エミヤ一家のカルデア生活   作:カヤヒコ

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季節感ガン無視の、シトナイのバレンタインイベントの後日談的なお話です。

疑似サーヴァントは依り代と英霊のバランスが難しいと改めて思う今日この頃。


シトナイの長い半日(バレンタイン編)

case1.聖杯の端末

 

 

カチャリ、と。

 

机に置いたティーセットの鳴らした音が、いやに耳についた。

 

 

 

 銀髪の少女――を依り代にしたサーヴァントのシトナイは、机の下で両足を揺らしながら、どこか落ち着かない様子で食堂を見渡していた。挙動不審だが、彼女を見止める者はいない。

 

 なにせ今日はバレンタインデー。作法は各国で異なっているが、カルデアではマスターに合わせてお世話になった人にチョコ諸々を渡す日本スタイルを採用している。既に昼過ぎだが、チョコ完成に向けてラストスパートをかけている職員やサーヴァントでキッチンは騒々しくなっていた。

 

 

 約束の時間ぴったりに扉が開き、2人の人物が入ってくる。1人はいつも通りの格好をしたマスター。もう1人は、やや露出の多い白のドレスに身を包んだ、銀髪赤目の美女。丁度シトナイをそのまま成長させたような外見であった。

 

 マスターはシトナイを見つけると、女性の手を引いてこちらまでやって来る。

 

「時間通りだね」

 

「ええ。今日は忙しいでしょうに、わざわざありがとう」

 

「ま、道すがら案内しただけだしね。それよりもこっちが……」

 

言いながらマスターは女性を促し、一歩前に進ませた。シトナイは改めて同じ赤い目と視線を合わせ――胸の内から湧いてきたのは、覚えのない愛情。思わず言葉に詰まる彼女に、女性は口を開いた。

 

 

「こうして面と向かって話をするのは初めてかしら」

 

 整った顔立ちに浮かぶ表情は戸惑いと嬉しさが等分で。

 

 

 

「キャスターのサーヴァント、天の衣よ。アイリスフィールって呼んでちょうだい」

 

 

 

 

 

 2人を引き合わせて、すぐにマスターはどこかへ去っていた。カルデアに召喚されたサーヴァント全てにチョコを渡すのが毎年の恒例のため、この日はいつもに増して多忙を極めている。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 注文した紅茶を前に、しかしシトナイは口を開かない。言いたいこと、聞きたいことは声になる前に音が抜けてしまう。

 

 複合神性サーヴァント(シトナイ)としての自分は天の衣の疑似的な神霊とでもいうべき在り方に興味を抱き、肉体(イリヤスフィール)としての自分はアイリスフィールを痛切に求めている。好意の温度差は、気を抜けば霊基が崩れてしまいそうになるほど。

 

 これでは茶会に招いた側として失格だと、シトナイは気合を入れ直した。

 

 

「改めてこんにちは。急なお願いだったのに、来てくれてありがとう」

 

「ふふ、そんなにかしこまらなくてもいいわ。他でもない貴女の頼みだもの」

 

 背伸びした子供を微笑ましく思うような笑みだった。幼子として扱われるのは少し不満で、でも嬉しくて。

 

 「貴方のことは、なんて呼べば良いかしら?」

 

「…………シトナイ。私は女神の複合体だけど、一番強く表に出てるのはシトナイだから」

 

「…………むぅ」

 

 不満そうなアイリスフィールにちょっと揺らいだが、呼んでもらう名前は事前に決めていたことだった。自意識はシトナイにある以上、もう1つの呼び名は不適だと思ったからだ。依り代と、あの恥ずかしい格好をしたイリヤスフィールへの配慮もある。

 

 

 「その………良ければこれ、食べてくれる?」

 

 

 おずおずと差し出した紙袋の中に入っていたのは、拳大の丸いホワイトチョコ。ふと思い浮かんだ人たちに気まぐれで作ったが、そのままお蔵入りしようとしていたものだ。

 

 不格好ではないだろうか。口に合うだろうか。そんな神霊らしからぬ不安と焦りを今更ながら覚える。

 

 

 

 

「――――ありがとう。本当に、本当に嬉しいわ」

 

