穏やかな放課後。教室に差し込む夕日がノスタルジックな演出をしてくれていて、僕は数人のクラスメートから質問責めされていたのだけれど。
廊下の方から、喧しくけたたましい足音が聞こえてきたかと思えば、足音の主は僕の眼の前で停止してね。しょうがないからふと見上げてみると、満面の笑みを浮かべて唾と言葉を投げつけて来たのさ。
「ねぇ!今日転入してきた球磨川ってあんたのことでしょ?」
えらい美人がそこにいた。
そこっていうか、いたっていうか。
彼女が遠路はるばる僕のクラスまで自らの足を運んだだけだけどね。
職員室で転入生の噂を聞きつけた少女は、僕が宇宙人ないし未来人じゃないだろうかと期待してやって来たわけだ。そんなわけあるかい。うん、何を持ってそのような期待をしてくれたのかは、ハルヒちゃんにしかわからないよ。加えて、彼女の期待に応えられなかった自分をぶち殺してしまいたくもなった。だって僕はどこまでも画一的な、無個性で無価値極まりない、どこにでもいる平凡な男子高校生に過ぎなかったからね。
髪に黄色いリボンをつけた美少女に、いきなり至近距離で見つめられるなんて……ついに僕はときメモの世界へ転生したのかもしれなかった。
しれないだけで、してなかったけど。
『やぁ。えーと……リボンちゃんでいいかな?』
「いいわけあるかっ!私の名前は涼宮ハルヒよ!」
即否定。なんか涼しげな名前を名乗られたけれど、珍しい苗字だったしよく聞き取れなかった。もう一度聞くのもバツが悪いし、僕はとりあえずあだ名で通してみる。
『そう。で、そのリボンちゃんが何か用なのかい?』
「は、る、ひ!人に安直なあだ名をつけないでもらえる?定着させようったって、そうはいかないわっ。てゆーか、あんたが転校生なのかを聞いてるのよ!」
リボンちゃんならぬハルヒちゃん(苗字はまた聞き取れなかった)は、目を半分ほど開けて僕を睨む。
余談だけれど、僕は【りぼん】も【ちゃお】も大好きだ。少年漫画には及ばないものの、少女の成長を見守り続けてきた雑誌達には、畏敬の念さえ抱く。少女達にとっての、一種のバイブル。漫画みたいにロマンチックな恋愛をしてみたいと女の子達が夢を見る気持ちがわかるよ。だって、あんなにも心躍る恋愛模様を見せられちゃうんだもの。僕が安心院さんの顔面を剥がしたのも、【ちゃお】や【りぼん】に影響されたからかもしれないね。事実は小説よりも奇なりとは良く言ったもので、僕と安心院さんのラブストーリーは漫画よりも遥かに刺激的だったけど。
閑話休題。
不機嫌そうな顔も、美人がやればとても絵になる。思わず後ろからハルヒちゃんを螺子で突き刺し、教室のオブジェにしたい衝動に駆られるぜ。
もっとも。彼女が安心院さんを倒せるスキルホルダーかどうか確認するまでは、いくら僕でも自重するよ。
『ざーんねん。いいあだ名だと思ったんだけどなぁ……。で、君がおっしゃる通り、僕が今日からこの学校にお世話になる球磨川禊ちゃんなんだぜ!いやんっ!』
僕が球磨川だと確定すると、ハルヒちゃんは高らかに宣言した。月でも目指しているのかと思うくらい。
「喜びなさい?あんたは今から、私が団長を務める【SOS団】の一員になったわ!」
髪をバサっとかきあげれば、鼻腔をくすぐる女の子特有の香りが。シャンプーか、香水だろうか。あんまりスンスン香っていては、新型痴漢とか言われちゃうね。
えすおーえすだん?
なんだろう、聞いたこともない団だった。しかもどうやら、僕は既に加入したみたい。
一員になってしまったものはしょうがない。
『よし、僕は今からSOS団の球磨川禊だ!ハルヒ団長。活動拠点とか秘密基地ってあるのかい?』
すっくと立ち上がり、僕は鞄を肩にかける。高校生活を一ヶ月やってみたものの、可愛い女の子と初日からフラグがたつなんて今日が初めて。……僕は感動のあまり泣いてしまっていた。
「ちょ…あんた、もしかして泣いてるの?」
顔を覗き込まれる。
ハンカチとティッシュだけは何があっても持ち歩くように。江戸時代から伝わる球磨川家の家訓にならい、今日もハンカチは僕のポケットに滞在してくれている。
すぐに取り出し、慌てて涙を拭く。女の子に泣き顔を見られるなんてかっこ悪いじゃないか!
