異世界の地下闘技場で闘士をやっていました   作:トクサン

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開戦の狼煙

 

「京、少し良いかしら」

「セシリーさん?」

 

 夜、シーエスと京が屋敷へと帰宅し、時刻は皆が寝静まる頃。コンコン、という控えめなノックに京は声を上げた。ドアの向こう側から聞こえた声はセシリーのモノ、京は部屋の扉に足を進めると静かにドアノブを回した。

 開いた扉の向こう側から顔を覗かせたのは、ナイトドレスにガウンを羽織ったセシリー。その髪は僅かに濡れていて、風呂上りだと言うのが分かった。鼻腔を擽る甘い匂いに若干胸を高鳴らせながら京は口を開く。

 

「こんな夜更けに、何か御用でしょうか?」

「えぇ、少しだけ――中に入っても?」

「勿論です」

 

 京は少しだけ陰のあるセシリーの表情に内心首を傾げながら頷く。シーエスと記憶が吹き飛ぶ程度には酒を飲んだ京ではあるが、体にアルコールに対する耐性があったのか、或はこの世界の回復魔法が凄まじいのか、ある程度理性的な判断が出来るレベルまでは回復していた。

 セシリーは京の部屋に一歩踏み込むと、近くの椅子に腰かける。京は備え付けのカップに手を掛けると、「大したものはありませんが、紅茶でも如何でしょう?」と問いかけた。

 

「気にしないで、実は先程頂いたばかりなの」

 

 そう言って笑うセシリーに、京は「そうでしたか」とカップを元の位置に戻した。改めてベッドに腰を下ろすと、「それで、御用と言うのは?」とセシリーに問う。セシリーは少しだけ困った様な、或は迷う様な素振りを見せた後、恐る恐る京に聞いた。

 

「京、貴方――『リース』という名に聞き覚えはあるかしら?」

「リース?」

 

 京は名前を聞き驚愕を顔に張り付けた。

 その反応だけで答えは出ている様なものだが、セシリーは唇を噛んでぐっと我慢する。京は京で、何故セシリーからリースの名が出たのか不思議で堪らなかった。僅かな間驚きに胸中を支配され、しかし問われたからには答えなければならないと、京は慌てて頷いて見せる。

 

「はい、その……リースは地下闘技場で同室だった戦友で、面識があります、しかし何故セシリーさんがリースの名を?」

「そう……彼女とは、今日、少し知り合う機会があって、それでよ」

 

 京の答えを聞いたセシリーの表情は実に苦々しいものだった、知り合う機会があったとセシリーは言うが表情からして余り良い出会いでは無かったのだろう。「何か、リースとあったのですか?」と京が問いかければ、彼女は首を振った。

 

「大した事ではないの、ただ――」

 

 セシリーはそこまで言って口を噤む、京は疑問符を浮かべた。大した事では無いと言うが、彼女は明らかに苦悩している。

 彼女はリースが京を探していたと、そう本人に告げるべきか否かを迷っていた。恐らくその事を話せば、彼はリースに逢いに行く事だろう。リースは大変京を好いていた、それは一目で分かる程の好意だ、彼女に逢いに行けば京は自分の元に戻ってこないのでは? そんな疑念があった。

 

 リースは京を再び身請けすると言っていたが、無論セシリーが京を手放すなどあり得ない。その程度の執着で済むならば、闘技場で身請けなどしなかった筈だ。では仮にリースに対して京は身請けさせないと言った場合どうなる?