 

 

 アイリスフィールは紙袋を胸に抱く。世界中のあらゆる宝よりも、これには価値があるのだと言うように。

 

 

「私の中に、この子の意識は殆ど残ってないわ。だから、そのチョコも本当は……」

 

「関係ないわよそんなの。依り代を許しているくらいだもの、あの子はシトナイちゃんを認めてくれてるわ」

 

 頭を撫でられる。抱いていた不安は杞憂になり、温かな喜びがシトナイの胸を満たした。

 

「私からもこれをどうぞ」

 

 言いながら差し出されたのは、綺麗に整えられたホールサイズのチョコレートケーキ。

 

「いいの?」

 

 

 ケーキに添えられた2つの人形を見れば、それが誰に向けて作られたのかは一目瞭然だ。本当の意味で娘ではない自分にその資格があるのかと、シトナイは遠慮がちな視線を向けた。

 

「勿論。折角作ったんだもの、是非味の感想を聞かせてね」

 

 慈愛に満ちた笑顔で、逆にじっと見つめられる。

 

「…………」

 

 見つめられる。

 

「…………」

 

 キラキラとした期待に満ちた瞳で見つめられる。この場で食べる以外の選択肢はなさそうだ。

 

 

「じゃ、じゃあ、いただきます」

 

「はいどうぞ。食べながら、貴女のお話を聞かせてね」

 

 

 互いの間に横たわっていた緊張は、雪解けのように消えていて。

 

 

 いつかどこかであったかもしれない、ありふれた母子の光景がそこにはあった。

 

 

case2.赤いフードの暗殺者

 

 

 とりあえず宝具を解放した。

 

 

吼えよ我が友、我が力(オプタテシケ・オキムンペ)!」

 

 

 威力は抑えてあるが、神霊サーヴァントの宝具である。白銀の瀑布は瞬く間に部屋を呑み込み、極寒の世界へと変貌させた。

 

「…………」

 

「っと。こんにちは、アサシンさん」

 

 部屋の惨状とは対照的に、軽やかなステップを踏んで入ってきたシトナイは、無邪気な笑顔で挨拶をした。部屋の主は当然ながら臨戦態勢。銃口をシトナイに向けて、油断なく間合いを図っている。

 

 慌てた様子で割り込んできたマスターが事情を説明して、ひとまず一触即発の状況は回避された。

 

 

「何の用だ」

 

 それでも警戒は維持したまま、アサシンは問う。

 

 「特にはないよ。ただ、貴方とお話してみたくて。居場所がわからないから、マスターさんに協力してもらったの。……あ、品のないノックでごめんね。この身体()がそうしろって言ってたから」

 

 微笑を湛えたまま、アサシンを値踏みするように見つめるシトナイ。近くにあった椅子を寄せて座ると、こんな風に切り出した。

 

「ねえ、貴方のお話を聞かせてくれない?」

 

「…………僕のだと?」

 

「そ。貴方がどんな軌跡を辿って守護者(そこ)に至ったか。……ううん、守護者に(そう)なる前の貴方がどんな人間だったのか」

 

「……僕は名も無い人間たちの代表として、サーヴァントになっている。一個人のパーソナリティーを探ることは無意味だ」

 

「それでも基になった人はいるはずでしょう? 貴方はまだそれを無くしていないはずよ」

 

「……何を根拠に」

 

「勘」

 

 言い切ったシトナイは無言で徹底抗戦の意を示す。紅玉を思わせる赤い瞳に見つめられると、どうも居心地が悪い。身に覚えのない感情がアサシンの胸中をかき乱す。

 

 

 冷戦の末、白旗を挙げたのはアサシンだった。

 

 

 

「…………衛宮切嗣。かつての僕だった男の名前だ」

 

「ええっと、キリ継ぐ。キリ嗣。切ツグ。キリツグ。……うん、キリツグ」

 

 名前を噛み締めるように少女は呟いて、可憐な面持ちを綻ばせる。その笑顔にどんな意味があるのかはわからなかったが、アサシンにとって少なくとも不快ではなかった。

 

「まあいっか。今日はこれで勘弁してあげる」

 

