シンデレラガールズ・オブ・ザ・デッド   作:電柱保管

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「うーん、やっぱり電波来てないかあ」

「アンテナのほうに問題があるのかもしれませんね……」

 

 小梅が応えると、奈緒は眉根を寄せ、テレビのリモコンでこめかみのあたりを掻いた。

 

「ラジオとかもなかったし、やっぱ今のところ外の様子はわからないか……」

 

 肩を落とした奈緒に目顔で応じると、小梅は背後から聞こえてきた物音に振り向いた。

 

「よいしょ、っと。うん、こんなもんか」

 

 未央がちょうどテーブルでドアを押さえつけているところだった。ひと仕事終えた未央は、深く息を継いで額の汗を拭う。

 

「大丈夫でしょうか? これで……」

 

 未央の横で、不安そうなまなざしをドアにそそいだのは卯月。

 その肩を凛がうしろから叩いた。

 

「これだけやれば充分じゃないかな。向こうからドアを破られることはないよ、きっと」

 

 ドアの前には、先に運ばれていたソファにくわえ、テーブルや小型のキャビネットが積み上げられていた。

 三人がかりで取り組んでいた作業も、どうやら一段落ついたようだ。

 

 救助を待つ。

 

 そう決めたものの、ただじっとしているのはやはり不安だった。

 

 だから小梅たちは誰からともなく腰を上げ、今できることを探し、その作業に没頭していたのだ。奈緒はテレビの修理、未央たちはバリケードの強化、そして小梅は部屋の探索。

 

 小梅は時計を確かめる。まだ午後九時を少し回ったところだった。動きだしたのが八時半ごろだから、それからまだ三十分ほどしか経っていない。……夜は嫌になるほど長い。

 

「なんとか映るようにならないかなあ」

 

 テレビの裏側をのぞきはじめた奈緒を尻目に、小梅は部屋の端に置かれた冷蔵庫へ向かった。中からさっきの探索で見つけておいたものを取り出し、未央たちを労いに行く。

 

「お、お疲れさまでした……。あ、あの、これ、よかったら……」

 

 小梅が差し出したのは栄養ドリンクの小瓶だった。千川ちひろがいつか差し入れてくれたものだ。

 

「おっ、スタドリか。サンキュ」

 

 小梅からドリンクを受け取ると、未央はさっそく蓋を開けて瓶を傾けた。

 

「……ふぅ。生き返るわぁ」

 

 満足げな未央に微笑みかえし、小梅は体の向きを変えた。

 

「卯月さんと……り、凛さんも、ど、どうぞ」

「わあ、ありがとうございます」

 

 屈託のない笑顔で瓶を受け取る卯月。

 

 対して凛のほうは――。

 

「……ん。ありがと」

 

 そっけなく瓶を受け取ると、すぐに小梅に背を向けてしまった。

 

 それだけで小梅は、なぜか申し訳ないような気持ちになってしまう。ありがた迷惑……だったかな。

 

「小梅ー、アタシも一本もらっていい?」

 

 呼び声に振り返ると、いつのまにか冷蔵庫の前にいた奈緒が、栄養ドリンクの小瓶を顔の横で振っていた。

 

「あっ、は、はい、もちろん」

 

 返事を聴くやいなや、奈緒は小瓶の蓋をひねり、ドリンクをあおった。

 

「……プハッ」

 

 半分ほどをひと息に飲みくだした奈緒が、しかめっ面で窓を見た。

 

「しっかしまさか、こんな時間まで事務所にいるハメになるとはなあ」

 

 小梅もつられて窓へ目をやる。

 

 空はすっかり闇に覆われていた。

 

 外はどうなっているだろうか。

 

 テレビ中継で少し見ただけでも、()()が大変な勢いで増殖していることは容易にうかがいしれた。今はさらに数を増していることだろう――彼らはきっと、夜の闇の中でこそ活発になるのだから。

 

 だとすれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。

 

 ぼんやりとそんなことを考えていた小梅の視界に、ふと小さな人影が映った。

 

 カーテンを握りしめ、不安げな表情で窓から庭を見下ろしている少女――幸子だ。

 

「……」

 

 少し悩んだあと、小梅はドリンクの瓶を手にゆっくりと幸子へ近づいていった。

 

「なに……見てるの?」

 

 ためらいがちに声をかけると、幸子はびくりと肩を震わせた。

 

「こ、小梅さんでしたか……。い、いえ、別になにも……」

 

 振り向いた幸子は、あからさまに笑みを取り繕っていた。痛々しくて、小梅はつい幸子から目をそらしてしまう。

 

