狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第26話

 「ねぇ、ルティ、なんでさぁ、ハイスティさんに自己紹介したとき、フルネームじゃなかったの?」

 アルギールへの道中で泊まった宿の一室で、ティアが訊ねた。

 

「だってさぁ、たいがいご夫婦って聞いてくれるのに……きゃはっ。アービィがすぐ姉弟って言っちゃうでしょ? そのときのティアの視線が痛いのよ……」

 それにアービィとティアが恋人みたいに見えちゃうじゃない、と心の中で叫ぶ。

 

「きゃはっ、じゃないわよ……。アービィはまるっきり、その気ないわけじゃないんでしょ?」

 呆れたような、小莫迦にしたような視線をルティに投げかけ、ティアがさらに訊ねる。

 

「そう思うんだけどねぇ……姉弟として育ったのも事実だしね。照れくさがってるだけなんだと思いたいのよ、あたしとしては」

 キスまでは行きそうなのに、アービィの獣化に何度も阻まれている。

 

「一回やっちゃえば、あとは平気だとおもうよ、あたしは」

 ティアの言葉にルティは、その一回がたどり着けないの、と呟いた。

 

 

「ねぇ、ティア。ラミアの妖術って、どんなのがあるの?」

 突然話題を変えたルティに、首を傾げつつ律儀にティアが答える

 

「う~んと、ね、幾つかあるわ。まずは見てもらった『変身』と、相手を籠絡っていうのかな、虜っていうのか、要はヤりたい気分にさせちゃう『誘惑』。それから強制的に寝かせちゃう『催眠』でしょ。あとは、何回でもヤれちゃう『持続』かな」

 聞いているうちに、ルティの顔が赤くなってくる。

 ルティも年頃の娘なりに、性への興味はあるし、村の同性の友達からも情報は入ってきた。

 近い年でも結婚している友達もいたので、知り合いの生々しい話を聞く機会も何度もあった。

 

 その度にアービィとは、どこまでいっているのか聞かれるのが定番だった。

 周りもいつも顔を真っ赤にして逃げるルティが面白くて、多少誇張して話していたが、概ねルティの性に関する認識は間違ってはいない。

 

「じゃあさ、『催眠』掛けてから『誘惑』って重ねられる?」

 

「どうしたの、ルティ? そんなこと聞いて……?まぁ、場合によっては『催眠』が効き過ぎちゃって、『誘惑』の効果が先に切れちゃうこともあるけど、できるわよ。『催眠』の掛かりが浅いと……却って『誘惑』が掛かりやすいみたいね」

 ルティの意図を悟ったか、できる範囲で望む答えを返す。

 

「そう……じゃあ、『催眠』でうとうとさせてから『誘惑』掛けて……でふつうに起こせば『誘惑』の効果だけが……あんなこととか……こんな……」

 

「ちょっ……ルティ、目が据わって……何考え……? へんな笑い声漏れてるしっ!!」

 まずい、あんまり期待持たせちゃいけない。あ、妄想の世界にいっちゃってる……

 

「その上でさ、『持続』なんか使っちゃったら……きゃっ」

 引き戻さないと……

 

「ルティ、ルティっ!! 帰っておいでっ 涎……涎拭いてっ!!」

 ティアの言葉に、我に帰る。

 

「はっ……あの……聞かなかったことに……して、ね? ……。……。……でも……あたしにも『持続』を……」

 妄想と願望が入り交じり、ルティは混乱しきっている。

 

「ルティ~! どうしちゃったの~!?」

 

「はっ!? ……ぎゃぁぁぁっ!! 忘れてっ! なんでもないわっ!! 今のあたしは、あたしじゃない~!!」

 部屋の外では、酒瓶を抱えたアービィが固まっていた。

 

「あのね、盛り上がってるところで申し訳ないんだけど……あたしの妖術くらいじゃ、アービィには効かないよ?そもそもあの狼に効く精神妖術なんかないって」

 額をテーブルに打ち付けるほど、一気に落ち込むルティにティアは大笑いした。可愛い子ね、こっちに『誘惑』かけちゃいたいくらいだわ。

 

