「ちょっと、聞いてないんだけど」
「ボイスレコーダーを渡す時に、私は伝えましたよね。また同じように添い寝をして、ケンさんを癒したいって」
「それがどうしてケンと番になることに繋がるわけ!?」
土地神の怒りは止まる所を知らない。リーリエはテレパシーから感じる殺意に似た怒りを、飄々とした表情で受け止めていた。もう私は、昔とは違う。確かな覚悟と自信を持って、心から邪神と向き合った。
「そもそも、私とケンさんは(まだ)番ではありません」
「そんなの関係ない!! ケンから読み取った感情は親愛がたくさん入っていてとても、とてもとても幸せそうだった……羨ましい。羨ましい、羨ましい、羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい羨ましい!!! なんで! どうしてアタシじゃないの!!! なんて忌々しい小娘、今すぐ首をへし折ってやろうか!!!」
「モクク(まあ待て)」
あわや大噴火、というか既に大爆発といった様子のハルジオンの眼前に、落ち着けよと言わんばかりに、セントエルモは発光しながらコードを畝らせた。
彼としてはどうだっていいのだ、主人の隣に誰が居ようが居まいが増えようが減ろうが生きようが死のうが、ただ主人が幸せでいてくれたら。ついでに自分を必要としてくれたらそれで大変満足できるポケモンだった。
逆に言えば、安寧を脅かす存在は例え身内でも許さないという、無機物染みた冷たさを帯びている使命感にも似た愛情を持っているとも言えた。痛い辛い報いたい、そのような自身の感情抜きでオートマチックに技を繰り出せる、安定感とは裏腹の表裏一体の危うさを内包したポケモンであるというのが、ケンのポケモンの共通認識だった。
結果として、その事実はハルジオンの動きを大きく阻害した。少なくとも今の盤面では味方ではないと彼女は本能で理解したのだった。今、リーリエを殺めてしまえば否が応でもケンに影響が出てしまう上、セントエルモはリーリエを好きではないものの嫌ってもいない。故に必ずこちらへ牙を剥く確信があった。
ボックス内にいる頃から知っていることだ、アイツはケン以外の誰にでも躊躇なく最高火力を叩き込めると、解っているからこそだ。彼女は矛を収めた。
潮の匂いがする涼しげな夜風と共に、マグマのような熱を帯びた邪神の怒気はすっと流れた。流石は腐っても土地神、感情コントロールはお手の物のようだと感嘆する。それが日頃からもう少し出来ていれば、想い人の気苦労も多少は癒えるのになとリーリエは思った。
「話を、続けてもいいですか?」
「いいよ」
思った事が伝わってしまったかと、相変わらずのムスッとした返事に若干の苦笑いを浮かべるリーリエ。刺さるような視線に気付き上を見上げると、巨大な鉄塔と目が合った。どうやら、次の言の葉を待ち望んでいるのは土地神だけではないようだ。
「まず、ケンさんがカントー出身であるというのは周知の事実ですよね」
「と、当然よ」
動揺を隠せないハルジオン。この邪神、ケンに執心があれどバックグラウンドに興味など一切無い神であった。
「カントーには、『告白』といった文化が存在します。恋人が恋人であることを互いに認知し合う、一種の確認作業です」
「フぅん?」「ああー、なるほど。話が見えてきた」「モク」
三者三様。理解できぬ者、できた者、興味がない者。
「とどのつまり、私はまだ告白されていないという事です」
「でもそれって、単なるアンタの思い込みでしょ。アローラには告白なんてダサい文化無いじゃないの、ケンと余所者を一緒にしないで頂戴」
「でも、ケンさんが余所者っていうのは純然たる事実ですよね…………あれだけ迫っても、セックスはおろかキスもハグもしないし……はぁ」
「あっ……」
