シンデレラガールズ・オブ・ザ・デッド   作:電柱保管

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 プロデューサーが沈黙してから三十分ほどが経ってもなお、室内には重苦しい雰囲気が垂れ込めていた。

 

 小梅たちはドアの近くに固まり、膝を突き合わせて坐していた。窓際にはまだプロデューサーが倒れたままでいる。小梅たちは硬い表情のまま、いたずらに時を過ごしていた。

 

 しかし、時計の針が午後十一時三十分を回ったころ。

 

「……」

 

 凛がおもむろに腰を浮かせ、一同の輪から抜けた。彼女が向かった先は、倒れているプロデューサーの元。一メートルほど距離をあけたところから彼の顔をおそるおそるのぞきこんだのち、凛はこちらへ振り向く。

 

「……この人、まだ生きてるよ。……たぶん」

 

 凛の視線は未央へ向いていた。

 

 未央は膝を抱えたまま小さくうなずく。

 

「うん……」

 

 しかし未央はうつむいたまま、プロデューサーのほうをけっして見ようとはしなかった。わずかにのぞく表情は硬い。いつものはつらつとした笑顔はすっかり鳴りをひそめていた。

 

 未央が塞ぎ込むのも無理はない。()()によってプロデューサーを追い詰めたのはここにいる全員だとしても、彼の左胸にビニール傘を突き立て、とどめを刺したのはまぎれもなく未央なのだ。

 

「元気……出してください、未央ちゃん。ええと……」

 

 未央にかけるべき言葉を探し、卯月は視線を宙にさまよわせる。

 

「み、未央ちゃんはその……、私たちを助けてくれたんですから……」

「……うん」

 

 未央は小さくうなずいたものの、それ以上はなにも答えようとはしなかった。やはり罪悪感拭いされないのか。

 

 自分の膝に顔をうずめる未央を卯月は悲しそうに見つめた。

 

「未央ちゃん……」

「……卯月」

 

 卯月の肩を叩いたのは凛だった。

 

 泣きそうな顔で振り返った卯月に、凛はゆるゆると首を振る。

 

 未央のことはしばらくそっとしておこう。口にこそ出さなかったが、凛の神妙な顔つきはそう語っていた。卯月は唇をかみしめてうなずいた。

 

 小梅もそのほうがいいと思う。しかし、となると問題は……。

 

 小梅は横目でプロデューサーの様子をうかがった。傘を抜かれた左胸からは泥のような色の血液が流れ出て、床に血溜まりを作っている。心臓を貫かれたにしては出血が少ないようにも思えたが、見るに堪えない光景であることに変わりはない。

 

「……せめて上からなにかかぶせておきませんか?」

「まあ……、あのままにはしておけないよね……」

 

 凛は未央のほうも気にしつつそう答えた。

 

 小梅たちとしても、プロデューサーの無惨な姿がいつまでも目に触れているのは辛い。

 

「……布団とか毛布とか、どこかにありましたっけ?」

「うーん、どうだろう……。奈緒、わかる?」

 

 水を向けられた奈緒は、太眉を寄せて少し考え込むしぐさを見せた。

 

「布団か……。なんかあった気もするけど……あっ」

 

 なにか思い当たるふしがあったようで、奈緒は大きく体の向きの変えた。目をやったのは、壁際に並んだ大型のキャビネット。

 

「ライブグッズのブランケットが、たしかあそこに」

 

 小走りでキャビネットに駆け寄った奈緒は、下段の引き出しを開けて中を探りはじめた。

 ほどなくして小梅たちのほうへ振り向いた奈緒の手には、俵型のビニール袋があった。

 

「あった、これだ」

「ああ、前回のライブで売ってたやつか」

 

 凛が苦笑を返す。小梅たちのようなアイドルが出演するライブイベントでは、いろいろなオリジナルグッズが会場で販売される。このブランケットもそのうちのひとつである。おかげさまでグッズは完売することが多いが、サンプル品がいくつかこうして残されていることがある。

 奈緒はいささか乱暴に包装を破り、小梅たちに向けてブランケットを広げた。

 

