声を失った少年【完結】   作:熊0803

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六話です。


6.声を無くした少年は、初めての依頼に悪戦苦闘する。

  家庭科室はバニラエッセンスの甘い匂いに包まれていた。

  雪ノ下は勝手知ったる様子で冷蔵庫を開けて、卵やら牛乳やらを持ってくる。他にも秤やボウルを取り出し、もはや良くわからん謎の調理器具もかちゃかちゃと準備を始めた。

  普段は菓子なんか作らないから何が何やら。

  どうやら雪ノ下は料理の面でも半端じゃないらしい。

  手早く準備を終えると、ここからが本番とばかりにエプロンを着けた。

  由比ヶ浜も同じようにつけるが、着慣れていないのか紐の結び目が出鱈目だ。

 こいつほとんど料理したことないな。

  はあとため息を吐くときっちり結び直してやる。

「ふぇっ!?」

  すると由比ヶ浜は顔を真っ赤にしてテンパり始めた。ご、ごめんな?きつかったか。それとも俺にやられるのが嫌だったか。後者だったら泣きそう。

「あ、あああああありがとう…」

  どうやらただ単に恥ずかしかっただけのようだ。よかったよかった、初対面のやつにすら嫌われたらマジで引き籠る自身があった。

  でもエプロンの着付けくらい次からはちゃんと自分でできるようにしておけよ?

  頑張れ、という意味を込めてぽんぽんと背中を叩いてやると、やる気スイッチが入ったようで元気よくブラウスの袖をまくる。

「よーしっ!やるぞー」

  卵を割って、かき混ぜる。小麦粉を入れ、さらに砂糖、バター、バニラエッセンスなどの材料なども加えていく。

  誰の目から見ても明らかなくらい、由比ヶ浜の料理の腕前は尋常離れしたものだった。お菓子ひとつで大げさなと思うかもしれないが、シンプルなものだからこそ、力量の差が見えやすい。ごまかしのきかない本当の実力というものが見えるのだ。

 まず溶き卵。殻が入ってる。

  続いて小麦粉。ダマになってる。さらにバター。固形のまま。

  砂糖は当たり前のように塩にすり替わってるし、バニラエッセンスはどぼどぼと過剰に入ってるし、牛乳はたぷたぷしてる。

  ふと雪ノ下のほうを見ると、彼女は青い顔をして額を押さえている。普段菓子を作らない俺でも背筋に寒いものが走っているのだ。おそらく全般的に料理の得意な雪ノ下にしてみれば戦慄ものだろう。

「さて、と…」

 そう言って由比ヶ浜はインスタントコーヒーを取り出した。

  コーヒーか。まあ、飲み物があったほうが食は進むもんな。気が利いてるじゃんか。

  ふんふんと頷いていると、バボッという音を聞いて目を開ける。すると、気づけばボウルの中には黒い山ができていた。

 なんでだよ!

「あー。入れすぎちゃった。砂糖入れて調整しよっと」

  今度は黒い山の上に白い山が出来上がった。それを溶き卵の大津波が飲み込んで、地獄が作り上げられていく。

  結論から言おう。由比ヶ浜には料理スキルが欠如していた。足る足りないの問題ではなく、最初から存在していない。

  由比ヶ浜は不器用な上に大雑把で無駄に独創的というおよそ料理をするのに向かない人間だった。こいつとだけは化学の実験をやりたくない。うっかり人が死ぬレベル。

  例のブツが焼きあがった頃にはなぜか真っ黒な塊ができている。もう匂いからしてヤヴァイ。ジョイフル本田に売ってる木炭と言われても違和感ねえぞ。

「な、なんで?」

  由比ヶ浜が愕然とした表情で、物体Xを見つめている。

「理解できないわ……。どうやったらあれだけミスを重ねることができるのかしら……」

  雪ノ下が呟く。小声であるあたり、由比ヶ浜に聞こえないように配慮はしているのだろう。それでも、我慢しきれずに漏れ出たという感じだった。

「ちょ、ヒッキーそんなあらかさまに嫌な顔しなくていいじゃん!」

 おっと、表情に出ていたか。

 由比ヶ浜は物体Xを皿に盛り付ける。

「見た目はあれだけど……食べてみないとわからないよね!」

「そうね、味見してくれる人もいることだし」

『予想通り毒味になったな』

「どこが毒よっ!……毒、うーんやっぱ毒かなぁ?」

  威勢良く突っ込んだ割に見た目が不安なのか由比ヶ浜は小首を傾げて「どう思う?」みたいな視線を向けてきた。

  そんなの応えるまでもないだろ。俺は由比ヶ浜の子犬チックな視線を振り切って雪ノ下に携帯を見せる。

『なあ、マジで食うのか?』

「食べられない原材料は使ってないから問題ないわ。たぶん。それに」

  雪ノ下がそこで言葉を切ってから耳打ちしてくる。

「私も食べるから大丈夫よ」

  マジで?こいつひょっとしていい奴なの?

