やはり一色いろはの青春ラブコメはまちがっている。   作:yayoi3

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まず間違いなく、奉仕部女子は容赦しない。

 重い足取りで部室へ向かう。

 ここでサボろうものなら、平塚先生からどんな罰を受けるか分かったものではない。

 部室のドアを開けると、すでに雪ノ下と一色が椅子に座って何事かを話していた。

 俺が入った瞬間にぴたりと会話が止んだので少し気になったが、詮索することもないだろう。

 

 俺はいつも通り挨拶をし、右端の定位置に座って本を取り出す。

 ちなみに一色の席は右側に置かれている。

 つまり俺の定位置のすぐそばである訳だが……。

 

「やっはろー!」

 

 由比ヶ浜が間に座ると、不自然さがなくなる。

 絶妙な距離感が保たれていた。

 

 

 一色いろはに告白されてからというもの、どんな風に放課後を過ごせばいいのか不安だったのだが。

 

「……」

 

 ぺらりと。

 本のページをめくる音だけが部室内に響く。

 時折由比ヶ浜が携帯を操作する音が聞こえてくるが、それ以外はもっぱら静かなものだった。

 

 肝心の一色はというと……。

 

「……」

 

 ただ静かに読書していた。

 ラノベである。

 当然だが、俺の貸したものだ。

 

 1時間ほど前のこと。

 依頼人も居らず暇だったので、俺はいつも通り奉仕部の部室で読書をしていた。

 そうして一冊読み終えた直後、ふいに視線を感じた。

 

 じーっと。

 こちらに視線を送っていたのは一色だった。

 ちらりと視線を返すと、一色は瞬時に目を逸らす。

 手元の二冊目の本に視線を戻すと、再び視線を感じて顔を上げ。

 かれこれ数分ほど、同じような動作を繰り返していた。

 

 途中からちょっと面白くなってきて止め時を見失ったが、このままでは話が進まない。

 少し名残惜しいが、一色に話しかけることにした。

 

「……読むか?」

「え、いいんですか!?」

 

 大袈裟に驚く一色。

 ここで理由を聞くほど野暮ではない。

 俺は無言で手元の本を一色に手渡し、反応を待った。

 

「わー、ありがとうございます! せんぱいがどんな本を読んでいるのか気になっていたんです」

「ただのラノベだぞ? 合わなかったら無理して読まなくていいからな?」

 

 といいつつ、一色が本を受け取ったのを見てほっとする。

 なんだかんだいって、自分の好きな本を読んでもらえるのは嬉しかったりする。

 

 ただ、落ち着かない。

 告白までしたというのに、その隣にいるのは平気なのだろうか。

 緊張したりしないのだろうか。

 

 また初日が初日だけに、もっとぐいぐいアピールしてくるのかと思って身構えていた。

 そのせいか、この静けさが余計に心臓を締め付けてくる。

 

「紅茶でもいれましょうか」

 

 雪ノ下が席を立ち、紅茶を淹れる。

 その間は少し緊張がほぐれたが、すっかり紅茶が冷めてしまった頃には元の静かな空気に。

 

 手元の本に目を通すが、本の内容は全く頭に入ってこなかった。

 おかしい。

 こんなはずではなかったのに。

 平穏な放課後は一体どこに行ってしまったのだろうか。

 

 まあ、それもそうか。

 別に彼氏彼女の関係になった訳ではないのだ。

 むしろお互いを知るということが目的なのに、急にベタベタされ始めたら困る。

 だから特に意識したりはせず、普通でいればいいのだ。

 

「……」

 

 まあ、それが出来たら苦労はしないんですけどね。

 相変わらず頭に入ってこない文字列を流し読みながら、読書に集中している一色を少しうらめしく思いつつ、時間だけがのんびりと過ぎていく。

 

 部活終了の下校時刻間際になって、一色はようやく本を閉じた。

 どうやらこの短い時間で全て読んでしまったようだ。

 随分と早いが、内容はきちんと読み取れているのだろうか?

