第十層迷宮区内。
改めてキリトの強さを思い知った。夜闇のような黒衣をはためかせ、敵の群集をあっという間に切り捨てていく。彼のシンボルにもなりつつあるその黒衣は、日向が第一層ボスのLAボーナスとして獲得した《コートオブミッドナイト》だ。実はあの戦いのあと、「俺達には似合わねぇ代物だな」と判断した俺と日向が、ちょうど欲しそうにしていたキリトに売りつけたのだ。キリトは大層コートを気に入ったらしく、金額を弾んでくれた。
話を戻そう。彼の鮮やかな剣の扱いを見るに、現実で剣術でも習っていたのだろうか?剣道などとは一線を画す独特な構えや太刀捌きではあるが、基本的な技術の根幹として剣道のそれがあるように思われる。今度、聞いてみるか。
加えてアスナもだ。キリトといつもいることだし、剣術指南でも受けているのだろうか。極細の鋭利なレイピアを(武器としての系統は異なるが)槍衾のように打ち出し、みるみる《オロチ・エリートガード》を掃討していく。正直、俺らの出番なし。ディアベルも舌を巻く進撃であった。
そして最上階。俺らはボス部屋の前にいた。
「音無、今回のはヤバいらしいからな。気をつけろよ」
「分かってる」
そう短く会話を終えて、重厚な扉が開かれる。
第十層ボス部屋の中は、何というか《エギゾチック・ジャパン》といった感じだった。まさかこの言葉を実際に使うことになるとは。地面は畳、天井は木製の竿縁天井、壁は漆喰の上塗りが施されている。壁沿いの畳に等間隔に設置された行灯の火が手前から順に儚く熾火のような明るさで灯されていく。が、部屋の最奥はまだ影になって見えない。壁には行灯の中間を取るように、等間隔で障子窓が拵えてあり、今はそれらは全開で恐らく作り物である夜空とそれを舞う桜が見えた。
刹那。
障子窓が一斉に閉まり、視認できるのは薄明かりによって障子窓へ仄かに映し出された桜吹雪のシルエットだけとなる。そして、部屋最奥の行灯にも火が点り――その姿が映し出された。
大河ドラマとかでよく見る戦国武将が座るような折り畳み式椅子――床机(しょうぎ)に悠然と腰掛ける一人の武士(もののふ)。
金色の角が生えた紅糸威の筋兜に、同じく紅糸威の漆黒の六枚胴甲冑。刀は恐らく、肥後刀工の同田貫をモデルにしたものを佩刀しており、右手には金糸をあしらった軍配を携えている。
完全なる時代錯誤(アナクロニズム)であるが、その出来の無疵さに、逆に自分達がタイムスリップしてしまったのではないのかとさえ思わされる。
そんな戦国武将然とした《マスターフェンサー》は軍配を置き、おもむろに立ち上がると、腹の底まで揺さぶるような金属摩擦音を立てて抜刀すると八相の構えで一歩二歩と躙り寄った。
次の瞬間、ボスの(全貌を把握出来ない)顔の横辺りにボスの名――《Orochi The Master Fencer》がボス特有の大文字表記で現れ、その横に段組みのHPバーも表示される。その本数は五段。なかなかの敵である。
寸分待たずに戦闘開始。まず最初の攻撃隊(俺は含まれない)が吶喊し、ボスに一斉に斬撃あるいは打撃を浴びせる。しかしボスの反撃は早かった。
ソードスキル《彗星》――神速で放たれる三連続の斬撃である。
情報が寡少ということで、即ち今回は事前に知り得たソードスキルに対する対処法も極僅かであった。高速のZを描くような三連斬りに対処できなかったプレイヤーが次々に攻撃を受け、ダメージの硬直でその場に磔にされる。既に攻撃隊の三分の一が壊滅した状態だ。
「開幕ソードスキルかよ……」
俺は思わず呻く。
「皆!負傷者を庇いつつ耐えてくれ!まだスイッチの折ではない!」
ディアベルの指示が飛ぶ。
プレイヤー達はAGIの高い者が硬直で動けない者を抱えて逃げるなどして何とか攻撃を躱している。そんな中、キリトはSTRとAGIの高さを持ち味に高速移動と同時に繰り出される高威力の斬撃で敵を翻弄し、特定プレイヤーへのロックオン攻撃にインターセプトし、高難度の弾き(パリィ)でプレイヤーを守るなどの好プレーを連発していた。クラインは同じカタナ使いとあってか強い対抗心を燃やし、何かと競り勝っていたように思われる。
「スイッチ!」
ディアベルの号令がかかった。前衛プレイヤー達が息絶え絶えに撤退する。さあて、俺らの出番だ。次弾の攻撃隊にはSSSギルドメンバーが含まれる。
