狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第48話

 ローグルバ男爵は馬車の到着の報を聞くと、客間へと向かう。

 その足取りは、あくまでも軽やかだった。

 

 彼は彼なりに、今回のビースマックにおける政変への戦略を練っていた。

 リトバテス公爵からは勝手な振る舞いを禁じられてはいるが、それはやった者勝ちで結果さえ良ければ独断専行は有耶無耶にできると思っている。

 ヴィングストニー男爵が同じ考えであることは百も承知で、互いに足の引っ張り合いとどうやって出し抜くかに日々頭を悩ませていた。

 

 アービィを自分の駒にできれば、ガーゴイルなどに頼る必要はない。

 ガーゴイルを使ったビースマックの主要閣僚暗殺計画は、ヴィングストニーの主導で進められており、ローグルバが進める間諜を使い閣僚を懐柔するという計画は、どうしても派手さに欠く。

 

 アービィが王の誘いを断っている以上、臣従を求めることは無駄だと判っているが、ローグルバはひとつの秘策を胸に秘めていた。

 彼はまだ二十代後半で、適齢期の娘はいないが十四歳になった末妹のファルカがいる。

 

 アービィとルティは同姓だが、夫婦ではないことは判っている。

 アービィにファルカを娶らすことにさせ、未来の義兄となれば、その頼みはそう無碍にはできまい。

 ローグルバ家は自分の息子が継ぐことは確定しているし、他の妹たちはそれぞれか見合う家に嫁いでいるか、婚約済みだ。

 これでファルカがアマニュークの英雄の正室に収まれば、彼の威光はかなりのものとなるだろう。

 

 幸いにして父の教育のおかげで、妹たちは家の勢力を伸ばすための結婚ということには嫌悪感を抱いている様子はない。

 まだアービィと結婚するようにとは言っていないが、場の雰囲気ですぐに理解できるだろう。嫌がろうとも家の意志だと言えば、逆らうこともないはずだ。

 

 王からの報償は、王都に家を建てることが含まれていると聞いている。

 彼らは、暫くは冒険者稼業を続けるのだろうが、不在の間はファルカに住まわせておけば良い。

 その間のハウスキーパーくらいは負担してやろう。それくらいは、将来への投資と考えれば安いものだ。

 

 そうしたうえで、アービィたちをビースマックへ刺客として送り込む。

 ガーゴイルには指揮者が必要だが、アービィたちなら自立して動けるし、万が一の場合は自決してもらえば良い。

 

 ローグルバ男爵はアービィたちを午餐会に招待する計画が、ヴィングストニー男爵とかち合わなかった幸運を喜んでいた。

 四十代後半になるヴィングストニー男爵には、適齢期の娘がまだ二人いた。

 先にこの話をされていたら、あちらにアービィをさらわれてしまうところだ。

 義兄と岳父では、影響力がまるで違ってくる。

 

 

 満面の笑みを湛え、ローグルバ男爵は午餐会の会場として設えた広間にアービィたちを案内した。

 社交界で鍛えた洒脱な会話術は、適度な笑いを含ませて場を和ませている。

 

 アービィと男爵、そしてファルカの三人で会話ができるように、男爵正妻のリネアータが女性陣をさりげなく会話に誘い込み、テーブルには二つの輪ができている。

 男爵の妹売り込みが露骨になってきたとき、場の空気が一転した。

 

 絶対零度のような凍てついた殺気が、一瞬その場を支配し、誰もが言葉を飲み込んだ。

 まるで、天井から砕いた氷を大量に浮かせた冷水を、全員の頭上にぶちまけたかのような、心底から震え上がるような殺気。

 殺気の主は、あくまでも笑みを湛えたまま、しかしその目は炎の形をした氷の刃を男爵に突き立てるようだった。

 

 一番の被害者は、兄からは何も聞かされずアービィとの『見合い』の席に臨んだファルカだっただろう。

 突然変わった理由が理解できない冷たい雰囲気。時折振り向けられる視線に気付いてからは、肉食動物の襲撃に怯える小動物のように小さく全身を震わせている。

 