 小梅たちが忙しく動きまわっているあいだからずっと、幸子はひとりで窓の外を――庭を徘徊するゾンビたちを眺めていた。

 

 もちろん、ただ退屈をしのいでいたわけではなかろう。幸子がどんな気持ちで彼らが占拠する庭を見下ろしていたのか、小梅にだって想像くらいつく。

 

 ほかのみなもそうなのだろう。だから誰も幸子を作業に誘わなかったのだ。けれど……。

 

「幸子ちゃん、これ……」

 

 幸子に向けて栄養ドリンクを差し出した小梅は、背中にみなの視線を感じた。口には出さずとも、みんな幸子のことを気にかけているのだ。

 

「飲んで……。幸子ちゃんの分、だから」

「はい……ありがとう、ございます」

 

 幸子は案外素直に小梅からドリンクを受け取った。

 

 しかし両手で瓶を握ったままいつまでも口をつけようとせず、そのうちに幸子の顔はまた窓のほうを向いてしまう。

 

 そんな姿を小梅は見ていられなかった。

 

「……外はあんまり見ないほうがいい……と思う」

 

 幸子はいたずらをとがめられた幼子のようにまたびくりと身をすくめた。

 

「え、ええ……そ、そうです、よね……」

 

 ぎこちなくうなずいたものの、しばらくすると幸子はやはりチラチラと窓を気にしはじめる。

 

 小梅は急に、そんな幸子が不憫に思えてきた。

 

 幸子を責めたって、なにも解決しない……。

 

「……ごめん」

 

 消え入るような声でつぶやき、小梅は前髪のうしろに隠れた。

 

 ……幸子のことは、しばらく放っておこう。小梅はそっと幸子から離れた。

 

 とぼとぼと戻ってきた小梅に声をかけたのは、未央だった。

 

「ね、ねえ、小梅ちゃん、ちょっといいかな?」

 

 妙に明るい声なのは、幸子とのことを察して、気を遣ってくれているのだろう。

 

「……はい、なんですか?」

 

 小梅も精一杯表情を取り繕って応じた。

 

「えっとさ、これどうしようかって話してたんだけどさ……」

 

 未央の手には平たい缶の箱があった。中身はクッキーである。これも小梅がさっき見つけたものだ。

 

「これ、かな子ちゃんのものですよね……?」

 

 卯月が遠慮がちに缶に目を落とした。

 

 アイドル仲間の三村かな子は甘いものが好きで、みなによくお菓子を振る舞っている。このクッキーもその残りだろう。

 

 卯月としては、かな子に断りなく食べてしまうのはどうかと心配しているのだろう。彼女らしい気遣いだなと思い、小梅は少し心が和んだ。

 

「非常時ですから、遠慮なくいただきましょう。かな子さんもきっと許してくれます」

「ま、人数分は充分ありそうだしなあ」

 

 小分けにされた包みをひとつつまみあげた奈緒に、小梅はうなずきを返した。

 

「あとで分けましょう。ただ……すぐに食べてしまわないほうがよさそうですね」

 

 未央たちは目顔で小梅に同意を示した。()()()()()()()()()、食料を残しておくに越したことはない。

 

「……でも、さ」

 

 ボソリとつぶやかれた声に、小梅はハッとして振り向いた。

 

 うしろにいたのは凛だった。

 

()()()()、食べ物や飲み物、もう少し確保しといたほうがいいよね?」

「あ……」

 

 廊下のほうへ向けられた凛の視線で自分の()()に気づいて、小梅は呼吸を詰まらせた。

 

 凛の言うとおりだ。

 

 休憩室にこもるこの状況がいつまで続くかわからない。()()()()()()()()()()()()()、食料の確保は当然考えてしかるべきだ。栄養ドリンクとクッキーだけじゃ何日も保たないだろう。だとすればこの先、どこかへ食料を探しにいくことも検討しなければならない――。

 

 そうしたことをちゃんと考えているのか?

 

 凛の鋭い視線は、自分にそう問うているように、小梅には思えた。

 

 胃が――きゅっと痛む。

 

「あ、あの――」

「あ、あと!」

 

 凛に応えようとした小梅の声は、卯月があげた素っ頓狂な声によってかき消された。

 

 みなの注目は卯月に集まった。卯月は少し恥ずかしそうにみなを見返した。

 

「お、おトイレもどうしましょう……」

 

 そのひとことを聴いて、奈緒がぶるっと身を震わせた。

 

「やば……、ちょっと行きたくなってきたかも……」

 

 問題は――山積みだった。

 

 食料のことも。

 

 トイレのことも。

 

 外部との連絡のことも。

 

 幸子のことも――。

 

