作戦は決まった。
小梅たちはそれぞれの持ち物を確認したのち、控え室から廊下に出た。しんと静まり返る廊下には、まだゾンビたちの気配はなかった。
ドアを閉める直前、ブランケットを掛け直されたプロデューサーの姿が目に入った。
「プロデューサーさん、ごめんなさい……」
置き去りにしていくことに引け目を感じたのか、卯月が小声で謝った。
それに気づき、凛が卯月の肩を優しく叩く。
「仕方ないよ。薬が手に入ったら、助けに来よう」
「……はい」
卯月は涙をこらえたような表情で前を向く。
一同の視線の先にはがらんとした廊下が広がっていた。
「小階段のほうから降りるんだよね?」
未央が小梅に確認をとる。
「はい。エレベーターホール側の階段に作ったバリケードは、残しておきたいですから」
小梅はちらりとうしろを振り返った。今現在この廊下にゾンビがいないということは、自分たちが築いたバリケードはちゃんと役立っていると考えていいだろう。ならば残しておいて損はないはずだ。
廊下の突きあたりで右に折れ、小梅たちは小階段に入った。
「……幸子ちゃん」
下の階にさしかかったとき、幸子が襲われた更衣室のドアが目に入った。幸子はどうなってしまったのだろうか。ドアは閉まっていた。いっそあのまま更衣室に閉じ込められていてほしいとも思った。人肉を求めて醜く徘徊する怪物になりはててしまうくらいならば。
非常灯の薄明かりを頼りに、小梅たちはとうとう一階まで階段を下った。
壁に身を潜めつつ、奈緒が角の向こうの廊下をうかがう。
「……よし。あいつら、いないみたいだな……」
奈緒は背後に控えていた小梅たちに目配せをする。
一同はわずかな間を置いて、鈴なりに廊下へ飛び出した。
狭い廊下を抜けて現れたのは、広々としたエントランスホール。西洋の城のような概観を誇る瀟洒なホールだ。普段はせわしなく人が行き交う事務所の玄関口だが、人っ子ひとりいない今は、不気味な静寂に包まれていた。吹き抜けの壁高くに掲げられた大時計が時を刻む音だけが、小さく鳴り響いている。
「あいつら、全員建物からは出払っちゃったのかな……?」
ゾンビもいないホールを見渡し、凛がいぶかしげにつぶやいた。たしかに、数時間前はこの事務所の社員――いや、元社員とおぼしき人たちが所内を徘徊している気配があったのに。
「……もう深夜ですから、
「え?」
小梅の妙な言い回しに、凛が目を瞬かせた。
小梅はぎこちなく凛に笑い返す。
「知性を失ったゾンビは、人間だったころの行動パターンをなぞることがあるんです。勤め人だったゾンビならば、もう帰宅の途についていてもおかしくはないかと……」
「ああ……」
凛はどこか呆れたような相槌を打った。
奈緒も引きつった笑みを浮かべる。
「終電前のご帰宅ってか……? へへ、助かったのかな、この事務所がブラック企業じゃなくて」
「それならいっそのこと、おとなしく家に帰っててくれればいいのにね……」
笑えない冗談に付き合うと、未央はエントランスのガラス越しに外をうかがう。ここからでも、おびただしい数のゾンビが前庭を行き来しているのが確認できる。そのほとんどが、この事務所の元社員だろう。
「みなさん、やっぱりこの事務所が好き……なんでしょうか……?」
卯月がぽつりとつぶやいた。冗談なのか本気なのか判断しかね、小梅たちは笑うに笑えなかった。
「……とにかく、油断せずにいこう。ここからが本番だよ」
凛がみなを一瞥したあと、エントランスの方向を顎で示す。小梅たちは気を引き締めなおした。
なるべく足音をたてないようにして柱から柱へと移りながら、一行はエントランスに近づいた。
エントランスは両開きの自動ドアである。
「非常電源になっていますから、たぶん手で開けられると思います」
小梅がそう告げると、凛と奈緒が目で合図を送りあった。
身を低くして自動ドアに近づいたふたりは、わずかに開いていた隙間から指を入れ、足を踏ん張ってドアを引く。
はたして、ドアはゆっくりと両側に開いていった。
「よし……行くよ」
未央が合図を出し、卯月と小梅を従えてドアをくぐる。
ドアを開けてくれた凛と奈緒も続いて外に出た。
小梅たちの目前に広がる、見慣れたはずの前庭は、普段とはその趣をすっかり変貌させていた。
「あ、あんなにたくさん……」
