女型の巨人の正体であるアニ・レオンハートは脱出を果たした後、エレンを探し続けた。
調査兵団に捕縛されたあの時はまさに九死に一生だと言える。
正直成功するかどうかはアニ自身にも判らなかったが、あのまま捕縛された状態よりはマシだという理由で敢行した。
そう、自らを他の巨人に喰わせ、その混乱に乗じて脱出を果たす、と言うものだ。
それはエルヴィンやアキラの推察通りだった。
あの巨人の蒸気に紛れ、絶体絶命とも言える状況の中から生還を果たした。
次にするのは空に向けて 緑の煙弾を放ち、周囲の反応を見る。
今アニにできる最善の手はそれしかなかった。迅速に、それでいて慎重に。ただそれだけを考えて行動を続ける。
「………(乗ってこないかそう簡単には。いや まだ判らない。単純に信号が見えなかった、と言う可能性も……)」
巨大樹の中を立体機動装置を使って飛び回る。
最優先目標はただの1つだけ。
――エレン・イェーガーの回収。
その為に今日まで準備を重ねてきた。実行に移す際 この手を血で染め続けた。目的の為に、故郷に帰る為に、 ただ前を進み続けるしかなかった。この残酷な世界で。
そんな中で唯一の計算外だったのが、あの人。アキラの力だった。
「(巨人を素手で嬲る超規格外の力。反応速度、反射速度。頭のキレ。全てが化け物レベル……。巨人以上の力を持ちながら、頭脳明晰って……)悪魔、かよ……っ。いや、多分あの人が悪魔だったんだ。……
思い出すだけで身体の芯が震える。
死闘の最中では こんなに冷静に考える事は出来なかっただろう。
一度は死を受け入れもした。あの人は、呪われた今の生を終わらせてくれる人だと思えた。それと同時に思い出す事が出来た。
――私はまだ死ねない事。故郷に帰らなければならない事。必ず生きて戻らなければならない事。
それは約束。必ず生きて帰るという約束。そのために戦い続けるという覚悟も刻み付けた。蹲るのも泣くのも後悔するのも、全てを終えてから。
「エレンを探さないと……何処だ……?」
周囲に注意を払いながら 進み続けていたその時だった。
『ウオォォォォォ!!!』
突然、雄叫びが聞こえてきたのは。
「……なっ!?」
その地を唸らせ、空気を震わす様な雄叫び。そして 特有の衝撃波。その全てに覚えがある。
雄叫びの方はあの日……壁の中が再び地獄へと変わったあの時。
そう、エレンが初めて巨人の力を使ったあの時に。
そして、この空気を震わす衝撃波は 巨人へと変化した際に放たれる代物だ。強烈な爆発にも似たモノで 近付いただけで命が消し飛ぶ威力がある。
つまり、総合するとエレンがこの森の中で巨人化をした、と言う事だ。
「(エレンか? でもなぜ……。……罠?)」
目的はエレンである為、その位置。どの班に配属されているか、全て慎重に調べた。だが、まるで判らなかった。全ての報告書でエレンの位置だけがバラバラだった。エレンだけではない。リヴァイ班に関しての情報も一切なかった。
だから 強硬手段に出るしかなかった。そして 此処まで来たら こちら側が何を狙っているのか。エレンを狙っている事がバレていない訳がない、と考えるしかなかった。
「……馬鹿か私は。もう考えていても仕方ないんだ。……ただやるだけ。どうにかしてエレンを掻っ攫わないと」
ぐるぐると頭の中で回っていた雑念を全て捨てた。
考え過ぎて、何も出来ないのだけは御免だったからだ。だから 直ぐにその方向へと向かって飛ぶ事が出来た。
巨人特有の蒸気を蒸かせているあの場所へ。
ものの数秒で エレンの巨人化した姿が見えてきた。
そして 更にエレンの足元には無数の巨人の骸があった。
「(……まだ巨人、いたのか。全部引き寄せたと思ってたのに)」
エレンの周辺に巨人がいた事に少なからず驚いた。
自分自身を喰わせて、その隙に逃げる為に この森一帯に届くよう呼び寄せたつもりだった様だ。でも実際の所 エレンの周囲には巨人が転がっているから、声が届かない範囲の巨人が来た……とアニは判断し、そして エレンが巨人化した理由も同時に判った。