 結局――なにひとつ解決できていないし、その見込みもない。

 

 うつむいた小梅の視界の端に、部屋の探索で見つけ、壁際に寄せておいた品々が映った。懐中電灯にハサミ、それにボールペンが何本か。

 あとはビニール傘と、掃除用具入れから出してきたモップとほうき。

 

 武器になりそうなものもあるが……道具があるだけじゃ、状況の打開にはつながりそうもない。

 

 せめて廊下でうろついている連中をなんとかできれば――。

 

「――あ、ああっ!」

 

 素っ頓狂な叫び声に沈黙を破られ、小梅は思わず身をすくめた。

 

 驚いたのは小梅だけではなかったようだ。

 

「な、なんだよ、おい!?」

 

 目を瞬かせた奈緒につられ、小梅たちも一斉に振り向いた。

 

 窓際――震える指で窓をさし、唇をわななかせていたのは、幸子だった。

 

「み、み、見てください、あれ!」

 

 小梅たちは急いで窓に駆け寄った。

 下か――直感的にそう判断し、小梅たちは窓から庭を見下ろした。

 

「な、なに? なにがあるの!?」

 

 大きく視線を振って、あいかわらず無数のゾンビが徘徊する庭で異変を見つけようとする未央。

 

 幸子はもどかしそうに未央の袖を引っ張った。

 

「あそこですよほら! あそこの、木のあたり!」

 

 小梅は幸子の言う「木のあたり」に目を凝らした。塀に沿って植えられた桜並木の付近だ。

 

「う……」

 

 一本の桜の木に、二、三体のゾンビが群がっているのが見えた。その異様な風体は遠目にも目立つが――ん?

 

 視界にとらえた一体のゾンビの姿形になにかひっかかりを覚えた。

 

「……あっ! あ、あれって、トレーナーさんじゃないですか!?」

 

 いちはやく声をあげたのは卯月だった。

 

 一同はすぐさま幸子に視線を集めた。幸子は少し頬を紅潮させてこくこくと首を縦に振った。幸子が小梅たちに告げたかったことは、やはりこれだったらしい。

 

「マ、マジ……?」

 

 未央に続き、ほかの者も庭に視線を戻した。

 

 かなり遠目ではあるが……並木のそばで灯る外灯に照らされていることもあって、なんとか確認をとることができた。……言われてみればたしかに、服装や髪型に見覚えがある。

 

「トレーナーさんですよ!」

 

 幸子が声を張って断言した。みなの疑念をかき消さんとするかのように。

 

「あ、ああ……。アタシもありゃたしかにトレーナーさんだと思うけどさ……」

 

 奈緒が階下の人影と幸子をとまどい気味に見比べた。

 

「えっとそれで……、トレーナーさんがあそこにいると、つまりどういうことになるんだ?」

「そ、それは……」

 

 返答に詰まった幸子の代わりに口を開いたのは凛だった。

 

「トレーナーがそこの廊下から下へ移動した……ってこと?」

 

 その言葉でようやく事態を把握した一同は、ハッと互いの顔を見合わせる。

 

「そ、そうです! そうですよ!」

 

 幸子は逸る気持ちを隠そうともせずにせかせかとうなずいた。

 

「トレーナーさんだけじゃなく、ほかの人たちもですよ! 廊下には今、誰もいないんです! つまり、今ならこの部屋から出られるんですよ!」

 

 一気にまくしたてた幸子は、興奮した顔つきのまま、廊下のほうを指さした。

 

 場は、一瞬しんとなった。

 

「マ、マジかよ……」

 

 奈緒がぎこちなく首を回し、廊下側の壁を見つめる。

 

 言われてみればたしかに、外からドアを叩く物音は、いつのまにか聞こえなくなっている。

 壁の向こうに化物の気配は感じられない……気もする。

 

 でも本当に、外に出て大丈夫なのか……?

 

「大丈夫ですよッ!」

 

 小梅の懸念を見透かしたかのように、幸子はまた大声で叫んだ。

 

「みなさんも見たでしょう!? トレーナーさんは今、下にいるんです! だったら廊下は今こそ安全なんです! 動くなら今しかない……。ここで助けを待っていたってラチがあきませんよ!」

 

 声を荒げてみなに訴えかけていた幸子が、不意にきびすを返した。

 

「出ましょう! 逃げるんですよ、ここから!」

「ま、待って!」

 

 ドアへ向かって駆け出そうとした幸子を、小梅はあわてて引き止めた。

 

「な、なんでっ」

 

 腕を取られた幸子は、振り返って小梅をにらみつけた。

 その形相に小梅はひるんだが、なんとかみずからを奮い立たせて言葉を紡ぐ。

 