 余り良い展開は浮かばない、少なくとも法に依れば京はセシリーのモノであり、感情に任せた所でアルデマ家に危害を加えれば国内では生きていけない。どちらにせよリースは既に詰んでいた、少なくともセシリーの目から見れば。

 

「………」

 

 セシリーの胸内は複雑であった、リースという少女が嫌いかと言えばそうではない、京という個人を好き合う同士、その感性は限りなく近い所にあるのだろう。或は出会い方さえ異なれば友人として語り合う事も出来たかもしれない。

 しかし、セシリーは「もしも」の話が嫌いだった、現に幾ら今を嘆いたところで時が戻る事は無く、リースにどの様な言葉を掛けようとも結末は分かり切っている。

 

 そして何より、セシリーはリースに対して不快感を覚えていた。

 それは嫌いという感情ではなく、憎悪に近い感情だ。つまり嫉妬していたのだ、リースという少女に。自分よりも長い時を京と過ごした、そして現に京をセシリーから奪還せんと動いている少女に。

 

「………京、一つ答えて欲しいのだけれど」

「……? はい、何でしょう」

 

 セシリーは京に問いかける。

 その表情はとても穏やかで、先程の苦々しい表情が嘘の様であった。京はリースと何かあったのだろうかと戦々恐々としていたが、晴れたセシリーの表情に安堵する。恐らく、自分の思い過ごしであると。

 そして彼女は運命の分かれ道となる、問いかけを行った。

 

「貴方――リースの事は好き?」

 

 それは短く、簡潔な問いであった。

 京も理解出来た、答えるのは簡単だった。耳から聞こえた言葉を噛み砕き、自身の感情と照らし合わせて。何の考えも無く、ただ単純に自身の気持ちを口にする。

 

「はい、好きですよ」

 

 

 

 この日、セシリーの何かが終わった。

 

 

 

 ☆

 

 

 ふと、何か言い表せない不快感を覚えて目を開けた。

 

 時刻は深夜、満月の明かりが仄かに部屋を照らし、薄ぼんやりと部屋の様子が分かる程度。セシリーが無言で部屋を去ってから数時間後程だろうか。

 昨日シーエスと酒を浴びる様に飲み、未だに頭痛が抜けていない。二日酔いの不快感かと一瞬呆れるが、しかし京の勘が明らかな異常を訴える。夜は寒く、京はベッドから抜け出すと武官制服の上着だけを着込み、窓から外を覗き込んだ。

 眠気はあったが、それよりも危機感が勝った。未だに靄の抜けない思考と視界だが、動けぬ程ではない、それに眠気と不快感も靄も(じき)消えるだろう。

 

「……誰かいる」

 

 それは闘技場で鍛えられた第六感から発せられる警鐘、寝ていても敵意には敏感になる目覚まし機能。セシリーが戻って来た? いや、そういう類の視線ではない。明らかに悪意のある視線だった。

 

 十二歳の頃に受けた訓練に、睡眠時に強襲を仕掛けられるというものがある。寝ていれば当然無防備だ、腹部に全力の踏み潰し(ストンプ)を受けたのは十や二十ではない、文字通り血反吐を吐いたお蔭で京は先程からチクチクと感じる視線を捕らえられた。

 

 シーエスから受け取った手甲を素早く回収し、両手に装着して部屋の窓を開ける。視線は外から、京の部屋は本邸の中央――セシリーの部屋に近い場所にある、視線の主は恐らく屋敷の外周に居る。京は周囲を見渡すと、徐に窓枠を蹴飛ばして部屋を飛び出した。

 京の部屋は二階にあるので大した落下距離ではない、地面に生え揃った芝生の上を転がって衝撃を吸収し、再び襲撃に備える。視線は感じるが依然、何か動きがあるという訳ではない。

 

 周囲は薄暗く、月明かりだけが頼りだ。そこらに生え揃っているブッシュ、手入れされた木々、そこからは何も感じない。

 しかし京は、視線が複数ある事に気付いた。

 

「一人……いや二人」

 

 そう口にした途端、ヒュッ! と風切り音がした。それは余りにも小さく、然もすれば気にも留めない程の大きさ。しかし京は音の出所を瞬時に把握し、その場から飛び退いた。瞬間、屋敷の壁に突き刺さる一本の投擲ナイフ。

 やはり誰かいる、そう確信した京に影が堕ちた。

 

「ちょいと眠って貰いますねぇ~」

 

