先に言っておこう。
私、小鍛冶健夜は人生において一番の危機に立たされている。
今まで私はプロ雀士でもあり、いわゆる芸能活動もフリーで行ってきた。自分のスケジュールでゆっくりと自由気ままに。
しかし、数年前の全国大会をきっかけに知り合ったアナウンサーの恒子ちゃんにおすすめされて今年からマネージャーを雇うことにした。
『すこやんは近づきにくいオーラがあるからもっと人と接する機会を作らないとね』
『えー、でも、なんだかなぁ……』
『おばさんにも言われたんでしょう? 結婚について』
『うっ……いや、私にも願望がないわけじゃないけど……』
『とりあえず、すこやんは自分を律するために予定を組み立てることから始めよーよ。マネージャーさんでも雇ったら? 私もそろそろフリー考えてるんだよね。今度、一緒に契約しに行こう?』
『うーん……そこまで言うならやってみようかな』
『よっしゃ! おっちゃん! こっちに一杯持ってきてー!』
この時、簡単に承諾した自分を今では殴ってやりたい。あ、やっぱりそれは痛いので頬をつねってやりたい。
酔った勢いで恒子ちゃんに条件を伝えて後は任せた。
自分でも言うのはおかしいが、かなり変な条件を付けていたので受けてくれる人はいないだろうと踏んでいたのに……。
まさか現れてしまうとは……。
「初めまして。本日から小鍛冶健夜さんのマネージャーとして働かせていただきます、須賀京太郎です。よろしくお願いします」
「は、はひっ。……こちらこそよろしくお願いします……」
金髪。長身。イケメン。
対して私。ボサボサ髪。ジャージ。アラサー。
……あれれ? やばい。すごく帰りたい。
あっ、ここ私の家だった。
「いや、小鍛冶さんとお仕事ができるなんて思ってもいませんでした。なにせ有名な方ですから」
「い、いえ、そんな……」
「精一杯頑張ります! まだまだ新人ですがよろしくお願いします!」
「こ、こちらこそよろしくお願いします……」
彼が言うことに言葉を返すことしか出来ない。
これが私と彼の出会いだった。
思い返せば、ひどい。
……ちょっと落ち着いたかな。
そう、私は現実逃避をしていただけ。
落ち着いたところで、閉じていた瞼を開ける。
目の前には、マネージャーの京太郎君が眠っていた。
「やっぱり夢じゃなかった……」
やばいやばいやばいやばい!
なんで!?
京太郎君と一緒に寝ているんだ!?
ついに!? ついに一線を越えてしまったの!?
鼓動が加速する。
もう歳なのに、急にこんなドキドキを与えられたら死んでしまう。
というか、今気づいたけど、腕枕もされている。
感じる男らしさ。
間近にある久しぶりの男の匂いに頭がくらくらとした。
「……ちょっとだけ」
スンスン。スンスン。
「…………はぁ~」
いい匂い……。
「――って、いけないいけない! 何してるの、私!」
危うくトリップしそうになった意識を、ブンブンと頭を振って、引き戻す。
「そ、そうだ! 服は!?」
混乱して、忘れていた。
これさえ確認できれば、昨晩がどんな夜だったか、わ……かる……。
「……そっかぁ」
京太郎君はシロかぁ……。
……べ、別に期待していたわけじゃないんだよ?
ほ、本当だから。
私だっていい年齢の大人なんだし、ちゃんとそういったことは区別をつけてですね……だから、京太郎君とそういう関係になっていなかったことを残念がっているわけじゃない。
「……はぁ」
「なに、ため息ついているんですか、健夜さん」
「ちょっと現実の厳しさを感じていたんだよ……ん?」
「俺の顔に何かついてますか? そんな変な顔して」
「きょ、京太郎君? 起きてたの?」
「そりゃあ耳元であれだけ騒がれたら、誰だって起きますよ」
言われてみれば、確かに。
……あれ? ということは、匂いを嗅いだのとかもバレてる?
い、いや、まさか、そんなの見たら止めるよね、うんうん、きっとそうだよ。
「それにしても健夜さんって匂いフェチだったんですね」
「今すぐ私を殺して。早く!」
は、恥ずかしすぎる!
三十路を超えて、まだ二十代の男の子の体臭を楽しんでいたとか、変態度が高すぎるでしょ!!
やばい奴だよ!
文面にしたら、想像以上にやばい奴だよ、私!
