鬼哭血風録~相思相殺~【FGO×ドリフターズ・捏造コラボイベント】   作:みあ@ハーメルンアカウント

13 / 19
Act.12 逢魔動乱

――物心ついた頃から、世界というものに憧れを抱いていた。

 

ジョン万次郎の私塾に通っていたその少年は、書物の中にある日の本では見た事もない大きな船や不思議な機械を目にする度、胸を躍らせた。才知に優れた少年は外語を学びながら海軍伝習所へと進み、やがて幕府からの留学生となることで、海の外へ出て様々な国を巡る機会を得た。

阿蘭陀、亜米利加、仏蘭西。そこで彼は様々な船を、港を、街を――戦場を見た。そして彼は、世界という漠然とした定義の中に、国、宗教、人種など、様々な共通項で結ばれた者達が生んだ、幾つもの“世界(コミュニティ)”が存在しているのだという事を知った。

そして、日本の為にとあらゆる知識を吸収し帰国した彼を待っていたのは、維新の波によって衰退しきった幕府の窮状であった。恩義を返すならば今がその時と、彼は立ち上がる。伝習所時代より縁の深かった軍艦・開陽丸の帆を上げて、彼は幕臣達と共に極北の地を目指した。

 

長きにわたり日の本を納めてきた幕府の存在を新政府が否定するというのなら、武力も、交易も、誰にも侵されない彼らだけの世界を作ればいい。

過去の礎を不要な物として打ち捨てるのなら、捨てられた石たちが新たな城の礎となることも許されてしかるべきなのだ。

 

彼――榎本武揚は、新政府という“世界”を否定しない。だがそれならば、我らが求める“世界”もそこに存在して良い筈だ。

だがそれさえも壊すというならば、和平すらも受け入れぬというのならば、こちらも対抗するしか道はないではないか。

 

「――開陽。お前には、まだまだ世話になりそうだ」

 

霧に煙る闇の中、榎本は箱館港に錨を下ろした開陽丸――江差の戦いで失った筈の幕府旗艦、その甲板に立っていた。マストの支柱を白い手袋で撫でながら、彼はまるで旧知の友に語りかけるかのような言葉を零す。

 

「榎本さん。……船出は、いつになる」

 

船首の方に、揺らめく長い影がある。強い海風に外套を靡かせて、影――土方歳三が、箱館山のある方角を睨み据えていた。

 

「早朝――そうだね、卯の刻には出るつもりでいるよ」

「承知した。……ならば、合流は浄土ヶ浜辺りになるか」

「ああ。宮古湾……懐かしいかね」

 

榎本の問い掛けを受けて、端正な口元が僅かに歪んだ。微苦笑めいたそれはすぐに消えて、土方は船首から降りてくる。

 

「懐かしむような思い出など、ない。……あの戦で死んだ甲賀さんも、野村も、皆“ここ”に居る」

 

土方の手が、和泉守兼定の鯉口をヂン、と鳴らした。その瞬間、男の背後で白い影が揺らめいたようにも見えた。

 

「黒田の首を、獲りに行く」

 

それだけ言うと土方は舷縁に脚を掛け、甲板から飛び降りた。黒羅紗を翻してしなやかに降り立つ男の姿は、黒豹のように優美だった。

夜霧に紛れて消えていく盟友の背中を見送ると、榎本は柔和な目元を細め、ひとり呟いた。

 

「……たとえ世界が敵に回ろうと、私の“世界”を誰にも壊させはしない」

 

男の懐には、血を流したように赤い“ぎやまん”の西洋杯がある。それは偶然、あの日――五稜郭が陥ちようとしていたあの夜に、蔵の奥で見つけたものだ。この器に触れた途端、全ての状況が一変した。これさえあれば、理想の“世界”を作り上げることができる。そしてその“世界”を、誰かに踏み躙られることもない。

獣の目の如く獰猛な願望器の輝きを、榎本は飽きもせずに眺めていた――。

 

 

※※※

 

 

もうじき空が白み始めようという頃、立香は信長のデコピンによって無理矢理叩き起こされた。

 

「……というわけで、じゃ。聖杯の気配が、港の方へ移動しておる。奴め、血気逸って本土へ打って出る気じゃな」

 

眠い目を擦りつつ起き出してきた立香に、信長が険しい顔で状況を告げていく。立香は寝起きでぼんやりとしている頭を必死で動かして、信長に問うた。

 

「それはまずいね。……土方さんも、そこにいる?」

「いや。あのアヴェンジャーは、そこにはおらん。大方、新政府軍の将・黒田とやらの首を獲りに行くつもりじゃろう。戦力が二手に分かれてくれたのは有難いが、さて――」

「こちらもこちらで、二手に分かれる必要が出てきましたね」

 