 影は上から。

 まるで覆い被さる様にして落下してきた人影は手に持っていたダガーを一閃、素早い、更にギリギリまで存在を感知出来なかった。京はその軌道から逃れる事を不可能と判断、咄嗟に人影を突き飛ばした。驚異的な筋力を以て突き飛ばされた人影は、そのまま「ぐぇっ」と声を上げて放物線を描く。

 刃は辛うじて前髪数本を掠る程度に留まり、人影は芝生の上を一回転した後軽やかに立ち上がった。

 

「うえぇ、失敗しましたよコレ、明らかにヤバいですよぉ」

「……無様だな」

「それ、アナタが言いますぅ?」

 

 京の目の前で腰を折る人影は、月明かりの下でも視認し辛い恰好をしていた。前世で言うならば忍者だろうか、或はローグと言っても良い、全身黒尽くめの顔隠し装備、どう見ても暗殺者か盗賊の類である。影は二つ、一つは比較的小柄で声が高い、女性だ。

 もう一つは京よりは小さいが恐らく体型から男だと推測できる。

 二人は互いに距離を離しつつ、京を中心に円を描く様に動く。

 

 見た目は怪しさ満点、更には確実に不法侵入、そして京の仕事は武官。そこから導き出される行動は一つ、屋敷及びセシリーの防衛である。京は両手の手甲をカチ合わせて金属音を鳴らすと、拳を構えた。

 

「うわぁ、やる気満々ですよぉ、この人――って言うか、あれですよ、この人ですよねぇ絶対」

「大柄、男性、元地下闘技場、素手格闘(ステゴロ)、貴族に身請け、十六歳………十六歳? ――恐らく、コイツだ、多分」

「じゃあ身を晒すだけの価値はあったんですかねぇ、しかし中々良い男ぉ……帰ったらもう少し依頼料貰おうっと」

 

 そう言って女性の影が先に飛び出し、男性の影が後から追従する。その速度は京を以てしても驚くべきスピードで、彼女の持つ刃が月明かりを反射し光った。

 

 身構えていた京はその速度に内心舌を巻きながらも、何とか防御に回る。振り下ろされた一撃を手甲で弾き、空中で姿勢を崩した状態からの蹴りを腹筋で受ける。更に後方から男性が繰り出した突き一閃を首を傾けて躱し、喉元目掛けて放たれた抜き手を手甲で払った。

 

「っ、嘘ぉ」

 

 一人二撃、計四撃を凌いだ京、しかし攻撃に繋げられるかと言われれば否である。両手を防御に回し尽くした京は体勢を崩した二人に体当たりを繰り出し、その巨躯からの一撃をモロに受けた二人は大きく吹き飛んだ。

 しかしあくまでタックルでしかないソレは、身軽な二人にとって致命傷にはなり得ない。仲良く吹き飛んだ二人であるが空中で体勢を立て直し、そのまま難なく受け身を取って起き上がる。

 

 女性の影は京の戦闘センスに驚きを露わにし、男性は警戒度を大きく上げた。京は先程振るわれたダガーの軌道から一つの確信を得る。

 

 この二人、まともに戦う気が無い。

 

 先程の攻防、下手をすれば京の命が危うかったかと言えば、そうではない。突きも振り下ろしも、全て【負傷するけど死にはしない】程度の浅さに抑えてある。皮膚を辛うじて斬れれば良い、筋肉に少しだけ刃先が届けば良い、そんな間合いだ。

 殺す気が無い――いや、この場合はソレで十分と言うべきか。

 

 あの刃には何か毒物が塗り込んである、恐らく麻痺して動けなくなるとか、幻覚作用があるとか、そういう類の。

 成程、どうやら相手には自分を殺す気が無いらしい。

 

「思った以上に強いんですけどぉ……どうする、逃げるぅ?」

「――悪手」

 

