鬼哭血風録~相思相殺~【FGO×ドリフターズ・捏造コラボイベント】   作:みあ@ハーメルンアカウント

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Act.11 愛染抱懐

「獲ったどー!」

 

などと無人島生活芸人のような勝鬨を叫びながら島津豊久が蹴り開けたのは、箱館山の中腹にある山小屋の入口であった。

住人が失せて久しいのか、内も外もすっかり荒れ果ててはいたものの、あばら家というまでには至らない。枝を詰めて隙間風を塞ぎ、古い囲炉裏に薪を入れて火を起こせば、何とか死なない程度に暖を取る事ができた。

 

――彼ら、藤丸立香の一行がアヴェンジャー・土方歳三との死闘を演じてから、数時間が経つ。日付も変わり、完全な闇夜が帳を降ろしていた。猛烈な吹雪はその勢いを減じて、今はしんしんと大地に降り積もっていくばかりである。

立香は己の令呪を三画全て使い果たして豊久らサーヴァントたちの傷を癒した後、疲労困憊した身体に鞭打って、やっとの思いでこの小屋まで辿りついた。五稜郭より離れたここならば、ソロモンの魔方陣が害を及ぼす懸念もなければ、シャドウ・サーヴァントたちが襲ってくる心配もない。

豊久はまず信長と連れ立って、食糧の調達に出た。ごく当たり前の人間である立香は当然のこと、サーヴァントと言えども戦をすれば腹が減るのである。程なくしてふたりは、巨大な蝦夷鹿を一頭づつ肩に担いでほくほくと戻ってきた。

 

「う、うわあ、……まさか本当に、この短時間で二頭も狩ってきちゃうなんて」

「いやぁ、鹿狩りなんぞしたのは稲葉山以来じゃのう!久々に血が滾ったわー」

 

血塗れの鹿を目の前にどさりと置かれて若干引き気味の立香だったが、ご自慢の狙撃術で獲物を仕留めてきた信長は至って上機嫌である。

しかし、彼女の獲った鹿をしげしげと眺めていた豊久は、不意にこんな事を言い出した。

 

「……なぁんが、信の獲った鹿はこまんかのう。主ゃが鹿狩りん達人じゃ言うから、俺は期待しとったが」

「なんじゃと!?そなたのより儂の獲物のほうが上物じゃ!ほれ、この毛皮の艶と立派な角ぶりが見えんのか!?」

 

落胆した様子で口元に手をやる豊久に、信長が獲物を指差しながら声を荒げる。だが豊久はふんすとふんぞり返って、

 

「そがいかこつより、今はどいだけ腹ば満たすっかどうかじゃ。つまり、信よかふとっか鹿ば獲った、俺が勝ちじゃ」

 

信長の主張を一蹴した。信長は唇を噛み、悔しそうな顔で唸っていたが、

 

「ええい、小賢しい!誰が何と言おうが、儂のがすごいの!儂の勝ちなのじゃ!!」

 

その場に胡坐を掻いて座り込むと、そっぽを向いて黙りこくってしまった。

まるで子供同士の喧嘩である。立香は苦笑しながらも、自分の代わりに重要な“任務”を果たしてきてくれたふたりに「ありがとう」と礼を言った。

 

豊久は早速、脇差で獲物を捌いている。その手際の良さは流石、蛮族――もとい、野戦の手練と言えるだろう。血を見るのには慣れている立香とはいえ、スプラッター映画も真っ青の解体現場を延々と見続けているわけにもいかない。取りあえずご機嫌斜めの信長をあやしていると、その間に囲炉裏を覆うほど大量の瓦焼きが出来あがっていた。

肉の焼ける香ばしい匂いが、食欲をそそる。緊張続きだったせいか忘れていた食欲を思い出して、胃袋がぐうぐうと大きな音を鳴らし始めた。

それを気にしてバツの悪そうな顔をしていると、ほれ、と豊久が焼けた肉を刺した火箸を立香に差し出した。初めて食べる野生の鹿肉はなかなかに歯応えがあったが、それでも空きっ腹には充分な御馳走に感じられた。

 

「鹿って結構、美味しいんだね」

「おう、どがいでん食うちよか。まだまだ飯(まま)はたんとあるど」

「――あやつは、まだ食わんのか?」

 

