矢の様に迫る鋭い刃を糸を使った移動法により何とか回避する。
竜巻が襲ってくると錯覚してしまうそれは、しかし紙一重で躱そうものなら高速で荒れ狂う風に巻き込まれ細切れにされることだろう。それが分かっているからこそ元は決して捉えられないよう必死に逃げているのだ。
一瞬一瞬が綱渡りの様な状態。心臓は常に激しく脈打ち、口の中は乾きっぱなしだ。それでも尚動くことは止めない、もしそんな事をすれば命の保証はないからだ。
二つの凶器から飛ぶ風刃。体を低くし、あるいは大きく飛び退くことで回避する。
幾度も行われているこの攻防はしかし、たった数十秒の間に過ぎなかった。
そろそろ限界だと顔を歪ませた瞬間、こなたは一筋の光となって元に肉薄する。
そのあまりの速さに、だが元の体は反応した。一重にそれは最速とされる虫憑きの少女を師に持っていたお陰なのだろう。
そうして反射的に構えた拳銃は、トリガーを引いた瞬間紅い閃が奔り音を立て暴発した。
「ぐッ――」
刹那に生まれたその隙を、逃さずこなたの刃が襲う。
手放す前に炎が上がったことにより酷い火傷と激痛に体を蝕まれる元だったが、それを感じるよりも先に後方へと飛び直撃は免れた。
しかし、剣から生み出された風の斬撃だけは防ぐことが出来ず、至る箇所は刻まれ、余波で再び檻に叩きつけられた。
コートは数多の裂傷により破れ、袖から腕が露わになっている。ゴーグルは先の斬撃でゴムが切れたのか、足元に転がっている。晒していた肌の部分で無傷の所はなく、無数の線から赤い水が滴り落ちていた。
朦朧とする意識、気付けば檻の中の生存者は二名のみとなっていた。元とこなたを除く全員は全て虫を殺され欠落者と化していたのだ。
逃げ回る元を追撃しながら、その一方で多くの亡骸を生み出していた。その桁外れの力に改めて恐怖する。
しかし、だからといって諦めるつもりはない。
例え相手が
無力でも、弱くても、この残酷な世界で生きていこうと誓った。生き続けたいと願った。
失われないモノなんてきっと何処にもない。些細なものか、大切なものか、その差はあれど世界は必ず何かを奪っていく。
非情で無常な世界。生きることを放棄すればこの呪縛からは解放されるだろう、人形であればそんな苦悩や悲しみも背負わずに済むのだろう。
だが元はそのどちらも拒絶し、最も過酷な道を選んだ。
始めにあったのは罪悪感からだった、次にそれは贖罪へと変わり、最後には願いに昇華した。
その「願い」はある意味『彼女』からの最後の贈り物だったのだろう。「想い」から「願い」へと成り、彼の夢と共に在り続ける。
だから元は生き続けたい、どんな形でも。それが唯一自分に出来ることであり、『彼女』がいたことの証明にもなるのだから……。
遠退く意識を必死に繋ぎ止め、足に力を込め、倒れそうになる体に渇を入れる。
息は絶え絶えに、体力はもうほとんど残っておらず最早気力と意地だけで立っているようなものだ。それでも黒い瞳から光が失われることはなく、鋭い視線が敵を射抜く。
嘗ての誓いを思い出し、諦めるなと自分を叱咤する。目の前の絶望から逃げることはもうしない。
――立ち向かう。
すぐ後ろにはほのか達がいるのだろう。声が聞こえるが、しかし顔を向ける余裕はない。
ゴーグルが切られた時に額もやられていたのか流血し、片目を塞ぐように滴り落ちる。おまけに限界も近いこともあり視界が霞む。
――それでもなお……。
戦え、戦え、戦え。鼓舞するように師の教えを胸に、反芻する。
拳に力を込め、強く握る。
赤い死神が悠然とした足取りで迫ってくる。
手にしているのは巨大な鎌ではなく、赤い一対の剣。荒れ狂う嵐のように猛々しく、極寒の冷気のように冷たい刃。それが今元の命に終止符を打つべく赤く煌いている。
体を覆う模様が一際輝き、力を込めた足が地面を陥没させる。その様から次の一撃で終わらせる気なのが嫌というほど理解できた。
だから元も構える。虫はあるものの攻撃には回せない、実質徒手空拳だ。
相手は万全の体制、こちらは手負い。地力の差がなくとも誰がどう見ても勝負は明らかである。
しかし、それでも諦めず元は相手の一挙一動を見逃さない。たった一つの可能性を信じて迎え撃つ
風の音だけが鳴り響く中、小さく石が沈む音が聞こえた。
それが更にこなたが足に力を込めた瞬間であることを理解する前に赤い閃光が奔る。音を置いていくかのようにも感じられるそれは決して人が出せるものではない。
その証拠にあれだけ注視していた元ですら対処できていないのだから……唯一できたことといったら驚きの余り握っていた手を開いてしまったことくらいだ。