「どうだ? 使えそう?」

「うーん……、ちょっと丈が足りないかな……?」

 

 凛が眉を寄せて小梅をうかがう。

 

 ブランケットは長方形だが、ライブグッズとあって長いほうの一辺でも百センチメートルほどの小ぶりなもの。たしかにこれ一枚ではプロデューサーの全身を覆うことはできそうもない。

 

「でも……とりあえず顔は隠せます」

 

 小梅の言葉に、凛もうなずく。

 

「まあ、二枚使えばなんとかなるんじゃない?」

「あっ、そういうことなら」

 

 奈緒は広げたブランケットの向こうからひょい顔をのぞかせる。

 

「ほら。まだ中にあったぜ」

 

 ブランケットを凛に渡すと、奈緒はまたキャビネットの引き出しに向かった。

 

「あと何枚かあるみたいだ」

 

 奈緒は同じビニールの包みを引き出しから取り出し、今度は小梅と卯月に向かって放った。ふたりは少し慌てながらも両手で包みをキャッチする。

 

 小梅はなにげなしに包みへ目を落とした。中に見えるブランケットの柄になっているのは、ライブ用にデザインされたロゴマークだ。

 

「なんか……懐かしいね」

 

 同じように手元のブランケットを見つめていた凛がぽつりと漏らした。

 

「ええ……本当に……」

 

 前回のライブがあったのは、つい数ヶ月前だ。しかし今はそれもはるか遠い過去の出来事のように思える。

 

 戻るべき日常は果てなく遠いのか……。心が折れそうになったが、小梅は懸命にこらえて顔を上げた。

 

「……もしこれから冷えてくるようなら、私たちもこれを使いましょう。なるべく体力を奪われないようにしておかないと」

「……うん、そうだね」

 

 凛はブランケットをぎゅっと握りしめた。その表情は少し硬い。彼女にも思うところがあるのだろう。

 

 小梅が視線を前に戻すと、奈緒と卯月がちょうど包みからブランケットを取り出したところだった。

 

「さて……と。じゃあ、この二枚がプロデューサーさん用、ってことでいいか?」

「は、はい、そうしましょう」

 

 奈緒の提案にこくこくとうなずくと、卯月はブランケットを胸に抱いた。

 

「私たちも」

「はい」

 

 凛と小梅は目配せしあい、ふたりのあとに続く。

 

 四人はプロデューサーのかたわらに並んだ。

 

「う……あらためて見ると強烈だね……」

 

 血の海に浮かぶプロデューサーを前にして、凛が顔をしかめた。となりにいる卯月の顔も心なしか青ざめているように見える。

 

「な、奈緒ちゃん、早くプロデューサーさんにこれ、掛けてあげましょう――奈緒ちゃん?」

 

 横の奈緒を見て、卯月が首をかしげた。奈緒がプロデューサーを見つめ、なにやら難しい顔をしていたのだ。

 

「どうかしたの? 奈緒」

 

 凛も奈緒の様子に気づき、怪訝そうに眉をひそめた。

 

 振り向いた奈緒は、困ったように頬をかいた。

 

「いや、さ……。いちおう手を合わせるとかしたほうがいいのかなって」

「あ……」

 

 凛と卯月がそろって口を開けると、奈緒はすぐさま「たださ、ほら」と続けた。

 

「プロデューサーさん、そういうの嫌がってたじゃん……?」

「ああ……」

 

 奈緒の懸念を理解したらしく、卯月はすぐに憂い顔になった。奈緒は、プロデューサーが祈りによって苦しめられていたことを気にしているのだろう。

 

 一方、凛は、顎に手を当ててじっとなにか考え込んでいた。

 

「……ねえ、そういえばさ」

「ん?」

 

 今度は奈緒が眉根を寄せた。

 

 凛は奈緒の視線を受け流し、横目でプロデューサーをうかがう。

 

「プロデューサー……、なんで()()であんなに苦しんだんだろう……?」

「え? なんだって?」

 

 質問の意味がよくわからなかったのか、奈緒は怪訝そうに瞬きを繰り返した。

 

 だが、小梅には凛の言いたいことがすぐ理解できた。

 

