ターニャとレルゲンがらぶらぶちゅっちゅする話   作:佐藤9999

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 また期間があいてしまいました…
 でも、その分文量は多いですぞ
 



ターニャとレルゲンの温かいお風呂⑦ おやすみ

 

 

 

 病院での邂逅以来、レルゲンはターニャ・デグレチャフという少女の様々な表情を見た。

 それこそ、共に暮すようになってからはさらに色々な一面を知ることとなった。

 

 料理が出来る。コーヒーが好き。

 週に何回も教会で熱心に祈りを捧げる信心深さがある。

 外出しなかった日でも毎日欠かさずシャワーを浴びる程に清潔を好む。

 そして、時折見せる無邪気な表情。初めて頬に口づけしてきた時の、怒ったようにはにかむ仕草。

 

 ターニャは化物などではなく、一人の人間だった。

 その事実を知っていたつもりでいて、真に理解してはいなかったレルゲンは、ターニャの見せる新しい一面に心を動かされながら日々を過ごした。

 

 逆に、当初の印象と変わらず、それがかえってどきりとさせられることもあった。

 恒例で夕食後に催される討論はレルゲンにとって非常に刺激的な時間だ。

 その日ごとに異なる様々なテーマについて会話を交わす中で、ターニャは時折既存のものとは全く異なる発想を見せる。ターニャの小さな頭脳から出てくるそれらの思想はどれも奇抜でありながら、不思議な説得力を持っていて、そのたびにレルゲンはかつて自らが恐れた化物の片鱗を彼女の中に見る。

 

 結局、ターニャ・デグレチャフという少女は、他の何者でもない、ターニャ・デグレチャフという少女だった。冷酷な姿も、穏やかな表情も、恐るべきほどに理知的な光を放つ瞳も、どれも彼女を構成する一要素に過ぎず、それら全てを含めて彼女という人間なのだ。

 ありのままのターニャという少女を知った時、レルゲンは彼女に対してどこか不思議な魅力を感じ始めていた。

 ターニャが入院していた頃、彼女の部下たちがかわるがわる病室を訪れていたことをレルゲンは知っている。彼女はあれほど苛烈でありながら部下から慕われていたのだ。

 

 

 

 熱せられた石に水をかけると湯気が立ち上る。しかし、その勢いはさほど強くない。本来の営業時間を過ぎた後であり、木造の内装を施されたサウナはゆるい熱気と蒸気で満たされていた。

 汗を流すには少々物足りないが、長居するには丁度良さそうな塩梅だった。

 

 レルゲンは腰掛けに座り、天井を見上げて大きくため息をついた。

 慢性的なだるさ、頭痛、目の疲れ。働き詰めの不健康な生活で溜め込まれた疲労が、その一息の中に溶けて身体の中から出ていくような気分だった。

 充実した休日もこれで終わり、明日からまた軍務が待っている。

 

「………」

 

 しばし放心した後、レルゲンは物思いに耽りはじめた。レルゲンが思うのは、やはりターニャのことだった。

 

 今日、レルゲンはかつて無いほど沢山の時間をターニャと共有した。

 そして、レルゲンの記憶の中のどの場面を切り取っても、ターニャは険のない、柔らかい表情を浮かべていた。

 レルゲンと暮らすに従って、ターニャは急速に「普通」に近づいている。いや、努めて「普通」を取り戻そうとしている、と表現するべきか。

 

 レルゲンがそう考えるようになったのは、ターニャが朝と夜のキスをし始めたのがきっかけだった。

 

 

 ターニャが初めてキスをしてきた時、レルゲンは強い動揺を覚えた。

 単純に、予想だにしていなかったというのもあるが、それ以上に、ターニャのその行為は、レルゲンにとって特殊な意味を想像させたからだ。

 

 ――結果論ですが、こうして戦争が始まった以上、やはり孤児院で過ごしていたところでろくな仕事などなかったことでしょう。私が顔を見知っている院の少女達は今頃まさに、妾か娼婦か、選択を迫られているやもしれません。

 

 「軍属以外の選択」について、かつて病床のターニャにレルゲンが尋ねた時、彼女が語った言葉だ。その衝撃的な内容とは裏腹に、ターニャの声は自明の理を語るかのように静かなものだった。

 その時、レルゲンはターニャの言葉を否定できなかった。

 帝国という国は富めるものと貧しい者との差がはっきりしており、今の御時世、確かに孤児院の出の少女に与えられる仕事などそう多くはないだろう。妾か、娼婦か。それが全てではないにせよ、孤児にとってそれらの選択肢は常に視界の中にあった筈。

 

 作り物の笑顔と品のない言葉で男に媚を売り、はした金をせびって生きる? これほどの英邁が?

