シンデレラガールズ・オブ・ザ・デッド   作:電柱保管

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「な、なんであんたがここに……!」

 

 驚愕に目を見開いた凛に、プロデューサーは楽しげな顔を返した。

 

「もちろん、みなさんを追いかけてきたんですよ。じつは僕、鼻がきくんです」

 

 プロデューサーは鼻の頭を指先でつついた。まさか……、こちらのにおいをたどってここまでたどり着いたというのか。

 

 小梅は警戒心のこもった目で彼をうかがう。

 

「いつ……目を覚ましたんですか?」

 

 プロデューサーはわざとらしく考え込むしぐさを見せた。

 

「ほんの三十分ほど前ですよ。起きたら部屋の中にみなさんがいないものだから、あわてて出てきたってわけです」

 

 プロデューサーはきざっぽく肩をすくめた。少しもあわてていたようには見えない。

 

「お、おい……、あんた、本当にプロデューサーなのか?」

 

 夏樹がおそるおそるといったふうに問いただした。そうか……。夏樹、それに裕子と輝子は、こうなったあとのプロデューサーとは初対面になるのか。変わり果てた姿に驚くのも無理はない。中身は人間だったころとあまり変わっていないのだが。

 

「ご無沙汰してます、木村さん。お元気そうでなによりです」

 

 皮肉めいた挨拶に、夏樹は口元をゆがめた。

 

「へっ、そりゃどうも。あんたのやんちゃ振りも、こいつらから聴かされてるぜ」

 

 夏樹は顎を振って小梅たちを指した。同時に、背負っていたギターを慎重に胸の前に構える。機を見てギターを鳴らし、音でプロデューサーの動きを止めようという魂胆だろう。

 

 だがプロデューサーはピックを握った夏樹を見て、ニヤリと口角を持ち上げた。

 

「ゾンビは音に反応する」

 

 いきなり低い声で告げられ、弦を弾こうとしていた夏樹の手がびくりと止まった。

 

 驚いた夏樹の顔を見て、プロデューサーはおかしそうに肩を揺らした。

 

「自分たちの体のことですから、そりゃあわかります。いや、だんだんとわかってきた、と言うべきでしょうかねえ。たとえば、こんなこともできるようになったんですよ?」

 

 そう言うと、プロデューサーは大きく息を吸い込み、雄叫びでもあげるかのように大口をあけた。

 

「な、なに!?」

 

 一同はとっさに自分の耳を塞いだが、おかしなことになんの声も音も聞こえてこなかった。小梅たちはそろって怪訝な顔つきになる。

 

「あんた……いったいなにしたのよ?」

 

 警戒心を露わにする凛を前に、プロデューサーは愉快そうに肩を揺らした。

 

「ステージの準備ですよ。あなたたちにもじきにわかります。さて――舞台が整うまでにもう少々時間が掛かりそうです。それまで、みなさんにはちょっとレッスンを受けていただくことにしましょう」

 

 レッスン――? 小梅たちが言葉の意味を理解するより先に、プロデューサーは頭上でパチンと指を鳴らした。

 

 その合図を待っていたかのように――。

 

「……ググルルルル……ッ!」

 

 プロデューサーの背後にある柱の陰から、ぬっと人影が現れた。

 

 長い黒髪に、白黒柄のTシャツ。見覚えがある――いや、知り合いだ。

 

「ト、トレーナーさん!?」

 

 卯月が驚きと恐怖が入り混じった叫び声を上げた。小梅たちにとっては、最初に控え室を出て廊下で襲われたとき以来の再会だった。

 

 まさか……プロデューサーはトレーナーも仲間に引き入れていたのか?

 

「彼女だけじゃありませんよ。ここまで生き残ったみなさんには、346プロの総力を上げてレッスンをしてさしあげねばなりませんからね」

「あ……っ!」

 

 プロデューサーの言葉で、小梅たちは別の柱や近くに停まった車の陰から、さらに三つの影が這い出てきていることに気づいた。

 

「う、嘘だろ、おい……!」

 

 奈緒が驚愕に染まった顔になり、言葉を失う。

 

 姿を現した、よく似た顔立ちの四つの人影をまなざし、未央が唇を震わせた。

 

「ル、ルキちゃん……、それに、お姉さんたちまで……」

 

 青木四姉妹。ここ346プロダクションで、小梅たち所属アイドルの歌や踊りのレッスンを担当しているトレーナー陣である。その名のとおり四人とも実の血縁者であり、美人姉妹としても知られていた。

 

 しかし目の前に現れた彼女たちに、往時の面影はもはやない。服はところどころ破れ、髪の毛も乱れ、皮膚はただれ――人としての体裁を保っていない。ゾンビだった。

 

「グルググググゥ……ッ」

 

 獣じみたうなり声を上げながら、小梅たちのほうへにじり寄ってくる四姉妹。

 

 プロデューサーは軽くバックステップを踏んで彼女たちの背後に下がると、薄闇のなかで不敵な笑みを浮かべた。

 

「さあ、レッスンを開始しましょう。来たるべきステージのためのね」

 

 プロデューサーがパンと手を打ち鳴らすと――。

 

「ヴォオォッ!」

 

 四姉妹の目の色が変わり、こちらへ威嚇するかのように短い咆哮を放った。

 

「きゃあっ!」

 

 ひるんで身を縮こまらせた卯月を、夏樹が背中で背後へ押しやる。

 

「く……そっ、付き合ってられるかっての!」

 

 夏樹は近づきつつある四姉妹に背を向け、卯月と小梅をぐいと向こうへ押した。

 