立香の代わりに答えたのは、沖田だった。後ろには大口を開けてあくびをしている豊久の姿がある。

 

「うむ。どちらも後回しにすれば、どれだけの影響が出るか分からんからのう」

「成程。では、誰がどちらの相手をするかですが――」

「沖田」

 

眉根を寄せて悩む沖田へ即座に声を掛けたのは、豊久だった。

 

「榎本ちゅう大将ん元には、俺が行く。お前(まん)は土方ば追え。あれは今、おいの取るべき首でんなか」

 

意外な言葉に、沖田は面食らったように瞠目した。てっきり豊久は、土方の首を獲る事にばかり執着していると思っていたからだ。

 

「……いいのですか?」

「おう。日ん本さぶらいに二言はなか」

「――ふむ。これで此方の布陣は決まりじゃな」

 

ぱん、とひとつ手を打つと、信長は固まった方針を全員に告げる。

 

「マスターとお豊、そなたらは港にいる榎本武揚を叩き、聖杯を回収せい。沖田、そなたは黒田を追っているであろう土方を探し、止めるのじゃ」

「で……ノッブ、あなたは?」

「儂か?儂はのう――」

 

その中に当の信長本人の名前が無いのを不審に思ってか、沖田が訊ねる。すると信長は、妙に勿体ぶった様子で口端を吊り上げると、

 

「儂にしか出来んことを、やりに行く」

 

キリッとした顔で、そう答えた。厨二病を拗らせたような彼女の発言に、沖田と豊久の表情が残念なものを見るようなそれへと変わる。

 

「……とか何とか言って、一人だけ逃げ帰ったりしませんよね?」

「つまり、人に言えんようなことをしに行くちゅうこつか」

「た、たわけ!儂のここ一番のカッコいいシーンを台無しにするでないわッ!!」

 

顔を真っ赤にして、信長が怒声を張り上げる。その直後、

 

「はいはい、喧嘩は後でね。――みんな、急いで出発しよう!」

 

立香の放った一声に、全員が「承知」と頷いた。

 

「……必ず、勝とうね」

 

誰一人欠けることなく、帰って来よう。皆が待つ、カルデアへ――。

 

強い決意を胸に、立香は山小屋の扉を開け放った。

 

 

※※※

 

 

卯の刻。開陽丸は既に、聳え立つ三本の帆を全て上げ終えている。後は追い風を待って抜錨し、船体を波に乗せるのみだった。

 

東の空が、白墨を流したように淡く白んでいる。じきに海を黄金に染めながら、燦々と照る朝日が顔を出すことだろう。生まれ変わった開陽の船出を祝うには最高の舞台だと、榎本は一人ごちた。

 

「――きみたちも、そうは思わんかね」

 

背を向けたまま、榎本は船上に現れたふたりの招かれざる客に問い掛ける。否――彼らの到着を予期して、待っていたのだろうか。この時、船の梯子は港に下ろされたままだった。

立香は息を切らしながら、榎本の前へと一歩、進み出た。

 

「榎本さん……お願いです、聖杯をこちらに渡して下さい。それは決して、人が持っていて良いものではないんです」

「……やはり、これを探しに来たのだね」

 

榎本が振り返る。怒るでもなく、嘆くでもなく、彼はただ静かに笑っていた。白手袋を嵌めた手が懐へと伸びて、深紅の硝子細工を取り出す。数多の人間の欲望を啜り破滅を招いた、万能の願望器。邪悪、なれどあくまでも純粋無垢な輝きを指先でなぞるように愛でながら、上品に整えられた口髭の下、西洋人のように薄い唇が、まるで幼子を諭すように優しく言葉を紡いでいく。

 

「だが、私には……蝦夷島政府には、この器の力が必要だ。悪いがこれを、手放すわけにはいかない」

「でも、それは――使い方次第でこの先の未来を変えてしまう、とても危険なものなんです。この世界の未来が、壊れてしまうんです!」

 

榎本の主張に対し、立香は身を乗り出して聖杯の恐ろしさを訴えた。しかし、榎本の表情は変わらない。

 

「……きみの知る未来というのは、争いも憎しみも悲しみもない、素晴らしい世界なのかな?」

「ッ、それは――…!」

 

痛い所を突かれ、立香は言葉に詰まる。表情を歪める少女を前に、榎本は淡々と語り始めた。

 

「私は、外国で沢山の戦争や紛争を目の当たりにしてきた。それを見た上で、こう思うのだよ。血の流れない平和な世界などというものは、決して有り得ない。

きみの知る世界が戦乱に満ちたものであるならば、果たしてきみがそれを護る必要はあるのかね?」

 

立香はぐっと拳を握り締めると、顔を上げて榎本を見た。

――負けられない。真っ直ぐ男を見据える少女の目には、頑なな信念が宿っている。

 

