狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第5話

 朝靄の煙る中、フュリアの町の入り口に二つの影があった。

 多少ふらつく脚で歩き始めたアービィとルティは、エクゼスの森に向かう。

 

「だ~か~ら~、呑み過ぎなんだってば、ルティは~」

 

「やめて~、話しかけないで。頭がガンガンする~」

 荷物のほとんどを担ぐアービィがルティに文句を言うが、ルティは耳を塞いだまま歩いている。

 

 街道は早春の冷え込んだ空気が漂い、人影はほとんど無い。陽が昇れば王都に向かう街道へ出る人も増え、賑やかになるはずだ。

 元はと言えばエクゼスの森を通ったほうが王都には早道なのだが、森の中に大きな道を敷くことはできなかったため、主要街道は一度東に迂回する。

 土木工事の技術が発達していないこともあるが、森は重要な食料調達の場でもあり、切り開いてしまうことのデメリットが多いためである。

 

 フュリアの町を出た日の翌日の昼過ぎ、途中食事の間だけの休憩で、予定より一日早くエクゼスの森への道と街道との分岐点に着いた。

 調べた話では、ここから森に入り、二時間ほど進んだところに泉への細道があり、さらに一時間で泉に着くと言う。

 ルティが習得したばかりの呪文を使い、疲労を回復しながらの行程だったので、なんとか一日早く着くことができたのだった。

 ここでしっかりと睡眠を取り、ルティの呪文使用回数を回復する必要がある。

 先にアービィが仮眠を取り、その後ルティが熟睡できるようにアービィが夜通しの見張りに立つ。

 そして翌早朝にアービィが仮眠し、昼前には泉に着くように出立する予定だ。

 

 

 手早く野営の準備を完了させ、干し肉を焚き火で炙り、一切れ齧ったアービィは荷物を確認する。

 案の定見つかった酒瓶をしっかり抱え込み、ルティの抗議に耳を貸さず焚き火の側に転がった。

 しばらくしてアービィの寝息が聞こえ始め、ルティは酒瓶の奪取を諦めた。

 

 ルティはアービィの寝顔を見ながら、考え事に沈む。

 なぜ、この人狼はやさしいんだろう。それ以前に人の側に立っているんだろう。

 村を襲った野盗と魔獣の群れから村人を守った。人狼が人の味方をしたなどという話は、これまでルティは聞いたことが無い。

 

 そもそも人狼とは、魔獣の中でも最強の部類に入る。

 経験を積んだ人狼は、ドラゴンすら倒せると言う。

 それだけではない。人狼は最強というだけでなく、最凶最悪であるとも言われている。

 凶暴性、冷酷性、不死性、呪文への耐性、回復力、その膂力、つまり純粋な力と、どれを取っても「人」が抗える魔獣ではない。

 この少年のどこにそんな力が隠されているのか、不思議としか思えない。

 

 人里離れた山奥に住み、人との交流は持たず、人の前に姿を現すときには殺戮の嵐が吹き荒れる。

 ただ強いだけでなく、人としての知力も兼ね備えている。悪魔の化身とも呼ばれる所以だ。

 人化した際にもその性質は引き継がれ、人として町の生活に馴染むことは無い。

 町に住む人狼の目的は、エサを効率よく狩るためでしかない。

 

 このやさしい人狼も、村に来る前は人を喰らっていたのだろうか。

 村に来た理由は何なのだろう。あたしと逢って以来、まだ人を喰らっていないが、これからどうなるんだろう。

 もし、この人狼が、その本性を現したとき、あたしはどうすればいいのか。

 止めるのか。いや、止められるのか。

 それ以前に、まず、最初に喰われるのはあたしなんだろうか。逃げるのか。逃げられるのか。逃げていいのか。

 間違いなくあたしはアービィを愛している。

 愛する「ひと」がそうなってしまうとき、あたしはどうすればいいんだろう……。

 

 考えれば考えるほど、ルティの思考は混乱していく。

 普段、あれほど飲んだくれるのは、思考の放棄のためだ。

 ずっと、ずっと、一緒にいたい。あなたが人に追われるようなことになってほしくない。

 あたしはあなたを守れるほど武に優れていないし、智に長けてもいない。そんなに強くない。

 この旅は、あなたに強くなって獣化を自在に操れるようになって欲しいから、それだけじゃない。

 あたしが、あなたを守れるような強い人になりたい、から。

 

 陽が沈み、辺りが暗くなってもルティの思考は止まらない。

 ふと、見るとアービィの尻から背中に掛けて蠢くものがある。また尻尾が具現化したのね、ぼけ狼。

 そういえば、アービィの背中、右の肩甲骨辺りには不思議な痣があった。

 文字のような、記号のような。ただの痣じゃない気がする。あれは何なのだろう。

 

 村にいた頃、あなたはいろいろなことを思いついた。頭がいいだけだと思っていたけど。

 川から水を引き、家々に水道っていうものを作った。

 水浴びしかしなかった村に、お風呂ってものを作った。

 水車や風車なんて、おもちゃだと思っていたら、道具として使えることも教えてくれた。

 井戸から水を簡単に汲み上げられる道具も作ってくれた。

 食べたことも無いような料理やお菓子も作ってくれた。

 あれは人狼の知恵なの?

