落第騎士の師匠《グランドマスター》   作:Wbook

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しゅら

「——ッシ!!」

 

 

 上段から振り下ろされる超速の一刀。その一“刹那”のち、同様の疾さを以って斬りあげた。目前へ刃を振り下ろすことで相手を一瞬怯ませ、二の太刀でトドメとする。

 

 現代剣術において、《虎切り》。あるいは——《燕返し》と呼ばれる代物だ。

 

 より厳密に言うなら、ある方向に打ち込んだ刀を真逆に斬り返す技だが、伝承において《巌流》と呼ばれる剣士が用いたのは上下の変化であったとされていた。

 極めたなら、確かに必殺の威力を発揮する剣技ではある。

 

 しかしこれは——彼の知る《燕返し》ではない。

 

 頭上から股下までを断つ縦軸の一の太刀、一の太刀を回避する対象の逃げ道を塞ぐ円の軌跡である二の太刀、左右への離脱を阻む払い三の太刀。

 本人は連続剣であるかのように語っていたが、それは偽りだ。ほぼ同時ではなく、“全く同時”に駆り出される三つの軌跡。人の身では回避不可能の……まさしく必殺剣であった。

 

 

「……理屈で再現できるものでもない、か……」

 

 

 その《魔剣》は、今の黒鉄一輝には不可能だ。

 

 

「——せぇあ!!」

 

 

 独特の構えから、一息のうちに放たれる三太刀の連続剣。《比翼》の剣技によって放たれたその斬撃は、加速を必要としないアドバンテージのおかげで、傍目には同時に放たれたモノにも見える。

 

 ともあれ、所詮は連続剣という他ないだろう。《神速反射》を持つ倉敷蔵人のそれと比べても劣った……言わば、出来損ないのモノマネだ。

 そもそもが、佐々木小次郎の《燕返し》という技は、三点同時というだけでは成立しない。彼自身の神速と技量、《物干し竿》という奇怪な刀があって初めて形になる限定奥義だ。

 

 全ての条件を満たすことで、必中の魔剣は完成する。

 

 唯一その理合を読み取ることの出来た師の剣は、《比翼》の剣技すら簒奪した黒鉄一輝の技量を以ってしても再現不可能な代物であった。

 世の理を覆すほどの凄絶な深みを、今の黒鉄一輝は持ち合わせていない。

 

 仮に同じ現象を再現できたとしても、師の《燕返し》には及ぶべくもない。それは、師の望むところではないだろう。

 

 佐々木小次郎が黒鉄一輝に求めているもの。それは、自身に匹敵する——否。自身をも上回る技量を持つ剣士に一輝が成長を遂げることに他ならない。

 

 そうして初めて、師の望む強者との果たし合い……その地金が出来るのだ。

 

 

「……全く。無茶な要望だ」

 

 

 その域に達するには、エーデルワイスと同じ程度の才覚。或いは、天賦の才に加えて……生涯をかけた修練、もしくは修羅場すら生温い死闘の繰り返し。思いつく限りでもそれだけの凶事を乗り越える必要があるだろう。

 

 一輝が持つ才覚は——無論、伐刀者としての資質を除けばだが——常人と比べたなら破格のものだろう。

 それでも、エーデルワイスはもちろん……小次郎の持つ鬼才とは比べられない。

 

 ——しかし、黒鉄一輝は何としてもその領域に辿り着かねばならない。

 

 そうでなければ、申し訳が立たない。これは目標である以上に、義務であり責任だ。そう、自分で定めたのだ。

 如何に人々に穏やかと、温厚と称されようとも、自身は剣に生きる破綻者だ。だが、最低限……報いねばならないという思い(執念)がある。

 

 “誰にも見捨てられたこの身を。無理矢理押し入っただけの自分を。技一つ盗めぬ若輩を、教え子と認めてくれた”あの侍に。

 その大恩に何としてでも報いねば、黒鉄一輝に先は無い。

 

 最強という目標——そして、師を超えてみせるという……ある種当然の気概は、一輝の中で強固な信念へと変貌していた。

 

 それは、ともすれば……場合によっては強迫観念のようにも聞こえるが、それは違う。身体を蝕むための“呪い”ではなく、燃料として注がれた“願い”というのが正しい。

 佐々木小次郎という剣士を辿る道筋は、少年にとって、決して間違った道では無いのだから。

 

 

