男であるのがそんなに悪いか!!   作:rikka

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たった一人の『 』

――ハァ……ハァ……ハァ…………ハァ……

 

 雪が降り積もった森の中を一人の少年がボロボロになりながら走っている。

 少年が身に纏っているのはただのパジャマで、どう考えても山歩きには適さないものだ。

 現に、突き出した枝や枯れ草に引っ掛かったのか少年のパジャマは所々破れており、むき出しの肌からは血が滲んでいた。

 

「くそっ! いったい、一体どうなってんだ……!」

 

 悪態をつきながら、少年は足を止めない。止めれば、まるでこの雪の中に閉じ込められるような気がするから――

 

「づぁ――っ!!」

 

 だが、少年の体力はすでに限界を超えていた。

 一瞬足元がふらついた瞬間木の根に足を取られ、少年は雪に覆われた大地と接吻することになった。

 少年はうめき声を上げながらも立ちあがろうとするが、もうそんな体力は残っていなかった。なにせ『この世界』では二日も食べていないのだ。そんな状態で走り回っていれば、体力が限界を迎えるのは無理のない事。今の少年には歩く事はおろか立ちあがる体力も残っていなかった。

 かろうじて動く腕で、辺りの雪をかき分けて行く。

 

――なにか……なにか食べたい…………

 

 本来ならば、つい先ほど『向こうの世界』でしっかりと食べていたのだ。

 両親と弟の4人でテーブルを囲み、肌寒くなってきたからと母が鍋を用意してくれた。

 男が多いからという事で多めに用意してくれた豚肉を、それでも弟と取り合い、母にたしなめられて野菜を器に取っていく。そんな当たり前の光景があったのだ。『向こう側』では。

 ノロノロとした速度だが、少年からすれば必死で雪と土をかき分ける。なんでもいい。なんでもいいから口にしたかった。

 おおよそ二十分ほどそうしていただろうか。徐々に動きが鈍っていく身体に鞭を打ちながらじりじりと這いずり、土を掻き分けていた少年はようやく何かを手にした。

 木の感触ではないが、その何かは少し固く、だが微かに弾力がある。

 

「……ハ、ハ。……バッタもどきかよ畜生」

 

 手にしたのは、子供の頃に弟や学校の友人と競って捕まえていたトノサマバッタによく似た虫だった。

 よく似たというのは、その虫が自分の記憶にあるトノサマバッタと少々形状が違うし、今触れているというのに逃げる――飛ぶ気配を全く見せないからだ。

 少年は手の甲へと登って来たそれにもう片方の手を必死で伸ばし――掴んだ。

 手の中でジタバタ暴れ回っているのだろう、節が手の平をひっかき、ほんのりと痛みを感じるが、少年はそのままゆっくりと手を引き寄せ口元へと運ぶ。

 気がつけば涙を流していた。

 こんなにも惨めな経験に、虫を食べようとしている嫌悪感に、夢の中でこんなつらい目に遭っている事に、ようやく食べる事が出来る事への喜びに――涙が止まらなかった。

 

 そして少年は、この世界に来て初めて、生きるために食べた。

 

 

 

 これは今から三年前、少年が夢の中の異世界に旅立って二日目の話。

 

 

 そして、全ての始まりとなる出来事だった。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

(ん……もう『こっち』に来たのか……)

 

 適当な橋の下で野宿した所で『目が覚めた』事を思い出して、少年は毛布代わりに使っていたマントを羽織り直しながら辺りの様子をうかがう。

 ゆるやかな流れの川、背の高い雑草に覆われた河原、かなりしっかりとした石造りの橋の支柱。昨晩見た『夢』とまったく変わらない光景。

 この三年間毎日ずっと見続けてきた、奇妙なほどにリアルな『夢の世界』だ。

 

(夢の世界ならばもうちょっとイージーモードな所があっても良い気がするけど……まぁ、今さらか)

 

 眠れば違う世界で活動をする事になるという、いわば24時間ノンストップで動いている訳になるのだが――どういう訳か疲れは感じない。むしろ日を追うごとにどちらの世界でも起きるたびに頭が妙にすっきりしている様な気さえする。

 

(荷物は……うん、減っている物も増えている物もなし。いつも通りだ)

 

 こちらで眠っている間に枕の代わりに使っていた袋の中にはこの二年の間に入手、あるいは作った道具が詰まっていた。豚肉の燻製や木の実、干した果実等の食糧を始め、ナイフや火打石、ぼろ布に手書きの簡素な地図、インクの小瓶に羽ペンにメモ代わりの白みがかった葉などなど……。