 態々(わざわざ)入り込んだ悪党、逃がす訳ないだろう。

 京は一息で地面を踏み砕くと、戦車の如く突貫した。速度は二人には及ばない、しかしその巨躯からは想像も出来ない破格の速度、二人も迫りくる巨大な質量を前に肝を冷やし、慌てて構える。

 

 踏み込みは深く、鋭く、男性が先程まで立っていた場所に渾身の右ストレートが振り抜かれる、ブォンッ! と風切り音が鳴り、ぶわっと男の体を風圧が押し出す。男は辛うじてダッキングを行い、顔面に飛来したソレを躱した。

 直撃は絶対にしたくない威力、京の一撃は見せ札としても十二分に発揮した。

 

「ッ、背を見せたら、マズい、俺が抑える、行け」

「うわぁ――了解、生きて戻って下さいよぉ~?」

「抜かせ」

 

 どうやら男が自分を足止めし、その間に女が逃げる算段らしい。

 逃がしてなるものかと京は皆に襲撃を知らせる為に声を上げようとし、その寸で男の刃が飛来した。どうも声を出す暇も与えて貰えないらしい。

 

 男は先程と異なり両手にダガーを持ち、それを鞭の様に(しな)らせて振るう。軌道は半円を描くが距離が長い、ナイフを深く、(しっか)りと持つのでは無く、まるで刃を引っ掛ける様に飛ばしてくる。

 更には一撃一撃を全力で振るわなくて良い分、戻しが早く手数が多い。京とて一撃のスピードは負けていないが、恐らく一撃を打ち込む間に相手の攻撃もまた、京を捉えるだろう。

 

 間合いが読めない、踏み込みたいが刃に仕掛けがあると理解している以上、深く踏み込む事に躊躇いが生じる。一撃でも受けてはいけないと言う制限が京の足を止めていた。

 京は男の刃を躱し、手甲で弾き、逸らし――何か奇妙な感情を覚えた。

 

 それは何と表現すれば良いのか分からない、ふつふつと湧き上がる怒りと言うか、不満と言うか。

 何て言うか、違うのだ、()()は。

 シーエスやリース、他の今まで戦って来た闘士と全く異なるモノを男からは感じる。不意に叫びたくなる衝動と言うか、顔を(しか)めたくなるモノと言うか。

 

 これは――そう、不快感だ。

 

 何かが気にいらない、彼から発せられる気配が京の胸を逆撫でする。それが何か、理解出来ない。しかし京は相手の表情を見て唐突に理解した。

 

 

 ――コイツ、自分が【死なない】と思ってやがる。

 

 

 死ぬ覚悟がない――否、彼からすれば死ぬ必要が無いと言ったところか。命を懸けるに値しない闘争、戦い、試合、それは男から熱と言う熱を奪い、その戦い方もまた投げやりで、無造作で、どこか腑抜けて見える。

 

 いや、彼からすれば本気なのだろう、しかし攻撃の合間合間に見える、【どうせ自分は死なない】、【相手も死なない】、【何事も無く終わる】という感情。それが京の感情を苛立たせ、モヤモヤとした何かを蓄積させた。

 

 京にとって闘争とは、少なくともこの十年で学んだ戦いとは、相手と己の命を代価に同じフィールドに立ち、生きるか死ぬかと言う極限に挑むものだ。京だって人間だ、その心臓に剣を突き立てられれば簡単に死ぬだろうし、ましてやリースの様な亜人と戦えば数秒で火達磨にされるか、氷漬けにされてもおかしくない。

 

 頑丈な肉体を審判者より授かってはいるものの、その基準はあくまで人間にしては、だ。故に京はいつも死ぬつもりで試合に臨んでいたし、実際この場所に立つまで何度も死ぬ思いをした。

 

 打ち据えられ、斬られ、殴られ、蹴られ、抉られ、その度に阿保みたいな回復力と異世界のトンデモ魔法に死の淵から無理矢理引引きずり出され、こうして此処に居る。

 いつだって格下相手だった訳ではない、寧ろ地下闘技場では格上ばかりと戦っていた、王者に辿り着くまでの何百という戦い、その全ては一方的に蹂躙されて当然のものだった。

 