「また来るのか……」

 

「当然。あとこれ、貴方にあげる」

 

 シトナイが差し出したチョコを、アサシンはごく自然に受け取った。

 

「……意外。警戒されると思ってた」

 

「3人目ともなれば警戒するだけ無駄だとわかるさ」

 

「……3人目?」

 

「? あの子たちと一緒に用意したんじゃないのか?」

 

 

 比喩ではなく、空気が凍った。

 

 

 部屋を見回すと、机の上に可愛らしくラッピングされたチョコレートが2つ置かれていた。メッセージカードも添えられていて、好意が伝わる文面が綴られている。

 

 

「…………………………ふーん。貰っただけならまだしも、あんな似ても似つかないのと同じ扱いするんだ」

 

「……っ」

 

 思わず後ずさるアサシン。何故だろう、サーヴァントとしての霊格とか戦闘力とは別の部分で、この少女に勝てるビジョンが浮かんでこない。戦場で時折起こる理不尽な幸運(聖杯の寵愛)も、今回は味方してくれそうな気がしなかった。

 

 底冷えするほど綺麗な笑みに呼応するように、廊下までもが霜で覆われていく。

 

 

「ちょっとお仕置き、だね」

 

 

case2,5.豹めいたナニカと赤い背中

 

 

 それは、既知にして未知との遭遇であった。

 

 

「いやぁぁあああああああああああ!!」

 

 誰にも聞かせたことのない本気の悲鳴を上げ、雪の少女は白熊に乗って廊下を爆走中。その背後から、虎の着ぐるみに身を包んだ女性が追いかけていた。神霊サーヴァント(シトナイとしてはあれと同じカテゴリーにされるのは甚だ心外であるが)のジャガーマンである。

 

 

 

 何故か片手に、ブルマと呼ばれる体操着を持って。

 

「弟子EX号も悪くはないんだけどニャー、やっぱバイオレンス&ジェノサイドが足りないZE! ってな訳で、観念してこれを着るのだ!」

 

「絶対イヤ!! 私をそっちに引きずり込まないで!!」

 

「フハハハハハ!! 悠久の時を越え、今こそ師匠とロリブルマは蘇る! 最早我らは道場に収まる器ではない、時代はユ~ニヴァァァス! 女の魅力溢れる謎のヒロインJ&Bとしてマスターを人理の危機(バッドエンド)から救うのニャ!!」

 

 

 訳が分からない、恐らくジャガーマン本人もよくわかっていないワードがガトリング砲の如く吐き出され、パンドラの箱めいた危険な記憶の蓋が開きそうになったシトナイは、白熊シロウの腹を叩いて速度を上げる。構図は残機ゼロで挑む縦スクロールのシューティングゲーム。一度でも捕まって撃墜されれば、摩訶不思議な謎(ギャグ)時空にご案内されることは想像に難くない。女神の威厳などどこぞの自爆宝具持ちの精霊種並みに暴落する。

 

 

 

「その辺にしておきたまえ」

 

「んぎゅるっ!!」

 

 不意に背後から聞こえた男の声と、息を詰まらせるジャガーマン。シトナイが振り返ると、赤い外套を着た青年が腕を伸ばし、ジャガーマンの首根っこを掴み釣り上げていた。逃げるのに必死ですれ違ったことに気づかなかったらしい。

 

 

「HA・NA・SE!! いやマジで離してせめて地に足を着けさせてエミヤ君。ちょっと気道ががが」

 

「時代はユニバースなのだろう? これを機に宇宙遊泳にでも挑戦してみてはどうだね。ケツァルコアトルなら喜んで協力してくれるだろう」

 

「それ別の宇宙が見えるヤツニャー!? 麗しき密林の女神に対してなんたる仕打ち! 私はキミをそんな子に育てたつもりはありませんぞよ!」

 

「………………………………………………面倒を見ているのは、私の方だと思うがね」

 

 

何とも言い難い表情を浮かべて、エミヤは腕を下ろした。ゲホゲホと咳き込むジャガーマンであったが、エミヤが夕飯のことを伝えるとあっさりと機嫌を直して去っていく。「ロリブルマを諦めんぞー!」という、頭の痛い捨て台詞を残して。