信長がくいと顎を上げて、窓の外を示す。そこには小柄な人影がひとつ、ぽつんと雪の中に立っていた。浅葱色した羽織の肩に降り積もる雪を払うこともせず、彼女――沖田総司は、ただじっと雪国の高い夜空を見上げている。

 

「……少しの間、一人にして欲しいって」

 

表情を曇らせて、立香が言った。信長はそれに「だらしがない」等と毒吐くでもなく、小さく鼻を鳴らしただけだった。立香よりも沖田と付き合いの長い、彼女の事である。想い続けてきた男との殺し合いが沖田の心にどれほど深い傷を与えたのかを、正しく理解しているのだろう。

鹿肉を大きな犬歯で食い千切りながら、重い沈黙を破るかのように豊久が言った。

 

「――のう、こいからどげんする?」

「勿論、榎本さんたちの暴走を止めるよ。一度負けたからって、尻尾巻いてカルデアに戻るなんてできないもん。っていうか、未だに通信繋がらないし――」

 

立香は腕に巻いた通信機を撫でながら、困ったように呟く。信長は、ふむ、と腕組みをして、いつになく真面目な思案顔になった。

 

「……十中八九、あの魔方陣が原因じゃろうな。電波障害、というやつじゃ。魔神柱クラスの魔力が放出されておれば、是非も無しよ」

「あの魔方陣、無効化することはできないのかな」

「はっきり言って、それは難しいの。あれは五稜郭という建物自体を、聖杯の力で巨大な魔術回路に改造したに等しい。この地の者は、“神威(カムイ)”等と呼んでおるが――古くから精霊信仰に篤いこの蝦夷地は、神秘の宝庫じゃからな。その大地に直接回路を繋げているあの魔方陣は、言わば無限に魔力を汲み上げる供給ポンプのようなものじゃ。少なくとも、余程高位の魔術師でもなければ太刀打ちできん」

 

その説明を聞いて、立香は幼げな顔立ちに苦渋を滲ませる。彼女は回復途中の令呪の一角を、歯痒そうに見詰めていた。その姿に肩を竦めながら、信長がその先を続けた。

 

「――まあ、方法が全くない、というわけでもないがな。しかしそれよりも先ず、どのようにあのアヴェンジャーを退けるかが問題じゃろうて」

 

土方を倒せずとも、元凶たる聖杯を奪取できれば良いが――あれを手にした榎本もまた、あっさりとそれを渡してくれるとは思えない。

魔方陣の追い風を得た復讐鬼土方歳三と、聖杯の力を手に入れた榎本武揚。彼らを二人同時に相手取るようなことになれば、再びの全滅は火を見るよりも明らかだ。

 

「あん土方とは、俺が戦う」

「それは下策じゃ」

 

名乗り出た豊久に、間髪入れず信長が異を唱えた。

 

「あの男とそなたでは、そなたの分が悪すぎる。あの男はそなたと同じ、力押しのタイプじゃろ。無論、只の斬り合いならばそなたらに優劣はない。じゃが今、五稜郭の魔力があの男に加勢しておる。

それに加えて、そなたは過去に一度あの男と死合っておろうが。あれに既に太刀筋を読まれつつあっても、何ら可笑しくはない。そなたの強みは奇襲性であろうに、これではその強みを十全に生かし切れる状態とは言えまい」

 

淡々と見解を述べる信長の口調からは、一切の私情は伺えない。炎のように苛烈な本性とは打って変って、こうして策を練っている時の彼女の態度は正しく、冷徹な軍師のそれだった。血気盛んな豊久すら、織田信長という人物の勘を信頼しているのか、その間、一切余計な口を挟む事はなかった。

 

「かく言うこの儂も、銃による遠距離戦を得手とする以上、多勢の手駒を持つあの男との相性は最悪じゃ。故に相手の動きよりも速く、かつ的確に急所を狙えるような者をぶつけるのが上策なのじゃが――」

 

信長は言いながら、ちらりと窓の外を見遣った。失意の天才剣士は変わらず、肌を切るような雪風にその身を晒して立っていた。

 

「……その適任者が、あの有り様ではのう」

 

