和国大戦記-偉大なるアジアの戦国物語   作:ジェロニモ.

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第一話 新羅 対 那珂大兄皇子
第二話 前哨戦の意義
第三話 別れ
第四話 三分の計




第25章 唐 対 高句麗【最終決戦前夜】

【新羅 対 那珂大兄皇子】

那珂大兄皇子は、唯一の政敵であった妹が除かれたことで、

 

「是で、吾の即位はもう阻むことはできぬわ」

と、胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

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ところが、

 

翌月、3月になり新羅から27000人の兵が突如として侵攻してきて和国は騒然となった。

 

表向きは「新羅文武王より遣わされた那珂津女王の弔問の使いである」と言い軍事行動ではないとしていたが、

 

前代未聞の27000人の弔問使であり、那珂大兄皇子が那珂津女王を害し、

和国の王となった事への逆襲である事に間違いはない。

 

折しも西高東低の強風の中、新羅の弔問船団は一気に和国へと向かってきた為、

 

立ち向かう防衛拠点の和国船は向かい風を受け矢も放てず、

 

風に翻弄されてしまい新羅船団に対して接舷することもできなかった。

 

 

 

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唐新羅連合の軍監も知らなかった急転直下の出来事であり、

当の和国の那珂大兄皇子よりも、

和国王の承認に動こうとしていた唐の劉仁軌将軍の方が、この新羅勢の侵攻に驚いた。

 

 

 

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(今、那珂大兄皇子の和王即位を承認すれば、唐新羅連合は崩れやしまいか…)

 

劉仁軌将軍は考えこむ…。 

 

高句麗との決戦に備えている今は、海の向こうの和国になど構っている余裕はない。

 

百済を支配している唐軍は、全て高句麗に刃を向ける為に駐屯しているのだ。

 

那珂大兄皇子が和王となれば唐側は承認することを以って、白村江の戦いの講和として、後顧の憂いを除き、開戦へ向かうつもりでいたので、

この新羅軍の派兵は、

那珂大兄王子を攻めるだけでなく、唐軍の動きを一時止める事にもなった。

 

 

あくまでも弔問使との姿勢は崩さず、軍事行動は起こさなかったが進軍は早く、明らかに正式な弔問ではない。

 

例え軍事行動に出たとしても、新羅には

唐新羅連合がある以上、那珂大兄王子に対して

 

「白村江の戦いに和軍を派兵し、吾らに刃を向けた報復をする」

 

という大義名分がある。

 

二万七千人の弔問使が軍事行動にでるのは、時間の問題と思われた。

 

 

 

 

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那珂大兄皇子側は、この巨大な弔問団を食い止めなければならない。

 

「吾ら新羅王の弔問の勅命を奉じ和国の英邁なる那珂津女王の哀悼にまかりこした!早々に都へ案内されたし!」

 

「都への立入りはなりませぬ!お帰り下さい!」

 

和国の者が叫ぶと、新羅兵らは一斉にざんっと足を踏み鳴らし、

 

剣を高々と抜き上げて

 

「弔問を受けられよ!!」

 

と、全員が大声で叫んだ。

 

 

和国の者は驚愕する。

 

一糸乱れぬ恫喝に、和国兵とは違い相当訓練を重ねた精兵であることが伝わる。弔問客でないことは明らかである。

 

「弔問の使いであるならば、剣を納め正式な手続きを待たれよ!」

 

新羅勢は耳を貸さず剣も納めぬまま、一方的に弔問であることを主張し続けた。

 

 

 

「吾らに剣を取らせよ!」と、

 

和国にいた亡命百済人や百済兵らは、百済を滅亡に導いた新羅人を眼前にして熱り立つ。

 

和国勢は、百済人の勇み足を抑えつつ布陣を整え、

新羅勢は、一気に飛鳥まで抜き

那珂大兄皇子を討つ為、楔陣形を組んだ。

 

 

キュルルルルル

 

と、かん高い鏑矢の音を合図に、火蓋は切られた。

 

 

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剣戟の音が響き渡り、亡命百済人達は亡国の怨みをはらさんと皆、鬼神の如く襲い掛かったが、和国兵は武術を知らぬものが多く戦意が無かった為、崩れる様に退散した。

 

那珂大兄皇子勢は押されてしまい後退しながらも、なんとか是を和泉で食い止めた。

 

難波からは百済から亡命してきた鬼室集斯将軍らが兵を率いてき駆けつけたため、時が経つ毎に、海を背にして戦う新羅軍は不利な状況となっていき、新羅軍は撤退した。

 

