サトシはヒーローです!
突然現れたヤトウモリにリーリエは驚き、怯えた。しかしその視線の先にあるものが何かはわかる。今自分の後ろ、クッションを重ねたソファの上に置かれているもの、あの卵だ。少しずつ間合いを詰めてくるヤトウモリ。もともとの悪人面が更に悪い笑みに歪められ、威嚇するように声をあげた。
「だ、ダメです!この子は絶対に渡せません!」
足は震え、涙が浮かぶ。今にも逃げ出したくなるくらいだった。それでも、リーリエはそこを退くつもりはなかった。自分が育てると決めたから。自分が一歩進むためにも。元気に生まれてくるであろうこの子のためにも。今逃げたら、きっと後で死にたくなるほど後悔するから。みんなの悲しむ顔も見たくないから。だから、
「ヤァモ!」
リーリエ目掛けて飛びかかるヤトウモリ。咄嗟に、リーリエは自分の後ろの卵をかばうように、覆い被さるように抱きしめた。ヤトウモリの鋭い牙が、爪がリーリエに伸びる。勢いよく部屋のドアが開かれる。
「ピカチュウ、でんこうせっか!」
高速で飛び込んだ黄色い閃光が、ヤトウモリを大きく弾き飛ばした。リーリエがドアの方へ目を向けるとそこにはさっきまでフィールドにいたはずの彼がいた。険しい表情でヤトウモリを見るその姿はあの晩見たそれと似ていた。
「サトシ!」
「リーリエたちから離れろ!モクロー、体当たり!」
サトシの腕に抱えられたモクローが飛び出し、強烈な蹴りでヤトウモリを外へ弾き飛ばした。二匹の攻撃を受けたヤトウモリは逃げるように敷地から出て行った。少し遅れてジェイムズが走って来た。慌ててリーリエに駆け寄るジェイムズ。
「お嬢様、ご無事でしたか!?」
「えぇ、大丈夫です。サトシが助けてくれましたから」
「間に合って良かったよ」
いつも通りの笑顔で歩いてくるサトシ。その足元へピカチュウたちも戻る。お疲れ様と声をかけ二匹の頭を撫でるサトシ。その後ジェイムズが落ち着くために紅茶をいれてくると出て行くと、サトシは床に座り込んだままのリーリエの前にしゃがみ込んだ。
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「大丈夫か、リーリエ?立てるか?」
「あ!えっと。腰が抜けてしまったみたいで」
「そっか。でも凄かったな、リーリエ」
「えっ?」
「ちゃんと、卵を守り抜いた」
「それは、サトシが」
「俺は手助けしただけだよ。ほら」
サトシが自分の腕の中を指差す。細く、白いリーリエの両腕は、それでもしっかりと卵を抱きかかえていた。守るように、手放さないように、何も起こらないように、安心させるように。無意識の行動だったようでリーリエ本人が一番驚いていた。
「あのっ、わたくし、ただ必死で」
慌てるリーリエの腕の中で、卵が少し動いた。驚きはしたものの、リーリエの腕が離れることはなく、むしろ愛おしそうに卵をしっかりと持っていた。
「暖かい。この子は、この中で、生きているんですね」
「そうだよ。その命を、リーリエが守り抜いたんだ」
「わたくしが?」
胸の奥から暖かい気持ちが溢れてくる。腕の中のこの小さな命が、愛おしくて、愛おしくて。抱きしめながら、頬を卵に寄せる。じんわりと感じる暖かさと、小さく聞こえる鼓動。今腕の中にいるこの命を、自分が守ることができた。それが、とてつもなく、嬉しかった。この気持ちはなんだろうか。他のポケモンに対して感じるものとも、家族やジェイムズたちに感じるものとも、マオたち友人に感じるものとも、彼に向けるものとも違う、優しくて暖かいこの気持ちは。
「やったな、リーリエ」
「はい!」
「ピィカァ」
「ひゃあっ!?」
サトシの後ろから顔を出したピカチュウ。驚いたリーリエは、卵を離さなかったものの、驚きの声を上げてしまう。まだ完全にポケモンに対する恐怖がなくなったわけではなさそうだ。それでも腕の中の卵を離さないあたり、彼女がこの一件で前に進むことができたのだろう。そっとサトシの手が卵に触れる。優しさと愛情が感じられる表情を浮かべ、サトシは優しく卵を撫でた。