『あははっ、ごめんごめん。まさか僕が、名誉あるSOS団の一員になれる日がくるだなんて。嬉しくって嬉しくって……!』
「!!……わかってるじゃない!そ、これはとても名誉なことなのよ。あんた、意外と見込みあるわね」
満足気に頷いたハルヒちゃんと共に、部室のある部室棟へ向かった。中々広い校内。初めて訪れた学校の構造を知っていく事で、なんだかゲームのダンジョンを攻略している時と似た高ぶりが、僕の心を支配する。
古いけれどそれも味わいといえる校舎が、じき使われなくなるのを想像したら……テンションも上がってしまうよ。自分で自分を制御出来なくなりそうな高ぶりは、なんとも言えない快感だ。
道中。
「あら、涼宮さん」
眉毛を太くするスキルを持った、朝倉さんとの初対面がこの時だったな。
「朝倉……さん」
さっき迄の笑みはどこへやら。
ハルヒちゃんは少しだけムスッとして、朝倉さんに応対。
会話の端々から、二人はクラスメイトだと判断出来た。
これから部活?とか、この後雨降るわよ、とか。つまらない会話を二、三してから、朝倉さんは僕に歩み寄ってくる。
「あなたが球磨川くんね?私は朝倉涼子。涼宮さんと同じクラスよ。今朝職員室で、先生達があなたの事を話していたの。クラスは違うけど、困ったことがあったら気軽に相談してね!」
人当たりの良い笑顔。
僕が良く知る、僕の笑顔と同じ類の。朝倉さんはこれから委員会だかで、駆け足で去っていった。
僕とハルヒちゃんは、朝倉さんを除けば特にイレギュラーもなく、部室に到着した。
これまた年季が入った木の扉。部屋のプレートには、紙でつくられた【SOS団】の札が貼ってある。
『手作りか…』
「良い出来でしょ?」
『まぁね、趣があるよ。』
僕の、嫌味ともとれる発言には触れず、ハルヒちゃんはドアノブをガチャリとまわした。
「やっほーー!!ちゅうもーく!古泉君に続いて、またまたやって来ました謎の転校生!その名も……」
『いえーーい!球磨川禊でーーすっ!ぴーすぴーす!!』
「「「「…………………」」」」
折角ハルヒちゃんが舞台を整えてくれたものだから、ホラ。のるしかないでしょ?
部屋の中もろくに確認せずにフレンドリーな挨拶をした僕だったけれど、部屋の住人は皆固まってしまっていた。失礼な人達だ。何かしら反応してくれないと、僕が滑ったみたいじゃない!
ん?古泉君に続いてって…、古泉君とやらも転校して来たのかな??
部屋の中には4人存在してて、一人は窓辺で読書する、地味めの少女。
もう一人の女の子は、明るい色の髪をもつ、おっぱいの大きいメイドさん。 どうしてメイドさんがここに…?ついつい胸に目線が行きそうになるのを必死で抑える。
で、男子も二人。爽やかそうなイケメンと……
『この上なく無個性な、まさに平凡な男子高校生だった。』
「…やれやれ。また変なのが来たな。で?その平凡ななんとやらってのは、俺のことか?」
無個性な高校生君は気怠げな眼差しで僕を見てくる。ううむ、何度見ても特徴がないね。キングオブラノベ主人公って感じだよ。ま、僕から言わせれば、その無個性が既に個性なんだけれど。
「そいつはキョン!で、窓際の眼鏡っ娘が有希。おっぱいの大きいのがみくるちゃんで、イケメンが古泉君!」
ご丁寧に、ハルヒちゃんが順繰りに紹介してくれる。なるほど、みくるちゃんに有希ちゃんか。しかし、せっかく紹介してくれるなら、パンツの色もセットで教えてもらいたいね。
って、キョン……?本名じゃないとすれば、あだ名だけは個性の塊だったらしい。僕としたことが、侮っていた。
「えっと…、はじめまして。私は朝比奈みくるです。よろしくお願いします」
キョン君の事を無個性呼ばわりしてしまった僕は、罪悪感で窓から飛び降りたくなったけれど、みくるちゃんに呼び止められては死ぬに死ねない。
天使が下界に舞い降りたのではないかと思うくらい、みくるちゃんは、魅力的な容姿を持っていたね。
『うん、しくよろー!僕のことは禊ちゃんって呼んでよ』
「え?あの、その…」
