鬼哭血風録~相思相殺~【FGO×ドリフターズ・捏造コラボイベント】   作:みあ@ハーメルンアカウント

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Act.15 相思相殺

血の赤が、凍てつく浜辺に点々と落ちていた。氷雪をまだらに彩る鮮赤は宛ら、地獄へ誘う道標の如く。

その先には――鬼がいた。提げた刀から滴る血脂を拭いもせず、鬼はただ前へと進み続ける。昇る朝日に照らされても、整った面は血の通わない蝋人形のように蒼白なままだった。

 

その向かう先に立ち塞がるのは、錦の御旗を背負った新政府軍の兵士たち。猿声を上げて斬り掛かってきた先兵を一刀の元に斬り伏せて、鬼――土方歳三が、じりじりと距離を取る後続の男達に、冷厳な声で告げた。

 

「黒田了介は、どこだ」

 

問われた兵士たちは皆、得物を持つ手を震わせ、戦慄していた。それでも彼らは、男の前で旗を降ろすことはしない。兵のひとりが、土方へと刃を向けながら言った。

 

「たとえ討ち死のうとも、貴様を大将の元へ通すわけにはいかぬ!!」

「……そうか」

 

その答えを聞いても、土方の顔色は変わらない。真一文字に結ばれた薄い唇が、今一度開かれる。

 

「ならば、死ね」

 

土方が血に濡れた愛刀・和泉守兼定を持ち上げ、霞の構えを取った――その時だった。

 

「待って下さい!!」

 

覚えのある女の声に、土方は動きを止めた。構えを解かぬまま、視線だけを横へと向ける。

 

「……土方さん。剣を、降ろして下さい」

 

女がいた。先日、我を失くして蹲っていた彼女とはまるで別人のように、凛然とした表情で立っている。

桜色の髪を潮風に揺らしながら、彼女――沖田総司は、静かに一歩、兄弟子の方へと進み出た。

 

「気付いていますよね?榎本さんが倒れ、聖杯の力が消えたということに。

召喚者(マスター)である彼の魔力が尽きた以上、貴方もじき英霊の座に戻る……もう、戦う意味はない筈です」

 

沖田の言葉を受けて、土方はほんの僅かに目を細めた。その視線からは既に、険しさが消えていた。

 

「蝦夷島政府の行く末がどうだろうと……もはや俺には、関係の無いことだ。復讐など何の意味も成さぬという事は、とうの昔に知っている」

 

物憂げな瞳が、菊章旗を一瞥する。しかし彼は依然として、刀を鞘に納めようとはしなかった。

 

「なら、どうして――!」

「……これは俺の、俺自身の“けじめ”だ。共に誠の旗を背負い、命を散らしていった同胞(はらから)へ、俺がしてやれるせめてもの手向けだ」

 

答える土方の声に、迷いはなかった。彼は一度構えを解くと、言葉を失くしたまま立ちつくしている沖田の方へと向き直った。

 

「総司。たとえお前だろうと、邪魔する者は斬り捨てる。加減はしない。

……故に、お前も。俺を止めると言うのならば、そのつもりで掛かって来い」

 

妹弟子へ言い聞かせるような声は、その言葉に不釣り合いなほど優しくて。その目は真っ直ぐに――前だけをただ、見詰めている。

向かい合った土方の黒い双眸は、沖田がかつて焦がれた美しい瞳のままだった。

 

「お前の士道と、俺の士道。そこに正も非もありはしない。戦場では、どちらが勝つか――ただ、それだけだ。

お前にも譲れない信念(もの)があるのなら、斬れ。ただただ、斬れ。斬って、それを押し通せ」

「……もう、何を言っても無駄なのですね」

 

哀しげに笑う女を見て、土方は微かに口元を歪めた。俺の頑固さは、お前が一番良く知っているだろう――そう言わんばかりの、ささやかな苦笑だった。

 

土方は再び、愛刀を構える。剣先を相手の喉元へ向けた、天然理心流・平正眼――持ち主の魂を映したように研ぎ澄まされた刀身が、陽光を受けて強かに輝いた。

 

「……新撰組副長、土方歳三義豊」

 

低く、けれども堂々とした声で名乗りを上げる土方。それに応じて、沖田もまた愛刀・菊一文字を静かに構えた。土方と同じ、平正眼。試衛館時代、近藤から何度となく指摘されていた剣先を下げる独特の構え方は、今尚変わらないままだった。