新羅に引き上げるにも風がおさまる夜まで船上で待ち、

 

停泊を繰り返しながら戦うため、新羅側は大打撃を受けた。

 

救いであったのは、白村江の戦いの後の和国軍は無力化していて、新羅を目の敵にしている亡命百済兵だけが追撃してきた事である。

 

 

イリは高句麗から兵力を回すことは出来ず、この新羅側の敗戦により事実上、那珂大兄皇子は『天智天皇』として即位した結果になった。

 

イリは、何度も拳を振り回し歯軋りをして悔しがったが、高句麗での課題が山積し、和国のことはこれで一先ず置いて置かなければならなかった。

 

 

 

【前哨戦の意義】

 

新たな和国王『天智天皇』は、

 

「大化の改新」や「甲子の宣」などの国造りの為の宣撫は行わず、

 

専ら自分の勢力づくりの為の政策と防衛策に専念していた。

 

百済から亡命してきた鬼室集斯に、百済の官位を勘案し、また鬼室福信の功績を賞して小錦下の位を授け、また百済人男女400余人を近江国神前郡に居住させる等、亡命百済人の為の施策を行った。

 

 

『もう吾の即位を阻める者などいない』と、

 

思った矢先に、新羅が侵攻してきたことは驚かされたが、

 

唐軍が百済に駐留しまもなく唐高句麗戦が開戦されるだろうという時期に、これだけの大軍を和国におくりだすのは新羅にとっては危険の高い事だった。

 

高句麗と共闘して反唐の旗を揚げよう企んでいる新羅としては、後顧の憂いを除くため、

親唐の那珂大兄王子の和国王即位は止めるしかなかった。

 

新羅軍が那珂大兄王子を倒せば、イリは娶っていた那珂大兄王子の姫を「和国女王」に擁立し、夫のイリが和国王となり反唐の兵を共に揚げるという計略で、朝鮮半島の唐賊を駆逐する最終決戦へと望む構えだった。

 

一触即発の状態になり、百済の劉仁軌も、駐留している唐軍を動かし、事あらば渡海すると見せかけ、和国に駐留する新羅軍を牽制したが、劉仁軌の目的は、和国攻めなどではなく高句麗滅亡の一点に絞られている。

 

高句麗戦を目の前にして、和国になど出兵している場合ではない。

 

もしも、ここで旧百済領に駐屯する唐軍を和国へ向けでもすれば新羅は唐新羅連合を破棄し、挟撃してくる可能性もある。

 

そうなれば、百済を抑えたばかりの唐軍などひとたまりもなく高句麗攻めどころではない。

 

高句麗戦の前に、和国などの局地戦で兵力を損なうなど許される状況ではなかった。

 

和国への渡海は、高句麗戦を控える唐軍にとって不利な事しかなく、

 

劉仁軌は、和国対新羅の戦闘の拡大を抑えるために苦慮していたので、

 

この前哨戦で和国が勝利した事に、まずは胸を撫でおろした。

 

 

 

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【別れ】

 

「最後まで守ってやれずにすまぬ、」

 

イリは皆を見渡し、

 

頭を下げてつぶやいた。

 

 

 

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高句麗に戻ったイリは、王都平壌の自宅で身内だけを集め、「病気」と称して引き篭もったまま密議をしていた。

極秘でやってきた宝蔵王と、

 

遼東からは楊万春、テ・ジュンサン将軍と隠し子の『テ・ジョヨン』、

 

そして長子「ヨン・ナムセン」、

 

病を見舞うのは周囲からはよほどの重体なのではとみられ、ざわついていた。高句麗の五大部族らは、いよいよイリが宰相の地位を息子に継がせるものとみて固唾を飲んでいる。

 

「任武王子よ…」(任武=イリ)

 

 宝蔵王は養子であるイリに語り始める

 

「朕は、最後まで高句麗に残り反唐の壮士達の味方をしよう。王である以上、逃げも隠れもできぬ。王子は和国へ行き唐賊の及ばぬ強国を立てられよ…、共に行き力になってやれず残念だ。」

 

宝蔵王はイリに近づき手を取って、頭を下げた、、

 

「反唐派の栄陽王の王子だった朕を擁立し、高句麗王にしてくれたのは任武王子よ、そなただ。そなたの事は決して忘れぬ。」

 

宝蔵王はイリの手を握ったまま続ける。

 