 義妹の異変に気付いたリネアータがルティの殺気を逸らすために話題を強引に変え、メディがルティの脇を突付く。

 我に返ったルティが恥ずかしげに殺気を収めたが、ファルカは青い顔のままだった。

 

「そういえば、ルティ殿とアービィ殿はご姉弟とお聞きしますが、髪も瞳も違いますね?」

 リネアータの問いは人の出自に触れる内容で、場合によっては全てをぶち壊しにしかねないものだ。

 しかし、ここまでの会話から察する彼等の人柄や、ルティの言葉の端々から感じられるアービィへの感情に気付いていたリネアータは、これがもっとも場を打開できるものだという直感に従っていた。

 

 間違いなく、アービィが義妹を娶ることはない。リネアータは、そう理解した。

 王侯貴族の婚姻の習慣と庶民のそれは、全く違うものだった。

 王侯貴族の婚姻は、主目的は家の存続と勢力拡大だ。娘は政略結婚の形がほとんどだが、それは手段であって目的ではない。

 そのため、正室の他に側室を持つ者が多いが、これは色を求めただけの結果ではなく、嫡子に恵まれなかった場合、自分の血筋が途絶えてしまうからだ。

 

 大量の庶子を生み出す結果になり、それが領民への重税という形に振り替わろうと、貴族の最大の使命は家の存続である以上、跡継ぎを確保することは何にも増して重要なことだった。

 結果として生まれた嫡男以外の使い道が、王侯貴族に限らず有力者の養子にすることであったり、政略結婚ということになっているだけだ。

 

 それに対し庶民の婚姻は、お互い好きあったものが結ばれる一夫一婦である。そこには家の発展といった打算的なものはほとんどの場合存在せず、重要なことは本人同士の意志であり希望であった。

 有力者といわれる者の中には側室や妾を囲う者がいることがあるが、それは既に庶民の範疇を超えている。

 

 もちろん、親が嫁や婿を気に入らないであるとか、親同士の話し合いで決まっているといったことも多いのだが、基本的にそのような親の介入がある場合、庶民ではなく王侯貴族を含む有力者の意志が絡んできている。

 親または本人が栄達を望む者であれば、恋愛感情の有無に関らず婚姻が成立する場合もあり、それが不幸な結果だけを招くとも限らなかったが。

 

 それでも王侯貴族が考える婚姻と、一般的な庶民の考えるそれの間には、埋めがたい溝が存在することも確かだった。

 リネアータはそれを敏感に感じ取り、さらにルティの放った殺気から姉弟とはいえアービィとの間には何かそれを超えるものが存在することにも気付いていた。

 

「ええ、実は、僕はルティと血は繋がっていないんです。八歳くらいの頃に、ルティの両親に拾われたものですから」

 ルティがどう答えようか迷っているうちに、アービィが横から口を出す。

 

 普通の人に比べ、一般常識を知るためのスタートが八年遅れたアービィは、多少考え方に幼いところがある。

 よく言えば素直、疑うことをあまりしない、悪く言えば幼稚、駆け引きといったものはあまりできない。

 そこにさらに天然な部分があり、空気の読む能力は馬であるノタータスのほうが余程マシ、といったところさえあった。

 

 戸籍が発達していないこの時代、養子として家族に迎えた男女が結婚することは珍しいことではなかった。

 さらには王侯貴族の中では親戚同士や義兄妹、義姉弟の結婚も当たり前で、実の親子兄弟姉妹の近親相姦でなければ嫌悪感はない。

 少々勘の鋭い者であれば、アービィとルティがこの先どうなるかなど、すぐに判る。

 

 男爵は言葉を失い、リネアータは合点の行った表情に、ファルカはなんともいえない複雑な、しかし安堵の割合の大きな表情になった。

 ルティはファルカの表情を見て、どうやらこの場の意義を知らされずに連れてこられたものと理解し、彼女に対し目で謝っていた。

 

