現在、小次郎とエーデルワイスを視認出来ている人物は、彼らを除けばカフェテラスでエーデルワイスを待っていた四人だけだ。
小次郎の気配遮断は正規のアサシン……山の翁のそれよりも劣ってはいるが、遥か格下の者達や一般人の感覚を誤魔化す程度は造作もないことであった。
月影達四人にしても、武人としての色が強いシャルロットと優れた観察眼を持つサラはともかくとして、他の二名では自力で彼に気づくのは難しかっただろう。
自分と同じくエーデルワイスに用のある一団と判断したため、小次郎が敢えて見逃した……というのが正しい。
「……おい、そこの男。確かに中々に美しい容姿をしているが……粉をかける相手は選ばねば滅びを招くぞ?」
……しかしこの場合、風祭凛奈のようにその脅威を認識出来ない場合もある。
どうやら小次郎が話した言葉が聞こえていなかったようで。エーデルワイスの美しさに惹かれたナンパ男が、彼女の正体も知らずに声を掛けてきたのだと勘違いをしてしまったようだ。
少し冷静に考えたなら、姿を隠しているはずのエーデルワイスや自分達を認識出来ている彼の異常性に気づけるのだが。
小次郎が強者特有の“分かりやすい”威圧感をまるで発していないため、凛奈には彼を異常とは思えなかったのだ。
「……お嬢様。お下がりください。その男、尋常ではない!」
気が気でない思いをしているのは当然、シャルロットだ。彼女は状況を正しく認識している。
故に、小次郎という中身の分からない異物に自分の主人が無防備に近づいていくのを黙って見ていることなど出来なかった。
「そうですね、凛奈は下がっていた方がいいでしょう。……この方は、《比翼》としての私に用があるようだ」
エーデルワイスの言葉を受け、ようやく状況を把握した凛奈は急いでシャルロットの影に隠れる。
事態が緊迫するものと見て非戦闘系の伐刀者である月影もまた他の三人とともに距離を取ろうとするが。
「あっ、一輝のお師匠さま」
……などと、少々看過しがたい台詞が耳に入れば、動きも止まるというものだ。
現職総理であり、《連盟》の日本支部にも当然影響力を持っている月影だが、彼が小次郎を知らないのも無理はない。実は、目下のところ佐々木小次郎という伐刀者の存在については黒乃の時点で差し止められている。
彼女としても小次郎のことをいつまでも隠し通すつもりは毛頭無かったのだが、剣武祭に影響が出るのを危惧して、報告を先送りにしていたのだ。
小次郎の人格次第ではその場で排除、もしくは拘束することすら視野に入れていた黒乃だが、その必要は無いと判断して彼への対処を監視に留めた。
さらに言えば、小次郎の実力が黒乃の予想を上回っていたため、迂闊に報告出来なかったというのもある。もし仮に《連盟》が敵対の意思を示したなら、剣武祭の続行がいよいよ危ぶまれた。
小次郎を仕留めるならばクロスレンジでは話にならない。大抵の伐刀者は一瞬で首を落とされる。市街地では狙撃も確実性に欠ける。となれば、残る手段は広範囲攻撃。……湾岸ドーム周辺の被害は免れなかっただろう。
「……サラ君。彼が一輝君の師匠というのは本当なのかい?」
「うん。一輝も師匠って呼んでたし」
「なんと……本当に《落第騎士》の師なのか!」
一輝の身辺調査は当然行っていたため、ここに来て新たな事実が明らかになるのは月影としても驚かざるを得ない。指導者が居ないために身についた技術、それが一輝の《模倣剣技》であったはず。それを根底から覆すような存在であれば尚のこと。
「イッキの師……ですか、なるほど。確かに貴方であれば、それも納得です」
エーデルワイスの瞳に映る小次郎は、他の四名のそれとは異なっていた。
彼女の“優れ過ぎた”才覚は、実力の読めない幽鬼の如き侍の実力を、視覚という形で表現した。
——まさに人外。彼女はその立ち姿に、鬼神の影を見た。
実力は測れずとも、魔力の大小は感じ取れる。その魔力量には何処か覚えがあった。
今日、ここに来たのはそもそもソレが目的だ。
「Fランク……そんなところまでイッキと同じなのですね」
一輝と同じく伐刀者としての最低ランク。
そこに位置しているにも関わらず、自身の第六感は小次郎を強者と認識した。一輝は確かに尋常ならざる実力の持ち主だが、今はまだ自身を脅かす程の剣士ではない。
