一方そのころアイリスは……。
「遠路はるばるご苦労様でした、アイリス様。これより御御身はいずれ我らが王妃となる身。我ら下身の者は皆、貴方の手駒だと思い、遠慮なく何なりとお申し付け下され」
「手駒だなんてそんな、そこまで気を使わなくても結構ですよ」
先ほどの宰相と同じような神官風な使い達に王との謁見を兼ねた夕食を終え、自室へと案内されていた。
武骨な外装とは一変、豪華絢爛な内装にさすがのアイリスも驚きを隠せない。場内は見渡す限り金でできた美しい装飾物がちりばめられ、壮麗さすら感じる。まさにここは、さながら場外から切り離された異界のようであった。
「それにしても…何というか、中は随分と外とは気色が違うんですね」
それを聞くと、アイリスの質問を待っていましたといわんばかりに横にいた使いの男は。
「そうでしょう、そうでしょう。この国の国風を見た後では少々驚きになられるかと思いますが、あれらは全て下賤の者。高貴な身たる貴族や王族たちはこの城内で常に気高い精神をもって日々の政務をなさっています。なので、アイリス様もベルゼルグにいたころのように不自由をする心配はないですよ」
おそらく本気で言っているのだろう。そのことに疑問を持つわけではないが自国の民草を下賤と貶めるのは国を治める上の者としてどうなのかとは思う。
「そうですか、ここでは快適に過ごせそうですね」
「アイリス様にそう言っていただけたならきっと王もお喜びになられるはずですよ」
アイリスの返答に満足したように男ははにかむ。
「っと、ここが今後、アイリス様のお部屋となります。なにか不都合があれば何なりと。では」
「ありがとうございました……はぁ」
ピンッと張った糸のように強めていた緊張と警戒がほどけ、壁にもたれかかる。
案内をしてくれた者達…一見温和な会話をしてくるようでその会話の中ではベルゼルグの機密を巧みに聞き出そうとしていた。
夕食の間のピリピリとした空気といい、王妃からの嫌な視線といい。
「これは、気を抜いている間はなさそうですね」
この様子から察するにガルガンダはかなり表面上の同盟を構築しようとしているようだ。さしずめ自分は人質といったところだろうか。
大抵のものに実力で負けるとは思っていないが、この国は姿こそ謁見では見ることはできなかったけれども『彼』がいる。
「……困りましたね」
一通りの状況確認を済ませたあとあまりの問題の多さに、心が重くなる。
……とりあえず悩んでも仕方ない。今日は疲れたからもうサッと湯あみをして寝よう。
「お兄様が言っていました。《明日の事は、明日になってから、考えよう》って」
さっき別れたばかりのあの人の事を思い出して幾分か和みながら寂しさも感じてしまうのは仕方ないだろう。
自分のスタイルについて何かと悶々としながら湯あみを済ませると、急にドアをノックする音が聞こえた。時刻はもう随分と遅いが一体誰だろうか。
「……どなたですか?」
若干緊張気味にアイリスが尋ねると。
「宰相のランタークでございます。夜分遅くとは存じますが婚約者であるグレン様をお連れしました」
……えっ。
「ではグレン様、私はこれで…お楽しみくださいませ」
そう言って足音が一つ遠ざかっていく。
「では、入るぞ」
返事待たずにもう一つの声が扉を開けてくる。
向かい側の窓から入る月光によってできた自分の陰で王子の顔はよく見えない。
「……ん?」
グレイは一瞬、何かに気づいたように首をかしげたが、すぐに口を開き。
「お前がベルゼルグの王女アイリスか。ふむ、うわさに聞くだけはある。まだ幼いが顔立ちも整っているではないか」
その瞬間、アイリスはこの後自身がたどるであろう運命を察してしまった。
きっと抵抗することも許されずに自らの女を奪われるのであろう、ということを…。
「こ…今回は…こちら側の同盟に応じてくださってありがとうございました」
震える声で応じる。理性では分かっていても本心が分かろうとするのを必死に拒む。
「怖いのか?」
おびえた様子のアイリスを見て愉しんでいるのだろうか、グレンは尋ねてくる。
「い…いえ、そ…その、初めて…なので緊張してしまって…」
本当なら今すぐにでも逃げ出したい。年相応な少女のように泣きながら許しを請いたい。
だが、王族としての責務がそれを許さない。たとえ薄氷のような同盟だろうとも愛する母国にはそれでさえ必要なのだから。
「なあに、最初は誰しも怖がるが、そのうち楽しくなるもんだ。…よっと」