「じょ、状況がちゃんとつかめてないのに動くのは危険……だよ」

 

 幸子から返ってきたのは、焦燥に失望を混ぜたような、それまでいちども見たことのなかった瞳だった。

 

 小梅はその瞳を見ていられなかった。鉛のような感情が腹の底に沈む。小梅の手は幸子の腕からするりと外れた。

 

「じゃ、じゃあさ!」

 

 柏手の音とともに、わざとらしいほど威勢のいい声が部屋に響いた。

 

 小梅と幸子に近づいてきたのは未央だった。ふたりのあいだに立った未央は、それぞれの肩に優しく手を置いた。

 

「とにかくさ、廊下が安全かどうか、確かめてみようよ。話はそれから、ってことでさ」

 

 未央はいつもどおりのはつらつとした笑顔を小梅に振り向けた。

 

 視線を上げると、未央の肩越しに、不安そうな卯月の顔と気まずげな奈緒の顔が見えた。

 

 そうか……気を遣われているのだ、自分たちは、今。

 

「……はい。それがいい……と思います」

 

 小梅の返事を聴くと今度は、未央は今度は幸子へ顔を向けた。

 

「さっちーもいいよね? それで」

「……はい」

 

 不承不承といった雰囲気を出しつつも、幸子も未央の提案を受け入れた。

 

「よし、決まりだね!」

 

 未央は小梅と幸子の背中を軽く叩くと、ドアのほうを見て腕まくりをしはじめた。

 

「それじゃあまずは、バリケードをどかさないとね」

「あっ、て、手伝います」

「ア、アタシも」

 

 未央がドアの前に積まれたバリケードへ近づくのを見て、卯月と奈緒があわてて後を追った。

 

 小梅は申し訳ないような気持ちで彼女たちを見送った。

 

 ああ……。

 幸子だけじゃなく、みんなにも嫌な思いをさせてしまったな……。

 

「――小梅」

 

 不意に名を呼ばれ、小梅は重くなりかけていた頭をハッと持ち上げた。

 

 いつのまにか小梅のとなりに並んでいたのは、凛だった。

 

「……平気なの?」

 

 ボソリとつぶやいた凛は、しかし小梅のほうは見ずに、バリケード撤去を進める三人の姿を眺めていた。

 

「え、と……?」

 

 小梅は思わず目を瞬かせた。

 

 凛はなぜ自分に声をかけてきたのだろうか?

 いったいなにを――気にしているのだろうか?

 

「そ、そうですね――」

 

 真っ白になりかけた頭で、小梅は返すべき答えをとっさに見繕った。

 

「も、もし彼らがいなくなっていても、し、下まで降りるのは難しい……と思います。で、でも、階段をバリケードで塞げれば、少なくとも今いる階の安全は確保できるんじゃないか、と……」

 

 振り向いた凛から返ってきたのは、なぜか苦笑だった。

 

「そういう意味じゃなかったんだけどな……」

「え……、え?」

 

 困惑する小梅にやはり苦笑を寄こすと、凛はすぐに顔を前へ戻した。

 

「卯月、そっち、私も持つよ」

 

 凛はそう言って、ひとりでソファの片側を持ちあげようとしていた卯月のもとへ向かった。

 

 残された小梅はますますとまどいを濃くせざるをえなかった。今後の展望を訊きたかったわけじゃなかったとしたら、凛がわざわざ小梅に声をかけてきた理由とはいったい――?

 

「よし、こんなもんか」

 

 未央の声で小梅は我に返った。

 

 見れば、いつのまにか未央たちは作業を終えていた。

 

 積み上げられていたソファやテーブルは脇にのけられ、あとはノブを引くだけでドアを開けられる。

 

 未央がみなに先んじてドアの前に進み出た。

 

「……いい? 開けるからね?」

 

 ノブをつかんだところで、未央は振り返ってそう念を押した。緊張した面持ちだ。

 

 一同が揃ってうなずきかえすと、未央は前に向き直って、いちど深呼吸をする。

 

「き、気をつけて、未央ちゃん」

 

 たまらず声をかけた卯月を尻目に、未央はゆっくりとノブをひねった。ガチャリと音が鳴る。そろりそろりとドアを引き、開いた隙間に、未央は慎重に頭を入れた。

 

「お願いしますお願いしますお願いします……」

 

 未央が廊下の様子を探るあいだ、幸子は念仏を唱えるように祈りの言葉を繰り返していた。

 

 そして、ゆっくりと戻ってきた未央の顔を見て――。

 

「やった……!」

 

 幸子は小さく快哉を叫び、喜色をじわりとその顔に広げた。


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