和国大戦記-偉大なるアジアの戦国物語   作:ジェロニモ.

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第1話 那珂津女王の悲劇
第2話 額田文姫 離縁の後
第3話 王女の生き様
第4話 額田文姫の素顔


665年2月、
和国の那珂津女王が毒殺により在位わずか1年で薨去する。那珂大兄皇子はイリ(大海人皇子)が高句麗にいる間に、殯の期間をとらぬまま早々に和国王に即位し宴を開こうとしていた。是に怒るイリと、共闘する新羅の文武王は和国へ約3万を派兵した。


第24章 和国【那珂津女王】の死

【那珂津女王の悲劇】

 

665年2月 和国

 

那珂津女王が暗殺された。

 

 

イリが擁立し一年たらずしか経っていない。和国史上、最も在位の短い王となった。

 

 

 

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そして、那珂大兄皇子が和国王に即位しようとている事を知ったイリは急遽、高句麗から早船を出し和国へ向かっていた、、

 

イリは、毒殺に対する守りだけでなく、那珂津女王の体調や食材にも気を使い、賄い方に食材や調理まで細かい指示を出していた程である。しかし、結果的に毒殺から守ることが出来なかった。

 

その自分への怒りもあり、和国に向かう船では空を見上げ、何度も言葉にならない叫び声を上げていた。

 

和国へは近江から上陸し、港は大海人皇子の尋常ならぬ怒気に騒然となる。

 

イリは急ぎ大和へと馬を馳せたが、

 

「大海人皇子来る」の急報はいち早く那珂大兄皇の元へ向かっていた。

 

が、早馬よりイリの方が早かった。

 

那珂大兄皇子のもとへ走る途中、先をいく急使を何人か斬り捨てて駆ける。

 

最初の急使だけは生きて朝廷に到着した。

那珂大兄皇子は、既に即位の儀式を終え宴の準備中であったが、大急ぎで元百済遺臣らの豪腕の者達を集め、自分を幾重にも囲ませ中央に身を固めた。

 

イリは、宮門をくぐると脇で阻もうとした門番らを跳ね飛ばし、狂った様に叫びながら宮廷へ乗り込んだ。

 

槍を大きく振り、那珂大兄皇子に向ける。

 

正面にいた数人の衛士らが止めに入るが制止できず、何人かが瞬殺され、次の瞬間には人垣に切れ目ができて、その先の那珂大兄皇子に向けて槍は振りおろされた。

 

 

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刹那、那珂大兄王子はとっさのところで身をかわし、槍は床に刺さった。

 

一瞬、宮廷中が凍りついた。

 

腕に覚えのある者達が数人、那珂大兄皇子をまた囲んだが、イリから目を離さずに囲んでいるだけで汗が止まらず、気力を消耗している。

 

 

(今、イリ様お一人で戦うのは不利です、、どうかおとどまりを!)

 

中臣鎌足らイリ側の者達は正面から両手を広げ必死に制止した。

 

イリは、両手を数人の鎌足側の男らに押さえられ二戟を諦め、鎌足らを視界の隅に置き、那珂大兄王子への怒号を挙げた。

 

 

「吾は決してお前を許さぬぞ!」

 

「許さぬとはなんだ!和王に向かって無礼だぞ!」

と、返したが、

 

いつの間にか急を聞いて駆けつけた衛兵と百済人らが、更に数十人ほど那珂大兄王子の周りにひしめく様に集まってきて、人垣の奥に身を屈めたままの叫びであり、その姿は見えない。

 

「よもや実の妹まで毒殺するとは!そのつもりで吾との仲を認めると言ったか!」

その人垣に向かって、更にイリは叫ぶ。

 

「濡れぎぬでございます。女王様は病死です。」

居並ぶ郡臣らは口々に、那珂大兄王子をかばった。

 

「ならば何故、殯りをしないのだ!急死していくらも経たぬ間に、殯りもせず即位するなど、定法に外れた事をすれば、毒殺である事に疑いの余地はあるまい!」

 

 