「逃げるぞ! 車に乗り込んじまえばこっちのもんだ!」

「お――おうっ!」

 

 一瞬だけ二の足を踏んだ一行だったが、いちはやく動き出した未央を先頭に、ロケバスが駐車されているスペースへ向けて駆け出そうとした。

 

 だが――。

 

「おっと、そうはさせませんよ!」

 

 叫ぶと同時、プロデューサーは地面を蹴って空中に跳び上がった。助走もなしのジャンプ。にもかかわらずプロデューサーは小梅たちの頭上を軽く飛び越え、先頭を行く未央の目の前に着地した。

 

 突然行く手を塞がれた未央はつんのめるようにして足を止めた。後続の小梅たちも玉突きのようにストップさせられる。

 

 プロデューサーはといえば、着地の衝撃によろめくこともなく余裕の構えを見せていた。

 

「おいおいおい……っ、前よりもジャンプ力上がってないか!?」

 

 奈緒の素っ頓狂な声を聴き、プロデューサーはクツクツと笑いを漏らした。

 

「そうかもしれませんねえ。自分でも不思議なんですがね、以前よりも身軽になっているみたいなんですよ。どうも、やられて意識を取り戻すたびに体力が上がっているようですね」

「な、なんだよそりゃ!? サイヤ人かよ!?」

 

 ……ウエイトトレーニングの分野では、傷ついた筋繊維が修復される過程でその強度を増す「超回復」という現象があるらしいが、それと似たようなものだろう。いや、ゾンビ化したことで、身体能力の強化度合いも飛躍的に向上しているのかもしれない。

 

「話には聴いてたが……、想像以上のバケモンだな、あんた……」

 

 夏樹がひきつった笑みを浮かべて、皮肉めいた感想を漏らした。

 

 プロデューサーは愉快そうに口の端を持ち上げる。

 

「お褒めいただいて光栄です。でも、レッスンさえ積めば、あなたたちもこのくらいの芸当は朝飯前になりますよ」

 

 意味深なセリフとともに、プロデューサーはすっと片手を上げた。

 

 小梅たちは即座に、背後に迫る気配を感じ取った。

 

「ギガァ……ッ」

 

 すぐさま振り返ると、トレーナー四姉妹が数メートル先まで迫ってきていた。逃げ込もうとしていたロケバスへの道はプロデューサーに塞がれている。完全に挟み撃ちにされてしまった。

 

「くそ……っ」

 

 数回前後へ視線を振った夏樹は、とうとう小さく舌打ちしてギターを構えた。

 

「……やるしかねえ!」

 

 その言葉に呼応し、ほかの者もそれぞれの武器を構えた。

 

「ようやくやる気になってくれましたね。ふふふ、嬉しいですねえ」

 

 凛と小梅のふたりから切っ先を向けられているというのに、プロデューサーはにやついた面構えを崩そうともしない。

 

「卯月と裕子は下がってて!」

 

 凛がかたわらにいたふたりに向かって怒鳴った。

 

「は、はいっ」

 

 卯月と裕子はそれぞれの荷物を胸に抱いて凛の背後へ隠れた。

 

 ふたりが守るように隠した荷物――トートバッグとアタッシェケースを覗き込もうとするように、プロデューサーはわざとらしく首を伸ばした。

 

「ほう? それはひょっとして、一ノ瀬さんからの預かり物ですか?」

「あ、あんたには関係ないでしょ」

 

 凛が硬い声でごまかすと、プロデューサーはそれをからかうようにクククといやらしい笑いをこぼした。

 

「安心してください。そんなものに興味はありません。僕が欲しいのは、あなたたちだけです」

 

 聞きようによってはくさいセリフを吐くと同時に、プロデューサーはパチンと指を鳴らした。それを待っていたと言わんばかりに――。

 

「ガウッ!」

 

 トレーナー四姉妹が、一斉に夏樹たちへ飛びかかった。

 

「うあああっ!?」

 

 一直線に向かってきた相手を、奈緒はとっさにほうきを横にして食い止めた。あれは三女の青木明だろうか。飢えた犬のようにほうきの柄に噛みついているその歪んだ形相には、穏やかだった彼女の美貌はもはや見る影もないが。

 

「く……っ!」

「ちっ……!」

 

 未央と夏樹も、ビニール傘とギターで、向かってきた相手の攻撃をそれぞれ防いできた。輝子はとっさに懐中電灯をともして相手をひるませたようだ。未央が次女の聖と、夏樹が長女の麗とそれぞれ相対している。輝子が退けたのは末の妹、慶だ。

 

 四姉妹にはプロデューサーのような理性は戻っていない様子だが、その敵意は明らかだった。それが本能的なものなのか、プロデューサーの命令によるものなのかはわからない。いずれにせよ――。

 

 小梅が叫ぶと、プロデューサーはにやりと笑みを浮かべた。やはり彼の狙いはこれなのか――彼は小梅たちに()()()()()()()()()つもりなのだ。

 

「く……そ野郎がぁっ!」

 

 夏樹も敵の狙いを察したか、両足を踏ん張り、ギターに噛みついていた長女・麗を力任せに押し返した。さらに腹へ前蹴りを入れて相手との距離を取ると、右手ですばやく弦を押さえる。

 

「へっ……、歯ギターが許されるのはジミヘンだけだぜ? おしおきに、これでも食らいやがれっ!」

 

 叫ぶと同時に、夏樹はギターをかき鳴らした。力強い和音がコンクリートの空間にこだまする。おそらく、夏樹が独自に発見したという、ゾンビの動きを止められる旋律なのだろう。

 

 ところが――。

 

「グウウウゥ……」

 