であるなら。魔力に差が無い以上、小次郎は純粋な技量において《無冠の剣王》を上回り——。
「いいでしょう。お付き合いします」
世界最強とされた、自身に——《比翼》に匹敵するやもしれない。
人知れず、彼女の心はざわめいていた。
*****
「しかし驚いた。噂には聞いていたが、まさかエーデルワイス殿がこれほどの器量良しとは思わなんだ」
——正直な話、拍子抜けも良いところであった。
約束を取り付けるや否や、急ぎではないから剣武祭の終了後に……などと申し出たのだ。
確かに小次郎にとっては愛弟子の試合、それも決勝である。後回しにするのも分からなくはないのだが。
その上、待つことを条件にエーデルワイス達一行に同行させろと図々しく提案してきた。
条件などというものの、彼には不利益のないものだ。無論、彼が何かしでかさない限りは自分達にもそれは無いのだが。
だからこそ、断りにくく。理由を付けようとするとのらりくらりと躱されて。
「そういう貴方は、見た目よりも軽薄な方のようですね」
無駄に身構えさせられたエーデルワイスからしてみれば、小次郎の態度が気に入らないのも仕方がなく。少しばかり辛辣な台詞が多い。
それにしても、普段であれば軽く“いなす”程度は出来たはずだが……。
『おや、エーデルワイス殿は苦味は不得手であったか。コーヒーに四杯も砂糖を入れて……』
『……いえ、そんなことは』
『いやいや、誰しも苦手なものはある。恥ずかしがることはない』
『いえ、断じてそのような事実は——』
『ええー? ほんとにござるかぁ?』
たとえ……。たとえ、ジョークの類だったとしても実に腹立たしい煽り文句であった。
これが他の人間に言われたのならそうでもないのかも知れないが、小次郎が言うと何故だかとてもイラっと来る。表情から言葉運びに至るまで。
この小次郎という男は若々しい姿形でありながら、老練した……所謂“狸じじい”のような一面があるようで、やたらと人をおちょくるのが得意なのだ。
「やれやれ手厳しい。私はただ、可憐な花を愛でているだけだと言うのに……」
「は、花……いえ、そうですか」
このように、歯の浮くような台詞を平然と吐くところも気に食わなかった。
エーデルワイスは恋愛経験が少ない。本人としては全く許容しがたい事実ではあるが。
本人の望む望まざるは別として、若くして剣士の頂点に君臨してしまった彼女だ。並の男では釣り合わないどころか、彼女に声を掛けることすら叶わない。必然、経験値に欠ける彼女は魅力的と感じた男性に声を掛けることも出来ない。
もっとも“ある方面”においてはモテモテと言って過言でないのだが、あんなところに出会いを求める気にもなれなかった。
要は、歳の割りに“ウブ”なのだ。
それが、突然現れた自身と仮定同格たる実力者の小次郎に……対等である男に美辞麗句を並べ立てられていた。
アニメや漫画のヒロインのように容易く恋に落ちるほどエーデルワイスは“チョロい”女ではない。が、それでも小次郎のような滅多に見ないほど美形の伊達男に口説かれるのは、さほど悪い気もしなかった。
しかし、居心地の悪さを感じるのもまた事実で。
「……あまり、軽率に女性を褒めるものではありませんよ。薄っぺらに見えますから」
からかわれたことに対する意趣返しもあってか……。
結果として、チクチクと小言という名の棘を刺すエーデルワイスと今何かしましたか?と言わんばかりに苦も無くそれを受け流す小次郎という、今のような関係に落ち着いた。
「軽率とは人聞きの悪い。女人に……それも美女に向ける言葉だ、偽りであろうはずもない」
「く、口の減らない方ですね……!」
尚、周囲にとっても中々に興味深い掛け合いだったため、その他四名——若干一名は紙と筆まで用意しているが——は静観する構えを取っている。
端的に言うなら、余計な口を出さずに外野席で二人を観察し続けていた。
とりあえず、この二人が口で争ったなら、エーデルワイスの大敗は間違いないだろう……と。
*****
「……ササキ」
「おや。口を聞いてくれるのか、エーデルワイス殿?」