()()()()()()()()……ですよね?」

 

 凛と奈緒、それに卯月も小梅に視線を集める。

 

 こくこくとうなずく凛を見て、小梅はおもむろに口を開いた。

 

「……肉体的な痛みすら克服していたプロデューサーが、なぜ祈りなどという攻撃ですらないものに苦痛を感じたのか――」

 

 その点については、じつは小梅もずっと気になっていた。

 

 考えられる理由としては――。

 

「ゾンビが特定の刺激――音や象徴に対して過敏な反応を示す、という例は、ないわけではありません」

「そ、そうなのか?」

 

 いぶかしげな相槌を打った奈緒に向けて、小梅は神妙に首肯した。

 

「たとえばゾンビが大きな音のするほうへ寄っていくというのはよく知られた話です。ほかにも、ゾンビは匂いや特定のしぐさに敏感だという説もあります」

「あっ……ゾンビが背丈以上の障害物を越えてこない、っていうのも、ひょっとして……?」

 

 勘のいい凛に、小梅は照れ笑いを返した。凛の言うとおり、たしかにバリケードも彼らの習性を利用したものだといえなくもない。提案した小梅もはっきりとそれを意識していたわけではなかったから、あえては口にしなかったのだが。

 

「まあ、あれか……、吸血鬼が十字架やら大蒜やらに弱いってのと似たような話か……」

 

 腕組みをしてうなった奈緒に続いて、凛も顎に手をやって思案顔になった。

 

「ゾンビもたしか、なんか宗教がらみの怪物だったもんね……」

「ブードゥー教ですね」

 

 凛も意外によく知っている。ただ……。

 

「ただ、今回に関しては、吸血鬼……の一部のように、宗教的な要素が効いたわけではないとは思います」

「どうして?」

「たしかにゾンビのルーツはハイチのブードゥー信仰にあると言われていますけど、今回のゾンビ化現象は血液感染によって広がっているようなので――」

 

 ――あれ? 

 

 ふとなにかが引っかかり、小梅は思わず口を止めてしまった。

 

 ひとつの疑問が頭に浮かぶ。

 

 そういえば――プロデューサーさんって、いつ、誰からゾンビを移されたんだろう……?

 

「あ、あの――」

「ま、宗教がらみじゃないなら、気にしすぎることもないってことか」

 

 折り悪く小梅と同時に口を開いたのは奈緒だった。小梅の弱々しい呼びかけは、奈緒の声でかき消されてしまう。

 

「そういうことなら、せめてもの供養ってことで」

 

 奈緒はそう言うと、プロデューサーへ向き直って姿勢を正した。

 

「申し訳ないけど、しばらくおとなしくしててくれよな」

 

 奈緒はパンパンと柏手を二度打ってから、頭を垂れてプロデューサーを拝みはじめる。

 

 微妙にお参りの作法も混じってしまっている気がしたが、凛と卯月も手を合わせていたので、小梅も素直にみなに倣った。

 

 例の疑問はまだ頭に残っていた。が、もうみなに相談する雰囲気でもなくなっている。小梅は固く目を閉じて、脳裏にこびりついた考えを振り払うことに努めた。

 

 しばしの黙祷を終え、奈緒が「うしっ」と声を発して頭を上げる。

 

「それじゃあ、毛布かけてやるか。卯月、足のほう頼むな」

「あっ、はい」

 

 卯月がブランケットを広げながらプロデューサーの足元に向かうと、奈緒は頭のほうからゆっくりと反対側へ回り込んだ。どうやら、二枚のブランケットで大柄の彼の全身をなるべく隠せるように、いろいろ試してみるようだ。

 

 ふたりの作業をぼんやり眺めていると、となりにいた凛が「ねえ」と硬い声をかけてきた。

 

「あの手……祈り、さ。プロデューサー以外のゾンビにも通用する……のかな?」

 

 歯切れの悪い言い方から、凛もおおかた答えを予想できていると知れた。

 

「……可能性はありますが、現段階ではまだなんとも……」

「……そっか」

 

 凛はため息を飲み込むような間を置いて、小さくつぶやいた。

 