 麗はまったく動じることなく、鋭い目つきで夏樹を睨みつけながらふたたび前進してきた。

 

「な……!?」

 

 予想外の出来事に夏樹はうろたえた。が、すぐに気を取り直し、もういちど左手を弦に振り下ろす。さきほどと同じ音色があたりに響き渡る。

 

「……ヴォウ!」

「なっ……!?」

 

 だが、麗はやはりまったくひるむことなく手を出してきた。夏樹は驚愕しつつも、とっさにギターを持ち上げて麗の右手を防いだ。彼女の爪が弦を弾いたのか、間延びした不協和音があたりに響く。

 

 コンクリートを伝って遠ざかっていく音の余韻のなかで、プロデューサーがクククと噛み殺したような笑いを漏らした。

 

「残念でしたねえ。彼女たちはもう、木村さん、あなたのギターじゃ()()()くれませんよ」

「なんだとぉ……?」

 

 夏樹は顔をしかめて背後のプロデューサーをちらりとうかがったが、周囲の状況に気づき、愕然として立ちすくんだ。

 

「うはぁ!?」

「く、来んな来んな来んなっ! このっ!」

「う、ううっ……!」

 

 未央も奈緒も輝子も、襲いかかってくる敵を必死の体でしりぞけていた。トレーナーたちは誰ひとりとして苦しがる様子を見せていない。夏樹のギターは、さっきたしかにあたりに鳴り響いたというのに。

 

 プロデューサーはふたたび人を小馬鹿にしたような笑いをこぼした。

 

「言ったでしょう? 僕たちが音や光に敏感なことには気がついていると。それに、そちらに木村さん、あなたがいることはにおいでわかりましたから、事前に手を打っておいたのですよ」

「手……だと?」

「ええ。ギターの音を聴いても反応しないように、ちょっとここをいじらせてもらいました」

 

 そう言ってプロデューサーは、人差し指を自らのこめかみに当て、指先をぐりぐりとこねてみせた。

 

 そのしぐさの意味を理解した途端、小梅の背筋に怖気が走った。

 

「なんてことを……!」

「狂ってる……!」

 

 小梅と凛から非難の目を向けられても、プロデューサーは愉快げにこちらを見返すだけだった。……本当に、狂ってしまったとしか思えない。

 

「さ、おしゃべりはここまでです。みなさん、そろそろ本腰を入れてレッスンに励んでください」

 

 プロデューサーは小梅たちから視線を切ると、四姉妹のほうを見やりつつ軽く手を叩いた。その途端、四姉妹の目の色があきらかに変わり――。

 

「ガウオウアッア!」

 

 次の瞬間、四姉妹は揃って激しい咆哮を放ち、一斉に目の前の獲物へ飛びかかった。

 

「う、うわっ!」

「あ……っ!?」

 

 それまではなんとか互角に応戦していた未央と奈緒も、今度ばかりは相手の勢いに負け、後方へ弾き飛ばされた。尻もちをついたふたりに、聖と明がすかさず覆いかぶさる。

 

「未央! 奈緒!」

「おっと、木村さん。よそ見はいけませんよ?」

「ガウァッ!」

「っ!」

 

 わずかに目を離した隙に飛びかかってきた麗の手刀を、夏樹はまたもギターを盾にして防御した。しかし今度は――。

 

「くそっ、弦が……!」

 

 ネックから髭のように横に飛び出た弦を見て、夏樹はいまいましげに舌を打った。麗の鋭い爪で弦が切られてしまったらしい。

 

「フハハハッ! これでどのみちギターはもう使えませんね!」

 

 プロデューサーは高笑いを上げたのち、手駒に指令を下す将軍のごとく、右手を前に突き出した。

 

「さあ、慶さんも、遠慮はいりませんよ!」

 

 四つん這いの体勢で輝子の隙をうかがっていた四女は、プロデューサーの命を受け、輝子めがけて獣のように地面を駆け出した。

 

「ひ、ひ……っ」

 

 輝子はあわてて懐中電灯を向けるが、猫のようにすばっしこく動く慶の顔にうまく光を当てられない。光のビームをかいくぐった慶が輝子の胸元めがけて飛びかかる!

 

「っ!」

「輝子! ……このっ!」

 

 慶の牙が輝子の腕に達する寸前――とっさに振り向いた凛が、ふたりの間にモップを突き入れた。モップの柄に歯をぶつけた慶は、奇声を上げながら後ろ向きに地面を転がった。しかし慶はすぐに体勢を立て直し、血まみれになった歯茎を剥き出しにして輝子と凛を睨み返した。

 

「ほほう、なかなかやりますね、渋谷さん。でも油断は禁物ですよ? こう見えて、慶さんは姉妹のなかでもいちばん打たれ強いみたいですから」

 

 

 プロデューサーがにやにやと薄笑みを浮かべて言う。なにが「こう見えて」だ――。彼女たちをこんなふうに壊したのは、自分のくせに!