俺は《マスターフェンサー》の死角となる左脚腓腹に潜り込み、まず一太刀、返す刀で二太刀。狂うように続け様に連撃を発する。そして流れるように《スラント》を発動。多少のウェイトを強いられるが、敵の攻撃はこちらへはまだ流れてこないだろう。正直、今の所連撃系のソードスキルを身に付けられずやや鬱憤が溜まるこの頃だ。連撃は、その分硬直が長いが、攻撃回数は多い方が良いだろう。
それにしても日向は――。
俺はちらと日向に視線を呉れる。日向は《スラント》を発動した後、流れるように《バーチカル》を発動していた。
なんだアイツ。硬直が無かった気がするが。まぁ、いい。今は自分のすべきことに集中しよう。
すると《マスターフェンサー》が身体の向きを変え、こちら側に斬りかかってきた。
「危ねっ」
俺はスレスレで跳躍回避をする。そして、体勢を立て直しつつ、攻撃の隙を探す。
すると、《マスターフェンサー》が刀を鞘に納めたではないか。
これは来る……居合斬りのソードスキル《流星》が。
プレイヤー達が一斉に攻撃を止め、《マスターフェンサー》の視線方向――即ち、居合の可傷圏内から退く。
《マスターフェンサー》は身体を沈め、低姿勢になると、刀身が光を帯びる程の超速度で刀を鞘走らせ、斜め斬りにかける。凄絶な抜刀が刀身の二、三倍ほどの斬撃となって駆ける。しかし前方にプレイヤーは誰一人いない。高速の踏み込みと共に払われた大太刀が空を斬る。
明らかな空振りである。
そう思われたのだが。
「!!」
《マスターフェンサー》は90°右に転身し、突如、二の太刀を放った。予期しえない不意打ち。右サイドに回避していた数名のプレイヤーが斬撃を諸に喰らい、HPをを激減させる。
「スイッチ!」
数瞬も待たず、ディアベルの指示が飛ぶ。
さぁ、俺らの出番だ。
前線へ躍り出ると、硬直真っ只中の《マスターフェンサー》に数撃浴びせ、振り下ろしが来る前に即撃離脱。この手の重量級攻撃は付近に居ただけでスタンを喰らうのだ。
好調だ……悪くはない。
奴の脅威は強烈なソードスキルであって、その通常パターン攻撃は単調で見切り易い。高速であることに変わりはないが、見てから避けられるレベルであろう。
振り下ろしの反動で再度硬着を喰らった《マスターフェンサー》の足を低姿勢でスルリと潜り抜け様に膝、大腿裏、踵に斬撃の痕を刻み込んでいく。
暫時のアルゴリズム処理が終わると、《マスターフェンサー》がパターンにないモーションを取り出す。納刀ではない。即ち、あれは先程の《流星》ではないということだ。
何だ……あれは。残る可能性としては高速三連斬り《彗星》と跳躍回転振り下ろし《電征》。
いずれにせよ、敵の動きを見てから判断するしかない。よく見ろ……よく観測するんだ。そして対処する。《彗星》の攻撃範囲は《流星》と同じく前方だろう。俺は《マスターフェンサー》の視界から外れるように脚を運ぶ。しかし、先の《流星》のようなトリッキーな動きをしてくる可能性も過分にしてある。油断ならない。《電征》の場合、対処が困難だ。敵は俯瞰状態から、俺らが恐らく密集している所を優先的に襲うだろう。しかし相当な空間把握能力がなければ攻撃位置を予測することは難しい。
そして、《マスターフェンサー》が屈んだ。跳躍か?いや――踏み込みの為の溜めかもしれない。重心の傾倒具合をよく見ろ。やや前方?いや、どっちとも取れるぞ。
クソ、初動を見てから避けるしかない。
さぁ……どう来る。
空間を引きちぎるような荒々しい風音と共に、《マスターフェンサー》の姿が霞んだ。後方へ残像の尾を引いている。前進!《彗星》か。
一撃目。大きく空振る。
二撃目。威力を逃さぬ巧い返す刃であるが、前方に敵は居らず。
三撃目。ウェイトを置いての大上段からの一振り。無論命中は無い。
良かった……先のような意表を突くようなアクションは無かった。と、安堵するも束の間。俺はやっと気付いた。
《マスターフェンサー》の大刀が未だ輝いている――!
つまり、ソードスキルは終了しておらず、続行中なのだ。
「躱せぇぇぇぇッ!」
攻略チームの誰かが叫ぶ。この危機にいち早く気づいたのだろう。しかし、大半のプレイヤーは何のことか分からずに呆然としている。当然だ。人間は事前に確定づけられた予定行動(マニュアル)から外れた事象に対し、酷く脆弱なのだ。
故に、反応できない。未知の四撃目に。
真横一文字、俯瞰すれば一つの円のように、真紅の軌跡が走った。
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