  いいのか?という視線を投げかけると、仕方がないでしょうという雰囲気が伝わってくる。

「何が問題なのかを把握しなければ正しい対処はできないのだし、知るためには危険を冒すのも致し方ないことよ」

  鉄鉱石ですと言われても信じてしまいそうな黒々とした物体を雪ノ下が摘みあげてから、俺を見た。心なしか目がちょっと潤んでる。

「……死なないかしら?」

 俺が聞きてぇよ……

  観念して、自分も物体Xを口の中に放り込む。由比ヶ浜のほうを見てみると、由比ヶ浜は仲間になりたそうな目でこちらを見ていた。……ちょうどいい。こいつも食えばいいんだ。人の痛みを知れ。

 

 ばりばり。ゴリゴリ。じゃりじゃり。ぐちゃぐちゃ。

 

 うん。ひとこと言っていいか。

 マズイ。

  秋刀魚の腸なんて食ってましたっけ?と疑問のよぎる出来栄えだが、少なくともその程度なので即死することはなかった。もっとマズイもん食ったことあるし。しかしながら、長期的な目で見てこれを摂取したことにより、発癌リスクが高まり数年後に発症したとしてもおかしくはない。

「うぅ〜、苦いよ不味いよ〜」

  涙ながらにボリボリ音を立てて齧る由比ヶ浜。雪ノ下がすぐさまティーカップを渡した。

「なるべく噛まずに流し込んでしまったほうがいいわ。舌に触れないように気をつけて。劇薬みたいなものだから」

 さらりとひどいことを言うなこいつ。あながち間違いじゃないが。

  だが、よそ見をしていたせいで俺は重大なミスを犯した。

 

 !?まずい、気管に入った!

 

  激しく咳き込み、肺の中から異物を吐き出そうとする。それを見て慌てて雪ノ下が紅茶を差し出してくれた。淹れたてで熱いにもかかわらず、それを勢い良く喉の中に流し込む。数秒するとようやくおさまり、ぜぇ、ぜぇと息を継いだ。

  そんな状態の俺を心配してか、しばらく雪ノ下は放っておいてくれた。

  ようやく落ち着いて頭を上げると、雪ノ下が口を開く。

「さて、じゃあどうすればより良くなるか考えましょう」

『由比ヶ浜が二度と料理をしないこと』

 涙目になりながらも、さっと携帯を二人に見せる。

「全否定された!?」

「比企谷くん、それは最後の解決手段よ」

「それで解決しちゃうんだ!?」

  驚愕の後に落胆する由比ヶ浜。がっくりと肩を落としてため息をつく。

「やっぱりあたし料理に向いてないのかな……。才能ってゆーの?そういうのないし」

 それを聞いて俺は短くため息をつく。

  こういう時は努力あるのみというのがあるが、俺が思う限りで努力というのは最低限の解決方法だ。

  何か手段があって、それに付け加えてより上達するために努力するのはわかる。俺もそうしてきたからだ。だがもう頑張るしかない、そのほかのどんな要素も入りえない、それは逆に言えばもはや為す術なしという意味でしかない。はっきり言って一度諦めて何かしらの方法を揃えるほうがもっと楽だ。