 

 しかし、怒りに身を任せる余裕すら、凛たちには与えられていなかった。

 

「うわああっ!」

「は、離れろっ、この……っ!」

「ちくちょうめが……っ」

 

 それぞれの敵と交戦していた未央、奈緒、夏樹の三人が、相手に押しやられてじりじりと後退してきた。互いの背中がぶつかる。気づけば小梅たちは、追い詰められて一箇所に固まっていた。

 

「ヴァガゥアァゥア!」

 

 四姉妹は猛り狂ったかのように咆哮を上げながら、ひっきりなしに攻撃を仕掛けてくる。夏樹たちは傷を負わされないよう必死で身を守る。たしかに押されぎみではあるものの、夏樹たちもよく応戦しているように思われた。だが――。

 

「――ハアッ! ハアッ! くそっ!」

「おやぁ? 木村さん、もう息切れですか? そんなことでは()()()()()()()()は乗りきれませんよ?」

 

 息を切らしはじめた夏樹を見て、プロデューサーが高らかに哄笑を上げた。

 

 苦悶に表情を歪ませていたのは、夏樹だけではない。残りの姉妹と激しい交戦を繰り広げていた未央、奈緒、凛の三人の額にも、一様に玉の汗が浮かんでいる。

 

 一方、彼女たちに猛攻を仕掛ける側のトレーナー四姉妹の勢いは、一向に衰える気配もない。

 

 彼我の違いが、なにに由来するのかはあきらかだった。

 

「人間とゾンビ――()()()()()ですよ」

 

 プロデューサーはがらりと声を低くして言った。

 

 小梅は歯噛みした。自分の思考を彼に悟られたからではない。実際に、人間とゾンビとの埋めがたい身体能力の差を痛感してしまっていたからだ。

 

 ゾンビと化した四姉妹には、無尽蔵の体力がある。対する自分たちには、動けば動くほど疲労が溜まる貧弱な体しかない。このまま攻防を続けたとして、どちらが最後まで立っていられるかは――火を見るよりもあきらかだった。

 

 プロデューサーがまた小梅の考えを読んだかのように、にやりと口の端を歪めた。

 

「どうです? 素晴らしいでしょう、この肉体は。あなたたちも、早くこちら側に来ればいいのに」

「くっ……」

 

 ギリッと奥歯を噛み締めた小梅の背後で、夏樹が荒い息をつきながら「チッ」と忌々しげに舌を鳴らした。

 

「このままじゃ埒が明かねえ……小梅っ」

 

 一瞬だけ振り向いた夏樹は、後ろ手で小梅になにか硬いものを握らせた。

 

「……いざとなったら、卯月と裕子を連れて、おまえらだけでも逃げろ――」

 

 言い終えるが早いか、夏樹は目の前に迫ってきた麗をキッと睨み返し――。

 

「うおおおおっ!」

 

 どすのきいた怒声を上げながら、麗に向かって突撃した。

 

「ダヴァ!?」

 

 夏樹が盾にしたギターを顔面に押しつけられた麗は、自分自身の突進の反動もあってか後方へ弾き飛ばされた。

 

「うらぁっ!」

 

 あおむけに倒れた麗に、夏樹はダメ押しとばかりにギターを叩きつける。そして、相手が自分を見失った一瞬の隙をついて体の向きを変え――。

 

「うぉぉおらぁぁっ!」

 

 今度は、プロデューサーめがけて頭から突っ込んでいった。

 

「なっ……!」

 

 夏樹の頭突きを腹にくらったプロデューサーは、不意打ちにさすがに驚いたのか、ほんのわずかだがよろめいた。夏樹はその隙を見逃さず、プロデューサーの腰にすがりつく。勢い任せにプロデューサーを押しやりながら、夏樹は小梅たちに向かって叫ぶ。

 

「逃げろっ、おまえら!」

 

 小梅は大声に一瞬だけ肩をすくめたが、すぐに卯月と裕子に目配せを送り、ロケバスへ向かって駆け出す。

 

 夏樹さん――っ。

 

 小梅は断腸の思いで、揉み合うプロデューサーと夏樹の脇をすり抜けようとした。

 

 しかし――。

 

「この――小癪なっ!」

「つっ!?」

 

 プロデューサーは大きく身をひねって夏樹を振りほどくと、さらに裏拳で頬をぶって夏樹を地面に転がした。

 

「夏樹さんっ――!?」

 

 反射的に足を止めた小梅の視界に、次の瞬間、いきなり影が差した。プロデューサーが一瞬で間を詰めてきた――と気づいたときにはもう遅かった。

 

「はぁぁっ!」

 

 プロデューサーは小梅の小さな頭を片手で鷲掴みにすると、その勢いのまま背後に停まっていた車の側面に小梅を押しつけた。

 

「っ――!?」

 

 車の装甲に強く後頭部を打ちつけた小梅の意識が、一瞬遠のきかける。しかし次の瞬間に襲ってきた割れるような痛みに無理やり目を覚まされ、小梅は地獄のような苦痛を味わうこととなった。指一本動かすことさえままならず、車体に背中を預ける格好でずるずると地面に尻を落とした。

 

「こ、小梅ちゃん!?」

「ふんっ!」

 

 とっさに小梅のもとに駆け寄ろうとした卯月を、プロデューサーは乱暴に腕を振るって遠ざけた。

 

「……なかなかの連携プレーでしたよ、今のは……。僕も少々焦らされましたよ……」

 

 プロデューサーは()()()()()()()()()()()()()小梅を見下ろした。言葉とは裏腹に、その顔には余裕の表情が戻っている。

 

「う、うう……」

 

 小梅はプロデューサーの声を聴きながら、彼の脚の向こうへ目をやった。夏樹が左肩を押さえながら立ち上がるのが見えた。よかった……あの様子なら、プロデューサーのさっきの反撃でゾンビに感染したということはなさそうだ。断続的に後頭部を走る痛みに耐えながら考えたのは、そんなことだった。

 

 知らず知らずのうちに弱々しい笑みを浮かべていた小梅に、プロデューサーがすっと顔を寄せ、優しげに目を細める。

 

「苦しそうですね、白坂さん……。さあ、今、楽にしてあげますよ――」

 

 プロデューサーは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()大口を小梅の首筋に近づけた。鋭い牙が小梅の生白い首筋に刺さる――その寸前。

