(駆逐艦戦記1-3あたりからずっと思っていたことを今更言う作者)
それは突然の来訪者。平穏をぶち壊す低い、敵意の籠った声。
「ねぇ。雪風、あんたまだこんなコトしてるの?」
その言葉に雪風……丹陽さんも声を低くするように答えた。
「……その名前は捨てたのでやがります。私の名は丹陽。中華民国海軍の丹陽でやがります」
「どう名乗るかは勝手だけどね。私にとってはいつまでも雪風だから、お生憎様」
そう言い返す相手。きっと結ばれた口元に、駆逐艦娘の特徴ともいえる細い身体つき。
「相変わらず、減らない口でやがりますね」
「ありがとう。幸運艦サマに褒めてもらって嬉しいわ」
と、とりあえず。開幕冒頭剣呑な雰囲気が漂ってるなか、とても肩身の狭い時津風です。
えーとだ。あれ、ここって今の今までお風呂だったよね?? いや今も胸まで温かいお湯がなみなみと張られてますけど、うん。すごい冷えてきた。
丹陽さんに敵意を向ける相手を観察する。
「で? あんた、名前は?」
「へっ? 私っ?!」
「他に誰がいるのよ……まあ、察しはついてるけどね」
まあ察しがつくというのは分からないでもない。俺の友人なんて「目元だけで見分けられるね!」とか訳わかんないこと言ってるぐらいだし。
まあ要するに、例え裸でも分かるヒトには分かるのだ。艦娘鑑定士の朝は早い……みたいな?
と、とにかく名乗ろう。だ、大丈夫大丈夫。これでも鏡を見ながら何度も練習したんだ。挨拶の練習っていうのも変だけど。折角見た目は可愛い女の子なんだし、やっぱり第一印象はバッチリ決めたいじゃん?
と言うわけで不肖時津風! ばっちり挨拶を決めたいと思います!
起立ッ!
「……別に立たなくても良いわよ。それともあれ? 痴女なの?」
着席ッ!
……だ、誰が痴女なものですか!
でもまあ、俺と丹陽さんの前に立ち塞がるこの艦娘はちゃんとタオルで大切なところ隠してるもんね……言われても仕方が無いかもしれない。
「コホン。えーと……わっ、私は陽炎型駆逐きゃ……駆逐艦の時津風! よ、よろしくねっ!」
「……」
う、うわー。微妙な反応……というか挨拶で噛むとかなにやってるんだ。ドジっ娘属性とかそういうの目指してるんじゃないのにさぁ……馬鹿なの? 死ぬの?
「……コミュ障でやがりますか?」
丹陽さん! せせら笑うような表情でこっちみないで!
「……まあいいわ。同じく陽炎型駆逐艦の初風よ。こっちは天津風」
そういう初風さんの後ろには、ポニーテールの女の子……あぁ。うん。このちょっとキツメな目線を投げてくるのが天津風さんか……。
というかさ。
みんながなんか冷ややかな目で見てるんですけど?! 初風さんといい天津風さんといい、そして丹陽さんまでも!
なんで? 俺なにも悪いことしてないじゃん! なに、シリアスっぽくなってるところでボケかましたのが悪いって? わ、笑いの力って言うのはすごいんだぞ。つまりどういうことかというと……これ、俺スベった? いや、笑いを取るつもりは無かったんだけど……。
「えーと。はい。その……ごめんなさい……」
小さな肩をさらに縮こめて小さくなる。すると初風さんは聞こえよがしにため息。す、すみません……。
「謝らなくていいわよ。で? この幸運さんとどのくらいつるんでるのかしら?」
「え? かれこれ一ヶ月くらいですけど……」
あ、リアルでいう一ヶ月ね。夜戦とかの時間要素も絡んでくるこのゲームでは、どうしてもそういう時間絡みはややこしくなりがちだ。そこに思考加速の恩恵も加えるとなると、ゲーム内時間というのを統一するのは難しい。だから一ヶ月っていうのはリアルでの一ヶ月。
「ふぅん。思ったより長いわね」
それから初風さんは丹陽さんの方を見て。
「で、アンタはこの子に決めたわけ?」
「……それは時津風自身が決めることでやがります。私がどうとか、そういうのは関係ないのでやがります」
「常識的には、まあそうね。いいわ、そういうことにしといたげる」
そう言って初風さんは踵を返し……かけたのだけれど。
「あぁそうだ。時津風さん?」
「ひゃい?!」
いきなり振り返ったと思えば俺の方へと向き直る。キッと射貫かれて、思わず飛び上がりそうになってしまった。
「連絡先、交換しときましょ?」
同時に
「え、あ、はい。そうですね……じゃあ」
「初風」
その声で俺の指は止まる。た、丹陽さん。まだやるおつもりですか……。
「私たちは互いに不干渉でやがります……そう決めたじゃねーですか」
「あら。同型艦同士で絆を深め合うのは貴女への干渉に入るわけ? まぁ、時津風さんが嫌だって言うなら控えるけど」
え、それ俺に聞いちゃうの? というかやめてよこういうの?! なんか丹陽さんも初風さんも因縁深そうだし、この対立は俺の知らない原因なんだろうからどっちが悪いとか分かんないし!