彼女は戸惑いつつ、チラッとハルヒちゃんを伺ってから
「…わかりました。それじゃあ、禊ちゃんって呼びますね」
いささかフレンドリーが過ぎたかな?みくるちゃんは頬を綺麗な桜色にして、すすすっと距離をとってしまった。マイケルも免許皆伝したくなるような、見事なムーンウォークだったぜ。
みくるちゃんの可愛らしさを語るには、時間がいくらあっても足りないな。スキルで時間を【なかったこと】にすれば解決だけど、みくるちゃんを語るのに【時間】という概念を消してしまうのはなんともマヌケだよね。
てことで、次。
次に近寄ってきたのは、眉目秀麗な古泉君。後のいっちゃん。ズルいのが、声までイケボなんだ。非の打ち所がない。
「古泉です。先日、貴方同様転入してきたばかりの新参者ですが、よしなに」
『古泉君ね、オッケー!』
美女が3人に、オマケにイケメンも1人。
なんだか、これからの学生生活が楽しみになってきたぞ!
『……おや?』
「………」
大切な団員たちとの顔合わせ。
有希ちゃんだけが、しばらく経っても液体ヘリウムのような目で僕を見つめ続けていた。さては惚れたかい?
これは、有希ちゃんルートへのフラグかもしれない。
夕日に照らされた有希ちゃんはどこか神々しく、絵画の住人みたい。凄いな、美少女ってヤツは。だって、いとも簡単に芸術になってしまうのだから。恵まれた容姿に産んでくれた親への感謝を忘れてはならないぜ。ある意味、見た目も才能なのだとしたら、ここにいる美男美女達も【エリート】って言えるかも。
僕が北高に来て……いや、SOS団に来てまずやるべきは、ここにいるみんなを殺すことかな。
思い立ったが吉日とも言うし、善は急げだ。とりあえず螺子を取り出そうとすると
『……あら』
あろうことか。
幽体離脱?金縛り?
身体がピクリとも動かなくなっちゃったんだ。なんてタイミングでかかるのか。脳と身体が切り離されたみたい。いくら念じても身体は言うことをきかない。電池が切れたコントローラーでラジコンを動かそうとするなら、電池を換えればそれでいい。しかし、困ったことに僕の脳に電池はない。
日頃の運動不足が祟ったかな?
螺子も満足に取り出せず、この上なく歯がゆい思いをさせられていると
「どうかしたのか、球磨川?」
ポン。
背後から、キョン君が背中を叩いてきた。触れられた途端、スイッチが入ったように身体の制御が戻る。
なんだったんだろ?今の。
『……んーん、なんでもないよっ!キョン君でいいかな?よろしくね!』
僕はキョン君の手をガッチリと掴み、ブンブンと上下に振る。
けっしてキョン君の存在を忘れていたわけじゃないんだ。男なら、無個性な男の子より可愛い女の子とフラグを立てたいでしょ、どうせだったら。有希ちゃんとみくるちゃんに夢中になっていた僕を責められるヤツがいたら名乗り出て欲しい。
「ああ、よろしく。」
こうして無事、SOS団の一員になれたのさ。緊張しまくりだった転入初日がつつがなく終わり、今日だけは自分にご褒美をあげようと、僕は帰りにエロ本を買ったのでした。
『巨乳もいいけど、やっぱり貧乳も良いね。貧乳はステータスだ』
学生服で18禁コーナーをウロつく僕を店員さんがイヤらしい目で見てくる中、負けずに一番好みの本を探す。
妥協は何も生まないからね。いつだって、球磨川禊は真剣そのもの。何人たりとも邪魔はさせないよ。
だからかな。初めて試合に出た桜木花道ばりに、僕は視野が狭くなっていたみたいだ。
「……貴方は誰?」
ボソッと。風にかき消されてしまいそうに小さい声が、すぐ隣から聞こえてきた。
『あれー??有希ちゃんだ!有希ちゃんもエロ本?』
声は窓際の眼鏡っ娘、長門有希のものだった。見た目からは想像できないけれど、彼女は意外にも痴女キャラだったのか。
ここは男として!一緒に本を選んであげる位はしないとね。
『有希ちゃん、どういう系の本が好きなんだい?僕も一緒に選んであげる』
「違う」
違った。
「貴方は誰?」
再度同じ質問。おいおい、君はロボットなのかい?