「いずれ、お二人はご一緒に……?」

 ファルカはようやく口を開く。好きな人を自分で決めることを許される、自分の知らない世界があることにはじめて気付いたようだ。

 

「ええ、そのつもりです」

 アービィは即答し、ルティの顔が真っ赤になる。

 

「いいですね、羨ましいです。私は、家の意志で結婚の相手を決められてしまいますので……」

 ファルカは、無言の抗議を兄に向けながら言った。

 だが、その抗議が聞き届けられることはないということも、彼女は理解している。

 

 ファルカの言葉に対し、どう言って良いかアービィたちは分らなかった。

 住む世界が違いすぎる。夜這いや祭りという名の集団見合いが当たり前の庶民と、家の存続を第一義に考えなければならない貴族。

 知識としては理解できているが、実際目の当たりにして否定的なことを言われてしまうと、どう対応すればいいか判らない。

 

 何を言っても自分たちの自由さを誇示し、貴族の息苦しさを貶めることになってしまいそうだ。

 気まずい沈黙が広がりかけたとき、リネアータが打開を試みる。早く何とかしないと夫が正室側室などと言い出しかねない。

 

「夫が大変な失礼をしたようですね、ごめんなさい。実際貴族なんてこんなものなのです。アービィ殿の名声は家の権勢を広げるには充分。私としても、是非義弟に欲しいところなのですよ」

 正直に話し、且つおどけて見せることで固くなった雰囲気を崩す。

 

 男爵もこれ以上無理強いして、ラシアスの二の舞になることの愚を悟っている。

 ただ、ヴィングストニー男爵にこの件を知らせずにおこう、彼がしつこく付きまとい失敗する様は楽しみだ。

 ファルカの熱っぽい視線が気になったが、それは知らない世界への憧憬だろうと彼は思っている。

 

「いや、これは大変失礼をしてしまったようだ。妻の言うとおりでしてな、英雄殿。私はこの家を大きくする義務がある。それに囚われ過ぎたようです」

 ここは素直に誤りを認め、素直な人物との印象を残したほうが得策だ。

 そのうえでアービィたちに対して好意を持っていることを印象付け、依頼をしやすくしておいたほうがいいだろう、そう考えた男爵は頭を下げた。

 

「王からの褒賞に王都に家を建てるというものがあったそうですが、ご不在の間の維持は私が請け負いましょうか?」

 男爵の問いに、アービィは家を褒賞にと言われてから考えていることで答える。。

 

「実は、エンドラーズ様に相談しようと思っているのですが……僕たちがどれくらい住むかも判らないので、孤児院として活用していただこうかと」

 男爵は考えを巡らせる。

 これでは家を管理するという名目も使えない。

 

 王からの褒賞を、仮に使う機会が少ないからといって売り払うなど、それこそ不敬であり、非難されるべきことだ。

 だが、公共事業に役立てるという名目で風の神殿に寄付し、社会不安を煽る浮浪児を収容し教育するというのであれば、誰も非難できまい。

 

 運営は褒賞の金貨十枚をエンドラーズが信頼できる商人に預けて運用し、風の神殿が持つ資金と共同で行えば、大人数を救うことは難しくとも何とかなるだろう。

 マ教の孤児院もあるが、それだけでは不足しているのが実情だ。

 

 このことを大々的に発表すれば、王に忠誠を誓う貴族や、風の神殿を敬う貴族からのからの寄付も見込める。

 なにせ、事業主はアマニュークの英雄だ。それに王の褒賞をただ放置するのではなく、社会に役立てようというのだ。

 これに一枚噛めば、社会的な賞賛を得ることができるという、打算的な貴族もいるだろう。遅れをとってはならない。男爵はそう判断した。

 

「さすが、英雄殿の考えることは違う。私も微力ながら協力させていただこう」

 幾分かの苦々しさを飲み込んで、男爵は賛意を示した。

 