「きゃあっ!?」
近づいてきたグレンにホールドされアイリスは難なくベッドに押し倒されてしまう。
いよいよ本当に奪われてしまうのだろう。無理だろうとは思っていたが初めてはあの人が良かった…。
遂には耐えきれなくなり純白の頬を一雫の涙がつたう。
その様子にグレイは満足……ではなく急にオロオロし始めた。
「えぇっ!? やべっ、やり過ぎたか。お、おい、しっかりしろよ」
そっちから泣かせておいて一体何を言っているのやら。すっかり錯乱状態のアイリスの瞳から涙は止まらない。
「俺だよ俺、あの時あった俺だって」
今度はオレオレ言い始めた。お兄様が言っていた巷で噂の《オレオレ詐欺》だろうか。
「ほらっ、闘技場であっただろう? あの時の…えーとなんて名乗ってったけなあ。…そうだ!! グレイだ!」
「えっ…あの時の?」
月の逆光で見えなかった顔をよくよく見てみるとそこには見知った顔が。
「いやあ、部屋に入った時から気づいてはいたんだがなんか緊張してたからよ。ちょっと和らげてやろうと一芝居うってみたんだが……なんか、悪いな」
ほう、つまりコイツは冗談半分で私の初めてを奪おうと?なかなか笑わせてくれるではないですか。
「で、でもな、あくまで冗談であって別に最後までしようとは思ってなかったからな」
「なに…とは」
「そりゃあ、なにってナ」
「【エクステリオン】」
部屋を傷つけないギリギリの範囲で必殺の意で放つ。
「ってうぉおおおお!? いやちょっと待て! 確かに俺が悪かった、少し悪乗りし過ぎた」
「そうですか…【エクステリオン】」
次度、滅殺の意で放つ。
「あぁああああああ!! お願い止めて! 今、無効化の魔道具つけてないから!」
そうか…ならば都合がいい。
「貴方がいなければ婚約も破棄できますしね…【セイクリッド=エクスプロード】!」
乙女を汚すものこれ何人たりとも許すまじ。
「ぎゃぁああああああああ!!」
終わってみればスッキリとした顔で満足そうな少女とプスプスと煙が立って焦げている王子という誰が見ても淫らな行為の後だとは思えないような光景…というより惨劇があった。
「それで? 何のためにここに来たんですかあなた」
すでに屍のようになっているグレンをアンデットを見るような目でアイリスは呟く。
「い、いや、俺は行きたくないって言ったんだけど大臣たちがうるさくてな。仕方なく来ただけなんだよ。もっ、もう一度言うが淫らなことは一切しようとは思ってなかったからな」
もういっそ最初の威圧が嘘のように…みじめさすら感じるグレンにさすがのアイリスも気を収めて。
「はぁ、分かりました。こちらもそれなりに無礼を働いてしまいましたからね。今回は互いに忘れましょう」
ようやく許しを得て安堵するグレン。
「了解だ……ところで、大臣にああいった手前すぐに部屋を出ると怪しまれるだろうし、今夜はソファーでも貸してくれないか? 話は明日適当に合わせておく」
「……仕方ありませんね。でも、少しでも邪な気配を感じたら討ちますからね」
もはや、貴方は敵です感を微塵も隠さないアイリス。
まあ、状況的にグレンが120パーセント悪いので、自業自得なのだが…。
「分かった分かった。これ以上言われないうちにさっさと寝ますよおやすみ」
そう言って数秒もたたないうちにグレンは寝てしまった。
前会った時といいさっきといい、おそらく根は実直なのだろう。…頭は弱いようだが。
「もう…私の体はお兄様のものなんですよ…って、何を言っているんですか私は」
おそらくさっきの事でまだ気が動転しているのだろう、そうに違いない。
「…お手洗いに」
すっかり夜になり昼間の煌びやかさは身をひそめ暗闇に支配された場内に、アイリスはどこか不気味さのようなものを感じていた。
「うぅ~、こわくないです、こわくないです」
ポツポツと自らに言い聞かせるように唱える。
周りを見渡しても警備兵一人として見当たらず――――
「どうかなされましたかな、アイリス様」
「ひゃあっ!」
突然の背後からの問いかけに突拍子もない声をあげてしまう。
「い、いつからそこに!?」
すると、男はニタァッと嗤い。
「ず――っとあなたの後ろにいましたよ」
シュッ!
「えっ?」
ドスッ!
「ゴホッ…なん、で」
ドサッ
「なに。これからしていただくことは純粋なあなたのままではさぞかしお辛いでしょうから手助けして差し上げるだけですよ」
そうして男…いや、宰相はアイリスを担いで再び闇へと音も無く消えていった…。