 だと言うのに、コイツは。

 死ぬ覚悟も無く、自分と対峙しているのかと。

 

 不意に、京の動きが鈍った。それは刹那の時間だったが、相手の男にとっては好機に映る。伸ばした腕に加え一歩、踏み込む事によって刃が京を捉える。

 切っ先が京の頬を掠め、少量の血が弾けた。

 

 斬った。

 

 男は勝負の終わりを悟る、この刃に染み込ませた毒は即効性。一分かそこらでコイツは行動不能になると、ならば後は毒が回るまで凌ぐだけ――そう思っていた。

 

 その男の顔面に、拳が突き刺さるまでは。

 

 京は相手の踏み込んだ一歩に加え、斬られる前提で更に大きく踏み込んでいた。

 それは京の拳の間合い、超接近戦(インファイト)。踏み込んだ勢いに加え腰の回転を余すことなく利用した一撃は、男の顔面を見事に撃ち抜く。

 

 男は大きく脳を揺さぶられ、更に自身の頬骨から鈍い音を聞いた。それは骨を砕かれた破砕音、大きく吹き飛びながら平衡感覚を失った状態で受け身を取る。痛みに地面を転がり回りたい、しかしそれをぐっと我慢しながら男は脂汗を流した。

 そしてゆっくりと目の前の巨躯を見上げる。

 

 

本気でやれよ(死ね)

 

 

 やばい。

 男の第六感が全力で警鐘を鳴らした。

 大きく距離を取ろうと背後に跳んだ男の肩を、京は恐ろしい握力で掴む。

 

「う、おォ!?」

 

 京は背後に跳ぼうとした男の体を逆に引きつけ、地面に叩きつけた。如何に地面が芝生であろうと、凄まじい力で叩きつけられては意味がない。背を思い切り打ち付け、肺の空気が余さず抜け切る。

 そこから転がって京より離れようとするも、先に腹部を蹴り上げられた。

 

 ズンッ! という重い打撃音が腹を貫き、パキンッと嫌な音が鳴る。凄まじい勢いで蹴り上げられた男は半ば強制的に立ち上がる事になり、そのまま腹部を抑えて体を曲げる。胃から何かが逆流するも、それを吐き出す前に顔面に蹴りが直撃。

 血と、吐瀉物と、それらを撒き散らしながら男は大きく吹き飛んだ。そこから地面に落ち、何度も転がる。漸く停止し、暴風の如き猛攻を凌いだ男の体はボロボロだった。

 

 顔面全てが熱を持っている、熱い、体全体がそうだ、どこが痛いのか分からない、男は何か言葉を絞り出そうとして、しかし口が全く動かなかった。

 

「ぁ……が……ふ」

 

 漏れるのは吐息と、意味を成さない声。その男の足を掴んだ京は、まるで柔道の一本背負いの様な形で男を地面に叩きつけた。顔面から地面に叩きつけられた男は、ガクンと衝撃に頭を揺らしながらピクリとも動かない。

 そのまま足を手放し、無造作に放る。

 

 京が足で男を仰向けに転がすと、頬の高さと同じになった鼻と白目が見えた。頭部を覆っていたマスクは半分脱げており、辛うじて生きてはいるらしい。しかし、放っておけば勝手に死ぬだろう。

 

「………」

 

 京は男を見下ろしながら、何ともやるせない気持ちになった。この感情は何だろうか、独り相撲を終えた後の虚無感というか、自分を慰めた後の切なさと言うか。どうにも消耗し切れない、後味の悪さを覚えた。

 

 個人的な感情はどうあれ、兎も角取り押さえる事は出来た。後はアルデマ家の人間に突き出し、何をしでかそうとしたのか、或はしでかしたのか、吐き出させる必要がある。京は屋敷の人間を誰か呼ぼうとして、首筋にチクりと刺激が走った。