ゾンビであふれかえる前庭の様子を見て、卯月が口元を押さえる。上から見て状況は把握していたとはいえ、こうしてあらためて目の前で接すると、想像以上におぞましい光景である。
エントランス付近を徘徊しているゾンビは、ざっと見積もっただけでも十数体。もう少し遠くまで見渡せば、さらに多くのゾンビの存在が確認できる。もしも彼らが集まってきたら、最悪の場合、小梅たちは身動きがとれなくなることだってありうる。
「ど、どうする? 小梅……」
奈緒が小梅に指示を仰ぐ。
小梅は少し考えてから、返事をした。
「見たところゾンビたちは、それぞれ決まったルートを行ったり来たりしています。おそらく、なにか刺激を与えないかぎり、同じ行動をとりつづけるのでしょう。それならば、大きな音をたてたりしないかぎり、彼らに襲われることなく進めるはずです」
「……とにかく気をつけて進みましょう。
小梅は未央だけでなく全員に向けて言った。緊張をはらんだ視線が返ってくる。
「……とりあえず、中庭まで行こう。壁伝いに進めばそう目立たないと思う」
凛の提案に反対する者はいなかった。
小梅たちは壁に背をつけ、横歩きで中庭へ向かって歩を進める。ひんやりとした感触が背中を襲う。しかし小梅には、それがガラスの冷たさなのか、恐怖によるものなのか、よくわからなかった。
「うう……」
暗闇の向こうからときおり聞こえてくる低いうめき声に怯えつつも、小梅たちは建物の端まで移動することに成功した。追ってくるゾンビはいない。
先頭の奈緒が角の向こうに広がる中庭をうかがい、即座に顔をしかめた。
「……くそう、うじゃうじゃいやがるな、こっちにも……」
中庭はさながら縁日のごとき賑わいを見せていた。練り歩いているのはもちろんすべてゾンビなのだが。
「それに、こんなに明るいなんて……」
凛が中庭に並ぶ外灯の一本を見上げて唇を噛んだ。
外灯は中庭を取り囲むように等間隔で設置されていた。そのおかげで、中庭全体が真夜中とは思えないほど明るく照らされている。これではここまでのように暗闇に乗じて動くことはほぼ不可能だろう。
「いますね……カフェテリアのほうにも」
卯月の声につられて、一同は斜め前方へ目を向けた。
カフェテリアは、小梅たちのいる地点から中庭を挟んだ斜向いにある。ここからでは店の中までは見通せないが、軒先に作られたオープンテラス席を見ることはできた。さすがに座ってお茶を飲んでいるゾンビはいなかったが、十数の個体がテーブルの間を縫うようにしてうろついていた。その周辺にはさらに数がいる。やはり、カフェテリア周辺は連中の影がひときわ濃いように思えた。
凛が不安げに眉根を寄せる。
「どうしよう……。あいつらがいなくなるまで、しばらく待つ……?」
「……いや」
ぽつりと答えたのは未央だった。
未央はゆっくりと大きく息を吐くと、小梅に向かって右手を差し出した。
「ここで待っていてもジリ貧になるだけだよ。……例の作戦をやろう。小梅ちゃん、スマホ、貸してくれる?」
「は、はい、でも……」
小梅だけでなく、みなが憂わしげに未央を見返した。
しかし、未央の決意は固いようだった。
「向こうの建物に入るには、どのみちあいつらの群れのなかを抜けていくしかない。誰かが道を作るしか……ないんだよ」
硬い口調で言うと、未央はなおもためらう小梅の手からすばやくスマートフォンを取り上げた。
「あ……」
思わず手を伸ばした小梅に、未央は頼もしげな笑みを返した。
「大丈夫。ある程度まであいつらを引きつけたら、私も急いで逃げるからさ。こう見えても私、鬼ごっこには自信があるんだ」
冗談めかして言うと、未央はみなに背を向けてスマートフォンを操作しはじめた。
未央の背中越しに見えるスマートフォンの画面では、音楽プレーヤーアプリが起動しはじめていた。
*
大音量で音楽を鳴らして、ゾンビたちを引きつける。
それが、未央がみなに提案した作戦だった。
プロデューサーが持っていたスマートフォンには、音楽再生用のアプリケーションがインストールされていた。彼はこれを使って、担当アイドルがライブなどで歌う予定の楽曲を試聴していたらしい。
知能の衰えたゾンビは大きな音に反応する習性をもつ。これは小梅がみなに教えたことだった。未央はそれを思い出し、音楽を使って彼らを誘導する作戦を思いついたようだ。