 このまま救助を待つにしても、思いきって逃走を試みるにしても、ゾンビへの対抗手段を持っておくに越したことはない。凛としてはそう考えていたのだろう。

 

 が、プロデューサーの一例だけをもって拙速な行動に移るのは危険だ。せめてもう少しサンプルを集めてから状況を判断したい。

 

「……外が今どうなっているかわかれば、いろいろと考えやすくなるとは思うのですが……」

「外か……」

 

 凛は眉を曇らせながらテレビへ目をやった。

 

「結局、ニュースみたいなのをちょっと見られただけだもんね……」

 

 天井を見上げた凛は、こらえきれなかったのかとうとうため息を漏らした。

 

 弱気になった彼女を少しでも励まそうと、小梅は凛の服の裾をキュッとつまんだ。

 

「なにか良い手が見つかります……きっと」

 

 凛からはぎこちない、しかし優しげな笑みが返ってきた。

 

 ふたりはどちらからともなく視線を外し、卯月たちのほうへ目を戻した。

 

 どうやら、ちょうどプロデューサーにブランケットをかぶせる段取りが整ったところのようだ。

 

「こっちは大丈夫ですけど……、奈緒ちゃんは?」

「ああ、あたしのほうも問題ない――ん?」

 

 プロデューサーの腹のあたりにブランケットを置きかけたとき、奈緒がなにかに気づいてその手を止めた。

 

「奈緒? どうしたの?」

 

 凛が声をかけると、奈緒は困惑したような顔を返してきた。

 

「いや……なんかあるみたいなんだよ、背広のポケットの中に」

「ポケットの中?」

「ちょっと待って……くっ」

 

 奈緒は少し顔をしかめながらも、わずかにはだけたジャケットの内側にそろりと手を入れた。手探りでポケットを漁ると、奈緒は中からなにかを引き抜いた。

 

 自分がつかんだものを視認した瞬間、奈緒の顔色が変わる。

 

「お、おい、これ!」

 

 奈緒が突き出した右手に握られているその物体を見て、小梅と凛はほぼ同時に目を見張った。

 

「あっ!」

「ス、スマホ!?」

 

 素っ頓狂な声を上げたのは卯月だった。

 

 それに釣られるように、凛まで柄にもなく大きな声を出す。

 

「そ、そうか! プロデューサーがいつも使ってるやつ!」

 

 小梅にも見覚えがあった。たしかにこれは、彼が私用で使っていた機種である。

 ある意味では盲点だった。小梅たちはレッスン着のままこの部屋に閉じ込められてしまったため、自分たちの携帯電話を持っていなかったわけだが、プロデューサーはスーツ姿、つまり仕事着姿である。ならば、通信機器のひとつやふたつ、携帯していないほうがおかしいというものだ。

 

 その可能性に今まで思い至らなかったのが不思議なくらいであるが、メタリックに光るこの平たい物体がスマートフォンであることは疑いない。

 

 思いがけない僥倖に、小梅は脳内でアドレナリンが一気に放出されたような興奮を覚えた。

 

 こうなれば、今の今までプロデューサーの持ち物を探ろうともしなかった自分たちの間抜けさを呪うのはあとでいい。

 

「つ、使えるんですか、それ!?」

 

 卯月が前のめりになって訊ねると、奈緒はあわてた様子でスマートフォンを握り直した。

 

「ま、待って! 試してみるけど、まだ画面暗いから……」

 

 奈緒は端末側面の電源ボタンに指をかけた状態で、ごくりと喉を鳴らした。そうだ……。もしセキュリティロックなど掛けられていようものなら、自分たちでは端末そのものを使用できないことになる。せっかくの通信機器も、使えなければ宝の持ち腐れだ。

 

「い、いくぞ……」

 

 奈緒はわざわざそう宣言してから、慎重な手つきでボタンを押し込んだ。緊張の一瞬――。

 

「……よし! 画面開いた!」

 

 液晶画面が明るくなるやいなや、奈緒は快哉を叫んだ。さいわい、セキュリティロックは設定されていなかったらしい。

 

 小梅たちも一気に色めきたつ

 