 

 

「はあ、はあ…………ありがとう、アーチャー」

 

「偶然通りかかっただけさ。それに、あれに下手に暴れられると色々と厄介だからな」

 

 

 肩を竦めたエミヤは、シトナイが腰に下げている紙袋を見つける。

 

「……順調かね?」

 

「んー、そうね。マスターさんが協力してくれるから」

 

「……そうか。まあ頑張りたまえ」

 

 常よりも眦の下がった、温かい眼差し。それが紙袋に注がれていることに気づいたシトナイは、悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 

「ふっふーん。ひょっとして貴方も欲しいの?」

 

「む、いや私は別に」

 

「しょうがないなあ。今は持ち合わせがないけど、後で作ってきてあげる」

 

「だからその必要はないと」

 

「その代わり」

 

 途中で言葉を切ったシトナイはエミヤに背を向けた。一呼吸挟んで紡がれた言葉は少し震えていて。

 

 

「ホワイトデー、だっけ? お返し、ちゃんとしたものじゃないと許さないから」

 

 

 艶やかな銀髪の隙間から、仄かに赤く染まった耳が覗く。素っ気ないそれが遠回しなおねだりだとエミヤが気づくのに、たっぷり十秒かかった。

 

「…………分かった。オレに出来る限りで返礼させてもらうとしよう」

 

「ん。よろしい!」

 

 振り向いたシトナイは両手を腰に当てて、時折見せる自慢げな笑顔。それを見たエミヤの目つきが細くなる。瞳に映る感情の色は複雑で、シトナイにも簡単には読み取れない。

 

 

 基になった人物の間で結ばれた特異な縁は、サーヴァントになったことでより複雑なものとなっている。お互いそれは察しているが、敢えて口にせず、友好的な味方程度の距離感を崩していない。

 

 薄皮一枚を隔てての知らない振りは、余人の目には滑稽に映るだろう。それでもシトナイは、今の関係が気に入っている。彼の側から切り込んで来ることはそうそうないだろうが、ふとした拍子に見せる素顔はお気に入りなのだ。

 

 

「じゃあ私は行くね。…………あ、そうだ」

 

 

 去り際に別の気配を感じ取ったシトナイは、彼の言葉に紛れた嘘を指摘した。

 

 

「心配だからって、レディを付け回すのは感心しないかな。気配遮断もなしだと流石に気づくよ?」

 

「!」

 

 

 エミヤの珍しくばつの悪い顔に心が暖かくなるのを感じながら、銀の女神は次なる相手の下へ走っていった。

 

 

 

 エミヤからその後ろ姿が見えなくなった後、彼は通りかかった魔法少女たちと二人の女神に先の発言について詰問される羽目になったのは余談である。

 

 

case3.無銘

 

 

 

 マスターに教えてもらったシミュレータールームの一角に足を運んだシトナイが目にしたのは、崩壊した近代都市だった。パチパチと何かが小さく爆ぜる音と、鼻を衝く血と硝煙の臭いまでリアルに再現された空間にシトナイは嘆息する。

 

「そういえば、状況まで注文は付けていなかったけど」

 

 だからってこれはない。マスターには『彼』をシミュレータールームに放り込んでおいてくれとは言ったが、彼の得意とする戦場を考えれば、こうなるのは必然だっただろう。

 

強い魔力反応と轟音を標に進んでいくと、次第に肌がひりつくような感覚に襲われる。しばらくして見つけた目的の人物は、大量の自動人形(オートマタ)を相手にしていた。

 

 

「…………」

 

 腰を下ろし、シトナイはその様子を眺める。

 

 

 雲霞の如く押し寄せる自動人形。人体の駆動域を無視した動きで四方から迫りくるそれらを、黒い肌の男は刃付きの二丁拳銃で排除していく。

 

 一切の無駄を排した身体捌きで躱し、撃ち抜き、両断しする。人相手に特化した殺戮機構に狂いはない。避けきれない攻撃も、急所でなければ問題ないと言わんばかりに受け入れ、反撃で人形達を粉砕していく。最も、その受け入れた攻撃でさえ、人体とは思えない剣戟染みた甲高い音(・・・・・・・・・)と共に弾かれるのだが。