 

「せんぱい、ありがとうございました」

「……それ、読んで面白かったか?」

 

 聞くのは少し怖かったが、聞かないままで何の感想もないとそれはそれで怖いのでさりげなく聞いてみた。

 声が少し上擦ってしまったのは気にしない方向で。

 

「うーん」

 

 一色は少し唸って考えた後、

 

「あんまりよく分かんなかったです!」

「お、おう。そうか」

「最後の方で主人公が何かすごいことをしたのは分かるんですけど、どうしてそうなったのかとかが良く分からなくて。作中の説明もうまく理解できなかったです」

「ああ、それはな……このページに伏線があって」

 

 しばらく一色に本の内容を解説する。

 『ほー』とか『へー』とか、適当に相槌を打っているだけかと思ったが、その後に聞いてみると意外と理解していて驚いた。

 

「また読ませてもらってもいいですか?」

「それは別にかまわんが……無理して読んでないか?」

「へ? どうしてですか?」

「なんというか。少なくとも女子向けじゃないだろ」

「そうかもしれないですね。ただ……」

「ただ?」

「せんぱいのことはきちんと知っておきたいんです」

「……」

「好きな人のことを知りたい。好きな人の好きなものを知りたい。同じものを好きになれるとは限らないですけど、好きになれたら素敵だと思いませんか?」

「……そ、そうかもな。まあ、次は女子でも読みやすいようなやつ持ってくるわ」

「あ、ありがとうございます」

 

 前言撤回。

 一色いろはは、こと恋愛に関して容赦するつもりはないらしい。

 

 

 そんな日の翌日。

 いつも通り放課後に部室へ向かうと、そこには入口で突っ立っている3人の姿があった。

 

「……何してんだお前ら」

「ひゃい! な、なんだヒッキーかぁ」

「……せんぱい、驚かさないでくださいよ」

「別に普通に話しかけただけなんだがな」

 

 ちなみに雪ノ下は声こそ出さなかったが肩をビクッと震わせていた。

 これまで絶対許さないノートに項目が増えるだけだったが、今日の反応を見て少し溜飲が下がった。

 次からは『絶対に許さない』にする基準を下げてやってもいいかもしれない。

 

「で、何してんの?」

「部室に不審人物がいんの」

「ちなみに5分以内にせんぱいが来てくれなかったら警察に連絡しようかと思ってました」

「……」

「冗談ですよ?」

「お前のはなんか、冗談に聞こえないわ……」

 

 3人に促されるまま、慎重に扉を開け中に入る。

 するとそこには不審人物がいた。

 

「ふははは……まさかこんなところで出会うとはな」

 

 窓を開けていたためか、扉を開けた瞬間一陣の風が吹き、プリントを周囲に撒きちらす。

 誰が片付けるんだこれ。

 

「待ちわびたぞ比企谷はちま、ん……?」

「あなたの名前を呼んでいるけど……知り合い?」

「知らん。あんなやつは知ってても知らん」

「ま、まさかこの相棒の顔を、忘れるとは、な……見下げ果てたぞ、はちまぇん」

 

 なんか声が裏返って複数形になってる。

 

「せんぱい、せんぱい。この人誰ですか。不審者ですか。通報しますか」

「だから冗談に聞こえないっつぅの……」

 

 ちなみに最後の二言は小声で耳打ちしてきたので、材木座には聞こえていない。

 

「わ、我は剣豪将軍、材木座義輝……です」

 

 どうしたんだこいつ。

 いつもの騒がしさが嘘であるかのように鳴りを潜めている。

 そして材木座がチラチラと視線を送っている先を見て、材木座の心情を理解した。

 

「なるほど。女子が3人もいるから委縮してんのか」

「何それ」

「……どういうことかしら」

「いや、言葉通りの意味だけどな」

「言いたいことはまあ分かりますけど、それだと日常生活に支障をきたしませんか?」

「まあお前らは割と綺麗どころだからな。目の前にいたら緊張すんのも無理ないだろ」

「き、きれいって……」

「せんぱい……」

「いや、一般論だからね」

 

 目を潤ませて頬を染める一色は実にあざとい。

 口元が若干歪んでいるので、狙っているというのは十分わかるのだが、普通にかわいいのが納得いかない。

 このまま一色を見つめていると血迷ってしまいそうだったので、材木座に視線を戻す。

 

「で、お前何しに来たの?」

「無論、かつてのように再び天下を」

「いやそういうのいいから。ふざけるならここに残して俺は帰るぞ」

「すたーっぷ! いやマジ待って。ホントに。お願いします」

 

