鬼哭血風録~相思相殺~【FGO×ドリフターズ・捏造コラボイベント】 作:みあ@ハーメルンアカウント
Act.4 魍魎跋扈
――その男の氏(うじ)は黒田、字(あざな)は了介と言う。
“正しい歴史”では後に黒田清隆と名を改め、第二代内閣総理大臣として日本の政治史に名を刻む事になる、極めて重要な人物である。
彼は薩摩藩の下級武士・黒田仲佐衛門清行の長男であった。薩摩藩に伝わる古流剣術・示現流免許皆伝という剣の手練れであり、一方、優れた砲手として藩主島津家に随伴している。
彼は鳥羽・伏見の戦いでの功績により新政府軍参謀に抜擢され、その後、箱館戦争時には攻伐軍の総指揮権を握っていた。1869年5月12日、背後の箱館山から攻め入って五稜郭を落とし、彼の率いる新政府軍が勝利を収める“筈であった”。そう、彼らはこれが勝ち戦であると確信していたのだ。
――口にするにもおぞましい、あの異形どもと相まみえるまでは。
「参謀殿!敵兵は我々の奇襲により混乱しております。まさかこの猛吹雪の中、遠距離からの砲弾を命中させるとは思わなかったのでしょう。
――このまま、街への砲撃を続けますか?」
偵察役の陸軍兵士が駆けつけ、好ましい戦況を伝えてきた。官軍誂えの戎服から覗く日焼けした浅黒い肌に、武人として恵まれた骨太の体格――馬上から戦場となった箱館の街を見据える黒田の表情は、硬く険しい。
「いや、砲撃はいい。各突撃隊はこのまま一気に四方から市中へ攻め入り、歩兵を展開させる。奴らが纏まりきれていない、この機を逃がすな!」
「はっ!」
(榎本武揚――あの男を捕れば、この戦は勝てる。問題は、そこに辿りつくまでの“化けもん”どもの相手じゃ)
五稜郭に攻め入った際、突然現れた影のような形(なり)をした旧幕府軍の兵士たち――何せ彼奴らは、斬れども、斬れども、まるで斃れないのだ。あれは正しく、地獄の釜から這い出てきた魑魅魍魎。人間が相手をするのは手に余る存在だと、黒田は先の戦いで気付いていた。
黒田は得物の柄を握り締め、鍔を鳴らして抜刀する。刃先の長い薩摩拵の大太刀が、猛々しい号令と共に風を切って降り降ろされた。
「――俺が先陣を切って敵軍の包囲を突破する、ついてこい!!」
わあ、と一斉に鬨の声が上がる。吹き荒れる吹雪をも追い風に変え、黒田率いる蝦夷島政府攻伐軍・黒田小隊は一丸となって箱館の街へ突貫した。
二度目の敗北は、許されない。前の戦では実に八割もの兵力を失い、軍艦・甲鉄をも奪われた。もしここで有りっ丈の戦力を投入された黒田の軍が倒れたならば、新政府にはもう後がないのだ。
「来よったな、亡者の成り損ないめ!」
雪で白く煙る視界の先、件の影兵たちが群を成して立ちはだかっている。旧幕府軍の洋式軍服も、刀も、軍旗も皆、黒、黒――黒一色。ゆらゆらと不気味に揺らめくそれは、宛ら生ける土壁のようにも見えた。
馬の手綱を引き締めて、黒田は恐れることなく影兵の防御網に突っ込んで行く。取り囲むように集まってくる化生たちを、彼は掲げた大太刀を振り降ろし、薙ぐように斬り払った。
――轟ッ!