 

 ルティの思考がループに陥った頃、アービィが目を覚ました。

 

「ルティ、頼むから熟睡してね。呪文の使用回数が回復しないからね」

 

 

 珍しくルティは素直に寝た。

 考え疲れていた以上に身体も疲れていたのだろう。すぐに寝息が聞こえ始める。

 辺りの気配に気を配りながら、アービィはさっきまで見ていた夢を思い返す。

 

 記憶に無い街、人。

 その街は石造りの街だった。

 二人が育ったフォーミットの村にも、初めて来た大きな町であるフュリアの町でも見たことのない建築様式だった。

 見上げるような高い、四角い石造りの建物が隙間無く並び、窓には透明な板がはめ込まれている。

 

 道の両側には数え切れないほどの人が溢れ、中央には考えられないスピードで通り過ぎていく鉄の乗り物が整然とすれ違っていた。

 三つの目玉が違う色に光る化け物がウインクするたび、人や乗り物が歩き出し、走り出し、止まる。

 

 街の中には高い橋が川以外のところにも渡され、そこを鉄の乗り物や鉄の大蛇が走る。

 空を見上げれば、巨大な鉄の鳥が羽ばたくことなく、耳を劈くような音を立てて翔け抜ける。

 もちろん、一ヶ所に留まって見た光景ではない。

 その夢の中でアービィは、当然のように鉄の乗り物や、大蛇、鳥に乗っている。

 

 アービィは考え込んでしまった。

 記憶の中に無い光景。明らかに違う文明だとわかる。それも今住んでいる世界より、遥かに発達した文明だ。

 幾つかの道具や知識、食べ物で、今の世界で作れそうなものや実践できそうなことをやってみた。

 夢で見ただけのはずなのに、なぜか元々知っていることのようにできてしまう。

 

 鉄の乗り物や大蛇、鳥も、構造は解る。いや、知っていると言ったほうが良い。しかし、この世界では材料も、部品を加工する技術も、組み上げる技術も、運用する知識や技術も無いことも解る。

 いや、知っている。

 なぜ、知っているのか。

 アービィは夢を見るたびに考え込み、混乱していた。

 

 幼い姿の自分が、両親に慈しまれ育てられている。

 その姿は今の姿とはまったく違う。黒髪に黒い瞳だ。

 同じ年齢の子供たちが、集団で部屋に並んで座り、大人の言うことを聞いている。

 解散した後は、思い思いの遊びをしている。

 その中に自分の姿を見つけるが、やはり今の姿とは違う。

 しかし、それは自分だと思うのだ、いや、判るのだ。

 

 ひょっとしたら、自分はあそこにいたのかもしれない。

 いつか、あそこに帰ることになるのだろうか。

 懐かしい、暖かい場所。帰れるものなら帰ってみたい。あの世界、少なくともあの周りには、戦争も殺戮も無いことは雰囲気で判る。

 

 でもそれは嫌だ。

 愛する「ひと」と別れてまで、行きたくない。一緒にいたい。行くなら一緒に行きたい。

 もし、帰ることになったとき、自分はどうすればいいのだろう。

 忌み嫌われる人狼を、家族として迎えてくれた愛しい「ひと」。

 

 初めて人を喰らおうとして来た村の前で、やさしく微笑んで僕を連れて行ってくれた君。

 両親を説得して、姉として僕を守り、育ててくれた君。

 

 僕が大人の狼に鍛えられ、傷だらけで帰ってくると、何も言わずに手当てしてくれた君。

 君がいたから狼たちは、あの村を襲わなかったんだ。

 でも、僕はまだ、君に何の恩返しもしてないよ。

 

 東の空が白むまで、アービィは夢を思い出していた。

 口を開けて寝ているルティを揺り起こし、しばらく寝かせてもらうことにする。

 

 そして彼は夢を見た。

 見慣れぬ服を着た自分が鏡の前に立ち、後ろを向いた途端に鏡に飲み込まれる夢を。

 

 真っ暗な管の中を滑り落ち、出口が見えた瞬間に滑っていた管が消失し、落ちていく。

 気付くと狼の中に立ち尽くし、自分も狼になっている、つまり、それはこの世で最初にある記憶に繋がる夢だった。


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