「ぁぁあああ……」
「俺なら気にしてませんから大丈夫ですよ」
「ほ、本当に?」
「もちろんです」
「……なら、よし」
私は正座して姿勢を正すと、京太郎君もならって向かい合う。
寝起きでも、彼の目は冴えているようでだらしなさはどこにもない。
対して、私は髪がボサボサになっているし、肌荒れもひどい。
こ、これが若さ……。
とはいえ、そんなことに絶望している場合ではなく、私は本題を切り出す。
「こほん。須賀マネージャー」
「なんでしょうか、小鍛冶プロ」
「昨晩に何があったのか、教えてください」
「はい。それでは簡潔に説明いたします」
京太郎君はわかりやすいように、ひとつずつ噛み砕いて話してくれる。
そして、話が進むにつれて、私の顔色は青くなっていった。
「……つまり、こういうことだね?」
私はピンとひとさし指を立てる。
「こーこちゃんと三人で打ち上げをした後、私とマネージャーで二次会へ」
「はい」
「アラフォーネタに悲しくなった私はやけ酒をして、ベロンベロンに酔った。そこでマネージャーが、ホテルまで連れてきてくれた」
「小鍛冶プロは軽かったので問題はありませんでしたよ」
「……悪酔いした私がマネージャーをベッドに誘い、一緒に寝るように迫った、と」
「安心してください。そういった行為はなかったですから」
「そっか、そっか。なるほど、なるほど」
「…………」
「お金は払いますので、告訴だけは勘弁してください!」
「健夜さん!?」
あまりの申し訳なさに深々と頭を下げた私の肩をガクガクと京太郎君は揺さぶる。
あっ、止めて。
それ以上されると、ダメ……気持ち悪くなるから……。
「……うぷっ」
「あっ、ごめんなさい! 水持ってきます!」
「あ、ありがとう……」
渡された水を飲み干して、ひんやりとした冷たさで、喉も頭も冷やすと、私は大きく嘆息した。
「……ダメ人間だね、私」
「そんな落ち込むこともありませんよ」
「落ち込むよぉ。あまりにもひどい過程に流石に嫌気がさしちゃった」
私がここまで売れ残っている理由がわかった気がする。
いや、実際には前から判明していたんだろうけど。
私は目をそらしていた。
忙しさを言い訳にして、ずっと逃げてきたツケがこうやって回ってきたのだ。
「ごめんね、京太郎君。こんな私が雇い主で」
「……どうして、そんなこと言うんですか?」
「だって、こんなダメ人間……京太郎君だって失望したでしょ?」
「いえ、俺はそんなことを思ったりしません」
「……本当に?」
「はい。確かに初めて健夜さんのだらけた姿を見た時は驚きましたけど、失望ってよりは安心って言いますか。あんなに麻雀が強いのに、私生活はダメダメって……なんだか可愛くて、放っておけなくて」
「か、可愛いって……もう30超えるおばさんだよ? 世間で言ったら、もう売れ残りで……」
「俺はそんな風に思いませんけど」
「う、嘘だぁ。もう元気づけてくれるのは嬉しいけど、大人をからかっちゃだめだよ、京太郎君」
「嘘じゃないですよ」
私はされるがままに、ベッドの上に倒される。
そのまま手をついて私を逃がさないようにされると、彼と自然と視線が重なった。
その瞳に嘘の色はなく、どこまでも澄んでいて私だけを見つめている。
だからだろうか。
彼の言葉はつっかえることなく、胸にしみこんでいく。
「健夜さんの一生懸命なところが好きです。格好つけようとして、すぐにボロを出しちゃうところとか。チームのために練習に遅くまで付き合ってあげる優しさとか。そばに見てきた俺は知っています」
これはきっと告白だ。
生まれてこの方、されたことはないから自信はないけれど。
それでも、はっきりと私は愛を告げられているのだとわかる。
「……嫌だったら、押しのけてください」
彼は端正な顔を近づけると、耳元でささやく。
対して、何もかも初めてだらけの私は瞼をぎゅっと閉じて、彼に抱き着くことしかできなかった。
その瞬間、彼が思わず漏らした笑い声が聞こえて――
「幸せにします、健夜さん」
――私たちの唇が重なった。
ちなみに、プロ雀士界には衝撃が走り、魔王がタイトルをすべて奪取したり、牌のお姉さんがショックのあまりに引退したり、どこかのレジェンドが婚活パーティーに力を入れるようになったらしい。