「さーて、いろいろとお聞かせ願おうか」
希美と夏紀に、明日以降は俺のもとに来るようにと言った日の帰り道である。あすかを取っ捕まえて情報収集に努めることとした。
帰り道と言っても互いにチャリ通に加えて家が近いので、一旦帰宅してからあすかの家に俺が行くこととなったのだが。
というわけで、現在田中邸。
「何を訊くつもり? 大体わかってるんでしょ」
「結論はわかるけど過程がイマイチなんだよ。そもそも情報が足りねえ」
「それわかったって言えるの?」
「ほぼ推理・推測だな。それでも、お前が絶対に許可を出さないことはわかってる」
「ふーん」
推しはかるでも楽し気でも平淡でもない声音と視線を向けてくる。
俺がこの程度推測できるなんて、お前が一番知ってるだろ。
「んだよ」
「いいえ。流石天才サマだなー、と」
茶化すな。と言いかけてやめた。口調は茶化しているが、多分本気で言っていたから。
自分とは違うと微かに物語る態度が含む感情までは読み取れなかった。
「あんたに情報吹きこむ前に、まずは推論を聞かせてもらえる?」
「あー、そうだな。てか吹き込むってなんだよ。ホラ吹くなよ?」
「いいから話して」
怖えっつの。わかりましたよさっさと話しますよ。
「希美がいるとみぞれがダメになる。だから復帰の許可を出せない」
「あんたの頭本当どうなってんの」
「違ったか?」
「違わないから恐ろしいんだよねえ。どこが欠落しててその結論出てくるのさ」
あすかは一昔前に流行ったラノベのやれやれ系主人公のように溜息をつく。いや待てあれは一昔前で良いのか? 俺の基準は十年一昔換算だから、えーと、うん、どうでもいいや。俺的元祖はキョン。谷川先生最新刊マダー?
閑話休題。
「仮定だけで考えたから欠陥だらけだよ。仮定+消去法だ。あとはアレだな。お前、部全体に影響が~とか考えねえじゃん。そんな奉仕主義者なわけねえじゃん」
「あんたそのうちどっかの研究施設で脳みそ調べてもらえば? ノーベル賞もんの発見あるかもよ」
「アホか」
そんな御大層なもんが詰まっちゃいねえだろう。有難いことに、両親は揃って健常でIQが百程度のホモ・サピエンスだ。何か発見があったらまず両親とDNA鑑定したくなっちゃうレベル。
「話戻していい?」
「お前だよ逸らしたのは」
今度は俺が溜息をつく。まあ十数年一緒にいればこの傍若無人っぷりにも慣れてるんですけどね。
かっくりと落とした頭を上げるついでに首をぐるりと回す。左右にも倒せばパキパキと音がした。
今のが仕切り直しのきっかけになった。改めてあすかに問いかける。
「で、なんで希美がいるとみぞれがダメになるんだ?」
「なんか普通じゃいられないんだってさ。主な症状は動悸・吐き気・精神の乱れ・モチベーションの低下」
「風邪の諸症状みたく言うなよ」
こんな症じょ……ではなく、こんな風になってしまうなら、復帰を止めるのも道理だろう。
今の北宇治の実力じゃ強豪犇めく関西大会の壁は到底越えられない。現時点である技術を全部ぶっこむだけでなく、更なるスキルアップも必要だ。
そんな状況下で、我が部唯一のオーボエ奏者を苦しめられるわけない。
「なんかトラウマでもあんの?」
「そーなんじゃない? 本人は原因不明って言ってたけど」
「ちなみに希美はそのこと……」
「知ってたら来てると思う?」
「ですよねー」
いるよなあ。苦手意識持たれてんのに気付かないでグイグイ来る人。電車で1.3人分のスペースを我が物顔で陣取っている人と似たような性質の悪さがある。
俺の主観だが、希美は別に気遣いが出来ないからこうなっているということではないのだろう。それだったら中学時代に吹奏楽部の部長なんて出来ないはずだし。自己中とかじゃなくて、そうだな。言葉を選ばず言うと……脳筋。
「脳筋娘にヒントやったりしたのか?」
「ヒントも答えもあげられないでしょ。私だってそこまで酷くは、ってちょっと待って。脳筋娘って希美ちゃん?」
「他いねえだろ」
思考の延長上だったのでつい呼び方をうっかりしてしまった。しっかりじゃないぞ? うっかりだぞ? てかあすかだって脳筋娘=希美ってわかったじゃねえか。
自分を棚に上げて何か言ってくると思ったが、あすかは顔を伏せたまま黙り込んだ。あきれてものが言えないとかいうことだろうか。
「の、脳筋って……。せめて、い、言い方あるでしょ……。ふふっ、熱血とか」
おっと違いましたね。笑いのツボに入っていたようです。
目尻に浮かんだ微量の涙を拭いながら奴は感想を述べる。
「あーおかしい。こんな笑ったの久々かも」
「普段どんだけ笑ってねえんだよ。大体いつも被ってるくせに、笑い仮面」
「あんた図書館戦争の言葉好きね」
「今のは使われ方違うけどな」