 

「うおっ!?」

 

 まばゆい光が横合いから差し込んできて、プロデューサーをひるませた。

 

 光を遮るように顔の前に手をかざしたプロデューサーは、すがめた目で光源の方向をにらみつけた。

 

「こ、小梅ちゃんから……は、離れろ……!」

 

 少し離れた位置からプロデューサーに懐中電灯を向けていたのは、輝子だった。

 

「だ、だめ……、に、逃げ……」

 

 小梅はかすれた声で警告するが、輝子は恐怖に顔をひきつらせながらもプロデューサーへにじり寄る。懐中電灯の光でプロデューサーをひるませようという魂胆だろうが――。

 

「ちっ……、あれは少々厄介ですね」

 

 片手でまぶしさに耐えつつ、プロデューサーはもう一方の手をスラックスのボケットに突っ込んだ。その手を抜いたと思った刹那――。

 

「あっ!」

 

 バリンという甲高い音とともに、輝子が驚きの声を発した。

 

 光は消えていた――輝子の足元に割れたガラスの破片と、コインのようなものが落ちているのが見えた。プロデューサーが指でコインを弾き飛ばして、懐中電灯の照射口を破壊したのか――小梅はなぜか冷静にそんな分析をしていた。痛みのせいか、妙に頭が冴えてきたのだ。

 

「ああ……ううう……っ」

 

 唯一の対抗手段を失い、相棒のキノコを抱いて後ずさる輝子。もちろん、こんな至近距離ではキノコのにおいも隠れ蓑になりはしない。しかしプロデューサーは輝子ではなく、離れた位置で聖と戦っている未央のほうへ目を向けた。未央の首にも、輝子が持っていたものと同じ種類の懐中電灯が提げられている。

 

「……まあ、あちらはなんとでもなるでしょう」

 

 プロデューサーは小声でつぶやくと、右手で摘んでいたコインをポケットの中へ戻した。この距離からではさすがに未央の懐中電灯を狙い撃つのは難しいと判断したのか、あるいは聖が戦闘の中で自然と破壊してくれることを期待したのか。どのみち、あの懐中電灯は電池切れで、もはや無用の長物と化しているのだが。

 

 あと、自分たちに残された対抗手段といえば――。

 

「プ、プロデューサーさん!」

 

 不意の呼びかけででプロデューサーを振り向かせた卯月の手は、口の前で固く組み合わされていた。祈り――だ。

 

 ゾンビには、人間だったころの信念や、あるいはトラウマなどによってそれぞれ「苦手なもの」がある。ある種のボーズだったり象徴だったり言葉だったりと、「苦手なもの」は個体ごとにバラバラらしいが、プロデューサーのそれは偶然だが小梅たちはすでに突き止めていた。祈りのボーズだ。

 

「お、お願いします、プロデューサーさん! お、おとなしくしてくださいっ」

 

 精一杯の脅迫めいたセリフを口にしながら、卯月はそれこそ祈るような目つきでプロデューサーを見つめる。

 

「そ、それは……っ!」

 

 プロデューサーは瞠目し、一歩だけ後ろに下がった。効いているのか――。

 

「――なんてね」

 

 プロデューサーは底意地の悪い声を出すと、一足飛びに卯月との間合いを詰め、驚く彼女を突き飛ばした。

 

「きゃっ!」

 

 プロデューサーはあっけなく転倒した卯月を見下ろし、せせら笑うかのように鼻を鳴らす。

 

「言ったでしょう? 僕はパワーアップしたと。まあ正直なところ一瞬焦りはしましたが――その攻撃にも、どうやら耐性がついているみたいですね」

 

 ああそうか――と小梅は納得した。信念やトラウマに苦しめられるというのは、考えてみれば人間的な反応だ。ゾンビに成り果てたこの人に通用しなくなっていてもなんら不思議ではない。

 

 小梅はそれを悲しいと思った。

 

「さあ、お遊びもここまでにしましょう。そろそろ特訓の時間です。さあみなさん、ひと思いにやっておしまいなさい!」

 

 プロデューサーが声を張ると、四姉妹は即座に短い雄叫びを返した。言葉を理解しているとは思えないが、プロデューサーがなんらかの合図を送っているのだろう。

 

 最初にアクションを起こしたのは、長女の麗だった。

 

 すでに起き上がっていた麗は、自分を押し倒した夏樹を見つけるやいなや、蛙のように跳び上がった。交戦中の三組をひとっ飛びで跳び越え、一気に夏樹にのしかかるつもりか。はたして、麗は空中で一回転したのち、いまだ膝を笑わせている夏樹めがけて落下してくる――。

 

「夏樹さん!」

 

 とっさに動いたのは、裕子だった。

 

 地面を蹴った裕子は、麗が夏樹に覆いかぶさる直前、その足首をつかんでぐいと引っ張った。

 

「ガブァ!?」

「っ……!」

 

 ガチン、と歯を打ち鳴らす音が響く。反射的に胸の前で腕をクロスさせていた夏樹は、歯を剥き出しにして引かれていく麗を声も出せずに見送った。

 

「ムムム……ムンッ!」

「ギャッ!?」

 

 裕子が最後まで足を離さなかったせいで、麗はバランスを崩し、受け身もままならず額から地面に落ちた。その反動で裕子も投げ出され、派手に尻もちをつく。

 

「った!」

「ちっ、無駄な抵抗を……」

 

 プロデューサーは忌々しげに顔をしかめた。が、すぐに余裕の表情を取り戻す。すっと右手を上げると、再度麗に向けて指令を下した。

 