一瞬すらない刹那に赤い凶刃が迫る。両断するには鋭過ぎ、命を奪うには十分過ぎるそれの前に元は何も出来ず、ただ目の前で「赤い蝶」が舞うだけだった。
「――ッ!?」
こなたがそれに気付いたと同時に赤いミカドアゲハは弾け、爆炎が空を燃やす。
ほぼゼロ距離による爆炎は、如何に同化型といえど無事ではいられず全身を業火が襲う。しかしそれは同時に、全く同じ位置にいた元にも言えることだった。いや、寧ろ同化型でない分被害は甚大だ。一歩間違えれば虫もろとも焼け死んでしまう。
檻の中が瞬く間に火の海へと、灼熱の地獄に変わる。
しかしそんな中、幾重にも成る炎の壁から一本の腕が突き出て、それがこなたを――正確にはその赤い剣の柄を掴んだ。
「捕まえたぞ」
次いで姿を見せたのは僅かな焦げ目を負った元だった。こなたの眼前に現れた彼は逃がさぬように睨み付け、手に力を込める。
その思いを汲み取るように大蜘蛛が糸を吐く、それは封をするように剣を覆う。
赤い凶器が白い繊維によって包まれるだけなのだろう、端から見れば……しかし。
「……な、に……?」
異常はすぐに起き、こなたの表情は驚愕に変わる。
鬱陶しくも絡まる糸を切り裂こうと風を起こそうとするが、糸に包まれた剣は一切の反応を見せなかった。
何故いきなりこんなことになったのか? 思考が追いつかない内に元の手が残っているもう一本の剣に向かっていた。
「いつまでも操られてんじゃねぇよ! 同化型ッ!!」
瞬間、言い知れぬ恐怖を覚えたこなたはそれを振り払うように振り下ろす。
赤い閃と化した剣筋。それは元の胴を斜めに切り裂き、突風によって反対側にまで吹き飛ばした。
炎の壁を貫き、熱せられる檻に叩きつけられた。夥しい出血をしながら倒れる元を視界に捉えながら、こちらは能力が使えたことを確認でき安心――。
「え……?」
する直前、頭の中をたくさんの記憶が駆け巡る。
それは早条達と出逢った時のこと、“底王”として多くの虫憑きを狩っていたこと、そこに至るまでのあらゆる経緯。
何より……。
『キミの夢を僕に教えて』
大切な人の手によって虫憑きに変えられてしまった時のことを思い出してしまった。
「あ、ああ……ああああアアああぁぁぁァァああああアアあああ!?」
炎の海の中心で“底王”と呼ばれ恐れられた少女は頭を抱え、喉が張り裂けんばかりの叫びを上げ、膝を折った。
「なに!? どうしたの!?」
その姿に困惑の色を強めたのはラナ達だ。彼女達は無謀とも思える策によって重傷を負った元の手当てをしている最中だった。
元の虫――大蜘蛛の糸には滅多なことでは使われない、本当に隠された効果がある。
それは、糸で包んだものを『そのままの状態』で維持し続けるというものだ。物だけでは飽き足らず虫にまで影響を与えるそれは聞くだけなら相当希少なものと思われるだろう。事実として、如何に強力な虫といえど大蜘蛛の糸に包まれるとその時点で完全に捕らえられた状態になり、実体化した虫を消すことも特異な能力も使うことが出来なくなってしまう。更に言うなら特殊型のような一定の範囲のみで実体化する虫すら、その範囲外に持ち出すことが出来てしまうのだ。この力も元が特殊型を倒せる要因の一つになっている。
その反面、この能力は必ず『包まない』と効果を発揮しない為戦闘での実用性はかなり低い。
なにしろ、常に動き回る相手や巨大なものに対してそんな時間の掛かるものをするのは単なる悪手でしかなく、隙が大き過ぎる。それは今元自身が身をもって証明している。
――そう、元が取った策とは糸の力による無力化だ。
普通の虫ですら難しいのに同化型を相手にそれを行なうことは自殺行為に等しい。しかし打てる手は他に無く、残された道も多くはない。であればこその賭けだった。
始めにほのかの虫をその能力で隠し持ち、こなたが最も近付いた時に四季の虫の力で目眩し兼ダメージを与え、自分はジャコウアゲハを盾にすることで多少なりともダメージを軽減。そしてその隙を突いてこなたの武器を無力化するというものだった。
結果、元の目論見は半分は成功したが、もう半分は失敗に終わった……はずだった。
しかし、現実に目の前でこなたは頭を抱え悲痛な叫びを上げている。それにより体を覆う模様は切れかけの電球の様に激しく点滅を繰り返している。
元の話によれば糸には無力化の効果があるとしか聞かされなかった為目の前の事態にラナは唖然としていた。
「呆けてる暇があったら手伝いなさい!」