 半分冗談で背を向けると、割とガチなトーンで引き止められる。

 材木座の涙目とか誰得だよ。

 

「ちょっと、何なのあれ」

 

 そんなこんなで材木座をいじって遊んでいると、雪ノ下が耳打ちしてきた。

 いきなりだったので返答に窮し、固まってしまう。

 

「あれは中二病ですよ……というか近いです離れてください」

 

 ものっそい不機嫌そうな声で一色がそう言って、雪ノ下との間に割って入った。

 表情は笑顔だったが、声と目が笑っていない。

 こわい、です。

 

 雪ノ下はほぼ無意識だったのだろう。

 一色の行動に、困惑していた。

 対して、不思議そうな顔をしているのは由比ヶ浜だ。

 

「ちゅうにびょう? 病気なの?」

「精神疾患ではありません。むしろ私は同一性拡散を避けるための防衛機構であると認識しています」

「なるほど」

「意味分かんない……」

 

 安心しろ由比ヶ浜。

 今の説明で分かる雪ノ下の方がおかしい。

 

「例えばだ、由比ヶ浜。因数分解が将来何の役に立つんだとか先生に言ったこと無いか?」

「は? そんなの言ったら余計せんせーがめんどくさくなるだけじゃん。ヒッキーバカなの?」

「……」

 

 こいつに馬鹿って言われると無性に腹が立つな……。

 

「大体わかったわ。あなたの依頼はその心の病を治すってことでいいのかしら」

「いえ、それは違うと思います」

 

 一色は床に散らばっていた紙束を拾いながらそう言った。

 ひらひらとたなびく紙束には、細かい文字がびっしりと書き込まれていた。

 そこでようやくそれの正体に気付く。

 

「これ……小説の原稿か?」

「しかり!」

「と言うことは依頼内容は」

「とある新人賞に応募しようと思っているが、友達がいないので感想が聞けぬ。読んでくれ」

 

 ということらしい。

 雪ノ下のため息や由比ヶ浜の椅子を引く音だけが部室内に響く。

 そんな中、一人だけ無駄に元気なのがいた。

 

「……なんでお前そんな乗り気なの?」

「奉仕部としての初の依頼ですからね。がんばりますよ!」

「そうか……まあがんばれよ」

「はい!」

 

 まあ、奉仕部の依頼である以上、俺もやるんですけどね。

 

「投稿サイトとかあるから、そこに晒せばいいんじゃないか?」

「それは無理だ。あやつらは容赦がないからな。酷評されたら死ぬぞ、我」

「心弱ぇ。でもなぁ、たぶん投稿サイトより、こいつらの方が容赦ないよ?」

 

 

 そのまた翌日。

 眠い目を擦りながら部室に向かうと、仲良くうたた寝をしている雪ノ下と一色がいた。

 どうでもいいがこの二人はいつも俺より先にきている。

 特に寄り道をしていたり、HRが長いわけではないのだが。

 とりあえず、雪ノ下に声をかける。

 

「お疲れさん」

「ん……。驚いた、あなたの顔を見ると一発で目が覚めるのね」

「そりゃようござんした。目覚めたついでに一色も起こしてもらえるか?」

「……嫌よ。あなたが起こせばいいじゃない」

「……何不機嫌になってんだよ。俺が起こしたら何かいろいろ言われちゃいそうだろ」

「もう遅いみたいだけれど」

 

 そうして一色の方を向くと、目を覚ました一色とぴったりと目が合う。

 それから数秒間は何の反応もないまま、やがて眼の焦点が合っていく。

 数回ぱちぱちと瞬きをしたあと、開かれた眼がさらに大きく丸くなった。

 

「せ、せんぱい!? もしかして寝顔、見ました?」

「……まあ、すまん」

「ひゃあああ……」

 

 一色は顔を下に向け、しばらくの間悶えていた。

 『え、メイク大丈夫かな? よだれとか垂れてたりしないよね?』とか小声で言っているのは全部聞こえてるからね?