 

旭日の光に満たされた、箱館海岸――道を違えたふたりの新撰組隊士が今、共に譲れぬ士道を胸に対峙する。

 

「新撰組一番隊組長、沖田総司房良。いざ、尋常に――」

 

『勝負!!』

 

戦いの始まりを告げるように仇波が弾けて、流氷に飛沫を散らした。

 

 

※※※

 

「――見て、あそこ!!」

 

遠く離れた海岸線にふたつの人影を見つけ、声を発したのは立香だった。豊久が目を凝らして見れば、見知ったふたりの男女の姿がそこにあるのを確認できた。

 

「沖田と、土方か。……仕合いばしちょる最中らしいの」

「止めなきゃ……もうあのふたりが殺し合う必要なんてないんだ!」

 

叫んで、立香は駆け出そうとした――が、その時。

足を踏み出しかけた少女の前へ、制するように腕が伸べられる。

 

「……たとえ主でも、手出しは無用ぞ。あれは沖田と土方、ふたりだけの戦じゃ」

「でも……っ!」

「――酌んでやれ、マスター」

 

新たな声に振り向けば、そこには信長の姿があった。海から吹き込む強風に黒髪を乱しながら、魔王は続ける。

 

「お主が説いて、刀を下げるような連中ではなかろう。

あやつの友を名乗るならば、あやつを最後まで信じて、見届けよ。あの人斬りも、そう望んでおるじゃろうて」

 

そして彼女は、ふっ、と、皮肉屋めいて口元を綻ばせた。その笑みにはどこか、老いた者が若人に向ける羨望めいたものが滲んでいる。

 

「……あやつらは今、命を賭して殺(愛)し合うとる。そこへ他人が割って入るのは、聊か野暮というものよ」

 

信長の言葉に、唇を噛んで押し黙る立香。そんな彼女の姿を見て、豊久もまた然りと頷き返した。

沖田総司と土方歳三。ふたりの想いの行きつく果てを、この目でしかと見届ける。それが己の――主として、そして何より友としての役目だというならば。

 

「――見届けよう。沖田さんの決意と、その戦いを」

 

そして彼女の――恋(おもい)の行方を。

立香はその胸元に拳を固く握り締め、切り結ぶふたつの影を見詰めた。

 

※※※

 

――捌き損ねた刃の先が、男の右頬を裂く。縦一文字を描いた傷から、真っ赤な血の華が散った。

男の刀が素早く翻り、片手突きを繰り出す。女は直ぐさま身を捻り、姿勢を低くする事で剣先を避けた。彼女の髪を結んでいた黒布が、一筋の髪と共に宙に舞う。

 

「昔より、随分とすばしっこくなりやがったな……総司」

 

賞賛とも皮肉ともつかない物言いで、土方が鼻を鳴らした。刀を肩口まで引いて、八双に構え直す。

 

「土方さんこそ。――あの頃ならば、負けていたかもしれません」

 

じりじりと間合いを取りながら、沖田が苦笑する。額から伝い落ちていく汗の雫が、黒い襟巻に濡れ跡を作る。

 

土方の剣は実戦に特化した、型に囚われぬ変幻自在の剣だ。試衛館において彼の剣術は、道場主の息子である近藤や天賦の才を持つ沖田には到底及ばなかった。しかし、それはあくまでも道場の規則に則った、“試合”の中での話である。真剣を持ち、実際の戦場に斬り込んだ時のこの男の強さは、尋常ではなかった。この男に掛かれば、炉端に落ちている石すらも戦の小道具へと変えてしまう。土方の剣は命の取り合いをする鉄火場でこそ、生きる剣だった。

 

対する沖田の剣は、流れる水の如くに淀みなく、また、落ちゆく花の如く華麗な剣技だった。鮮やかに振るわれる菊一文字の切っ先には、寸分の迷いもない。天然理心流・免許皆伝の名に相応しい、無明の剣。身体ごと真っ直ぐに切り結んでいく彼女の剣は、どこまでも純真で無垢な女の心を映したそれだった。

 

ある種対極とも言える、ふたりの剣の使い手。双方共に一歩も引かず、相手へ切っ先を向けた睨み合いを続けながら、世間話でもするかのような気軽さで言葉を交わす。

 