そのラナを四季が怒鳴りつける。驚いて振り返るとさっきのお返しだと言わんばかりに苦笑を浮かべる。
赤いミカドアゲハによる爆炎の後、レーザーを思わせる黄色い虫の力で何とか檻を切断し、その直後に元を回収して手当てをしているのだが、正直かなりの重傷だ。
体の至る箇所が切り裂かれ全身は血塗れ、更に先の一撃が致命的で出血が酷い。顔は青ざめ体温はどんどん低下していく。
このような状態に陥って尚暴走せず、糸によって手当ての手助けをしてくれる辺り主思いなのかもしれないと場違いなことを四季は大蜘蛛に対して思った。
だがそれでも止血が精一杯、失われた血が多すぎる。
「ほのか」
四季が呼びかけるとほのかは何かを察したのか黙って首を縦に振った。そして自らの虫、ジャコウアゲハを出し、直後腕を切った。
「な、何してるの!?」
『あ、あわ……あわわわわわ』
突発的なその行動にラナは狼狽し、“まいまい”は慌てふためく。
しかしそんなもの気にも止めずほのかは元の傍らに座る。そして四季が青いミカドアゲハを出現させると傷口に溶けるように入り込み、管の様な形に変わると元の傷口にも入り込む。
二人を繋ぐように一本の管が出来た。青から赤に変色したそれを見て「まさか」とラナは顔を引き攣らせる。
「直接輸血する気!? 危険すぎる!」
「仕方ないでしょ! 血が足りないんです!」
声を荒げるラナ、しかしそれ以上に剣幕な声で四季は告げる。
実際四季の言う通り、元は血を流し過ぎた。思えばこなたの攻撃は全て当たれば致命的なものばかり、一撃ですら恐ろしいのに、その余波も馬鹿にはならない。それを風による斬撃を一度、そして直撃を一度受けているのだ。しかもその二つとも衝撃波と余波のおまけ付き、深い傷を負っただけならあきたらず強い衝撃も受けたことにより、通常よりも更に出血量は増している。
病院に連れて行っても危険な状態な上、この状況だ。そんな余裕は何処にもない。
幸いなことに檻の中を覆う火の海と、“底王”が悶え苦しむというアクシデントにより僅かだが時間はある。
出血の量が量の為ほのかに無理をさせてしまうが、それも仕方が無い。想像を絶するほど繊細な作業故に四季自らが輸血する余裕はない。
それを理解したラナは強く噛み締めた後、決意したように切断された檻の破片を手に取る。そしてそれで思いっきり自分の腕を切った。
「アタシの血も使って、四季」
「ラナちゃん!?」
血が滴る腕を差し出し、そう進言するラナにほのかは声を上げた。
「アタシもこいつに借りがあるし、死んで欲しいって思うほど憎んでいるわけじゃないわ。だから助けたいし、アンタに無茶して欲しくもないの、わかった?」
「……うん」
なんだかんだ言っても優しい少女の言葉にほのかは微笑を浮かべ頷く。その心遣いは素直に嬉しかった。
「……一度に二人分の輸血ですか……流石に後遺症が心配ですね……」
「ちょ、アンタ!? ここまでやったのにやらない気!?」
対して一度に二人から輸血を行なわれる元の身を案じる四季。
流石に腕を切ったのにやらないとあっては、ただ痛い思いをしただけに終わるので食って掛かるラナ。その姿を見て幾分か余裕を持てた四季は口元を押さえながらくつくつと笑う。
「いえいえ、そうなったら貴女がちゃんと面倒見てあげて下さいね?」
「はぁ!? ……あーもう! なんでもいいから早くして! こっちだって痛いんだから!」
笑顔でそう言う四季にいい加減苛立ちを覚え、叫ぶように言うラナ。
「感謝します」
一変、真面目に頭を下げるとすぐに虫を成形しほのか同様元に血を送り始めた。
その甲斐あってかはわからないが、少しだけ元の顔色がよくなった様な気がした。
『……元さん……』
怖くてその様子を眺めることしか出来なかった“まいまい”は己の不甲斐無さと臆病さに失望し、唇を噛み締め俯いていた。
数少ないムシウタ二次の中でもここまで何度も死にかけるオリ主って珍しいんじゃないかなって自分で思ってしまう今日この頃……いや、相手が悪すぎるだけなんですけどね。
ちなみに大蜘蛛の糸の効果については何気に伏線は張っていました。
『四季』戦の際元がラナについていた黒いミカドアゲハを取っていた場面あったじゃないですか? 四季は特殊型だから領域から離れれば虫は形を維持できなくなるのに、逃げて距離を十分に取ったにも関わらず虫は糸で捕らえられたままだった、というのが伏線……のつもりだったんですけど……。
たぶん、ムシウタ読者なら違和感を感じていたと思っていた所を今回回収しました。
忘れた頃に回収する……仕事が遅くて本当にごめんなさい。