 だが………

  コツン、と軽く由比ヶ浜の頭に拳骨を落とす。さして力を入れていないのに由比ヶ浜は頭を抱えた。

「い、いきなり何すんのよ?」

「由比ヶ浜さん、あなたさっき才能がないって言ったわね?」

「え。あ、うん」

 唐突に雪ノ下が口を開く。

「その認識を改めなさい。最低限の努力もしない人間には才能がある人を羨む資格はないわ。成功できない人間は成功者が積み上げた努力を想像しないから成功しないのよ」

  雪ノ下の言葉は辛辣だった。そして、反論を許さないほどにどこまでも正しい。

 雪ノ下は不意に俺に目線を写す。

「そういうことでしょう、比企谷くん?」

  それに対してこくんと頷く。どう伝えようか迷っていたが、どうやら雪ノ下は俺の考えを察してくれたらしい。お前エスパーかよ。

  由比ヶ浜は気圧されて黙り込んでいた。まあこれが普通の反応だろう。安っぽい慰めや同調ではなく、思ったことをストレートにぶつけられれば大体はこうなる。

 由比ヶ浜の瞳は潤んでいた。

「か…」

  帰る、とでも言うのだろうか。今にも泣き出しそうなか弱い声だ。肩が小刻みに震えているせいで、その声もゆらゆらと頼りなさげに感じる。

「かっこいい…」

「(は?)」

 俺の心の声と雪ノ下の声が重なった。

  こいつ、何言ってんの?思わず二人して顔を見合わせてしまう。

「変な慰めとか全然言わないんだ…なんていうか、そういうのかっこいい……」

  由比ヶ浜が熱っぽい表情で雪ノ下をじっと見つめる。当の雪ノ下はといえば強張った表情で二歩ほど後ろに下がっていた。

「な、何も言ってるのかしらこの子……。話聞いてた?これでもけっこうきつく言ったつもりだったのだけれど」

「ううん!そんなことない!あ、いや確かに超正論言っててぶっちゃけ軽く引いたけど……」

  うん、まあそうだよな。正直代弁してくれたのはありがたかったがあそこまでどストレートに言うとは思わんかった。だが、由比ヶ浜はただ引いただけではなかったらしい。

「でも、本音って感じがするの。あたし、人に合わせてばっかだったから、こういうの初めてで……」

 そのセリフを聞いてはっとする。

  きっと彼女はコミュニケーション能力が高いのだろう。クラスでも派手なグループに属すほどなのだから単純に綺麗な容姿の他に協調性を必要とされる。ただ、それは裏を返せば人に迎合することがうまい、つまり、孤独というリスクを背負ってまで自己を貫く勇気に欠けるということでもある。

 だが、今回由比ヶ浜は逃げなかった。

「ごめん、次はちゃんとやる」

 謝ってからまっすぐに雪ノ下を見つめ返す。

  予想外の視線に今度は逆に雪ノ下が声を失った。

「……」

  たぶん雪ノ下にとっては初めての体験だったろう。正論をぶつけて、ちゃんと謝ってくる人間は案外少ない。たいていは顔を真っ赤にしてむきーっ!となるしな。

  雪ノ下はふいっと視線を横に流して、手ぐしで髪を払う。何か言うべき言葉を探して、けれども見つからないといった風情だ。……こいつ、アドリブ弱ぇーなマジで。

  とん、と軽くその肩を叩いた。こちらに振り向く雪ノ下に正しいやり方をちゃんと教えてやれ、と視線で訴える。

  由比ヶ浜に対してはちゃんと言うことを聞けという意味を込めて見つめた。通じていなく小首をかしげていたが。

「一度お手本を見せるから、その通りにやってみて」

  そう言って立ち上がると雪ノ下は手早く準備を始めた。

  ブラウスの袖をまくり、卵を割って、かき混ぜる。きっちり分量を量った小麦粉を粉ふるいにかけてダマにならないように溶いていく。さらに、砂糖、バター、バニラエッセンスなどの材料も加えていく。