「巨人に襲われ、やむを得ず身を守る為に自らも巨人化した……? 若しくは元々巨人化する計画だった?」
「いや違うぞアニ。アレはお前をおびき出す為のフェイク。エレンに執着してる理由は判らんが、目的はエレンだってのは判ってたからな。姿見せりゃ 脇が甘くなるな、って思ったらドンピシャリだ」
「ッッ!?」
アニは、途端に雷に打たれたかの如く、ビクンっ と痙攣を引き起こした。
それも無理はない事だ。慎重に行動し 周囲にも気を配っていた。にも関わらず、背後を取られてしまったから。
だが、これは無理もない事だった。アニの最終目的はエレンの回収。その目的の人物が再び目の前にいる。巨人の群に乗じて脱出を果たし 更に厄介な人物を撒いたとも思っていた。その云わば心の隙が アニの周囲への注意力を散漫にしてしまった結果になったのだ。
そして、この男はそれを決して見逃さない。
「よぉ……アニ。さっきぶりだな」
「っ……、な、なぜ……、なんで此処に……!?」
思考が定まらない。ただただ混乱するばかりの両肩を掴み、アニを正面へと向けさせた。
対面しているのは人類最強と名高い男。……アニ側からすればパラディ島の悪魔そのもの。
「お前が逃げてるのが見えた。それだけで説明にならねぇか?」
「…………」
アニは、それだけで説明になるか! と口に出しかけたが何とか飲み込む。あの大量の蒸気。アニ自身その中を移動していたからよく判る。濃い蒸気は完全に覆い隠してくれていた事を。どんな視力をしていたら見える様になるのか皆目見当さえつかなかった。でも、この目の前の男なら。……この悪魔なら、出来ないとは言えない。
そして、気が付けばアニは周囲を囲まれていた。リヴァイ班。巨人殺しに特化した班のメンバーに。
「……私の、負けだ。殺しなよ。……私は沢山殺した。貴方の仲間達を沢山殺した。例え殺されたって文句は言えない」
アニは 力なく両手を上げた。
それは傍から見れば完全に降伏している様に見えるだろう。
でも、アニやエレンは違う。どんな体勢からでも巨人になれる。一度巨人になれば、その時に発生する衝撃波。熱風で一気に蹴散らす事だって可能だろう。
だから、普通は近付くだけでも危険極まりない行動だ。……だがそれはアキラ以外の者が行えばの話だ。
戦いの最中にも生への執着。約束への執着。執念をアニは見せた。最後の最後まで戦い抜いた。それだけの覚悟も持っていた。
でも、もうアニには無理だった。
全身全霊を込めた一撃も。長い戦闘時間も。アキラの姿を見て全ては無意味だったと気付かされるのには十分過ぎたから。
所々傷は負っている様だが、かすり傷の様なものにしか見えない。全力の蹴りで血が出たのを確認したが、もうそれが何処の傷なのか判らない。
これらを総合させると、アキラは巨人並の回復力もあるという事だ。
それらは アニ自身の心を折るのには十分すぎる一撃だった。或いは相手がアキラだったからなのかもしれないが それを知るのはアニの心の内のみだ。
だからこそ 何度目か判らない死を覚悟したが、アキラの返答は考えていたのとまるで違った。
「馬鹿野郎。誰がお前を殺すか。……なんだ? オレに教え子殺せってか?」
そう、この期に及んで殺したくない、と言っているのだ。
「……なんで そんな事言ってるんですか? 私は敵。……人類の、敵。教え子である前に敵なんですよ。……貴方は、巨人に情けをかける様な人じゃない」
「んなこたぁー判ってんだよ! さっきからずっとずっと頭ん中ぐるぐるしてんよ! クソが! 判ってんだ。巨人ってヤツがこの世界の敵って事くらい。ここに来たその時からずっとな! ああクソ、判ってんだよ! ……だがな、今のお前はどう見たって巨人に見えねぇってんだよ!」
アキラは、がしっ、がしっ、と頭を掻き毟る。
アニは その表情に葛藤を確かに見た。
これだけ大量に殺しをしたのにも関わらず。アレだけ仲間の死を嘆き、前へと進むと道標を示した男が迷っている。
そして、同時に――目の前の悪魔の唯一の弱点を、見た。それは珍しくもない。人であれば誰しもが大小持っている