 それは寒気と言っても良い、京の直感。

 

 その感覚に導かれるまま振り向き様に拳を奮うと、何者かが京の後ろに立っていた。ソレは京の拳に反応し腕を振るう、だが力勝負で人間相手に京が負けるなどあり得ない。硬質な音と共に影の腕は弾かれ、そのまま影は数歩踏鞴を踏む。

 

 新手か。

 

 今の京に余裕は存在しない、今地面に沈んでいる男を倒す為に毒を受けたのだ、いつ自分の意識が堕ちるかも分からない。故に開幕速攻、手加減不要の一撃をお見舞いする。グンッと体を沈ませ、そのまま腹部目掛けて拳を放つ。

 

 確認したところ目の前の人物は刃物を持っていなかった。或は京に見えないだけかもしれないが、コイツ等に自分を殺す覚悟は無い。最悪で意識喪失、ならば何も恐れる事は無い、そう意気込んだ。京の拳が真っ直ぐ影の腹部に撃ち込まれ、ズンッ! と衝撃が走る。

 しかし、京はその手応えに眉を顰めた。

 

 硬い――鎧か?

 

 手甲越しに感じる強度、その密度の高さ。

 否、そういう類の硬さではない。内側まで硬質的な何かで覆われている、まさか魔法――亜人なのか、そう瞬時に京は判断した。ならば全力全開、一撃だけなど生温い事は言っていられない。

 カチリ、と何かが京の頭の中で鳴り、対人間から対亜人用の思考に切り替わる。

 

「すぅッ」

 

 魔法で強化されているのならば、二の打不要の拳でさえ有効な武器とはなり得ない。ならば同じ威力で、更に数を打ち込むのみ。小さく息を吸って肺に空気を溜める、そこから一気に全身の筋肉を稼働させた。

 

 顔面目掛けての超高速連打(ラッシュ)

 

 技も何もない、全力でぶん殴り、戻し、もう一度ぶん殴る。それを凄まじく速く、正確に行うだけ。亜人と言えど体の造りは大凡人間と似た様なモノである。脳があり、脊髄があり、弱点もまた同じ。無論種族によっては弱点が弱点なり得ない、それこそ鱗や硬い皮膚で覆われている連中もいるが、顔面はどこの亜人も一緒だ。

 脳を揺すれば意識が飛ぶ、それは全種族共通。

 

「――! ――!」

 

 空気の破裂する音、硬質な何かを殴る衝撃。

 京の怪力を十全に生かした連撃は全弾人影の顔面に炸裂した、拳に伝わる感触はやはり硬い。しかし、確かに効いている様子はある、三十発目で一際強力な拳を放った京は、そのまま人影を吹き飛ばした。先程まで京の拳を平然と受けていた人影が吹き飛んだ、魔法が切れたのか、或は。

 

 兎も角、今こそ好機と京は更に距離を詰める。起き上がる様子もない人影に跨り、その両手を大きく突き上げた。

 

 

暴れ太鼓(アバレダイコ)

 

 

 マウントを取った京は振り上げた拳を振り下ろし、人影に叩きつける。ズドンッ! と空気が破裂し、相手の体が大きく揺れる。一発では終わらない、二発、三発と徐々に回転数を上げていく。一発一発を全力で、全身全霊で叩きつける、その衝撃たるや凄まじいもので、人影を伝った衝撃が地面を震わせ、顔面部位の周囲だけ陥没する程。

 衝撃を逃さぬように相手の体を自分の体で抑えつけ、全弾無条件で直撃させるという京の対亜人用ポジション攻撃。

 

 京が地下闘技場で学んだ事は一つ、亜人は強い、阿保の様に強い。地下闘技場に収容されているリースを除いた亜人は比較的弱く、『百戦錬磨の人間がどうにか勝てるレベル』でしかないが、それでも京にとっては油断の出来る相手では無かった。