「……いけないな、鍛錬の最中に余計な思考は」

 

 

 今はただ、剣を振る。

 

 やれることをやり残してきたつもりは無いが、それでも完璧であったかと問われれば疑問符が残る。

 初心にかえり、日がな一日剣を振り回し、基礎を磨くのも良いだろう。それこそが、全ての剣士の原点だ。

 

 ——修羅は、静かに牙を研ぎ澄ませていた。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 夕刻……というには、やや語弊のある……既に日が沈み切り、間も無く夜を迎えようという時。

 黒鉄一輝は、師の影を追い続けていた。

 

 全ての刃が読み切れず、気づけば目の前へと迫っている。《比翼》の剣技を得た今でこそ形になっているが、初めの頃はそれはもう酷いもので、微動だに出来ぬまま一日が終わることも珍しくはなかった。

 技量を伸ばした今でも対応するのがやっと。容易には踏み込ませないが、反撃にも出られない。故に、幾度も首を落とされた。

 そしてそれは、どれほど完全にトレースしたとしても、幻影にすぎない。現実は必ずその上を行くだろう。《一刀修羅》を、《一刀羅刹》を用いたとしても、多少追い縋れる程度……敗北という結果は変わらない。

 

 ——自身の全てが、通用しない。

 

 

「イッキ」

 

 

 ふと、後ろから声が掛かった。

 

 

「ステラ?」

「アタシにも気づけないなんて、根を詰め過ぎなんじゃない?」

 

 

 実際その通りだ。普段の一輝であれば、鍛錬中であっても人の接近に気づけない筈がない。嫌でも察知してしまう。

 つまりは……それほどの疲労、それほどの集中。意識の全てを傾けていたのだ。

 

 

「……そうだね。そろそろ切り上げようか」

「らしくないわね、イッキ。“常在戦場”……そうでしょう?」

 

 

 痛いところを突かれた……とばかりに、苦笑を漏らした。

 

 

「一度、改めて自分を追い込んでみたかったんだ」

 

 

 七星剣武祭優勝という、ある種の節目。学生騎士の誰もが一度は夢見る、一つの終着点。

 《七星剣王》の称号。それは、黒鉄一輝にとってはもう一つの異なる意味を持つ。

 

 黒鉄一輝の“魔導騎士”としての人生は、ようやく始まった。

 

 その達成感に僅かでも溺れてしまうのは、非才な自身には致命的な損失である……と、彼は考えたのだ。

 幸いにも、図に乗る暇もなく。頂点たる技量のぶつかり合いに叩き折られた鼻っ柱。一輝にとっては、この上なく都合が良い。しかしやはり、それ以上に。

 

 ——血湧き、肉踊った。

 

 

「ふーん……なるほどねぇ? アタシを置いてけぼりにして見た“例の決闘”がそんなに刺激になったと?」

「い、いやな言い方しないでよ」

 

 

 この件に関して、ステラはかなり根に持っているらしく、事あるごとにチクチクと嫌味を言ってくる。

 一輝としても、逆の立場ならと考えれば、分からなくもない。嫌味くらいはあって然るべき……というのもおかしいが、納得していた。

 

 

「……ふふ。でも、イッキがそんなだから、アタシは一緒に居られる」

「ステラ……」

「アタシたちなら、ずっとそんな関係を続けられるわよね」

「ああ、もちろんだよ」

 

 

 ステラ・ヴァーミリオンという少女は、本心から黒鉄一輝と波長を合わせられる数少ない女性の一人だ。それは、闘争においても恋愛においても変わらない。

 彼女の存在は、一輝を強くする大きな要因の一つであり、事実……彼女が居なければ乗り越えられなかったこともある。

 

 辿り着けるかどうかも分からない目標を愚直に目指せるのも、彼女のおかげだ。

 

 

「だから、そのためにも。今度の“お父様への挨拶”、成功させないとね?」

「あぁ……そうだね……」

 

 

 今だけは忘れていられたのに……と、一輝は思わず項垂れた。正直、そう繋がるのかという思いもある。他意は無いのかもしれないが、罠に嵌められた気分だ。

 

 そもそも、鍛錬により一層の熱を入れたキッカケはそのイベントにある。頭の中のスイッチを戦闘用に切り替えてからはすっかり頭から忘却し——または封印、もしくは逃避し——真剣に腕を磨いていたのだが……。