「あぁ……クソ。クソ」
更に数度掻き毟った後 アキラはリヴァイの方を向いた。表情は 虚ろ……とまではいかないが明らかにいつものそれではない。
「リヴァイ。オレがアニを連れてく。それで良いだろ? 打ち合わせ通りだ」
「………ああ。許す」
リヴァイの了承を得たアキラは、今度はその後ろにいるぺトラに言う。
「あんがとさん。……んで、ぺトラは睨むな。決まった事だろ。寧ろオレがやるしかない。エレンの巨人化の時みたいな熱風。至近距離で、更に生身で受けりゃ速攻でこんがり肉だ。いや、……焦げ肉になる」
「……判ってる。判ってるんだけど……。…………」
目の前の娘…… アニ・レオンハートの事はぺトラも知っている。
アキラと共に訓練兵を見てきたからよく知っている。あの104期の中でも特に優秀だった者達の内の1人。特に面倒を見た、と言える訓練兵達。あの時のアキラは文句はいいつつも笑顔が多かった。―――だから、それを見ているからこそアキラの葛藤も痛い程判った。
でも、ぺトラの場合、それよりも仲間達が殺された怒りの方が勝っていた。
目の前のアニが人間には見えない。……巨人にしか見えない。だからこそ、報いを受けさせたいと言う想いが前面に出た。その次に大きいのがアキラだ。力を使い過ぎて 今どうなるか判らないというのに、巨人になれるアニを連行する役目を果たすという大役を自ら選んだ。
手足を縛り、猿轡を嵌め、身動きも自傷行為も取れない様にして連行する……と言う手を考えていたのだが、アニの巨人化のトリガーがまだ正確に判明していない事。エレンを基準に考えすぎるのは危険である事、と却下されてしまった。
つまり、耐久度もずば抜けているアキラしか適任者がいないという現実にも苛立ちを感じてしまうのだ。自分自身への怒りが。
いつものこういう場面では アキラがケラケラと笑いながら自分が大変な場合でも楽観的になって力を抜かせてくれるフォローをする……と言うのが常だが、今のアキラにはそう言う余裕は無かった。
あの後。いつものアキラとリヴァイの口喧嘩の後。唐突に告げられた。
『女型の巨人の正体。お前それをもう判っているな?』
その後から、アキラの表情から笑みは消えた。
いや、元々何処か無理をしている……と言うのには気付いていた。でもそれは長く戦った事の代償……程度にしか考えていなかったのだが蓋を開けてみれば想像を遥かに超えるものだった。
その後、アキラはアニの身体を自分自身に縛った。自分から逃げられない様に、と。
仮に巨人化爆発したとしても 被害を最小限に抑える自信がアキラには合ったからの行動だ。極限まで集中したアキラは 爆発するその一瞬の機微をも読み取る事が出来る。エレンとの訓練でもそれなりに出来る様になったから。
そして これがいつもの馬鹿な光景だったらどれだけ幸福か、とぺトラは思う。
ただの馬鹿な提案。アニを守る為に 自分にくっ付いてろ! と言う作戦とかであれば、イルゼやぺトラが盛大に睨みを効かせて 実力行使でやめさせて終わり。その後はいつもの日常が始まるだけだ、と。
だが、これは違うんだ。
確かに最大の目的である壁中の敵の炙り出しには成功した。被害は被ったものの、間違いなく成功だと言える。死んでいった仲間達の手向けにもなる。でも、変わりに失ってしまった。
どれだけ覚悟を決めていても やはりきついものはきつかった。
相手が仇であっても……やはりきつかった。
「アニ。とりあえず暫く大人しくててくれ。なに いつもみてぇにオレの事睨んでりゃ良いよ。馬旅の間……あの時の馬鹿話の1つや2つして過ごそうや。……それだけで、とりあえずは退屈しねぇよ」
「…………」
さてさて……、ここでアニちゃん捕まえちゃったら、街内大乱闘は阻止出来て、教会の可哀想な人達の結末も変えれました……が、同時に壁の中に住んでる? 大きな人たちをどーやって 外に…… 日光に晒そうかなぁ と新たな難関が発生しております……。
更にミカサの格好いいセリフも、妙に色っぽかったアニの笑みも、ぜーんぶカットしちゃったです………… m(__)m