南港鎮守府、大阪湾や近畿太平洋側の近海等を日々、もとい今は時々守っているこの鎮守府に、千葉からやって来た新たな仲間が加わって既に一ヶ月の月日が流れようとしていた。
彼女は当初こそ、初めて訪れる地や鎮守府の仲間達に緊張し苦労も耐えなかったが、今では徐々にではあるがこの地での生活や鎮守府での環境に少しずつ馴染んできていた。
「ブッキー! おつかれぇっ!」
そして今も、同期である千春の挨拶に、ブッキーこと佐久間 奈々は元気に答えるのであった。
「お疲れさまです、村雨さん」
自身のデスクで書類作成の作業も一段落し、少し休憩でもと思った矢先、千春がその手に二つのカップを持ってやって来た。
どうやら親切に奈々の分まで飲み物を持って来てくれたようだ。
「はい、ブッキーの分」
「ありがとうございます」
手渡されたカップを受け取り、温かなコーヒーの香りを感じながら味を楽しむ。
千春も空いているデスクの椅子に腰を下ろし、同期二人でコーヒーブレイクを堪能する。
「ねぇ、ブッキー。そう言えばさ、もう慣れた?」
「え、何がですか?」
「だから、ここ(大阪)での生活とか」
「あ、はい。それなりには慣れてはきた、かな」
時間が経過しているとは言え、やはり一ヶ月程度ではまだ環境の違いに戸惑う部分も出てくるのだろう。
「そっか、までも、徐々に慣れていけばいいと思うよ」
「はい」
しかし、焦る事はない。ゆっくりと時間をかけていけば何れは違和感も無くなっていく。
住んでいれば、いずれそこが彼女にとっての都となるだろう。
「そうだ、村雨さん。一つ聞いてもいいですか?」
「ん? 何々?」
「やっぱり、私も南港鎮守府の一員になった訳ですし、その、もっとノリとかツッコミとかを磨いた方がいいんでしょうか?」
南港鎮守府の一員として、他の艦娘達と共に少なくない仕事をこなしてきた奈々。
個性的な方々が多い南港鎮守府の艦娘達、そんな鎮守府の一員と自分自身もなったのだからもっと特徴的な個性を出していったほうがいいのでは。真面目な彼女の性格故か、どの様な立ち振る舞いをすべきか、密かに悩んでいたようだ。
そして、同期である千春にその悩みを打ち明けたのだが。返ってきたのは、奈々の予期せぬものであった。
「ん~、別に無理して私達に合わせなくてもいいんじゃない? ブッキーはブッキーのままでいいよ」
無理して合わせていると息切れしてしんどいだけ、と千春は続けて説く。
しかし、そんな千春の答えに少し納得がいかないのか、郷に入っては郷に従えを少しでも実行しようとする奈々。
「でも、やっぱり少しでも大阪独特の雰囲気に馴染んだ方が、もっと他の人たちとの距離を近づけられるような気がするんです」
「んん~、別に皆そこまでブッキーに求めてないと思うし。そもそも今のままでも十分今以上にお近づきになれる気がするけど……」
真面目さが空回りしている奈々に千春は説いてみるものの、やはり奈々の決意は揺るぎないようだ。
結局、千春は諦め、とりあえず奈々が大阪人らしさを身に付けれるに必要であろうと思われるものを幾つか挙げていく。
「それじゃー……。まずは自宅とかでタコパする時の為にたこ焼き器を買って」
「タコパ? ……あ、たこ焼きパーティーですね」
真面目な奈々はメモ帳を取り出し、律儀にそれを書き込んでいく。
「ユニバの年パス買って」
「ユニバ? ……村雨さん、ユニバって何ですか?」
「え、ユニバだよ、ユニバ! ユニバァァススタジオジャパン」
「あ、USJの事ですか」
略称の呼び方の違いに驚きと新鮮さを覚えつつも、千春は言葉を続ける。
「後は……、やっぱりノリの良さを磨くことかな」