示現流が得意とする、二の太刀いらずの重撃。それは、旋風が起こるほどの剣圧であった。横薙ぎにされた影兵たちが折り重なって倒れ込み、背後の陣列を崩す。致命傷には至らぬものの、彼らはその肉体へ確かなダメージを負っていた。
只の人間にしか過ぎない黒田が魔力で造られた肉体を斬るなど、本来ならば有り得ない話だった。思えばこの時、武術鍛錬の極致にあった黒田は――言わば、生者にして英霊にほど近い存在となりかけていたのかもしれない。
隊列が乱れたことで生じた突破口へ、機を逃がさず黒田は飛び込んだ。彼の軍勢が、続々とその後に続く。前から襲いかかる尖兵を斬り倒しながら、黒田の軍は五稜郭その一点を目指して進撃した。ここまでは、黒田の目算通りであった。
「―――ッ!?あれは……!」
五稜郭へ通じる一の橋を背にして、ひとりの男が立っている。迫り来る騎兵の大軍を目前にしながら、その男は微動だにしなかった。打刀と脇差を左右の手に携えて、仁王の如く彼らの行く手を遮っている。黒羅紗の戎服は、紛れもなく旧幕府軍のそれだった。
「どけい!!」
どかぬならば、叩き斬る。黒田は気合いを込めて刀を構える。馬で擦り抜け様に、その首を刎ね落としてやるつもりだった。――だが。
――ぞんッ!
「……なん、だと?」
黒田が異変に気付いた時、彼は馬上から地面へと放り出されていた。彼の傍らへ、どう、と大きな馬体が倒れ込んでくる。その首から上が、鎌で刈り取られたかのように消えていた。
不可視の一閃。刃を振るう風切音さえも、聞こえなかった。後続の兵士たちは動揺し脚を止めたが、血気盛んな者たちは馬を下りて刃を構え、男に向かって襲いかかる。
「待て!その男は――!」
黒田の制止も虚しく、斬り掛かった兵士たちは一瞬にして胴を真っ二つに斬り裂かれ、切口から鮮血の華を咲かせて崩れ落ちた。真っ赤に染まった雪の上、二刀流の男は黒田の姿だけを睨み据えている。
黒田は、その男の顔に見覚えがあった。
「貴様(きさん)、……よもや、土方歳三……!!」
宮古湾で垣間見た、陸軍奉行並土方歳三。武装艦・回天丸と共に新撰組を率いて鋼鉄を奪わんと襲撃してきた、あの猛攻の様を黒田は忘れていない。
戦の為に生まれてきたような男だった。旧幕府軍の戦神、それがこの男だった。だが、今のこいつは――。
「土方……貴様はあの時、一本木で討ち死んだ筈じゃ!死んでん死にきれず、化けち出よったか!」
――鬼だ。地獄から蘇った、鬼の首魁だ。
その冷え切った目を見ただけで、全身に怖気が走る。淀んだ瞳の奥にあるのは、憤怒と憎悪。これほどまでに暗く濁りきった目を、黒田は未だかつて見た事がなかった。
黒田の言葉に、男――土方歳三は、何も答えない。答えぬまま、ゆっくりと黒田の方へ近づいてくる。
「貴様も、もはや人ではなか……ちゅうわけか」
黒田は恐怖で強張る身体を叱りつけて立ち上がると、左足を前に出し、耳の横で刀を直立させる風変わりな上段の構えを取った。示現流における先手必勝の構え――“蜻蛉”である。
対する土方は、太刀を腰まで引いて脇差を前に突き出す、右脇の構え。機動力と防御性を両立させる、如何にも新撰組らしい実戦的な選択だった。
「キェェェェイッ!!」
裂帛の気合と共に、黒田が踏み込む。相手よりも速く剣を打ち下ろし、一刀のもとに叩き斬る――それが示現流の基本である。渾身の斬り下ろしに速度を加算したその威力たるや、人体を頭から両断するほどだ。示現流“雲耀の太刀”は、新撰組きっての豪勇・近藤勇すらも警戒させる剣技だった。
雷速にも等しい斬撃が、土方の頭上に迫る。しかし、土方はあくまでも冷静だ。退くでもなく、左手の脇差・堀川国広を突き上げ、鎬で黒田の袈裟斬りを受け止めた。