「……確かに、この先の未来には何度も戦争が起きて、多くの人々が犠牲になりました。今こうしている時だって、私たちは敵と戦っている」

 

人の悪意は決して、この世から無くなる事はない。これまでに飛んだ幾つもの特異点での戦いの中、嫌と言うほどそれを思い知らされた。誰もが争わずに済む世界なんて所詮夢物語だと、無力な自分に打ちひしがれる事だって何度もあった。

 

――だけど。だけど、それでも。

 

「それでも、私は――あなたの創ろうとしている世界を、変わってしまう未来を、肯定することはできないよ。あなたのしていることは、今まで通ってきた道を未練がましく振り返っているだけだ。

そんな後ろ向きの世界が、みんなを幸せにできるとは思わない。人間が人間であるかぎり、たとえどんな未来が待っていても――運命を切り拓き、前に進まなきゃ駄目なんだ!」

 

立香の叫びは魂の底から溢れ出る、心の叫びだった。立香は、尚も榎本へ向けて懇願する。

 

「お願い、榎本さん……聖杯をこちらに渡して。あなたの持っている沢山の偉大な知識を、新時代をより良いものにするために使って欲しい。私が、私たちが必ず、素晴らしい未来を勝ち取ってみせるから――!」

 

榎本は、何かを想うように目を閉じた。そして、

 

「だが、その未来に……私や幕臣たちが夢見た“世界”は、ないのだろう?」

 

再び開かれた瞳の奥に、揺るぎない意思があるのを立香たちは見た。立香を制するようにずいと前へ踏み出し、豊久が言う。

 

「立香。こん男ば前に、ないば言うても無意味じゃ」

 

もはや、どんな説得も哀願も意味を成さない。立香もまたそれを痛感していた。

榎本はそんなふたりのやり取りを見て、穏やかに微笑んだ。出会った時と何一つ変わらない、聖人君子の微笑だった。

 

「さて……交渉は、決裂した。私は我々の理想を護る為に、きみたちを排除しなければならない」

 

榎本の手が、聖杯をその頭上に掲げ持つ。宛ら祝杯を上げるかの如く、厳粛に――そして、堂々と。

 

「顕現せよ。牢記せよ。これに至るは、七十二柱の魔神なり」

 

――轟ッ!!!

 

突風が吹き荒れた。榎本を中心にして、潮風が竜巻のように束ねられ、螺旋を描いて舞い上がる。

豊久の大きな背に守られながら暴風に耐える立香は、榎本の姿を垣間見た。手にした聖杯がどろりと蝋のように溶けだして、持ち主の身体を毛細血管のように覆い尽くし、侵食を始めている。

紳士然とした榎本の身体が、徐々に巨大な異物へと変わっていく。

 

『――我が名はソロモン七十二柱が一柱、序列四十二位。海魔ウェパル。

全ての生命は海から生まれ、海へと還る。罪深き人の仔らよ。我が腕(かいな)に抱かれて、あまねく水底に沈むが良い!!』

 

――四散した竜巻の中から現れたのは魔神柱ウェパルを名乗る、ソロモンの使徒であった。人類悪の下僕にして、災厄の分身。

それは“人類の敵”と形容するに相応しい、まともな人間であれば正視に絶えず卒倒するような、醜悪極まりない姿をしていた。天を穿ち裂くようにして聳え立つ歪な肉塊は、身体じゅうに無数の単眼を生やしている。肉の色は酷く濁った紺碧で、海の底に腐り落ちて蟠る、藻草や汚泥のそれのようにも見えた。

 

「……豊久さん、気を付けて。魔神柱の攻撃は、シャドウサーヴァントたちとは比べ物にならない……!」

「心配なか」

 

豊久は腰に佩いた大太刀を抜き、八双に構えながら立香に答える。その口元はいつもと変わらず、強気に笑っていた。

 

「俺は、功名餓鬼ぞ。相手が龍でん、“まじん”でん、必ず大将ん首ば獲る!!」

 

歯を見せて笑う戦国武将――その根拠のない自信が、今は何よりも心強い。立香は恐怖に抗う心を奮い立たせて、前方に立ちはだかる魔神柱を睨んだ。

 

「――薩摩肥後国、島津中務少輔豊久!」

 

通る声で、豊久が威勢よく名乗りを上げる。促すような肩越しの視線に気付いて、立香がこくりと頷いた。

 

「人理継続保障機関、フィニス=カルデア。マスター・藤丸立香――」

 

少女が、己の右手を強く握り締める。ふたりの将は、眼前の敵を毅然とした眼差しで見据える。両者の心中に、未知なるものへの恐れなどなかった。

 

「いざ!!」「参るッ!!」

 

――始めの一声と共に、豊久が疾風の如く甲板を蹴った。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。