 やがて、茶会へ移動する時間が来て、アービィたちはローグルバ家を後にした。

 残された男爵は、悔しそうな表情を隠せない。

 こうなった以上、ヴィングストニーやリトバテスの失敗を望むしかない。

 

 我ながら卑しい考えとは思うが、家を伸ばし、上位の叙爵を得るためには形振り構ってなどいられない。

 リネアータとファルカは、ビースマックでの企みを聞かされていないが、夫の、兄の行いに不安を感じていた。

 

 

 ヴィングストニー家へ向かう馬車の中では、ルティは自分の感情が制御できなかったことに、落ち込みもちょっとだけ感じていた。

 そして、ヴィングストニー家で、また同じことがあるのではないかという不安も感じている。

 ローグルバ家ではうまく纏まったが、次もそういくとは限らない。下手気に貴族のプライドを傷付けてしまい、またラシアスと同じ騒ぎにならなければいいが、と考えていた。

 

 ティアとメディは、アービィの慧眼に素直に感心していた。

 だいたい、家などもらってしまい、王都に縛り付けられてしまってはストラーに臣従すると同じだ。

 

 ストラーのサウルルス王家に限らず、どの国の王家に対する忠誠心など欠片も持ち合わせていない二人にしてみても、王からの褒賞を売り払ったり、放置しておくことは感心できることではなかった。

 もう一つの褒賞である金貨十枚をつぎ込んで、家の管理をどこかに依頼することになり、結局は維持し切れず手放すことになると思っていた。

 

 アービィは、いつかバードンから聞いた孤児として育ったという話は、他人事ではなかった。

 自分はルティの家、バルテリー家に拾われたからまだ良かったが、下手をすれば路頭に迷い死んでいたかもしれない。いや、人狼の本性が勝ち、人を喰うことになっていたかもしれなかった。

 

 それは別にしても、自分の幸運を思うに付け、少しでも不幸な子供を減らしたいという想いはある。

 親を与えることは不可能である以上、自立するまでしっかり守ってくれる孤児院の必要性を感じていた。

 

 極めて残念なことであるが、マ教の運営する孤児院は、運営資金の不足から里親が見つかればすぐに孤児を放り出してしまっていた。

 批判もあったが、運営全てが破綻してはそれまでと言われてしまえばそれまでだ。

 

 善人に引き取られることも多かったが、人買いへの良い供給源にもなっていることは、否定のしようもない。

 もちろん審査はしているのであろうが、善人揃いの神父たちを騙くらかすことなど、海千山千の人買いには朝飯前だった。

 

 神殿が後ろ盾となり、信頼できる商人に孤児院の支援を依頼して自主事業を立ち上げ、商売や人としての一般常識を叩き込み、自活できるようになるまで孤児や浮浪児を守れる施設が必要だと、アービィは思っていた。

 理想論でしかないし偽善と言われることも確かだが、やらない善よりやる偽善とアービィは考えている。

 打算からでもいい、多少なりの寄付でも出してもらえれば、いや、理解を示してもらうだけでもよかった。

 

 

 ヴィングストニー家に到着した馬車を、男爵と妻、二人の娘が迎えた。

 ヴィングストニー男爵は五十に手が届くとは思えない若々しさを保っており、全身から覇気を発散させている。

 

 惜しむらくは、紙一重で覇気が欲に傾いていることが、彼の若々しさを卑しさにも見せてしまっている。

 ビースマックでのクーデター計画でガーゴイルによる侵攻策を推進しているが、これは彼の持つ破壊衝動のなせる業かもしれなかった。

 懐柔、篭絡といったことは好まず、力攻めを身上とした政治姿勢は上昇志向の現れでもある。

 

 アービィとルティが寄り添うように馬車から降りてくる姿を見て、ヴィングストニーはローグルバが何をしたか大体判ってしまった。

 それは自分も同じことを考えて娘たち二人にも同席を命じていたからであり、その目論見が成功しないことも同時に悟っていた。

 