 そもそもそんなに厚く化粧なんてしていないし、特に普段との違いは見られなかったが、それを言うとまたややこしいことになるんだろうな。

 やがて、涙目になった顔をあげ、じとっとした目でこちらを見てくる。

 

「これはもう責任を取ってもらうしか……」

「ちょっと待って。それだと私も責任を取ってもらわなくてはならないことになるわ。訂正してもらえるかしら」

「うぅ……ちょっとお手洗い行ってきます!」

「あ、一色さん!」

 

 何故か慌てている雪ノ下。

 これは珍しいものを見れたかもしれない。

 

「……私も気にした方がいいのかしら」

「別に変なところはなかったから、いいんじゃねーの」

「……なるほど。こうして改めて言われると案外恥ずかしいものね。今後は私も気を付けることにするわ」

「さいですか」

「やっはろー」

 

 そして、一色と入れ替わるように由比ヶ浜が部室に入ってきた。

 あれ、なんかいつもとトーンが違くないですか?

 

「ヒッキー」

「ひゃい!?」

「いろはちゃんに何したの?」

 

 由比ヶ浜は腹の底から出ていそうな低い声で問い詰めてくる。

 

「さっきいろはちゃんが泣きながら走り去っていったけど、ヒッキー何したの?」

「待て、俺は何もしてない」

「泣かせたのに?」

「誤解だ。話を聞」

「ゆきのんもちょっと涙ぐんでるし、顔赤いし」

 

 雪ノ下はぷい、と顔を逸らした。

 この件に関して雪ノ下の助力は得られないだろう。

 瞳のハイライトが消えていく由比ヶ浜にどう言い訳しようか考えていると、奉仕部の扉がノックされた。

 

「頼もう!」

 

 これほど材木座が頼もしく見えたのは初めてかもしれない。

 しかし、やけに自信にあふれた表情だ。

 この後に起こるであろう地獄をまるで想定していないのだろう。

 

「一色、遅いな」

「依頼人も来てしまったことだし、始めましょうか」

 

「では感想を聞かせてもらおうか」

「ごめんなさい。私にはこういうの良く分からないのだけれど」

「構わぬ! 凡俗の意見も聞いておきたいところだったのでな。好きに言ってくれたまへ」

 

 そう、と。

 短く前置きをしてから、雪ノ下は処刑を開始した。

 

「つまらなかった。読むのが苦痛ですらあったわ。想像を絶するつまらなさ」

「ぐふぅ! ……さ、参考までにどの辺がつまらなかったのか、ご教示願えるかな」

「まず、文法がめちゃくちゃね。何故いつも倒置法なの? てにをはの使い方知ってる? 小学校で習わなかった?」

「それは平易な文体でより読者に親しみを……」

「それは最低限まともな日本語が書けるようになってからやるべきことではないの?」

 

 ごもっともで。

 材木座は絶句して何も反応を返せないようだ。

 

「それにルビだけど、誤用が多すぎるわ。能力に"ちから"なんて読み方はないのだけれど。聞くけど、この『幻紅刃閃』――ブラッティナイトメアスラッシャーのナイトメアはどこから来たの?」

「げっふー! ちがうのだ……! 最近のバトルではルビの振り方に特徴を」

「ここでヒロインが服を脱いだのは何故? 必要性が皆無よね。しらけるわ」

「ぐひぃー! そういう要素がないとぉ!」

「完結していない物語を人に読ませないでくれるかしら? 文才の前に常識を身に付けた方がいいわね」

「ぴゃああああ……!」

 

 材木座は床に崩れ落ちた。

 あはれなり。

 

「その辺でいいんじゃないか? あまりいっぺんに言ってもあれだし」

「まだ言い足りないけど、まあいいわ。じゃあ、次は由比ヶ浜さんかしら」

「へ? えーと……む、難しい漢字、たくさん知ってるね」

「がはぁーぅ!」

「じゃあ、ヒッキーどうぞ!」

「はちまぁん……お前なら理解できるよな?」

「で、あれってなんのパクリ?」

「ぶふぉおお! ふぇうぅ……おほうぶふぽーとぉらだーとだただーとうふぉれぇそ……」

「あなた容赦ないわね」

「お前にゃ負けるわ」

 

 転がり回る材木座の肩にそっと手を差し伸べて。

 

「ま、大事なのはイラストだから、中身なんてあんまりきにすんなよ」

 

 こうして材木座にとどめを刺した瞬間、奉仕部の部室のドアが勢いよく開いた。

 

「ただいま戻りましたー! ……って、どうしたんですか?」

 