 その想像が脳裏をよぎった瞬間、レルゲンは吐き気を催した。

 

 当時、レルゲンはまだターニャを忌避する感情と完全に折り合いをつけられていたわけではなかった。しかし、ターニャの事を恐れる一方、レルゲンはターニャの能力を認めていたことは確かだった。レルゲンにとって、ターニャはまさしく恐れるに足る存在だったのだ。

 彼女ほどの才能があれば、何かしらの別な道があった筈だとは思う。しかし、ひとつボタンをかけ間違えれば、そうなっていたのかもしれない。

 その日の会話は、消えないわだかまりをレルゲンの胸に焼き付けた。

 

 仕事に出る男の頬に娘がキスをする。ありふれた朝の風景である。しかしレルゲンの知る限り、ターニャはそのようなことをする人物ではない筈だった。ならば、ターニャがその行為に及んだ意味とは一体何か。

 レルゲンが嫌な胸の痛みを思い出したのは当然の成り行きだった。

 

 レルゲンはターニャを世話し、養っている。その事実を彼女が「そのように」解釈しているのだとしたら。そうであるのなら、一刻も早く誤解を解かなければならない。

 焦燥にかられつつも、レルゲンは努めて冷静を装いながらその行為の意図を問いただした。

 すると、レルゲンの胸中など知る由もなかったであろうターニャは、まるでデリカシーのなさを責めるかのような目でレルゲンを見据え、その透き通るほどに白い頬をわずかに紅色に染めながら言った。

 レルゲンは、呆気にとられた。

 

「…シスターがっ、言っていました。 親しく共に暮らす人とは、こうするものだと」

 

 その言葉と表情には、少しの卑屈な気配も含まれていなかった。それは、レルゲンの心配がまるで的外れなものだったということを証明していた。

 ならば、その唐突な口づけの正体は何か。

 それはまさしく、与えられるべき愛情を与えられず血と硝煙にまみれて生きてきた少女の、なんとも不器用な愛情表現に他ならなかった。

 

 「お嫌でしたら、もう二度としません」とどこか焦ったように言うターニャにあわてて弁解しながらも、レルゲンは全身の力が抜けるような感覚を味わったのをよく覚えている。

 あの時、レルゲンはついにターニャ・デグレチャフという少女の正体を見つけたのだ。

 

 それ以来レルゲンは、少しずつ変わっていくターニャという少女を見つめ続けた。

 

 ターニャは、まるであの年頃の普通の少女が家族に対してするように振る舞うようになった。それは何でもないことのようであって、特別なことだった。

 

 ターニャは毎朝、そっと揺り動かしてレルゲンを起こしてくれるようになった。

 ターニャはレルゲンを「エーリッヒさん」と呼ぶようになった。

 ターニャはレルゲンを笑顔で見送り、出迎えてくれるようになった。

 ターニャは朝と夜にレルゲンの頬にキスをするようになった。

 そして先日、ターニャはついにささやかな我儘を漏らした。

 

 それはまさしく、明らかに特別な存在だった彼女の「平凡への願い」。それが一つずつ花弁を開くように姿を表していく過程なのだとレルゲンは理解していた。

 戦いを厭い、死を恐れた少女は、恐る恐るながらも望むものを一つずつ手にしている…

 

 

 

 額から流れた汗が瞼の上を横切り睫毛に絡む感触で、レルゲンは意識を浮上させた。

 汗が目に入る前に腕で拭う。ずいぶんとぼんやりしていた気がした。

 強い湿気でいまいち判然としないが、全身がじっとりと汗ばんでいるような感触があった。

 

(…これ以上は長居になるか)

 

 浴場で汗を流し、少し湯に浸かってから上がろう。

 レルゲンはのっそりと腰を上げた。

 