 ラシアスの摂政ニムファはまだ年若いうえ、一国の最高権力者であるからか、周囲に面と向かってその行いを諌める者がいないため、アービィ取り込みを急ぎすぎ決定的な溝を作ってしまっている。

 いくら力押しを身上とするヴィングストニーであっても、それくらいの駆け引きの心得は当然あり、ここで娘のどちらかを押し付けるような真似はするべきではないと即断できた。

 

 ローグルバとはそれなりに友好的な話をしてきたようであり、派閥としては喜ばしいことだった。

 さらにローグルバ家に取り込まれた様子もなく、ここで自分がアービィたちのストラーでの権益代表になれるなら言うことはない。

 英雄のパトロンになり、それを自らの権勢の後ろ盾として、宮中での発言権を強化する。彼にとってのアービィの利用価値は、そこにあった。

 

 年齢に裏打ちされた豊富な知識とウイットに富んだ会話術は、アービィたちの警戒心を解きほぐすに充分だった。

 ここでもローグルバ家同様の遣り取りがあり、ヴィングストニー男爵は表面上積極的にアービイの家に付いての処置に協力することを約束した。

 今すぐにアービィを従えることより、信頼を得て依頼をしやすい関係を築いたほうが得策だとヴィングストニーは考えている。

 

 ガーゴイルだけで攻め切れるなら言うことはないが、万が一ということもある。後詰としてアービィを投入できれば、クーデターの成功確率はかなり上がるだろう。ビースマックで手引きする下級貴族に対する以後の恫喝にも使える。

 もっとも、最大の問題は、騒乱を越す立場として他国に赴くことを、どうやってこの馬鹿正直な若者に納得させるかであったが。

 

 リトバテス家での晩餐会まではまだ時間があるが、アービィたちが宿に一度戻りたいと言い出したため、茶会は二時間ほどで切り上げることになった。

 再会を約束し、ヴィングストニーはアービィたちを見送る。

 ヴィングストニー家の馬車で宿まで送り、定刻までリトバテス家の馬車も宿で待機することになった。

 

 宿に戻ったアービィたちは、翌朝の出立に備え荷物の整理をすると共に、エンドラーズ宛に褒賞でもらうことになった家の処遇を相談する手紙を書いた。

 宿に早馬による配達を依頼し、さらにその件に付いて明朝デュ・デバリ公にも相談するため、アポイントが取れないかを公と顔見知りという宿の支配人に相談する。

 アマニュークの英雄からの頼みであれば、デュ・デバリ公も断りませんよという支配人にアポは任せ、リトバデス家の晩餐会へ行くため、アービィたちは馬車に乗り込んだ。

 

 

 リトバテス家は、王宮から程近い一等地に広大な敷地を有していた。

 豪奢としか言いようのない屋敷には、決して下品ではないが屋敷に負けない豪華な装飾品が並べられているが、それぞれの調和が取れていないところに主の権勢を誇示せずには入れない性格が見て取れる。

 個々を見る目はあるのだろうが、適材適所に配置するセンスには欠けているようだった。

 

 そこが政務参議官に叙せられてはいるが、歳若い閣僚に対しても強く出てはならない立場に留められている彼の限界を物語っている。

 閣僚は事実上世襲制であるために、彼がいくら望もうともその立場が手に入ることはないのだが、それが今回のクーデター計画を決意させる一端でもあったかもしれない。

 

 アービィたちを迎え入れた後、他愛のない会話から始まった晩餐会にはリトバテス公爵夫人のフォーシィとその子息が揃っている。

 彼等はストラー貴族の例に漏れず、肥大化したプライドは他国を見下した態度に表れており、意識せずともアービィとルティの祖国であるインダミトを貶め、メディの故郷である北の大地を蔑視する態度にじみ出てしまっていた。

 個人を貶めようという意識はなく、英雄と呼ばれる者であるならストラーに居住するべきだと言いたいのだろうが、祖国や故郷を悪し様に言われていい気になる者は多くない。

 

