打ち鳴らせ!パーカッション   作:テコノリ

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Interlude 3

 昔々、ではなく、十年ほど前の出来事。

 

 あるところに一人の男の子がいました。その男の子は特別で、出来ないことは何も無いような子供でした。

 学校の先生やお友達は彼を凄いとはやし立てました。勉強も一番。運動も一番。おまけにかっこよくて優しくて、みんな彼が大好きでした。お友達だけではなく、先生にも頼りにされました。

 

 彼はそれを誇らしく思っていたでしょうか?

 

 いいえ。彼はその状態に戸惑っていました。

 なぜなら、彼には特別なことをしているつもりがなかったからです。

 みんなと同じように授業を受けて、みんなと同じように遊んで、みんなと同じように好きなことに興味を示して、みんなと同じようにお喋りを楽しんでいただけ。ただそれだけでした。

 なのにみんなとは違うことばかり言われました。

 

 とても頭がいいんだね。

 難しい言葉を知っているね。

 記憶力がいいんだね。

 どうしてそんなことまで知っているの?

 そこまで気にすることはないよ。

 まだ習っていないことはやらないで。

 

 戸惑わないはずがありません。

 彼はずっと疑問に思っていました。

 

 どうしてオレはみんなと同じところにいないんだろう。

 どうしてみんなはオレと同じところにいないんだろう。

 どうして学校(ココ)はこんなに窮屈なんだろう。

 

 

 

 

 ある日、彼に転機が訪れてしまいます。

 算数の時間でした。少し前から、授業の最初にマス計算を行うようになったのです。単純な足し算引き算とは言え、一生懸命やらないと暗算で沢山の問題を解くことは出来ません。

 みんながつっかえつっかえ解いていく中、彼は答えを見ているかのようにすらすらと答えを言いました。

 

 ずるして答えを見てるだろ。

 

 一緒にやっていた、隣の席の子が言いました。

 

 見てない。

 

 男の子は正直に答えて、自分が見ていた紙を相手に見せました。その紙に答えは書かれていなくて、問題の数字だけが書かれていました。

 びっくりした隣の子は、彼に向かって思わずこう叫んだのです。

 

 お前やっぱりヘンだよ! 気持ち悪い!

 

 それから何があったのか、男の子は詳しく覚えていません。覚えていたくなかったのかもしれません。

 ですが事実とイメージは脳裏に焼き付いてしまいました。

 先生も、友達も、誰も自分を庇ってくれなかったこと。気持ち悪くないと誰も否定してくれなかったこと。とうとう本人にそれを言ってしまったという異様な雰囲気と、怖がり怯えて怒る目。

 

 自分がはみ出し者だと気付いた彼は、途端に周りが怖くなりました。自分自身も怖くなりました。

 普通じゃない自分は、普通の人の集まりにいてはいけない。

 そう強く感じるようになりました。

 

 どれくらいの時間かはわかりません。彼は自分の部屋に引き籠ってしまいました。

 ここで一人でいれば、誰も怖がらせない。傷つく恐怖も傷つける恐怖も抱かずにいられる。両親に迷惑は掛けてしまうけれど、またあの空気を感じるよりはずっとマシだ。

 そんな幻想のもと、部屋に籠りました。

 

 引き籠っている間、彼は本を読みました。世間一般。普通。こう呼ばれるものを知りたかったからです。

 幸いなことに、部屋には沢山本がありました。彼は元々読書が好きで、両親がよく買い与えてくれていました。

 どの本も一度読んだことがあるので内容は把握しています。句読点の位置さえ覚えています。それでも何度も読みました。

 読んでは考え、読んでは考えを繰り返しました。本の内容について考えたのではありません。

 きっと普通はこうだから、俺はこう振舞うのが自然だろう。

 普通の行動を何度もシミュレートしました。

 振舞いに正解はありません。

 無数に存在する答えを、様々な方法で検討する。こういった思索自体は好きだったけれど、内容が内容ですから苦痛でしかありませんでした。

 他者との関りを絶とうとしているのに普通の振舞いを検討するのは、どうにも滑稽に見えてしまいます。

 

 偶に別のことも考えました。

 両親は今の俺をどう思っているだろう。幼馴染のあの子はどうしているだろう。学校の奴らは俺がいなくて清々してるだろうか。こんな俺は、憧れたあの人みたいになんかになれないだろうな。

 答えを勝手に考えて、落ち込んで。そんなことも繰り返してしまいました。

 引き籠ってしまってごめんなさい。ユーフォニアム、もっと聞きたかったな。意味が無い罪悪感を持ってるだろうな。自己満足の謝罪になんか付き合いたくねえよ。お兄さん、俺は誰かの心を動かして感動を届けることなんてできっこないよ。

 

 彼を思索の渦から引きずり出したのは、ズドドドドッと階段を勢いよく上ってくる音でした。

 鍵なんてついていないドアがバンッと開きます。

 俺を慮っていた(と思われる)両親はこんな荒療治をするはずありません。ではこれは誰か。こんなことをして逆効果にならないような奴なんて一人しかいません。

 

「あんた何してんの?」

 

 何してんの? じゃねーよ。

 話そうと思いましたが、ずっと喋っていなかったので思うように声が出ません。考え事をするときに小さな声で呟く癖がありました。そこが声量の限界になっているようです。

 

「何しに来た」

「あんたいないとつまんないの。ユーフォ聞いてくれる人もいないし」

 

 なんとも勝手です。勝手すぎます。

 どうしてこの幼馴染は、ずっと彼の傍にいるのに彼が怖くないのでしょうか。

 

「俺じゃなくていいだろ。帰れよ」

「あんた何拗らせてんの。めんどくさ」

 

 彼の普通にこいつはずっと付き合わされていました。その所為で彼女の普通も、他の人の水準より上にあるはずです。つまり弁が立つ。なんとも困りました。

 それでもやはり俺とは違います。いつかきっと傷つけてしまう。もしこの対応が痛みや恐怖に慣れた結果なら、それはきっと歪んでいます。彼の傍に普通の人がいてはいけないのです。

 

「俺の近くにいたら、お前まで変って言われるようになる」

「言われないって。てかまずあんたは変じゃないから」

「変だ。おかしい。普通じゃない」

「私は変だと思わない」

「お前が俺に慣れちゃってるからだろ。それは駄目だ」

「何が駄目なのよ。バカだろうが天才だろうが、あんたはあんたでしょ。私の幼馴染。慣れとか関係ないって」

 

 俺は俺だから変じゃない。気持ち悪くない。

 初めて否定してもらえた彼は、それ以上何も言えなくなってしまいました。

 共に過ごした時間に関係なく、変わらない存在。今までもこれからも変わらないでいてくれる存在。

 その存在は、その言葉は、彼が何より欲していたらしいものでした。

 

 きっと彼女は、彼にこんな言葉を掛けたことをあまり覚えていないでしょう。当然のことのように言っていましたから。

 だから彼女は知りません。

 この時から、彼女は彼の恩人であることを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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