「まったく、我ながら馬鹿げている」
一度剣を捨てた身でありながら、安い剣を再び腰に差した少女は、西へと向かうために街道を馬に乗って進んでいた。西部中央の街『ディエナ』への最短距離となる道だ。
(男、か……)
おとぎ話の題材となる龍や悪魔と違い、男は魔道士同様、確かにいたと多くの文献に残っている種族だ。いや、種族というのは違うかもしれない。そもそも男というのは、自分達『女』の番いであるべき存在だったのだから。
残念ながらどうして男達が姿を消したのかは分かっておらず、多くの歴史学者が未だに議論を交わし、男がいたと思われる遺跡や遺物が出土するたびに国を越えた大規模調査団を編成し、徹底的に調べつくしている。
本来ならば他の獣がそうであるように、メスに分類される女と、オスに分類される男がいるはずだった。オスがいなくては子を成す事も、後世に種を残す事も出来ない。
だが、なぜこうして女だけで人という種が存続出来ているのか。
それは、世界中に散らばっている遺跡――クロイツ・ポイント――クロイツと呼ばれている魔道士達が遺した奇妙な施設のおかげである。
本来ならば男がいなければ作れない子供も、クロイツを子供を作る相手――パートナーと共に利用すれば、どちらか――あるいはどちらも子供を授かる事が出来る。
余談だが、このような施設を作る必要があった事から、おそらく男は何らかの形で死滅する事が当時の人達、あるいはそれより前に途絶えた魔道士達は知っていたのではないだろうかというのが、最近の歴史学者の定説である。
ともあれ、ほとんどの国はどこかの大きなクロイツを中心に発展しており、集落等も、領地内のいずれかのクロイツを囲むように作られている。
だが、全てのクロイツが正常に稼働するわけではない。異常な子供が産まれてきたり、活動そのものを停止してしまう事は決して珍しくない。
現に彼女の妹は産まれた時から左腕が無く、一時期そのクロイツは使用できないとされてパニックに陥ったらしい。
学者や祭事に携わる人間が男について徹底的に調べているのは、誰よりも自分達の種が途絶えてしまう可能性について深く考えているからだろう。
彼女も士官学校にいた頃に教官から聞いた事があったが、年々人口も使えるクロイツも減少しているらしい。
まだこの帝国が広大な領地と多くのクロイツを所有しているために混乱は起きていないが、周辺国はこの帝国を狙っているし、同時に隙あらば隣国に攻め入ろうとしている。
(もし、本当に男がいるとすれば……。そして帝都にまで連れて行けば……)
手柄どころの話ではない。間違いなく偉業として称えられるだろう。なにせ、種の存続の危機を救った事になるのだから。
「……なんとも都合のいい話、か」
そんなものはあくまでも夢物語。もしそのような話があるとすれば、大衆図書館の中に転がっている陳腐な騎士物語くらいだろう。
だが。
それでも。
それでも、だ。
やはり騎士になることを諦めきれない彼女には、それを笑い飛ばすことなど出来はしなかった。
(どうせ行く当てのなかった所なんだ。無駄足を踏むのも悪くないだろう)
未だに慣れない新しい剣を腰に差し直し、騎士を目指すその女は、馬に揺られながら真っ直ぐと西の方角に目をやった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
西部中心の都市、ディエナ。
かつては政争に敗れた没落貴族が送り込まれる陸の孤島と呼ばれていたこの西部を、僅かな数の部下と共に帝国有数の都市へと押し上げた現領主『リディア=ハウゼン』は、公邸の会議室で、信頼に値する二人の部下と共に状況を整理していた。
その一人として選ばれた、新人と言っていい文官――キュベレは、なぜ自分が呼ばれたのかを疑問に思いながら、会議の内容を片っぱしから頭に叩き込んでいた。
「では、やはり『男』は見つかりませんか?」
「はっ。このディエナから逃走した後の足取りを追った所、どうやらすぐに大森林へと入ったようです。見たことない服装の者が大森林へと入るのを近隣の農民が多数目撃しております。その内の一人は実際に会って、いらなくなった古道具などを渡したと。幸か不幸か、目も耳もかなり不自由な老婆でしたので『男』とは気がつかなかったようです」
綺麗な赤毛を後ろで束ねた騎士が、リディアの問いにハッキリとした口調でそう答える。
「なんてこと……。よりによって大森林に……」
ここ西部中央から東側に伸びる大森林は、一度迷い込めば出られない迷いの森として有名な所だ。
元々ここに住む原住民ですら恐れており、帝国は逆にそれを天然の妨害壁として利用したのがかつての統一戦争時代に城塞都市として築かれたディエナだった。