 リトバテス公爵は生まれながらの大貴族であり、宮中から出ることもなく世間ずれしていない。ローグルバやヴィングストニーのような、相手を持ち上げおもねるといった処世術は持ち合わせていなかった。

 その子息たちも同様で、今は亡きアーガスを髣髴とさせるものがある。

 

 出世に汲々とする必要もなく、王から与えられたままで人任せにしている領地からの収入一年分だけでも庶民の一生分の収入を超えているが、三代前の王の庶子が始祖の新興公爵であり、権力はあっても周囲から然程の尊敬を得られていない彼にとって、アマニュークの英雄のパトロンの立場は喉から手が出るほど欲しいものだった。

 しかしリトバテス公爵も、ラシアスでの一件は聞き及んでいる。圧倒的な武を誇るアービィに、権力を背景にした恫喝が通用しないことは明らかだった。

 アービィを懐柔しようと下手に出るという慣れない努力をしているが、それでも尊大な態度が見え隠れしてしまう。

 

 ルティとメディの表情が固くなった頃合いを見て、アービィはローグルバやヴィングストニーに言ったこと同様に、褒賞としての家や金貨の処遇を相談してみた。

 一瞬理解できないという顔をしてしまった公爵だが、内容を良く考えることなく賛意を示す。

 実際彼にとって浮浪児や孤児など、どこか遠くの世界での話であり、彼の領地で彼の生活を支えるために発生している不幸について思いを馳せることなど全くない。他人のために金を使うなど、溝に捨てるも等しい行為だと考えていた。

 しかし、アービィを取り込みたいという一念が、結果としては善行を積むことになった。

 

 フォーシィは、実家のために嫁いできたのだが、長年連れ添ううちに公爵を愛するようになっていた。

 実際、公爵は外に対しては善人ではなかったが、家庭においては良き夫であり良き父親であった。間違いなくフォーシィは、彼に愛されている自覚はあった。

 それ故に、彼女にとって夫が世間から尊敬を得られないことや、夫が家庭内で見せる良き一面を外に向けないことが残念でならない。

 

 その夫が孤児院の話に賛意を示している。アービィを自派に取り込むためとはいえ、他人の役に立つことをしようとしていることは喜ばしい。

 彼女は、これで少しでも夫の行いに変化が見られ、世間からの見る目が変わることを期待している。

 

 空き家で都合の良いものを見繕うのではなく、敷地探しや設計から始まる新築の予定だ。であれば、ストラー王国の印象をよくするチャンスでもある。

 家の『権利』を褒賞とすることにして、権利はアービィがそのまま持っていればいい。

 

 アービィからの注文で孤児院として設計建築し、運営を風の神殿に委託する。

 運営資金は、これもアービィのへの褒賞金貨十枚を基金として、不足分は寄付を募る。基金の運用は信頼できる商人に任せて自主事業を興し、孤児たちの自立支援にする。

 

 王から政務に付いての相談を受ける立場であるリトバテス公爵からの後押しがあれば、王も無碍には断れまいし、アービィが褒賞を拒否したともいえない。

 フォーシィは孤児の自立支援を、自分の仕事にしようとしていた。世間知らずといっていいリトバテス公爵と違い、それなりに親の領地経営を見てきたフォーシィには事業支援の経験が僅かとはいえある。それを役立てられ、世間からの尊敬を夫が得られるなら、忙しく働くのも苦ではない。

 

 地位でしかプライドを満たせない夫に、世間からの尊敬を得ることで満たされるプライドというものを、フォーシィは教えたかった。

 そして、このチャンスを与えてくれたアービィに、限りない感謝の念を抱いていた。

 

 晩餐会は、始まったときに流れた固い空気を一気に払拭し、和やかに終わりの時間を迎えた。

 リトバテス公爵家の馬車で宿に送られるアービィたちは、デュ・デバリ公が期待した以上の成果を挙げている。

 