 

 

 そうして特に波乱もなく殺劇は幕を下ろす。自動人形が物言わぬ残骸の山になったのを確認した男は、背後のシトナイに銃を向けた。

 

 

 焦点の定まっていなかった瞳が、戦士のそれに切り替わる。

 

 

「誰だ、アンタ」

 

「……初めまして、名無しさん。私シトナイっていうの」

 

 胸に走る痛みは表情に出さす、シトナイは目の前の男――エミヤオルタに微笑んで見せる。同時に用意していたシミュレーターのプログラムを起動させ、マスターとチョコをやり取りしたログハウスへと景色を変えた。

 

 

 先手必勝とばかりに、シトナイはチョコを差し出した。変に勘ぐられる前に言葉を重ねる。

 

 

「バレンタインのチョコレートよ。マスターさんからも貰ったんでしょ?」

 

「――――ああ、アレは今日の話だったか。なら聞いているだろうが、オレに味覚はない。そんなものを渡されたところで資源の無駄だ」

 

「なら捨ててもいいわ。いいから受け取りなさい」

 

 白い手が黒い腕を取り、無理矢理に紙袋を握らせる。オルタからの抵抗は無かった。

 

 

 紙袋をまじまじと見つめたオルタは苦笑する。

 

 

「サーヴァントのアンタに返せるもの、というのも思いつかんな。何を望む?」

 

「私からそれを言ったらお返しにならないでしょう」

 

「さっきまでそこにあった鉄屑共の同類にそれを求めるのは酷だと思うが?」

 

「いいから次会うまでに考えておきなさい。出来てなかったらバーサーカーをけしかけるんだから!」

 

 

 最後に洒落にならない脅しをかけて、シトナイは立ち去った。

 

 

 2人がすれ違う、その瞬間。

 

 

「またね、シロウ」

 

 

 ふわりとなびく銀の髪から、清廉な森の気配をイメージさせる香りが漂った。

 

 

 

 視覚、聴覚、嗅覚の3つが受け取った情報が、錆びついた記憶を刺激する。刹那の間クリアになる思考。

 

 

「…………イ、リ……―――?」

 

 

 呟きは淡雪のように。3文字の名前は、意味を成す前に溶けて消えた。

 

 

 

 

「これで五回目、か」

 

 

 シミュレータールームを出たところで、シトナイはポツリと呟いた。

 

 

 シトナイがオルタと会うのは、実は初めてではない。もう五回、シトナイとオルタはこういった初対面を繰り返している。戦闘以外の人体のあらゆる機能を削ぎ落した彼は、最早記憶さえ混然としていた。去り際に呟いたあの名前も、次に覚えているかは怪しいところだ。

 

 

 偶然を装ったり妖艶な態度で誘ったり、バーサーカーと共に襲撃を掛けたり(この時はジャガーマンやタマモキャットの同類と認識されて本気で落ち込んだ)と色々と試してみたが、全て徒労に終わっている。

 

 

 それでも、今のシトナイは小さな期待を抱いている。在り方が大きく変貌しても、その根底には根付いているものがあるはずだから。チョコのお返しを次の機会にしたのは、なんだかんだと律儀な彼なら覚えてくれているかもしれないかいから。

 

 あの名前を思い出すことがなくとも、シトナイとして新たに縁を結べるのならそれも悪くない。

 

 

 苦笑か、呆れか、はたまた辟易か。『再会』の時に浮かべる彼の表情を想像して、女神は小さく微笑んだ。

 

 

 

case.EX 天の■■

 

 

 

「うーん……」

 

 一通り訪ねた後の夜更け、シトナイは悩んでいた。目の前には自分が作ったホワイトチョコがひとつ、机の上に鎮座している。

 

 アサシンに渡した分なのだが、怒りに任せて思わず取り上げてしまったので、ひとつ残ってしまったのだ。

 

 気は進まないがもう一度訪ねるか。或いはあの甘味好きなヤマトの鬼にでも渡してしまおうか。きっと表情を輝かせた後、威厳がある風に取り繕うのだろう。そんな微笑ましい様子が見られるのならと、悩んだ末にシトナイは自室を飛び出した。どちらに渡すかは、道すがら決めればいい。

