2022年7月21日22層コラル。
SAOは今現在フロアボス攻略メンバーに一人の死者も出さず順調に攻略が進んでいる。ここ22層コラルは無数の森林と湖沼が点在する自然的なフィールドだ。今も、湖の周りでは、ここがデスゲームの世界ではあることを忘れ、釣りに興じるプレイヤーも居ることだし、日頃死の恐怖と隣り合わせのこの世界では心を落ち着けられる場所なのかもしれない。
「森林地帯のマッピングがてらフィールドボスを狩りに行かないか、ってねシガリテさんに誘われたのよ」
湖畔の一角に建つ木組みのログハウスはギルド《死んだ世界戦線》改め《SSS》の本拠地である。モンスターを狩りに狩りまくり、日々口に糊するような生活を送った結果、ようやく購入した一軒家だ。
そこでは今、メンバーが一同に会する朝食が行われている。木製の丸テーブルを囲み、魚中心の料理を皆が口の中に放り込む中、ギルドマスターであるゆりが徐に立ち上がり、そう切り出した。ちなみに、シガリテさんとは攻略の際に少数ギルドである俺たちによく懇意にしてくれるプレイヤーの一人だ。
「シガリテさんの頼みなら断るべくもないだろうな。いつもお世話になってるし」
魚肉を頬張りつつ、日向が提言する。
「そうだね。フロアボスに向けて経験値も積みたいところだし」
と大山も賛同する。
「俺も賛成だな」
「俺もいいと思うぞ」
松下五段と俺も賛同する。
「じゃあ決定ね。時刻は本日14時から、忘れないように」
手短なな業務連絡を済ませ、ギルメン一同は再び食事を再開した。
正午を回る頃、ゆりと大山がフィールドボス討伐に向け、回復potの買出しに出てから暫くして、俺に一件のメッセージが届いた。送り主は《kirito》となっている。知った名だ。
『今日フィールドボス討伐に行くと聞いたが本当か?』
という端的な一文。キリトに話した記憶はないが、恐らくシガリテさんか、彼周りの誰かに聞いたのだろう。キリトの相変わらずのテンションが画面越しに目に浮かんだので、俺も何の気なしに返信する。
『ああ。森フィールドの。なんと言ったかな。確か《フォレストバブーン》って奴』
『そうか。ボスには直接的に関係はないが、一応伝えておきたいことがある。PKに関してだ』
何……?!予想と反して、どうやら話題はかなり深刻なものなようだ。俺は思わず居ずまいを正しながら、キリトに仔細を問う。
『PK……それは《プレイヤー・キル》ってことだよな?』
冗談だろ……。とも思うが、有り得ない話でもない。
『起こっているのか……?PKが……』
ゲーム内でのデス=現実での死というこのふざけた世界では、他プレイヤーに対して安直な殺傷欲求を追求する行為が如何な悲劇を生むかなど猿でも分かる自明の理である。しかし、だからこそ、禁忌であるが故に、人道を大きく逸脱する行為であるが故に「いっそ逆に……」という思考に到達してしまう者も居るのだ。
『起こっている、という確証はない。しかし、不審な出来事があった。不審死だ』
『不審死?』
『そう。詳しく言うなら、あるギルドの集団不審死だ』
そんな不穏な単語が網膜に焼き付いた。俺は次々と送信されるキリトのメッセージに目を通す。
『一昨日のことだ。とあるギルドが第22層北西部の森林地帯へクエスト攻略に向かったきり帰ってこなくなった』
『事態が発覚したのは同日午後8時過ぎ頃、どうやらギルドメンバーの一人とフレンド登録をしていたプレイヤーが、その二時間前の午後7時に待ち合わせの約束を入れていたようでな。いつまで経っても来ないのを不審に思ったそいつが天魔衆に捜索を依頼したんだ』
『即座に捜索隊が派遣されたが、捜索するまでもなかった』
『程なくして第一層の生命の碑を見に行ったプレイヤーから報告が上がってきたからだ。ギルドメンバー全員の名前に線が引かれていた。死亡している、とね』
『ギルドの規模は?』
『確か12人だったか』
『12人……それが全員死んだのか?それは余りにも多すぎると思うぞ。それほどの規模を襲撃して皆殺しにするならば相当数のPKが必要になるが、もっと他の、例えば罠モンスターとかじゃないのか』
『ああ、寧ろ《天魔衆》はその線で調査をしている。だが今のところそのようなMobは見つかっていない。故にPKという説も立っているが、まだ森林地帯には未開の場所もある。当該ギルドがデスした地点が不明な以上、そこに存在している可能性が高い』
『ええと、つまりお前が言いたいのは』
『できるだけマッピングの完了していない場所には行かないで貰いたい、ということだな。まぁ、今回のクエストに関しては天魔衆の先遣隊が既にマッピングを済ませているだろうから大丈夫とは思うが』
『お前は来るのか?』
『いや、午後はちょっと下の層に用があってね。参加はできない。すまないな』
『いや、偶にはお前達抜きでやらないと、個々人の技術も向上しないだろうし、いざとなった時の対応が鈍化する。何より人間は《依存》という状態が危険なものだ』
『あぁ。じゃあ罠には気を付けろよ。あと、可能性も捨てきれないからPKにもな』
そう言って、俺達はメッセージを打ち切った。
「……PK、か」
そこに人がいる以上、人間が人間を殺すという現状はいつまでも、どこまでも付き纏うものだろう。何せ地球上で最も人間を殺した生物は蚊だが、その次は同族たる人間なのだからな。