「電話は? つながるの?」

「ちょ、ちょっと待って!」

 

 凛に急かされると、奈緒は今度はすばやくタッチパネルで三桁の番号を打ち込んだ。一一〇番に掛けたらしい。通話ボタンを押し、端末を耳に当てる。しかし――。

 

「……くそっ! ダメだ!」

 

 今度はいまいましげにそう吐き捨てて、奈緒はスマートフォンを耳から離した。スピーカーから、無機質な機械音が漏れ聞こえてくる。

 

「ほ、ほかの番号は? 救急車とか……」

 

 卯月に要請されるまでもなく奈緒は別の番号でも通話を試みていた。だが、その表情はやはり険しいままだった。

 

「ダメだ……、どれもつながらない……」

「そんな……」

 

 卯月が落胆の声を漏らしたが、諦めるのはまだ早い。

 

 小梅は奈緒の手からスマートフォンを奪うと、すばやく画面を検分した。

 

「……電波は届いているみたいです。それなら……」

 

 小梅はタッチパネルを操作し、ウェブブラウザのアイコンにタッチする。

 

「そ、そうか、ネット!」

 

 小梅の目論見にいちはやく気づいた凛に、小梅は力強くうなずきかえす。

 

「誰かと直接やりとりできなくても、掲示板サイトとかになにか書き込みが残っていれば……」

 

 ただそれも、サーバーなどのインフラがダウンしていると接続できないのだが、今は一縷の望みに賭けるしかない。

 

 小梅はあらためてスマートフォンに目を落とした。液晶画面には、検索サイトのトップページが表示されていた。一見、きちんとネットに接続されているようにも見える。しかしこれはウェブブラウザにキャッシュが残っているためだろう。問題はここからだ。次の画面に行けるか。小梅は検索窓にキーワードを打ち込み、祈るような気持ちでエンターキーを押す。

 

 緊張のためか、知らず知らず目を閉じていた。息を呑みながらまぶたを開け、視界に飛び込んできたのは――。

 

「……や、やった!」

 

 小梅は思わず声をはずませた。

 

 液晶画面には、検索結果を示すページが映し出されていたのだ。

 

「つ、つながった!」

 

 小梅の横から画面をのぞきこんだ凛も安堵の声を上げた。

 

 奈緒と卯月の顔にも喜色が浮かぶ。

 

 小梅だってもちろん、期待感を一気に膨らませていた。しかし逸る気持ちを抑え、咳払いをひとつ入れる。

 

「ネット回線は生きているようですが、今回の件に関する情報が上がっているとは限りません。もう少し調べてみないと……」

 

 凛は一転して表情をこわばらせた。

 

「ど、どうするの?」

「ネット掲示板を当たってみましょう。非常時の情報源として速報性は高いですから。外の状況がわかる書き込みが残っているかもしれません」

 

 全員がうなずくのを確認して、小梅は有名なネット掲示板のサイトへ入った。サイト内の検索窓にキーワードを打ち込む。「ゾンビ」と。

 

「……あった」

 

 検索結果を目にして、思わず唖然としてしまった。あった。「ゾンビ」をタイトルに含むスレッドが大量に。しかもその大半が、今日の夕方以降に最新の書き込みが行われたものだった。

 

「マ、マジで!?」

 

 奈緒たちは一様に目を剥いて驚いていた。

 

 ゾンビの大量発生はまごうことなき現実なのだ……! 不謹慎だとは思いつつも小梅はひそかに胸を高鳴らせた。

 

「か、書き込みを調べてみます。い、いいですか?」

 

 小梅は息を呑みつつ、検索結果のトップに表示されたスレッドへのリンクを押した。

 

「す、すごい……!」

 

 書き込みにざっと目を走らせただけなのに、めまいがしそうになった。

 

 今、目の前にゾンビがいる。こっちに向かってくる。いや、もう襲われた。助けてくれ……。誰のものとも知れないそんな書き込みが、ログの下方まで連綿と続いていた。なかには悪ふざけや虚偽もあるのだろうが、少なくない数の本物が混じっていることはまちがいない。だって、自分たちがまさにゾンビに遭遇しているのだから。