 

 

 無機質な内装に変化はないが、時刻は既に夜。今日一日カルデア中を包んでいた甘い匂いも薄れている。人の気配が途絶えた廊下をシトナイは駆けて行き、

 

 

 

 

「おやおやこいつは珍しい。麗しき北欧の女神様がどちらまで?」

 

 

 T字路になっている廊下の曲がり角の先から、軽薄な男の声を聞いた。

 

 足を止めたシトナイがそちらに視線を向けると、うっすらとした影が床に映っている。

 

 

「……珍しいのは貴方でしょう。いつも外を眺めることしかしてない癖に、今日はどういう風の吹き回しなの?」

 

「単なる気まぐれさ。さっきマスターにチョコ貰ってな。滅多にない機会だし、ついでにちょっと中を見てみたくなったワケ。ったく、名高き英霊サマがどいつもこいつも浮かれてたったらありゃしない。つかさー、チョコにしろお返しにしろ皆様気合い入り過ぎじゃないですかね。まあ俺ってば最弱のサーヴァントですし? プレゼントもそれ相応にしみったれた代物がお似合いですけども?」

 

 呆れるように影は言う。どこか子供っぽい口調が拗ねているように聞こえたのは気のせいだろうか。

 

 

 なにせシトナイがこのサーヴァントの気配を感じた時は心底驚いたものだ。  

 

 悪を以て人類を肯定する反英雄の極致であり、最『悪』の悪魔。しかしそのご大層な名前に反して、ロクな力を持たない自他共に認める雑魚である。その弱さの原因は、この影が現界している姿なのだが。

 

 

「まあ、貴方がカルデアに喚ばれるなんてその姿くらいのものでしょうけど。でも随分と気に入ったのね、その(カラ)

 

「んな訳ねえだろ。二度とゴメンだったっつうの。着心地最悪の着ぐるみみたいなモンだぜこれ」

 

 心底イヤそうにそう吐き捨てる影の心情を、シトナイは少し理解できる。

 

 この男の状態は、ある意味シトナイ達のような疑似サーヴァントに近い。孔明のように意図的な区分けをしない限り神霊といえど依り代の影響を受けてしまう。大抵は相性の良い依り代が選ばれるが、それが当てはまらなければ嫌いな相手に人格が歪められる羽目になるのだ。

 

 

「その様子だと、渡すかどうか悩んでる感じか?」

 

「……そんなところよ。女神がこんな真似、似合わないかしら?」

 

「いやいや大いに結構だと思いますよオレは。感謝とか好意を示す機会ってのは貴重だぜ。なにせ放っときゃ勝手に悪い方に解釈して切り捨てる生き物ですからね人間は! 露骨にお膳立てされようが、ちゃんと言いたいことは言っとくべきだ」

 

 今のアンタは女神だけどな、と余計な一言を付けて影は笑った。

 

 

 シトナイは止めていた歩みを再開し、影とは逆の方へ曲がる。後ろを見ないまま、ゴミを放るようなぞんざいさで紙袋を投げた。

 

 

「余っちゃったから、それあげるわ」

 

「え、この流れでオレに?」

 

「折角の感謝を伝える機会だもの。もう一度作り直して、良い出来のものと一緒に言いたいでしょ」

 

「うわひっでえゴミ処分かよ。そこはこう、ちょっと恥ずかしがるくらいの可愛げとかさあ」

 

 戯言を無視して離れていくシトナイ。次に会うのはいつか分からないが、特段惜しくないし話すこともない。この男は本来、カルデアにいていい存在ではないのだから。下界を眺め続けた悪魔が、空を仰ぎ見る星見台にいるというのは、中々に皮肉が効いているとは思うが。

 

 

 

 声が届くギリギリの距離で、いつかの4日間で完結する箱庭の再現のように。

 

 

 

 最後に一言だけ問うた。

 

 

「ねえ、ここは楽しい?」

 

 

 

 

「………退屈だよ。思わず欠伸が出ちまいそうだ」


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