あと、NPC同士のイベントならともかくこういうプレイヤー同士のいざこざは本当に終着点が見えなくて困るんだよ!!
え、どうしよう。ここで《Yes》を選択しちゃうと丹陽さんとの友好が50ダウンするとかあるの? どうしよう。
「これは私と初風の問題でやがります。別に、連絡先ぐらい交換しやがればいいのでやがりますよ」
おどおどしている俺に、丹陽さんはそう言う。
うん……なら、まあ。いいかな。
《Yes》をタップ。そして現れるフレンド追加の通知。【初風】という艦名に同じ艦娘同士を識別するための艦娘ID、そして《フレンドメモを追加しますか?》という文字列が浮かぶ。さっきの艦娘IDが機械上の処理のためなら、このメモはプレイヤーのための識別記号……ちなみに、艦娘IDはランダムに生成される文字列で、ユーザーIDとは異なるもの。初風さんとのフレンド登録は、
とりあえず「公衆浴場で出会った初風さん」と書いておく。ちなみに丹陽さんのフレンドメモは「丹陽と称する事実上の雪風」だ。テレビで似たような表現を聞いて、それがツボったのでそうしているのだ。
「あっ……私も、いいかしら」
そう言ってきたのは天津風さん。
「いいですよ」
と言うわけで追加。それを確認した初風さんは、さぱさぱとお湯をかき分けて行ってしまう。
「じゃあね。時津風」
「……」
「……」
き、気まずい……。
やっぱりフレンド交換したのは間違いだったのだろうか。基本的には誰かと繋がるのって良いことだと思うし、そうあるべきだと思うんだけど……。
あの後。初風さんたちを見送った丹陽さんと俺は、どちらともなく公衆浴場から出て、タオルで入念に身体を拭いた。別にゲームなんだからそんなことしなくても良いとは思うんだけど、
……やっぱ俺変態なのかな、という疑惑が常に張り付いてつきまとうのは仕方が無い。
「あ、あの……」
「なんでやがります?」
「えと……なんでもないです」
「……」
丹陽さんから目を逸らす。
やばい。流石にこの繰り返しは良くない。さっきから丹陽さんはずっと考え込んだ表情だし……でもどう声をかけたものか。このままログアウトなんてもっての他だろうしなぁ……。
「はい、でやがります」
「えっ?」
と次の瞬間、目の前に現れる牛乳瓶!
「へぼっ」
痛い。痛いよマジで痛い! 顔面直撃とか勘弁してよ! 鼻血出たらどうすんのさ……あ、鼻血は出ないのかな? ダメージの表現ってゲームごとで違うし、そういえばこれまで顔に砲弾とか爆弾受けたことないなぁ。
そんなことを痛みからの現実逃避で考える俺に、丹陽さんは盛大なため息。
「はぁ……言いたいことがあるなら言ったらどうでやがりますか」
「え……あー。うん」
これは思い切って言っちゃった方がいいだろう。うん。誰かさんも後悔先に立たず、とか偉大なこと言ってるし。
牛乳瓶を拾いながら言う。
「丹陽さんはさ……初風さんと、その」
「何があった? でやがりますか?」
「……うん」
丹陽さんは手に持ったもう一本の牛乳瓶、そのふるーい感じのする紙製の蓋を取り外しながら口を開く。
「別にどうこうってやつではねーのでやがりますが。昔、アレとは
「
「艦隊の名前は『第十六駆逐隊』……ま、安直な名前でやがりますがね。あの場にいた天津風も参加してやがったのでやがります」
「……じゃあ」
じゃあ。初風さんと丹陽さんは昔、同じクランで揉め事を起こしたと言うことだろうか。
もう少し何かを聞きたい。でも、何を聞けば良いのか、何を聞いても許されるのかが分からなかった。
でも、丹陽さんの表情を見たら……もうこれ以上は聞かない方がいいのかも知れない。
「丹陽と初風、そして天津風は昔同じ艦隊に所属していた」
それ以上でも、それ以外でもねーのでやがります。それだけ言って話を畳む丹陽さん。
「ごめん……その、変なこと聞いちゃって」
俺は誤魔化すように牛乳瓶の蓋を取る。
「いーのでやがります。あ、それは奢りじゃねーでやがりますからね」
「えっ」
結論から言えば、牛乳は舌触りがやな感じだった。
未発達な味覚エンジンが悪いんだ。そう思うことにする。
来るだろうな。とは思っていた。フレンド交換だって、そういう目的なのだろうな。とは思っていたし。
だから、その通知を見ても驚きはしなかった。
驚いたことを強いて上げるとするなら……
「ごめんね。呼び出しちゃって」
「いえ……その。大丈夫です」
「その、さ。そんなにかしこまらなくて大丈夫よ? その、