 そして手元には、一年前からずっと使い続けてきた古いボロ剣と、植物のツタを乾かしてから編んで作った投擲用のスリングが握られている。

 

(久々に道らしい道に着いたし、これからどうしようか……)

 

 これまで散々山や森の中を走り回ってきた少年。これまではとりあえず人気のありそうで、かつそこまで多くの人間が集まってなさそうな所へ出る事を目標にしていたのだが、いざ達成してしまうと次の行動に迷ってしまう。

 

(大きな村だか街を探すか? 姿隠して今まで通りに喉を壊した事にすればごまかせるだろ。さすがにそろそろどっかに拠点を見つけるか作らないと……)

 

 この三年間、少年が放浪の生活を続けていたのには大きく二つの理由があった。

 一つは、たまに辿りつく人里は大抵が小さな寒村か、あるいは山賊のアジトだったりという事が多かったという事。

 そしてもう一つは――

 

(……ままならない夢だよな、ホント……)

 

 自分がこの夢の世界で放浪――それも姿を完全に隠しての旅をしている最大の理由を思いだし、なんとなく陰鬱な気分になってため息をつく。

 さすがに二年も経てばこの生活にも慣れてくるが、それでも納得のいかない事はある。

 まぁ、それはさておき――とりあえず歩きださなければ始まらない。

 腰に剣を差してからマントを羽織り、詰め直した荷物を背負う。そして橋の下から一歩踏み出そうと――

 

 

――カァァンッ!!!!!

 

 

「のぉぉぉぉうっ!!?」

 

 踏み出そうとした彼の目の前に、空から細長い何かが二本降ってきた。

 思わず後ろへと飛びのき、誰かの攻撃かとスリングに石をセットして構えるが、聞こえてくるのが近づいてくる音ではなく、誰かが走り去っていく足音だけだった。

 

「ちょ――くそっ! なんだってんだ!?」

 

 橋の下から身体を出して、上に誰がいるのか調べてみる。

 顔は見えず、背中しか分からなかったが、そこにいたのは一人の女だった。身長は自分と同じ160cm中頃くらいだろうか、肩の辺りで揃えられた銀髪が印象的な、小奇麗な女性だった。

 咄嗟に大声を出して呼び止めようかとの思ったのだが、少年が迷っている間にその女は近くに止めていた馬の背に飛び乗り、蹄の音だけを残してその場から去っていってしまった。

 

「なんだってんだ……」

 

 同じセリフを繰り返しながら、念のために辺りにまだ人がいないか注意してからゆっくりと、先ほど降ってきた細長い何かに手を伸ばす。

 砂利で覆われた目の前の地面に、その二本は真っ直ぐに突き立っていた。

 

「……日本刀?」

 

 少年の住んでいる国でかつて使われていた剣――刀にそれらは酷似していた。

 そっと手を伸ばし、その一本を抜いてみる。かなり手入れされているそれは、あまり刃物にこだわらない少年ですら取り込まれそうな妖しい輝きを放っていた。

 

「……あー、まぁ、なんだ」

 

 少年はそのいかにも高そうな――いや、おそらくかなりの値がつくのだろう刃を鞘の中へと戻し、片手で頭を掻き毟りながら女性の去っていった方向をボーっと眺める。

 

「とりあえずの行動方針、決定ってことで」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 西部と中部の境目となるその地域は、旅行を楽しむ貴族や貿易商を相手にするためのしっかりとした宿を持つ村が多く存在している。

 一人の女性が立ち寄った村もそんな村の一つだった。

 

「しかし貴族様も飲みますねぇ。もうそれで五杯目ですよ?」

「……飲まずにはいられないのでな」

 

 その宿の一階の酒場で、一人の女がカウンター席に腰をかけて一人麦酒を口にしていた。

 肩ほどで無造作に揃えられた美しい銀髪を持ったその女性は、仄かに赤くなった頬にグラスの露で濡れた手を当てて冷やしながらそう呟いた。

 

(母様はどうして……どうして私の仕官を許してくれないのだ……)

 