 

 アルギールまでは、天候が崩れやすい道程のため、7~10日の行程だ。

 四日ほどは順調だったが、昨日からの雨で地盤が弛み、今日は昼に止まった駅でそのまま足止めになっている。

 

 今頃はこの駅とひとつ先の駅から駐屯部隊の工兵が派遣され、雨の中危険な補強工事を行っているはずだ。

 馬車の客にできることは当然なく、それぞれが温泉や酒、睡眠と思い思いのときを過ごしている。

 明日からは崩れかけた場所を通ることも増え、余計な緊張を強いられるのであるなら、今のうちに休んでおこうというのが、皆の考えだった。

 

 宿は銅貨15枚と安いし、足止めに対する補償も含め三食付きになっている。

 幸い温泉を併設していたので、入浴も無料だ。

 

 アービィは、食事の合間に浴場へ行っていた。

 なにか血が騒ぐというか、入り浸りたくなるなにかがあるのだ。

 

 この日三度目の入浴時、まだ陽は高い時間だが、どんよりと曇った空が気だるい気分にさせてくれる。

 ゆったりと湯船に浸かっていると、湯気の向こうに入ってくる人影が見えた。

 

「ハイスティさん?」

 

「ああ、アービィさんでしたか。ご一緒させてもらいますよ……」

 身体を流し、湯船に浸かる。

 

 平均的身長に、平均以上の腹周りを持つこの商人は、穏やかな性格だが、目つきは時折鋭いものに変化することがある。

 太っているように見える身体だが、こうしてみると脂肪の下には、鍛え込まれた筋肉の鎧が隠されているのが分かる。

 

 アービィは、この大陸を股に掛ける商人から、世界情勢を聞くのが楽しかった。

 インダミトにも長くいたらしく、ラガロシフォンのことも耳にしていたようだ。

 商売の良い機会がありそうだから注意しています、と言われ、アーガスが居なくなったという情報は、既に得ているようだ。

 

 アービィは、ふと、背中の痣について話してみた。

 なにか知っているのでは、と思ったのだ。

 もちろん、真相までを期待したわけではなく、噂話にでも聞いたことがないかと思ってのことだった。

 しかし、この世界を渡り歩く男でも、残念ながら寡聞にして聞きませんな、との答えだった。

 

 行く先々で気にしてみましょう、とのことだが、それをどうやって報せてくれるんだろう、とアービィは不思議に思った。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、ハイスティは、いずれ何か大きな手掛かりが向こうから寄ってきますよ、と慰めるように言って、お先にと上がっていった。

 

 

 脱衣所で身体を冷ましていると、後から出てきた男が、痣のことを聞いてくる。

 珍しいですね、と声を掛けてきた男には、あまり詳しくは話さなかった。

 フロローから一緒だった男に詳しく話したら、後日事故に遭い亡くっていたので、なんとなくはばかられるものがあったからだ。

 

 何かご存知のことでも、と訊ねてはみたが、興味本意で申し訳ないと返されただけだった。

 まだ脱衣所にいたハイスティが、足止めについて話し始め、話題を変えた。

 彼もそのことは知っているので、さり気なく話題をずらしてくれたのだろう。

 

 それから三人は天候への愚痴や八つ当たりとしか取れないようなことを話ながら、浴場をあとにした。

 ハイスティは二人を慰安施設に誘うが、アービィはまだ命が惜しいと言って笑われ、もう一人の男は家族連れですのでと言って断り、それぞれに分かれていった。

 

 

 その頃女湯ではルティたちが、同世代の娘とその母親の二人連れに、アービィをネタにからかわれていた。

 ルティから、アービィの両親のことや痣のことを聞いたときには、母親の方が涙ぐみ、アンタがしっかり支えてやりなさいよ、奥さん、と言われ、ルティはのぼせて倒れるんじゃないかとティアが心配するほど、浮かれていた。

 

 翌日、天候も回復し、馬車は走り出す。

 アービィたちは、ハイスティとの雑談に興じている。

 昨日痣のことを聞いてきた男は、妻とルティたちと同世代の娘を連れており、行き合った時には男性同士、女性同士はそれぞれに目礼し合っていた。

 