「あの頃なら、か。……今なら勝てる、と言いたいようだな」

「いえ、正直今も苦戦していますよ。それでも――」

 

そう言って、沖田は肩を竦めて微笑んでみせる。土方が良く知る、じゃじゃ馬娘の顔で。

 

「負ける訳には、いきませんから」

 

――だって。

ここで負けたら……貴方にもう、褒めて貰えないじゃないですか。

仕合に勝つたび、貴方が私の頭を撫でながら、“よくやった”と褒めてくれるのが――嬉しくて、うれしくて。

だから私は、強くなった。誰よりも、強く。誰よりも、貴方のお役に立てるように。

 

沖田は一歩踏み込むと、目にも止まらぬ速さで胴を狙い、刀身を薙いだ。しかし土方は、そう来る事を知っていたかのように下段で合わせて掬い上げると、そのまま鍔競り合いに持ち込んでいく。

 

「……そうかよ。なら今度こそ、その生意気な矜持――完膚なきまで叩き折ってやる」

 

軋む刀越しに見詰め合い、土方は言った。技で負けても、力では土方の方が勝っている。白刃が沖田の方へと傾き、迫っていく。天然理心流の技“虎尾剣”に倣い、構えを崩してそのまま斬り上げるつもりだった。

 

――総司は人斬りになれても、俺や他の隊士たちのように、意図して人を斬る人殺しには決してなれない。

総司は自分の損得や打算の為に、人を斬れるような人間ではないのだ。この娘は、“誰かのため”にしか人を斬れない。こいつが人斬りになったのは、そもそも、俺のせいなのだから。

 

本当に彼女の幸せを想うなら、共に行くと言って聞かないあいつの心を手酷く折ってでも、郷里に置いて出れば良かったのだ。

だが、それが俺にはできなかった。“あいつの剣が役に立つから”なんていうのは、大義名分の綺麗事だ。

 

離したくなかった。離れたくなかった。手離して、他の男になど渡したくなかった。たとえ人斬りにしてでも、この女を己の傍に置いておきたかった。

すべては俺が、身勝手な想いを押さえられなかった所為なのだ。

或いは、只一言――お前に告げるだけで良かった。ただそれだけで、良かったのだ。

 

このままでは押し切られると悟って、弾かれざまに沖田は土方が握る柄を蹴り上げる。そうやって追い打ちを封じると、素早く左側に回り込んで突きを繰り出した。

 

「相変わらず、負けず嫌いですね……!」

「お前に、言われたかぁねえ……!」

 

土方は直ぐさま刀を返し、鎬をぶつけて沖田の突きを横へと往なした。刀身に沿って、チリリと火花が散る。

 

「……本当に、意地っ張りなんですから」

 

貴方も、――私も。

 

人斬りになったのは、貴方と同じ夢を追い掛けていたかったから。貴方の一番近くに、いたかったから。恋しい貴方を、知らない誰かに取られたくなかったから――。

鈍い私は、そんな簡単なことに気付けないでいた。そして、貴方が抱えていた想いにも。

私の所為で、どんなに貴方が苦しんでいたのかを。私の為に、どんなに貴方が傷ついていたのかを。

己が抱いている想いが何であるかも知らず、知ろうともせず、これは単なる家族の情だと嫉妬心を誤魔化して、幼い慕情をただぶつけるしかできなかった私は、どうすることもできない貴方をがんじがらめに縛りつけていた。

 

過去の私がずっと言えなかった、ただひとつの言葉を――今の私なら、言える。

 

鈴のように澄んだ音を鳴らして、ふたつの刃が弾き合う。互いの姿だけを燃えるような瞳に映して、ふたりは向かい合った。

 

(私は、貴方を)

(俺は、お前を)

 

 

―――愛している。

 

 

平正眼に刀を構え、沖田が縮地の第一歩を踏み出そうとした――その時だった。

 

「――かはッ……!」

 

彼女の口元から、ごぼりと赤い血が溢れる。沖田の虚弱な身体は、とうに限界を迎えていた。大地に刃を突き立て、ふらつく身体を支えようとする沖田を見据えたまま、土方が叫ぶ。

 

「――総司ィ!!」

 

