声を失った少年【完結】   作:熊0803

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十話です。正直、出来栄えにあまり自信がありません。


10.孤独な少女は、かつて愛していた少年を思い出す。 下

  再び虐めが始まってから数週間、何かと理由をつけて彼と一緒にいるのをやめた。心配させたくなかったから。迷惑をかけたくなかったから。

  けれど一度意識してしまった相手を無視するというのはなかなかに困難で、不意に彼のことを見てしまう。

 

 その目には穴が、空いていた。

 

 気づかれていた。とっくの昔に。

  私にちょっかいをかけている彼女たちに向けられる、空虚で虚ろな、どこまでも憎悪と憤怒に満ちた、そんな穴。彼がどんなときにそんな目をするのかを知っているからこそ、死の恐怖とも言えるものを感じた。あの目を向けられたら、もう助からない。相手は、完膚なきまでに叩き潰される。

 

 ーーー

 

  さらに一週間後。その日はちょうど授業参観の日だったが、我慢し続けていたストレスもあり、体調を崩して学校を休んだ。その日何があったかも知らずに。

 次の日も、私は休んだ。

  だいぶ回復していたのだけれど、一度休むと、あの恐怖から逃れられることが心地よくて、どうしても自分の部屋から出たくなかった。

  さらに次の日。さすがに三日も授業に遅れるわけにはいかないので、ようやく学校に行った。

  するとそこで二つの噂を聞いた。いじめっ子だった彼女らが、停学処分になったこと。

 

 そして、彼が退学になること。

 

  それが耳に入った瞬間、目の前が真っ白になった。彼が、いなくなる?私の前から?なぜ?

「っ!」

  そう考えた瞬間、ギュゥゥっと胸が締め付けられる。いや、そんなのイヤよ。彼がいなくなるなんて、考えられない。いや、いや、いや………

 

  思わず両手で体を掻き抱き、うずくまって強く瞼をつむると、数日前に見た彼の目が浮かび上がる。

 

「まさか…!」

  私は数少ない伝手を頼り、この二日間の間に何があったのか情報をかき集めた。

  その結果わかったのは、授業参観の日彼が彼女らを告発して停学にしたこと。昨日、私の幼馴染の葉山君を殴って病院送りにしたこと。その結果、中学部に上がることが取り下げられ退学処分を受けたこと。そして、詰問した教師に向かって彼が書いた言葉。それはーーー

 

『俺は人生で二度目の救いを手にした。だからもう、何があっても耐えられる』

 

  それを聞いた時、下腹部から電流が走った。全身を気持ちの良い感覚が支配していく。やがてそれは脳にも達して、私の思考をドロドロに溶かした。

  彼は、彼女らを告発し、学校の人気者であった葉山君を怪我させることで、あらゆる人間の憎悪を自分に向けさせたのだ。

  ■■くんの、卑怯者。偽善者。最低人間。自己中。自己犠牲人間。

 

  なんで、なんであなたはそんなに、一人でなんでも解決してしまうの?自分だけ傷つくの?自分が一番不幸なのに、私なんかのために体を張れるの?

 

 どうして、どうしてあなたはーーー

 

 こんなにも、私にあなたを愛しくさせるの?

 

  無理、もう無理よ。我慢できない。

  今までただ隣にいるだけで満足できたのに。

  頬が熱くなる。頭がぼうっとする。口の中から荒い息が出る。

  きっと友人たちからは、いきなり私が体を痙攣させてへたりこんだように見えただろう。

  事実、そうだ。私の心は彼への想いと怒りでぐちゃぐちゃになっている。きっと危険な顔をしていたことだろう。

 

  そのあとどうやって帰ったかはわからない。気がつけば家の玄関に立っていた。足音が近づいてきて、それに伴うように母さんが姿を現した。後で聞いた話によると、私は体調不良と言ってすぐに学校を飛び出したらしい。

  ずっと玄関に棒立ちになっている私を怪訝に思い、母さんが私の顔を覗き込む。

 そして驚愕に目を見開きながらこう言った。

「雪乃、あなた、酷く惚けた顔になっているわよ?」

 

 意識が、暗転する。

 風景が切り替わる。

 

 ーーー

 

  私は母さんに海外への三年間の留学を頼み込んだ。

  もとより考えていたことだった。だが、どうしても彼のそばを離れる決心がつかなかったのだけれど、今回のことである意味吹っ切れた。このまま彼と一緒にいたら、私はおかしくなってしまう。耐えきれる自信がない。

  出国日は小学校の卒業式の次の日になった。彼が退学になるのは丁度その日だから、もう会うことはできない。

 

  だけど、せめて。この気持ちを伝えるくらいはしたい。いつか戻って来た時、彼にもう一度会うために。

 

  卒業式前日の放課後。私は屋上に彼を呼び出していた。アスファルトの隙間から夕焼け色に染まった校庭を見る。頭の中には彼と過ごしたこの一年間のことが駆け巡っていた。それにより、さらに気分が高揚する。