 

 アービィたちがグラナザイに到着した頃、インダミト王国エーンベア城では、出征式が行われていた。

 ラシアスに仇成し、大陸を脅かす、不逞の北の民を討ち鎮めるため、大陸を縦断する勇士たちを見送る式だ。

 

 義勇軍約五千に諸侯軍約一万五千の大軍を指揮する財務卿ハイグロフィラ公爵子息ランケオラータ・アンガルーシー子爵に、指揮杖がバイアブランカ王より手渡される。

 四カ国の基本戦略は、大陸の防衛である。

 インダミト派遣軍は要塞に展開し、多国籍軍を形成。

 緊密な連携を以て、侵攻を試みる北の民撃退の任に当たる。

 現地での総指揮はラシアスの将に譲るが、各国軍への直接の指揮権は、それぞれの各国指揮官が保持している。

 派遣軍に向け、出陣の演説を行うランケオラータを、アーガストル・ラガロシフォン子爵は、兵列の中から暗い目で眺めていた。

 

 アーガスは、エーンベア到着後十日ほどは、おとなしくパストリス侯爵に付き従っていた。

 パストリス侯は厳しくも丁寧に旧友の息子を指導していたが、父以外に厳しくされたことのないアーガスには、虐めとしか感じられなかった。

 

 アーガスは、財務を修める気などさらさらなく、自分は優れた将であり、この度の戦で功を挙げ、父の鼻を開かしてやるものと決めていた。

 パストリス侯爵の元で政務に励む振りをして、軍の有力者への付け届けを繰り返し、一部隊を預けられ一端の指揮官になることに成功した。

 

 本来であれば、あの演説は自分がしていたはずなのに、なぜ父は自分を推薦しなかったのだろう、父の目は曇ったのかと考えている。

 現地に着けば、妹婿など顎でこき使ってやろう。

 旧知のストラー貴族たちと共に、貴族の振る舞いとはどんなものか、教育してやる。

 自分にはその力量がある。アーガスは信じて疑わなかった。

 各国でも様々な思惑を秘め、派遣軍は要塞を目指し進軍を開始した。

 

 

 アルギールは、要塞から南にベルテロイまで国内を最短で結ぶ縦貫街道から、東に外れた位置にある。

 これは、北の民の侵攻が直接王都を脅かさないためで、かなり不便であるがやむを得ない措置だ。

 

 フロローから一旦北東に走るラシアス街道は、緩やかに大きくS字を描いていた。

 フロローからアルギールを経由し、グラザナイへと達したあとは西に大きく進んでまた東に戻り要塞へと到達する。

 国内にはたいした産業はなく、対外貿易は完全な赤字であるが、北の民の脅威を防ぐ「盾」代として、各国の援助や長期の借款という形で穴埋めがなされていた。

 

 王都も各国から輸入された商品が溢れかえるが、ラシアスならでは、というものがあまり作り出せなかった。

 農産品は各国同様に特定の偏りを見せ、他国より水産品は多いものの、加工品や工業製品に特色がない。

 

 それでも庶民の暮らしに不自由があるわけではないので、大きな問題ではない。

 今のところ町は平穏で、庶民の生活には活気があった。

 

 

 アービィたちがアルギールに到着する頃、各国の派遣軍はベルテロイを通過し、フロローからグラザナイを目指す途中だった。

 グラザナイで火の神殿に戦勝祈願の礼拝をすると共に、摂政ニムファ第一王女御前にて観兵式を行い、要塞へと進軍する予定だ。

 

 アービィたちと入れ違いにアルギールを出立したニムファは、ドーントレッドがどこへ行ったのか、宛てがあっての行動なのかが、気になっていた。

 権力闘争や権謀術数渦巻く王宮内で、彼女が唯一心を開ける臣下であった。

 騎士団長ラルンクルスは、実直で誠実な男であり、信頼感も抜群ではあるが、考え方が堅すぎる。

 あまりにも全てに正攻法で当たるため、敵も多いし、謀にはまるで向いていない。

 