 まあ何がどうあっても無くなるイベントではないし、ここで避けたとしてもいずれは訪れる難所である。

 せめて延期したいと申し出たところ、詳細は省くがとりあえず戦争になるとまで脅されたので、どうしようもない。

 

 

「飛行機は明後日よ。挨拶、ちゃんと考えておいてね♡」

 

 

 じゃあ、先にシャワー使わせてもらうわね、と言いながら去っていくステラを笑顔で見送った一輝は。

 

 

「……これってもしかして……釘、打たれたのかなぁ」

 

 

 遠く、彼方にあるヴァーミリオン皇国に馳せる思いは、恋人の期待とは裏腹に……不安でいっぱいの生暖かいものであった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「……で、何故ここに来た黒鉄?」

「僕の周りの大人で一番マトモな恋愛をして結婚に至っている大人が貴女しか思い当たらなかったからです、理事長閣下」

 

 

 いつになく腰の低い一輝の様も、黒乃の不安を煽っていた。が、しかし。

 

 

「正論と言わざるを得んか……まず、大人は寧音やお前の師匠のような輩ばかりでは無いと弁明しておこう。アレは少数派だ。あんな類の大人ばかりでお前の周りを固めてしまったことに罪悪感も無くは無いが」

 

 

 黒乃も結構おかしい方なのだが、家庭を成立させる程度には良識があり、学園運営を滞り無く行える程度には常識的な大人だ。

 そういった理由で黒乃に相談を持ちかけた一輝ではあったが、一番の理由は学園で仕事をしていた黒乃が一番近くに居た大人だったというだけの話で。一刻も早く不安を解消させたかったのだ。

 

 そうでなければ、性別以外は非常に出来た人間である有栖院にでも相談していただろう。彼女が帰郷していたことがタイミング的に悔やまれる。

 

 

「しかしだな、私は貰われる側だぞ? 娘の恋愛事情如何で戦争を仕掛けるような親馬鹿のことなぞますます専門外だ」

 

 

 まさか、理事長なら息子さんを私に下さいとご両親に挨拶しに行っていても違和感がない……などという曖昧な理由で来たとは間違っても口には出さず。

 

 

「それでも既婚者の意見は貴重ですよ」

「む……そういうものか?」

「はい、そういうものですよ」

 

 

 若干納得の行っていない様子の黒乃であったが、それでも教育者として生徒の相談は断れないようで。

 

 

「とりあえず土下座はやめろ」

「あ、はい」

 

 

 いきなり手持ちの切り札を捨てられてしまった。

 

 

「雑すぎるし、憎いお前の気持ちの押し付けなんぞヴァーミリオン国王も聞きたくないだろうしな」

「憎い……ですかぁ」

「今頃ワラ人形に釘でも刺してるんじゃないか」

 

 

 冗談のようには聞こえなかったので、本当にあるのかもしれない。……ともあれ、土下座禁止は納得できた。

 確かに悪手にしかならないのだろう、と。

 

 

「月並みだが……相手の趣味嗜好に合わせた会話から切り口を見つけるのが望ましいだろう。遠回りだが、正攻法だ。こちらには娘の協力もあるんだ、情報はいくらでも手に入るだろう?」

「なるほど……」

 

 

 その通りだと言わざるを得ない。

 相手に合わせた会話を振るというのは、ある意味では気遣いや誠意に繋がる。少なくとも土下座より遥かにマシだろう。

 

 

「大変だろうが、相手はあのステラ・ヴァーミリオンの父親だぞ? 見込まれたなら……絶対にお前を裏切らないさ」

「——それは、すごく説得力がありますね」

 

 

 あの少女を育てた人間ならば、それは揺るがないだろう。あれほど誇り高く、純粋に育ったのは周囲から大きな愛を注がれたからに違いない。

 

 

「……どうだ、多少は楽になったか?」

「はい、ありがとうございました。これなら、何とかいけそうです」

「まあ、楽なことではないだろうが……思い一つで《魔人》にまでなったお前のことだ、心配はしていない」

 

 

 黒乃の浮かべた表情は、その言葉に嘘がないことを教えてくれた。

 一輝は彼女のことを信頼している。彼女に言われたならば、不安も軽くなってしまう。

 

 

「頑張れよ、黒鉄」

 

 

 何故なら彼女は——黒鉄一輝を認めてくれた、数少ない大人の一人なのだから。




しばらくはこんな感じでのんびりと更新していきます。

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