 薄目の化粧はばっちりと整えられており、制服は皺ひとつなく着こなしている。

 完璧に武装した一色がようやく帰ってきたようだ。

 材木座の反応が面白すぎて存在をすっかり忘れていた。

 

「おかえりなさい。一色さんが不在の間に依頼人が来てしまったので、先に感想を言い合っていたところよ」

「なるほどです。少し出遅れてしまいましたかね?」

「まあ出遅れたというか、もう十分というか」

「ではでは、次は私の番ですね!」

 

 なんだろう、ものすごく嫌な予感がする。

 そういえばこいつ、初めての依頼だからとものすごく張り切っていたな。

 あの小説の出来を見た時は、正直に言って由比ヶ浜のようにほとんど読まずにくると思っていたが……。

 

 材木座は最後の望みとばかりに、光を戻した瞳で一色を見た。

 まるで女神にでも見立てているかのようだ。

 希望を持つのはやめておいた方がいいと思うんだがな。

 

 そして一色は一度大きく息を吸うと、誰が見ても魅力的に映るような、花の咲いたような笑顔で告げた。

 

「文章全体がとても読み辛かったです」

 

 ただしその花は毒を多分に含んでいたが。

 

「読むのが苦痛ですらありました」

「ぐ、ぐはぁ!!」

「文法がめちゃくちゃで文章の前後関係が何度か分からなくなりました。どうしていつも倒置法を使うんですか? てにをはの使い方を間違っているのは致命的だと思います」

「お、おい一色。その辺で……」

「ルビに関しては深く突っ込みません。ただ使っている場面でことごとく滑ってますよね。自分がカッコいいと思う単語を並べておけば読んでいる人もそう思ってくれると考えているんですか? はっきり言ってしらけます」

「ふぉふぉ……ふぉ」

「とはいえ、私が読み終えているのはまだ一章だけですので、細かい内容に言及するのはやめておきます。最後まで読めば材木座先輩がやりたかったこともある程度把握できると思いますし。この分量だと全部チェックするのにあと三日はほしいので、それまで待っていてくださいね。材木座先輩!」

「……ぁっ……あっ」

 

 材木座、撃沈。

 ほぼ再起不能なまでに叩きのめされた材木座を一応介抱してやる。

 

「あとはですね……」

「一色、止まれ。材木座のHPはもうゼロだ」

「えー、これからが良い所なんですが……」

「すでに雪ノ下から同じような指摘がなされた後だ。ほれ」

 

 雪ノ下がチェックした、付箋がびっしりと貼りついた原稿を一色に見せる。

 ページをめくって確認した一色は、

 

「そうだったんですか……雪ノ下先輩、一日で全部読んじゃったんですね」

「その代わりあなたほど丁寧に一文一文読み切れてはいないわ。チェックを入れるので精いっぱいで、添削して書き込む暇はなかったもの」

「あ、あはは……。とりあえずアレ、どうにかしない?」

 

 由比ヶ浜が床に寝転がっている材木座を指さす。

 ひゅーひゅーと虫の息を繰り返す材木座。

 しかし、時間が経つと落ち着きを取り戻したのか、材木座は自分の足で立ちあがった。

 

「また、読んでくれるか」

 

 思わず耳を疑った。

 あれだけ言われて、まだやるというのか。

 俺だったら軽く3回くらい死にそうになってるぞ。

 

「何言っているんですか材木座先輩」

 

 感情の読み取れない平坦な一色の声。

 それは静かな特別棟の一室にやけに鮮明に響いた。

 その言葉は、材木座を筆頭に奉仕部の空気を凍りつかせた。

 

 まずは材木座と俺、次に雪ノ下、最後に由比ヶ浜が理解した。

 いや、正確には理解したつもりになっていた。

 特に読んですらいない由比ヶ浜は気まずそうに目を逸らしている。

 

「そ、それはさすがに我の小説を読むのは二度とごめんだという、そういうことなのであろうか……?」

 

 材木座が核心に触れる発言をして――。

 

「いや、本当に何を言っているんですか? 読まないと依頼が達成できないじゃないですか」

「! で、では、また読んでくれるのか?」

「だから読むといっているじゃないですか。それより、どうして帰ろうとしているんですか?」

 

 一色の唐突な『ただで帰れると思ってんじゃねーだろうな?』発言に材木座は怯えた。

 