好敵手のらしからぬ消沈ぶりに、溜め息交じりで信長が呟く。初めは横っ面でもひっ叩いて目を醒まさせてやろうかと思っていたが、剣士としての誇りも、女としての慕情も、全て木っ端微塵に砕かれてしまった今の彼女にとって、その手のショック療法が上手くいくとは思えなかった。

 

「武将んごた気性の烈しかごとしちょっでん、沖田は女子じゃ。仕方んなか」

 

悪気もなく豊久が零した言葉に、立香がぴくりと反応した。

 

「沖田さんは、そんなに弱い女性(ひと)じゃないよ」

 

静かな口調でそうとだけ告げると、立香は立ち上がる。そのまま脇目もふらずに歩いて、沖田のいる外へと出て行った。

 

「――ないが、怒らせてしもうたかの?」

 

ポリポリと頬を掻きながら訊ねる豊久に、信長が言った。

 

「安心せい。あれは、人を憎む、恨むという感情を、親の腹の中に置き忘れて生まれてきたような娘じゃ」

 

口元に老人のような微笑を浮かべてから、信長は鹿肉を一齧りする。今ここに酌み交わす酒でもあれば良いのだが――と、彼女は心からそう思った。

 

 

※※※

 

 

――頬も、足も、指先も。どこもかしこも、とうに感覚を失くしている。

吹き付ける風は凍えるほど冷たい筈なのに、沖田はそれを寒いとさえ感じられなかった。

 

天を、仰ぐ。高くどこまでも続いている冬の夜空には、星が冴え冴えと輝いていた。それらの欠片のように舞い落ちてくる雪が、かじかんだ白い頬に触れる。溶け消えた雪は雫となって、涙のように女の頬を伝い落ちていった。

 

『お前もこの俺を、新撰組を裏切るか――総司!!』

 

頭の中で、何度もリフレインする男の声。

何も言えなかった。何もできなかった。誓いを立てた誠の旗に自ら背を向けたという罪悪感に、心が押し潰されそうだった。好いた男に裏切り者と罵られ、刃を向けられて、動揺のあまり真意を告げることすらできなかった。

そればかりではない。憎むべき薩摩人に窮地を救われた挙句、己の不覚悟によって主の身までも危険に晒してしまったのだ。

 

己は、半端者だ。かつての仲間を裏切ったばかりか、今の主や仲間すらも失望させてしまった。

今の自分に、浅葱の羽織を纏う資格など――きっとない。沖田は羽織の襟元を固く握り込んで、血が出るほどに唇を噛み締める。

 

「……沖田さん。隣にいても、いいかな」

「――っ!?……マスター……」

 

赤く腫れた目を擦り、沖田は慌てて振り返った。いつの間にか、人懐こい笑顔を浮かべた立香がそこに立っている。「星、綺麗だね」などと言いながら、小さな魔術師はきらきらと輝く橙色の瞳で、空を見上げた。沖田は肩を落としたまま、無邪気な主に向かってぽつりと呟いた。

 

「……申し訳ありません、マスター。

“沖田総司はいつでもあなたの刃である”と、そんな大口を叩いたというのに、私は――あなたからの信頼を、最悪の形で裏切ってしまいました」

 

今にも消え入りそうな、謝罪の言葉だった。深々と頭を垂れながら、沖田は続ける。

 

「今の私に、あなたの刃を名乗る資格はありません。……如何なる沙汰でも、粛々と受け入れます」

 

切腹も辞さないと言わんばかりの覚悟を告げる、桜の剣士。立香はその哀切に染まる瞳を真っ直ぐに受け止めて、

 

「そうだね。沖田さんは、私の刃じゃない」

「………ッ」

 

その一言に、びくりと沖田の肩が微かに震えた。立香はその薄い肩に、そっと手を伸ばす。そして、

 

「沖田さんは私の刃じゃなくて、ひとりの女の子――私の大切な、友達だもん」

 

そう言って、明るく笑った。沖田の目が、驚いたように見開かれる。立香は彼女の肩をぽんぽんと撫でながら、言葉を続けた。

 

「だからね。沖田さんたち英霊のみんなが、私たち人間と同じで泣いたり、怒ったり、悩んだり、恋をしたり――そんなの、当たり前のことじゃないか」

「……マスター……」

 

