さてさて、今宵は丸い月。もんぺの穴を繕うにはちょうどいい夜だ。チクチクと繕うために裁縫道具を持ち出す。
手元も明るいし、調子は上々。さっきから竹林が騒がしいけど別に気にする程じゃない。年寄りは慌てないもんさ。
しかし、本当に眩しいな。最近はめっきり月が眩しいなんて思ったことはないし、何となく久しい気分だ。こんな日はお月見なんてのもお洒落だろうね。器でも用意しようかね。
器に水を張って月を招きいれる。そんなお月見だってたまにはいいだろう。遠い昔「月の顔見るは忌む事」なんて言われていた気がするけど、いつの間にか聞かなくなったな。なんてぼんやり考える。
さて、そんなお月見しようかしないか、そんなところから始まるよ。
私、藤原 妹紅 ぼんやりとしようかね。
隙間風が入りこんでくるようなちょっと古い庵(と慧音に言い張ってる)に私一人。チクチクと繕い中。普段だったら笹の葉擦れ音くらいしか聞こえないもんだが今日はあちこちから気配を感じる。おおよそ馬鹿者が肝試しでもしているんだろう。まぁ、月も明るいし気持ちも分かろうもんだけどさ。慧音はなんと怒るかな。
チクチクと針を布に通す。そう言えば針仕事といえば人里にもう一人変なのがいたか。
慧音から似たような奴がいると聞かされて、興味本位で留守番任されたら、いきなり飛び掛かられた印象が強いけど。
しかし、まぁあんな小さいのが私に似ているとはね。……なんか複雑だ。
まぁ、そんな気持ちは置いておいて、実際面白いやつだよな。ミスティアの屋台で会ったり炭買いに来たりしてるけど、話していても付き合いやすい奴だ。
たぶん必要以上にこっちに踏み込んでこないのが、私に都合がいいんだろうな。
今までの出会いとかを思い出してクツクツと笑う。まぁ、悪い奴じゃない。人里に住んでいても特に害はないんじゃないかな。
妖怪だか何だかが人里に住むってのも、中々に凄い事態だけど本人は気づいてるのかな。
ほっ、と息をつく。とりあえずは一段落。ふと、漏れでる月光に触れてみた。
私の手を透過してくような澄んだ光。そこの隣には、いつもよりも濃い影が一つ。
……人里に住んで人間に紛れる、か。
袖ちゃんがやっているのはあれだね。何処かの馬鹿な小娘が、まだ一欠片分ほどの期待を抱いていた時のそれだ。どうしようもない事を知って、それでもどうにかしたくて、けど、どうにもならなくて。
はぁ、と私はため息を一つ。
悔しいが、慧音の言う通り似た者同士って訳だ。
ただ、似ているだけで決定的に違うのは、私は諦めて、彼女はまだ諦めていないということだ。詳しく聞く事は無いとは思うけど、あの子はたぶん、分かっていながらも前に進みたかったんじゃないかな。
いや、それすらも分かんないし、知らないけど。
ただ、私の期待混じりの推測がもし当たっていたら、彼女は相当に苦労するね。慧音からちょっとだけ聞かされている素性とかを鑑みても相当なものだ。
大馬鹿というか、ある種狂ってるというか、いや、もしかしたらそんなもんなのかね。
ともかくとして初めて聞いた時は驚いたもんだ。いるところには居るんだなって。
あの位の執念があれば……私も。
少し年季の入った壁(決してぼろい訳ではない)から吹き込んで来る風が私の頬を緩やかに撫でる。
「──うるさいな、分かってるよ」
ぼそりと、言葉を溢す。やっぱり似ているだけで違う。私は諦めざるを得なくて、あいつは諦めが悪いだけだ。
でも、でもだ、彼女ならもしかしたら、現状の私に対して答えを持っているかもしれない。後悔をしてもしきれない。何度死のうとしても死ねない。この死にぞこないに何か……いや、ないな。
彼女は無力で、私は今まで通り生き続ける。それでいいじゃないか。……いい、じゃないか。変に期待を抱く方が、かえって傷が深くなる。諦めて、最初から期待しないでいけば、現状はそこそこに楽しめる。
はっと我に返り、先程から作業が全く進んでいない事に気づく。
もう一度ため息一つ。手にもっていたもの全てを投げ出し、擦り切れた畳に身体を預ける。
「あー」
自然と声が漏れる。普段は憎しみの対象である黒髪の月の姫が何となく頭に浮かぶ。
いつもだったら狂おしい位に憎いのに、こんな時にだけ顔が浮かぶ。なんて、憎たらしい奴なんだ。