「頑張ろうな、リーリエ。しっかりとこの子の世話をして、卵が孵ったら、外の世界をいっぱい見せてあげような。こんなにいい世界に、生まれてこれて良かったって思えるようにさ」
「はい、一緒に頑張りましょう」
満面の笑みで応えるリーリエ。その様子を扉からこっそりと伺っていたジェイムズ。リーリエのその笑顔を見て、安心したのだった。
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博士の家に帰るため、サトシとピカチュウが屋敷の外で車の用意を待っていた。そこへ見送りに、ジェイムズが出てきて、サトシと挨拶をした。
「ジェイムズさん。バトル、ありがとうございました。それに、紅茶とかお菓子も。ここまで送ってもらっちゃって」
「こちらこそ、お嬢様を助けていただき、ありがとうございます。わたくしも、あんなに楽しいバトルは久方ぶりでした」
まだ出会って間もないはずのモクローで、自分の長年の相棒とあそこまで戦えたこと、それは彼のバトル経験の多さを物語っていた。さらにはリーリエのピンチに、自分でさえ一瞬動きが止まってしまったというのに、真っ先に彼は駆け出していた。その小さな体から、とても想像できない程のスピードで。そしてその行動力とポケモンとの連携で、見事にリーリエと卵を守り抜いた。
「サトシ様、私は一つ謝らなければなりません」
「へっ?」
「あなたのバトル相手を務めたのは、私があなたを試し、確かめたいと思ったからなのです」
「試したかった?何をですか?」
「私も詳しくはわかりませんが、お嬢様には複雑な事情があるのです。そのことが原因で、この先に危険なことがあるかもしれません。その時に、あなたがお嬢様の力になれるかどうかを見極めたかったのです」
「危険なことが・・・」
「図々しいことなのは承知しております。本来なら私どもがこの屋敷でお嬢様をお守りすべきなのに。ですが、お嬢様があなたと共に残ることを望んでおります。なのでサトシ様」
ここでジェイムズは深く頭を下げた。なん十歳も年下の、まだ幼い少年に。大きな責任と重荷を背負わせるかもしれないと理解しながら、言葉を紡いだ。
「どうか、お嬢様のことをお願いします」
驚きでしばらく動きが止まるサトシ。けれどもすぐに笑顔を浮かべる。
「俺、難しいことはわからないですけど、それでも約束します。何があっても、リーリエの力になるって」
ジェイムズが顔を上げてみたのは、とても13歳の少年とは思えない雰囲気を持った笑顔だった。言葉は明るく、友達ならば誰でも言えることではあったが、そこにあった覚悟は、誰にも真似できないような気がした。
「サトシ、お待たせしました」
屋敷から少し荷物を増やしたリーリエが出てくる。博士の家にいくつか物を持っていくことにしたのだ。その腕の中にはしっかりと卵が抱えられている。ちょうどその時に車の用意もできたようだった。
「ジェイムズ、行ってきますね」
「いつでもお越しください。ここはしっかりとお守りしますので」
「ジェイムズさん、またバトルしましょう」
「ええ。私もまたサトシ様とバトルができることを楽しみにしておきます」
別れの挨拶を済ませ、彼らは車に乗り込んだ。遠ざかるその車を見つめながら、ジェイムズは寂しさと、リーリエの成長に対する喜びが溢れてきた。これから先、大変なこともあるかもしれない。それでも彼が一緒なら大丈夫だと、確信できた。一筋の涙が頬を伝う。それは悲しみからではなく、喜びによるもの。その証拠に彼は笑顔で車を見送っていたのだから。
リーリエが帰ると思いましたか?
いえいえ、このまま一緒にいてもらった方が面白そうなので、サトシと一緒にいてもらいました