「現在、あくまで信用のおける者達でのみで大森林外周部を捜索させております。もし抜け出せているのならなんらかの情報が入るかと……。付け加えるならば、『男』は大森林外周部にて部下が発見しています。もしかしたらの話ではありますが、ある程度の土地勘があるのかもしれません」
「ありがとう。情報統制の方はどうなって?」
これは自分の担当だと、キュベレは要点をまとめておいた羊皮紙を手に報告を始める。
「『二年前の騒動』に関しては緘口令を発していますが、急な事でしたので完璧とは言えません。もっとも、内容が内容なだけに、このまま噂レベルの話を広げさせ、与太話だと思わせておくのがよろしいかと思います」
「……ごめんなさいね。私が慌てて『男』を確保しようとしたために厄介事を増やしてしまって」
「いえ、誰にも予想できる事ではなかったでしょう。私はその場にいませんでしたが、他の者達の話からその人間が『男』であることは間違いないのでしょう。文字通り『生きた伝説』を目の前にすれば、冷静な判断は出来なくなるもの。それが国どころか、世界を動かす存在となれば尚更です」
事の発端は、二年前。先ほど発言した赤毛の騎士――ベルヌーイの部下が、『大森林外周部にて倒れていた、奇妙な人間を発見した』という興奮しながらの報告から始まった。
それだけならばたいした話ではなかった。大森林は、その広大さと謎が相まって、トレジャーハンター気どりの愚者がよくよく侵入を試みている。
その大半は外周部で、レンジャー部隊の人間に取り押さえられているが、ごく稀に取り逃がしてしまい、内部へと入ってしまう者がいる。
話を聞いた時点では、運よく森から抜け出せた者が倒れていたのかと思ったが、その後に続く報告で、ベルヌーイは一瞬、部下が寝ぼけているのか真剣に疑う事になった。
『その者、男かもしれません』
ベルヌーイは、反射的に部下を殴り倒してから一から報告させ直した。
倒れていたその人物は、この地を知るものならばありえない程の軽装で倒れていたらしい。とっさに体温を調べた所、当たり前だがかなり下がっていたために、慌てて詰所へと運び暖を取らせ、かなり泥で汚れている服を着替えさせようと剥ぎ取ろうとした時。
自分達女にはないモノがあった――らしい。
部下が混乱状態に陥っている所に、その者が目を覚まし、慌てた部下は『男』をリディアに見せるために、彼女の屋敷へと連行したのだが――
「仕方のない事で済む問題はありません。そもそも『男』も私達と同じ人間だと言う事を失念していました。それなのに公衆の面前で……」
リディアは自分が二年前に何を命じたのか思い出し、頭痛を堪える様に頭を押さえた。
(確か、報告によると取り押さえて脱がせようとしたとか……そりゃあ男じゃなくても逃げようとするわねぇ……)
リディアの様子から、おそらくその時の事を思い出しているのだろうとキュベレは推察した。
「あの時、もっと落ちついて対処すれば、あるいは彼の者も大人しくしていてくれたのかもしれないのに――」
話を公に出来ない事もあって、あまり大勢を動かせず、結果調査は難航してしまっていた。
「今は、過去を論ずる時ではないでしょう。もっと差し迫った問題もあります」
「……キュベレ」
頭が良いだけ過去の失敗に引きずられやすい上司のために、キュベレは羊皮紙の一部――赤の塗料で丸く囲った項目を指でなぞりながら、仕事の話へと切り替える。
「男の一件にも一部関係ありますが、旧開拓民と帝国から移住してきた国民の間で衝突が多数発生しています。今の所は警備隊だけで解決できていますが、徐々に規模が大きくなっています。かといって、軍を動かせば……」
開拓民はかつての身分制度で奴隷とされていた者達。強制労働でこの土地を作らされ、その後口減らしのために帝国軍に体の弱い者達から殺されていた。
「帝国から預かっている軍もそうですが、自治軍を動かしても刺激することになるでしょう。ただですらここ最近、妙に旧開拓民が過激な行動に出る事が多い。下手すれば大規模な暴動が起きる可能性だって……」
ベルヌーイが後を続けた言葉に、キュベレは頷いて肯定する。
本来ならば軍を総動員してでも『男』の捜索・確保に当たりたいのだが、最低限の人員しか動かせないのはここにある。
「最悪、旧開拓民および原住民の人間が、ここ西部の自治権奪還を名目に反乱を起こす可能性も十分にあります」
「…………気に食わないわね」
リディアは、共に西部を作り上げていった者達の中でも、特にこの地を愛していた。
かつて奴隷扱いされていた開拓民たちとの和解、可能な限りの住民救助、救援、生活基盤の底上げ。それらを通して、自分を支えて来てくれた部下達、自分に着いてきてくれた帝国民、そして過去の事を水に流し自分を信じると宣言してくれた旧開拓民・先住民族の一団。そのどれもが我が子の様に愛おしかった。だから――