『僕は球磨川。球磨川禊だ。それ以上でも以下でもない、ありふれた高校生さ』
「……そう。」
有希ちゃんの目が、眼鏡の奥で敵意を放っているのを察せない僕ではない。思い返せば、部室で会った時から変な視線を寄越してくれていたし。でも、予測出来ようが回避出来なきゃ意味もない。
ベキャッ。
有希ちゃんのチョップが、僕のか弱い頭蓋骨に食い込む。
『……ぁっ……!!』
声にならない声はご愛嬌。
ズリュリュリュリュ。
グシャリ。
次の瞬間には、僕は床のシミになったらしい。らしいっていうのは、その事実を人から聞いただけだからだよ。
有希ちゃんの手刀は、頭蓋骨から下降したみたい。順調におへそ辺りまで両断された僕の身体は、もう少しで真っ二つになりそうだったんだって!お腹の辺りで止めてくれたのは、有希ちゃんの良心かな?
グロテスクな死因を語ってくれたのは、言うまでもない。
大好きで大好きで堪らない、安心院さんだぜ。
……………………
………………
…………
やぁやぁ、球磨川くん。
死んでしまうとは何事じゃ。
おっと、不機嫌そうな顔だね。そんな悄気るもんでもないだろうに。
女子高生に殺されるなんて、日本全国津々浦々でも、恵まれた死因なんじゃないかな?マニアともなれば、女子高生に殺される為にお金を支払うレベルだ。むさい男に殺されるより、万倍恵まれているよ。
ん?そこじゃない??
ああ、成る程。この教室か。気になるかい?ま、君の脳の処理速度を遅らせてまで考えるような価値はないさ。ここはここ。生徒も教師もいない、単なる空き教室だ。
だけれど球磨川くん。とはいえ球磨川くん。むしろ球磨川っち。
なんにせよ、ここで君の冒険は終わってしまったようだぜ?
なんせ死んじゃったんだから。
うん。つまり、この教室は死後の世界だと思ってくれればいい。
【安心院さんを倒そうキャンペーン】も終了だ。今回だけは君に同情するよ。ラスボスどころか、裏ボスレベルの存在がいる高校に、よりにもよって転校してしまったのだから。
有希ちゃん?あぁ、違う違う。
彼女は……なかなかプリティな経歴ではあるけれど、裏ボスではないよ。
つまり、君はボスでもなんでもない、普通の可愛い女の子に殺されたんだよ。
なおさらショックがデカくなっちゃったかな。
さてと。こらからどうする?
死んでしまった球磨川きゅん。
この教室で、未来永劫僕と二人っきりになるか、存在ごと抹消されるか。
……もしくは。女神様にでも会って、別の世界に行ってみるか。
嘘だよ。女神なんかいる筈ないだろ。
そういえば、箱舟中学で僕の顔面を剥がしてくれた時、新たなスキルを覚えたみたいじゃないか。【手のひら孵し】を下敷きにした、実に君らしいアレだ、アレ。
そのスキルを使えば、あるいは生き返る事も可能なのではないかい?
おっと。悪平等な僕に助言をさせるだなんて、君も罪な男だぜ。
……なんちゃって。
助言されて素直に従うような性格じゃないよな、君は。それでも、今日この時この場所に限っては、ありがたく助言を受け入れるべきだ。というか、受け入れるしかないだろ。
よもや、本気でこの僕と過ごしたいワケでもあるまい?
……それも悪くないか、だって?
わはは。照れるじゃないか。
いいかい?そんなものは、君が老衰死するか、スキルを失って生き返られなくなってからでも十分なんだよ。
いいから、何も言わずに帰りなさい。今日は珍しく強引な安心院さんだけれど、気にするんじゃない。
僕だって女の子なんだし、いつまでも年頃の男の子と二人っきりはマズい。身の危険も感じるし。エロ本屋に行ってきたばかりの君は、色々とアレだろうしね。
くれぐれも、有希ちゃんを襲ったりするんじゃないよ?