大勢のゾンビの動きを一挙に操ることができれば、たしかに別棟の入口へ至る道筋を開くことも可能だろう。
だがこの作戦にはいくつか、大きな問題があった。
そのひとつは、誰かが音源となるスマートフォンを持ってゾンビの群れに近づかなければならないということだ。
「……やっぱり、遠くからスマートフォンを投げる、ってわけにはいかないんですか?」
卯月が不安げにたずねると、未央はゆるゆると首を横に振った。
「それだと最悪、スマホが壊れちゃう危険があるからね……。やっぱり、誰かがあいつらのそばまでいって、プレーヤーを再生させてくるのが、確実だよ」
未央は自分の手のなかにあるスマートフォンを握り込んだ。言うでもなく、自分がその危険な役を請け負うという意志表明だ。
控え室で作戦を提案したときから、未央は自分が囮になることを買って出ていた。
「いい? 絶対に、無理しちゃダメだよ。危なくなったらすぐに引き返してきて」
準備を整えた未央に、凛がそう念押しした。
小梅もたまらず未央の袖を引いた。
「あの……プロデューサーさんのことは、私たち全員の責任です。だから、自分ひとりで抱え込もうとは……しないでください」
未央はふっと相好を崩した。
「大丈夫だよ。もう、大丈夫だから」
小梅の頭をくしゃくしゃと撫でると、未央は表情を引き締め、前を向いた。
「さて、と……。それじゃあ、ひとっ走りしてきますか」
未央が建物の陰から少し身を乗り出すと、その背中に向かって奈緒が最後に声をかけた。
「た、頼んだぜ、未央。絶対戻ってこいよ」
振り向いて目だけで答えると、未央はひとり、中庭へと飛び出した。
未央は周囲にいるゾンビたちを警戒し、はじめは忍び足でカフェテリアの方向へ移動を始める。いちばん厄介なのは、やはりカフェテリア付近にいて別棟への道筋を塞いでいるゾンビたちだ。だから未央は、できるかぎりカフェテリアに近づいてから、彼らの注意を引きはじめるつもりなのだろう。
「……行きましょう、私たちも」
未央に少し遅れて、小梅たちも中庭に足を踏み入れた。
中庭をまっすぐ横切ろうとする未央に対し、小梅たちはなるべく端を通って別棟へ近づこうとしていた。
とはいえ、中庭の周囲に並んだ外灯付近にはゾンビも集まっているので、ぴったりと壁伝いではなく、やや内側に進路をとって横断を試みる。
意外なことに、未央も小梅たちも、彼らに見咎められることなく目的地への中間地点あたりまで進むことができた。ひょっとしてこのまま最後まで気づかれずに行くことができるのか――。
しかし、そんな甘い考えが脳裏をかすめた、その矢先。
「……ガウァッ!」
未央の目の前を通り過ぎようしていた一体のゾンビが、突然振り向いて牙を剥いた。
「っ……!」
未央はとっさにバックステップで飛び退き、敵との距離をとる。
が、その足音のせいで、未央は周囲にいたゾンビたちにも存在を気づかれてしまった。
「ガウオッ!」
数体のゾンビが一斉に未央に向かって吼えたのを見て、卯月が悲鳴に近い声をあげる。
「み、未央ちゃん!」
「ダメですっ、大きな声を出してはっ」
小梅に言われ、卯月はあわてて自分の口を押さえた。その目にはじわりと涙が浮かぶ。
さいわい、ゾンビたちは卯月の声にはまだ反応しなかった。近くにいたゾンビたちはみな、先に見つけた未央のほうに注意を向けているようだ。
未央はちらりとこちらをうかがい、小梅たちに目配せをする。今のうちに急げ、と。
「く……っ」
小梅は断腸の思いで別棟への行進を再開させた。ほかの者も小梅に続く。今度はさきほどまでよりやや足早になるが、全速力で駆け出すのはまだ危険に思われた。
自分に向かって迫りくるゾンビのほうへ注意を戻した未央は、スマートフォンを握った右手を高々と頭上に掲げた。
「存分に聴きなよ! 特別先行公開だよ!」
未央の指がスマートフォンの画面に触れる。
すると、やや間があって、軽快な音楽が大音量でスマートフォンから流れはじめた。次回のライブでお披露目される予定になっている新譜である。
「ヴァ?」
未央を取り囲んでいた数体のゾンビ、さらには周囲にいたほかのゾンビたちまでもが、一斉に未央が持つ音源を見上げた。その隙を突いて、未央が機敏なスタートを切る。
「ほら、こっち!」