そんな憎たらしいアイツに向けた感情が、口からポロリとこぼれた。
「……殺し合いたいな」
自分がどうしようもない化け物と認識させて欲しい。もう、どうしたって叶わない、手の施しようの無い状態であると認識させてほしい。救いなんてない、あるのは現状と、それを打開出来ない私が居るだけだ。
ごろりと寝返りを打つ。停滞している空気をどうにかして欲しかったが、そんな時に限って風はやって来ない。もう寝てしまおうと目を瞑るも、眠気は中々にやってこなかった。
「あーもう。分かってるんだって……」
隙間風はやって来るのに、どうしたって心は晴れることは無い。
まどろみが、私を揺らし世界を揺らす。こんこんとした眠りに落ちて──
アオォォォォン。
突如として、遠吠えが夜を切り裂く。ウトウトとしていた意識も一瞬で覚醒し、ばっと跳ね起きる。
中途半端にぼやけた頭で聞いたそれは、感情に波を立たせた。
「うるさいな……」
乱雑に頭を掻く。今日はどうも駄目だ。昔の事を思い出したり、気分が晴れなかったり。あれもこれも……いや。
どこかで獣の声がした。このままだと、今竹林にいる奴らは危険かもしれない。
「ちょっと暴れようかな」
壁の隙間から漏れ出た月光が外に意識を向かせる。私は軽く衣服を整え、立ち上がった。
ふらり、と外に出る。空では大きな月が、私をあざ笑う様にぽっかりと浮かんでいた。忌むべしなんて言われていた月を瞳に収める。
かぐや姫が帰るようなとても綺麗で、昔の記憶を甦らせるようなそんな月。
「──あぁ、今日も死ねなさそうだなぁ」
ふっ、と視線を切る。あちこちでやり合っている気配がある。なんだ、肝試しじゃないな。……ちょうどいいかもしれない。
まずは先程の遠吠えの方にからだ、と決め、だいたいの方向に見当をつける。
私は、もやっとした気持ちを振り切るように、夜闇に身を躍らせた。
生温い風がまとわりつく。いつも嗅いでる竹の匂いが少し鬱陶しい。はやく、はやく走っていこう。
しばらく走っていると、空から声が降って来た。聞いたことのないような、子供のような高い声。
「おはよう、いい夜ね」
声がした方を向けば、見た目は洋装をした小さい女の子。
月を背負う様に宙へと浮かんでいて、その風体に似合わない程の圧倒的な雰囲気を持っている。間違い無く妖怪の類だろう。というか人間の殆どは空飛ばないし。
しかも、私に何の恨みがあるのか分からないけど、何故か敵意をひしひしと感じる。
なんなのだろうか、もしかして竹林の姫の仕業だろうか。だとすると好都合。
ともかく、初対面でここまで恨まれたのも久しぶりだ、しばらくは話に付きやってやろうか。
「こんばんは、刺激的な夜だな」
いきなりこんなに会うなんて刺激的以外の何物でもないだろう。なんて批判の意味も込める。
すると、意図を汲んだのか、汲まないのか、目の前の妖怪は上品に手を口に当て、くすりと笑う。
「あら? こんな夜は嫌い?」
くすくすと、此方をからかう様に相手は笑う。どこぞの姫を思い出しそうな笑い方に感情が少し波立つ。
あぁ、この類は面倒な奴だと即座に判断。ちょっと付き合ってやろうという気も失せ、話を切り上げるべく私の聞きたいことをぶつける。
遠吠えの事を聞くと、おどけた様子で返される。やっぱりこういう輩は好きな事だけ話して、勝手に去ってく奴だな。追い払うに限る。
「あっそ、ならいいや行っていいよ」
その言葉を聞くな否や、さっきまでおどけていた相手の真っ赤な瞳が、すっと細められる。
「なら駄目なのよ。ここは通さない」
先程の敵意を更にむき出しにする妖怪。強い意志を感じる瞳に思わず尻込みをしてしまう。……何なんだ本当に今日は。そう、叫びたくなる。
小さく息を吐く。どうにもこうにも今夜はそうらしい。停滞した私を責めるように、どんどん眩しい奴らが現れる。
あぁ、本当に……
「通さないなら大人しく帰るよ」
ただ、気に入らないからお前は倒すけど。
そう答える。何が気に食わないだ。本当に気に食わないのは私自身だろうに。本当に、私は何をしにここまで来たんだ。
目の前の妖怪が何かを言ってる。たぶん私も適当に答えてる。既に慣れてしまった思考だ、他の事をしながらでも簡単に割り切れる。……そう、割り切れるんだ。