図書館戦争の笑い仮面は小牧教官。このフレーズは、史上最大級の上戸に入った小牧に郁が文句を言う際に使われていた。収録巻は第三巻『図書館危機』。ここのやり取りマジで笑った。
仮面という言葉が数時間前の出来事と唐突に繋がる。
先に口を開いたのはあすかだった。
「そうだ。あんたの仮面って、あんなに崩れるもんなの?」
「らしいな。俺も今回初めて知った」
「らしいって、んな他人事みたく言っちゃって」
「いや実際他人事みたいなもんだし」
「他人事であんなキレるとか怖いんですけど。引くわー」
「お前なあ……」
俺にとっちゃお前は他人だけど他人じゃねえんだよ。
自分の事じゃなくても、あすかに関わることならああなる。考えるまでもなく至極当然のことだ。
「お前こそ、俺のこと低く見積もるなって相当腹立ててただろ。お互い様だ」
「いやいやいや違うって」
何がだ。他人じゃねえから、俺達は互いにあんな風に激昂したんじゃないのか。手前の理想を押し付けるなと呻き、勝手な視点で侮るなと放ったんじゃないのか。
尋ね返そうとあすかの顔を見れば、その眼差しは見たことがないほど真面目くさっている。
「あんたが舐められてるのが嫌だっただけ」
なんでそれを嫌だと、お前が言うんだ。
どうしてそれが激昂する理由になるんだ。
あすかのことは大抵わかる。
だけどわからない部分もかなりある。んなこたぁ理解しているさ。
俺なのに見えない部分。俺だから見えない部分。
若しかしたら、と偶に思う。
田中あすかを一番特別視しているのは、俺じゃないのか。
特別扱いをするなと言いながら、ただのフツーの女の子だと言っておきながら。
他の人たちと意味合いが違ったって、そのことは変わらない。
あすかに対して一番強固なバイアスを掛けているのは、俺なんじゃないか。
*
「お願いします。部活に戻らせてください」
「お願いします」
「断ーる」
翌日より希美と夏紀は俺のもとに通うようになった。
練習時間外なので一応の不都合はない。だが他のパートメンバーの邪魔をするわけにいかないので、そこら辺の空き教室を拝借している。
かれこれ三十分以上経過しただろうか。戻らせてくれ→駄目だ→何故→言えない→戻りたい。この無限ループが形成されている。
何なんだよコレ。世界のバグなの? 嗚呼メビウスの輪の中で!
「どうして駄目なんですか?」
「だから言えないって言ってるだろ」
「それじゃ納得できません!」
「納得してもらう必要はない。納得はしなくていいから、もうわかれ。許可は出さないし、出せない」
そろそろ頭が痛くなってきた。正直に言ってしまえば、俺はこのやり取りに飽きてきている。あすかは二、三日これにつきあってきたのか。
希美はこんな不毛なやり取りをするためだけに学校に来ているんだよな。
そうまでして戻りたくなるぐらいだったら、君は、
「なんで辞めたんだよ。忠告はしたぞ」
「それはっ……」
希美の顔が苦々し気なものになる。
希美本人も後悔しているんだ。辞めなければって。
まさか思ってもみなかったろう。退部して一年経たないうちに、見限ったはずの部が躍進していくなんて。
この学校の吹奏楽部で全国大会を目指す。馬鹿馬鹿しいと思われていた目標を本気で達成しようとする。
この点において俺と希美は共通していたのだ。
希美がどれだけ今の体制を待ち望んだかは知らない。俺は少なくとも十年以上待った。
学年は違えど、立場は違えど、才能が違えど、同じところを目指していた。
そんな俺達を分けたのは忍耐以外の何物でもない。
黙ったままの希美を見かねて夏紀が声を発す。
「先輩、今日はもう帰ります」
「ん」
明日も来るんだよなあ。進展絶対ゼロなのに。
先に手を打っちまおうか。
「夏紀。このあと時間あるか?」
―――――――――――――――――――――――
「そうそう、材料揃ったらこの公式にぶち込んで。そしたら出る。計算スペースはケチるなよ」
希美には先に帰ってもらい、夏紀と二人で学校近くのファミレスに来ている。ちゃんと量がある割に良心価格。千葉発祥っぽい。
聞けば夏休みの宿題がまだ終わっていないようなので、出来る限りでお手伝いをしているところだ。
「あー終わったあ。こんなに早く終わると思ってませんでしたよ」
「お疲れさん。ほら、なんか食え」
「奢りですか?」
「ドリンクバーだけならな」
メニュー表を見ながら、最初にドリンクバーと一緒に頼んでいたフライドポテトを摘まむ。それなりに時間が経っているからしなしなしている。まあ胃に入りゃいいやってタイプだからいいんですけどね、別に。
「決まったか?」
「はい」
コールボタンを押して店員さんを呼ぶ。
明らかにアルバイト。やっぱあれだな。飲食店ってバイトが支えている感強いよな。心の中で敬礼!