 なんとなく腰に手を回し、普段ならばそこにあるはずの相棒がもうない事を思い出して苦笑を浮かべ、またジョッキを煽った。

 昔、士官学校に入って最初の休暇の時に、骨とう品店で偶然見つけた逸品だった。

 剣身は薄汚れており、鞘はボロボロだったが、妙にその鈍い輝きに惹かれて購入したその二振りの剣は、それから長い時を共にした相棒といっていい業物だ。

 いつか自分が学校を卒業し、帝国のいずれかの軍へと士官し、いずれは帝国が誇りとするような騎士へと駆け上がる。そしてその時、自分はこの剣を腰に差しているのだろう。

 そう考えていた。

 そう信じていたのだ。

 

「ちょうど夢をあきらめた所なんだ……。過去を振り返ってゆっくりと飲んでいたい気分でな」

 

 そう言って五杯目のジョッキを空にした女性は、少しふくよかな女将に黙ってそれを差し出す。要するにお代わりだ。

 

「はいはい、少々お待ち下さいませ。しかし、多いですねぇ」

「多い?」

 

 女将の言葉が気になってそう尋ねると、女将はジョッキを麦酒で満たしてそれを差し出しながら、

 

「最近、西部に向かう人達が多いんですよ。なんでも特大の儲け話――話というか噂なんですけどね。そういった噂がいくつかあるから、一攫千金を夢見て西部へと向かう人が多いんですよ。貴族様もそういった口で?」

「いや、私は……」

 

 何も彼女は金が欲しかったわけではない。ただ、母を――そして騎士への階段を昇りはじめた優秀な妹を見返したくて、手柄になるような話を探して放浪の旅を続けていただけだったのだ。

 とはいえ、他のものと同じように金を稼ぎながら放浪しているという点では何も変わりはない。

 

「……そうだな、私も似たような口か。ただ、西部の話は聞いたことなかったな。是非教えてくれないか?」

 

 加えて、結局叶わない夢を追いかけようとしているという点もきっと同じなのだろう。

 そう考えた女は、とりあえず話を聞くことにした。

 

「といっても、よくある与太話ですよ? どこそこの洞窟に龍が出ただの、まだ探索の手が入っていない遺跡があっただの。まぁ、一番ありそうなのは西部が最近穏やかじゃなくなってきたって噂かしらねぇ。実際、この街にも傭兵さんがたくさん来ているし……西部中央の街なんて、もうかなりの傭兵が行ってるんじゃないかしら?」

「それはまた……まずいだろう」

 

 傭兵が集まるというのはそれだけで治安が悪くなる。

 ただでさえ傭兵という者は半ばゴロツキのような者が多い。さらに傭兵という職業上、それが集まる場所は戦場になる可能性が高い……という印象は根づいてしまう。たとえガセネタで集まったとしても、それが火種になるという事もあるのだ。

 

(そのような状況になっているのなら……ひょっとして……)

 

 本当にくすぶっていた火種に火がつく可能性があるのではないか。

 西部という場所は、かつての帝国統一戦争で多くの原住民や半ば奴隷として使われた旧開拓民達と幾度もの衝突を繰り返している場所だ。その可能性は十分にある。

 

(……行く価値はあるか?)

 

 夢をあきらめ、違う道を模索するために彼女は長年愛用していた剣を捨てた。

 だが、まだ自分の中にくすぶっている物が残っている事にも気がついていた。

 気がつけば、手持ちの金で来る途中にチラッと見えた武具店でどのような剣を買おうか考えている自分がいる。

 もし、本当に西部で何かが起こるのならば――

 

「一番新しい噂ではどのような話があるんだ? やはり与太話に近いものか?」

 

 これが多分、自分にとっての最後のチャンスだろう。

 そして行くと決めた以上、少しでも情報が欲しい。

 彼女の質問に女将は少し眉をひそめて、

 

「そうですねぇ、新しい話だと……。確かに与太話なんですけど……」

「? どうした、歯切れが悪いじゃないか」

 

 女将は困った様に耳の裏を指で軽く掻きながら、苦笑を浮かべ、

 

「いえ、噂の元になったのが私の知り合いの子でして……」

「ほう……。あぁ、続けてくれ」

 

 女将に続きを促すと、彼女は苦笑をより強くして、言いにくそうに口を開いた。

 

「半年ほど前ですかねぇ……。猟に出かけていたその子が血相を変えて村に戻ってきまして、大きな声で叫んでいたんですよ。その――」

 

 ひょっとしたらその知り合いの子というのと思った以上に付き合いがあり、信じてあげたいのかもしれない。

 女将は、キョロキョロと女以外誰もいない事を確認すると、そっと顔を近づけて声を潜めた。

 

「――『男だ! 男が森にいた!!』って……」

 