こいつを倒して、いつもの私に戻ろう。
話が切られると同時に、私は、ぱっと生成した炎を相手にぶつける。並みの妖怪なら跡形もない筈だけど……あぁ、やっぱり効かないか。
眼前に広がる炎を受けて、ちょっと熱そうにしながらも服も、身体も焼けた様子の無い妖怪。ぱんぱんとまとわりつく炎を払うと、余裕綽々にこう返してくる。
「あら、こんなんじゃ、うちの大釜のお湯沸かすには使えないわね」
「この程度、火花程度の段階さ」
更に妖力を込めた火を作り出す。めらめらと、自分の身すらも焦がしかねない勢いの炎を投げつけた。それすらも相手のお嬢ちゃんは避けようとしない。……気分うんぬん抜きにカチンとくる奴だ。
しっかりと直撃し、小さい人影は音を立てごうごうと燃え始める。しかし、それすらも奴は効いた素振りを見せなかった。まるでそよ風が吹いたかのように、涼しい顔で炎の中から現れこう告げた。
「なかなかマシね。薪も要らなそうだし家に来て働いて良いわよ」
「悪いが、薪ケチる様な所で働きたくないな。金払いが悪そうだ」
「うちはエコなのよ」
言葉の応酬にも全く動じない。面倒だ、本当に面倒だ。露骨に面倒くさい顔を浮かべているだろう私を見て、今度は向こうが動き出した。
そいつが持つ妖力にふさわしい速さで、こっちに突っ込んできた。避けることも出来たが、それもしない。敢えて受け身の姿勢を取り、攻撃を受ける。ただ、そのまま殴られるのは癪なので、私は身体全体に炎を纏わせる。
一瞬の後、身体の芯が大きく揺さぶられるような大衝撃を受け、景色があっという間に横に流れる。そして再びの衝撃とメキメキと竹の倒れた音。あまりの素敵威力に、クラクラしてしまいそうだ。
「あら? 避けないのね。……ひょっとして、そっちの趣味かしら?」
空から声が降って来る。
──あー、痛い。
上を見上げると、月を背負って
──これなら何度か死ねそうだなぁ
紅い目を持つ妖怪がこっちを見て
──こいつに全力出してもいいかな?
面白そうに、
──思わず、
笑ってる。
──笑ってしまう。
口がニタリと吊り上がるのが分かる。間違いなくこいつは強い。あぁ、うん間違いない。こいつなら大丈夫だろう。私より先に死ぬことは無い筈だ。
天に唾を吐くように、私は言葉を吐き出す。
「痛いなぁ。なんて威力だよ」
「ちゃんと痛がるのね。驚いたわ」
「決めた。お前なら全力を出しても問題ないな」
妖力を……いや、私の力を一気に放出する。燃え盛る様に周りの雑草がチリチリと焦げていく。
そんな私を見て、すっ、と目を細める。どうやら向こうも腹を括ったらしい。
「……光栄ね、じゃあお手合わせお願いするわ」
「そうだな。このまま──」
「このままずっと」
「「永遠に!」」
私は地面を思いっきり蹴りつけ、宙へと浮かぶ。そのまま自身を火の玉の様に燃え上がらせ、浮かせた火の玉を相手に叩き込む。それを相手はひらりと躱し、魔力弾を横合いから殺到させる。それを私は焼き払う。
ゴウ、と視界一面に炎が広がり、宙を焼く。一瞬にして水分が蒸発し、視界が熱から逃げ出すようにゆらゆらと歪む。一瞬の後、めらめらと燃える海から飛び出す影一つ。小柄な体躯のそれに、すかさず蹴りをお見舞いしてやる。
激しい音の後、蹴りが止まる。全力で出した蹴りを妖怪はか細い腕一本で止めていた。
妖怪が口を釣り上げて笑う。
「全力ってこんなもの?」
「強がりはやめときなお嬢ちゃん。腕震えてるよ?」
「あなた気づかないかしら? 力の差ってものなんだけど」
「あぁ、ひしひし感じてるよ。弱いのに手加減するの苦手だからね」
「そう。じゃあ、死になさいな」
その言葉と共に相手の小さいのは脚を強引に振り払い、その勢いのままに腕を振るってくる。受けたらヤバいと感じるも、回避出来ずに腕を交差させ咄嗟に防ぐ。
メキメキ、と何かがひしゃげる音と、自身の骨の折れる音を聞きながら、踏み留まる。そして一瞬の後に激痛が体の中を疾駆した。死ぬのや怪我に慣れているといっても、痛みになれる事は無い。……簡単に言って凄く痛い。若干涙目になりつつ、そのままに相手を炎に巻き込む。ついでとばかりに、身体が勝手に折れた腕を回復した。