「じゃ、じゃあ……天津風」
俺のことを呼び出したのは、初風さんではなく天津風さんだったことだ。
らしくないっていうのは、きっと「標準的な時津風」と比べてらしくないって意味なんだろう。でも、いきなりフランクに接するのってなかなか難しい。
こういうゲームって「なりきり」を重視するかどうかって結構意見が分かれるみたいなんだよね。結局、艦これって水上を疾走しながら大戦争をするアクションゲームなわけで、別に女の子になりきって遊ぶゲームじゃないわけで。
俺と丹陽さんだってよくつるむからこそ女の子らしい話し方をするだけなのだ。
でもまあ、上位プレイヤーほど成りきり度は上がるって友人も言ってたし……もっと時津風になりきった方がいいのかなぁ……いや、高級車にのればお金持ちになれるわけではないし、なりきりをすれば上位プレイヤーになれるってのはおかしな理屈か。
……そんなことより、今は目の前の天津風に対応しなきゃ。
「天津風はさ……今日はなんで、呼び出したの?」
「立ち話もなんだし、演習場行きましょ?」
「……うん。そうしよっか」
友人曰く「呉軍港」をモチーフにしたと言われる演習場は、静かな場所だ。立ち話をするのにも丁度良い。
でも、折角演習場にいるんだ。演習をしない理由はない。天津風と俺は配置につく。
これも一種の、「拳で語り合う」って奴なのだろうか。
《行くわよ》
無線越しの天津風の声。
「あ、天津風……お、お手柔らかにしてよねっ?」
念のため言っとくと俺初心者だからね! ここ一ヶ月丹陽さんに鍛えて貰ったおかげでひとしきりの操作には慣れたけど、まだそういう域だからねっ?
同時に海を蹴る。速度調整には艤装についているコントローラーを使うことが出来るが、手を使わずに出力を調節するのにも大分慣れてきた。艤装がうなりを上げ、流れる海原の速度が上がっていく。
《ねぇ時津風。あなた、どのくらい聞いたの? ゆき……丹陽に》
天津風の声。
「昔、同じ艦隊だったってことだけ」
《そう……》
俺と同じように速度を上げていく天津風の影が一閃。もう撃ってきた。波を軽く蹴って進路変更。この距離ではすぐ躱せば当たることはない。
「ねぇ! その『第十六駆逐隊』っていうのは、どういう
着弾。思ったよりも近い場所に水柱が上がる。これ進路変更してなかったら当たったんじゃ……。
いや、そういう「たられば」はあとだ。とにかく撃ち返す。
着弾、当然当たるわけがない。そりゃ向こうだって回避してるだろうしね。
天津風は俺の問いに答える気配はない。変わりと言わんばかりに閃光。また撃たれたのだ。
「ねぇ、答えてよ! それは『港湾駆逐艦組合』みたいな駆逐艦のクランだったの?」
次の瞬間、視界が揺さぶられる。丁度真横の海が破裂して、全身を水飛沫が撫でたのだ。
「なっ……!」
そんな……ちゃんと回避したはずなのに……!
次の瞬間、頭に思い出されたのは丹陽さんの言葉。
『別に深海棲艦は使わないテクでやがりますから覚える必要はないですが……砲撃が上手い艦娘となると、相手の回避のクセを見抜いて回避先に砲弾を落としやがります』
『え……なにそれ、じゃあ避ける意味ないじゃん』
『精々クセを見破られないようにするんでやがりますね』
まさか、回避のクセを読まれた? それも一発で?
そんな。馬鹿な。偶然でしょ?
そんな希望的観測はすぐに打ち砕かれることになる。今度破裂したのは足下。疑いようもない、天津風は俺の回避のクセを読み取っている!
ダメージチェック。足下が破裂したと言っても扱い上は至近弾。直撃じゃないから何発も食らわなければ大したダメージではない。
逆に言えば、何発も食らってはダメだ。
とにかく、砲撃の腕が上なのはよく分かった。ならこっちの攻撃が当たることのない遠距離でやり合う理由はない。進路変更、天津風に真っ直ぐと向ける。
俺が突撃してくるのを悟ったのだろう。天津風も足を一瞬止め、それから真っ直ぐこちらへ向かってきた。
対面して突撃する二隻の艦娘……即ち、反航戦の格好である。
交わされる互いの砲火。激しい主砲の煌めきが見えれば、即座に服を、艤装を、身体を掠める砲弾。
でも、目の前の天津風という艦娘。かなりの手練れだ。丹陽さんでも敵うだろうかってくらい……あーいや、丹陽さんフツーに強いし、良い勝負しそう。
そして、俺に向かって突撃を続けながら天津風は言うのだ。
《『港湾駆逐艦組合』ね……ああいう駆逐艦なら誰でも入れるような大型