火花が散る。土方は国広を手前に戻しながら袈裟斬りの力を萎やし、刃を弾いた。示現流の重撃を片手で跳ね返すなど、ますますもって尋常ではない。
「……ッ、まだじゃ!」
続く、二の太刀。示現流は初撃さえ受け流してしまえば、二撃目はないと伝えられている。だがその誤まった情報こそが、他流派者の油断を誘った。斬り下ろしからの容赦ない胴斬りの連続攻撃こそが、示現流本来の攻め手である。黒田は弾かれた刀をもう一度、返す刀で横に振るった。しかし――。
「――“薩摩者の初太刀は外せ”。勇さんがそう言っていたな」
土方はそれよりも速く、右手の打刀・和泉守兼定による平突きを繰り出していた。二刀流は、連続攻撃や一対多の攻撃に対して特に有効な剣技――八面六臂、隙のない乱斜刀である。代わりとして、一刀流以上に高度な戦闘技術と柔軟な立ち回りが要求されるが、土方は不安定な体勢からの片手平突きという離れ業をやって退けたのだ。黒田の表情が、驚愕の色に染まった。
「そこに続く二の太刀があったにしても――それより速く、動けばいい。それだけのことだ」
「むぅっ!!」
黒田は直ぐさま、横薙ぎの太刀を振り上げ、防御の相に切り変えた。黒田の刃に、兼定の切っ先がぶつかる。その突きの威力たるや凄まじく、刀身に幾筋もの亀裂が走り、黒田の大太刀は音を立てて砕け散った。受け止め切れなかった剣先は軌道を逸らしながら、黒田の額を鉢金ごと縦一文字に斬り裂いた。
咄嗟の機転により、黒田は九死に一生を得た。得物を失い、額に大きな傷を負ったとは言え、英霊となった土方歳三の剣を躱したのである。土方はもんどりうって地面に転がった黒田を見降ろし、僅かに瞠目した。
「獲れなかった、か。……示現流皆伝の実力、伊達ではないな」
そう言って土方は再び、両刃を構える。――次はない。一分の隙もなく研ぎ澄まされた殺気は、そのことを雄弁に物語っていた。
戦の年季も、剣の技術も、黒田は何一つ彼には負けていない筈だった。だが、勝てない。人と、人ならざる者――その一点において、彼らは既に戦う前から勝負がついていた。そもそも、立っている土俵が違うのだ。言うなれば鼠が獅子に牙を向けるのと、同じ事だ。
黒田はここで、覚悟を決めた。せめて武士らしく最後まで戦って果てようと、脇差に手を伸ばす。
「新政府軍参謀にして蝦夷攻伐軍総大将、黒田了介。……その首、新撰組副長、土方歳三義豊が貰い受ける!」
上段から繰り出される、双刀の切り下ろし。それは黒田が脇差を抜くよりも速く、彼の首を獲る――心算、だった。
――ビュオッ!
一陣の風が吹き込んだ。否――風だと思ったのは、質量を持った“何か”だった。
「むッ――!」
反射的に首の前で交差させた二本の刀が、土方の腕にビリビリと衝撃を伝えてきた。己目掛けて突っ込んできた“それ”が人であると認識したのは、土方が後方へ吹き飛ばされたその後のことだった。
「き、さま……!」
雪煙が晴れていく。土方が目を眇めて前方を睨めば、憎くて堪らない男の顔がそこにあった。
「……よもや、貴様(きさん)まで来ちょったとはのう。土方」
「島津ッ!!」
土方がぎりり、と奥歯を噛み鳴らす。ゆらり、と剣を下げて立ち上がったその姿は、幽鬼そのものだった。
「それは、俺の台詞だ。何故、貴様がこの世界にいる――誰に呼ばれた!?」
「そがいかこつ、俺にも分からん。じゃっどん、一つだけ、はっきりしちょるんは――」
問われた豊久は、いつもと変わらぬ調子で胸を張った。刀を振って、纏わりついた粉雪を払いながら、
「この世界でん、俺は貴様と首の取り合いばす。そいだけじゃ!」
そう言って頑健な歯を覗かせ、ニヤリと――土方が最も嫌うあの面で、笑った。土方は何も言わず、答えず、端正なその貌を憎しみで歪ませている。人を射殺しかねない剣呑な視線を受け流しながら、豊久は傍らで呆然と成り行きを見ていた黒田に声を掛けた。