「ノリの良さ、ですか?」
「うん。例えば……、あ! おーい、あきつまるぅっ!」
実際に見てもらった方が説明するよりも手っ取り早いと思ったのか、千春は偶然目に留まった艦娘の一人に声をかけた。
休憩室にでも行こうとしていたのか、学ランに軍帽と言う出で立ちのあきつ丸こと本名笹倉 葵は、千春の声に足を止めると二人のもとへと近づいていく。
「村雨殿、何か用でありますか?」
「うん、実はね……」
用件を言おうとして、千春は不意に葵に向けて指鉄砲を作り出す。
「バーンッ!」
刹那、千春の指鉄砲が千春の声と共に見えない火を噴いた。
「……っ、ガハッ!」
すると次の瞬間、葵は吐血したかのような仕草をしたかと思えば、顔を歪めながら自身の胸の辺りを手で押さえ始めた。
「な、何を……っ、ダハッ」
「ふふ、御免ねあきつ丸。実は私、前からあんたのその呼び方、気に障ってたのよ」
「そ、そん……ッ!」
「だ、か、ら。さっさと死んでよ」
再び見えない火を噴いた千春の指鉄砲、再び至近距離で幻の銃撃を受けた葵は、遂にその身を冷たい床へと横たえた。
「あ、あきつ丸さーーん!」
すると、事の一部始終を何処かで見ていたのか、小さな人影が葵のもとへと駆け寄る。
膝をつき葵を抱きかかえるそれは、電こと董であった。
「い、いなづ、ま、殿」
「喋っちゃ駄目なのです! 肺に血が溜まっちゃうのです!」
「さ、最後に、電、どのに、伝えたい、こと……が」
まるで舞台上のスポットライトを浴びるかの如く、葵と董の間には何人たりとも入れぬ空間が形成される。
「な、なんなのです!?」
「電殿、の、つくっ、た、すじ肉の炊いたん。ちょっ、と、硬かった、で、あり、ま……す」
「あきつ丸さーーーんっ!!」
最後の力を振り絞り董に言葉を残した葵は、静かに瞳を閉じるとその生涯に幕を閉じた。
「そして、あきつ丸の最期を看取った電は、一人静かに今度からはもうちょっと煮込む時間を長くしようと心に誓うのであった。……、ハイ、オッケー!」
「はわわっ! 緊張したのです!」
「電殿、飛び込みとは言えなかなかの演技力でした」
しっかりオチも付いたと言わんばかりの千春の声がかかると同時に、葵と董は何事もなかったかのように起き上がり互いにその演技力を褒め称える。
「それでは、失礼しますです」
そして、程なくして董はその場から立ち去っていった。
「にしても流石あきつ丸。元大衆演劇の女優さんは演技力が違うねぇ」
「そ、そんな事はないでありますよ。自分など、一座の中ではまだ半人前でした」
「またまたぁ、謙遜しちゃって」
突然の振りにもしっかりと対応し、その品質にも一定の良さを兼ね備えていたのは、どうやら葵自身が前職はその演技力でお金を稼いでいたからのようだ。
「あ、どうだったブッキー? 分かった? ……もし今ので分からなかったら他にも幾つかのパターンあるけど?」
「22口径の拳銃で撃たれたけど実は頭蓋骨で止まっていて医者に診てもらうまで気づかない、或いはアンチマテリアルライフルで下腹部を吹き飛ばされてしまった等。口径別に演技するであります!」
何やら妙にバリエーションに富んでいるのも気にはなるが、奈々にはそれ以前に同じような品質を目指せる自信がなかった。
無論、本来ならば葵の品質が高すぎるだけでそこまで目指さなくともよいのだが、真面目ゆえか或いは参考とする資料の選択ミスか。何れにせよ、奈々の中ではこればかりは磨ける自信がなかった。
「村雨さん」
「ん? なになに?」
「やっぱり私、今のままでいい気がしてきました……」
大阪の人のノリの良さは凄すぎる。そんな少し間違った印象を持ってしまう奈々であった。