愚痴にも似た独白が嘘ではない事はハルジオンが一番良く理解している。互いの心に同情心、というかシンパシーというか、仲間意識が芽生える。少しだけ優しい感情が空間を占めた。
「でも、何時もケンに構ってもらえてるよね? いっぱい優しい言葉も掛けてもらってるし、尽くしてあげたいって気持ちが伝わってくるし、何でもお願い聞いてもらえてるよね???」
「それ多分愛とか恋とか抜きの、ケンさんの親切心ですよ……」
げんなりした様子で呟くリーリエ。最初は下心抜きの親切心が心に響いたのだが、好意を抱いている今となっては、その優しさは厄介以外の何物でもない。ハルジオンのように、他の者が親切を享受されているのを(邪神としては)黙って見ている自信と余裕が、今のリーリエには無かった。
「これからどうなるかは未知数です、私にも、そしてハルジオンさん達にも分からない。ですので、これからも協力していきましょうというのが私からの提案です」
「むむむ……ねえねえ、セレスはどう思う?」
困った時のセレス頼り。バトルでも日常でも、不利な場面で頼れるのはセレスティーラだった。何度あのボロ布クソミミにやられそうになったところを助けてもらったか、覚えていないほど恩知らずでもない。
「ふぅうん、フゥン(いいんじゃない? それに恩もある)」
そんな彼女にそんな事言われたら、ちょっと反論しづらい。
「んー、そっかぁ。でも、自由にさせ続けたら良いようにされて取られないかなぁ」
「心配には及びませんよ、数日はケンさんから離れることにしますから」
「……それは、どうして?」
ピリピリと、大気の振動がリーリエの柔肌に伝わる。言外に、舐めてると殺すぞ、といった邪神の意気込みが鋭い視線と共に襲うが、リーリエも負けてやるつもりは毛頭なかった。
「準備がありますから」
さも何でもないように言ってのけたが、内心は穏やかではなかった。逆撫でしつつも殺されないような言葉選びを、曲芸師のようなバランス感覚で行っていくのは並大抵のメンタルでは無し得ない。
「そう、準備ね。でもいいの? せっかくケンはアンタに……ああ思い返すと腹が立ってきた」
「そう、ケンさんと上手くいく為には必要な事なんです。ですから、ハルジオンさんに時間を与えるわけではなく、私が時間を頂くという事を忘れないでくださいね?」
「今に見ていろ、必ず後悔させてやるからな」
「楽しみにしてますよ。では、そろそろ戻りましょうか」
リーリエの開いたライブキャスターは、ちょうど丑三つ時を示していた。そろそろモーテルへ戻らなければ、明日の行動に支障が出る。一日一日を無駄に出来る余裕はないのだ。それに今夜が過ぎれば、しばらくは想い人と一緒に添い寝が出来なくなると思うとより一層早く休みたくなる。隣で目一杯成分補給しようと、リーリエは異形を引き連れモーテルへと足を進めた。
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晴れの日に雷を受けたような衝撃だった。
「お兄さんと一緒に、エーテルパラダイスに乗り込む……だと?」
カフェで朝食をとっていると、唐突にリーリエが爆弾を放り込んできた。どうしてそのような結論になったのか小一時間ほど問い質したいところだったが、その前にリーリエが口を開いたので止めにした。
「スカル団からお兄さま伝で、お母さまが呼んでいると……三ヶ月も留守にしていましたし、身辺報告でもしてきますね」
「そんなに気軽なものかなぁ」
なんてったって、相手はあのルザミーネさんだ。数日後には、娘は元気ですと氷漬けにされたリーリエの写真が添付されたメールが届くまである。しかも、今はそこまで力をつけていないグラジオ兄さんもセットというのが、余計に心配を煽った。
「これは、私たちがいずれ付けなきゃいけないケジメです。この機会を逃せば、必ず衝突は避けられないとケンさんも分かっているのでは?」