 

 宿に戻ると、支配人がデュ・デバリ公からの伝言を持ってきてくれた。

 褒賞についての相談は、明朝政務が始まる前の時間であれば、王宮の執務室を訪ねてくれれば良いとのことだ。

 

「明日、デュ・デバリ公を訪ねたら、その足でこの国を出ようね」

 アービィが三人に言う。

 

「あら、どうしたの? みんな友好的っていうか、ニムファみたいなことはしてこないじゃない。早く北に行かなくちゃいけないのは確かだけど、慌ててこの国を逃げ出すことはないんじゃない?」

 ルティが答えた。

 確かにこの国に来てからすぐにアマニュークでの戦いがあり、その後10日ほどニリピニ領に滞在してはいたが、戦いの疲れを癒すためであったので辺境伯に世話になりっぱなしだった。

 

 ニリピニ領から王都までは文字通り駆け足であり、擦り寄ってくる集落や貴族たちのお膝元を避けての野営の連続だった。

 王都に着いてからは、デュ・デバリ公との面会、王との謁見、ローグルバ、ヴィングストニー両男爵と、リトバテス公爵との会食に茶会だ。

 

 レヴァイストル伯爵から言われていた『世間を見る』ということは、ほとんどできていないに等しい。

 この国の文化を見るには、王都に一日か二日は滞在しても良いとルティは思っていた。

 

「う~ん、本当なら二、三日いてもいいんだけど、これ以上いても今日と同じことの繰り返しになっちゃうんじゃないかと思うんだ。謁見の後、いっぱい人が来たじゃない? 多分、明日以降の予定を宿に聞きに来てると思うんだよ。それに……」

 明らかに自分を取り込みに掛かっている雰囲気は、しっかりとアービィには伝わっていた。

 家を孤児院にということについては、そうできればいいという気持ちと、ストラーに拠点を置かないという宣言のつもりでもあった。

 

「今日会った三人だけどさ。みんなも気付いたと思うんだけど、僕の言うことにほとんど反対しなかったでしょ。あの人たちが反対しなかったのは、僕に貸しを作りたいっていうのが判っちゃったんだ」

 おそらく王からの褒賞をあのような活用のしかたをする者など、今までは皆無だったのだろう。三人が三人とも呆気に取られた顔になっていた。

 

 これでアービィに直接寄付するとか言い出す者が出ると厄介だ。寄付が無償であるわけがない。

 間違いなく、断りにくい依頼とセットになってくるだろう。依頼料が別だとしてもだ。

 寄付は募る必要はあるが、それはあくまでも風の神殿に対して寄付してもらわなければならない。

 

「それに、陛下だって分ったもんじゃない。最初、男爵がどうのって言ってたでしょ? ラシアスで子爵とか言ってたのと同じだよ」

 アービィは面倒からは逃げるに限ると思っていた。

 

「そうね。早めに逃げ出した方がいいわ。明日、昼前には王都を出たいわね」

 ティアが受け取った。

 決して焦っているわけではないが、面倒ごとに巻き込まれて北の大地へ渡るのが遅れることは我慢ならない。

 

「分った。じゃあ、今夜は早く寝ようか。でも、ティア、焦らないでね」

 我儘を言いたいわけではないルティが答える。

 

「焦ってないわよ。面倒ごとに巻き込まれたくないだけ。もうちょっと飲んでからでもいいんじゃない?」

 

「アービィの部屋でいいわよね?」

 ほんの少しだけ膨れたようなティアが言い返し、メディが続けた。

 

「うん、じゃあ、お酒買いに行こうか」

 楽しそうにアービィが言い、四人は夜の町へ買い物へと繰り出していった。

 

 

 翌朝、朝食時にデュ・デバリ公は既に執務に就いている時間だと支配人から教えられ、手早く支度を整えた四人は宿代を払いにカウンターへ行き清算を済ませる。

 ノタータスが引く馬車に揺られて王宮へ到着し、衛兵に取次ぎを頼むと、程なくデュ・デバリ公の副官が迎えに来た。

 