イリの悔しさの叫びは念圧となり宮中の空気を圧し、誰も口を開くことができなかった。

 

イリの子供を宿したまま殺されたのかもしれない・・・

 

「妹が患っていて病で死んだのだ!そのために吾は病気平癒のための祈願まで行い、僧を出家させたのだ。虚空な言いがかりはやめろ!」

 

と、那珂大兄王子が沈黙を割り人垣の後ろから叫んだ。

 

 イリは声のする方を睨み、

 

「これで済まされると思うな!!」

 

と怒鳴り捨てて宮殿を去っていった。

 

 

殯りとは死後一定期間、亡骸を安置しておくことだが、死体を隠したり殯りを行なわないのは、亡骸の皮膚や骨に紫色の毒腫が浮いていて毒殺の証拠を隠蔽する為と云われていた。

 

しかし証拠はなく、中臣鎌足がイリの反撃を諌めたように宮中に殴りこみ槍を振るったものの、イリはその後の算段も何もない。

 

那珂大兄王子の和国専横を抑える為、イリはともかく高句麗を離れるしかなかったが、この時ほど高句麗と和国が海を隔てていることを 恨めしく思ったことはない。

 

 

(大業をなし得るまであと少しというところで、邪魔が入る、、)

 

 

 

【額田文姫 離縁の後】

イリは額田文姫を離縁し、晴れて那珂津女王の夫(=王)になるところで、全てを失った。

 

女王の夫どころか、今や皇弟でも皇太子弟でさえもない。皇室との繋がりは那珂大兄皇子の姫を娶っているだけだった。

 

悔しさに捉われていて、

イリにはまだ気づいてないことがあった。

 

『額田文姫』の存在である。

 

 

 

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額田文姫

 

 

中臣家に匿われているが、那珂大兄皇子と近しくなっているとの風聞があった。

 

那珂大兄皇子が唐の劉仁軌と繋がりを持ちはじめた時、

 

「唐の和王承認を望むのであれば、王室から大海人皇子を遠ざけるように」と指示され、

 

イリに対して

 

「吾が姫を娶らせる。妹・間人との関係も認めるが、額田だけは返して欲しい」と

 

イリに要求していた事があった。

 

 

この時、交換でイリに姫を差し出していたが、そこまでして、那珂大兄皇子は、義妹・額田文姫に特別な感情を持っていた訳ではない。

 

結果的には、皇太子イリの弟縁組の立場を変えた形になったが、王室との繋がりを変える為だけに、額田文姫を離したのだろうか?

 

 

額田文姫とイリが離縁した頃のこと、、

 

 

「大兄さま(=那珂大兄皇子)、、私をどうなさるおつもりでしょうか?

夫イリを説得し無理矢理に離したのは大兄さまでしょう。」

 

 

「イリとの離縁が悲しいか?だが、お前は間人に続く吾の妹だ。間人がイリに取られ那珂津女王となるなら、吾はお前をイリから取り返さなければならない。」

 

 

「夫イリの、力を奪う為に離縁させるのですか?大兄さま、、私はそれ程の者ではございません。何の力もなく、たしかに父は百済武王(和国名乗り=舒明天皇)ですが、大兄さまの様に上宮法王の血統でもありませぬ。

私を買いかぶりすぎなのでは?」

 

 

「いや、そうではない。お前にしか出来ない事もある。こちら側につけ。

お前にどうしても頼みたいことがあるのだ、、」

 

「そしてこれは、、、お前の為でもある。百済武王の姫であるが、お前の母は金氏の王族の鏡王だった。

 

今、お前は中臣鎌足のもとにいるが、

そこに居ては自由に動けぬためお前に頼めない。

 

吾が鎌足に圧力をかけるので、お前は中臣鎌足の屋敷から、中臣本家の大島のもとへと移させて貰え。そうでなければ、お前も娘の十市姫も政争に敗北すると思え。」

 

 

(いう事を聞かねば、毒殺するという事だろうか…)

 

額田文姫は押黙った。

 

 