沖田は整った顔をくしゃくしゃにして、瞳に大粒の涙を浮かべた。今まで我慢していたものが、堰を切って一気に溢れだしたかのような――子供のように純粋な、少女の表情。立香はそれを見て、少し照れ臭そうに笑う。

 

「私ね、大好きだったんだ……沖田さんがしてくれる、土方さんのお話。たくあんの味付けにやたらと拘ったり、文学には興味なさそうなのに、変な俳句をこっそり作って詠んでたり」

 

立香は沖田が語ってくれた数々のエピソードを思い出しながら、それらを楽しげな様子で口にする。沖田もまたそれにつられて、泣き濡れた顔を仄かに綻ばせた。

 

「聞いてるうちに私も土方さんの家族になったような、そんな気持ちでいたんだ。だからかなぁ、私も彼を見た時は――ショック、だったよ」

 

沖田の表情に、再び翳りが差す。少しの間黙してから、彼女は静かにその口を開いた。

 

「……優しすぎる、ひとなんです。あのひとは」

 

沖田の細い指先が何かを懐古するように、羽織の裾をなぞっていた。

 

「ずうっと、庭に咲いた桜の花を眺めているんです。雪の降る寒空の下、傘もささずに。わたしは“そんなにこの花がお好きなら、手折ってお傍に置いておけばいいじゃないですか”と尋ねました――そしたらあのひと、こう言うんです。“花は、触れずにあるからこそ美しいんだ”って。

……手折っても、手折らなくても。いつか必ず、花は散ってしまうのに」

 

そう言って儚く笑う沖田の横顔は、哀しいほどに美しかった。

立香は掛けるべき言葉を見失ったまま、沖田の澄んだ琥珀の瞳をただ見詰めることしかできない。

 

「いつだって土方さんは、心を痛めていました。芹沢さんたちを討ったときも、山南さんを介錯した時も。

誰よりも傷ついて、誰よりも仲間のことを思っているのに――それを他人には見せようとせず、罪も罰も全てひとりで背負い込もうとするような、不器用なひとなんです」

 

瞼を伏せて、沖田は腰に帯びた菊一文字にそっと手を添えた。

 

「私は……そんな土方さんの傍に居て、最期(おわり)を迎えるその日まで、あのひとの支えになりたかった」

 

血に錆びて、今にも崩れてしまいそうな刃を抱き締める、この鞘のように。

 

けれど、その願いは叶わず消えた。瞑目したまま口を閉ざす沖田を、立香は何も言えず、苦悩に満ちた表情でじっと眺めていた。しかし――。

 

「――あの時。私たちの前に立ちはだかった土方さんは、沖田さんが知っている通りの土方さんだったのかな」

「……え?」

 

沖田が不思議そうに問い返すと、彼女の主は強い視線をぶつけてきた。

 

「誰よりも優しくて、他人の痛みを知っている、あなたがずっと想い続けてきた新撰組副長――そのひとが今、憎しみに駆られて世界の理を歪めようとしている。

……本当に大好きな人に、こんな事を続けさせちゃいけない。あなたが慕った“土方歳三”を、本物の鬼なんかにしちゃいけない」

 

立香は刀に添えられていた友人の手を、両手で包み込むようにして握った。その手にぎゅっと力を込めながら、祈るような目で沖田を見上げる。

 

「――沖田さん。アヴェンジャー・土方歳三を、どうか止めて欲しい」

「マスター……」

 

沖田は驚いたような目で、少女を見詰め返した。小動物のように愛嬌のある瞳が、今は毅然とした鋼の意志に満ちている。

――さぞかし、言い辛かった事だろう。想い人と斬り合う痛みを理解したその上で、敢えてそれを願わなければならないとは。

 

この時、今更にして沖田は気付いた。彼女の真っ直ぐで芯の強い瞳は――罪も罰も背負って前に進もうとする高潔な魂は、己が愛する男にとてもよく似ているのだ。だからこそ、他ならぬこの少女に、己の忠義を捧げるつもりになったのだ――と。

 

「……承知しました。藤丸立香、あなたの刃――そして、友として。この沖田総司、あなたの命を見事果たして見せましょう」

 