「これだけだと私たちは、材木座先輩に『そのやり方はダメだよ』って教えただけになるじゃないですか。材木座先輩は飢えていますけど、魚の取り方は分かっています。まだ未完だそうですけど、これだけの文章を書けるんだから間違いありません。なら私たちのやるべきことは取れた後の魚をおいしく調理する方法を一緒に考えることではないでしょうか。――結衣先輩抜きで」

「いろはちゃん、その例えはひどくない!?」

「ごめんなさい。さすがにあのダークマターを見たあとだと……」

「あたしのクッキー見たんだ!? ひ、ヒッキー」

「いや違う。俺じゃない。誤解だ」

 

 というかなんで知っているんだろうね、この子。

 

「こ、こほん。こほん。とりあえず材木座先輩の課題として、文章を書き慣れていないことがあげられると思うんです。で、昨日考えてみたんですけど。書き慣れていないならたくさん文章を書けばいいと思うんですよ。それも、小説とは関係ない普通の文章をです」

 

 たしかに、あの文章で小説を書き続けても上達が見込めるとは思えない。

 

「ですから私は、材木座先輩に日記を書くことを提案します。その日一日起こった出来事を、できるだけ簡単な文章でまとめます。それを私たちが、誤用や読みにくい文章がないかチェックするんです」

「一色さんの言いたいことは分かったわ。でもそれだと、やりすぎにならないかしら」

 

 雪ノ下が疑問の声をあげる。

 

「手取り足取り面倒を見て。一つ一つ間違いを訂正して。そうすれば確かに彼の文章は改善されるかもしれない。けれども、それは本当に彼の力になるのかしら」

 

 雪ノ下の意見は単純明快だ。

 俺たちがサポートしすぎては、材木座のためにならないのではないか。

 

 由比ヶ浜はクッキーの作り方を教わり、失敗しながらも自力で焼き上げた。

 出来は決して褒められたものではないが、そこにはたしかに、彼女自身でどうにかしようと足掻いた軌跡があった。

 

「そうですね。どこまでやるかは、ちょっと難しい問題です。その前に材木座先輩はどう思いますか?」

「むむ……」

 

 そこで材木座は一度考え込む。

 

「我は今回、自分で書いた小説を読んでほしくてここに来た。うっかり死んでしまいそうなくらいボロクソ言われたが、それでも嬉しかったのだ。

 正直、それだけで十分だと思っていた。この悔しさをバネにして、次はもっと面白いものを書いてやろうと。しかし我一人で気付けないことを指摘してくれるというのならば、これ程ありがたいことはない」

 

 一色の提案を受ける意志があることを告げた。

 

「無論、彼女が提案してくれたことは無駄にしない。できるだけ読みやすい文章を書けるように精進するつもりだ」

 

 結論がどうなっても日記は書くつもりであるらしい。

 

「あなたの意見はよく分かったわ。比企谷君はどうかしら?」

「そういうのは部長が決めるべきなんじゃないか?」

「私はこういうの、あまり詳しくないから。ある程度知っていそうなあなたの意見がほしいわ」

「……確かに雪ノ下の意見にも一理ある。甘やかし過ぎては材木座のためにならない。問題はどこまでをやり過ぎとするかだ」

 

 それを判断するには、今回の依頼内容を整理する必要があるだろう。

 

「材木座の依頼は『小説の原稿を読んで感想を言うこと』だ。だが材木座の目的はそこではない。材木座の目的は作家になるということだ。そのために新人賞に応募する小説を書いて、俺たちに感想を求めて改善しようとした」

 

 自身の承認欲求を満たすといった考えもあるだろうが、材木座が第一に定めているのはそれだ。

 

「俺たちが感想を言ったことで、どこが読み辛いのか。何が悪いのかは明確になった。材木座も改善するように努力することはできるだろう。

 しかしそれを客観的に見て判断することは難しい。自分で読んで問題がないから、あのやたらと難しい漢字がびっしりと詰まった文章ができあがるんだろう」

 

 難しい漢字を使いたがっているというのもあるだろうから、意識すれば多少は改善できるだろうけどな。

 

「また人に自分の文章を見せるっていうのは、適度な緊張感が伴う。読みやすい文章を書こうという意識もしやすいだろう。それに今日のような長文をまとめて持ってこられても、修正する箇所が多すぎて、修正する俺たちもそれを受ける材木座も負担が大きくなる」