 

「か、貸して!」

 

 震える小梅の手からスマートフォンを奪い取ったのは凛だ。凛は食い入るように液晶画面を見つめはじめた。

 

「『【最新情報】現在確認が取れているゾンビ発生場所。渋谷、新橋、お台場、六本木、日比谷、浜松町』……? なにこれ……?」

 

 凛の声に絶望の色がまじる。

 

「東京中でここと同じようなパニックが起きてるってこと……?」

「お、おい、凛! なにか役に立ちそうな情報はないのかよ!?」

 

 奈緒の声でハッと我に返った凛は、ふたたび液晶画面に焦点を合わせた。

 

 険しい表情の奈緒と不安げに口元を押さえる卯月に見守られながら、凛は血眼になってスレッドの書き込みをさかのぼっていく。

 

「……あっ!」

 

 大きく目を見開いた凛は、困惑と驚きが入り混じった表情を奈緒たちへ向けた。

 

「て、手を合わせて念仏を唱えたらゾンビが苦しみだした、って書いてある!」

 

 その内容は即座に、先刻の出来事を思い出させた。宗教的な趣の違いはあるが、祈りによってプロデューサーを撃退した小梅たちの経験とよく似ている。

 

「こ、小梅!」

 

 みなの視線が一斉に小梅に向けられた。

 

「え!? は、はいっ」

 

 ようやく我に返ったものの、小梅の胸はまだ騒ぎつづけていた。口をぱくぱくと動かすのが精一杯で、凛たちに言葉を返すことができない。

 

「これってやっぱり、あの方法でゾンビを撃退できるってことじゃないの!?」

 

 凛が興奮気味にまくしたてた。彼女としては、懸案だったゾンビへの対抗手段がついに見つかったと考えたいのだろう。

 

 小梅は浅い呼吸を何度か繰り返す。なんとか冷静さが戻ってきた。

 

「ス、スマホを……」

 

 凛から突き返されたスマートフォンを握り、小梅は再度ログを眺めていく。

 

「……残念ながら、祈りそのものが有効というわけではないようです」

「ど、どうして!?」

 

 凛が即座に小梅に詰め寄った。

 

 小梅は前髪のうしろから凛を見返す。

 

「赤い布を振り回したら逃げていったとか、頭を隠していれば襲ってこないとか、逆に貴金属を身に着けた人ばかりが襲われているとか、いろいろな情報が上がっているんです……。もちろん、すべてが本当じゃないのかもしれませんが、あまりにも一貫性がなくて、ここから具体的な撃退法を導き出すのは危険です……」

「そんな……」

 

 落胆の表情を浮かべる凛を、小梅は心苦しく眺めるしかなかった。

 

 一方、卯月と奈緒はまだ期待を捨てきれていないようだった。

 

「で、でも、ゾンビの皆さんにはそれぞれ、なにか苦手なものがある、っことですよね?」

「そ、そうだよ! 急所っていうか、弱点があるんだったら、そこを突けば倒せるんじゃないのか!?」

「……ダメなんだよ、奈緒」

 

 凛が小梅を制して、執拗に食い下がる奈緒に向けて重々しく首を振った。

 

「な、なんでだよ!? さっきプロデューサーにしたみたいに、祈りかなにかをしてやればいいんだろ!?」

「だから、そのなにかを、私たちはどうやって見分ければいいの?」

「そっ! それは……」

 

 奈緒は勢い込んで答えようとしたものの、あとが続かなかった。

 

 そうなのだ――ゾンビにはそれぞれに苦手なものがあるとわかっていても、それを割り出す手段がない。プロデューサーに祈りが効くと判明したのは、本当にたまたまの幸運だったのだ。

 

「……ゾンビたちの『苦手なもの』は――」

 

 答えに窮した奈緒を前髪のうしろから覗き見ながら、小梅は重い口を開いた

 

「おそらく人間だったころの生活習慣や文化的背景、記憶などが反映されているのでしょう……。あるいは、トラウマ……と言ってもいいかもしれません。生活習慣くらいであれば、よく見知った人ならある程度想像もつけられるでしょうけど、心の傷のようなものとなると……」