「さあ、麗さん、もういちどです! 今度こそとどめを刺してあげなさい!」

 

 指揮官の命を遂行すべく、麗はうつぶせの状態から身を起こ――。

 

「……グ」

 

 いや、()()()()()()()

 

「……は?」

 

 余裕の笑みを凍りつかせたのは、プロデューサーだ。彼は、腕で地面を押して起き上がろうとするもすぐにバタリと倒れ込む麗を呆然と眺める。あきらかに、なにが起きているのかわかっていない。

 

「な、なにをやっているんです? ほら! 早く立ってとどめを!」

 

 プロデューサーは続けざまに指を鳴らすが、ベテラントレーナーの反応はやはり鈍い。ようやくよろよろと立ち上がったものの、その足元はどう見てもおぽついていなかった。

 

「お、おい、どうなってんだ? こりゃあ……?」

 

 夏樹は怪訝そうに眉をひそめた。相手は虫の息のようにも見えるが、本当に手出ししていいものか、まだ迷いがあるようだ。

 

「ウウ……ウウ……」

 

 額が割れているのか、麗の顔面は()()()()で染まっていた。彼女がふらつくたび、その血はぼたぼたと地面に飛び散る。ぐらぐらと頭を揺らすその姿は、まるで酔っ払っているか、脳震盪でも起こしているかのようだ――。

 

「あ……たま……、そ、そうか……」

 

 ()()()()()()()()()()()。小梅は歯を食いしばって立ち上がり、痛みに耐えて声を振り絞った。

 

「み、みなさん、頭です! 敵の頭を狙ってください!」

 

 真っ先に反応したのは、やはり夏樹だった。

 

「うおおっ!」

 

 夏樹はレスリングのタックルのように目の前にいた麗の腰へ体当たりをかまし、相手を地面に押し倒した。

 

「このっ、このっ!」

 

 そのまま麗に馬乗りになった夏樹は、彼女のこめかみのあたりを両手で押さえて、後頭部を繰り返しコンクリートの地面に叩きつけた。

 

「ガッ!? グゥァ!? グヴォ……」

 

 何度も後頭部をぶつけた麗は、やがてばたりと手足を地面に落とし、動かなくなる。

 

 夏樹はすかさず、未央たちに向かって叫んだ。

 

「頭だ! どんなやり方でもいい! 一発でも頭に入れりゃ、こいつら、フラフラになるぞ!」

「くうっ!?」

 

 しかし、防戦で手一杯の未央たちに、反撃に移る余裕はなさそうだった。

 

「私におまかせをっ!」

 

 そこで動いたのは裕子だった。

 

 裕子は未央が相手取っている聖の背後に駆け込むと、サッカーのシュートでも打つかのように片足を振り上げた。

 

「サイキック……キック!」

 

 裕子が放った鋭い蹴りは、聖の足首へ見事にヒット。

 

「グォ!?」

 

 足を引っかけられた受けた聖は、バランスを崩してたたらを踏む。

 

 よろめいて前かがみになり、無防備にさらされたその頭部に――。

 

「て……りゃあっ!」

 

 未央はすかさずビニール傘を打ち下ろした。鈍い音。

 

 「ヴポォ……ッ」

 

 聖はぐりんと首を一回転させたのち膝から崩れ落ち、そのまま地面に倒れ込んだ。

 

「はっ!」

 

 裕子は倒れた聖を華麗に飛び越し、今度は明と奈緒の元へ駆け込む。

 

「サイキックもう一丁!」

 

 その掛け声どおり、裕子はさっきと同じ要領で背後から明の足を払った。奈緒もこの好機を見逃さない。

 

「はっ!」

 

 奈緒はほうきを横薙ぎに振るい、体勢を崩した明の側頭部を叩いた。明もまた、カッと目を見開いたかと思うとあっけなくその場に倒れた。

 

 最後に残った慶は――。

 

「グエッ!」

 

 凛にモップで腹を突かれ、数歩後退した。すばしっこいその足が止まったのを見るやいなや――。

 

「ああああっ!」

 

 凛はモップを打ち捨て、慶にタックルをかました。慶の腰に抱きつき、凛は自分の体ごと彼女を後方へ押しやった。

 

 慶の背後にあったのは、コンクリートの太い柱。

 

「グホァッ!?」

 

 慶の悲鳴と同時に、ごつんと鈍い音があたりに響く。凛がゆっくりと身を引き剥がすと、白目を剥いた慶はだらりと柱を滑り落ちた。

 

「はあ、はあ……っ」

 

 荒い息をつきながらも、凛はモップを拾い上げ、その切っ先をまっすぐプロデューサーへ向ける。

 

「さあ、これで残すはあんただけだよ!」

「なっ……! バカな……っ!?」

 

 プロデューサーは愕然とした顔つきであとずさった。うろたえるのも無理はない。圧倒的に思えた戦況を一挙に覆されたのだから。

 

 一対八――今度こそこちらが優位だ。小梅たちはプロデューサーを取り囲むように、じりじりと間合いを詰めた。

 

「ど、どうして、こんなことが……っ」

 

 落ち着きなく前後左右へ体の向きを変えるプロデューサーに、小梅は疑問の答えを返した。

 

「……策に溺れたんですよ、あなたは」

「なんですって?」

 

 困惑に歪んだプロデューサーの顔を、小梅はまっすぐに見返した。

 

「トレーナーさんたちの脳に細工をしたと言っていましたね? そのために彼女たちはたしかに、ほかのゾンビと違って夏樹さんのギターに反応しなくなっていました。でも、弱点である脳をいじられたことで、さらに衝撃に弱くなってしまっていたんです」