試合会場に赴くまでの間、からかわれたり口説かれたりしたせいで“拗ねて”小次郎を無視し続けていたエーデルワイスが、ようやく口を開いた。
「ふざけないでください。真面目な話です」
「——どちらが勝つと思うか……そう、尋ねたかったのであろう?」
心中を読まれたことに関しては、さほど驚きはなかった。
小次郎はエーデルワイスとの果たし合いを差し押くほど、この試合に関心を持っている。
それはエーデルワイスも同じだ。通じる部分があったとしても、不思議とは思わない。
「……月並みだが、どちらが勝ってもおかしくはないだろう」
「そうですか。——私は《紅蓮の皇女》の勝利に終わると予想します。少々残酷ですが……定められた“運命”には抗えない」
それを聞いた小次郎は。
「気が変わった。この試合……勝者は一輝だ。“運命”などに屈する男を、弟子にとった覚えはないのでな」
「……よく言いますね。初めからイッキが負けるなどと思ってはいなかったくせに」
“師匠馬鹿”もいいところです、とエーデルワイスに吐き捨てられた言葉に、初めて小次郎が狼狽えた。
一瞬とはいえ小次郎の余裕ぶった表情を崩せて密かにご満悦のエーデルワイスは、晴れやかな気分で試合観戦に望むのであった。
*****
「……このようなことが、起こり得るのだな」
ただ一人、誰の手によるものでも無く。真実、孤独のままに剣の頂に立った魔剣士は驚愕を隠せなかった。
他ならぬ、自身の弟子とその好敵手に対してだ。
《無冠の剣王》と《紅蓮の皇女》。
彼らはいま、凄まじい勢いで成長し続けていた。
一秒毎に、いや刹那の間に……その実力を高め合い、強くなり続けていた。
「……貴方は、知らないのですね。貴方ほどの剣士が、いまここで起きていることを知らないと言う……それは、酷く“歪”だ」
エーデルワイスは、試合が始まる以前からこの展開を読んでいた。
そして、小次郎もそれを読んでいるものと思っていた彼女から見れば、それを知らぬと言う小次郎が信じられなかった。
しかし、小次郎がそれを知らないのも無理はなく。
「……私はな、エーデルワイス殿。裕福な生まれではなかった。その日を暮らすので精一杯、“佐々木小次郎”という名を得るまでは呼び名すら持たなかった」
どのような気まぐれか。
矛盾が生じてしまうため、詳細はボカしたままだが……小次郎は自らの身の上を語っていた。
「たまさか山奥で、隠居した剣聖の太刀筋を見て心打たれ、弟子入りしたは良いが……素振りの一つもせぬまま、一月もしたらぽっくりと逝ってしまわれてな。競う相手にも不自由したが……どうにかここまで磨き上げた」
それが凄まじい難行であることが、エーデルワイスには容易く理解できた。
世界最強と呼ばれるエーデルワイスにすら、剣を教えてくれた恩師が居たのだから。
ただ一人で、超人の領域にまで上り詰めた彼は——どれほど極まった才覚を持ち、またどれほど妥協なき修練を積んだのだろう。
「……“好敵手”とは、これほどに素晴らしいものなのだな」
小次郎は今、弟子である一輝の成長を師として大いに喜び……戦士として、見ていて苦しくなるほどに羨んでいた。
しかし、ただただ何の感慨もなく。気がつけば頂に立っていただけのエーデルワイスには、“その姿こそが羨ましい”。
武に対して、これほど真摯になれる佐々木小次郎という剣士が。
何の目的も持たず……ただ埒外に強いだけだったエーデルワイスには輝いて見えた。
老成しているなどど言うのは甚だしい誤りで、一方ではそういう面を持つというだけ。
小次郎は、今まさに大舞台で雌雄を競っている彼らと何ら変わらない。
情熱に満ちた、素晴らしい武芸者の一人だ。
「……ええ。そうですね……」
……だからこそ、残念でならない。
恐らくは、エーデルワイスの感覚が確かならば……自覚もせぬうちに、小次郎は“この世界”を屈服させている。
そんな彼ならば、自分とは違う結果を知っているのではないか……そう思っていたのだが、それは見当違いもいいところで。
エーデルワイスが予測した一輝の敗北という結果に、変わりはなかった。
——はず、だった。
*****
「ふ……ふ、はは! 見よ、わが弟子を!——あれはやはり、“運命”如きに膝をつく男ではなかったぞ!」