もっとも、経験もまだなお子ちゃまに、女の子を襲う勇気なんてないか。
怒るなよ。褒めてるんだから。
そういうのを大事にする男は、意外と好印象だぜ?年齢が行き過ぎると、また話は変わるけれど。
君くらいの歳なら、普通だよ。
下品な話はこれくらいにして。
仮に生き返れても、君はどうせ、少ししたらここにやって来そうなもんだけれど。
とりあえず、まずは一旦束の間のお別れとしゃれこもう。
球磨川君の北高ライフ、心から祈っているよ!
………………………
…………………
……………
そして。
僕は生き返った。
僕自身の身体から溢れ出た血液も。
こそぎ落とされた肉や骨も。
全て、みんな、最初から殺人がなかったみたいに、綺麗さっぱり消えていた。
『有希ちゃん。さっきぶり!』
「………」
この時の有希ちゃんの顔は、死ぬまで忘れない。
感情のない機械が、無理やり感情を植え付けられたような。そんな顔だ。
「……どう…して?」
確かに死んだ筈なのに。と、続けたかったのだろう。だから、それさえ汲み取って質問に答えてあげた。
『いやいや。しっかり、ちゃっかり死んだとも。君のお陰でね』
「……どうして」
生き返ったの?と、続けたかったんだね。すっかり、僕と有希ちゃんはツーカーの仲。
『人間ってさ、世界に70億とかいるんだって』
「………知っている」
だからどうした。と、有希ちゃんは話を逸らされたことに立腹みたい。
有希ちゃんの言いたいことはわかるのに、僕の言いたいことは伝わらないんだ。なんだか裏切られた気分だな。
ブルータス、なんてね。
『だからさ。それだけいれば、一人くらい生き返ってもおかしくないでしょ?イエス様だってそうじゃないか』
「………」
それっきり。有希ちゃんは何も言わなくなってしまった。にらめっこしてても、僕の負けは確定だろうから、本来の用事。すこーしだけエッチな本でも買ってかえるとする。
所持金によっては諦めなくてはいけないから、制服の内ポケットから財布を取り出した。
「……動かないで」
『で、でた……!これが、これこそが。有希ちゃん。君が時を止めたんだね!?』
さっきも、部室で同様の現象が起きた。僕の体は微塵も動かなくなってしまう。犯人は有希ちゃんだったのか。
運動不足説が外れてホッとしたような、原因が判明してがっかりしたような。
まあいいさ。
原因がわかったのなら、それを【なかったこと】にしてやればいい。
幸運にも、僕にはそれが出来る。
いや。ついさっき出来るようになったと言うべきか。
『悪いね。僕の拘束を、なかったことにした!』
晴れて自由の身になれたよ。
このスキル、こういうのにも対応してるんだ。だからって、感慨も何も無いけれど。安心院さんを倒せないなら、あまり、それほど意味はない。
「嘘」
またまた、有希ちゃんの貴重な驚き顔。うーん、何回見ても可愛いぜ。
嘘、か。確かに、嘘みたいなスキルではある。ちょうど良い。有希ちゃんに名付け親になってもらおっと!
『いいね。嘘って単語は禊的にポイント高いぜ。てことで、ワンポイントのアクセントに採用させてもらったよ』
「何のこと?」
有希ちゃんはすっかり戦闘態勢に。僕が何をしたところで、有希ちゃんには勝てないってのに。
もう飽きてきたし、僕は財布を取り出してそっぽを向いた。
中には野口先生ただ一人。
まだ定期券も購入していないから、これが無いとマイホームに帰れなくなっちゃう。
『あーあ、うっすい財布だよ。これでは僕の好きな裸ワイシャツ本が買えないじゃないか。悲しいけれど、帰るしかないね。』
依然として、身構えたままの有希ちゃん。そんなに警戒しなくても。
『じゃあ有希ちゃん、また明日とか!』
「………」
まだ慣れない電車での通学。スマホで乗る電車を調べながら、駅へ向かう。サイコロで決めたにしては、まぁまぁ面白い学校そうだ。
いつの間にか、早歩きがスキップになってしまった程度の振る舞いは許して欲しいんだぜ。
『やれやれ。これで有希ちゃんは僕に惚れたんだね。やれやれ。ハーレム主人公はつらいぜ。やれやれ。』