 

 だからトレーナーたちは、たった一撃で意識を刈り取られてしまった。無論、まだ息はあるだろうが、起き上がってくる気配はなさそうだ。

 

 あちこちで伸びている四姉妹をすばやく見渡すと、プロデューサーは観念したかのようにゆっくりと小梅のほうへ向き直った。

 

「あの状況下で形勢逆転の糸口を見つけるとは……ふん。白坂さん、やはりあなたは聡明な方だ」

 

 皮肉げにつぶやいたプロデューサーは、ジャケットの懐にすっと手を入れた。

 

「っ!」

 凛たちは警戒して一斉に武器を構えた。

 

 だが小梅は片手を挙げてみなの動きを制し、プロデューサーの前へ進み出る。

 

「もうひとつ気づいたことがあります。プロデューサーさん……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「え……?」

 

 目を丸くしたのは仲間たちのほうだった。プロデューサーは懐に手を入れたまま、じっとこちらをうかがっている。小梅は負けじと彼に対峙した。

 

「……さっき私を捕まえるために暴れたあと、あなたは()()()()()()()()()()

 

 プロデューサーの眉がわずかに動いたのを見て、小梅はみずからの推測に自信を深めた。

 

「以前、控え室で私たちに襲いかかってきたときは、あなたはひとりで凛さんたち三人を相手にしていました。あり余る体力をむしろ持て余しているような感じでしたけど……。ところが今回あなたは、トレーナーさんに私たちを襲わせました。それに、以前の実力があればいつでも私たちを手にかけることもできたはずなのに、なぜかそうしなかった。レッスンだとかうそぶいていましたけど、下手に反撃をされて力が落ちていることが露見するのを恐れたんじゃないんですか?」

 

 プロデューサーとトレーナー四姉妹。小梅たちは彼らを絶望的な包囲網のように感じていた。しかしなんのことはない、プロデューサーのところがじつのところいちばんの穴だったのだ。

 

「……いやはや、うまく騙せていると思ったんですがねえ」

 

 プロデューサーはフッと鼻で笑うと、懐から手を抜いて、両の手のひらをこちらを向けた。やはり小梅の読みどおり、武器など隠し持ってはいなかったようだ。

 

「で、でも! あんたさっき、おもいっきりジャンプしてただろ!?」

 

 奈緒に疑問をぶつけられると、プロデューサーはクククと忍び笑いを漏らした。

 

「あなたがたを欺くには、あのくらいは見せておく必要があると思ったんですよ。おかげでかなり膝にきました。じつは今も立っているのがやっとなんですよ」

 

 そこまではさすがに信用できない。ここから逃げ出せるくらいの体力は戻っているはずだ。

 

「……起きたら力が増す、っていうのは?」

 

 凛がいぶかしげに問いただす。

 

「それは本当です。実際、閉じ込められていたロッカーの中で目を覚ましたときは、意識を失う前よりも力がみなぎっていましたからね。ただ、時間帯もあるのか、今回は少し回復に手間取っているんですよ。彼女たちになんとか時間稼ぎをしてもらいたかったんですがね」

 

 プロデューサーは小梅たちの向こうへちらりと視線を投げた。おそらくは、小梅たちが事務所から脱出しようとしていることを()()()で知り、体力の回復を待たずにあわてて後を追ってきたのだろう。

 

「さて、これからどうしますかねえ……」

 

 プロデューサーはふぅと息を吐き、天井を仰いだ。

 

「き、聴いてくださいっ、プロデューサーさん!」

 

 彼が観念したと見たか、卯月が身を乗り出した。

 

「治せるかもしれないんです、プロデューサーさんのこと!」

「治す?」

 

 プロデューサーがぴくりと眉を動かした。

 

「そ、そうです! 志希ちゃんがお薬を作ってくれて、私たちはそれを学者さんのところへ届けに行くところなんです!」

 

 卯月が目配せすると、裕子は解毒剤の入ったアタッシェケースをあわてて顔の前に掲げた。

 

 プロデューサーは神妙な顔つきでアタッシェケースを見つめた。

 

「一ノ瀬さんが……?」

「志希ちゃん、最後まで心配してました、プロデューサーさんのこと……。自分のせいでプロデューサーさんを苦しめたから、せめて治すお薬を、って自分の体まで実験台にしたんです。だから……」

 

 卯月が声を詰まらせると、プロデューサーもしんみりとつぶやいた。

 

「そうですか……。そこまでしていただかなくても、僕は一ノ瀬さんには十分感謝しているのに……」

 

 卯月は感涙をこらえるような表情で身を乗り出す。

 

「だったら、行きましょう! 私たちと一緒に――」

「……ええ、感謝しているんですよ、僕は――こんな素晴らしい肉体を与えてくれた、一ノ瀬さんに」

 

 プロデューサーの顔が邪悪に歪む。

 

「……え?」

 

 希望の色が広がっていた卯月の表情が、途端に固まった。

 

 そんな卯月をにたにたと眺めつつ、プロデューサーは両手を大きく広げてみせた。

 

「だって、素晴らしいじゃあないですか、この体は! いくら動きまわっても苦しくない! 眠らなくても疲れが溜まらない! 体の底から力が湧き出してくる! 汲めども尽きぬパワーの泉で水浴びをしているかのようだ! これなら好きなだけ仕事ができる! スタミナドリンクを飲まなくたって永遠に働ける! お金の心配も時間の心配もしなくていいんです! まさに最強のプロデューサーですよ!」

 

 プロデューサーは恍惚とした目つきを宙を見つめ、高らかな笑い声を上げた。恐ろしいというより異様な姿だ。

 