駆け出した未央は、ゾンビたちを誘導するかのようにスマートフォンを掲げたまま、弧を描くような進路をとってカフェテリアのテラス席へ向かっていく。
「ヴヴヴ……ウウウ……」
未央の目論見は、どうやら的中したようだ。ゾンビたちは蜜の匂いに引き寄せられる虫のごとく、未央を――未央の手の中で鳴る音楽を追いかけていく。
やがて未央は、十体近くのゾンビを引き連れて、オープンテラス席の手前に到達した。
「ほら、あんたたたちも!」
未央はテラス席近辺を徘徊していたゾンビたちに向かってスマートフォンを突き出した。鳴り響く音楽が、ゾンビたちの気を引く。
「グググ……ッ」
それまではバラバラに歩き回っていた数体のゾンビが、一斉に未央のほうへ体を向けた。彼らは音楽を請い求めるように未央へ這い寄っていく。
別棟の入り口へ続く道筋を塞いでいた数体のゾンビも、わらわらと未央のほうへ向かいはじめる。求めるルートが開いた。
「よし……っ、やった!」
奈緒が小さく快哉を叫んだ。
が、まだ安心はできない。
未央はまだ、ゾンビの群れの中心にいる。音楽は鳴りつづけている。
やや離れた位置にいたゾンビたちも音に気づきはじめた。集まってくる。
未央の周囲にはとうとう、二十は下らない数のゾンビが群がりだしていた。
「み、未央! に、逃げて!」
凛がたまらず叫んだ。
「わかっ……てる!」
未央はその場で身をかがめると、スピーカーの口があるほうを上にして、スマートフォンを地面に置いた。
今回の作戦のもうひとつの問題、それは、ここでスマートフォンを失ってしまうということだった。
ゾンビたちを音に引きつけておくためには、その音源であるスマートフォンを彼らの只中に置いてこなければならない。取りに戻ることはもう不可能だ。
小梅たちとしてはやっと手に入れた通信手段を手放すことになってしまうが、背に腹は代えられない。後ろ髪を引かれる思いも多少はあったが、全員で納得して出した結論だった。電話やメールは通じないし、インターネットで調べるべきこともすでに残っていない。この決断にまちがいはないはずだ。
「未央、急げ! やつら、どんどん来てるぞ!」
次々に押し寄せるゾンビを見て、奈緒があわてて呼びかけた。
ゾンビの壁に阻まれて未央の姿を見失い、小梅たちは一瞬ひやりとしたが――。
「く……おおおおっ!」
ゾンビの群れの隙間から、威勢のいい雄叫びが聞こえてきた。
体勢を低くしてゾンビの壁を割ってきたのは、もちろん未央だ。
「よし……っ」
こちらへ向かって駆け出した未央を見て、小梅たちは一瞬、気を緩めた。
それを油断と呼ぶのは、あまりに酷な話だろう。
「あっ――」
短い声とともに、未央が突然、大きく体勢を崩す。ガタガタと派手な物音があたりに響く。未央は倒れていた椅子に足を引っ掛け、転んでしまったのだ。
「未央さんっ!」
しかしそれだけならばまだ、たいした問題ではなかっただろう。すぐに起き上がって逃げればいい。
本当の誤算は別のところで生じた。
「え――?」
ぶつりと。
けたたましく鳴り響いてた曲が、突然途切れた。音楽がいきなり止んだのだ。
「え? え?」
混乱した小梅たちはやみくもに周囲を見渡した。なにが起きた? どうしてここで音楽が途切れる? スマートフォンの電池が切れたのか? いや、でも、充電はまだ十分に残っていたはずだ――。
「……あっ!」
奈緒がなにかに気づき、倒れた未央の方向を指さした。
しかし、その指先が示すのは、未央ではない。さらに奥――大量のゾンビが群がる付近だ。その足元だ。
「ふ、踏まれ……っ!?」
小梅は驚愕に目を見開いた。
一体のゾンビの足が、スマートフォンを踏みつけていた。
狙ってスマートフォンを破壊したわけではないのだろう、きっと。本能の赴くままにみんなで押しくら饅頭をしたせいで、あのゾンビは期せずして享楽の源泉を壊してしまったのだ。
ゾンビたちに踏まれ、蹴飛ばされたスマートフォンは、液晶画面が割れ、ボディもひしゃげていた。スマートフォン本体が壊れてしまっては当然、音楽プレーヤーとしての用をなさない。いやたとえ壊れていなくても、ゾンビたちの足で小石のように蹴飛ばされつづけているスマートフォンを拾い上げ、もういちどプレーヤーを再生させるなどほとんど不可能に近い。
こんなかたちで作戦が失敗に終わるなんて……! 小梅の頭は真っ白になった。どうする? どうすればいい?