「恐らく、この騒動そのものが作られたものでしょう。どれほど法を徹底し、善政を行おうと街にそぐわない者は消えません。そういった者達の集まりを抑えて――」
「えぇ、分かっているわ」
リディアは静かに――だが激しく怒っていた。激怒と言っていい。
静かにこの地へと伸ばされた謀略の手に気がつかなかった自分に、今傷つく民を眺めるしかない自分に、
そして、この地にふざけた真似をしてくれた愚か者に。
「リディア=ハウゼンの名の元に、自治軍を三つに分散させます。ベルヌーイ、内一つは貴方の隊よ。よろしく頼むわ」
「はっ」
ベルヌーイは胸に手を当て、頭を下げる。彼女こそ、リディア=ハウゼン自慢の剣。西部自治軍最強と言われる将軍である。
「もう一つはリディア様率いる本隊。では残る一つは?」
キュベレは僅かに首をかしげてそう尋ねる。
少なくとも自分ではないだろう。自分に軍を率いる様な才能はない。そう考え、尋ねた所。
「リアフィード家が、あの『隻腕』を貸してくれるそうよ。すでにこちらの方に向かっているらしいわ」
「……なんですって?」
その二つ名は、少し前から帝国に広がっているものだ。『隻腕』。その通りクロイツの不備か、あるいは誤作動により、片腕を失くして名家の元に産まれてきた女性。
長女ではなく次女だったという事もあったため、一時はサロンで話題になったが、すぐに忘れ去られていくだろうと誰もが思っていた。
ゆえに、誰もが予想しえなかっただろう。彼女の剣が、見る者を惹きこむ様な美しさを持つ事になるなどと。
たった一本しかない腕から繰り出される技の美しさから、かつて彼女を乏しめるために使われていた蔑称は、気がつけば彼女を褒めたたえる二つ名へと変化していた。
――『隻腕』のスレイ。
今はまだ、ほとんどの貴族からせいぜいが期待の新人程度の扱いしかされていないが、見るものからは間違いなく帝国の将来を担う人材だと評価されている人物だ。
「いくらなんでも対応が早すぎないでしょうか?」
「そうね。でも、リアフィード家の情報網なら何かを掴んでいたとしてもおかしくないわ」
リディアが言う通り、リアフィード家は名家の中の名家と言えるだろう。名だたる騎士を何人も世に送り出してきた騎士の家系。ゆえに歴代帝王からの信頼も厚く、軍事の中枢は彼の家にあると言っても過言ではない。
確かに、信頼できる情報網を持っていてもおかしくはなかった。
「あなたの友人の妹でもあったわね。キュベレ」
「……単なる腐れ縁のようなものです」
そう、『隻腕』はリアフィード家の次女。家を継ぐハズの長女は他にいる。
もっとも、現リアフィード家の当主が妙に『隻腕』に固執しているために、実は廃嫡されたのではないかと噂になっている上に、現在行方不明なのだが……。
「腐れ縁こそ素晴らしい繋がりだと私は思うわ。あの細身で片刃の剣を使ってた娘……名前をなんと言ったかしら」
リディアは一度、士官学校で開催される御前試合でリアフィード家の長女を見た事があった。
その時彼女は既にベルヌーイという騎士を手にしていたために、武に優れた者より文官としての才能があるものを必要として数ある生徒の中からキュベレを見い出し、自分の部下として採用した。
同時にあの時の少女の剣も、確かにリディアの眼を引いたのだ。引いたのだが――
「テレーゼです、リディア様」
「あぁ、そうだったわ! テレーゼ、テレーゼ=リアフィード!」
思い出せた事が嬉しかったのか、手を叩いて喜ぶリディアを、ベルヌーイは僅かに口元を緩めて見守り、キュベレは久々に聞いた友人の名前にため息をついた。
(ったく、あの剣術馬鹿はいったいどこをほっつき歩いているのやら……)
士官学校の訓練の際、肩ほどで適当に整えたアッシュブロンドの髪をなびかせ、いつだって自信満々に奇妙な剣を振り回して最前線を走り回っていた友人を思い出し、懐かしさを感じる。卒業式典の数日後、いきなり姿をくらませたが……。
(それにしても、隻腕が来るか。余りのタイミングの良さに反吐が出そうだけど……)
事が大事になるかならないかの絶妙な時期に、実力のある将来有望な士官候補を送り込んでくる。
目的は色々と想像できるが――
(単純な売名、政治的な繋がりを求めて、……可能性としては低いけど、男の噂を聞きつけて)
ともあれ、厄介事になりそうだ。キュベレはここ連日の書類仕事で疲れた頭をなんとか働かせ、細部について話し合っているリディア達の会話をそこにしっかりと刻み込んでいた。
(あぁ、忙しくなりそうね……)
二人に聞こえないように、そっとキュベレはもう一度ため息をついた。