  思わずにやけていると、がちゃんと屋上のドアが開く音がする。彼以外、ここに入ってくる人はいない。

  こんな顔を見せるわけにはいかないので、なんとか表情を引き締めようとするが、結局はにかんだような笑い方になってしまった。少し恥ずかしい。

  振り返ると、そこには予想通り本とメモを片手に持った彼がいた。

  ゆっくりと近づいていく。やがて鼻と鼻の先が触れるような至近距離まで近づいた。後少し顔をずらせば、キスできてしまう距離。彼の匂いでくらくらするが、なんとか声を出す。

「…私、あなたに一度でも助けて、なんて言ったかしら。■■くん?」

  それは、私たちが初めて出会った時の繰り返し。この言葉で始めて、私の気持ちに区切りをつける。

  彼は心底驚いた顔をしていた。何故知っているのかと思っているのだろう。当然友人に聞いたのもあるが、その目をずっと見ていた私にはすぐにわかった。彼が必ず何かをすると。

 まっすぐに彼の目を見続ける。

  するとやがてメモ帳が目の前に出され、ぷいを顔を背けてしまった。その仕草にまたしても愛しさが増す。

『だって、見てられなかったから』

  紙の上に書かれた言葉を見て、私は思わずきょとんとしてしまった。普通ここまで極端な答え方になるだろうか。けれど逆にそれが彼らしくて、ふふふと笑ってしまう。むっとした顔をして彼は言葉を継ぎ足した。

『お前が傷つくのが、どうしても許せなかったから』

「あら、あなたいつからそんなキザなセリフを言えるようになったの?」

 少しからかうと、彼はまた目を背けた。可愛い。

『うっせ。ほっとけ』

  そろそろ言葉を出すのも面倒になってきた。それに、これ以上は我慢できない。そう思い、私は行動に移してしまう。

「あらそう。…でもね、私も言いたいことがあるわ」

 彼の顔に優しく手を添えて、こちらを向かせる。そしてーーー

 

 チュッ

 

  視界いっぱいに彼の驚愕に見開いた目が映し出される。そのままたっぷり十数秒堪能すると、ゆっくりと顔を離した。

 ああ、これが彼の味…気持ちがいい。

  思わず唇に手が伸びそうになるが、ぺろっと舌で舐めて彼の唾液を取り、伸ばしかけた右手で髪をかきあげるだけに留めた。

「ありがとう。あなたのおかげで、私は救われた。本当は苦しくて。それを誰も気づいてくれなくて。諦めかけて、何もかも見たくなくなりかけた時に、あなたが来てくれた。わたしを見つけてくれた。だから、ありがとうと言わせて」

 最も伝えたかった事を口にする。

  感覚が曖昧になってきた。そろそろ夢の終わりが近いのだろうか。

「今日、あなたはいなくなってしまうから。私は遠くに行ってしまうから。だから言うわ。私は、あなたが好きです。話せないのに、誰よりも理解してくれるあなたが。怖い目をしているのに、誰よりも優しいあなたが。最悪の方法をとってでも、自分を犠牲にしてでも救ってくれたあなたが」

  言えた。そうだ、これを最も伝えたかったのだ。何よりも、誰よりもあなたを愛していると。

「明日、あなたはもういないけれど。私はもうこの国にはいないけれど。でも、だからこそ。ここで答えは求めない。いつかまた出会えた時に、答えを頂戴?」

  彼からの答えはなかった。その代わり、破れたメモ用紙が風に乗って飛んでいく。

  ちらりとそれを見ると、そこには言葉が刻まれていた。話せない彼なりの、私への答え方。

 

『必ず、思い続けよう』

 

  ええ、いつまでも。

 

  たとえあなたが私を忘れても、何度でもその隣に行く。

 

  たとえ私があなたを忘れても絶対に思い出すわ。あなただけが私の世界で輝いているから。その光を、決して離しはしない。

 

 だから、守ってね?約束。

 愛しい愛しい私のーーー

 

 ーーー

 

 

 

 

 

「ーーー八幡くん!」

 

  ばっと飛び起きる。荒い息を吐きながら、周りを見渡す。

  窓を見れば、そこから薄っすらと朝日が差し込み、部屋の中を暖かく照らしていた。

 不意に顔に触れると、頰には幾筋もの汗と涙が流れている。

 その理由は私が一番よく知っている。

  今まで大きすぎて、逆に奥深くに隠してしまった思い。それが爆発したに過ぎない。

  けれど、それは不快ではない。むしろ嬉しさに頭がおかしくなりそうだ。

 だって、やっと思い出せたのだから。

 

 

  比企谷くんを気になっていた理由。簡単だ。なぜなら比企谷くんは私を救ってくれた彼なのだから。

 

 

  もう忘れたりはしない。あの時あの場所で誓ったように、今度は私が彼の隣に行く。もし覚えていなかったら、強行手段にでも出て思い出させる。

 そうでもしないと、この気持ちは止まりそうにない。

  昨日までの私なら決して考えはしなかったことを平然と考えられる。

  恋する乙女は強い、ということかしら?いえ、少し違うわね。

 それより、まず先決しなければいけないことは…

「この汗と服を綺麗にしなくてはね」

 

 

 

 




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