 宰相コリンボーサは、自分を権力の後ろ盾としか考えておらず、互いの利害が一致すれば心強い味方であるが、いつ裏切られるか分かったものではない。

 グラナザイに行く間、王都がドーントレット不在であることに、ニムファは言いようのない不安を覚えていた。

 

 

 アルギールに到着したアービィたちは、ターミナル近くの宿に荷を降ろした。

 ハイスティは、商品の売り込みに忙しいようで姿を見せない。

 アービィたちはギルドへ行き、仕事を探すことにした。

 さすがに路銀が心許なくなり、多少は妥協して仕事を探すことにした。

 まだ貯えに余裕はあるのだが、ビースマックまでの道中でなにがあるか分からないからだ。

 駅馬車のチケットは、乗り換え地点に限らず空きさえあれば、便を替えることは可能だった。

 

 彼らが見つけられた仕事は、貴族の屋敷の警護と、飲食店、物販店の売り子だった。

 アービィが警護へ、ルティとティアはそれぞれ飲食の売り子へと散った。

 

 下級貴族の屋敷の入り口で、日がな一日中立っているだけの暇な仕事だが、それでも銀貨一枚は魅力だ。

 アービィは、退屈と戦うことにした。

 

 ルティとティアは、町中にある食堂のウエイトレスに応募し、採用されていた。

 酒も扱う店だし、日中から飲むことは別段おかしくないこの世界では、多少なりとも腕に覚えのある女でないと、ウエイトレスは務まらない。

 

 やはり、給金は一日銀貨一枚。危険料込みなのだろう。

 店の制服に袖を通し、アービィが昼休みに来ないかな、と思うルティだった。

 ティアは、同じ店の露天店舗での軽食販売に就いていた。

 

 

 五日間、慣れない仕事で稼いだ金を、無駄遣いする気にならなかった三人は、珍しく宿の部屋で飲んでいた。

 話題はそれぞれの店に来た客の話で、馬車で一緒だった親子連れが、偶然にもルティとティアの両方の店に来たということだった。

 ハイスティも偶然同じ宿になっていたのだが、まだ営業回りをしているのか、姿を見ない。

 ビースマックに向けて出立するため、明日で仕事を切り上げようと決めた三人は、ハイスティに挨拶くらいできないものかと話していた。

 

 翌日、アービィとティアは仕事を終わることを雇い主に了承されたが、ルティはもう一日やって欲しいと懇願されていた。

 その日から戻ってくるはずだった女の子が、急病で伏せってしまったらしい。

 状況を理解できるだけに、ルティは断りきれず、横にいたティアも強いことは言えなかった。

 結局ティアがアービィに伝えに行き、ルティは仕事に残ることに、二人は宿で待機ということにする。

 

 

 ルティを送り出した後、やることがない二人は街に出てみることにした。

 二人並んで歩く町並みは平和で、北の脅威に面した国の王都とは思えない穏やかさだった。

 

 魔獣二匹が人化して、誰にも疑われることなく町中を歩く。

 アービィとティアには他の魔獣の気配が分かるということは、他の魔獣にも二人の気配は分かるということだ。

 だが、二人とも他の気配を感じることもなく、街を歩いている。

 完全に人に溶け込んでいた。

 

 無性に嬉しくなったアービィは、ティアと一緒に過ごせるこの時間が、とても大切なものに思えた。

 ティアが、練習してみる? と言って絡ませてきた腕を、照れることなく受け入れられたのは、そのせいだったかもしれない。

 

 そのまま二人が寄り添って歩いていると、背後に不穏な気配を感じた。

 気配の正体に気付いた二人が、壊れた玩具の人形のように振り向くと、そこには荷物を取り落とし、こちらを指さしながら涙ぐむルティが立ち尽くしている。

 その後暫らくは、取り乱すルティ、慰めるティア、どうしていいか解らずうろうろするアービィの姿が見られたとか。

 

 

 そしてその夜、宿の廊下では、正座させられているアービィとティアの姿が見られた。らしい。


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