「う、うわあっ!」
未央の悲鳴が、小梅を現実に引き戻した。
「こ、こっち来るなって!」
いまだ尻もちをついた状態の未央が叫ぶ。
数体のゾンビが未央に接近していた。
音楽が途切れたせいで、今度は近くにいた未央の匂いにでも反応したということか。付近にいたほかのゾンビも、餌を求めるかのごとく未央のもとへ近づいてきていた。
「み、未央! 早くこっちに――っ!?」
未央を助けに向かおうとした凛の足が、すぐに止まる。数体のゾンビが目の前に立ちふさがったのだ。
もちろん、連中が示し合わせてこんな行動をとっているわけではなかろう。が、なにせ数が数だ。個々が勝手に動いているだけでも、小梅たちにとっては連携プレーで壁を作られているに等しかった。
「未央ちゃん! 未央ちゃんっ!?」
卯月がゾンビたちの肩越しに呼びかけるが、向こうからは必死に難を逃れようとする声しか返ってこない。続々と押し寄せるゾンビに取り囲まれ、未央の姿はもう見えなくなっていた。
「う、嘘だろっ!? おいっ!」
奈緒が絶望的な悲鳴をあげる。
もうだめだ――。小梅も固く目を閉じ、最悪の場面を覚悟した――そのとき。
「こっちだぜ、おまえら!」
威勢のいい声と軽快なギターの音が小梅の耳朶を打った。
「え!?」
一同は驚いて音のしたほうへ振り向く。
カフェテリアの入口あたり。
そこに、アコースティックギターを構えたリーゼント頭の少女がさっそうと現れていた。
「な、夏樹ちゃん!?」
名前を呼んだ卯月に一瞬だけ流し目をくれると、夏樹はまたギターをかき鳴らした。
するどい弦の響きに反応し、未央を取り囲んでいたゾンビたちが一斉に夏樹のほうへ顔を向けた。
「おまえら、今だ!」
夏樹が叫ぶと同時に、彼女の背後からふたりの少女が飛び出してきた。あれは――。
「輝子と裕子!?」
奈緒だけでなく、小梅たちはそろって驚きに目を見張る。ボサボサ髪の小柄な少女と、シュシュでポニーテールを結わえたスレンダーな少女。あれはまちがいなく、ゾンビ騒動が起きる前に別れた星輝子と堀裕子だ。
ふたりとは、ゾンビ騒動が起きる直前に離れ離れになっていた。どうして彼女たちがここに――? 理解が追いつかない小梅たちを尻目に、ふたりはひきめきあうゾンビたちの前に駆け込み、持っていた筒状のものを彼らに向けた。
「くらえっ、パイロキネシス!」
裕子のいささか間の抜けた掛け声とともに、彼女の手元がまばゆく光る。彼女が持っているもの――あれは、懐中電灯か!
「ガッ!」
顔面に強い光を照射されたゾンビは、まぶしがって大きくのけぞった。
「サイキック……パワーッ!」
裕子は近くにいたゾンビたちの顔へ次々に懐中電灯の光を当てていく。
となりにいる輝子が手にしているのも、もちろん懐中電灯だ。
「え、えいやー……」
気の抜けた掛け声だったが、輝子も近づいてくるゾンビの顔面を懐中電灯で的確に照らしていた。
「グウッ……、アゲ……コッ!?」
光を当てられたゾンビたちは、まるで槍でつつかれたかのようによろめきながらあとずさる。ゾンビの密集が、徐々にほどけていく。
「く、くあっ!」
潜水から戻ってきたスイマーのような息継ぎとともに、未央がゾンビの群れのあいだからまろびでてきた。
「よしっ、こっちだ!」
待ち受けていた夏樹がすかさず未央を助け起こし、ゾンビの群れから引き離した。
「み、未央ちゃん! 大丈夫ですか!?」
恐怖に身を震わせている未央に卯月が駆け寄ろうとする。が、夏樹はみずから未央の肩を支えた。
「心配するのはあとにしろ! 今はとにかく逃げるぞ! こっちだ!」
夏樹は大きく手を振って、小梅たちを誘導した。
「え……ここ?」
凛が案内された先にある
看板にはデザインされた「Cafe」という文字が踊っていた。
夏樹が小梅たちをいざなった場所――そこは、カフェテリアの店内だった。