那珂大兄皇子は、顔を曇らせたまま固まっている額田文姫を前に

 

 

(これで後は、唐の劉仁軌の後押しがあれば、、)

 

と、一人ほくそ笑んでいた。

 

 

 

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那珂大兄皇子はこの時既に自分が即位する為に、

 

妹・間人(那珂津女王)を害する事を決めていたのだろうか、、、。

 

 

 

【王女の生き様】

 

那珂津女王こと間人皇女は、兄・那珂大兄皇子と共に数奇な運命を生きてきたが、義妹の額田文姫もまた悲運の人生を生きてきた。

 

 

 

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金一族の姫であり、父は百済武王で、

 

和国名乗り・新羅名乗りでは額田王とも文姫とも云われ、イリの妻となり離縁された後、

 

やがては母の名乗りを継ぎ、鏡王、鏡姫など金一族の王族の継承者を名乗る様になっていく。

 

そしてイリ(天武天皇)の死後は代わって政務を執り、新羅王だったイリの実子・文武王を和国の文武天皇に即位させた。

 

天武天皇の皇統を持ち続ける為に、イリに代わり天皇の政務を執った事から、持統天皇とも呼ばれた。

金一族の王族の血統を絶やさぬ為でもあったが、ひいては、那珂大兄皇子こと天智天皇系の王族に玉座を明け渡すことなく最後まで、イリ・天武天皇系の王統を守った。

 

また、イリとの間で生んだ史は、後に「藤原不比等」と改名し貴族時代の祖となる。

 

イリの死後は、額田文姫が日本建国の大業を受け継ぎ、史上初めて『日本国』の国号を使って遣唐使を送り、日本国の名を公式に世界に知らしめた。

 

時の中国皇帝「武則天」に、

 

「皆の者!もう和国という国は無いのでその名で呼んではいけない。『日本国』と呼ぶ様に。」

 

と、言わしめた人である。

 

しかしながら、影の存在である額田文姫のそれらの偉業は、あまり知られてはない。

 

影というよりも、もっと知られざる深い闇が彼女にはあった。

 

 

 

【額田文姫の素顔】

 

もう一度、額田文姫という人物の過去について触れてみる。

 

父は百済武王(和国名は舒明天皇)、

母は和国金一族の里から嫁いだ鏡姫であり、

 

まだ10歳にもならない子供の頃、百済の武王が親唐派となり親唐国の新羅と国交を回復した時に、和平の証しとして百済から新羅の金春秋のもとへ嫁いだ。

 

 

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額田文姫

 

 

ここで、新羅の金ユシンのもとで修行をしていた少年時代のイリとも出会った。

 

 

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まだこの頃は、額田という和国名乗りはなくただ文姫と呼ばれていた。

 

百済と新羅、両国の和平の象徴の様な姫だったが、百済の政変でウィジャ王の手によって父・武王が除かれて反唐国になってしまうと、親唐国新羅の金春秋に離縁されてしまい、百済に戻ることができなかった為に、耽羅(済州島)へ島流しになっていた母・鏡姫や義兄の那珂大兄皇子ら武王の王族を頼っていった。

 

どこに行っても

 

「敵国の血が流れている姫」

 

と、言われ忌避されていた額田文姫も、耽羅ではその様な物言をされることはなかった。

 

 

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そして親唐派の蘇我氏が権力の座にいた和国へ、那珂大兄皇子や宝皇妃(斉明女王)らと共に亡命した。

 

ここで、母鏡姫とは死別してしまう。

 

 

孤独になった額田文姫を待っていたのは、反唐派のウィジャ王らによる大化の改新だった。和国でも、親唐派の蘇我氏が除かれてしまい反唐国となり、その恩賞として額田文姫はイリに嫁ぐことになった。

 

 

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そして、イリとの間に十市姫が生まれた。

 

額田文姫は東奔西走するイリとは離れ、和国の金一族を率いていた。

 