 故に、殺せる時に殺さなければ、此方が殺される。

 それ程までに亜人という存在は脅威だ。

 恐らく一般的な成人した亜人であれば、京の全力でも敵わないだろう。

 

 一発、一発、一発――一秒に振るわれる拳は凡そ三発、そこから十秒ほど京は手を止める事無く人影の頭部を打ち据え続けた。手甲が京の怪力に悲鳴を上げ、塗装が剥がれて拉げる程度には凄まじい威力。そんな攻撃の直撃を受け続けていた人影は、遂に耐久力の限界に達す。

 バキンッ! という音。

 それが周囲に鳴り響き、人影の頭部が――砕けた。

 

「ッ!?」

 

 京が振り下ろしていた腕を止め、地面にめり込んだ相手の頭部を凝視する。人間の頭が潰れた音ではない、もっと硬質的なモノが割れた様な音。相手は顔を布で覆っていた、先程の男よりも念入りに。

 

 しかし、そこから血が滲んでいる様子もない。京は相手の顔面を覆っていた黒い布を無造作に掴むと、思い切り引っ張った。線維が悲鳴を上げブチリと布が裂け、その全容が明らかになる。

 

「人形……」

 

 それは人間では無かった、のっぺらぼうの顔に鼻の突起だけを付けた様な形。その顔の上から半分が砕け、破片が周囲に飛び散っている。材質は木、しかし恐らく魔法で強化していたのだろう、表面のあちこちに魔法陣が描かれていた。

 まさかと思い、背後を振り返る。

 そこには先程まで転がっていた男の姿は無く、男を叩きつけた衝撃で潰れた芝生だけがあった。

 

 やられた、そう思った。

 

 この人形は囮だったのだ、人形は所詮人形であり情報を喋る事は無い。京は跨っていた人形の胴体を強く殴り付けると、自身の迂闊さを嘆いた。

 

 

 

 ☆

 

 

 

「いやぁ、死ぬ程強いですねぇ、あの人、地下闘技場で王者を張っていた事は知っていましたが、いやはや魔法人形を素手でぶち壊すとは――あの人、実は亜人でしたってオチじゃないですよねぇ……?」

「ぐっ――そうだったとしても、驚かん」

「私もですよぉ~」

 

 闇夜に紛れて疾走する人影が二つ、先程京と交戦した二人組。男は顔面に回復薬を被りながら、何度も痛みに身を震わせる。痛みを省みない回復、それでも万全の状態とは言い難い、そこまでして何とか騙し騙し体を動かしている状態だった。

 遂に男は痛みに耐えかね、口元のマスクを外して何か錠剤を口に放る。それを噛み砕き、素早く呑み込んだ。貴族用に整備された街道、その灯りを避けて疾走する二人は並走しながら話す。

 

「今回の件で治療費、回復薬三つ、鎮痛剤と魔法人形一体、呼び出しの指輪一個……うわぁ、凄い大出費ぃ~、これ先方に請求しちゃぁ駄目ですかねぇ?」

「……こちらの失態だ、依頼料以外は請求不可」

「ですよねぇ~」

 

 女と男は屋敷からある程度離れた場所で身を潜めた、そこは貴族地と通常の居住地の境目。周囲には高い壁が聳え立ち、幾つかある出入り口には警備の人間が立っている。深夜だと言うのにご苦労な事だ、二人は暗闇に紛れる為の服を脱ぎ捨てると、予め用意していたダストボックスに押し込む。後で他の人員が回収する手筈となっている。

 ついでに使用した回復薬の小瓶と武器も放り込み、そのまま一般市民の様な恰好で関所に向かった。灯りに照らされた二人はその存在をクッキリと視認され、警備の人間が「こんな時間に誰だ」と顔を顰める。

 しかし二人の顔が明らかになった途端、警備の人間は素早く顔を逸らした――まるでそこには誰も居なかったかのように。

 

「いやぁ、買っといて正解でしたねぇ~、警備員サン」

「……口を閉じろ」

 