「――主ゃが“しんせいふぐん”の総大将じゃな?」
「はっ……はいっ!新政府陸軍参謀、黒田了介と申しまする」
黒田は弾かれたように居住まいを正すと、目の前の“助っ人”の出で立ちをまじまじと見詰めた。
先ず目に飛び込んできたのは、紅の戦装束に映える白抜きの十文字。島津十字――ということは、薩摩・島津家が送り込んでくれた援軍なのだろう。黒田は先ず、そのように解釈した。しかし、この男の兵装はどこか古臭く、あまりに時代錯誤である。藩主・島津茂久の血族であれば、その顔も見知っていよう筈なのだが――と、黒田は首を傾げた。
とは言え、黒田家とは縁の無い遠縁の士族、という可能性もある。黒田は豊久に平服し、薩摩訛りを隠すことなく礼を述べた。
「恐れながら、殿の御名前は存じませぬが……助かり申した。まっこと、かたじけのうごわす!」
「薩摩兵子……そがいか」
それを聞いた豊久の口元が、大きな弧を描いた。満足そうに、薩州きっての豪傑は頷く。
「――よか!早よう行って、城ば取い。功名ば取い時ぞ!!」
よく通る声が、高らかに檄を飛ばす。黒田は今一度頭を下げると、威勢良く立ち上がった。
島津の援軍・豊久の一喝は、常軌を逸した土方の強さに士気を失い立ち尽くしていた兵たちの心すらも奮い立たせていた。黒田は彼らの隊列を組み直すと、主を失った馬に乗り換え、脇腹を蹴った。彼らが向かう先は、五稜郭背面の裏門橋。正門にこれだけの強兵を配して守りを固めているならば、ここを突破するよりもあちらの方が幾分か手薄な筈だ。
馬蹄の音が遠のいた頃、土方は彼らを追うこともなく豊久を見据えている。先程まで燃え盛るようだった男の怒気が、今は冷徹な殺気へと転じていた。
「黒田(臣下)の前に、先ずは島津(主)の首、か。……ふん、業深いものだ」
自嘲気味に土方が吐き捨てる。吹き荒れる雪風が、向かい合って対峙した黒と緋の装いをそれぞれの軍旗のようにはためかせた。
豊久は刀を持ったままの肩を回しながら、飄々と応える。
「主ゃら旧幕府軍は、徳川(とくせん)家の家臣ち聞いたど。何百年かかろうが、薩摩の兵子は必ず、徳川家ば滅ぼす。――そいがほんのこてになる時ば、こげんして見ることができるちゅうんは、僥倖じゃ」
その一言に、切れ長の瞳が大きく見開かれた。土方の纏う殺気が密度を増して、濡羽色の洋髪がざわりと波打つ。
「……それを、この俺が黙ってさせると思うのか」
「“させん”か」
「ああ」
土方は二刀を上下太刀に構えた。打刀兼定を振りかぶり、豊久の喉元へ向けられた脇差国広の切っ先が、男の殺意を明確に示している。
「――貴様はここで俺が殺す、島津!!」
乗馬靴の長い踵が、雪上を蹴った。豊久は不敵な笑みを崩さぬまま、弾丸のような土方の突撃を大太刀で受け止める。城門すらも粉砕する復讐鬼の一太刀に、しかし、豊久はそれでも笑っている。笑いながら、刃に力を込めて土方を押し戻そうとした。鎬を削る鍔迫り合いの中、ふたりの男は互いの瞳だけをその目に映している。
――薩摩藩・島津中務大輔豊久と、徳川幕臣・土方歳三義豊。因縁深き戦いの火蓋は今、再び切って落とされた。
今回はいきなり新しい歴史人物が登場しましたので、おや?話間違ったかな?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。ごめんなさい!
……それにしても皆様、我が国の第二代総理大臣が示現流免許皆伝の達人だってご存知でしたか?わたしはこの作品のために調べて、そこで初めて知って大変驚きました(笑)
当時の日本って、色々とすごかったんですねえ。歴史を紐解く作業というのは、こういう発見があって本当に面白いです。