 デュ・デバリ公は上機嫌でアービィたちを迎え入れ、従卒に人数分の茶を持ってくるよう命じる。

 挨拶もそこそこに、アービィは昨日話したことと同じ内容をデュ・デバリ公に話した。

 

 最初こそ難しい顔をしていたデュ・デバリ公だが、確かに最近浮浪児や孤児の増加は社会問題になっている。

 単に親のいない子供が増えていることだけが問題なのではなく、犯罪の温床となっていることがさらに大きな問題だった。

 子供の姿が娼館で見られることも増えていることも、報告されることが増えている。当然取り締まりの対象なのだが、娼館も巧妙に隠し官憲の目を逃れていた。

 

 現在理不尽に働かされている子供たちの救済も重要だが、供給源を絶つことも同様に重要だ。

 特効薬などあるわけはないのだが、アービィの提案は解決策の一つにはなり得る。

 

 もし、アービィに恩を売ろうと寄付を申し出てくる者があれば、風の神殿が盾になって取り纏めを行い、新たな孤児院を建てる資金にしてしまうのも手の一つだ。

 それこそどんな金であっても、ありすぎて困るということはない。

 善意から来る寄付か、アービィに貸しや恩を売るためかは、内偵すればすぐに判明するだろうから、ビースマッククーデターの組織や、王朝に対して叛意を持つ者のあぶり出しにも使えるかもしれない。

 

 王からの褒賞を形はどうあれ手放すなど前代未聞だが、これは案外いい方法かもしれなかった。

 アービィを繋ぎ留めておくことはできないことは残念だが、好印象を与え来訪に抵抗を持たせないというだけで今回は充分と見たほうがいいだろう。

 

 僅かの間にそこまで考えたデュ・デバリ公は、できるだけ早くストラーを発つと言うアービィたちを無理に引き止めることなく、王には自分から諮り、必ず実現させると約束した。

 お互い晴れやかな表情で握手を交わし、アービィたちは執務室を出る。

 

 王宮の入り口まで見送りに来たデュ・デバリ公は、アービィたちの馬車が見えなくなるまで執務室に戻ることはなかった。

 風の神殿で精霊と契約するという、最大の目的を達したアービィたちは、ストラー訪問前に感じていた不安が杞憂に終わり、胸を撫で下ろしていた。

 

 デュ・デバリ公は、期待以上の働きをしてくれたアービィたちに感謝している。

 謁見後には怪しい人物を引き寄せてくれたし、屋敷に招待するほど取り込みたがった三人の貴族をあぶり出すこともできた。三人の貴族はそこで大きな失敗をしていた。

 アービィの知遇を得たければ、宿を訪問するだけに留めればよかったのだ。

 

 それが家族を紹介することまでしている。いや、家族を紹介することだって宿の訪問に連れて行くだけにすれば、然程怪しくはなかった。

 お互い未婚であり、それも適齢期の者を引き合わせている。

 どう見ても見合いとしか受け取れない。ローグルバとヴィングストニーはアービィと、リトバテスはルティと姻戚関係を持とうしていた。

 

 明らかな引き込み工作であり、今回のクーデターグループの中心人物と見ていいだろう。

 王家に対して叛意を持ったところで、軍対個人での勝負は目に見えている。

 如何にアービィたち個々が武に優れているとはいえ、飛び道具の乱射や、集団で押し潰しにかかってしまえば対処するにも限界はある。

 

 アマニュークの英雄への褒賞は家と金貨が王家から。そして政変を未然に防ぐための諜報としての働きへの褒賞は、家や金貨の運用をアービィたちの思い通りにすること。

 これは宰相たる自分からの褒賞として、間違いなく支払わせていただこう。

 デュ・デバリ公は、ベルテロイにいるアルテルナンテに報告書をしたためながら、そう考えていた。


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