「王子がいなければ、朕は親唐派の王の下でいつ害されるかと怯えて生きながらえるしかない立場だった。

 

反唐派の父・ウィジャ王は朕を見捨てて和国へ逃げたのだ。

 

しかし、任武王子は違う、、こうして玉座に朕を座らせ王にしてくれ、この乱世にこれ程まで生きながらえる事が出来たのだ。」

 

 

宝蔵王は、高句麗で孤独に怯えていた頃を思い起こし涙を浮かべた。

 

「朕は、王としてこのまま高句麗と運命を共にする。任武、そなたは和地へ行き唐賊を攘夷する強き国の王となれ」

 

 

「義父上、、、」

 

イリは、言葉を詰まらせる。

 

イリと宝蔵王は義理の親子の契りをかわしていて、王の養女を娶り任武王子と呼ばれていた。たが、東奔西走するイリは滅多に長く王の近くにいた事がない。

 

これが最後と思えば、(言葉が出ぬものなのか)と…イリ自身驚いていた。

 

 

イリは身内らを集め、高句麗から和国へ拠点を移す提言をしていた。

 

高句麗の部族長らがいつ親唐に寝返るか分からぬ中、戦準備をしてる間に背後の和国までが親唐国になりつつある。いっそ高句麗から和国へ行き、親唐派を蹴散らして和地を拠点とするという考えだった。

 

だが、イリと違い高句麗から和国へ行来したものはなく、誰もが難色を示した。

 

 

楊万春とテ・ジュンサン将軍らは遼東方面の安市城を守り抜いてきた入りの両翼だ。

今回、イリとの会合の為、平壌まで来るのに兵二千五百を率いてやってきていた。

 

 

この来訪に平壌の都は騒然となり、

 

「戦さぞ」と 

 

中央と遼東の対立に火がつくものと思われていた。

 

しかしこれは、イリからの「兵を率いて参れ」との指示もあり、中央で盤踞する五大部族に対する威嚇の為で全く戦うつもりはない。

 

唐軍は難攻不落の安市城を落とすことが出来ない為、間諜を送り込み保身の為に唐側になびこうとする五大部族らを使って、中央の平壌と遼東を守る将軍らを離間させる細作を続けてきた。

中央の部族長らは見事に躍らされ、遼東を見下す様になってきたので、遼東の楊万春将軍らは唐の離間策どおりに敢えてこれに乗って、平壌に対する警戒で兵力を率いてきたのだ。

 

殺気を放ち、都入りしてきた楊万春将軍の怒気に触れ、平壌の部族長達は

 

(楊万春を本気で怒らすと、無事では済まぬ)…

 

と恐れ慄き、遼東に対する誹謗中傷は暫く沈黙した。

 

 

 

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楊万春将軍

 

 

 

楊万春ら遼東の守将らは、戦意を高らかに唐賊に一歩も引かぬ覚悟を表明した。

 

「イリ閣下!吾らも安市城からは動かぬつもり。唐軍と唐になびく中央の部族長どもの心胆を寒からしめ、隋軍100万を跳ね除けた吾らの志魂を刻んでやろうぞ。」

 

イリはオウ!と頷く

 

「頼むぞ。吾は和国へ渡り天智(那珂大兄皇子)を阻止せねばならぬ。吾らと気脈を通じる劉仁願が唐皇帝の勅命で百済の都督に来たものの、先年、百済熊津に駐屯する劉仁軌に追い返された。

 

そして先月、唐からは唐側へ亡命していた元百済王子・隆が代わりにやってきたが、あろうことか劉仁軌は、この隆王子と那珂大兄皇子と吾が息子の新羅文武王を集め、無理やり和睦させたのだ。そして。今まで延期していた『封禅の儀』に参加させる為、百済と新羅と和国の使者を唐に向かわせたのだ。」 

 

イリは、語りはじめた。

 

「息子の文武王は唐新羅連合の手前、賛じたが、この和睦調停によって唐は遂に決戦に出ることを決めた。

 

戦は近い。和国へ新羅兵二万七千を派兵した時の様に、また兵を出すことが容易に出来なくなったのだ。

 

唐の高宗皇帝は、極東アジアでの今回の騒乱があった為に『封禅の儀』を延期していた程で、新羅と和国には神経を尖らせている。これが無事に終われば決戦に出る気だろう。

(=天下泰平を天に捧げる儀式)

 

逆に言えば、吾らにとっては起死回生の反撃の機会は今しかないのだ。」

 