「まあ、そう、なんだけどさぁ……控えめに言って大反対だよ俺。どうなるか分かったもんじゃない」
終盤、ルザミーネがスカル団を使い実力行使でリーリエの引き戻しを図るのだが、本当に引き戻したいのはコスモッグであり、リーリエは最早用済みといった様子であり、タダで返せばどうなるか想像に難くない。分かったもんじゃないのは、どのような末路を辿るかどうかといった話で、今現在、親子の絆など無いのは分かり切っている。
「それでも、私は行きます。ケンさんが止めたとしてもです」
「そんなに決意が固いなら、俺も一緒に行こうか。話がスムーズに済むぞ」
「これは私たち家族の問題です、家族だけで話し合いたいんです」
「んー、でもなぁ。ルザミーネさんのポケモン、多分お兄さんより強いよ?」
「それでも、です」
アドバイスを無視してまで頑として譲らないリーリエ。どうして聡明なのに分からないんだと、頭を悩ませる事0.5秒で妙案が浮かんだ。
「じゃあ、ハルジオンを貸すよ。ついでに仲良くなってくるといい」
「ハルジオンさんはちょっと」
即答だった。おかしい、仲が良くなってきているリーリエとハルジオンを一緒にして、天使と引き換えに休暇を得る作戦だったのだが、どうしてこう上手くいかないのか。
「んー、そしたらエルモかな。セレスは目立つし、小回りが効かないし、デカいし」
「それはどれも一緒の理由なのでは……」
ごもっともである。巨大な身体は分かりやすい長所だが、同時に欠点でもある。あの図体じゃ、エーテルパラダイスを破壊しかねない。地下にでも放ってみれば、確実にワンフロアは吹き抜けとなること間違い無しだ。
「でも、良いんですか? ケンさんの大事なポケモンさんですよね?」
「同じかそれ以上に、リーリエが大事だからね」
リーリエが顔を真っ赤にする。脳内にある辞書『リーリエに言ってあげたい百の言葉』から抜粋した一撃が、見事リーリエの心を射止めたようだ。これでまたリーリエの好感度を稼げただろう、ポケモン貸したし相乗効果でラブラブになれるに違いない。
「ケンさん……本当にありがとうございます!!」
「いいよ。ちゃんと仲直りしておいで」
逆立ちしたって、俺がリーリエとルザミーネさんの仲を取り繕う事など出来ないし、何ならルザミーネさんの正論でボコボコにされるのが関の山だ……ちょっとだけ、いいなと思ったのはナイショだ。
それに、まだルザミーネさんとウツロイドが遭遇していない今のタイミングなら間に合うかもしれない。家族パワーがどれだけ通用するかわからないが、部外者がでしゃばるよりマシだろう。
ウルトラボールのスイッチを押すと、触手のようなコード束にギュッと抱き締められた。周りからどう見られているか分からなかったが、おそらくカフェのおじさんが持っていたであろうカップが床に着地した音とジョーイさんの悲鳴で、少なくとも抱擁しているように見えないのだけは確かだった。
「もく」
「すまん、しばらくリーリエを俺の代わりに守ってやってくれ」
絞られた身体から絞り出した言葉がエルモに届いたのかは分からなかったが、解放された後チカチカと蛍火を上げたのを見て、分かってくれたのだと理解した。ボールに戻すと、リーリエに差し出した。
「きっと上手くいくよ。頑張ってね」
「……はい!」
潤んだリーリエの瞳には決意が見て取れた。エルモもいるし大丈夫だと自分に言い聞かせて、そのままリーリエを見送った。ごめんねククイさん、約束を数日で破ってしまったよ。
さて、これからどうするか。昨日逃げられたミヅキとハウでも探し出すかと考えながら、リーリエの残していった食事も全て平らげて支払いを進めていると、
「キミが、ケンくんで間違い無いね」
ダンディな男性に肩を掴まれた。
ああ、この茶色いコート見覚えある……遂に来ちゃったかぁ、ついでに見覚えあるスーツの女性もいるし、間違い無いよね。
エルモ、帰ってきてー!