沖田は確りと頷いて、少女の手の上にもう片方の手を重ね、握り返す。立香は安堵と悲壮、そして希望を綯い交ぜにしたような顔で、沖田に微笑んだ。

 

「マスター、あなたの言うとおりです。あのひとの心が壊れてしまうのを、止めなければ。……それが生前果たせなかった、私の務めですから」

 

迷いはなかった。友と同じ道を歩み、友と同じ理想に殉じる事。かつて遂げられなかったその想いを、今度こそ、最後まで遂げ果せる事。

それこそが新撰組一番隊組長ではない、今の己の――セイバー、沖田総司の士道なのだと、彼女はここに気付いたのだから。

 

 

※※※

 

 

皆が食事と共に待っているから、と沖田を小屋に送り返して、立香はひとり夜空の下で背伸びする。胸一杯に澄んだ山の空気を吸い込めば、緊張していた身体が少しだけ解れたような気がした。

 

「……私ってば、最低だぁ」

 

誰に言うでもなく、少女は呟く。自嘲気味に笑うその頬に、彼女は冷えた両手を宛がった。

今しがた沖田に向けて告げた言葉に、偽りはない。後悔もしていない。だがそれでも立香は、己のした選択に心を痛めていた。沖田を土方と戦わせずに済む方法があったのではないかと、この期に及んでそう考えずにはいられなかった。

 

結局、自分は戦いに勝つための駒として、沖田を土方にぶつけることを選んだのではないか。友だの何だのと都合の良い事ばかりを言って、彼女の義侠心を利用しただけではないのか。そんな自分は、彼女たちサーヴァントが命を掛けるに値するマスターたり得ているのだろうか――。

 

そんな事を考えていると、突然立香の頭に広い手が乗せられて、ぐしゃぐしゃと髪を掻き混ぜられた。

 

「ないば考えちょる」

「わっ……豊久さん?」

 

掛けられた声に、立香はびっくりして顔を上げた。名を呼ばれた男はニッと笑って、オレンジ色の頭から手を離す。

 

「主ゃの判断は、正しか」

 

ふたりのやり取りを見て見当はついていたのか、それとも単なる当てずっぽうであったのか。豊久は立香の心中を言い当てるかのように、そう言って退けた。

 

「只の女子と侮った俺を、許しちくい。我が兵子ば信じた主ゃも、我が刀ばうっ捨(せ)んじおった沖田も、立派じゃ。立派な日ん本さぶらいじゃ。

……こいは沖田にとって、己との戦ど。沖田のためにも、自分の手ぇでやらねば」

 

頷きながら言う豊久の力強い眼差しから、立香は目を離せずにいた。豊久は人好きのする笑顔を浮かべたままで、こう続ける。

 

「それに主は、薩摩ん兵子ば危険も承知で救いに行ってくいた。そがいかこつ、誰でんでくっことじゃなかぞ」

「……でも、私はみんなを助けられなかった」

 

豊久の言葉に、立香は暗い顔で視線を落とす。自分の無力さを悔やむ少女に、豊久は言った。

 

「主ゃは神様でん、仏様でんなか。人間じゃ。否――神仏様でん、人ば漏れなく救うてくいはせんど。

……“かるであ”の兵子達は、主ゃのためなら喜んで命を捨てがまる。そいだけでん、充分に分かっど。主ゃはほんのこて、よか将じゃ」

 

ごつごつとした掌が今一度、猫のように細い髪を荒っぽく撫で回した。何度も頬を掠める毛先が擽ったくて、少女が笑う。幼げな大将に笑顔が戻ったことで機嫌良さそうにしている豊久に向かって、彼女はその口を開いた。

 

「ありがとう、お陰で自信が出てきたよ。でも私は――誰一人として、命を捨てがまらせたりしないから」

 

豊久のそれを意識してか、同じようにニカッと歯を見せ、立香が笑う。豊久もまた大きな歯を覗かせて、

 

「よか」

 

とだけ応え、笑い合った。

――東の空に、明けの明星が輝き始めている。決戦の時は、刻一刻と迫っていた。

 




2/26 誤字修正いたしました。ご報告有難うございます…!

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