 開放した扉から流れ込んでくる浴場の空気は湿気と熱気を帯びていたが、サウナに比べれば涼しく爽やかなものだった。

 サウナを出たレルゲンは、軽く湯を浴びて、湯船を目指す。レルゲンは無意識のうちに、浴場内にターニャの姿を探していた。風呂を前にしてそわそわとしていた彼女のことだ。まだ湯に浸かっていることだろう。

 彼女から近すぎず、遠すぎない距離に。レルゲンは意識にとめないほど自然にそう考えていた。レルゲンはターニャにうっかり近寄ってしまわないよう、遠くから湯船を眺めた。

 

 ターニャは人に身体を見られる事を良しとしないらしい。

 古式ゆかしい貞淑な貞操観念を持っているのか、あるいは傷を見られることを厭うのか、それとも単に注目を集めるのが嫌なだけか。ターニャは教会つきの孤児院で育てられた人間で、不用意に肌を晒す事は決してなく、そして、衣服をまとわない浴場では彼女の姿が人目につくことも確かだった。

 あまり深く追求することは憚られたため、ターニャが実際のところどう考えているのかはわからない。しかし、だからこそ、脱衣所の前でターニャが言い放った一言の意図がレルゲンには測りかねていた。

 

「エーリッヒさんなら大丈夫」

 

 その言葉には一体どれほどの信頼が込められているのだろうか。嬉しくもあり、不安でもある。

 レルゲンはターニャの嫌がることはしたくない。しかし、そこまで言わせたからには、ある程度は並んで湯船に入る姿勢を見せなければ彼女に対する礼を失することになる。

 

 視界が悪いとはいえそもそもが狭い浴場の中の事である。レルゲンは難儀しながらも、すぐにターニャの姿を探し出した。

 レルゲンはひとつ目をこすった。

 レルゲンが見つけたのは、湯船の片隅で、浴槽のふちに小さな頭をもたげている姿だった。

 

「…っ!」

 

 その脱力した姿勢は、くつろいでいるというよりは、もっと違う意味をレルゲンに感じさせた。

 

 極稀にだが、風呂やサウナでは人が倒れると聞く。

 レルゲンは己の心臓が嫌な鼓動をひとつ刻んだのを感じた。

 

 ただ、それが杞憂であることはすぐに分かった。

 近づくと、無造作に寝かされたターニャの頭が、丁寧に畳んだタオルを枕にしていることにレルゲンは気づいた。そして、湯船側にまわってその顔を覗きこんでみれば、ターニャは実に穏やかな表情を浮かべて目を閉じていた。

 湯船はサウナをあがったばかりのレルゲンの体には想像以上にぬるく感じられた。この分なら、のぼせ上がって倒れたということもない。

 

 肘から先のない、か細い左腕が視界の端に映って複雑な気分を覚えたが、レルゲンはそれを飲み込む。

 

「…ターニャ。おい、大丈夫か」

「………」

 

 肩を軽くゆすると、ターニャはすぐに瞼を開いた。そして、なぜ目の前にレルゲンが居るのか理解できていないかのように目を瞬かせ、すぐに声をあげた。

 

「もっ、申し訳ありません…っ」

 

 慌てふためくその様子を見てひとまず安堵を覚えながら、レルゲンは新鮮な気持ちになった。ターニャのこれほど無防備な姿を見るのは初めてだった。

 思えば、そもそも彼女の寝顔を見るのも初めてのことではないだろうか。

 

「体調に問題はないか」

「は、はい」

 

 尋ねながら、レルゲンはターニャをじっと観察した。

 肌は湯の熱気でほのかに赤みを帯びていたが、正常の範疇だった。おかしなな発汗もなく、呂律も十分回っているように見えた。

 この分あらば、本当に体調不良ということもないだろう。

 

「居眠りをしていただけで、何も問題は…」

「ならいい。…全く、驚かせないでくれ」

 

 彼女が偽りの申告をしていないことを確認すると、レルゲンは膝立ちになっていた湯船の中に腰を下ろす。ターニャと並んで湯船に浸かり、レルゲンは一つため息をついた。

 

 今更敢えて遠くに陣取るのも不自然だ。近すぎず遠すぎずなどと考えていたが、計画がすっかり狂った。

 

「しかし…」

 

 心地よくない沈黙が二人の間に満ちるそうになるのを感じ、レルゲンは湯船のふちに背をもたれながら再び口を開く。

 