「ペペロンチーノと辛みチキンで」
「チーズドリアとミックスグリルお願いします」
店員さんは見ただけじゃ使い方がよくわからんハンディをピピッと操作してしゅたッと立ち去る。
提供されるまでの待ち時間でドリンクを補充し、一息つく。
「あの、先輩」
「んー? ああ、そろそろ本題に入ろうか」
居住まいを正し、ゲンドウポーズで問いかける。
「問題です。何故夏紀だけを呼んだでしょうか?」
「私がそれ知りたいんですけど」
「くっはっは。そんな困った顔しなくてもいいじゃねえの。なに、至極単純なことだ。さっぱり見当がつかないならネタ解答でもいいぜ」
頭を悩ませている間に珈琲で口内を湿す。冷房がかなり効いているので、あまり氷は解けていない。
「希美の話ですよね。本人には聞かせられないこと」
「その通り。すぐに判断してくれて安心したよ。さて、もう一つ尋ねよう」
大仰な手振りをやめ、言葉を区切り目を見据える。
夏紀の細い喉がこくりと動いた。
「希美を戻らせない理由、知りたいか?」
「え……」
一瞬硬直するも、すぐに言葉を返してくる。
「知りたいです。でもなんで」
当然の疑問だよな。さっきまで、言えない言わない知らなくていい、だったし。
なんとなく、なんてことは無い。俺の身勝手な理由がある。
「人間はよく、やらなくて後悔するよりやって後悔する方が良いって言うよな。後半はともかく、前半部分は痛く共感するね。ペットの騒動で思い知ったから。信頼だとか、んな勝手な推測を押し付けちゃいけねえし、面倒だとかって理由で避けてちゃもっと面倒になる可能性だってある。だから今回は先手を打つことにした。働かねえために働くみたいなもんさ。取り敢えず、ここまでOK?」
「はい」
首肯し、先を促される。
喋りに興が乗ってきた。脱線しないよう気をつけながら続ける。
「さっさと策を講じようと思ったんだが、何でもかんでも俺がやっちまうのは主義に反する。俺のやり方はあくまで魚の獲り方を教えるものであって、魚を与えちまうことじゃあない。緊急の場合や、教えても無意味な場合はその限りじゃないがな。さて、再度質問だ。希美を復帰させない理由の答えか、アフターサービスてんこ盛りのヒント集か。君はどっちを望む?」
ひとしきり喋り、口の中が乾いてきた。水っぽくなった珈琲を啜る。
丁度いいタイミングで料理が運ばれてきた。熱々のドリアを冷ましながら慎重にがっつく。
「冷めるぞ」
「先輩は気楽ですね」
「腹ぁ減ってんだ。話は真面目に聞く」
「いくつか質問していいですか?」
「つまらんことは聞くなよ」
夏紀はゆるゆるとシルバーに手を伸ばし、フォークを掴む。パスタをくるくる巻きながら尋ねてきた。
「アフターサービスって何があります?」
「答え合わせや行動、振る舞い方の相談に乗る」
「黒田先輩がですか?」
「ああ。大抵のことはほっぽって優先しよう」
「それは頼もしい」
「だろ」
希美よりも夏紀の方が俺の価値をわかっているようだ。俺が把握している事項に関して、俺以上に適任な話し相手はいない。
自らのことについて、ある程度のことは気にせず対応できることに(俺の中で)定評があるが、どうしてもかかわりを少なくしたい種類の人間はいるものだ。
ポテトを数本まとめてフォークに刺して口に運ぶ。水分を奪っていくやつらが粗方いなくなったら、お冷で残りを流し込んだ。
「自分で何も考えようとしないやつに与える恩恵なんてないだろう? 嫌いなんだよ、そういうやつ」
「それって希美のことですか」
「気に障ったんなら謝る。だがまあ、今回の件に関しちゃそうだな。だからこうして夏紀を呼んだ。俺ぁ諸葛孔明でも小野小町でもねーの」
ついでに言うと、ギャルゲー乙女ゲーの攻略対象でもない。
心理学で単純接触効果なんてのがあるが、不毛な会話を今日三十分強やっただけで辟易してるんだから、好感度が上がる道理なんてのはない。
三顧の礼も百夜通いも俺には通じない策なんだよ。
「どっちを選ぶか決めたかい?」
「考えるのでヒントを下さい」
迷いはないようだ。
それでは、黒田篤の推理教室。スタート。
まずは注意事項から。
「暫くは考えることに時間を使え。通うだけで許可が出たりしないことはわかったろ?」
「希美と考えない方がいいですか?」
「いんや。多角的な視点を取り入れることを止めはしない。協力プレイでもなんでもやってみろ。話して考えがまとまることなんてざらだしな」
それに、多分希美はどう足掻いても気付けない。検討するべき仮定に、みぞれに避けられていることなんて入っていないだろうから。
だが、夏紀はきっと気付く。基の考える力はあるし、俺直々に導くのだから。
期待してるぜ。次期副部長候補さん。