 その言葉を聞いて、ポテトのフライを摘もうとしていた手を思わずピタッと止めてしまった。

 

「……男?」

「ええ、男らしいです」

「……なんだそれは……?」

 

 確かに、先ほど聞いた与太話に匹敵する話だ。

 なぜなら――

 

「男など、遠い昔に滅んだ種族じゃないか」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 とりあえずの行動目標として、刀を落としたと思われるあの女性の後を追うことに決めた。

 抜いただけでも分かるほどかなり念入りに手入れされているし、刀はもちろんこの鞘も高そうだ。

 このままどこかに持っていって一本売り払って金にするという手段も考えたのだが、元々の真面目な性格も手伝い、一応返す努力をしようという考えに至ったのだ。

 

――ただ単に黒い衣を頭から被っている怪しい人物に買い取りを行ってくれる店があるのかどうか不安になっただけというのもあったが……。

 

 とにかく、少年が少女の後を追い始めてから一日――少年の感覚では二日が経過していた。

 さすがにもう蹄の跡は残っていなかったが、今の所まだ街道は一本道だ。

 少なくとも森と違って迷う危険性はないと、気楽に歩いていた少年だったが――

 

「なんだこいつ、奇妙な格好しやがって……金目になりそうなものは剣しかねーじゃねーか」

「見せられねェ顔か? くそ、娼館に売れねーじゃねーか! 見世物小屋にでも売り飛ばすか?」

「あぁ? 見世物小屋に人なんざ売れるか。奴隷市の方がまだいいぜ」

 

(気楽に考えすぎてたよ、クソッタレ……!)

 

 ガラの悪いチンピラの様な連中に囲まれて、余りに気楽過ぎたかと後悔していた。

 

(久々に森とか山の中じゃないしっかりした所を歩いていたから完全に安心しきってた。どこだろうと俺にとっての安全地帯なんてありゃしないのに……。それにしても――)

 

 改めて自分を取り囲んでいる盗賊崩れを観察する。人数は6人。それぞれがあまり手入れされていない剣やら槍を手にこちらを取り囲んでいる。そしてその全員が――

 

(女、女、女、女、女……そしてやっぱり女。ちくしょう、こういう時は無精ひげ生やしたガラの悪い男っていうのが相場だろうが……!)

 

 その全員が女だった。金髪や薄い茶髪。白人系の顔立ちの女6人が、たった一人の男を取り囲んでいる構図だ。――この世界で、恐らくはたった一人の男を。

 

「おい、そこの! 大人しくその剣だけ投げてよこしな! そうすりゃ命と身体は助けてやってもいいぞ。どうせ売りモンになりそうな身体じゃねぇんだろ? 見逃してやるからさっさと――」

 

 頭領らしい剣を持った女が何か言ってくるが聞く価値はない。

 黒い衣の下で、外から見えないように用意していたスリングを素早く取り出し、拳よりも少しばかり小さな石を投擲した。

 数回回転させたスリングによって加速した石は、違うことなく綺麗に女の額へと命中する。

 結果――女は言葉を発する暇もなく、どうっ! と後ろへと倒れ込んだ。

 

「な……え……?」

「か、頭……?」

 

 恐らく、何が起こったのか分かっていないのだろう。

 ただざわめくだけの女達を尻目に、少年は二本の刀を荷物と一緒にその場に捨てるように置き、今まで使ってきたボロ剣を鞘ごと腰から引き抜いた。

 

「ハーレム願望なんて俺にはねーってのに……」

 

 さすがにこちらが剣を手にしたので、向こうも戦闘態勢に入る。とはいえ、少年の眼から見てそれはまばらで粗雑で――ようするに戦闘に慣れている様には見えなかった。

 

「なんて夢みてんだよ、俺はっ……!」

 

 思わず漏れた少年の呟き。向こうに聞こえた訳ではないだろうが、まるでそれを合図にしたように女達がそれぞれの得物を構え、雄たけびを上げながら少年に向かって駆けだしてくる。

 そして、この世界唯一の男は今度こそ鞘から剣を抜き放つ。

 丈夫な乾木から作られた鞘の中を滑り、外気へと触れた古い剣の刃。

 磨き上げられたその刃は鏡のように、黒いフードに隠された少年――シノブの不機嫌そうな口元を薄らと映し出していた。

 

 

 

 

 




息抜きがてらに、昔書いてたオリジナルを見直しながらこちらで投稿。
メインは『平成のワトソン~』なので超不定期になると思います


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