「居眠りをするほど気に入ってもらえたなら、こうして君を誘った甲斐もあるというものだな」

 

 喋りながら、自分の言葉を聞いたターニャが僅かに身構えたのをレルゲンは見た。

 

 近頃気づいたことだが、彼女は些細なことで不安を覚える人間だったらしい。ことにレルゲンが関わる事ではそれが顕著だった。

 人の言葉に対する過敏な反応。そうやって他愛もない失点すら潰していくことが、幼い彼女が軍内で立場を確保するために身につけた処世術だったのかもしれないとレルゲンは思う。あるいは、その原点は孤児院での生活にまで遡るのかもしれない。利口な子は孤児院ではさぞや重宝されたことだろう。

 しかし、ターニャはもはや孤児院の子供ではないし、軍服を身に纏っているわけでもない。

 …レルゲンに気に入られようと躍起になる必要もない。そのような気遣いは、家族には要らない。

 

 だから、ターニャが何かを不必要に負い目に感じようとしているのを察したレルゲンは、先手を取ってそれを否定することにした。

 

「君に喜んでもらえれば、私も嬉しい」

「……っ」

 

 曲解のしようのない直接的な言葉に、ターニャはまごまごと落ち着かない様子を見せた。ターニャはレルゲンの顔色を気にするくせに、レルゲンからの好意や善意を受け止めるのは下手だ。

 

(まあ、今はそれでいい)

 

 ターニャの自責を押し込めたのを見てとり、レルゲンは話題を変えようと思って、ふと思いついたことを口にした。

 

「…思えば、君を起こすのは初めてかもしれないな」

「そうでしょうか…」

 

 急に話の内容を変えたからか、ターニャの相槌には訝しむような気配が含まれていた。だが、レルゲンは敢えてそれを気にとめない。

 湯につけた手を上げて、「ほら」とレルゲンは言う。

 

「君は朝が早いから、いつも私が起こされる側だろう?」

「…そうですね」

 

 からかうような色も含んでいたレルゲンの言葉だったが、それに対するターニャの切り返しは思わぬものだった。

 

「朝にエーリッヒさんを起こすのは大事な私の仕事ですから」

 

 レルゲンはわずかに目を見開いた。

 何気なく口にされたその言葉は、すなわち彼女が心からそう思っているということの証明だった。

 大事な仕事。その言葉に込められた感情は…

 

(…いや)

 

 即座に追求を始めようとする心を押しとどめ、レルゲンは頭を振った。今は素直にターニャの言葉を喜ぼうと思った。

 

「ありがとう」

「…!」

「私はいつも、君に感謝している」

「………」

 

 ターニャはレルゲンの発言を少し吟味するようなそぶりを見せた後、ふいに観念したように言った。

 

「エーリッヒさんに喜んでもらえれば、私も嬉しいです」

「……ふ、言うじゃないか」

 

 

 

 

 それからレルゲンはターニャと他愛もない会話を交わした。

 温かな湯に身を委ねてどこか弛緩した気分の二人の口からは、普段二人が話すような小難しい題は出てこなかった。大した話題もない。しかし、不思議と話すことは尽きなかった。

 いい加減長湯だと風呂から上がっても、帰りの車の中で。果ては家に帰り着いてからも、二人は時間の許す限り話を続けた。なぜだか、そういう気分だった。きっとターニャもそうだったのだろう。

 二人の止めどもない会話は、夜もふける頃、ターニャが就寝の準備のために部屋へと下がったことによってようやく終わりを迎えた。

 

 ダイニングでターニャと別れてから、レルゲンは書斎で一人、ぼんやりと煙草を咥えて、開いた本を読むともなしに眺めながらくつろいでいた。咥えているといっても、煙草に火はついていない。そもそもターニャが家に来て以来、レルゲンは家の中で煙草を吸ったことはない。

 

 レルゲンは思う。今日一日でどれだけターニャと触れ合ったことだろう。

 

 普段、レルゲンがターニャと接する時間は実は短い。1日の大半が軍務のために外出しており、休暇も今日が初めてなのだから当然といえば当然だが。

 おかげで、この一日だけでもまたターニャの新たな表情を見つけることができた。

 