 

 修正箇所が多いということは、修正箇所一つに対する注意が薄まる。

 どれを優先的に修正すればよいのか分からなくなってしまう。

 

「最後に、作家になるという目的を達成するのに最も必要とされるのは物語の面白さやセンスだ。それは材木座が本気で作家を目指すのならば必ず身に着けなければならないものだ」

 

 その部分は俺たちにはどうすることもできない。

 

「材木座が力を注ぐべきはそこで、その前段階である『読みやすい文章を書けるようにすること』を手伝うのは問題ないんじゃないか?」

 

 結論を述べる。

 やたらと長く喋ってしまった。

 

「とまあ色々と理由をつけてみたが、最後にはどうやったって裁量になる。雪ノ下、判断はお前に任せる」

「比企谷君」

「なんだよ」

「ありがとう。よく、分かったわ」

「お、おう」

 

 雪ノ下に素直にお礼を言われると何故か調子が狂う。

 

「由比ヶ浜さんはどうかしら?」

「あたし!? あ、あたしは……そんなに詳しくないし。ゆきのんよりもちゃんと判断できるわけでもないし」

 

 人には向き不向きがある。

 この依頼に関しては、由比ヶ浜の活躍できる場はほとんどないだろう。

 だがその分、他の依頼で俺や雪ノ下にできないことをすれば良い。

 また、良く知らないからこそ核心をついた発言をできるかもしれない。

 

「お前も一応部員だから意見を求めているだけで。さっきも言った通り、最終的な判断は雪ノ下が下すからそこまで気負うことはない」

「で、でもさ……」

 

 それでも躊躇している由比ヶ浜。

 やはり、自分だけ原稿を読んでこなかった罪悪感があるのだろうか。

 ここは由比ヶ浜抜きで話を進めるべきかと諦めかけた時、

 

「私は――」

 

 一色が声をあげた。

 その声は静かな部室にすうっと通る。

 由比ヶ浜は顔をあげ、一色と向き合った。

 

「私は、結衣先輩がどうしたいのか知りたいです」

 

 どこまでも真剣な表情で、自身の想いを告げる一色。

 

「教えてもらえませんか?」

「……」

 

 一色の『お願い』に、由比ヶ浜は唇を固く引き結んでから応えた。

 

「中二ががんばるって言うなら、手伝ってもいいと思う。あたしじゃ、役に立たないかもしれないけど……」

「結衣先輩、ありがとうございます!」

「ありがとう、由比ヶ浜さん。よく分かったわ」

 

 雪ノ下は一度目を閉じる。

 その上でふと表情を緩めると、

 

「結論を述べます。私たちは奉仕部としてできる限りの支援をします。ただし、それは正しい文法を身に付けるという点に関してのみ。作家としてのセンスを磨くのは、あなたの仕事になるわ。それで構わないかしら?」

「う、うむ。御助力、有難く承る」

「その喋り方……まあ、いいかしら」

 

 そう言って雪ノ下は笑う。

 こいつの笑顔を見たのはもしかしたら初めてかもしれない。

 

 材木座は瞳に涙を溜めて、心底嬉しそうにこう言った。

 

「……八幡。友とは、良いものだな……」

「え、お前友達いたの?」

「はちまあああああん……!」

 

 

 ◆

 

 

「ただいまー……」

 

 誰もいない家に向かって少女は言った。

 当然、誰からの反応もない。

 少女は無造作に扉を開閉させ、ソファに寝転がる。

 そのまま仰向けに倒れて、変わり映えしない天井をぼーっと眺めた。

 

「……はあ」

 

 自然とため息が漏れる。

 次いで取り出したのは、折り目のほとんど付いていない紙束だ。

 頁を捲り、何度か目を通す。

 しかし彼女には、どれほど時間を掛けようとも、その紙束に書き込まれている内容を理解することはできなかった。

 

『私は、結衣先輩がどうしたいのか知りたいです』

 

 放課後の部室で投げかけられた言葉を反芻する。

 

 ぽとんと。

 手元の紙束ごと、右手はだらんとソファの上に落ちる。

 何度かバウンドした後、やがて動かなくなった。

 

「……このままじゃ、駄目だよね」

 

 少女はポケットからケータイを取り出して、11桁の数字を入力した。

 そして――。


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