 イリは続ける。

「百済熊津の鎮将・劉仁軌は、那珂大兄皇子の天智王即位を認めて、唐と和国との講和にしたつもりだろう…

これによって白村江の戦い後の極東アジア泰平を了として、封禅の儀に臨むつもりなのだ。今や唐国の天下布武の最後の仕置きは、アジア天下の果て和国にかかってきている。

 

天下の果てまで唐の威光が届かなければ『封禅』とはいかぬが、吾らが高句麗を飛ばしてでも、和国を親唐国にして於けば唐の威光は天下の果てにまで及んだ事になる。

 

吾は、和国へ渡り那珂大兄皇子を阻んでくる。」

 

 

 

 

【三分の計】

 

「もしもの時は、新羅文武王の助けを借りソル・イングイか蘇定方を頼れ!

 

諸葛孔明の天下三分の計は分かるな。」

 

イリは居並ぶ息子たちに問う。

 

イエ!!

 

と、息子のテ・ジョヨン、ヨン・ナムセンは同時に声を上げてイリの目を見て答えた。

 

その昔、漢末の時代、曹操が力を伸ばしてきた時に、諸葛孔明は主君の劉備玄徳に対し、

 

「もはや王を囲い込み王命を思いのままに発している曹操を倒して漢王朝を再興するのは無理なので、まず呉の孫権と天下を三つに分けて国と成しそれから再興するべき。」

と言う天下三分の計を上奏した。

 

高句麗では首都平壌の中央部族らが親唐に傾き、遼東と対立はどうにもし難い状態になってきてるので、いっその事、扶余方面の国内城とでそれぞれ権勢を三分割して

 

『扶余』対『平壌』対『遼東』で、三分の計を図れという事がイリの戦略だった。

 

 

「部族側にも吾らと気脈を通じる者がいる。まだ若いが若光という者だ。王都の警護をしているが、若光は一度和国へ行かせるので、テ・ジョヨン!その間お前は中央に留まりり陛下のお守りをせよ。

 

ヤンマンチュン将軍とテ・ジュンサン将軍は今までどおり遼東を守り抜いてくれ

 

そしてヨン・ナムセン!お前は視察と称して高句麗の北西にある『国内城』に行ってそこを死守しろ!

 

これをもって高句麗の三分の計となす。

 

今の高句麗は、唐の細作と五代部族らの暗躍によってほころび崩れかけている。

 

もはや、もうどうにも立て直しが効かないくらいまで来ているのだ、、吾がここに止まり部族たちを制圧し続ければ他の事が立ち行かね。かくなる上は吾は和国に行って態勢を立て直す。」

 

 

イリは眼に力を込めヨン・ナムセンとテ・ジョヨンに号令する。

 

「吾が間諜によれば、 まもなく部族どもはヨン・ナムゴンを立てて反乱を起こすつもりでいる

 

テジョヨン!

 

お前は中央にあってこの動きを逐一見張り、そして何があっても陛下をお守りするのが努めだ。

 

そしてヨン・ナムセン!

 

お前は唐軍の進撃に備えて『訓練場を視察しに行く』といえば高句麗の北西からも唐は進行してくるであろう、、

 

しかし、平壌城にいたとしても無事では済みまい

 

いまや唐軍は船で直接平壌にも攻撃を仕掛けてくる。

 

むしろ国内城や遼東で籠城していた方が生き残れるかもしれない。

 

決して命を粗末にするな、、

 

平壌にいれば犬死にさせられるか、

策を巡らす部族長らによって命は危ういものとなる。遼西に入ってでも必ず生き延びろ!

 

困ったことがあればお前の兄である新羅の文武王に相談するが良い。」

 

 

しかしイリがいなくなった途端、平壌の中央部族らは圧勢を強めてきた。ヨン・ナムセンは彼らの陰謀に踊らされ、契丹族を率いる唐軍のソル・イングイと結んでしまった。

 

これにより平壌を抑えている弟ヨン・ナムゴンや部族長たちと戦うつもりでいる。

 

イリに後を託された者たちは、この短慮を抑えるためにすぐに動いた。

 

 

 




久しぶりの投稿です。

一部、前章からの分筆と改編をしています。

ブログの方の「聖なる国 日本」を書籍化することになり、暫く執筆していた為、
本小説から遠ざかってしまっていましたが、ようやく入稿が終わり、

これから少しづつ進めていきます。

翌666年、次章からは遂に唐と高句麗の最終決戦へ突入します。

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