 ターニャが浴場で居眠りしていた時の事をレルゲンは思う。

 あの時は意識にあげるだけの余裕はなかったが、ゆっくり思い返してみれば、その寝顔は実に年相応な無垢で愛らしいものだった。

 それに、ワインを口にした時の何とも言えないがっかりしたような顔…

 

 レルゲンが己の記憶に浸っていると、書斎にノックの音が響いた。

 

「…エーリッヒさん」

「ん…入っていいぞ」

「失礼します」

 

 続いて聞こえてきた声に返事をすると、寝間着に着替えたターニャが部屋に入ってきた。

 レルゲンと違って片目でも十分な視力のあるターニャに見つからないよう、レルゲンは指の間に挟んでいた煙草を左手の掌の中に隠した。

 ターニャの視線が手元を追うように動いたが、特に疑問を持つこともなかったのか、追求されることはなかった。

 

「そろそろ良い時間ですし、寝ようと思います」

「ああ」

 

 言いながら、ターニャは書斎机を回り込んでレルゲンへと歩み寄ってくる。ターニャの背丈は、椅子に座ったレルゲンとさほど変わりない。ターニャが目の前に来ると、二人は同じ目線の高さで向き合うことになった。

 ここでターニャがレルゲンの頬にキスをして、おやすみなさいと言って寝室に帰るのがいつもの習慣だ。

 レルゲンはその時を待った。

 

「………」

 

 しかし、レルゲンの前まできたターニャはいつもとは異なり、足を止め、そのまま動かなくなった。その瞳には、何かを思い出し、ためらうかのような色が浮かんでいた。

 

「…どうした?」

 

 何か障りがあったか。そう尋ねると、ターニャは僅かに口ごもりながらもターニャは何かを決意したように息を吸い込んだ。

 そして、いつかの日の朝、レルゲンが玄関で見たのとよく似た表情を浮かべて言った。

 

「エーリッヒさんからは、していただけないのでしょうか」

「……!」

 

 何を、とは問い返さなかった。この状況ですることと言えば一つなのだから。

 確かに、レルゲンからキスをしたことは無かった。その理由は、ターニャが初めてキスをしてきた時にレルゲンが覚えた危惧と無関係ではない。

 

 それはひとえに、ターニャを守ろうという思いが故のことだった。しかし、それが彼女を不安にさせていたのだとしたら。

 レルゲンは目の前の少女の蒼い瞳を見つめた。

 

 僅かな時間が二人の間をすり抜けた。

 レルゲンは必死に何かを考えているつもりでいて、何も思考が働いていなかった。受け入れるべきか、それとも形はどうあれ拒否するべきか、全くもって決め兼ねていた。

 しかし。

 ターニャが再び口を開こうとするのを認識した瞬間、レルゲンの右腕はそれを阻止するために無意識の内に動いていた。

 

「…っ」

 

 抵抗する間もなく己の頬に添えられた指に、ターニャは目を見開いた。この期に及んで、ようやくレルゲンは己のしたことと、すべきことを理解した。

 

 覚悟を決めたレルゲンは、ターニャの頬に添えた指を離さないまま椅子から立ち上がり、腰をかがめ…そして、指を添えたのとは逆の頬にそっと唇で触れた。

 ぴく、とターニャの体が跳ねるのを感じた。

 

 レルゲンが体を離すと、ターニャはレルゲンの唇が触れた場所に手で触れながら、また「初めて見せる表情」を浮かべていた。

 

 

「…おやすみ」

「お、…おやすみなさい」

 

 

 

 

 

 扉が閉まり終えてから、レルゲンは唇を手でおさえながら、どさりと椅子に座り込んだ。

 まだ指と唇に感触が残っていた。

 その感触を振り払おうとして、己の唇に触れているのがターニャの頬に触れていた右手の指だということに気づき、はっとしたようにどける。

 

 レルゲンは頭をがしがしと掻きながら、机の木目を睨みつけた。

 今の今まで左手で握りしめていた煙草が崩れて机の上に散らばった。

 

(くっ…頬へのキス程度のことで、私は一体何を動揺しているんだ…!)

 

 

 触れたその頬は、柔らかく、すべらかな絹のようだった。

 

 

 




 
レルゲンさん視点はまるで少女漫画のようですね?
長かったお風呂編も名残惜しいですが今回で終わりです。 
ご満足いただけたでしょうか… 
 

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