彼は柄を握った己が両手を、忌々しげに見遣った。土方の指や足の先からは、既に感覚が失せつつあった。魔力供給が途切れたこの肉体が現界していられなくなるのは、もはや時間の問題だ。

 

「……次が、最後だ。正真正銘、俺の総てを賭けた最後の一撃――」

 

言って土方は、兼定を鞘の内に収める。腰を低くしたその構えは、沖田にも覚えがある。男の得意とした、見切り抜刀術のそれだ。

 

「だから……手前も来やがれ、総司。手前の想い、全部、受け止めてやる」

 

沖田は口元に袖を遣り、鮮血を拭った。ぐらつく脚に気合いを込め、凍土を強く踏みしめて――菊一文字の切っ先に片手を添えながら、真っ直ぐに兄弟子へと刃を向ける。それは正しく、幕末きっての天才剣士・沖田総司の魔剣――“無明三段突き”の構えだった。

 

相対するは、土方の得意とする秘剣“向抜撃剣”――それは起死回生の見切り技だ。相手の剣技の“おこり”を読み、慣性重力の加速度を乗せて抜き放たれる刃は、神速をも超える。土方が沖田の三段突きに勝つには、この技に賭けるしかなかった。

 

土方の見切りが先か、沖田がそれを超えた速さで打ち込むか。勝敗は一瞬で決まるだろう。

 

「……一歩、音越え」

 

女の脚が、音もなく雪を踏む。風に舞う花弁の如く、桜色の髪がふわりと靡いた。

 

「二歩、無間」

 

土方の双眸が獲物を狙う鷹の如く、飛び込んでくる沖田の一挙一動を捉えている。男の指先が、刀の柄を握り込んだ。

 

「三歩、――絶刀!!」

 

女の瞳から散っていった涙の雫が、清らかな輝きをその場に残した。浅葱色の残影を伴って、刹那――沖田の身体は空間を飛び超え、土方の眼前に迫っていた。

 

 

「“無明三段突き”!!!」

「――“向抜撃剣”!!!」

 

魂の総てを乗せたふたつの宝具(やいば)がぶつかり合い――朝日よりも眩ゆい剣閃が、剣士ふたりを呑み込んでいった。

 

 

※※※

 

 

「……これで、136勝めですね」

 

刀身を失くした和泉守兼定の柄が、濡れた砂浜の上に転がっている。

沖田は仰向けに倒れた兄弟子の胸に跨って、その喉元に愛刀の切っ先を合わせていた。

 

「違うな、135勝めだ」

「……もう。あなたというひとは」

 

困ったように眉を寄せた沖田に、土方がにやりと口角を上げた。残心のまま動かない妹弟子へ、急かすように彼は言った。

 

「いいから、斬れ。……手前ぇはいつまでも甘っちょろい餓鬼だったからな。わざわざ俺が命令してやらなきゃ、人を斬ることも出来ねえか」

「貴方こそ。……その脇差を抜いて、私を斬る事も出来たでしょうに」

 

土方を見降ろす琥珀の瞳は、涙の色で滲んでいる。その濡れた眦へ伸ばそうとした土方の指先は、光の泡となって消え失せていた。

 

「どあほう。……もう、指一本動かす力も残っちゃいねえよ」

 

ああ、――畜生。

神や仏がいるんなら、そいつは大層な皮肉屋だ。惚れた女がこうして黄泉の国から戻ってきてやがるのに、この手で抱きしめることもできやしない。

 

「――別れの時だ、総司」

 

男の身体を構成する霊基が、次第に質量を失っていく。儚い輝きと共に散華していく土方を見詰めながら、沖田は言った。

 

「また、あえますか」

「……。俺には、わからん」

 

答えて、土方は瞑目した。次の逢瀬があるかも分からぬ女の顔を、瞼の裏へ焼きつけておくように。

 

「もし、もしも…また、あえたら」

 

繰り返す沖田の声は、駄々を捏ねる少女のそれのようだった。彼女はそっと手の甲で涙を払って、こう続ける。

 

「貴方に、お伝えしたい想いがあるんです。……聞いてくださいますか?」

「……ああ」

 

観念したように瞼を持ち上げ、男は小さく笑った。

 

……いいだろう。また会えたなら、その時はこの腕で抱き締めてやる。

だから――。

 

お前はそこで、待っていろ。

 


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