「燃え尽きな。お嬢ちゃん」
「──っぅ」
唸りを上げた炎は、小さい体を飲み込んでいく。……これで終わりだろう。流石に立っていられる程、私の炎は甘く無い。まぁ、運が良ければ生きてるだろうし、良い運動にはなったかな。
なんて考えていると、不意に炎の中から腕が伸びて来る。咄嗟に後ろにのけぞろうと重心を変えるが、それよりも早く焼けただれた腕が伸びてきて私の顔を掴む。
「良くもやってくれるじゃない。熱くてしょうがないわ」
「おや、ずいぶんとマシな姿になったじゃないか」
「このまま潰されたいのかしら?」
ギリギリと立てちゃいけない音を立てて顔がきしむ。……かなり痛い。こいつ炎効かないのかな? 困ったな。殴ったり蹴ったりしないといけないのか。
しかしまぁ、妖怪ってものはよくわからない。何処にそんな力があるんだろうか。現に私の頭がトマトみたいにぐしゃりと行きそうだし……あー痛い──
「ってかこれじゃ死ぬって!」
そんな声を共に身体を捻り、脚をぶん回す。残念な事に、振り回した脚が当たる前に、妖怪はひらりと避ける。その後、驚いたような表情をこちらに向けてきた。
「さっきから行動と言い、お前、人間じゃないとは思ってたけど。まさか不死身?」
「あん? あー、そうだよ。驚いた?」
「驚いた驚いた。こんな所に生息してるのね。パチェに教えてあげようかしら」
「なんだか知らないけど嫌な予感……」
背中に走る寒気の様なものを感じていると、妖怪が口を開く。悪辣そうな表情で、満月の夜に相応しくない三日月のように口を釣り上げた。
彼女は言う。
「生きることを諦めて、それで尚、生き永らえる。……無様だわ」
──ぞわり、と鳥肌が立つ。
恐怖したんじゃない。寒かったんじゃない。むしろ、身体が一瞬で沸騰した。いや、そうじゃない冷静だ。驚くくらいに冷静に冷静に……怒りを感じている。
あいつは、言ってはいけない事を言っている。あいつは、私の領分に土足で踏み込んだ。
ふぅ、と一呼吸置く。でないと、まともに言葉すらも形にならなそうだったから。
「──お前さ。言っていい事と悪い事ってあるよな」
「さて、ね。少なくとも今は許されるのよ」
「……そうかい」
「えぇ、今は永夜。お前の怒りなんて些事に過ぎない一瞬のお話だもの」
明らかな挑発だ。分かってる。私を乗せて何かをさせたいのかもしれない。……いつもなら、いつもなら流せた筈だ。そう、いつもなら諦めて、諦めて居た筈だ。
もう、届かない事を知った筈だ。諦めるのが賢いと学んだはずだ。何度も何度も分からされてきた筈だ。
ふと、あの子の存在が浮かぶ。なんで、なんで袖引は諦めないんだろうな。種族も、立場すらも何もかも捨てて。あぁ……もう、本当に。
再び、ふぅ、と息を吐く。もやもやと苛立ちが混ざり合って頭がおかしくなりそうだ。……ちょうどいい。全部こいつにぶつけてやる。
ふざけた発言をした相手に気炎を吐く。全てを焦がすように大声を張り上げた。
「なら、永遠に続くこの月夜。終わらぬ恐怖に一生怯え続けろ!」
「今晩は私と踊り続けるのよ。彼女たちが満足するまで永遠にね!」
再び、ぶつかっていく。火を纏い、天を焦がす。草むらはめらめらと燃えて煙が立ち上る。竹がパチパチという音と共に、焦げた匂いを発していく。空を焦がし、煙を巻き上げる。月まで届きそうもない私の煙。うねりを増していく炎はいまだに周辺で燻っていた。
燃やして、死にかけて、燃やす。その繰り返し。
紅い槍が私を貫き、お返しとばかりに相手を炎の渦へと叩き込む。湧き上がる感情も、血も全て蒸発させながら私は進んでいく。
向こうもこちらも終わりは無く、永々と繰り返す。ひたすらに、ひたすらに。
お互いに誰かを待つように、ひたすらに技を繰り返していた。
あぁ、今夜は月が綺麗だ。踊る火の粉で影が揺れる。空を焦がし、大地を焦がし、あまつさえ自身すらも炎に包んでいく。
燃えて、燃えて、尚燃えて。
永い夜に相応しい様に、延々と、永々と、炎々と私は、私自身を焦がしていく。
──燃え尽きることは無いのだから。
という訳で、今回はここまで。
永い夜も、永い話もそこそこにここで一旦の区切りとしよう。……永いのは疲れるからな。
ではでは、次回も
ご感想等をお待ちしてます。