  その手際たるや先ほどの由比ヶ浜とは比べ物にならない。

  あっという間に生地を作ると、ハートやら星やら丸やら型抜きで抜いていく。

  オーブンの天板にはすでにシートが敷かれていた。そこへ慎重に生地をのせると、予熱してあったオーブンへ入れる。

  しばらくすると、得も言われぬよい香りがしてきた。

  下準備が完璧にできていれば結果は推して知るべし。

  はたして、焼きあがったクッキーは見目麗しいものだった。

  それを皿に移して、雪ノ下がすっと差し出してくる。

  綺麗なきつね色に焼かれたクッキーはこれぞまさしくクッキーと呼ぶにふさわしい。ス○ラおばさんのクッキーみたいに良くできたものだった。

 ありがたく頂戴する。

  一つ手にとって口に入れると、自然に顔がほころんだ。

  うまっ。お前何色パティシエールだよ。

 手が止まらない。もう一つ口にする。

  無論うまい。女子の手作りクッキーなどたぶんほぼ食べる機会がないのでここぞとばかりにもう一つ口にする。

  由比ヶ浜のはクッキー以前のものだったのでノーカン。

「ほんとおいしい……。雪ノ下さんすごい」

「ありがとう」

  雪ノ下はにっこりと何の混ざりっけもない微笑みを浮かべる。

「でもね、レシピに忠実に作っただけなの。だから、由比ヶ浜さんにもきっと同じように作れるわ。むしろできなかったらどうかしてると思うわ」

『もうこれを渡せばいいんじゃねえの?』

「それじゃあ意味ないでしょう。さ、由比ヶ浜さん。頑張りましょう」

「う、うん。……ほんとにできるかな?あたしにも雪ノ下さんみたいなクッキー作れる?」

「ええ。レシピどおりにやればね」

 しっかりと釘をさすことも忘れない雪ノ下。

  そして、由比ヶ浜のリベンジが始まる。

  先ほどの雪ノ下の焼き直しのように同じ工程、同じ挙動を取る。クッキーだけに焼き直しとかちょっとうまい事を考えてしまった。

  できあがるクッキーもさぞかしうまいことだろう。うまいことを言っただけに。

 だが……。

「由比ヶ浜さん、そうじゃなくて粉を振るう時はもっと円を描くように。円よ円。わかる?ちゃんと小学校で習った?」

「かき混ぜる時にちゃんとボウルを押さえて。ボウルごと回転してるから、全然混ざってないから。回すんじゃなくて切るように動かすの」

「違う、違うのよ。隠し味はいいの、桃缶とかは今度にしましょう。そんなに水分を入れたら生地が死ぬわ。死地になるわ」

  由比ヶ浜、お前は贈り物を作りたいのか。それとも化学兵器を作りたいのか?

  見ると雪ノ下が、あの雪ノ下雪乃が混乱していた。疲弊していた。

  どうにか生地をオーブンに入れたときには肩で息をしていた。いつもの鉄面皮が剥がれて、額に汗が浮かんでいる。俺も手伝った方が良かっただろうか。

  オーブンを開けると、さっきと似たいい匂いが立ち込める。しかし……。

「なんか違う……」

 由比ヶ浜がしょんぼりと肩を落とす。

  食べ比べてみれば確かに先ほど雪ノ下が作ったものとは明らかに違う。

  だが十分に物体Xからクッキーに進化している。

  さっきの木炭まがいのものに比べれば随分とマシになった。正直、普通に食べる分には文句のつけどころがない。

  けれど、由比ヶ浜も雪ノ下も納得がいかないようだった。

「……どう教えれば伝わるのかしら?」

  雪ノ下がうんうん唸りながら首をひねる。

  その様子を見ながらふと思ったんだが、こいつあれだ。教えるのうまくねぇ。

  端的に言ってしまえば、雪ノ下は天才であるが故にできない人間の気持ちが理解できない。なぜそんなところでつまづくのか理解ができないのだ。

  レシピどおりに作るだけ、というのは数学で言えば公式に当てはめるだけ、と同じところなんだろう。

  ただ、数学が苦手なものにとってみればまず公式の存在理由がわからない。その公式がどうして答えを導き出す存在なのかが理解できない。

  雪ノ下にとってみれば由比ヶ浜がなぜ理解できないのかが理解できない。

  こう言ってしまうと雪ノ下に非があるよう聞こえるかもしれないが、こいつはよく頑張った方だと思う。

 問題はこいつだ。

「何でうまくいかないのかなぁ……。言われた通りにやってるのに」

  本当に頭のいい奴は人に教えるのも上手だとか、どんなバカにもわかるように説明するというが、そんなのは嘘っぱちだ。

  なぜなら、残念なやつに何も言ってもそもそも思考回路が残念なのでどうやっても理解できない。

  何度繰り返してもその溝が埋まることはない。

「うーん、やっぱり雪ノ下さんのと違う」

  俺は二人の様子を見つつ、クッキーをもう一つ齧った。

『思うんだが』

  一度間をおくと、再び文字を打ち込む。

『何で美味いクッキーを作ろうとしてんの?』

「はぁ?」

  由比ヶ浜はこいつ何言ってんの?馬鹿?みたいな顔でこっちを見た。お前にだけは思われたくねぇ。

『お前リア獣のくせに何もわかってないの?バカなの?』

「なんか文字が違くなかった!?」

  きゃんきゃん噛み付くところが犬っぽいから。とか書いたら怒られそうなので脳内から消す。

『男心がわかってねえな』

「し、仕方ないでしょ!付き合ったことないんだから!そっ、そりゃ友達にはつ、付き合ってる子とか結構いるけど……そ、そういう子たちに合わせてたらこうなってたし……」

  由比ヶ浜の声は見る間に小さくなっていき、もう全然聞き取れない。はっきり喋れはっきり。お前は話せてた頃に授業で指名された時の俺かよ。

「別に由比ヶ浜さんの交友関係はどうでもいいのだけれど。結局、比企谷くんは何が言いたいの?」

 さらっとひどいこと言うなこいつ。

  少しためを作ってから、俺はニヤッと口の端を上げた。

『お前ら10分後にここに来い。俺が本物の手作りクッキーを食べさせてやる』

「?何だかよくわかんないけど、上等じゃない。楽しみにしてるわ!」

  そう言って由比ヶ浜は雪ノ下を引っ張って廊下へと消えていく。

  さて、これで勝負は俺のターン。ちゃっちゃと準備始めますか。

 




はい、ほぼ原作通りですね。なるべくオリジナルになるよう、文章力をつけます。
矛盾点や要望があればお願いします。

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