成長に次ぐ成長は、二人を飛躍させ続けた。
しかし、元より二人には絶望的なまでに差があった。才覚という……自身にはどうしようもない“運命”が。
上限一杯まで伸び代を消費してしまった一輝には、成長を続けるステラを追い切れず。
ついには、《天壌焼き焦がす竜王の焔》の直撃を受ける。
あわや決着か……そう思われたその時。
一輝は、あろうことか《一刀修羅》を使い果たした後にも関わらず、渾身の《一刀羅刹》を発動させたのだ。
それはもはや、魔力量を増加させたとしか思えない現象で。
そして放たれた、《無冠の剣王》が完成させた究極の斬撃。
自身の影すら置き去りにする神速の抜刀。“魔剣”の領域に限りなく近い一閃。
後に、終の秘剣《追影》と呼ばれるそれが——竜の命脈を断ち切ったのだ。
「……ええ、賭けは私の負けのようですね。本当に、すごい少年だ」
素直に認めるより他なかった。
思えば、この師にしてあの弟子あり……ということなのだろう。
頂を見据え、現実に限界を淘汰している人物を、ずっと目標にしていたのだ。——運命などという無粋な代物に、負けるはずがない。
読みが浅かったのは自分の方か……と、エーデルワイスは微笑んだ。
「まさか、あの若さで《覚醒》に至るとは」
「……《覚醒》?」
「貴方はそんな“些細なこと”に頓着しそうにありませんから、簡単に言わせてもらいますが……要するに、自分の限界を超えれば魔力量を増やすことも可能なのですよ」
エーデルワイスの言葉通り、小次郎にとってはさほど興味の湧く話ではない。漠然と、そういうこともあるのだな……程度にしか考えてはいなかった。
もっとも、あっけらかんと口にしたその言葉に冷や汗を流す者も居たのだが。
「エーデ……一応それは機密なんだが……」
「問題ありませんよ、彼も《魔人》ですから。もっとも自覚は無いようですが」
「……な、なるほど。頭の痛い話だ……」
会場に来る途中、黒乃に連絡を取り、小次郎の情報を得ていた月影としては中々に看過しがたい話であった。
少なくとも小次郎の存在が確認できる数年の間、日本国内で未登録の伐刀者が……しかも、《魔人》が野放しになっていたというのだから、偏頭痛程度は仕方のないことである。
「ふむ……そういえば、そなたは総理大臣であったな。まあ、新宮寺殿に見つかった時点で《連盟》にバレるのは時間の問題、今更気にすることでもない……か」
本当に、今更である。
数時間も一緒にいたくせにようやく月影の正体に気がついたのだ。
どれだけエーデルワイスに関心を奪われていたのか……嫌が応にも察することが出来る。
「ですが、悪いことばかりではないですよ。彼も、そしてあの二人も……貴方が垣間見た『絶望の未来』を打破する力になってくれるかもしれません。——貴方の献身は、無駄ではなかった」
「そう、思いますか……エーデ?」
「ええ、私はもちろん、私以外の《魔人》たちも、間違いなく——」
この会場に居合わせた《魔人》は、エーデルワイスと小次郎だけではない。世界各国から、導かれるように大きな力を持つ者達が集まっていた。
「誰もが確信したはずです。今この世界に……新たな未来が生まれたと」
目の前に立つ、古の侍と同じ名を持つ男。そして、たった今希望を見せてくれた……彼の弟子である黒鉄家の少年。
ともに、《比翼》が認めた剣士。
「……佐々木さん。エーデとの用が終わり次第、貴方に話したいことがあります。お時間を頂きたい」
「それは構わぬが……確約は出来ぬ。——何せ、首が落ちていては話など聞けんのでな」
この世界で……あるいは、史上初。佐々木小次郎という男が初めて放つ“剣気”。
亡霊ではなく、実体として現れた彼が放つそれは、《比翼》の放つそれと比べても何ら遜色がない。
ほんの一瞬だけ解放されたそれは、この会場に集った埒外の強者にのみ拾われた。
「さあ、《比翼》よ。若人ばかりにいい格好をされるのも癪であろう」
歓喜を隠し切れず、口元を歪ませた小次郎は、まさしく武人の貌を浮かべていた。彼と向かい合うエーデルワイス、彼女がそれに対して見せた表情は……果たして、小次郎にしか窺い知れなかった。
——今宵、決戦は一つにあらず。
小次郎の《覚醒》の謎は、後日本編にて語られます。