 そうしてアルデマ家襲撃犯は悠々と関所を通過し、貴族地より姿を消した。

 

 

 





 頭にヘアピンを差し、その上にニット帽とシルクハット、トドメにネクタイを巻く。
 上にコートとエプロンを羽織り二重三重のネクタイとマフラーを首から垂らす、腰に履くのは葉っぱと褌。
 手にはステッキを持ち手袋も完備、足には下駄を履き、我最強無敵也。

 意気揚々と庭へと飛び出せば寒波が頬を撫でる、現在三月も終わりに近づき四月に突入間近だが、私の地元は吹雪が猛威を奮っていた。
 しかし裸に靴下で家の廊下を制覇した私に恐れるものは無く、勇猛果敢に吹雪に挑んだ。
 
 その心境はドラゴンを前にした勇者か、或は闘牛に挑む闘牛士のそれ。

 最近ではめっきり寒さに慣れ、気温三度でも「暖かいな今日」と豪語出来る皮膚を手に入れた、裸と靴下は実に偉大である、新しい健康法として売り出せば百万部行くと思う、たぶん。

 しかし、如何に読者から渡された暖かい感想(物理)を纏おうと、吹雪は容赦がない。主に防具が装備されていない「生足」と「乳首」の被害は甚大で、ふぶく度に思わず背を向けてしまった。

 寒い、まさか――この私が?

 驚愕であった、或は恐怖を感じた。
 あの凍える様な夜を制覇した、この私に寒さを感じさせるなど、この吹雪は一体どれだけの人間の体温を奪って来たのか。胸の内に湧き上がるのは敵(吹雪)に対する敬意と恐れ、それは私の闘争心を一層燃え上がらせた。


 庭を走り回り、早一時間。
 終わりの見えない戦い。
 最初こそ元気に「ヤンデレバンザーイ!」と走り回っていた私だが、その表情には徐々に陰りが見えて来た。

 走り、風が吹けば背を見せ、再び走り、風が吹けば背を向ける。
 それは宛ら風を防ぐステップの様で、時間が経つにつれて、私はある思いに支配されていた。


 ――何で、こんな事しているんだろう。


 それは今までの過去を崩し得る思考だった。
 首だけ異様に暖かく、頭を覆う防具は完全だ、しかし生足と乳首だけは隠し切れず、そこからじわじわと体温を奪われて行く。おまけに下駄は走りにくい。 

 そんな不敬な考えに至って更に十数分、もはや慣れた動きである風避けステップを繰り返した時、不意に私は気付いた。

 この、ヤンデレに看病される為に始めた祈り(露出)

 もしや、これが正式なヤンデレ神を呼び出すための儀式なのではないかと。

 目の覚める様な思いだった、思わず天を仰ぎ見た。
 今ではこの吹雪さえも「ヤンデレに看護されて、ええんやで?」というヤンデレ神の導きに見えた。
 風が吹き、ステップを刻む。

 その瞬間、私は「これだ!」と思った。

 この極限状態に至って気付く、華麗な舞い。
 寒さを凌ぐこのステップは、ヤンデレ神に捧げる儀式そのものだったのだ。
 私は感涙した、余りにも枚数を重ねすぎて若干重いネクタイで涙を拭った。

 私はその日、そのステップを「ヤンデレの舞い」と名付け、後の子ども達に伝承させる事を硬く誓った―――。

               
 
  <了>





 そろそろ本編も終盤に差し迫ってきました、これから急激に展開が動きますがご了承下さい。
 尚、ヤンデレの舞いは繰り返すと太腿と膝、股関節に甚大な被害を与える為、「ヤンデレが好きすぎてしょうがないんだ!」という方以外は推奨されません、またヤンデレの舞いの副作用として、咳、鼻水、頭痛、悪寒などがあります、平日は控えましょう。

 ヤンデレ妹が看病してくれないから、これは風邪じゃない、良いね?
 
 

 

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