 一同はあっけに取られていたが、やがて凛がぼそりと口を開いた。

 

「……狂ってるよ、あんた」

 

 蔑むように睨みつける凛を、しかしプロデューサーを冷ややかに見返した。

 

「そうかもしれません。でも、()()()()()()なんてものは浜辺の砂に描いた肖像画だと僕は思いますけどね。世間の波にさらわれてしまうそんなちんけな存在になりさがるなんて、こちらから願い下げですよ。僕は人間を超えたんです」

「人間を超えた? やめた、の間違いでしょ?」

「そうとらえるなら、それでも結構です。真のトップアイドルになるのも、ある意味では人間をやめることだと僕は思いますよ?」

 

 肩をすくめて減らず口を叩くプロデューサーに、凛はなおもなにか言い返そうとしていたが、小梅はそっとそれを制した。今の彼にはなにを言ってもたぶん無駄だ。

 

「……あなたの考えはわかりました、プロデューサーさん。でも、私たちの意志は変わりません。私たちはこの薬を持って事務所を出ます。邪魔をするなら……力づくでもここを通してもらいます」

 

 小梅はほうきを正段に構えた。弱った彼ならば、非力な小梅でも十分に太刀打ちできるはずだ。

 

 しかし、小梅に続いて未央や奈緒も武器を構えたというのに、プロデューサーは失笑して肩をすくめる。

 

「な、なにがおかしいんですか。あなたひとりじゃ、私たちを食い止めることなんてできませんよ」

「そうでしょうね。でも、()()()()()()()()()()()()()?」

 

「っ――!?」

 

 不意に背後に気配を感じ、小梅は反射的に振り向いた。

 

 暗闇の向こうから、なにか巨大な塊のようなものがこちらに近づいてくる。

 

「あ、あ……っ!?」

 

 一緒に振り返った凛たちも、驚愕のあまり声を詰まらせていた。

 

 カ、カ、カ、カ……ザ、ザ、ザ、ザ……ド、ドド、ド、ドド――。

 

 最初は小さかった足音はまたたく間に数を増し、重なって、地鳴りのような重低音に変わっていく。

 

 薄闇の中に、無数の眼光が浮かび上がる。

 

 ひとつ残らずすべて、見覚えのある顔だった。

 

()()()()()……!?」

 

 椎名法子、奥山沙織、中野有香、五十嵐響子、水本ゆかり、福山舞、今井加奈、小日向美穂、持田亜里沙、三村かな子、安部菜々、間中美里、緒方智絵里、柳瀬美由紀、桃井あずき、横山千佳、櫻井桃華、西園寺琴歌、江上椿、前川みく、長富蓮実、関裕美、松原早耶、工藤忍、太田優、棟方愛海、藤本里奈、赤西瑛梨華、遊佐こずえ、井村雪菜、小早川紗枝、大原みちる、栗原ネネ、楊菲菲、兵藤レナ、大沼くるみ、丹羽仁美、相原雪乃、白菊ほたる、宮本フレデリカ、柳清良、双葉杏、安斎都、涼宮星花、月宮雅、道明寺歌鈴、古賀小春、日下部若葉、リュ・ヘナ、榊原里美、浅野風香、村松さくら、大西由里子、クラリス、佐久間まゆ、早坂美玲、有浦柑奈、乙倉悠貴、原田美世、池袋晶葉。

 

 高垣楓、塩見周子、橘ありす、西川保奈美、三船美優、ライラ、脇山珠美、岸部彩華、服部瞳子、瀬名詩織、東郷あい、岡崎泰葉、水木星來、氏家むつみ、成宮由愛、藤居朋、速水奏、古澤頼子、鷺沢文香、荒木比奈、森久保乃々、綾瀬穂乃香、梅木音葉、大石泉、松尾千鶴、神崎蘭子、高橋礼子、木場真奈美、小室千奈美、佐城雪美、八神マキノ、北条加蓮、松本沙理奈、望月聖、鷹富士茄子、松永涼、篠原礼、上条春菜、吉岡沙紀、高峯のあ、ケイト、佐々木千枝、和久井留美、浅利七海、ヘレン、伊集院恵、柊志乃、多田李衣菜、ジョニー、相川千夏、結城晴、桐野アヤ、水野翠、黒川千秋、藤原肇、川島瑞樹、新田美波、アナスタシア、大和亜季、二宮飛鳥、桐生つかさ。

 

 相葉夕美、浜口あやめ、高森藍子、沢田麻理菜、財前時子、衛藤美紗希、十時愛梨、上田鈴帆、冴島清美、佐藤心、南条光、浜川愛結奈、日野茜、諸星きらり、市原仁奈、海老原菜帆、及川雫、小関麗奈、向井拓海、野々村そら、片桐早苗、西島櫂、槙原志保、的場梨沙、仙崎恵磨、イム・ユジン、依田芳乃、首藤葵、イヴ・サンタクロース、相馬夏美、杉坂海、若林智香、城ヶ崎美嘉、城ヶ崎莉嘉、並木芽衣子、龍崎薫、松山久美子、真鍋いつき、難波笑美、斉藤洋子、矢口美羽、キャシー・グラハム、メアリー・コクラン、赤城みりあ、ナターリア、喜多日菜子、愛野渚、大槻唯、三好紗南、姫川友紀、喜多見柚、北川真尋、小松伊吹、村上巴、土屋亜子。

 

「さあ――」

 

 総勢二百名に迫ろうかという数のアイドルを出迎えるかのように、プロデューサーは両手を広げた。

 

「ステージの幕開けです」


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