「……マヨナカテレビにでも入んなきゃ無理、なのか……」

 

 奈緒はそんなふうに小梅の言葉を引き取ると、長いため息とともに肩を落とした。

 

 卯月も事態を理解したようで、神妙に唇を引き結んだ。

 

 無論、相手が人間であろうとゾンビであろうと、心の中をのぞきこめる装置など、現実には存在しない。

 

 たとえ身近にいる者同士であっても、互いのすべてを理解しあうことなどありえないのだ。毎日のように顔を合わせていたプロデューサーがクリスチャンだったことを知らなかったように。あるいは、小梅と凛が互いにもっと親しくなりたいと思っていた胸の内を知らなかったように。

 

 人間は、そういうふうにできている。

 

 そしてそれは、ゾンビになっても変わりはしない。

 

 つまるところ――インターネットという通信手段を手にしてもなお、小梅たちは()()()()()()()()()()()()()()()を見つけることができなかったわけだ。

 

「かぁ~っ、くそっ! 一発であいつらをやっつける方法が見つかったと思ったのによぉ!」

 

 奈緒がいらだたしげに頭をかきむしった。

 

 自分が悪いわけではないのに、小梅は申し訳なくなって目を伏せてしまった。

 

「奈緒」

 

 凛が奈緒をたしなめる声が聞こえた。小梅を気遣ってくれているのだろう。

 

「あ……、ごめん……」

 

 奈緒の気まずげな謝罪の声を聴いて、小梅は顔を上げた。

 

「……いえ、いいんです。……ほかになにか役立つ情報がないか、もう少し調べてみますね」

 

 精一杯の作り笑顔をみなに返すと、小梅はすぐスマートフォンへ目を落とした。新たな情報などもはやないのかもしれない。しかし今は、みなの沈んだ顔を見ているのは辛かった。

 

「……あたしらはプロデューサーのほう、済ますか」

「はい……」

 

 ひそひそ声に続き、静かな物音が小梅の耳に届く。ちらりと盗み見ると、奈緒と卯月に今度は凛も加わって、三人でプロデューサーの体をブランケットで覆う作業についていた。

 

 プロデューサーの顔面に、凛がそっとブランケットをかぶせる。いろいろあって引き伸ばされてきた作業も、ようやく完了を迎えるようだった。

 

 三人が仕上げにブランケットを整えはじめたところで、小梅はなにげなしにスマートフォンへ目を戻した。三人の作業を眺めるあいだも指はそぞろに画面をスクロールしつづけていたのだが――。

 

「……あ」

 

 ふと目に飛び込んできた文言に、小梅は思わず間抜けな声を上げてしまった。

 

 ちょうど作業を終えた三人が、一斉に小梅に目を向ける。

 

「小梅、なんか見つかったの?」

「なんだあ? ゾンビのグロ画像でも落ちてたか?」

 

 ひと仕事終えて緊張も解けたのか、凛と奈緒が気安く尋ねてきた。

 

「い、いえ……、え、ええと……」

 

 小梅はとっさにふたりから目をそらしてしまった。小梅が見つけたものは、もっとおぞましい可能性なのだ。

 

「小梅ちゃん……? 大丈夫ですか? なんだか顔色が悪いですけど……」

「え、ええ……大丈夫、です……」

 

 心配してくれる卯月に向けて小梅は笑みを取り繕った。

 

 が、それも長くはもたなかった。表情がみるみるこわばっていくのが、自分でもわかる。

 

 ひとりで抱え込むのは、もう限界だった。

 

「……み、見つけたのは、ゾンビの……息の根を止める方法……です」

「えっ……」

 

 震える声で告げると、一斉に眉をひそめた。

 

「い、息の根を止めるって――」

「そ、その方法は――」

 

 小梅は奈緒を遮った。真偽について問答している余裕はない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ゾンビの息の根を止める方法は――頭を……脳を完全に破壊することです」

 

 三人の表情が瞬時に凍りついた。

 

 重い荷物を吐き出したというのに、小梅の気持ちはまるで軽くならなかった。


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