そこまで考えて、俺はウィンドウ上のキリトの名前の隣にある名前が記されていることに気付いた。通常そこは当該プレイヤーの所属する組織名が記される場所だ。
そういえば、以前キリトがギルドに加入したとかで話題になったことがあったな。
キリトといえば、攻略組では知らない人のいない遊撃のエースだ。そして彼は生粋のソロプレイヤーとしても著名である。そんな彼が特定の組織に身を置いたということで一時期うわさの的になったことがある。
あのキリトが身をやつすほどのギルドとは一体どんな所なのか。ギルド名は《月夜の黒猫団》とある。洒落た名だが、聞き覚えはない。何か彼に利するところがあったのか、あるいはギルメンと親交が深く懇意にしてあるからなのか。実の所、俺もキリトのことをよくは知らないので想像するだけ無駄なのだが。
午後1時50分。主街区と圏外の端境にあるゲートにプレイヤーがわらわらと集まり始めている。
ざっと30人弱。フィールドボス攻略にはやや多いぐらいか。だが、余裕はあって損ではない。
これから討伐予定の《フォレストバブーン》は文字通り巨大なヒヒ(バブーン)の姿をしたモンスターだ。周囲に植生している巨大樹の登攀・飛び移りを駆使し、縦横無尽に立体移動を行いながら物理攻撃・投擲などを駆使した遠距離・近距離を使い分ける攻撃を仕掛けてくる、所謂バランス・スピードタイプの敵だが、攻略難易度自体はさほど高くない。
攻略人員がいつもよりも比較的多いのは明らかにフィールドボス以外のモノに向けられているといえるだろう。やはり先程キリトから聞いた例の件であろうか。俺は攻略部隊を指揮するシガリテさんの下へ向かう。
シガリテさんは声こそ大きくないが、よく通る声質をしており離れていても場所がすぐ分かる。
「シガリテさん」
シガリテさんは部下と雑談をしていたようだったが、俺の呼びかけに応じ、俺の方を向いた。目鼻立ちがはっきりしていて堅物っぽい面持ちである。
「やぁ、オトナシ。元気してたかい?今日は来てくれてありがとう」
「いえ、こちらこそ。頼っていただけて嬉しいです」
しかし、外見に反してシガリテさんは気さくで接しやすい人物だ。リアルではとある企業のとある部署でリーダーを務めていたらしい。
「すみません、お話中でしたか」
俺は先程までシガリテさんと話していたプレイヤーに視線を送りながら問う。
「いや、気にすることはない。それより話があるんじゃないのか?」
「ええそうです」
俺は後ろの一団を一瞥しつつ、彼らに聞かれてもいい話かどうか分からなかったので、出来る限りの小声でシガリテさんに問う。
「今日の攻略、やけに人員が多いですね。やはり一昨日の一件ですか」
「知っていたのかい」
「知人から聞きました。不味かったでしょうか」
「いや、君ならば大丈夫だろう。……如何にも。今回の攻略の慎重態勢は某ギルドの全滅事件を受けてのことだ。我々の間では共通の符牒として《集団不審死事件》と呼称している」
《集団不審死事件》――文字通りの呼称だった。
「当該事件の原因は罠(トラップ)かPKと目されていることは聞き及んでいます。踏み込んだことを訊かない方がよいのは重々承知ですが、他に何か分かっていることはありますか?」
シガリテさんとて、立場というものがあり、彼の持つ情報はおいそれと部外者に話せないような機密事項であったかもしれないが、しかし、これから起こるであろう状況とその状況に《SSS》の皆が巻き込まれる可能性があることを考えると、俺は聞かずにはいられなかった。
「残念だが、君の期待に答えられる情報を我々は有していない。死体ひとつ残らないというのがタチが悪い。ありとあらゆる情報屋に尋ね回っているが、罠(トラップ)についてもPKについても有用な情報を得られていない現状だ」
「そうですか…」
これは予想された回答であったが、とはいえSAO内最大組織をもってしても捜査が難渋する事態に俺は焦燥感を覚えずにはいられない。
「我々としてはPKでないことを祈りたいが、『かくあれ』という希望的観測ほど危険なものはない。故に、これからは常にPKの存在を念頭に置くことになる。」
《天魔衆》も色々と対策を講じているようだ。同ギルドトップのディアベル氏並びに幹部相当のシガリテさんの心労が慮られる。
「《天魔衆》としては最悪のケースを想定して動くことになるが、現状《集団不審死事件》に白か黒かを付けることはできない。というのが公式見解だ
……だけどね、オトナシ君」そう言って、シガリテさんの顔貌はすーっと無表情を湛えた。
「《集団不審死事件》が仮に罠(トラップ)が原因であったとしても遅かれ早かれPKは起きるし、彼らは間違いなく徒党を組むよ。このゲームに巻き込まれた殺人嗜好者を寄せ集めれば1ギルドくらいには及ぶだろうね」
俺は閉口する。薄ら寒さが肌を駆け回った。
PKギルド、あまりにも聞きたくないワードではあったが、現実に即して物事を考えるならば避けては通れないものだった。
「…っと、怖がらせるようなこと言っちゃったね。攻略前なのにごめんね」
「貴重なお話、感謝します、シガリテさん。それと……」
「どうした?」
「《集団不審死事件》のことをギルドのメンバーに話しても構いませんか?」
「構わないよ。暫くは事実確認でゴタゴタしてたけど明日には日刊紙で公式に情報開示をする予定だったからね」
「ありがとうございます」
そう会話を締めくくって、俺はギルドメンバーの下へ戻った。