百済武王の姫ではあるが、斉明天皇(宝皇妃)や那珂大兄皇子らからは、母が新羅の金一族の鏡姫であるため『新羅の姫』と侮蔑され、同じ百済王室の者として扱われることはなかった。

 

生まれてきただけで、傷つくことが、多すぎた。

 

 

正妃の宝皇妃にとっては数々の政敵の一人だったが、那珂大兄皇子は執拗に目の敵にし

 

「お前は本来、ここに居るのは許されないはずだが情けで居させてやっている!」

 

「命があるだけ有り難いと思え!」

 

と、ことある事に抑えこみ、

 

蔑み、賤しき者とすりこみ続けてきた。

 

和国へ亡命したばかりの頃、那珂大兄皇子の息子が暗殺されてしまったが、、那珂大兄皇子はこれを和国の過激反唐派の仕業ではなく額田文姫の手引きに依るものと決めつけた為、何度か報復で殺されそうになった事もあった。

 

やがてイリの第二子を懐妊すると、中臣鎌足に預けられ男子を生む。

 

史(ふひと)と名付けられ、当初は中臣鎌足の子としてイリの子である事は隠して育てられたが、後に養父田辺氏に預けられた。

イリの妻でありながらもイリとは疎遠であり、二人の関係を政略結婚の形として見てそれほど警戒する者はいなかったが、しかし例え離れていても流転し続けてきた姫・額田文姫には和国では夫イリにしか拠り所が無かったのだ。

 

 

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額田文姫

 

和国の金一族が、他国から流れてきた額田文姫に従っていたのも、背後にいる実力者イリの存在も大きい。

 

新羅で姉のように慕っていた宝姫は鏡王を名乗るが、和国の金一族を率いていた額田文姫はこれを憚って鏡王を名乗ることもなかった。宝姫がイリと恋仲になり、イリの子を宿した事も輝かしく思え、心から宝姫を祝福していた。

妊娠が発覚した後に、宝姫が焼き殺されそうになるのを見て、金一族の王女として生きる厳しさを知ったのもこの時だった。

 

 

 

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イリという後ろ盾が無ければ、那珂大兄皇子の下で陽の目をみる事もなくひっそりとしていて、何れは亡き者にされていたかもしれない。結婚は例え政略結婚であっても、那珂大兄皇子の要求によって正式に離縁するまでは、少なくともイリと気脈を通じている存在だった。

 

 

時を戻し、数年前のこと。

 

和国から百済へ援軍を送ろうとする那珂大兄皇子と大海人皇子に対し、唐と百済復興軍との戦争に介入して反唐の立場になる事を嫌がっていた斉明女王は、九州の朝倉宮に留まり派兵に抵抗していた。

 

 

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結果的に、斉明女王はそこで暗殺されてしまい、和国は大体的に百済復興の軍事介入が行える様になり白村江の戦いへといたった。

 

表向きは病死であり、神木の祟りと噂されていたが、仮に斉明女王が暗殺されたとして、

その謀略に関われる立場にいた身近な者は、斉明女王の子である那珂大兄皇子と間人皇女以外では、額田文姫しかいなかった。

 

額田文姫にとっては母・鏡姫(鏡王)の政敵であり、正室の斉明からは酷いあつかいを受けていて悲しみのうちに亡くなっていった「母の敵」という悔しさが、心の闇に沈んだままで斉明女王に対する憎しみとなって、夫イリの派兵の為の障害を除くという要求と絡みあったのかもしれない。

 

 

夫イリと正式に離縁し那珂大兄皇子の側に戻った今、額田文姫の拠りどころは那珂大兄皇子しかいない。かつて新羅の金春秋に嫁ぎ、離縁された後による術もなく島流しになっていた義兄の那珂大兄皇子に頼った時と同じ境遇がやってきた。

 

そして過去の様々な思いが蘇るうちに、王女としての使命を思い出した。額田文姫の願いは、イリが王となり自分は女王となり二人の子供に王統を継がすことだった。

 

義兄妹の間人皇女こと那珂津女王は政敵である。

 

 




次章へ分筆し、一部加筆致しました。

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